2010年7月15日木曜日

今を生きる 「中国の歴史に学ぶ(2)」

     ガジュマルの木台湾を訪問した中で、一本の“カジュマルの木”に目が留まりました。ガジュマルは、沖縄や屋久島を始め東南アジア地域に分布する高木で、高さは20mにもなります。よく見ると大変面白い形をしており、どういう構造だろうかとつぶさに観察しました。幹の途中から気根と呼ばれる根を何本も出し、それがどんどん伸びて地面に付くと肥大して生長しています。それが、木を支える支柱根となります。気根を伸ばし元の木を包んで枯らしてしまうこともあり「締め殺しの植物」ともいわれます。見るからに立派な木で、モンスターのような感じでした。

この木を見て、中国の歴史の凝縮を見るような思いでした。中国の歴史を見ると、国同士の壮絶な戦い、政権内の権力闘争、平和でしっかりした国の土台が築かれる時等を思い起こします。このカジュマルの木は、何かその歴史全体の流れを表しているかのように感じられました。この木を見たところが歴史遺産のある所でしたので、なおさら中国の歴史の壮絶さを思い起こしたのです。
 
     歴史は繰り返す
歴史について考えさせられたことに、「高校時代に学んだ歴史と何が違うのか?」ということがあります。当時は受験勉強としての歴史でしたので、良くも悪くも教科書と参考書の暗記です。真実かどうかを疑うこともなく、正しいということで暗記でした。今は、何故その歴史書にそう書かれたのか?まず疑ってかかるというか、誰がどういう背景で書いたかを考えます。中国の歴史書を書いたのは、多くはその時の為政者の管理下で書かれています。わかりやすく言えば、主に戦争に勝利した側から過去の出来事を都合の良いように書くのです。ひとつの事件でも、いろいろな見方や説があり、真実に対する意味付けはひとつではないかもしれません。為政者の管理下でなく、自由に書いたものであれば見方も異なります。時代によっても、その見方や説はどんどん変わっていきます。

歴史を振り返りますと、人間は、あらゆる分野にわたり少し形を変えながら、何度も同じようなことを繰り返してきました。聖書では、いかに人間が罪人であるかを教えています。科学の進歩は著しいものがありますが、人間の心に至っては、同じことを繰り返しています。

     歴史に学ぶ
「愚者は経験に学ぶが、賢者は歴史に学ぶ」の言葉がありますが、同じ過ちを繰りかえさないということで的確な表現と思われます。歴史に学びながら、今日に適用するとどうなるかを考えることが重要になります。政治史、科学史、技術史、戦史、生活史、自然史と、ありとあらゆる事象に歴史はありますが、それらをすべて学ばなくとも、過去の歴史を参考にすると見えてくるものがあります。この数年、色々な内閣が登場しましたが、総理大臣として同じような失敗をその都度繰り返しているように感じます。歴史に学んだ賢者の政治家が登場することを、心から願って止みません。

中国の劉邦(りゅうほう)という人物をご存じですか?劉邦は、中国文明の土台を築いたといわれる「漢」(BC202年に建国し、前漢として~AD8年まで)という国家を建設した人物です。劉邦は、国の治め方について「秦」(劉邦の前にBC221年天下統一した国、短期で滅亡)から学び、急速な政治改革を断行せず、徐々に改革を推し進めていく姿勢を取りました。その結果、十数年しか持たなかった秦に比べて、漢(俗に前漢)は200年も中国に平和をもたらしました。彼は、歴史から学んで生かした成功例です。

「歴史を学ぶ意義は何か?」と考えてみますと、昔のこまごました事実ではなく、そこに登場する人々の行動や考え方から、人間とは何かを理解する手がかりを得る、自分たちにどのように生かすかを考えることでしょうか。歴史を学んで、自分にどのように生かすかは自分次第なのです。広く勉強をし、その中で自分にひっかかってくるものを掘り下げて知識を深める事により、やがて自分自身の人生の選択や生き方によい影響を与えてくれます。それ故に、歴史を題材にした本が読まれ、NHKテレビをはじめ歴史番組が人々をひきつけるということでしょう。ところで、聖書もまた壮大な歴史書のひとつです。その聖書は、歴史書の中でも深さと高さと広さにおいて最大の書であるゆえに、“聖書は人生を導く書”といわれるゆえんです。


「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。」
(ヨハネ5:39)

2010年7月15日    小坂圭吾