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2026年8月21日金曜日

喜び・感謝「旅に出て、心に元気をいただく」

日本全国一周(師走の秋田・田沢湖)
日本全国を旅して

毎年の目標として「旅行&ドライブを楽しむ」と掲げ、長く続けています。旅行が好きになったのは、学生時代、故郷に帰るときに、いろいろなルートを考えて旅をしたことがきっかけでした。

仕事で出張したときも、仕事が終わると周辺を散策し、家族旅行もしばしば計画しました。気がつけば、日本全国を一周~都道府県単位で数えると47~1道1都2府43県です。

私の「全国一周」の定義(?)は、その県を通過するだけではなく、その土地の意味のある所、名所を訪ねることです。北海道は広いので4回に分けて訪問し、少なくとも50地域を旅行したことになります。

今から約15年前の師走、山形から秋田へ旅行しましたが、5年ぶりの大雪に見舞われ、50~60cmの積雪でした。しばらく雪らしい雪を見たことがなく、素晴らしい雪景色を満喫しました。

旅の道連れの方から、「全国一周達成ですね。大雪で忘れられない思い出ですね」と言われたことを、今でも覚えています。全国一周したからといって、それほど特別な意味があるわけではありません。

しかし、北海道から沖縄まで、実際に見て、聞いて、感じ、味わって得たものは少なくありません。だからこそ、「旅は本当にいいですね」と申し上げたいのです。

忍耐して待つ

「日本全国を旅行する」という目標を立ててから、あることに気がつきました。それは、「これをやり抜くぞ!」と構えるより、「ぜひこうしたいが、時があるので、自然体でやっていこう」という姿勢です。

若い時とは違い、年を重ねるにつれて、「物事には時がある」ということを少しずつわきまえるようになりました。これは旅行だけではなく、ブログや講演などの原稿を書くときにも同じです。

ネタはあるのに、書いてみるとなぜか納得がいかない。そんなとき、数日、あるいは1週間ほど寝かせて待っていると、良いアイデアがふっと浮かんでくるのです。

このブログも、最初に書いたものに納得がいかず、数日置いてから「よし、書き直そう」と思い、こうして書き直しています。「忍耐して待つ」ことの大切さを、あらためて感じています。

サルスベリ(百日紅~100日前後花が咲く)

旅のポイント

全国を旅して振り返ってみますと、最初の頃は、とにかく新しい所、興味のある所に心が引かれて出かけたものです。

しだいに、素晴らしい景色、歴史的に価値のある所、そして温泉を求めて行くようになりました。振り返れば、私の旅のポイントは、大自然と歴史と温泉の三つだったように思います。

グルメを目的にすることはあまりありません。宿のおいしい食事も大切ですが、私にとっては、この三つの方が重要だったのです。

若い時は、旅をすること自体で満足し、中年以降になると、「何が良かったのか」を振り返るようになりました。心が満たされ、どのように元気が与えられたかを考えるようになったのだと思います。

全国一周を成し遂げてからは、新しい所を探すよりも、これまで良かった所、思い出のある所をもう一度訪ねることが多くなりました。何日間も宿泊する旅行ではなく、日帰りや1泊2日が中心です。

これからの旅

これからは、目的を絞った旅もしてみたいと思います。今まで多くのお城を訪問しましたが、城を聖書的な視点から見て、そこに生きた城主たちの人生をたどってみる。

キリシタン大名の城について、その観点から城や城主を見てみる。現存天守12城を訪ねる旅も、一つの題材になりそうです。

一方では、気に入った所にゆっくり宿泊して、「心のバケツ」を霊的に満たす静かな旅もいいかなと思います。これまであまりやらなかった旅ですが、そのような旅も大切なものです。

旅に出ると、普段とは違う景色に出会い、新しい発見があります。そして何よりも、心がリフレッシュされ、明日への元気が与えられます。

これからは、ただ遠くへ行くだけではなく、自然や歴史に触れ、お城を訪ね、そこに生きた人々の人生を考え、聖書を通して新しい発見をする。そんな旅をしてみたいと思います。聖書には、こうあります。

「しかし、主を待ち望む者は新たな力を得、鷲のように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく、歩いても疲れることはない。」

(イザヤ書40章31節 聖書協会共同訳)

旅によって心に元気をいただき、そして主を待ち望むことによって新しい力をいただく。そんな旅を、これからも楽しんでいきたいと思います。

2026年8月21日 小坂圭吾


2025年12月16日火曜日

喜び・感謝「クリスマスを祝う」

 

ニューヨーク・ロックフェラーセンター

ロックフェラーセンターのクリスマスツリー

先月11月8日、ニューヨークのロックフェラーセンターに、今年のクリスマスツリーが到着しました。高さ23メートル、重さ11トンのノルウェースプルース(トウヒの一種)で、1920年代に植えられた樹だそうです。

5万個以上のLEDライトで飾られ、点灯式は12月3日に行われ、来年1月中旬まで展示される予定です。

ロックフェラーセンターの最初のクリスマスツリーは、1931年、大恐慌の中に登場しました。

建設現場で働いていた労働者たちが、クリスマスイブに高さ約6メートルのバルサムファー(モミの一種)を立て、家族が手作りした飾りで装飾したのです。

このツリーは、大恐慌の最中に建設労働者たちが灯した希望の象徴でした。その光は、90年以上にわたりニューヨークの冬を彩り続ける伝統となっています。

巨大な記念碑

ロックフェラーセンターは、ロックフェラー父子(初代ジョン・D・ロックフェラーとその子ロックフェラー二世)が、アメリカ全土に大恐慌が広がり始めた時に、マンハッタン中心部に建設することを決断したプロジェクトです。

経済状況が最悪の中であえて工事を始め、仕事のない人々に雇用を与えるとともに、ロックフェラー家を記念する事業として計画されました。

「都市の中の都市」と呼ばれるこの施設は、大規模な複合文化空間を目指した世紀的な工事でした。

計画は1931年春に本格始動し、世界恐慌の最中、ニューヨークでは他に大規模工事がほとんどなかったため、数万人の失業者に雇用を提供しました。

4万人以上の労働者が関わったとされ、当時としては最大級の民間建設プロジェクトでした。

建設現場で働いた人々は、生活を支えてくれたロックフェラー家への感謝を込めて、クリスマスツリーの点灯式を行いました。

この行事は今も受け継がれ、1939年、約10年に及ぶ工事を経て、ロックフェラーセンターは巨大な記念碑として完成しました。



ロックフェラーが残した遺産

「世界一の大富豪」の代名詞として知られるジョン・D・ロックフェラー(1839–1937)は、貧しい家庭に生まれましたが、暗算に優れ、若くして事業の道を歩み始めました。

大学は卒業せず、実務を通して経営感覚を磨き、20歳で会社を起こし、スタンダード・オイル社を創業して、アメリカ近代資本主義を象徴する実業家となりました。

彼は節約家で計画的、勤勉で忍耐強く、目先の利益よりも長期的な成長を重視する姿勢を貫きました。

競争の激しい石油業界においても、合理化と効率化を進め、卓越した経営手腕を発揮しました。

一方で、彼は敬虔なプロテスタント(バプテスト系)の信仰者でした。日曜礼拝を欠かさず、若い頃から十分の一献金を実践し、富は神から託されたものであるという「管理者意識」を持っていました。

晩年は、財団を通して教育・医療・公衆衛生・宣教事業に莫大な資金を投じ、ロックフェラー医学研究所やロックフェラー財団をはじめ、シカゴ大学をはじめとする大学や、多くの教会建設(4928の教会)を支援しました。

彼はそのいずれにも自分の名を残すことを避け、すべては神のものであるとの姿勢を貫きました。


横浜都心臨海部

神様からの賜物

ロックフェラーに与えられた神様からの賜物は、「お金を稼ぐ賜物」でした。彼は幼い頃からそのことを悟り、その賜物を育て、磨いていったのだと思われます。

信仰深い母親は、彼に三つの約束を教えました。十分の一献金をささげること/教会では最前列に座って礼拝をささげること/教会に素直に従い、牧師を悲しませないことです。

彼は一生この約束を守り、祈ることを忘れない人でした。小学校に入る前から、98歳で天に召されるまで、一度も欠かすことなく、十分の一献金を神様にささげ続けました。

「十分の一のささげ物をすべて、わたしの神殿の蔵に持って来て、わたしの神殿をいっぱいにしなさい。こうしてわたしを試し、わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるほどの祝福をあなたがたに注ぐかどうかを見なさい。」(マラキの預言 3章10節 現代訳)

私がこのみ言葉について教えられたのは学生時代でした。洗礼準備会の中で、十分の一献金の大切さについて恩師が語られ、礼拝のメッセージの中でも繰り返し語られました。

特に「わたしを試してみよ」という言葉が強く心に残りました。すぐに実践しようと決心し、今日に至っています。その結果は、み言葉が約束した通りの祝福があったと、心から感謝しています。

私の周囲の多くの方々や、教会全体も、このみ言葉を実行して今日があるのではないかと感じています。

ロックフェラーセンターのクリスマスツリーは、大恐慌の時代に働く人々が灯した希望の光から始まりました。その光は今も、人々の心を照らし続けています。

救い主イエス・キリストのご降誕を覚えるこのクリスマス、神様の光と平和が、皆さま一人ひとりの上に豊かにありますように。祝福に満ちたクリスマスをお迎えください。

2025年12月16日 小坂圭吾

2025年11月12日水曜日

喜び・感謝「土に触れて、恵みに生きる」

 

箱根・仙石原 すすき

庭のコンポスター

今年の夏の厳しい暑さには、庭の木々もずいぶん苦労したようです。例年に比べて成長はやや鈍く、水やりも十分でなかったのか、芝の育ちもあまり良くありませんでした。

今年一番苦労したのは、庭のコンポスター(生ごみを入れて堆肥を作る容器)にやってくるネズミでした。春ごろから何度も駆除の仕掛けをしてかなり減らしたものの、秋になるとまた被害が出始めました。

そこで、コンポスターの場所を変え、容器を少し深く埋め込んで入りにくくする工夫をし、ネズミ騒動はこれで一段落となりました。

ここ横浜に引っ越してきて40年以上になります。ごみの分別の一環として、我が家では妻の提案で、生ごみを庭のコンポスターで堆肥化することに取り組み始めました。

二十数年前から、コンポスターを月に一度ほど庭のあちこちに移動させています。そのおかげで庭の土壌は非常に良くなり、土を掘るとミミズなどが顔を出します。

孫たちはそれを見て、喜んだり怖がったりしています。


大震災はいつ?

これからの日本を考えると、私たちはどのように生き抜いていくのかが大きな関心事となります。GDP世界第4位の日本も、やがてインドに抜かれて第5位に転落するといわれています。

大震災も、いつ起きてもおかしくない状況です。

そのような中で一番の課題は、大きな意味での「自衛力」ですが、経済力もそれに深く関係してきます。大震災の発生確率が示されても、「今日明日ではないだろう」と思ってしまい、なかなか実感できないのが現実です。

次に起こる大震災は、復興のために多大なお金や食料、資源を必要とし、簡単には対処できない可能性があります。

資源価格の上昇や、世界的な食糧難の報告もあります。特に日本は自給力が低く、大地震で物流が滞れば、物資が手に入らず深刻な事態となるでしょう。

コンポスターとゆずの木


食料自給率を上げる

政治レベルでの対応は政府に任せるとして、私たちができることは、少しでも自給率を上げること、特に食料自給率を高めることです。

日本の食料自給率は40%以下といわれ、残りの60%以上は外国からの輸入に頼っています。買い物に行けば、日本産以外の食材が数多く並んでいます。

だからこそ、少しでも自分の手で食べ物を育ててみることには大きな価値があります。

結果として、私たちは長年、コンポスターで堆肥を作りながら、毎年、果物3種類、野菜6〜7種類を育てています。

家庭菜園では少量でも、収穫した果物や野菜の味は格別で、「自分で育てた」という実感が大きな励みになります。

食べ物を無駄にしない意識が自然と育ち、暮らし全体が丁寧になります。自給自足には至らなくても、暮らしの中でできる範囲の「自給力」を積み重ねていくことが、これからの時代を生きる知恵となるでしょう。


神が成長させてくださる

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」
(Ⅰコリント 3:6 新改訳)

小さな庭で堆肥をつくり、少しずつ実っていく果物や野菜を見ると、神さまが日々の暮らしにどれほど静かな恵みを注いでくださっているかを実感します。

今年は暑さのため少し手を抜き、新たに植えたものはなく、果物3種、野菜3種の収穫でした。

ゆず(大豊作)、びわとみかん(まずまずの収穫)、シソ(種が多く落ち、今年は大豊作)、オカワカメ(多年草で豊作)、うこん(初冬収穫後に芋を植え付け、豊作)といった具合です。

大量に収穫できるゆずやシソは、近隣や教会関係者に配り、喜ばれています。私たちの働きは小さくても、その小ささを用いて神さまが大きく育ててくださいました。

世界を見渡すと不安の多い時代ですが、だからこそ、自分の暮らしを整え、土に触れて手を動かすことが、心の落ち着きにつながります。

家庭菜園や堆肥づくりは、環境を守るだけでなく、生活を丁寧に受け止め直す時間にもなります。

土いじりは健康にも良く、自給への小さな一歩は備えであり、また、与えられた地と日々を感謝して受け止める信仰の姿でもあります。

この先も、神の恵みに信頼しつつ、今日できる小さな働きを一つずつ続けていきたいと思います。


2025年11月12日 小坂圭吾

 

2025年1月24日金曜日

喜び・感謝「クリスチャンに引退なし」

 

2006年1月大雪(大寒の頃)

冬の湯けむり

1年で一番寒い季節と言われる「大寒」、朝の寒さは厳しく、朝起きの時間が遅くなりがちで、5時半から6時ごろ起床が6時から6時半になり、日の出が遅く6時過ぎに雨戸を開けてもまだ暗く寒いのです。

リビングのガスストーブには、5時半ごろにタイ―マーセットで火をつけて、ある程度暖かくなった頃にリビングに降りて行き、キッチンの石油ストーブに火をつけます。

かなり古い石油ストーブですが、しっかりその役割を果たしてくれて、とても暖かいのです。朝食が終わるころ、石油ストーブの上にかけてあるヤカンより湯けむりが上がっているのに気が付きます。

朝の太陽に照らされて、その湯けむりの何とも言えない穏やかな風景、「トー、トー、トットー、トットー」と音を立てながら、冬の心地良い趣を感じるひと時です。

じっと見つめますと、その湯けむりは、どれ一つとして同じものはなく、私たち一人一人が全く違うように造られていることを思い起こさせられます。この湯けむりは、上に上にと立ち昇っていくのです。

前のものに向かって進む

私たちクリスチャンは、後ろの物を忘れて、前のものに向かって進む、新しいことにチャレンジしていくことを求められます。何歳になろうとも、神から与えられた使命を果たすために走り続けることが求められます。

過去の良いことや悪いこと、成功や失敗、順調だったことや挫折した事、栄誉や屈辱、喜びや悲しみ、今も続いている痛み等々、一生の間には、しわの数以上に様々なことがありますが、それらを打ち忘れ前のものに向かって進むのです。

新しい年を迎えて今年はどのような年にしようかとそれぞれが考えたことだと思いますが、要は「過去を忘れ、常に未来に向って、今ここで現在を力強く生きる」ことが求められています。

昨年の秋から、良書に親しむということで、過去に読んだものを取り出してきて、あれこれと読みました。「人生の目的」が気になり、その本もじっくりと読みましたが、次のような事柄にぶち当たりました。

神の御前に立つ

私たちはみな、いつか神の御前に立つことになります。聖書によれば、永遠の世界に入る前に、神さまの審査を受けることになるのです。

「私たちはだれも皆、自分のことについて神に申し開きをしなければならない。」(ローマ14:12 現代訳)

神の審査に対して、どのような申し開きをするのか、その質問についても神さまは教えて下さっています。

第一の質問は、「私のひとり子イエスに対して、あなたはどのような態度をとりましたか」というものです。ポイントは、「あなたは、あなたのために主イエスがして下さったことを受け入れ、彼を愛し、信じましたか」ということです。

神は、私たちが神の御子キリストを知り、愛し、信頼するようになること、神の赦しと救いを受け取ることを願っておられるのです。

第二の質問は、「わたしがあなたに与えたものを、あなたはどのように活用しましたか」というものです。

神が私たちに与えて下さった才能、機会、情熱、経験、人間関係、家族、財産等々をどのように、神さまの目的に従って、有効に活用したかということです。


クリスチャンに引退なし

昨年の秋から、聖書や書籍を読み祈りながら過ごす中で、上記の質問について深く考えさせられました。

第一の質問に対しては、当然ながらしっかり答えられますが、第二の質問に対しては、今までそれなりに努力をしてきたつもりですが、実はこれからどうするかが問われました。

現役、そして第二の現役としてそれなりにやりながら、それなりの年齢(77歳喜寿)を重ねて第二の現役も卒業とさせていただくとけりをつけました。コロナとも重なり、そのような運びになりました。

しかるに、今後も生涯現役でやるしかないのではないかとそれとなく思ってはいました。

今回の学びや恩師の生き方を思い起こしながら、年齢も関係なく、力がある限り、神の目的に従って、自分に与えられたものを人々のために有効に活用しなければならないのだとの思いに導かれました。

クリスチャンには引退は無く、特に伝道・宣教については、私でなければ伝える人がいない人がいるということです。身近にありながら、伝えることをあまりしてないことを悔い改めました。

たとえ、年を老いても「祈る」という働きは、生涯続けることが出来るのです。これから新たな思いを持って、一歩前に進んでいきたいと願います。

「全世界に出て行って、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

(マルコ 16:15 現代訳)

2025年1月24日 小坂圭吾

2024年9月14日土曜日

喜び・感謝「天国を目指して、走り抜く」

国会議事堂
総裁選・代表選はいかに?

いよいよ岸田首相の後継を選ぶ自民党総裁選が告示されました。過去最多の9人が立候補し、上位2人の決選投票にもつれ込む公算が大のようです。

一方、野党の立憲民主党も代表選が行われ、4人が立候補し論戦を交わしています。各候補者はそれぞれに支持を集めるべく走り回っています。

私は、それぞれの党員であれば誰に投票するかを考えるべく、熱心に新聞を読み、テレビでの討論を見ています。さてさて、この結果はどのようなことになるでしょうか?

そういえば、今から15年ほどまえ、当時の民主党の圧勝により政権交代がなされた直後、当時の民主党議員のお世話でJASS(日本セカンドライフ協会)の仲間と国会議事堂を訪問したことを思い出しました。

国会議事堂訪問

その時は、衆議院議員選挙直後であり、特別国会開催に向けての準備もされつつありました。1936年(昭和11年)に完成した国会議事堂は、70年来のリニューアル工事で、昔の汚れを落として白い輝きを取り戻して、花崗岩の外壁が現れていました。

かつて、アメリカのワシントン国会議事堂を訪問したときのことを思い出し、それと比較して、さすがに日本らしい立派な造りであると思いました。

床は大理石、赤じゅうたん、窓と天井にはステンドグラス、中央広間の壁画等々です。議事堂の正面向かって右が参議院、左が衆議院となっていて、両院の議場はほとんど同じですが、参議院のみ議場の正面中央が国会開会式のときに天皇陛下が臨席されるお席があります。

中央広間には、議会政治の基礎を築くのに功労のあった伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像が建っています。台座の4人目は、誰にするか決まらなかったために空席でしたが、「政治に完成はなく、未完の象徴」との意味もあるとのことです。

日本の政治は、今後どのようになるのか、私たちが祈っていくべき課題です。

練習8割がカギ、走り抜く

今月の読売新聞に、マラソン15戦10勝の戦績を残した”時代の証言者”瀬古俊彦が連載されています。彼の活躍ぶりは、あちこちで見ましたが、今では正月の箱根駅伝の解説者としておなじみです。

この連載記事を読みますと、「マラソンは素質2割、練習8割で、練習をどれだけ積めたかが、大きなカギを握る」と書いてあります。

具体的にその練習の様子がつぶさに書いてあり、素質だけで走っていた瀬古選手が、「練習が8割」を実行して、次々と大きな大会で優勝する様子を見て、驚きであり感動を与えてくれました。

そこに至るには、中村清監督という良き指導者との出会いがあった事も忘れてはなりません。まさに練習を積み重ねて走り抜き、マラソンは楽しく、自由自在に走れたと言っています。

天国を目指して

私たちも、自分の仕事、家庭、教会等において、自分のやるべき働きに一所懸命取り組み、走っています。クリスチャンの目指すゴールは天国ですが、この天国へのマラソンを走り抜きたいと思います。

若い時は、自分の力で走り抜こうとする事が多く、それでも何とかなる時もあります。しかし、やることが一杯でいらいらしている自分、疲れきっている自分が多いのではないでしょうか。

その事に気がつき、神様にお祈りしますと不思議と平安と力が与えられます。神様を忘れて自分でがんばる姿は、神さまのエネルギー、スタミナを欠いた状態、車でいう“ガス欠”です。

自分で変にがんばらないためには、主との関係をしっかり保ち、聖書を読み祈ること、そんなこと当たり前!そうです。当たり前のことがきちんとできれば、熟達したクリスチャンなのだと思います。

マラソンは、どれだけ練習を積み重ねたかがカギですが、私たちには、それにあたる毎日聖書に親しみ、主に祈る生活をやっていきますと、自分でがんばろうと力を入れなくとも、案外、物事はスムースに進みます。

“スムースに”と言う意味は、ジグザグはありますけれども、主の御手の中で導かれていきます。人生というマラソンにおいて、このエネルギー不足、スタミナ不足にならないように毎日、聖書とお祈りによって神さまのエネルギーを補充していただきましょう。
 

「主はいつも地上をご覧になっていて、主に心を向けている人がいれば、その人に力を与えてくださいます。」(歴代誌2、16:9 現代訳)


2024年9月14日 小坂圭吾

2023年7月20日木曜日

喜び・感謝「新たな気持ちで“もったいない精神”」

 

夏の逗子海岸
猛暑の毎日~大暑

毎日、厳しい暑さが続いています。日本には、1年間を24分割しそれぞれの季節を表す言葉をつけた“二十四節気”という季節の呼び方があります。

今年は7月7日が小暑(しょうしょ)~本格的に暑くなる少し前のこと、7月23日が大暑(たいしょ)~1年で最も暑くなる時期のこと、8月8日が立秋(りっしゅう)~夏が全盛期を迎え、秋の気配が徐々に立ち始める日です。

ですから7月下旬から8月上旬頃までは、一年中でもっとも気温の高い季節にあたるわけです。この厳しい暑さを乗り切るために、鰻を食べ夏バテしないで乗り切ろうとは、日本らしい風習です。先日、知人から中元で鰻が贈られて、感謝していただきました。

最近の日本の夏は、ますます亜熱帯に近い気候になっていると実感します。

植物のお世話~成長が素晴らしい

私の書斎には、鉢植えの植物が二つあります。”デンマークカクタス”という春に美しい花が咲くもの、もう一つは、”サンベリア”という丈夫で育てやすい観葉植物です。名前も知らず、殺風景な書斎に何か良いものはないかなと探して、妻の一言で購入しました。

どちらも3~4倍くらい大きく成長して、最初の鉢植えから2回も大きな鉢に移植をしました。水を気が付いたときやる、それだけのお世話です。神様が背後でお世話をして下っている!と思わされる一コマです。

庭の隅に野菜を植えていますが、毎年芽を出し収穫できる野菜があります。10年以上も前からある多年草の”オカワカメ”、茹でた状態が見た目や食感がワカメによく似ていることから”オカワカメ”と呼ばれるようになり、非常に栄養成分に富んだ食材です。

もう一つ”シソ”ですが、秋の収穫が済むと枯れて種が落ち、庭のあちらこちらに毎年芽を出し今年も大収穫です。この2種類は、葉っぱが例年の倍以上の物もあり、食べるのに追われる状態です。

我が家の庭ではコンポスターを置いて、生ごみ、残飯等を入れて堆肥としています。そのため、土がとても肥沃になっていると思われます。野菜も果物の木も育ちが良く、育てて下さる神様に感謝しています。

日本精神“もったいない”

昨年の半ばに15年余も使ったエアコンを2台、寿命を十分に使い尽くしただろうと”もったいない”との思いは無く、買い替えをしました。1階居間と2階書斎ですが、今年使ってみて冷房の利きがいいなと感じています。

2階の書斎には、送風機を置いて部屋から冷たい風を廊下に送り出し階下に流すと、廊下や玄関は少しヒンヤリとします。1階の居間は、よりよく冷やすために、扇風機でかきまぜています。

”もったいない”については、ノーベル平和賞受賞者・ワンガリ・マータイさん(ケニアの元環境副大臣、環境活動家)が、日本の“もったいない精神”に感銘を受けて、環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」を広めてくれたのは有名なお話です。

彼女は、Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉が「もったいない」であり、この美しい日本語を環境を守る世界共通語として広めることを提唱したのです。

「tsunami」(津波)や「sushi」(寿司)レベルの言葉になってくれたらいいなと思います。


“もったいない”の意味~感謝

使い捨て、食べ残し、電気のつけっぱなしは“もったいない”、この精神の根源は、「物を大切にする」ことです。近隣にある中古品のお店の利用や、インターネットで中古品を探すことも多くなり、うまく出会いさえすれば、物を大切に使いきる、役立たせることが出来るのです。

人の無駄には気がついても、自分のしている無駄に案外気がつきません。家族のエアコンのつけっぱなしに注意をしつつも、自分が食器を洗う水の垂れ流しには、あまり注意を払わずやっているのが現実です。

ワンガリ・マータイさんは、“もったいない”の意味について、日本で感謝という意味があることを教えられたと語っています。私たちが使っている物に対して、感謝の気持ちを表すことはありませんが、当たり前のことに感謝するという気持ちを、私たちは忘れてはならないと思わされます。

物を大切に活かす、それは感謝の気持ちで活かすことであり、自分に与えられた賜物も、人々のために活かしていく事を心がけたい~その賜物を十分に用いないと“もったいない”~と、新たな気持ちで思わされています。

「すべてのことについて、感謝しなさい。」(テサロニケⅠ5:18)

2023年7月20日 小坂圭吾


2023年6月11日日曜日

喜び・感謝「聖書に堅く立つ」

尾山令仁師葬儀
(花は聖書を形どっている)
恩師の信仰指導

先月、私の恩師である尾山令仁先生が天に召され、前夜式、告別式の二日間奉仕をさせていただき、霊的に豊かな祝福を受けました。その奉仕を通して、自分の人生の振り返りにもなりました。

大学1年生の4月に、早稲田KGKの講演会に出席し、そこで尾山先生にお会いし信仰に導かれました。その時、先生のお話を聞いて、「この大学時代に人生とは何かを探求しよう」と決心し、当時の高田馬場教会(聖書キリスト教会・東京教会の前身)に通い始めました。

聖書もしっかり読み、信仰の入門書や関係する本を次々と読みあさりました。大学の勉強よりも真理の探究の方が楽しく、取り組むこと約2年、天地創造の神さまがおられることを受け入れ、やがてイエスキリストが私の救い主であると信じ、しばらくして生涯この方に従って歩むと決心をしました。

ホップ、ステップ、ジャンプの3段階で信仰の確信を与えられたのです。当時の尾山先生は、内村鑑三の言葉「学生の信仰ほどあてにならぬものはない」を引用されて、そうであってはならないと私たち学生を特別に信仰訓練して下さいました。

大学4年間のこの信仰訓練があってこそ、社会人になってからもキリスト信仰一途で歩み、今日まで来ることが出来たと思います。高田馬場教会そして聖書キリスト教会・東京教会において、牧師長老による共同牧会の一翼を、ご一緒に担わせていただきました。

聖書に堅く立って歩み、聖書の御言葉を素直にまっすぐ信じることを身につけて来られたことは、本当に感謝です。

聖書に堅く立つとは?

私たちの教会は、”聖書は神の御言葉と信じ、聖書に堅く立つ”そして”自主独立の教会である”とその特徴を掲げています。福音派と言われる教会であれば、同じように”聖書に堅く立つ”と標榜していると思います。

「聖書は神の御言葉と信じる」のですが、「一つ一つの御言葉、全ての御言葉を信じる」ことが出来ているかは、自分自身に問うてみるとそうではないなと思わされます。

その通り信じる御言葉であると考えている一方で、その通りだがまだ霊的目が開かれてない御言葉があるのです。否定することはありませんが、悟らされてないことがあります。例えば、異言ですが、素晴らしいとは思いますが、それで留まっているのです。

信仰に入って間もない時、復活と奇跡については、信じられませんでした。その時に指導されたことは、わからなくても信仰生活を送っていくうちに、きっとわかってきて信じられると言われました。

全知全能の神さま、天地創造の神さまを受け入れましたので、神様なら出来るだろうと否定はしませんでした。すると早くに復活は信じることができ、やがて奇跡も受け入れられ、かなり経過して目の前で癒しの奇跡にも出くわさせていただいたのです。

聖書を素直に、まっすぐ信じる

ところで、信仰に入って数十年の教会生活は、聖日厳守、日曜日の仕事・勉強の禁止、安息日に旅行すれば罰が降る、禁酒禁煙等々、ついこの前まで、教え続けられてきたような感じです。

もちろん素晴らしい面もありますが、XXしてはいけないのような律法主義的な要素があり、これこそ正統的で聖書的であると信じて受け入れてきたものです。しかし、聖書が言っていることは、そこまでがんじがらめに縛っているのではないと私たちの目が開かれてきました。

かつての先輩の牧師先生たちが、聖書の言葉に命を懸けて闘ってこられたことによって、それが改革されてきました。

聖書の言っていることはこうではないかと、今までの伝統や習慣や西欧から持ち込まれた考え方等がひっくり返されて、聖書的に正しいものに改革され、祝福されてきています。

私が50歳の頃、聖書キリスト教会・東京教会の千人会堂建設に携わり、一緒に汗を流して会堂建設をして下さった技術者の方々がありました。

実に素晴らしい千人会堂に仕上げてくださった人々に伝道した時のこと、「毎週日曜日に教会に行かなければならない!これは腰が引けるなあ!」と言われたものです。

未信者の方にとっては、かなり律法主義的に映っていたことでしょうか。あれから、日本の教会への敷居は、かなり低くなってきました。キリストの心を具体化しようと懸命です。

私の恩師も、大きく信仰変革されました。「常に聖書がどう言っているかに帰れ」と御言葉に帰ることを、強調され続けました。私たち一人一人にとっては、聖書を素直にまっすぐに信じて従う。

そのことは聖書に書いてあるかな?と探してみてその言葉に従うことが、祝福の道であると思われます。聖書の言葉を素直に、まっすぐに信じる、このキリストの心を具体化して、毎日の生活をおくるものでありたいと願います。 

「蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい。」(マタイ10:16 現代訳) 

2023年6月11日 小坂圭吾


2023年4月24日月曜日

喜び・感謝「失敗をバネにして、いつも感謝する」

横浜・山下公園~花壇展より~


春の選抜高校野球~山梨県勢が初めて甲子園優勝

今年95回目を迎えた選抜高校野球で山梨学院高校が初優勝し、山梨県勢として春夏を通じて甲子園で初めての優勝を果たしました。監督は吉田洸二監督、朝日新聞の“ひと”欄にこんな記事が掲載されていました。

彼は強豪私立の選任監督として山梨学院の監督に就任し、甲子園に春5回、夏5回も出場するも、最高で1勝止まり、なぜ勝てないのかを分析した。自分が采配を振るう映像を見返したら、小難しい顔をしていた。

これでは選手が固くなるのも当然である。かつての優勝経験を思い出し、わいわい楽しく、のびのびとやる、笑顔でやることに思いが至り、笑顔の野球にきりかえた。

「どんな時も、一番の応援団でいようと思った」と彼は語っています。確かに決勝で4回に2点を先取されても笑って選手をベンチに迎えている。5回に打者10人で7点を挙げて逆転をした。いつも笑顔の監督である。

失敗は成功の元といいますが、失敗には原因があり、それを是正するところに成功への道筋があるのです。


ゴルフは「ミスのゲーム」といわれる

私に出来るスポーツの一つがゴルフ(下手の横好き)です。一時中断するも、中高年になって少し熱を入れています。1日プレーをしますと約12,000歩くらいになり、大股で歩けばかなりの運動になります。

日ごろから歩くことやマシントレーニングに励み、体を鍛えることに心がけています。ナイスショットよりもミスショットの方が多いのがゴルフで、ショットのミスの影響を最小限に抑えて、リカバリーすることがゴルフの醍醐味です。

先月、4か月ぶりに本コースでプレーをしました。(寒いときはお休み)事前に少し練習も重ねて、ミスショットを打つも落胆するな、戦いはそこから始まると自分に言い聞かせてプレーです。

しかし、スタートから始まり3~4回もミスショットをしましたが、覚悟をして臨んだためリカバリーはそれなりに出来ました。

メンバーに恵まれて、一番良いリカバリーは拍手喝采を受けた忘れられないショットで、これだからゴルフはやめられないのです。帰宅後もこれらの失敗をどのように直すかの練習が始まります。

失敗をバネにして

私たちは、ちょっとした失敗や難しい事柄が起きることで、落胆したり、笑顔が消えて喜びを失ってしまいがちです。仕事、健康、経済的な問題、家族のこと、人間関係、教会のこと等々、失敗や問題らしいことは何も無いという日は、1年のうちにほとんどないかもしれません。

前向きに捉えれば、神に祈りをささげる願い、望みでいっぱいということです。自分の犯した失敗もあれば、他の人から降りかかってくる問題状況もあります。

先を読んでいくとこうなるかもしれないと、今から悩むこともあるかもしれません。この時、自分の心構えをどうしたらよいのか、どう問題解決していくのか、かなりの悩みどころです。

私は比較的楽天家の方でした。気持ちの切り替えが早く、「えい、もうこの問題は考えない。棚上げにする。」と決めると切り替えが出来た時もありました。

若い人の中には、このように出来る方をお見受けすることもあります。昨今は、なかなかそうはいかず、自分の心を自分でコントロールできません。



聖書の言葉にある「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのこと感謝」と神の御心3点セットが浮かんできます。

「いつも喜ぶ」には、どんな状況にも揺り動かされない、生きる喜びを与えてくださる神さまにしっかりつながることです。絶えず、神様の近くを歩んでいくことです。

そのためには、「絶えず祈る」事が大切です。いのちの源である神さまから命と力を絶えずいただく祈りの生活です。祈りこそ創造主に対する私たちの態度であり、造られたものとしての信頼と服従があります。

それをしていくと、「すべてのこと感謝」につながります。神さまの恵みが分かってくると、すべての材料が感謝になるのです。

というのは、全ては神さまの支配下にあり、そのようになさったのも神様だからです。ですから、苦しみも危険も嫌なこと全てに対して、神様が益として下さるのです。

自分の心をコントロールできなくなった昨今、すべての失敗、困難、マイナスは、必ずプラスに変えられると聖書から教えられ、信じています。

困難な問題ほど、いや難しいからこそマイナスは必ずプラスに変えられていくと信仰体験によって、それをバネにして歩んでいく事を楽しみにしています。

2023年4月24日 小坂圭吾