札幌・函館ツアー今年の春に思い立って函館に行きました。3月ごろのツアーは、安くて質の高い旅行ができ、往復の飛行機代相当分の料金で、2泊3日の良質な旅行が出来ます。目的が合えば大変お得な“奉仕料金ツアー”で、二つの目的を持って出かけました。
3月19日(木)、羽田から朝一番の新千歳空港行きJALにのりました。第一の目的は、札幌で自由行動を生かして“キリスト教書店を訪問”です。(HP・全国キリスト教書店の“書店紹介ページ”に掲載)書店の方とのお話で、札幌の教会もスモ-ル・グループの活動が盛んであることをお聞きしました。近年、全国的にスモ-ル・グループが盛んであると推察していますが、信徒同士の深い交わりを通して、ある意味で多様な意見、考えを受け入れる土壌を養っているとも言えます。礼拝でメッセージだけを聞いて終わりとか、表面的なつき合いレベルの交わりで終わりとしないで、正直に心を開いて分かち合う交わり、時には衝突することも恐れない交わりが必要です。表面的でなく正直な交わりを育てるのは大変ですが、愛に生きる本当の交わりがそこにはあります。
書店訪問後に、札幌時計台前のコーヒーショップで一息入れます。この時計台は、もともと札幌農学校(現・北海道大学)の演武場として建設されたそうで、札幌農学校での青年クリスチャン新渡戸稲造、内村鑑三らが、互いに本音でぶつかり合い切磋琢磨して過ごしたところです。周りはまだ雪が残っており、遠く明治時代に思いを馳せました。
箱館から函館に
第二の目的は、函館見学です。若いころから旅行好きで日本全国を歩き回り、あちこちの大都会、中小都市、田舎をそれなりに肌で感じ、土地の状況や教会の事情をそれなりに理解していますが、それが、PDJの企画に役立ち感謝しています。
ところで、翌3月20日(金)登別、昭和新山、洞爺湖をめぐって函館へ、翌々日には大沼公園、トラピスチヌ修道院(女子)、五稜郭、函館港を見学です。函館に行き「え?」と思ったことが、明治時代までは、函館ではなく箱館でした。五稜郭を拠点に抵抗した幕末維新の動乱・箱館戦争が終了し、明治時代が動き出して
箱館から函館になります。ペリーが来航した翌年1859年、長崎、横浜とともに箱館(函館)が開港され、外国の水兵や船乗りは、土産を買い求めながら、キュウリやナスを生でかじったり、木魚をたたきながら踊る水兵もいた由。好奇心旺盛な函館っ子は、すぐに打ち解け人々の生活に外国文化が少しずつ浸透します。洋館や教会が立ち並ぶ石畳の坂道、色々な教派の教会や仏閣が並んでおり、異国情緒あふれる函館の街並みが出来上がります。
キリストにおいて一つ
1874年1月ハリス宣教師夫妻が函館に赴任されて、開拓伝道が始まります。「キリスト教禁制」の高札は撤去されていたとはいえ、外国人にとっては命の危険もあった時代です。札幌では、W・S・クラーク博士が1876年札幌農学校設立のために招かれます。博士の感化でキリスト教に改宗し、イエスを信じる者の契約に署名をした札幌農学校の1、2期生ら青年クリスチャンの群れを「札幌バンド」と言い、新渡戸稲造、内村鑑三らがそのメンバーです。彼らは、クラーク博士が帰国後、ハリス宣教師より信仰的指導を受け、洗礼を受けたのです。
日本宣教の夜明けに派遣された宣教師の方々にとって大きな問題は、言葉が通じないことです。「私の曽祖父バラ宣教師は、日本語が一番の弱点でした。とにかく日本語がバラバラです。」とバラ宣教師のひ孫さんが、ユーモアに当時の宣教師の苦労を語っておられます。さまざまなご苦労を乗り越え日本伝道に奮闘されたその熱い情熱と使命感に感じいります。そのことを思うときに、全ての教派が一つであることを確認し、共に働こうと活気づくこのとき、教会改革の新しい意識を持つことが出来ればと祈ります。皆で一緒にやることを考え、“とにかく一緒にやろう”とすることに意義があります。もはや「キリストにおいて一つ」であることの認識が土台にあり、日本宣教のために、皆で一緒に助け合い小さな事からでも始められたらと願います。
「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28 新共同訳)
2009年8月5日 小坂圭吾

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