2008年5月25日日曜日

今を生きる 「事実をよく見る」   

     名医はどこか違う
私の好きな言葉にひとつに「事実を見る」というのが有ります。自分でなかなか出来てないのも事実ですが、この言葉がとても気に入っています。コンサルタントの知人の方が、ある研修会でこの大切さについてトクトクと語って下さったのが印象深く、そのときにぜひ読むようにと紹介された本が、柳田邦男著「事実の読み方」です。この中にこんな話があります。

ノンフィクション・ライターとして著名な柳田邦男氏。これは彼の知り合いである外科医H先生のお話です。H先生は、今にもずり落ちそうな古い靴下をよくはいている由。部長の肩書きをもつ立派な医者が、何でゴムのバカになりかかった靴下をはくのか、傍からみると奇異な感じさえします。このずり落ちそうな靴下を見ただけでH先生の人柄を判断すると「身なりをかまわない人」とか「だらしのない人」と思ってしまいます。(これは先入観あるいは全くの推測に過ぎないのです。)

しかし、柳田邦男はその”秘密“をH先生から聞く機会に恵まれたそうです。それによると、古い靴下を履くのは手術のある日なのだとのこと。大手術になると7―8時間も立ちっぱなしになり、足が冷えたり血行が悪くなる恐れがあります。新品のゴムのきつい靴下を履いていると血行に良くないので、ある時思いついてこのようにしたとのことでした。手術を完璧なものにするために、ここまで気を配っていたというわけです。「やはり名医はどこか違うと感嘆した」と柳田邦男は書いていました。

    よく見て、聞いてみないとわからない
事実というのはその内容をよく確認したり、よく話を聞いてみないと分からないもので、憶測や先入観で判断するととんでもない間違いを犯してしまうことがあります。事実は事実としても、それに自分の意見や憶測や先入観を加えることが何と多いことでしょう。その結果、事実は脇に追いやられ、憶測や先入観に基づいた主観的判断が入り込み、真実とは程遠い話ができあがり、その話が人から人へと伝わるととんでもないことになってしまいます。この種の苦い経験を、私たちは何度か経験しているのではないでしょうか。大事に至ったことを少し分析して見ると、意外と相手の話をしっかり聞いていなかった、見てなかったために誤解が誤解を、憶測が憶測を呼んでいたことが見えてきます。実に背筋の寒くなる思いです。

もう数年も前になりますが、ある方が問題だと言って相談に来られました。確かに聞く内容が事実だとしたら、大きな問題だと判断せざるを得ません。しかし、起きている状況や関係者の方々を見るに、こんな馬鹿な事実があるはずはないと思いました。本人に直接確かめるにはどうかと思い、少し時間を置くことにしました。後日、直にお話を聞く機会があり、そうだったかと驚きました。

映画に例えていうならば、ある場面以降を見ると確かに問題に見えますが、その場面の10分ほど前の状況から見ますと何も問題ではありません。テレビなどのニュースを伝えるときに、編集者の都合の良いところだけを切り取って問題だとするのと似ています。事実をしっかり見て、聞いて判断することの難しさを学びました。
 
ある人からこんな事を教わりました。「他の人を裁いたり悪く思う気持ちが起きたとき、よく知らないからそうなるのだということを覚えよ。」相手を赦すということについて、こんな観点もあるということです。教会における交わりは、帰するところ人間関係です。ですから、このような考え方が特に必要であるように思われます。目をしっかり見開いて「事実をよく見る」「事実をよく聞く」ことの大切さは、今更言うまでもないことです。おかしいなと思ったら、まず見て聞いて確認する。その際、確かな情報源から確認することが大切です。

「尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」(ルカ1:3-4)

2008年5月25日    小坂圭吾