2009年9月19日土曜日

今を生きる 「あるべき姿を求める(2)」

   イチロー、新記録安打達成!
  イチローがまた新しい記録(連続9年間200本安打)を達成しました。野球史上に燦然と輝く記録ですが、その背景にある彼の野球への取り組み姿勢に着目しています。イチローのすごさは、打撃技術もさることながら、試合への取り組み方、あらゆることに万全の準備をすることに感嘆します。たとえば、健康管理、けがをしないために、クラブハウスでフカフカのソファに座らないでパイプイス、それは長く座ると腰に負担がかかる。自分をコントロールして精神的にマイナスにならないようにするために、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻る。体力作りについては、彼オリジナルの方法で厳しく鍛錬している。あらゆる面において、どうあるべきかを考え追求しているのです。打撃技術については、アメリカのピッチャー総てが必死になって研究を重ね戦いを挑み続けて来るのですから、イチローも必死になって“どうあったらよいか”を考え、工夫を重ねて新しい打法を編み出し走り続けているのです。  

    一喜一憂しない  
 イチローの姿を見て、私たちの日常生活に模範として取り込むには、あまりにも差がありすぎる感があります。「どうあるのがよいか?」と常に考え実行しているプロセスでは、そこまでやるかと思うほどです。ひと言で言えば、鍛錬と節制ですが、そのなかで参考になることは、多々あります。三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻り、今回のように素晴らしいことを成し遂げても冷静です。自分をコントロールして一喜一憂しない彼の姿です。私たちの日常生活の中で、とかく一喜一憂が多いのですが、どうあるべきかを教えてくれます。
 打撃技術をはじめ、あらゆる事に万全を尽くしての準備を怠らないイチローですが、「打撃と言うものには、これでいいと言う形はない。従って、答えもなければ、終わりもない。」との言葉のように、彼は、常に理詰めで考えてあるべき姿を探し続けているのです。 

     人生の模範にならう
 私たちの人生の歩みについて「どうすべきか?あるべき姿は?」ついては、私たちの模範が聖書にあります。パウロは、「私にならう者となってください。」(Ⅰコリント4:16 新改訳)と言っています。パウロと比較して自分を見ると、その格差をおのずと感じますが、至らなさに着目ではなく、パウロの信仰にならおうというのです。模範を見て、自分の出来ることをやっていく。自分は自分でしかありませんし、模範にならいつつ自分らしさを発揮しながらやっていけばいいのです。

私の家では、月に2回ほど子供たちを集めて、妻が習字教室を開いています。「教会の看板だけでなく、孫に教えてあげるのもいいね!」と言うことがキッカケで始まったのですが、お手本をしっかりまねる子は、見る見るうちに上達するそうです。習字は、いつもお手本を見て、あるいは、お手本の上に紙を置いてその上から書いていきます。そうすると間違いなく腕があがります。私も小学生のとき、このようにして何年も習いました。(その割には、字がうまくなく、今は読みやすいとだけしか褒められたことがありませんがーー。)
模範・お手本と比較をして、違いを見て改善していきます。信仰生活において模範にならってできていることもあれば、少なくともこれは改善すべきことも多々あります。イエス様や使徒たちの模範と比較して、自分の足りない部分について、主の助けをいただきながら改善をし、イエス様にならう者として励んでいきたいものです。

「このように、主であり先生であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきです。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするために、模範を示しました。」(ヨハネ13・14-15 現代訳)
 
2009年9月19日    小坂圭吾