2011年1月15日土曜日

今を生きる 「日本の前途を憂える(2)」

     教育放談

 昨年のクリスマスに散髪屋に行き、店主と教育放談をしました。まず私「前回の政治放談では、お互いに共感する話が多かったですね。今日は教育についてお話をしませんか?昨今の若い人のモラルの低さには、驚かされますね。」鋏をぱちぱちと入れながら、話が始まりました。散髪屋の店主「まったくだ。近頃の子供のしつけの悪いことには驚くよね。子供が散髪の番を待っている間に、平気で土足のまま座席の上に上がるんだ。それを母親が注意をしない。他のお客さんが注意をすると、仕方なしに“すみません”と言ってやっとやめさせる始末!」私「似たような光景は、電車の中でも見られますね。母親が、子供を叱れないのですね。学校教育のことで気になることは、競争をまったく避けるようなやり方をしていると聞きますね。」店主「幼稚園では、運動会で子供を走らせても1等賞、2等賞なんてない。かけっこをして順番が無くては、何の面白味もないよね。幼稚園の先生たちは、お母さん方の顔色を気にしすぎで、指導を厳しく出来ないようだね。」私「小学校の頃、悪いことをすると先生には厳しく指導されましたが、良い思い出として残っていますね。」

 散髪屋の店主は、さすがにバランスのとれた見方、考え方をしていると共感をしながら今回も放談が続きました。「この話をブログにも書くよ」と了解を得て書いています。 



モラルの喪失

日本の現状を見たとき、その抱える問題の中で“モラルの喪失”が大きな事柄としてあります。政界や官界は言うに及ばず、実業界やマスコミ、まさかこんな分野にはないだろうと思っていた警察界や教育界に至るまであらゆる分野で、かつては考えもしなかった不祥事やスキャンダルが起こっています。少年犯罪についても、年々若年化し凶悪化してきています。日本人の高い道義精神、モラルが地に落ちているのです。その原因は、家庭での教育、学校での教育の崩壊にあると思われます。また社会全体でも取り組む姿勢が弱いのです。人間としての基本的なしつけが必要です。集団の中での道徳心や責任感、最低限のルールやモラルを学ばせることです。言葉を変えるならば、「自立した人間を育てる」ことに欠如しているのです。他人と協調・協力し合いつつ、自分が自立して生きていくことを教えていくことが必要です。


海外で働きたくない若者

産業能率大学が新入社員(400人)を対象に行った調査によれば、「海外で働きたいと思うか?」の問いに対して、「海外で働きたくない」と答えた若者が、前回2007年の36%から2010年は49%に急増しています。ほぼ半数の若い人たちが、海外勤務を拒否しています。働きたくない理由(複数選択)ですが、「海外勤務はリスクが高いから」(56%)「自分の能力に自信がないから」(55%)というものです。この傾向は、異文化に飛び込んでいくことの不安や大変さがあるからでしょうが、情けないとしか言いようがありません。「井の中の蛙、大海を知らず」―― 井戸の中に住む蛙は、その井戸のほかに大きい海があることを知らないでいる。自分の周りのごく限られた範囲のことしか考えない見聞の狭いことを言いますが、若い人たちがそのような考えに終始しないことを願います。



     競争について

競争を避ける日本の教育は、評価がクラスで何番にいるかという相対評価から、個人の達成度を表わす絶対評価に変わっています。良い面もありますが、こんなだけで進歩があるとはとても思えません。競争のないところに進歩など生まれないからです。相対評価があるから自分の能力を客観的に把握する、すなわち優れた点と足りない点を認識して努力できるのではないでしょうか。小学校の運動会での徒競走は、同じようなレベルの子供を集めて、ヨーイドンで走らせて1着、2着-など無いと聞いています。(地域差はあるようですが)子供たちにとっても、おもしろくもない運動会のように思いますが。勉強であまりできない子どもは、スポーツでは優れている子が多かったように思います。その芽が摘まれているように思います。


私の中学時代ですが、期末の成績はいつも成績の順番が張り出されました。そのことによって、自分の位置がよく理解でき、何が強くて何が弱いかを認識できました。このようなことの良い点は多々あると思います。競争を回避するような教育を受けた若い人たち、仕事に就くとそこは競争の社会です。世界を見ると中国、韓国、インド等の国々では、能力も精神も体力も鍛え上げられた若者が、競争の中で生き抜いて、表舞台に上がってくるのです。これでは、政治の世界でも経済の世界でもやられっぱなしの日本になってしまいます。何もいたずらに競争をすればよいとは思いませんが、一所懸命に一生懸命やるからには、競争に勝ちうるように努力するところに面白味があるように思います。私たち親としては、信仰という観点から、たくましくしっかり競争に勝ちうる子供や孫を育てたいと願ってやみません。



「私たちの信仰生活という競争を一生懸命やろうではないか。」(へブル 12:1 現代訳)



2011年1月15日    小坂圭吾