
北海道はなぜ県と呼ばないのかという疑問を持ちます。調べてみました。明治時代になって、本格的にこの地を開拓しようと「北海道」と名付けられ、その後、他の地方と同様に「札幌」「函館」「根室」の3県が置かれました。がうまく機能せず、政府の直轄として「北海道庁」が置かれました。戦後に、直轄地から他の都府県と同様に1地方自治体となり、「北海道」の名前となったのです。北海道には、数えると20回近くも訪問をしています。ビジネスの出張で半分、後は、妻の出身が北海道ということもあり、家族旅行が多かったように思います。
初めての北海道 初めて北海道に行ったのが約40年前で、妻の実家を訪問した時です。寒い冬2月の北海道は、岡山育ちには興味津々で、零下の中での生活など予想がつきません。帯広空港まで飛行機で飛びました。帯広に下りて、あのジンとくる冷たさ、寒さは、記憶によみがえります。そして、電車に乗って陸別まで行きます。その電車に乗って驚いたことが、2重窓です。夕方になると外の窓ガラスばかりでなく、内側の窓ガラスまで少し凍ってきているようです。陸別駅から歩いてまもない彼女の実家に着いて、部屋に入ると中は25℃近く、半そで一枚で過ごせる温かさです。外は零下15℃くらいで、一番寒いときには、零下25℃になるそうです。暖房といえば、当時は石炭もしくは薪を使って一日中燃やしていましたが、深夜も一晩中ストーブを燃やして寝るのですが、朝起きると口のあたりに霜柱がついていてびっくりしました。

暖かい部屋で、北海道の開拓の歴史を聞かせていただきました。彼女の祖父たちが開拓民としてこの地に入り、大変な苦労をされました。祖父の時代に陸別郵便局を開設し、2代目が彼女の父でした。北海道開拓の1ページ、当時の人々の開拓魂により、陸別町があるのだと思いました。外は、雪一色の銀世界で、日本で一番寒い地、日本一“しばれる町”陸別です。今でも、毎年NHKが昼の番組で、寒い陸別町から何がしかの様子を放送しています。
心のバケツ 旅に出ることの良さは、ふんだんにあります。年齢によって、旅に求めるものが違ってきていますが、若い頃は、好奇心が先立って色々なところに行くことだけで満足です。50代~60代になると少しずつ変化してきて、気分が一新する、頭の中が整理されるとか人間関係が深まったとか等々が重要になってきています。
ウイロークリーク・コミュニテイー教会のビル・ハイベル牧師が心にある「霊的なバケツ」ついて語られた記事があります。聖霊による思いは、「いのち」と「平安」ですが、心にある「霊的なバケツ」にこれらが満ちていると人々との関係、仕事や家族との関係、余暇の過ごし方がとてもスムースに行きます。しかし、このバケツのエネルギーが満杯の状態から大きく減っていくと大変です。いらいらが色々と起こり、物事がスムースに進まなくなるのです。このバケツを満たす方法は、実にいろいろとあります。十分に眠る、静かに本を読む、デボーションをする、ウオーキングをする、人と楽しく食事や会話する、海に行く、山に登るなどなど。各人それぞれですが、自分は何によって満たされるのかを知っておくことが大切です。
心を守る

いつも「霊的バケツ」をいっぱいにし続けることは難しいですが、毎日補充する知恵と工夫が必要です。毎日の減ったエネルギーを補充するには、第一は「デボーション」であろうと思います。複雑で多忙な毎日を過ごしている方々にとっては、デボーションの時間も十分取れないことかも知れません。そのためにも、自分は何でバケツがいっぱいになるか?を発見しておくことが重要です。私の場合は、毎朝デボーションで不足を満たしています。1日の半ばで枯渇するとウオーキングもしくは本を読む。かなり枯渇すると外に出かけあるいは海に行ってこれらを組み合わせてやるのです。ですから、“旅に出る”のは、「霊的なバケツ」の枯渇を補ってくれる最大の方法ではないかと思っています。心にある「霊的なバケツ」を満たすばかりでなく、あるときは心の中の汚れたもの、こびりついている垢(あか)を洗うこともこの旅を通してやるのです。旅を通して、自然や歴史や文化を学ぶあるいは地方の産物を賞味するばかりでなく、これが旅の大きな収穫でもあります。
「何よりも、心を守りなさい。いのちの泉が湧いてくるところだからである。」(箴言4:23現代訳)
「心が幸福であれば、それが顔にも現れるが、心に憂いがあれば、気をくじけさせてしまう。」
(箴言15:13 現代訳)
2010年3月13日 小坂圭吾