2007年10月20日土曜日

本音の交わり

             失敗を語り合うクリスチャン新聞8月5日号にオピニオンで「失敗が語り合える教会になろう」との記事がありました。これを読んで、いつかPDJレポートの中でこの事も取り上げたいなと編集ボックスに入れておいたのです。タイトルでお分かりの様に、教会の姿として“失敗や痛みや問題を抱えていることを素直に語り合えているだろうか?”との問いかけです。とかく、証や恵みの分かち合いといえば、うまく出来て成功した話し、このように素晴らしく変えられ良かった話となりがちです。それは素晴らしいことですが、今こんな痛みの中にいます、問題山積で困っていて主に助けを祈っています!こんな失敗談があります、と聞かされることは少ないように思います。うまく出来て成功した話よりも、失敗談こそ私たちを励ましてくれるのです。私たちの毎日の生活は、問題だらけ、失敗だらけだというと言いすぎでしょうか?(もちろん、良いこともいっぱいあります。)そのような中で、神様が働いてくださり、届いて下さり、恵みを感謝できるのです。

私たちの教会の中で、本音の会話がされていますか?このように書いている私は、「強いこと、出来ること、前進すること、喜ぶこと、これらは良い事だ」、一方で「弱いこと、出来ないこと、後退すること、悲しいこと、これらは残念ながらいけない事だ」と思っていました。いつも前向きにプラス思考で進むのがよいことだと思っていたのです。しかし、よく考えて見ますと“私自身も弱さの中にあり、できないことが多くあり、悲しいことの中にいる”事を発見するのです。本音で話すならば、すべての人が弱さや痛みをいっぱい抱えながら生きているのです。弱さや痛みの中に、神様が働いてくださり、良いことに変えられつつあることを感謝するのです。礼拝メッセージの中で、語る人が、失敗談や辛いことや落ち込んだことについて少しでも語られるならば、始めて教会に来た方も「これこそ教会だ!」ときっと思うことでしょう。日本のすべての教会で、メッセージを始めとしてスモールグループや日常の会話の中で、こうした“失敗が語り合える”ようになれば、なんと素晴らしいことでしょう。これこそが「本音の交わり」となるのです。
「主はこう仰せられた。『-------わたしの力は、あなたの弱さの中で十分に発揮されるのである。』だから、私は、キリストの力が私の上に留まるように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろうと思う。」(コリントⅡ12:9 現代訳)


      スモール・グループのガイドライン
スモールグループを「本音の交わり」の場にしていくためには、以下の5つのガイドラインがとても有効です。すなわち、スモール・グループを「本音の交わりの出来る安全な場所」にするために役立つガイドラインです。


1.分かち合いは、自分の考えと気持ちに焦点を合わせて、3-5分以内にまとめること。自分の気持ちに焦点を合わせて話します。「あなた」や「私たち」ではなく、「私」という言葉を使います。2つのとても大切なポイントがあります。自分自身の考えと気持ちに焦点を合わせることによって、分かち合いを短くコンパクトにまとめることです。また、互いに口をはさんだり、他人の問題に顔を突っ込んだり、関係のないトピックへ話がそれたりしないようにすることができます。3-5分のルールを厳守してください。もし必要であれば合図を決め、それをグループの最初に言っておいて、制限時間を超えて話す人がいた場合、その合図を出すのも良い方法です。

2.ほかの人が話をしているときに、口をはさまないこと。
口をはさむことによって、2人だけで話をすることになり、結果として他のメンバーをその会話から排除することになります。1人1人が自分の気持ちを妨げられることなく、自由に表現できるようにすることが大切です。「口をはさむ」とは、たとえば話の途中で「その気持ち良く分かるわ。私もね・・・」と話をさえぎったり、「それは私には分からないわ。だって・・・」 と言って話の腰を折ってしまうことです。このことに関して律法主義的になるのはよくありませんが、だれも気分を害することのないように十分注意しなければなりません。

3.互いに支え合うことに徹し、相手を「直してあげよう」としないこと。本人が助けを求めてもいないのに、おしきせのアドバイスをしないこと。私たちはみな、その人を助けてあげたいという純粋な願いを持っているかもしれません。多くの場合、「その人」はあなたのアドバイスを聞いたり、理解したりできるような精神状態にはありません。グループリーダーは、その人が余計なプレッシャーを受けることのないように、このガイドラインをグループ内で徹底していく必要があります。「直してあげよう」とする態度は、次のように言うことができるでしょう。「本人が助けを求めてもいないのに、問題解決のアドバイスをしたり、聖書箇所を示したり、本を紹介したり、カウンセラーを紹介したりすること」      

4.匿名性(とくめいせい)と秘密主義(守秘義務)を基本とすること。グループ内で分かち合われた内容は、口外しないこと
もしグループの中で分かち合われたことが、グループ外の人たちにも伝わっていることが分かったら、分かち合ったその人は深く傷つきます。このグループに参加している人の多くは、これまで「その秘密を打ち明けることができなかった」人たちなのです。ですから、この場で何を話しても外に漏れることはないという「安全性」が確認されなければなりません。グループのメンバーに電話をかける場合でも、伝言を残したりする場合には特に注意が必要です。もしこのガイドラインが守られない場合には、リーダーの人は断固たる態度をとる必要があります(守らないメンバーはグループを去らなければなりません)。

5.キリスト中心の回復グループでは、攻撃的な言葉を慎むこと。他の人の誘惑になるようなリアルな表現や個人攻撃などを避けること。私たちの多くは、攻撃的な言葉を聞きながら、あるいは使いながら育ってきました。ある攻撃的な言葉が引き金となって、過去のつらい記憶がよみがえってしまうこともあり得ます。ですから、主とともに回復に取り組んでいる私たちは、悪い言葉を決して使うことのないように十分注意しなければなりません。このガイドラインが守られなければ、一度このことで傷ついたメンバーは、もう戻って来ることができなくなってしまうでしょう。

このガイドラインは、グループの最初にみんなで太字のところだけ読み上げ、リーダーの方が説明を加えて徹底します。毎回続けて読み上げれば、きっと守るようになっていきます。そうしたら、安全な場所として本音を語り合える場と成長していくことでしょう。

2007年10月20日     小坂圭吾     (PDキーワード:スモール・グループ)

2007年10月5日金曜日

親密な交わり(続き)

      富士山とフジアザミ
先月の下旬に富士山に行ってきました。富士登山は4通りの登山道があり、その中の一つが須走口コースです。富士山の高さの単位は独特で、麓から山頂までを10に区分し何合目と表現します。9月下旬とは言え、御殿場の町は気温30℃を超え、5合目となると普通15-16℃ですが、20℃は超えていました。須走から須走口新5合目までは“富士あざみライン”と呼ばれ、火山灰の中で逞しく生きるフジアザミが、あちこちで見られました。この花は、アザミの中でも一番大きく、いかにも自然の中で荒々しく生きる逞しさと壮大さを兼ね備えた雰囲気を漂わせており、じっくり見ると優しさも感じられます。富士山を含む周辺の山々に多いことからフジアザミの名がついた由。砂礫地や崩壊地などの地表を安定させる砂防の働きがあるのは、よほど地中深くに根を張っているためでしょう。

この季節になると、茸(きのこ)や薬草をとりに来る方も多く、バスツアーや小グループ、毎年来ている夫婦の方にもお会いしました。「毒きのこには十分注意」の看板が出ていましたが、新5合目の茶屋のおばあちゃんが茸には詳しい方のようで、皆さんが取ってきた茸をより分けてあげていました。今回は、須走口新5合目の近くにある小富士まで散策し、360度の眺望と山中湖を眼下に見て、富士山の素晴らしいところ(空気の良さ、景色の素晴らしさ、自然の木々、お花、茸等)を味わい、須走近くの温泉に入り、気分一新癒されました。

        関係こそ人生のすべて
今回の日帰り小旅行は、夫婦ふたりでひょいと思い立ち、行き先だけは決め計画無しの日帰り旅行です。1日の終わりに気がついたことがあります。旅行、散策といえば、必ず私が色々と計画し、そのプランに従って行動し、妻もあまり意見が言えずに従うという姿でした。今回は計画を立てていないので「どうしようかな?」と聞きながら「それもいいね」と不思議と相手の意見を取り入れて行動です。自分ですべてをコントロールすることをやめて、相手の話を聞こうとしていました。その結果、危険や不安なこと(?)もありましたが、とても良い結果を生んだのです。思えば、現役バリバリの時、聖書の言う“親密な交わり”が、夫婦の間でも出来ていませんでした。その原因は私にあり、人との関係を重視するよりは、仕事を進め成果を挙げる、事を成し遂げることに走り、教会生活・家庭生活も、その姿勢の延長でした。人間関係は苦手ではありませんが、人間関係は最も優先されることだとは思ってもいません。「5つの目的」を通してそのことを学び、妻を通して「交わり」の本質を教えられ、考え方が変わり、目が開かれたのです。「関係こそ人生のすべて」と意識が大きく変えられました。人間関係を軽視していた姿勢が、変えられたのです。今回の小旅行の中で、この姿勢の変化が少しは出ているかなと、思わされました。“親密な交わり”の素晴らしさを知ること出来るようになり、感謝しています。
  
   スモール・グループに加わるべき8つの理由(続き) 本論にも戻しまして、前回の続きであるスモール・グループ(以下略してSG)に加わるべき8つの理由の4番目から8番目をご紹介しましょう。SGを始めるときや人々をお誘いするとき、これが参考になれば感謝です。      

4.SGに加わることによって、ストレスやプレッシャーに対処できるようになる
SGは、さまざまな危機、変化、ストレスに直面したときに、具体的な支援を受け取ることのできる最高の受け皿である。あなたのことを心配し、一緒に苦しみを負ってくれる仲間がいるという安心感は、人生のさまざまな問題に取り組む勇気を与えてくれる。グループの誰かが職を失う、家族が重い病気にかかる、子どもの世話が必要になるときに、お見舞いに行く、食事を差し入れる、子どもを預かるなど、グループとしてその必要に応えていくことが出来る。神は、互いにその重荷を負い合いなさいと命じておられる。

5.SGに加わることによって、家族、友人、同僚などにキリストを伝えるときの支援を受けることができる
友人や家族、兄弟などに福音を伝えるのは、なかなか難しいのが現実である。しかし、普段からSGのメンバーと彼らの救いのために祈ることが出来る。そのことで、他のメンバーの中にもその人に対する重荷が芽生え、グループで何かの楽しいイベントを企画したときなどに、その人たちを誘うことができる。そのような打ち解けた雰囲気の中で、温かい正直な交わりに触れるなら、言葉だけでは伝わらない何かがその人の心に響くようになる。

6.SGに加わることによって、自分の賜物を磨くことができる
すべてのクリスチャンには、何らかの賜物や能力が与えられている。それは自己満足のためではなく、他のクリスチャンを建て上げるためである。多くのクリスチャンは、礼拝に出席しメッセージを聞くだけという傍観者として過ごしている。しかし、SGに関わることによって、他の人との交わりの中で人の成長を助け、健全な自尊心が育まれ、自分の賜物を見出し磨くことが出来る。人々の救いと霊的成長のために、貢献することができることを見出す。

7.SGに加わることによって、礼拝に対する理解が深まる
多くのクリスチャンは、日曜の午前中に、ある建物にみんなで集まり、讃美歌を歌い、説教、祈り、献金という一連のプログラムが、礼拝のすべてであると誤解している。けれども、いつどこにおいても私たちが心を神に向けるなら、それは礼拝となり得る。そして、SGは、神に心を向けるのに最適な環境の一つである。少人数で思いを神に向け、心から賛美と祈りをささげるとき、そこに聖霊による一体感が生まれ、確かに主の臨在を体験することができる。

8.SGに加わることによって、新約聖書のクリスチャンになることができる
使徒の働きを見ると、神が、SGを通して一人ひとりの必要を満たそうとしておられることが分かる。一つの教会で、信徒全員の細かい必要を満たせるほどのスタッフを雇うことは、現実的に出来る話ではない。神は、私たちが互いに重荷を負いあい、支え合いなさいと命じておられ、これが神の方法である。これを通して、私たちは霊的に成長していく。

2007年10月5日     小坂圭吾     (PDキーワード:スモール・グループ)