2009年7月18日土曜日

感謝 「日本プロテスタント宣教150周年(1)」

       日本宣教の夜明け プロテスタント教会が日本に宣教して今年で150年になります。1858年にペリーがアメリカから浦賀に来航し、日本は、翌年1859年長崎、横浜、箱館(函館)を開港せざるを得なくなり、アメリカからプロテスタント教派の宣教師が送られてきました。実は、それよりも13年前にイギリスの宣教師バーナード・J・ベッテルハイムとその家族が1846年5月に琉球(沖縄)の那覇に上陸したのです。彼こそが、日本への最初のプロテスタント宣教師であり、彼により沖縄に福音の種が蒔かれたのです。日本は、まだキリシタン禁制下でした。アメリカを代表する日刊紙「ニューヨーク・タイムズ」等の海外の新聞が報じている当時の“日本宣教の夜明け”についての記事は、最初の宣教師や日本人伝道者の苦闘と愛の証しであり、私たちの心が揺さぶられ襟を正される思いが致します。

      宣教150周年・記念大会 先日(7月8日)、宣教150周年を記念する行事のひとつ記念大会が、パシフィコ横浜の国立大ホール・会議センターで開催されました。スローガンは、キリストにあってひとつ――主イエスの証し人として――です。日本キリスト教協議会(伝統派)、日本福音同盟(福音派)、日本リバイバル同盟(聖霊派)が、それぞれに独自の活動を続ける中で、3つのグループがそれぞれ異なる背景を持ちながら、教派、教団を超え皆が一致して日本の宣教を担おうとする新しいうねりです。開会礼拝に出席しましたが、大ホールはほぼ満席で、聖霊のご支配の中で宣教の歴史を振返り、賛美がささげられ、祝辞、証し、メッセージが語られました。

  リック・ウオレン牧師がビデオレターにより、最初に祝辞を述べられました。101歳の現役牧師の証しは、私たちに一歩前進して伝道活動に励むように促され、メッセージを通して、「キリストにあってひとつ」の思いを強くさせられました。日本の教会が、“お互い違っていてもいいじゃないか!”とそれぞれの特徴を生かしながら、共に福音宣教の使命に熱くなっていければと心を熱くしました。これがひとつのエポックになることを祈り、このことを心に留めておきたいと願っております。


       教団・教派について思うこと 私は、長老派の教会で40数年信仰生活を送ってきました。2年ほど前にクリスチャンになった知人は、日本で一番古い教会(長老派の教会)で結婚式を挙げ、その後20数年後に同じ教会で洗礼を受けました。その彼に鋭い質問をいくつか投げかけられました。「プロテスタント教会は、なぜこんなに教団教派に分かれてあるの?」「神学校もばらばらで、こんなにたくさんある必要はないでしょう。神学生はほとんどいないのでは?」「もっとお互いに協力し、統合できないのはなぜ?」等々一つ一つの質問は、素直な疑問として聞くに値するものがありました。私たち一人ひとりが違うように、互いに理解し合い違いを楽しめるようになれば感謝だ、とお答えしました。 
     
 教会生活40数年の最初のころは、「なぜこんなに教派教団の違いを言うのだろうか?」と疑問に思ったことも確かです。やがてビジネスで忙しくそのような関心事もどこかへ飛んで行きました。長い間長老として奉仕しながら、キリスト教会全体の動きについては、小さな窓から見聞きしてきました。その間、ベルリンの壁が崩れるように一歩ずつお互いの壁がなくなりつつあることを肌で感じました。12年前には押し出されるようにして"超教派のJTJ宣教神学校"に行くことになりました。その交わりの中で、色々な教派の方々に出会いながら、もはや教派教団にとらわれない人々が、こんなに沢山あることを知ったのです。自分の教派の神学校ではなく、超教派のJTJに来ていたのです。信仰と勇気のいることです。
  ビジネスをしながら神学校で学ぶ多くの人々は、教派、教団を超え聖書の真理をしっかり学びたいと集まる人々と言っても言い過ぎではないでしょうか!もちろん良い伝統は生かし続けるのがいいですし、その教派でないと出来ないことが多くあります。ですから、今回の宣教150周年記念大会のように、3つのグループが一致を見ながら前進をするようになったことは、画期的であり、大喜びしたい事柄です。PDJミニストリーを始めて5年の中で、小さな窓からチラチラと日本の教会を見聞きするとき、ますます互いに理解し合い違いを楽しめるようになりつつあるのかなと感じられ、感謝です。

「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28 新共同訳)

2009年7月18日    小坂圭吾