2008年8月2日土曜日

祈り 「孫に教えられる」

幼少の思い出暑い夏になると、幼少の頃(岡山・備前生まれです)の楽しい思い出が、次々に浮かんできます。小学校のとき、近くの川での水遊びや瀬戸内海の小さな島に臨海学校で宿泊(今思えば、先生方は大変でした!)、兄と二人で岡山の瀬戸内海岸の知り合いの家に1週間ほど寝泊りして海水浴(よくぞ両親が出してくれたものです!)等々、なんとも楽しいうれしい思い出がいっぱいです。田舎のガキ大将だった私は、先生に褒められもしましたが、みっちり叱られた思い出があり、旧家でしたので祖父(じじ)や両親にしっかりとしつけられました。学校の先生には、悪いことが見つかり、関係者一同(約10人)整列させられ叱られました。母には1対1で悪かったことをトクトクと諭されたこと、父や祖父には、あるときは蔵の中に入れられたり、夕方門の外に出されたこと(お寺にあるような古い門構えです)や正座して行儀を教えられたこと等、なぜ叱られたかはほとんど覚えております。全て良い思い出としてあるのは、叱り方、しつけ方が良かったのであろうと感謝をしています。

       孫に接して子供も独立した現在、3人の孫(男、女、男)のしつけについて考えることが多くなりました。一番上が小学校2年生男の子ですが、じじ、ばばの役目は、小さいころに良い思い出を作ってやることであると思っています。日ごろ孫たちを見ていますと、孫3人3様の性格で、男の子と女の子はこんなにも違うのかと思わされます。親であったときはそんなことよりも子育てに一生懸命、精いっぱいです。じじ、ばばだからこそ冷静に見ることが出来ます。一人ひとりを見ていますと、個性的な性格が浮き彫りに出てきます。色々なことに興味をもつ(特に物に対して)、自己主張が強い、納得しないと動かない、子供とは思えないほど理屈で色々と言ってくる、自己中心、自分の気に入らないとわがままが出てくる等々ですが、もちろん良いところも沢山あります。親は、子育てをどうしたらよいかと日夜悩み、研究しながら進めています。
        孫に教えられる
先日、長男家族郎党と共に1泊2日で房総に海水浴に行きました。一緒に2日間ともに過ごし、楽しい時を持ちましたが、孫たちの様子に色々と考えさせられました。家内と話し合い色々と考えている中で、この孫たちの姿は、実は私たち大人の姿そのものと本質は何も違ってないと分かってきました。暑い真夏日が続くと「暑い暑い!」と文句を言い、夕立が来て一気に涼しくなり感謝もあるが「寒い!」と文句を言う。家内が作った料理に「うまい!」と言いつつも、ちょっと味付けがうす味だと「ちょっとまずいな!」と言ってしまう。クーラーが利きすぎだ、孫が来てうれしくもあるが、これはだめとつい口が出る等々、要するに私たちも自己中心、わがままなのです。

例えば、こんなことがありますね。夕方、一家の主人が仕事から帰ってくると、夫が疲れていることを気にもせずに、妻がその日の起こったことを言いたくて矢継ぎ早に吐き出してくる。これは、留守番をしていた子供が、お母さんが帰ってくるや自分の関心事をお母さんにぶつける姿とまったく同じです。多かれ少なかれ、子供や孫の姿は私たちの姿であり、自己中心的な姿は、罪びとの姿そのもの、じじ、ばばの姿と同じだとわかってきました。孫の教育は共に学んでいくのだと悟って、何か少しほっとしています。私たちもやっと、じじ・ばばの役割・入門篇を学びつつあるのかなと思わされています。

「子供をその成長過程で正しく教育しなさい。そうすれば、年老いても、そこから離れない。」 (箴言 22:6 現代訳)
「子供を懲らしめることを、差し控えてならない。ーーーーー もしも子供を懲らしめるなら、  その魂を滅びから救うことが出来る。」   (箴言 23:13-14 現代訳)
 
2008年8月2日    小坂圭吾