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2025年6月23日月曜日

祈り「大切なことを忘れる」

あじさい

5
月に風邪をひく

若葉のまぶしい5月、お花も色々と咲き、あちこちに出かけて新緑を楽しむことができました。ところが5月下旬にまさかの出来事!風邪をひいてしまいました。

朝起きると体がだるく、その日は朝から晩まで寝たり起きたり、それが3日間、いや4日間も続きました。熱は高くはなく、医者に世話にならずに何とかしのぎました。

このままだと治るに1週間以上だなと思わされ、10日過ぎてやっと少し元気を取り戻しましたが、完全に治るには更に時間がかかります。68日ペンテコステ礼拝に出席したのち、午後に今年2回も風邪を引いたがなぜだろうか?とわが身の「ふり返り」をしてみました。

いつ頃からでしょうか、「反省」ということではなく、ふり返りという言葉を使うようにしました。「反省」という言葉は、自分のあり方、生き方をふり返ってよく見ることです。

「ふり返り」も同じ内容ですが、生活の中の出来事や経験の中心にある意味、自分のあり方や生き方にとっての意味を見出すこと、反省よりも優しい積極的な意味合いが感じられこの言葉が好きになり、使うようになりました。

湯河原・万葉公園
半年間のふり返り

年の始めに今年の目標を考え、年末にはその結果がどうだったのか?と1年の「ふり返り」をする(SEETHINKPLANDOサイクルを回す)のがもう40数年にわたるやるべき事柄・習慣です。

今回は6月ですので、“半年間のふり返り”となりますが、これは初めてやる事柄です。そうはいっても、わが身のすべてでは無く、今年2回も風邪をひいたことに絞って考えました。

振り返れば、昨年12月インフルエンザにかかり、更にさかのぼれば、一昨年12月コロナにかかりました。この時は、夫婦共倒れです。この時は、どこから感染したのかはわかりませんでした。

気をつけていても感染するときは感染するなと思わされました。年末で少し忙しく、それも影響したかなと思ったことです。そして、今年の2月風邪をひき、またやられたなと思い、5月更に風邪をひく。さすがにこれは長くかかり、ふり返りを要することになったのです。

すぐに忘れる

ふり返りを始めて思ったことは、とにかくすぐに忘れるのだということを思い起こしました。

今回治るのに長引いたのも、神さまの御手の中にあってのことですが、「今回は長かった。辛かった、痛く感じたなあ!」と大切なことを思い起こすには、この位が必要だと主なる神様は思われたか!と感じたのです。

ちょうど今、ふとしたことから聖書の学びをもっとしようと神学校の学びを再度始めました。これはという事柄について、聴講を始めたのです。

旧約聖書五書の学びをしていますと、イスラエルの民が神の豊かな恵みを思い出さず、すぐに神の素晴らしい御業を忘れ、自分たちの神さえも忘れてしまう!!


何という愚か者かと他人事のように見ていたことは、どうしてどうしてこれは人間の忘れるという悲しい現実なのです。今回ほど、これが私の現実だという事を思い知りました。

何もこれほどのことを書くまでもなく、私たちはすぐに忘れる!それは、日曜日の礼拝後、教会を出ると今日の聖書箇所を忘れている!何も後期高齢者でなくても忘れている。

朝読んだ家庭礼拝の聖書箇所を、夜には忘れている!例を挙げたら、いくつもありますね。ですから、朝晩聖書を読み、祈り、神さまと交わりをしないと駄目な私たちなのです。

これは忘れてはいけないと思うみ言葉は、額に入れて、目の前に置かないと忘れてしまうのです。

半年間のふり返りをして分かったことは、要はあれこれとやり過ぎて疲れがたまり、ダウンにつながったことです。

人生をもっとスローにすべきこと、大切でないことは止めることを痛く示されました。そして、これらをすぐに忘れる者であることを示されました。今回の事は、ふり返りのたびに覚えておきたいと思っています。

「彼らは救い主である神様を忘れました。エジプトの地で大きなことをなされ、紅海で恐るべきことを行われた、救い主である神様を。」(詩編106:21-22 現代訳)

「あなたの神、主がこの40年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。」(申8:2 新改訳2017)

2025年6月23日 小坂圭吾

2024年10月18日金曜日

祈り「人生はテストである」

衆議員解散の報道

第50回衆議院総選挙

自民党総裁選は石破茂総裁が選ばれ、野党の立憲民主党代表選は野田義彦代表が選定されました。その後、国会が召集され石破茂総裁が総理に就任し、衆議院は10月9日解散されました。

第50回衆議院選の日程が「15日公示―27日投開票」と決まり、事実上の選挙戦に突入しています。総裁選も代表選も、この経過を新聞、テレビでつぶさに見て、党員になったつもりで誰に投票するかを考え、自民党は石破茂氏に投票するとしました。

石橋茂氏が決選投票の厳しい中で当選を果たし、本当に良かったと感じています。今回の総選挙は、自民党にとっては、大変厳しい選挙になりそうです。

石破茂総理はクリスチャン

石破茂氏は、キリスト教プロテスタント信者であることを公言してはばからない人です。もう10年ほど前ですが、友人が招待してくださり「国家晩餐祈祷会」に出席した時、石破氏があいさつをされ、曾祖父のことについてお話をされたことを覚えています。

石破内閣がスタートして解散まで、どのようになるかテレビを通じて色々な角度からの番組を見ました。

あるテレビ番組で、作家で元外務省主任分析官である佐藤優氏(同志社大学神学部卒、カルバン派教会出身のクリスチャン、石破茂研究を密かに行ってきた由)が出演されて、「石破氏のことは同じ信仰者として考えていることが良くわかる」と他の解説者とは違う視点で語られました。

私も改革長老派の教会の一員ですので、“さもあらん!”と佐藤氏の話に共感しました。石破茂総理の信仰的背景を少し紹介いたします。

神代植物公園・バラ園

牧師である曽祖父の強いDNAを継承

「政治が感動を起こさなければいけない。有利だからやる、不利だったらやらない。それは私の生き様ではありません。」と語る石破茂氏、過去最多の5度目の自民党総裁選への挑戦でついに勝利しました。

彼には、愚直で誠実といったイメージがあり、安倍一強という権力と敵対し、長らく閑職に干されようとも立ち上がり、不屈の精神の持ち主ですね。それは、彼のキリスト信仰心であろうかと思われます。

石破氏は、小さい頃から母親に連れられて日本基督教団鳥取教会に通い、そこで18歳の時に洗礼を受けました。

鳥取から上京し、慶応義塾高校、慶応義塾大学に進学後は日本キリスト教会世田谷伝道所(現世田谷千歳教会、改革派の流れをくむ教会)に出席し、教会学校の教師も務めました。

石破氏がしばしば語られる先祖のことですが、母方の曽祖父は、同志社英学校(後の同志社大学)の創立者である新島襄から洗礼を受けた金森通倫(みちとも)です。

熊本バンドの一員として新島襄先生に弟子入りをして牧師になり、一番弟子と言われて新島先生が病に倒れられた後、同志社の総長代理となられました。石破氏は、この曾祖父のDNAを受け継いでいるとの意識があるようで、4代目のクリスチャンです。

石破氏が総理として神さまの御心にかない、その御用のために神様が十分にお用い下さるようにと、皆で執り成しのお祈りをしていきたいと思います。

神さまの視点から~人生はテストである

石破氏は、神さまによって自民党総裁に選ばれたと思っていると推察致します。過去最多の5度にわたり自民党総裁選へ挑戦して勝利できたのは、キリスト信仰による以外に考えられません。

私たちが人生をどう見るかは、私たちの人生を決定し方向が決まるのです。神さまの視点から私たちの人生をみる~それは聖書によりますが、私はイメージとして、人生はテストであると理解できたとき、大きく目が開かれました。

これは、聖書全体に見られる考え方です。私たちの人生はテストの連続で、神はテストを用意し、私たちがどのように応答するかを見ておられます。

様々な問題、失敗や成功、衝突、病気、失望落胆、人間関係のもつれ、猛暑や長雨等の天候に対して、どのように応答しているでしょうか。

神さまは、非常に小さいことも誰が見ていなくても、すべてに目をとめておられます。人生はテストであると分かると、人生に無意味なことなど一つもない、一つ一つが私たちの成長に欠かせないもの、試されることによって成長し、その真価が明らかになるのです。

ばらばらに見えるような人生の断片が、神さまにあっては全てが意味を持ってつながっているのです。

アブラハム・リンカーン

アメリカ大統領のアブラハム・リンカーンの人生ですが、「失敗と不幸と挫折」という文字が、彼の生涯について回りました。彼は、聖書と祈りにより力をいただき、倒れても素早く起き上がりました。

彼は決してあきらめない~選挙において7度も落選するも七転び八起きの信仰により、困難が訪れるたびに慰めと力を得る聖書のみことばを愛し、すべてのことが働いて益となることを信じたのです。

ある新聞記者にリンカーン答えています。「わたしは、多くの失敗を経験し、失敗のたびに神さまのみこころを学びました。

サタンは、『もう終わりだ』とささやきますが、神さまは、『今回の失敗を教訓としてさらに大きなことに挑戦しなさい』と言われ、私は神さまの声に耳を傾けたのです。」

私たちも、神さまのテストに失敗しようとも、聖書と祈りにより力をいただき乗り越え、信仰が練り上げられ、成長させていただきましょう。

「試練に遭っても、それに耐え抜く人は幸いである。それを耐え抜いたら、神を愛する人々に約束された、勝利者への命の冠を頂くことができるからである。」(ヤコブ 1:12 現代訳)

「主はいつも地上をご覧になっていて、主に心を向けている人がいれば、その人に力を与えてくださいます。」(歴代誌 16:9 現代訳)

2024年10月18日 小坂圭吾

 

2022年9月6日火曜日

祈り「祈りは聞き入れられる」

祈りの力
かつて見た映画を再度鑑賞

今年になって、かつて見た映画を再度見ることが多くなりました。昨今は、まだ見てない良い映画に出会うことが少なくなってきたなと感じています。自分の感度が鈍くなったのか?見る分野、興味の分野が狭くなったのかもしれません。

そうした中で、映画「祈りのちから(War Room)」を再度鑑賞しました。6年前に封切を映画館で見たのですが、昨年でしたかこの映画をもう一度見たいとインターネットで試みましたが見つからず、先日、Netflixで発見してテレビを通じてみました。

少し飛ばしてみたりしたのが影響したのか?それほど感動は無く、やはり感度が落ちてきたかなと思わざるを得ませんでした。1か月ほどして、娯楽物ではないのでもう一度じっくり見てみよう!と腰を落ち着けて鑑賞したところ、やはり感動した作品でした。

見る時の姿勢というか、気持ちというかそんなことも影響するのだなと思ったものです。

War Room」(戦略会議室)~~祈りの部屋

映画監督のアレックスは語っています。「このタイトルは、日々の生活の中で直面する種々の問題に入る前には、神に正しい戦略について尋ねなければならないという信念があり、祈りの部屋の重要性を思い、映画の原題を「War Room」(戦略会議室)と付けた。」

映画の出だしが戦争から始まり、これは何だと思わせながら戦略会議室へ、それは戦争の作戦本部とも言うべきところですが、そして私たちの人生にとっては、戦いの武器である祈りについて、深く切り込んで行くのです。面白い展開で、ストーリーは以下の通りです。

ビジネスマンの夫トニーと不動産仲介業の妻エリザベス、一人娘のダニエル一家。一見幸せそうな家族ですが、夫婦間に問題・亀裂がある。そんな中で、エリザベスがある日仕事で、家を売却したいという老女クララに出会う。

エリザベスが問題を抱えていると気づいたクララは、彼女に信仰について尋ねる。クララおばあちゃんは、エリザベスの信仰が“気が向いたときにしか教会に行かず、祈りも心のこもらない「ぬるいもの」である”と気づく。

人はどれほど行き詰まることがあったとしても、熱い信仰で祈ることこそが、人生における勝利のカギである!『祈り』が最強の力になるのだと教える。そのパワフルな指導は、見る者をエリザベスと共に引き込んでいく。

クララおばあちゃんは、自宅のクロゼットを案内し、そこは祈りの場所「ウオー・ルーム」であった。クロゼットの壁には、祈りのメモ(課題、状況、かなえられた祈り)がびっしりと張り付けられていた。

クララは、一週間に一時間、自分と会って信仰の話をしようと説得するのです。ここから後は、ぜひ映画をご覧ください。

サルスベリ・白

祈りの部屋

WAR ROOM」は、私たちにとっては、祈りの部屋のことです。世界は神と悪魔の戦争であり、悪魔に打ち勝つためには、祈りによって神の力をいただき悪魔を打倒するのが人間にできる唯一の方法だと、クララおばあちゃんは力説します。

悪魔の働きは、人のプライドであり、憎悪であり、悪い行ないである。熱心なクリスチャンであるクララは、かつて人生における危機、失敗経験の中で、全能の神に熱く祈ることにより、自分の悩み、苦しみ、告白、願を神にぶつけて乗り越えたのでした。

祈りによって神様がどれほど力強く、適切な答えを出してくれるのか!彼女は、クロゼットを“奥まった祈りの部屋”としてそれに当て、これが一番の気に入った部屋なのです。

あるクリスチャンが書いたこんな記事を読みました。

「私の生涯の中で、最も恵まれた祝福されたときは、どうしようもなく行き詰まった時であった。信じられないかもしれないが事実である。

人間の知恵では解決できそうにないようなどん底に落ち込んだ時に、いつも喜ぶ、絶えず祈る、全てのことを感謝するについて実践するとき、ことごとく不思議なことが起こった。神さまのご計画の中にあるということに気がついたのである。」

この話は、クリスチャンならば、聞いたことがある、あるいは少なからず体験していることでしょう。とにかく行き詰まった時、事態が悪ければ悪いほど、開き直って神に立ち帰りすがるならば、主なる神さまは答えて下さるのです。

真剣に神に祈り求めていくとき、まず私が変えられ、やがて周りも変えられていく。忍耐して歩んでいくとき、主なる神様が不思議に導かれるのです。

祈りは聞かれる

この映画の主人公エリサベスは、まさに行き詰まってどうしようもなく離婚直前の折(この世の普通の夫婦ならば、離婚へ一直線でしょう)、神に立ち返り、まず自分が神によって変えられ、やがて夫が変わり、全てを感謝する生活へ‐‐。

この背後にあっては、クララおばあちゃんも熱心にとりなしの祈りを捧げ、神様が聞き入れて下さったのです。

最初にこの映画を見て記憶に残っていたことは、クララおばあちゃんが、エリザベスに最初出したコーヒーは“ぬるいコーヒー”でしたが、何週間後には、エリザベスの信仰の態度が熱くなってきて“熱いコーヒー”を出すのです。

このクララおばあちゃんの行動は、「熱い信仰であれ」と私たちに迫ってくるものでした。私たちも神に対して、いつも熱く、霊に燃えて勤勉で怠らず、自分に任された使命を果たすべく、絶えず上からの力をいただくものでありたいと願っています。

 「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ 4:2)

 2022年9月6日 小坂圭吾


 

2021年5月15日土曜日

祈り「思い煩いを神にゆだねる」

 

横浜・山下公園(横浜ローズ・ウイーク)

海外ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」

全国的に新型コロナウイルス「第4波」が急拡大し、緊急事態宣言の地域の拡大と期間延長がなされました。長きにわたる巣ごもりを余儀なくされる中、Netflixの存在を知り、評判のよい海外ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」を引き込まれるように見ました。

実際の英国王室を忠実に再現した実話に基づくヒューマンドラマで、25才の若さで即位した女王エリザベス2世は、今なお大きな影響力のある英国史上最高齢君主で、その素顔を浮き彫りにしています。

制作費は100億円以上、宮殿内部や衣装の細部までこだわりが感じられます。分けても、戦後間もないイギリスの政治・外交の動きがつぶさにわかり、歴史を俯瞰して「そうだったのか!」と目が開かれるものがありました。

40編を3か月かけて見ましたが、政治・外交における英国君主としての立場と、家族や夫への想いとの間で悩みながら、立派な女王へと成長していくドラマを楽しみました。

ドラマゆえの脚色はあるとはいえ、この君主としての凛とした立ち振る舞いは、次々と起こってくる問題に対して、とても使命感が無ければできることではないなと思わされます。

50年以上もその役割を果たしていることに驚きを覚え、閉ざされた王室の中で、彼らは問題を抱え、どれほど悩んだことでしょう。私たちも同じです。

信仰を持ってがんばる

人生の中で色々と起こってくる問題、「嫌だなぁ~。辛いなぁ~。苦しいなぁ~」等の思いが起こり、ともすれば弱気になってしまう自分があります。「もういいよ」「投げ出しちゃえ~」とささやきかけるもう一人の自分、誰もがそんなもう一人の自分に打ち克とうと努力したことがあるはずです。

「嫌だ、辛い、苦しい」等と思うこと全て自分自身であり、そんな弱い自分を認めることが、自分自身に打ち克つことのできる出発点のように思います。『自己と戦い打ち克つ』~~これを私たち日本人には、”なにくそがんばると言う姿勢なのかもしれません。

ともかく、一生懸命、一心不乱にまず打ち込んでみることだと、私の若い時代ですが、クリスチャンとして信仰を持ってがんばることを強く教えられたものです。私も少なからず、信仰をもって努力する、がんばることをしてきました。

がんばりのDNAを持った日本人クリスチャンは、“信仰を持ってがんばる”と言いながら、いつのまにか「とにかくがんばる」姿に変わっていることがあります。とかく陥りがちな私たちの姿で、色々なことが気になり、心を配り、とにかく遣り抜こうとする姿です。

素晴らしいことですが、神さまとの関係を見失い自分中心になっている姿に変わっているかもしれません。がんばり過ぎてやがて疲れ果て、忍耐もできず「もうがんばれない」となるのです。



思い煩い~神にゆだねる
体力と気力があるときは、信仰に持ってがんばることで何とか切り抜けることは出来るかもしれません。その過程においては、色々な問題に葛藤し、悩み、不安になり、それを乗り越えていくことになります。

問題が多いと思い煩いもまた多くなります。私たちは、思い煩うことの名人と言っても過言ではなく、何とか自分でがんばることから脱却したいと思うようになります。神にゆだねる事が必要だと気づいてくるのです。

「神様、これを何とか切り抜けることが出来るよう力をお与え下さい!」この祈りしか出来ないのですが、次第にどうすればいいのか少しずつ分かってきます。

「神様、いま思い煩いでいっぱいで、いらいらしています。あの事、この事、色々とどうしようかと不安です。どうしたらいいのか、必要なことを教えて下さい。」

真剣に今の状況を祈ることだと少し分かって、聖書を開いて読んでいると、今の状況にふさわしい聖書のみ言葉が飛び込んできて、神にゆだねようとなるのです。そうすると、イライラ、不安が解消してくることに気づきます。

「成るしかならないのだから、今はこれだけをやる。あとのことは、神様が最善にしてくださるだろうから、その時になって、祈って考えるようにしよう。」

このようにかなり訓練されてきましたので、失敗もありますが、自分でがんばり過ぎないで、神にゆだねることが少しずつ出来るようになりました。とても心穏やかな信仰の道かなと思っています。 

「何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあれば、どんなことでも、それを聞いてくださる神に、感謝の心を持って申し上げるがよい。」(ピリピ4:6 現代訳)

2021年5月15日 小坂圭吾

2020年12月19日土曜日

祈り「祈りは神との交わり~願いの祈り」

横浜ランドマークタワー

生活の中心は? 
クリスマス・シーズンになり、近くのコーヒーショップで”ジングルベル”の音楽を耳にしました。昨今、街中等であまり聞くことがなく、一気にクリスマスが近い気分になり、キリストに心を向けて、祈りについて考えることにしました。

 私たちクリスチャンにとって、生活の中心は、聖書を読み、神が共にいてくださることを感じつつ祈ることです。この1年、コロナ禍で私たちの生活が大きく揺らぎ、変化せざるを得ませんでした。

毎日の生活は、色々と問題があふれ、願い事で満ちあふれ、祈らざるを得ない環境だったかもしれません。仕事上の問題、人間関係、病気のこと、子供・孫の問題、予期しなかったことが突然起こってくる等々---。

コロナ禍の影響かもしれませんが、この1年を振り返ると、聖書を読むこと、祈ることが多かったかな?とも思います。

祈りと勝負 
今月読んだ本に「老いと勝負と信仰と」(加藤一二三著、ワニブックス・PLUS新書)があります。将棋士の加藤一二三九段(通称:ひふみん)は、カトリックの信徒です。私も少しだけ将棋を指していましたが、100年人生を考えると囲碁の方が良いかなと転向して、今は囲碁を趣味にまでしたいと熱が入っています。彼が、クリスチャン棋士ということで、この本を手にしました。

彼の将棋人生は、まさに信仰に裏打ちされた人生です。信仰があるからこそ、あれだけの棋士としてのすばらしい業績を達成されたということが出来ます。彼は、「祈りは、人を強くする、勝負強くする」と書いておられます。信仰と勝負はリンクしている。

彼が戦って勝利した名局と言われるものは、祈りが直接勝利に結びついている!その例をいくつも紹介しておられます。彼は、対局の前に教会で祈りをささげ、対局の昼休みに教会に行って力を得る。大きな対局になると地方に出かけますが、勝負の前には近くに教会があるかを探して、そこに行ってお祈りをする。

もちろん、祈っても成功しないこともありますが、負けが見えても投げ出すことはせず、最後まで真剣です。信仰と勝負、祈りによる勝負の姿に感動を覚えます。
祈りとは何か?
祈りは、私たちにとって生活の中心であり、神との交わりであり会話です。聖書を読むことを通して、神の御声を聞きますが、祈ることは、神さまに語りかける、聞くことであり、会話です。

アウグステイヌスは「祈りは魂の呼吸である」と言っていますが、私たちは、意識しなくても呼吸をしています。眠っている間も無意識にやっています。それと同じように、魂に新しいエネルギーを入れる、人間らしく生きていくには祈りは必要です。

聖書では、「絶えず祈りなさい。」(テサロニケⅠ、5章17節)と言われています。呼吸と同じように、絶えずしなければなりません。信仰生活は、実に「祈りの生活」なのです。 「祈りは呼吸である」と教えられてから、私は、どんなことでも祈るようになりました。

ちょっと何かをしようとする時、すぐに祈ることにしました。仕事を始めるとき、途中で考え事をしているとき、食事の前、人との会話でまずいことを言ったかなと感じた時、それがすぐに消えなくて思い出すたびに悔い改めの祈り、昼寝をする前、何か探し物をする時、寝る前に、‐‐‐。もちろん、デボーションや家庭礼拝でも祈りますが、この短くとも、その都度その都度祈ることが重要だと思います。 

これらを振り返ってみれば、私たちが一番よくしている祈りは、願いごとをする祈りではないでしょうか。祈りの大半が願うことに費やしていると思われます。少しずうずうしく祈りすぎかなと思わないでもありません。願いながらも自分で精いっぱい努力します。

 願う祈りの根底にあることは、信仰に基づいて願いを神様に祈り、神様が必ず良きになしてくださるとの確信です。単純ですが、深い神様への信頼があれば、神様はそれを聞いて下さるのです。

言葉を換えれば、自分の力ではできることには限界があり、神様の力なしでは何もできないことの自覚があることです。神様の恵みで、色々なことが整えられていく。絶望的な状況の中でも、神様が助けてくださるとの希望を持つことです。単純な信仰によって、願いが本当の祈りになるのです。

願うからには、神様に真剣にすべてをゆだねて願いましょう。同時に、自分のやるべき分を精いっぱい果たしていくことも重要です。(私の恩師曰く:神様からの恵みは何もないかのように、一所懸命自分のやるべき努力をしていく。)この両者が協力して、願う祈りが実現しいきますと、とても楽しい祈りの生活となります。 

2020年12月19日 小坂圭吾 

(追伸)祈りの映画「いのりの力」について書いたブログを参考に供します。
                 2016年8月16日火曜日  祈り「祈りの力」

2020年11月25日水曜日

祈り「聖書をゆっくり読む」

昇仙峡・仙娥滝

現代訳聖書・改訂新版について

去る111日に『現代訳聖書・改訂新版』を刊行いたしました。翻訳者の尾山令仁先生ご自身による本文の見直しが数千箇所に、現代訳聖書翻訳委員による日本語の推敲と修正が、時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、約3万箇所を修正しています。

既に読まれた方々からは、更にわかりやすくなった、気になっていた言葉、箇所が修正されてよかった等、好評の声をいただき、うれしく感じています。表紙をビニール製にして広げやすくしたことも、聖書のコピーがしやすくなった等の声も聞かされ、長持ちして使っていただけるものと思っています。

“読むだけで良くわかる聖書”をこの日本で刊行することは、神のみ旨であると考えますが、改定新版を出すには多くの資金が必要です。献金によるしかないと判断し、献金のお願いを始めましたが、途中で集まるかな?と不安にはなりました。

神様が責任を持ってやって下さると思いつつも、集まらない時の他の手段も考えていました。3年にわたり献金のお願いをして、物価の値上がりによる計画以上の出費等も吸収して必要額が満たされ、主なる神様に感謝をささげます。


聖書の読み方

発売後、色々な方と聖書の読み方等について、お話をする機会を得ています。ある聖書を読む会では、皆さんそれぞれに使っておられる聖書を持参され、輪読していくそうです。訳が違う各人の聖書を、声を上げて読んでいきます。それを聞きながら、訳の違いを理解し味わいながら学びをしていく、それがまた良いとのお話でした。

先日、ある信仰生活も長い方の聖書の読み方をお聞きしました。彼は、3種類の聖書を並べて読んでいらっしゃるとの由。新改訳聖書そして現代訳聖書、もう1冊だそうです。常にそのようにしておられ、じっくりと聖書を読んでおられるのだと想像がつきます。

我が家の家庭礼拝では、今は現代訳聖書を第8版と改訂新版を使い、訳の違いを味わいながら読んでいます。時には、新改訳聖書も入れて読んだりします。


ゆっくり読む

最近、聖書の読み方について学びをしました。私たちは、毎日、時間と場所を決め、静かに神様と個人的に出会う~聖書を読み、神の御声を聞いて黙想する~そして生活の中で適用していくことを目指しています。これが、毎日のデボーション、静思の時(QT:Quiet Time)です。

この時の聖書の読み方について考えてみました。まず聖書を読むことについては、聖書個所をゆっくりと読む、2~3回ゆっくり読みましょうと言われます。このゆっくり読むとは、どういうことをするのでしょうか?

人それぞれにゆっくりのペースがあります。神について何かを知るためではなく、神様ご自身と出会うために読むのです。ですから、普通の本を読むのとは違う、それなりの読み方があるはずです。ですから「ゆっくり読む」のです。聖書を非常にゆっくり読むのです。2~3回ゆっくり読みましょうとは、このことに通じるのです。

具体的には、反芻(はんすう)するように読むことです。反芻するとは、牛や羊が牧草を口に入れて何度も噛み、一度胃に入れて、また口に戻して噛み続けることです。

私の幼いころは、近所に牛の姿がよく見られて、のんびりと反芻している姿があり目に焼き付いています。ですから、反芻するとは、何度も読む、行きつ戻りつしながら読む、また戻って読むことだと理解できます。

はじめに神が天と地を創造された。(神が・・天と地・・・創造・・)地は茫漠として何もなく、(茫漠・・)闇が大水の表の上にあり、(闇が・・大水の表の上・・)神の霊がその水の表を動いていた。(神の霊・・動いていた・・)

何度も同じ個所を繰り返し読む、まとまった個所を読んでまた最初に返って読む。途中で時々少し戻る。規則はなく、自由に読んでいくのです。まとめますと、「聖書を非常にゆっくり、行きつ戻りつしながら、何度も読む」ということです。

こうしていきますと、心に触れたみ言葉や疑問点等が生じて黙想へと導かれ、神様との対話へと進んでいくことが出来ます。今までのご自分のやり方に、時には、このゆっくり読むを取り入れることが、デボーション、QTのやり方としてとても意義あるのではないかと思います。

 20201125日 小坂圭吾

 

2020年9月21日月曜日

祈り「求めなさい、そうすれば与えられます」

河口湖

 コロナ禍の猛暑

今年の猛暑には、少しへばって“夏バテ”かな?と思わされました。何とか凌ぎましたが、気候変動による想像を超えるリスクを実感させられます。洪水や台風などの被害の大きさは、年々大きくなっており、暑い夏は9月まで続きました。

世界に目を向けると、熱波が世界を襲い、米国カリフォルニア州では、8月に気温が54.4℃を記録、フランスやスペインでも40℃を超える日が続いた由。米国カリフォルニア州では、今夏、熱波による記録的な乾燥状態の中で落雷があり、大規模な山火事が続き、被害額は莫大です。

農業や建設業、運輸業等では、暑くて外で働けなくなるとか、仕事効率が落ちていることでしょう。先日久しぶりに涼しい朝に2030分散歩して、「これって、1か月ぶりかな?」と、猛暑が続く中、巣ごもりをしていたのだなと思わされました。

3密でなければ、恐れる必要はない

コロナ禍の中にあって、人々は家に居て外に出ないようにと言われ、夜の外出や宴会などはとんでもない。手を洗い、マスクをつけてー。マスクをつけることは大切ですが、不要な時にはつける必要はないと感じます。

人々と接近する場面では、当然マスクをエチケットでつけますが、散歩の時や往来で人がまばらであれば、マスクをつけることはせずに、手に持って歩きます。外に出ないようにとのことについては、人が行かない所に出かけて、ウオーキングをしっかりやります。

箱根、富士山の南麓、河口湖に避暑とウオーキングに行きましたが(車を使います)、道路も現地も空いていて楽しくリフレッシュ出来ました。7月から、公的なスポーツ施設が解禁になり、水泳やフィットネス・トレーニング室に行くと、平日はコロナ禍の定員の半分以下でガラガラです。2か月経過しても、あまり変わらず、貸し切りのような状況で、ぜいたくに使わせてもらっています。(もったいない!)

コロナ禍に対して、3密を避けて十分注意しますが、人が密集しなければ、恐れる必要はありません。恐れて閉じこもるのではなく、必要な行動はしていくべきであろうと思います。

富士山とフジアザミ

神さまの前に静まる

100年に一度と言われるコロナ禍に対する戦いは、コロナと共に生活することになり、これからもしばらく続くことでしょう。毎日の生活の中で、様々な新しい問題が起こってくる、将来に対する不安がある、新しい知恵を求められる、どうして良いかわからない等々のことが起こってきます。

様々な制限がある中、神さまの前に静まり、イエスさまとの関係を点検する、再構築する機会にしていくことが大切です。全知全能の主に頼る、私たちの最大の武器“祈りについて”考えて見ましょう。

「求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば、見出します。たたきなさい。そうすれば、開かれます。」(マタイ7章7節)

この箇所では、“祈りの積極的な励ましと命令”が与えられています。根気よく、あきらめないで、忍耐強く祈ることが勧められています。なぜ、祈らなければならないのか?それは、神がわたしたちの求め、願いをご存知ないからではありません。

神は全能の主でいらっしゃるので、私たちの求める以前から、必要なものをご存じです。神は本当に必要を感じてもいない者に、無理強いをして与えることをなさらないのです。“祈り求める”ということの意味は、私たちにとって、それが本当に必要だということ、それを与えて下さるのは、天の父なる神であるという信仰の表明です。

天の父なる神が与えて下さるのだという信仰が必要で、「求めよ」「探せ」「たたけ」と三度違った言い方で強調的に教えておられるのです。

「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7章8節)

主イエスは、約束してくださいます。主イエスを信じて、やってみようと求める、探す、たたくのです。自分にとって何が必要なのかがわかっていたら、それを求めれば与えられます。何が必要なのかが良くわからない時には、熱心に探し続ければ、見出すことができるのです。

私たちにとって、切実な祈りであれば、途中でやめたりせず、祈り求め、続けましょう。そのことがとても大切です。私たちは、祈りを通して、神の光に照らされ、求めるものが与えられ、生きる力が与えられ「よし、やるぞ、やってみよう」と一歩を歩み出す者となれるのです。「切実に祈り求め続ける」そのようなものにしていただきたいと思います。

2020年9月21日 小坂圭吾 

2019年11月13日水曜日

祈り「継続は力なり~苦難は忍耐を」


日本のカルタ・花札
小野道風 と雨蛙

正月に家族が集まりますと、時に、子供のころに良くやった“花札遊び”をします。花札は、昭和の時代に日本の家庭には一組くらい置かれていたものですが、トランプをはじめ他の室内遊戯に席を譲ってしまいました。

花札は、1月から12月までの季節に花鳥風月の画をあしらった、美しい日本のカルタです。下の写真は、この花札の中の一枚で 11月を表す)と言い、柳に小野道風 (おののどうふう)と雨蛙(あまがえる)が描かれています。

小野道風 は、平安時代の名筆家の一人にあげられ、書家を目指して、子供のときから師匠のもとへ一日も休まずに通いました。「姿勢を正しく、筆はまっすぐに持ち、字の一点一画にも心をこめて書きなさい」と教えられ、手習いにはげみますが、何年通っても、自分の字に自信を持てません。

花札・柳

「もうだめだ。書家になれる見こみはないのでもうやめよう」と心に決め、雨がしとしとと降る中を師匠の家から帰って行きます。道すがら、一匹の雨蛙が柳の枝にとびつこうとしているのを見かけました。


柳の枝は、風に吹かれて揺れ、蛙はぴょんぴょんとび上がっては落ちてしまいます。道風は、くり返しとび付く蛙の姿を見守り、あきらめるだろうと思った次の瞬間、蛙が柳の小枝にとびつき満足そうでした。

「そうだ、自分もあきらめないで続けよう!」こう心に誓った道風は、筆を取り直し、やがて日本一の書道の大家になったとのことです。

柳に届かずとも継続中

あきらめないで続けることの大切さは、言うまでも無いことです。私の場合、柳の枝に飛びついたり落ちたりで、いまだに継続中が英語です。学校教育で学び、大学時代には英会話がこれから重要だ!とわかりつつも中途半端で大学を卒業しました。

ビジネスマン時代は、必要に迫られ、英語のマニュアルを読む、英会話も時々習う、英語を使ってのグローバルミーテイングのために宣教師に1年習って磨く等をして、曲りなりにこなしてきました。私にとっての英語は、必要に迫られ、蛙が柳に向かってとびつき小枝にとびのるも、しばらくすると必要が少なくなり落ちてしまうのです。

あまり支障もないので、これも仕方ないな!と自分を受け入れております。それでも数年に一度海外に出かける時は、親しい人と少しでもスムースに英会話が出来るように、“にわか”勉強に励みますが、とてもとても、柳には届きません。      


苦難は忍耐を

途中で投げ出したくなり、悪戦苦闘をした、私のビジネスマンとしての最初の三年間は忘れられません。理工系出身で、就職をして最初の仕事は、コンピューター部門のシステムエンジニアでした。

その頃は初代コンピュターの時代で、当時の職場で使用されていたIBM大型コンピューターはというと、20数年ほど前のパソコン並の性能で、技術の進歩には驚かされます。仕事はきつく、神経の擦り減るような毎日が続きました。出来の悪いのも手伝っていたのでしょう。マニュアルはすべて英語で、辞書を引きながら解読です。

大学で勉強したコンピューターの知識はほとんど役に立たず、先輩に教えてもらいながら、必死について行こうと努力です。仕事もよく分からない状況での孤軍奮闘、徹夜の連続で、あるとき体調を崩してしまいました。心晴れぬ日々が二年ほど続いたでしょうか。必死に聖書を読み、祈る日々でした。

「神様、本当に辛い毎日!!できることなら、この会社を辞めて仕事を放り出してしまいたいです。‐‐‐でも、ここで辞めると生涯負けになりますので、この辛い峠を越えるまでとにかく耐えられるように助けて下さい。」そのように祈りつつ仕事に取り組むこと三年、気がつくと何とか一人前になっていました。

石の上にも3年、辛い峠を乗り越えてからは心も晴れ、会社を辞めずに仕事を続けることができました。継続してやればものになるものです。今思えば、一緒に苦労し助けてくださった先輩がおられたこと、そして信仰によって支えられ続いたのだと思います。

我々ビジネスに携わる者の間では、このように本当に辛い仕事を乗り切った経験について「地獄を経験した」と言って、その後の人生において大きな宝となっています。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」 (ローマ 5:3-4 新共同訳)

2019年11月13日    小坂圭吾

2018年10月29日月曜日

祈り「交わり~一番大切なこと」


天草・崎津教会(世界遺産)
教会の交わり

私たちクリスチャンが、神の御子イエスキリストの尊い犠牲によって救い出された時、一つの群れの中に加えられました。その群れとは、神の家族である教会です。教会とは、建物の事ではなく(建物は教会堂)、正確には神がこの世から救い出された人々によって形成された群れを指します。

神は、私たちの父親であり、私たちは神の子供となり、他のクリスチャンは兄弟姉妹となり、教会は霊的な家族となります。神の家族の一員になるには、主イエスキリストに対する信仰を持ち、新しく生まれ変わることにより、神の家族に加えられるのです。

なぜ、神様は私たちを一つの群れ(神の家族)とされたのかと言うと、クリスチャンに交わりが必要だからです。クリスチャンの霊的な成長は、交わりの中に置かれている場合と、そうでない場合とは、大きな違いがあります。交わりの中に入っている場合は、その霊的な成長は、実にめざましいものがあります。

関係こそ人生の全てである

私たちの毎日の生活では、人との関係・交わりを後回しにしがちです。しかし、神さまは、“関係こそ人生の全てである”と言われます。十戒は、すべて「関係」をテーマにして、前半4つが神との関係、後半6つが人との関係を扱っています。

主イエス様は、神が最も大切にしておられることを、二つの言葉に要約しておられます。神を愛すること(縦の関係)、人を愛すること(横の関係)の二つです。神を愛すること(礼拝)が人生の第一目的で、第二の目的は、他の人を愛することです。その中でも特に神の家族に属する人々を愛するようにと願っておられます。それは、私たちクリスチャンの互いに対する愛こそが、この世に対して大きな証しになるからです。

神は、私たちが他のクリスチャンと定期的に交わりを持ち、友情を深めることを願っておられます。その交わりの中で、霊的な成長が出来る、愛が成長していくのです。愛は、人間関係の中に飛び込んでいかなければ、学ぶことは出来ません。

交わりを深めていけば、自分とは大きく異なる人等、色々な人に出会います。自分とは肌が合わない人、人の神経を逆なでする人、不完全でイライラさせる人もいますが、そのような人も受け入れ、ゆるし、愛を学ぶのです。


愛を示す最善の方法

「人生において大切なことは、何かを達成することでも、獲得することでもありません。最も大切なのは、人との関係です。神は、“関係こそ人生の全てである”と言っておられるのです。」(『人生を導く5つの目的』リック・ウオレン著)このことを自覚したのは、もう10年余も前の事でした。

人生の最後の瞬間を迎える時になって初めて“私たちは、人との関係こそ人生の全てであった”と悟るようでは遅いのです。昨今、身近な人の重いガンにかかられた話を聞くにつけ、わが身を振り返ります。

この地上で私たちが一生涯かけて学ぶべき最も大切なレッスンが、“人をいかに愛するか”ということです。聖書は、「愛をあなたの一番の目的としなさい」と教えており、私たちの優先事項、最終目標、最大の願いとなるべきことです。

では、愛を最優先事項にしたかどうかをどのようにして見ることが出来るのか?それは、自分の時間をそのことにどれだけ使ったかで見ることが出来る、測ることが出来ます。一緒に時間を過ごす、時間を与えることこそが、人に与える最高の贈り物です。人との関係に時間を投資する、愛を他の言葉でいいかえると「時間」になるのです。

この『人生を導く5つの目的』を読み、「確かにそうだな!」と頭で理解しても、すぐには実行できませんでした。仕事優先であり、人間関係・交わり優先になりません。私と同様に、男性の方はそうではないかと推察します。あれから意識して“一緒に時間を過ごす”ことに留意しています。もう一歩ですが、相手のスケジュールに合わせて一緒に時間を過ごすことに努力を払っていきたいと願います。

《このことについてもう少し学びたいと思われましたら『人生を導く5つの目的』(リック・ウオレン著)第16日をお読みください。》 

20181029日    小坂圭吾

2018年7月25日水曜日

祈り「あかしする~リンカーン大統領のあかし」


猛暑の箱根・芦ノ湖
あかしとは?

あかしとは、神さまが私たちの上になして下さった御業を、他の人々に語ることです。自分を救いに入れて下さった救いの御業をはじめとして、私の身の上になして下さった“恵みの御業”をお話しするのです。私達は造られ救われたもので、神に依存し、救いの恵みを頂いたものです。

“恵み”の意味は、それを受けるに値しない者ですが、私達の努力なしで頂いたものと言う意味です。あかしは、私たちの“霊の運動”です。

その恵みの御業を思えば、他の人にぜひ聞いてほしい、紹介したくなるのです。あかしとは、「証し」と書くごとく「証拠立てる」という意味です。キリストが私の身の上になして下さった御業を証拠立てる、キリストを紹介することに他なりません。 

あかしの役割

あかしは、自分の霊性を高め、霊性の成長を促すとともに、生ける真の神さまを知らない人々に伝える、神の救いの御業の一環に預かることです。これは、クリスチャンの特権であり、あかしがこの役割を果たすのです。

キリスト教は、御利益宗教ではありませんが、神さまを信じて良かったことは沢山あります。先日、礼拝で説教された「キリスト教の利点」についての内容をリストアップします。(尾山令仁牧師説教より)

①人を恐れなくなる ②心配事が少なくなる ③死に対する恐れがなくなる
④生きがいが与えられる ⑤自分自身がよく分かるようになる ⑥反省心を持つようになる、そして人生の生き方の方向転換をする ⑦人間関係がよくなる ⑧人間として成長する ⑨思い煩わないようになる ⑩怒りの問題が解決できる ⑪ほかの人と和解できる ⑫人を赦すことが出来るようになる

救いに入れられた私たちは、これらの事柄を体験しているのです。ですから、多かれ少なかれ、証し出来る題材が与えられているのです。



先月、しばらくお休みをしていた我が家での家庭集会を再開、クリスチャンをはじめ、キリスト教の集会は初めてという未信者もお招きしました。賛美して後「自己紹介を何でも自由にして下さい」と言って、3~4分ほどの自己紹介をしてもらいましたが、クリスチャン全員が、救いの証も入れて自己紹介されました。救いの経験を一人でも多くの人に伝えたいとの願いから、自然にこのようになったことでしょう。

リンカーン大統領の証し

リンカーン大統領は、彼が生まれて200年余になり、アメリカで歴史上最も尊敬できる人物として、愛と尊敬を受けています。彼は、死んでもその業績と指導力、人格を通して、クリスチャンとしてキリストを証ししているのです。

リンカーンの生涯は「失敗と不幸」という文字を嫌というほど味わう、実に多くの困難と挫折の人生でした。9歳の時に母を亡くす、19歳で姉がこの世を去る、26歳で婚約者が突然の不治の病でこの世を去る、自分の息子を亡くす(40歳の時次男・53歳の時三男)、事業に2回失敗して借金返済に17年を要す、州議会議員/下院議員/上院議員/副大統領選等の大小の選挙で7回も落選の苦杯を飲む。

彼は、大統領になるまでに多様な職業を経験~農夫、船乗り、土木作業員、商売人(店員)、軍人(民兵大将)、郵便配達員(局長)、測量士、弁護士、政治家(州議会議員、下院議員)、そして大統領です。

これらの失敗と不幸、多様な職業経験は、政治家として国民に仕える時の助けになりました。彼は、「決してあきらめない!」のです。南北戦争、奴隷解放の戦いにおいても、七転び八起きの信仰により、困難が訪れるたびに慰めと力を得る聖書のみことばを愛し、全てのことが働いて益となることを信じたのです。

彼は、語っています。「私は、他の人たちよりも多くの失敗を経験しました。私は失敗するたびに失敗の中に込められている神さまの御心を学び、それを飛び石として活用してきました。サタンは、『もうお前は、これで終わりだ』とささやきましたが、神さまは、私が失敗するたびに『今回の失敗を教訓として、さらに大きなことに挑戦しなさい』と言われました。私は、サタンのささやきより、神さまの声に耳を傾けたのです。」

主なる神さまは、天地の創造主、全知全能のお方、偉大な霊の医者であり、私たちになして下さった体験を、大いにあかし出来る特権を感謝したいものです。

2018年7月25日    小坂圭吾