2012年8月25日土曜日

祈り「リトリート」

     ラジオ体操
夏休みには、近所の公園や小学校では、朝のラジオ体操が行われています。ラジオ体操の後で、子供たちが列を作り出席カードに印を押してもらう光景を見ました。思えば、小学校の頃には、ラジオ体操の出席印をもらうため、眠い目をこすりながら必死で朝のラジオ体操をしたものです。

 このラジオ体操は、有酸素運動としての効果が高いそうで、消費カロリーは早歩きのウオーキングとほぼ同じ。正しいフォームで行うと、全身で数百か所の筋肉をまんべんなく動かすことが出来る。美容効果がテレビや雑誌、書籍で取り上げられ、80年以上もの歴史を持つラジオ体操が、今人気を呼んでいるとのこと。私も座り仕事を続けて疲れると、ラジオ体操をします。このラジオ体操、1か月ぶりに第一、第二体操を正しく、しっかり力を入れて出来るようになりました。やっとできるようになったぞ!と何かしら、うれしい気持ちです。

     鼠径(そけい)ヘルニア
実は2か月前の6月下旬、下腹部から足の付け根(そけい部)あたりに柔らかい腫れを感じ、1週間ほどして医者に行きました。即座に「鼠径(そけい)ヘルニアで、手術が必要です。手術しないで治す方法はありません。」と言われる。このことについてのパンフレット(これには驚き?!)を見せられながら、手術方法等の説明を受ける。7月中旬に予定していたカナダ行きの重要なスケジュールもやむなく中止!この病気は、一般に“脱腸”と言われる良性の病気で、成人に多く年間約15万人もの手術件数があり、8割が男性だそうです。

3週間後に手術と決まり、69歳にして初めての手術と入院です。入院翌日の朝、約2時間半の手術があり、手術台に上がり1分もしないうちに全身麻酔が効き何もわからず!手術が終わり部屋にまで運ばれるが、とにかく動けない!力が出ないのか、痛いのか、その両方であろうが動けない。痛みがどれくらいだと痛いと言うべきかわからず、夜になるまでは、やや我慢である。トイレに行くのも痛みと力が出ないので大変!夜寝る前に、少し強い痛み止めおよび睡眠導入剤を処方してもらい、やっと十分に眠れる。

3日目の朝、起き上がるのがまた一苦労、もう1日入院延長かな?と思いました。しかるに主治医の先生は、「小坂さん、経過は順調です。本日退院でいいですよ!」「??!!」そうは言われても動けそうにないのだがー。「これぞ、外科医の先生らしいな」と心の中で笑いました。病院に残るよりも家で寝る方が良く眠れるであろうと、退院を決意しました。

     リトリート!
「手術後しばらくは、ある意味では“リトリート”(retreat:黙想、日々の雑事から解放され、自然の中で心を洗い、生きることを感じる事)のようなものだな!」と考えていました。されど、手術後の1週間は痛みがあって、リトリートではありません。ですが、入院そして手術と言う環境、入院している人々、手術後の回復力、神様が備えられた体の自然治癒力がこれほどあるということ、その他色々と実体験でわかりました。回復は、一日毎いや数時間毎に良くなっていく事もわかります。

手術前から読む予定にしていた本「海からの贈り物」(米国の飛行士チャールズ・リンドバーグ妻アン・リンドバーグ著、新潮文庫)を自宅のベッドの上で、静かに読みました。5人の子供の母親である彼女が、ひととき家庭を離れて海辺の家を借り、浜辺で貝殻を拾って持ち帰り、毎夜、貝殻と思索にふけるのです。まさに“リトリート”です。

ここで彼女が発見したことは、浜辺で拾った貝殻の簡素な美しさから、自分の生活を簡易にして気を散らす幾つかを切り捨てる必要があると気づくのです。今までの生活から完全に離れる訳にはいかないが、何か良い解決策はないか?

発見したことは、周りに空間があって初めて美しいものは生きる。一本の木は空を背景にして意味を生じ、音楽でも一つの音はその前後の沈黙によって生かされる。ろうそくの光は、夜に包まれて花を咲かせる。自分の生活に、空間があまりにも不足して意味がない、つまり美しくないのだと解る。何もしないでいられる時間は少ないし、自分一人でいられる場所がない。仕事や持ち物や会うべき人が、多すぎる。やりがいのある仕事、面白い人、貴重な持ち物が多すぎる。重要なことも我々の生活を邪魔する、我々は宝物を持ちすぎている。彼女は、そこで教えられたことを“島の教訓”とよんで、それを忘れないようにいくつかの貝殻を持ち帰って、なるべく質素に生活をすることを目指すのです。

以上のようなことに、私は共感を覚えました。この1か月間強は、自分の生活に素晴らしい空間を持つことが出来、生活を簡素にする習慣が出来ました。これから、動きすぎや宝の持ちすぎをしないように、美しい海の小石でも書斎に飾って、教訓にしたいと思っています。感謝な“鼠径ヘルニア手術&リトリート”でした。

2012年8月25日    小坂圭吾