2008年10月18日土曜日

喜び 「日本の精神・武士道(1)」

         岡山に帰省 先月、1年ぶりに故郷・岡山へ帰省しました。新幹線の岡山駅が見違えるように変わり、ちょっと戸惑いました。最初に、CLC・BOOKS岡山店を訪問です。路面電車に乗り、ゆったりとした町並み(高層ビル少なし)、道路・歩道の広いこと、歩く速度がゆっくり等を見ながら、地方の良さにホットした気持ちになります。(CLC・BOOKS岡山店については、別の項をご覧ください。)バスで実家へと向かう途中、山陽自動車道の下を横切りました。広い平野の田んぼの中を横切るこの巨大な高速道路、こんな道路が山陽地方に本当に必要なのか?岡山の知人にこのことをぶつけたところ、山陽地方の南を走る山陽自動車道は、無くても困らない程度のものとの説明でした。地方が変わりつつある中、無駄、無用なもの(立派過ぎる道路、大きすぎるショッピングセンターや工業団地、利用の少ない公共温水プール等々)が多くなったことを感じます。自然がいっぱいで閑静な地方の良さが、失われつつあることに寂しさを覚えました。

      5千円札の新渡戸稲造 この往復の新幹線の中で、「武士道―いま、拠って立つべき“日本の精神”」(新渡戸稲造著、岬龍一郎訳、PHP文庫)読みました。最近、本屋に行きますとこの種の古典ものが目に付き、読んでみようと思ったのです。グローバル化で日本の良さが失われつつある中、“日本であることの良さ”を発見させてくれた本です。アメリカの良さは認めますが、どうもアメリカの好きになれない所が多々あり、やはり日本人、日本の良い精神が我々にはあることを発見させてくれます。
 新渡戸稲造というと、旧5千円札の肖像画を思い出す方もあるでしょう。少し前までは、5千円札の新渡戸稲造、千円札の夏目漱石の時代でした。新渡戸稲造ってだれ?と聞かれると、政治家、学者、教育家と一言で答えるのは難しく、その働きが多岐にわたり、大きな足跡を残しました。何よりもこの人の与えた人格の影響力は、大きくかつ深い。彼は、北海道大学の前身である札幌農学校の草創期の卒業生(1881年)です。「少年よ、大志を抱け」で有名なウイリアム・クラーク博士が赴任した学校である。新渡戸稲造は二期生だったので、入学したときには既にクラーク博士はアメリカに帰国しており、直接指導を受けたわけではない。しかし、多くの感化を受けた一人です。

       大志、夢、希望を持つ
 札幌農学校の臨時校長として招聘されたウイリアム・S・クラーク博士は、学者、教育者、指導者として立派な人物で、熱心なクリスチャンでした。日本のプロテスタント教会の歴史は、横浜、熊本、札幌に始まる3つのバンドより出発しましたが、この札幌バンドの基盤となったのが札幌農学校です。クラーク博士は、日本での赴任期間がわずかに8ヶ月に過ぎない。この短い歳月の中で、彼は計り知れない影響を生徒たちに残しています。キリスト教にもとづく人格教育に重きをおき、それに感化されキリスト教徒になった生徒が輩出します。彼が在職8ヶ月後に「少年よ、大志を抱け」と言って立ち去ったことは有名です。この言葉の最後には、「キリストにあって」との言葉があったという説は、クラーク博士の気持ちとして一番ぴったりするようです。彼の人格教育の基がここにあり、“キリストにあって大きな志を、望みを持つ”ようにとの願いです。私たちの願いは、神に喜ばれる生き方をすることに他なりません。私たちの行動の根底にある大志、夢、希望が、キリストに結びついているかどうかを考えることが重要です。さもないと、自分中心の考えが支配します。一人一人に与えられている賜物は違い、この地球上には、過去、現在、将来にわたって私という存在は2度と出てくることはありません。私でなければ出来ない大志、夢、希望を、キリストにあってしっかりと描いて進むように!私は、クラーク博士の言葉をこの様に理解しております。

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。」(詩篇62:5 新改訳)  (続く)

2008年10月18日    小坂圭吾