2009年6月4日木曜日

今を生きる 「男女の違いを認める(2)」



      男と女はとにかく違う!
 今朝こんなヘマなことをしました。「僕のヨーグルトはどこにあるの?」妻はおいしそうにヨーグルトを食べていますが、私の分はテーブルのどこにあるのか、色々なものが置いてあるのでパット目には見つかりません。「目の前にあるでしょう!」「ウムー!」またある時こんなこともありました。私が「冷蔵庫にジャムが見つからないね?」と尋ねます。「ほら、ここにあるじゃない?」「ウムー」こんな経験は、どこの家庭でも男女の間に見られる光景だと思います。女は、視野の範囲が広いので冷蔵庫や食器棚にあるものをひとめで見渡すことが出来るのですが、男には見えないので、ゆっくり探さねばなりません。
 現在の日本では、結婚した夫婦の半分が離婚するとの事です。その理由に「性格が合わない」というものがありますが、夫婦は性格ばかりか色々と違うのは当たり前なのです。ちなみに、30-80歳代のご夫婦10数組について、長い間付き合ってよく知っている方々を思い浮かべて見ますと、ほんとに違うなと思います。男と女は、性格、考え方、感じ方、決断の仕方、行動の仕方がまるで違います。

       知らないことの失敗
 私たち夫婦も、何が似ているだろうかと探さなければ分からないほどです。よく知れば知るほどに違うのです。感謝なことに、信仰の土台だけは一致して同じです。学生時代から今日まで同じ教会に導かれ、育てられ、奉仕をしてきました。男女の色々な面が違うことがわかってきてから、妻の意見を聞いいてみようという姿勢になっています。男の見方・感じ方、女の見方・感じ方が違うことをお互いに知っていますので、よい意味で話が広がります。
 それにしても、男と女の違いをよく理解してないためにかなり失敗をしてきました。たとえば、時々妻の買い物に付き合うのですが、しばらくするといらいらしてきます。さっさと決めたらと思うのですが、なかなか決めない。ところが、夫の買い物に対しては、「これが良いでしょう」と感性が鋭く、早い結論に驚かされます。二人の違いが分かってからは、買い物は別々に済ませるか、付き合っても、私は他のところをぶらぶらと見て最後に合流することにしています。またこんな例もあります。教会の色々なことについて話していると、私はとかく分析的な内容に話が傾き、妻は感情や人間関係に焦点を合わせた内容となっています。「今は、分析的な話は必要ないのよ」と言われるたびに、いつもの私の癖だなと何度感じたことでしょう。また、妻の話を聞いていて、何か解決策を出そうとする自分に気づくことがあります。ただ聞いてほしいだけと言われることもしばしば、少し改善はされてきていますがー。
       神様の創造
 男と女の違いは、肉体的特徴の相違、性格や心理の相違、別の切り口で思考や感情、態度の相違等色々な面が考えられます。神様は、最初に人間を男と女にお造りになったという創造の原点にさかのぼることが必要です。神様が最初に男をお造りになり、次に男のために「ふさわしい助け手」として女をお造りになりました。この「ふさわしい助け手」というのは、男性にとっても女性にとっても、それぞれに助け補い合ってくれる存在という事です。「助け補い合って」が鍵ですが、そのことによって社会的使命、個人的使命を果たし、神様の栄光を表していくのです。助け補い合う仲ですから、足りない点や違う点が多くあるのは当然と言っていいでしょう。ビジネスにおいても教会の働きにおいても、男性だけで良い働きが出来るわけではなく、やはり女性の方が入ってチームを組んでこそ良い働きが出来ることは、誰しもが経験していることです。神様は、男と女の違いを認めて協力して働くようにと言われています。お互いを良く知ってその持ち味を生かすことが出来れば、家庭でも教会でも仕事でも、健康な人生を送ることが出来るに違いありません。その方が楽しいことも事実です。
     
「神のご計画の下にあっては、女は男無しには生きられないし、また、男も女無しには生きられない。女が最初、男から造られたように、男も女から生まれてきている。このように、相互に依存しあっているだけでなく、人間は、男も女もすべて神によって造られた者たちである。」(コリント第一 11:11-12 現代訳)

2009年6月4日    小坂圭吾

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