2015年12月30日水曜日

代表挨拶「2015年を振り返って」

       
         忘れえぬ羊の歳・2015年      

1年を振り返りますと、早いな!そして様々なことがあったなと思わされます。私的にも色々なことが起こり、当座はどうなる事かと思いつつ、しのぎました。一難去ってまた一難、やれやれと思わないでもありませんが、困難があればこそ、それが主によって恵みともなり感謝なことのみが残っています。「今年は、あの穏やかな羊の歳だったな」と思い起こし、忘れえぬ羊の歳・2015年でした。


ところで、この師走は、なんと暖かい冬でしょうか!地球温暖化の影響が、日増しに感じられる昨今です。時おりしも、国連気候変動枠組み条約・会議(COP21)がパリで開催され、2020年以降の温室効果ガス削減の新たな枠組み「パリ協定」が採択されました。今後の課題は色々あるものの、各国が地球温暖化対策を進めて、現在の最悪の状況を脱し改善されることを祈ります。


教会形成に大切な3つのこと 

3年前の待降節に、代表挨拶で“教会形成に大切な3つのこと”について書きました。今日までこのことを念頭に置きながら、活動をしてきましたが、これらに必要な書籍をさらに整えることができました。


第1の「スモールグループの形成」については、PDJの設立当初から、「小さな交わりやスモールグループ(SG)の活動を、書籍・教材・テキスト等の提供を通して支えていきたい」と願い、ほとんどの書籍や教材が、SGでの使用を考えて編集してきました。加えて、SGにより大きく成長したサドルバック教会の秘訣がわかる「健康なスモールグループが教会を育てる」を発売しています。


第2の「信仰生活の基礎づくり」については、クリスチャンライフシリーズとして4冊シリーズを完結させています。~クラス101「神の家族にようこそ」/クラス201「霊的成長をもたらす4つの習慣」/クラス301「あなたの賜物が輝く5つのステップ」/クラス401「人生の使命を発見する」

これらは、信仰生活の基礎でもあり、使い方によっては応用編にもなり得ます。


今年11月には、2章を加えた42章の増補改訂版「人生を導く5つの目的」を持ち運びやすいサイズにして刊行しました。本書は、信仰の基礎づくりとその後の成長を導く主軸ともいうことができます。


第3の「聖書理解を深める取り組み」ですが、これはいわば神学的な学びに通じるところがあります。聖書の体系的な理解を促す本として、「キリスト教信仰の土台」(上、下2冊シリーズ)を刊行しています。聖書の基本教理を11のテーマに分けて学ぶ、キリスト教信仰の知的理解を促す学びです。実生活への適用を重視しているという意味で、新しいタイプのテキストです。


     S教会・信徒訓練会

 今年は、S教会でほぼ毎月1回信徒訓練会での奉仕をさせていただきました。「人生を導く5つの目的」を使い、毎月1章を共に学び、スモールグループ(SG)で分かち合いをするものです。最初の数回は、一方通行の学びでした。がSGで分かち合いをする方が信仰の成長になるとの考えで、最初にその章の要点だけを話し、1グループ4-5人に分かれて、質問について分かち合いをするというやり方です。


この教会は、50年余の歴史ある教会ですが、SGでの分かち合いは初めてでした。当初は戸惑う方もおられたと思いますが、今ではすっかり馴染んで来られ、分かち合いが止まらず時間が足りないほどになっています。


 日本全体では、8000余の教会がありますが、まだまだ、SGの体験をしたことがない教会が多くあるのではないでしょうか。日本で平均的と言われる教会の場合、SGを取り入れて教会形成をしていくことは、それほど難しいことではありません。それによって、教会員同士の交わりが深まり、霊的成長する良い場とすることができるのです。


「人生を導く5つの目的」にこだわることなく、その教会の必要に応じて書籍・教材を選択されて、SGの形成を展開されることをぜひお勧めしたいと思います。(なお、SGの導入についてのご希望、ご相談があれば、気軽にメールでお寄せください。⇒ info@pdjapan.com


来る年も、ぼつぼつ前に進んでいけたらと思っています。この1年にわたる創造主の恵みを思いながら、感謝をささげます。新しい年も、主の祝福をお祈りいたします。

20151230日    パーパス・ドリブン・ジャパン/ロゴス出版社
              代表    小坂圭吾

2015年12月3日木曜日

感謝「人生を導く5つの目的(1)」

     十年一昔(じゅうねんひとむかし)

「十年ひと昔」という便利な言葉がありますが、十年という年月を一区切りとして考えを思いめぐらすのに良い言葉です。最初の『人生を導く5つの目的』を刊行した20045月頃は、この本が今後どのようになるかを予想もすることもありませんでした。神様が後押しされるままに、原稿の練り直し、編集・校正をする一方で、PDJを設立し、出版にこぎつけたように思います。

当時、全米ではあっという間にベストセラーになり、1000万部を超えたという数字は、日本では、驚き以外の何物でもありません。「パーパス・ドリブン・ミニストリーの仕事は、いつまで続けることになるだろうか?」と発足してまもなくスタッフと話し合ったことがあります。「最低でも5年、ひと仕事やり遂げるとなれば、10年は必要だろう。とにかく継続は力、日本に土着するには、やり続けることがぜひとも必要だろう。」今日まで、この本が多くの人々に愛読されてきたことを喜び、感謝しております。

増補改訂版

今回、増補改訂版『人生を導く5つの目的~自分らしく生きるための42章』をお届けすることになりました。ほぼ2年前から、増補改訂版を出すことを企画し、新たな2章についての訳文を練り上げ、かつ最初の40章についても訳文を見直しました。
 
10年も経過しますと、言葉の使い方が変わったり、もっとわかりやすい表現にしたりと改善点がいろいろあり、筆を入れたものです。かつ、サイズも一回り小さくして持ち運びしやすくしました。

PDJのスタッフ及び関係する方々には、英語に強い方が多く(翻訳出版業ですから当たり前?)、私が一番英語に弱いのではないかと自覚しています。しかし、年の功も重ねた私の場合、英語力は弱くても日本語にはそれなりに強いので(?)、翻訳出版業ではお役に立っているかと思います。日本語に強いことは、翻訳された文が、読者に読みやすいかどうか、わかりやすいかがとても気になり、その観点から校正するからです。
 
先日、ある聖霊に関する本を読み、とても教えられました。著者の方は、世界的に著名な素晴らしい方ですが、その本の翻訳の所々が、少しばかりわかりにくく、これを直せばもっと良いのにと思わされました。これは、PDJを出版する際に、私たちが自戒している事柄です。

追加の2章

世界的なベストセラーと言われるこの本は、米国の版元によると、翻訳された言語は85か国語を超え、旧版、新版、訳本の全てを合わせると全世界で8千万部以上も読まれているとのことです。本書に対して、一部には敬遠される方もあるかと思います。その気持ちも十分に理解できます。
 
最近では、当初敬遠された方が本書を読む機会を得られ、信仰生活が新たにされた、やはり読む価値があったのだという感想も聞かれるようになりました。

今回、追加された2章は、神の目的に導かれる人生の妨げになる二つの罠を取り上げています。「ねたみの罠(他の人のようになりたいと思うこと)」と「八方美人の罠(他の人に喜ばれたいと思うこと)」です。私たちにとって、人との関わりの中に生きていく中で、どちらも身に覚えのある落とし穴であり、人生の妨げになる罠であろうと思います。少し気づきにくいのですが、よく考えてみますと、誰しも陥りやすいものなのです。

新たに追加されたこの2章は、最後を締めるにふさわしいテーマであり、心にズシンとくるものがありました。神の目的のために生きる私たちにとって、多くの人々を神の目的から引き離してきたこの罠に、特に留意が必要だからです。ぜひ、ご一読いただければ幸いです。

なお、未信者の方、求道中の方に贈り物として考えられる時は、本書の1-7章を特別編集した『人生の目的を探る旅』をプレゼントにされるのが最適です。聖書やキリスト教になじみのない方のために、訳文も工夫して特別編集をしたものです。(続く)

 

2015123日    小坂圭吾

 

2015年11月12日木曜日

聖書の不思議「鳥に聞く~キツツキの話」

キツツキ(アカゲラ) (出典:ウイキペデイアより)
          獣や鳥に聞いてみる

創造主が天地を造られたことについて、聖書の中のヨブ記では、こんな面白い表現が記されています。「獣や鳥に聞いてみるとよい。彼らが答えてくれるだろう。あるいは、大地や海に尋ねてみるとよい。彼らが教えてくれるだろう。彼らは皆、これらが、主の御手の業であることを知っている。生きている者の命は、主の御手の中にある。」(ヨブ記13:7-10 現代訳聖書)

創造主が造られた獣や鳥の不思議について、私たちは、それほど関心を払っていないかもしれません。毎年、夏になると我が家の庭にも何十となく蝉が羽化するために出てきた穴のあと、その抜け殻があります。夏の風情を彩るあの元気の良いたくさんの蝉、その蝉の死骸を見ることは、ほとんどありません。ほんとに不思議です。

大空を自由に飛び回る鳥、特に渡り鳥は、食糧、環境、繁殖などの事情に応じて定期的に長い距離を移動(渡り)しますが、数百キロも旅をするそうです。夏鳥の代表にツバメ、冬鳥の代表にハクチョウ、知床で見られるオオワシがいます。
 
子供のころ、田舎の実家の軒先に巣を作るツバメのために、春先から夏の終わりまで、玄関先を開けておくとツバメが巣を作りました。ツバメは、特有の帰巣本能によって、同じ町、同じ軒下の巣に帰ってくるそうで、帰ってくる確率はとても高いとのことです。この渡り鳥ですが、その実態はまだ研究途中だそうです。

     キツツキこつこつ

子供のかるたに「キツツキこつこつ木をつつく」があります。子供と一緒にかるた取りの時、何度も読み上げた言葉ですが、そのキツツキの不思議について、ご紹介します。

「キツツキが木を激しくつつく時の威力は、信じられないほどのもの!キツツキの首には重力の何千倍もの負荷がかかり、ロケットの発射時に宇宙飛行士にかかる負荷の250倍に匹敵するとのこと。なぜ、これほどの衝撃に耐えられるのか。どうしてキツツキの脳は、飛び散ってしまわないのだろうか。
 
キツツキがこのような途方もなく、激しい振動に耐えられるのは、神の特別な知恵によるのだ。キツツキの頭部、くちばし、頸部が特別仕様で造られている。キツツキの頭骨は、とても丈夫に造られ、くちばしは、他の鳥類以上に強靭なノミのような形をしている。そればかりか、木を彫り出した木くずが、鼻孔に入らないような仕組みになっている。
 
また、くちばしと頭骸骨の間にスポンジのような組織があり、これが木を叩きつける時の衝撃を緩和している。この衝撃緩和装置は、極めてよくできているため、科学者たちの間でも、どんな人間の発明もこれには及ばないと言われている。加えて、
 
キツツキの頭には特別な筋肉がついていて、木を叩くたびにそれが頭蓋骨をひっぱる役割を果たしている。見事に調整された頸部の筋肉を備えることにより、頭がよじれてしまわないようにデザインされているのである。」
(注)『キリスト教信仰の土台(上)第9章 創造(Ⅰ)』(PDJ刊)より一部を抜粋 

キツツキが木をつつく目的は、巣穴を作るため/木の中にいる虫を食べるため
/音によってコミュニケーションを行うためと言われています。木をつついている様子を見たことはありませんが、このデザインされた複雑さには、おどろく以外にありません。自然の驚異によってこのように出来た、進化したとの説明は、とても納得のいくものではありません。

キツツキの精巧なつくりは、創造主のおどろくべきデザインによるのであり、そこに創造主の偉大さが余すところなく、表現されているのです。地球上の生物を注意深く観察するとき、創造の美しさに触れることができます。

「獣や鳥に聞いてみるとよい。彼らが答えてくれるだろう。~~~~彼らは皆、これらが、主の御手の業であることを知っている。」との聖書の言葉が、心に迫ってきます。 

20151112日    小坂圭吾

2015年10月14日水曜日

聖書の不思議「ノアの洪水その証拠~グランドキャニオン」

           
          創造科学探査

先日、創造科学専任宣教師イ・ジェマン師の“創造科学探査の現場で創造主をほめたたえよ!”の記事(リビングライフ7月号)を読みました。創造科学探査は、グランドキャニオン地域を中心に、神様が聖書に書かれてあるとおりに行われたという事実を、その証拠を通して学ぶプログラムで、15年間で約300回も行われたそうです。

グランドキャニオンと言えば、私も約20年前に訪れた記憶がよみがえります。アメリカのロスアンジェルスに行った時に、ぜひ見たいなと、ロスから飛行機で日帰りのツアーでグランドキャニオンに行きました。その雄大な景色を見ながら、これこそ神様の造られた足跡なのだろうと思いながら楽しみました。
 
その時の日本人ガイドは、コロラド川の水がゆっくりとした速さで岩石を削ったと最も一般的な説明をしてくれたように記憶しています。「そのようなことで、この景色が出来るかな?無理な話ではないか!」と景色は素晴らしくとも納得のいかない説明であったなとの思いです。その時は、ノアの洪水との関係については考えが及びませんでした。

       創世記のノアの洪水

ノアの洪水についての聖書の記事は、創世記6章から8章に書かれています。求道中にこの箇所を読んだとき、神話とは思わず、不思議な話だなと思いました。神を信じてからは、天地創造の神のなさることですから、それはありうることだと受け止め、その通りに信じています。

ナイアガラの滝やロッキー山脈やカナダの雄大な自然、グランドキャニオンを見るにつけ、神の造られた自然の素晴らしさには、ただ感動です。長い間、残念ながらノアの洪水との関係は、考えも及びませんでした。

創造主訳聖書刊行委員会の働きに参加させていただくことがきっかけで、創造論について学ぶことが多くなり、「創世記の洪水コンサート」(イ・ジェマン著、宇佐神実監修、上田あつこ翻訳、Duranno Japan発行)を読む機会が与えられました。創造について確信がない人に、「地」が告げる創造の明らかな証拠と本の帯にあります。
 
私は、創造主が存在すると理解して信仰の入り口に立ち、やがて信仰に入り信仰の確信を持ちました。この本を読んで、私たちが目にする地形は、概ねノアの洪水によって形成されたと知ることは、神様が天地を造られたと得心がいく事になります。「創世記の洪水」は、まさに歴史的な事実としてその証拠が次々に示され、いかに進化論が虚偽の仮説であるかを知ることが出来ます。

 

聖書のノアの洪水の航海日誌を絵にすると、下記の通りです。


          グランドキャニオン

ノアの洪水の確かな証拠を明らかに見ることができるのが、このグランドキャニオンなのです。グランドキャニオンは、コロラド高原(アメリカ大陸の内陸西部の高く平らな高原地域)を縦断するまさに巨大な渓谷で、長さ446㎞、幅は広い所は30㎞、海抜は1500ⅿから3300ⅿに達する高原を深く削った渓谷です。渓谷の最も深い所で、1.8㎞にもなり、渓谷の上から見ると褐色のコロラド川が流れています。私が立った岩の上から谷底まで、1000メートルもあると言われると足がすくみます。

グランドキャニオンの形成過程は、地球物理学の教科書や科学雑誌には“長い歳月にわたる浸食作用によって削られ続けて出現した”と書かれ続けています。

しかし、最近の地質学者たちは、そのように考えてはいません。20006月に、グランドキャニオン村で、コロラド川の起源に関する前例のない大規模な会議・シンポジウムが開かれ、70人以上の地質学者が参加しました。
 
結論は、“長い歳月にわたる浸食作用により出現した”とは全く異なる解釈で、「今日では決して起こりえない大激変が原因であった」という事実に同意したのです。グランドキャニオンの深い渓谷の削られ方は、ゆったりとした流れによっては不可能であり、極めてまれな大規模の洪水によってのみ可能であると結論付けたのです。

グランドキャニオンの形成されたプロセスを、地層、化石等の調査から得た証拠をもとに説明を聞きますと、“創世記のノアの洪水が歴史的事実であることが良くわかります。

創造を信じる科学者たちは、世界の地層や化石を調べて、大洪水が起こったことを裏つける証拠を次々と発見しています。カナデイアンロッキー、アンデス山脈、アルプス山脈、ヒマラヤ山脈、エチオピア高原等々です。 

最後に、この「創世記の洪水コンサート」を読むと、聖書に書かれている天地創造の真実に確信を持つことができ、進化論が単なる仮説、理論にすぎないことを理解することができるでしょう。とても楽しく読むことが出来ますので、一読を心からお勧めします。私は、いつかチャンスがあれば、もう一度、グランドキャニオンを訪問し、創造主の造られた足跡をたどることができればと願っています。 

20151014日    小坂圭吾

 

2015年9月14日月曜日

聖書の不思議 「聖書に真っ向から反対した人~ベン・ハーの著者」

             

        
         小説『ベン・ハーの著者

かつて、聖書に真っ向から反対した人の話を何度か聞いた覚えがあります。名前はすっかり忘れていましたが、彼は、本気で聖書に反対する気持ちでいろいろと調査・研究をすると、聖書の真実性を裏付ける証拠がたくさん出て来て、否定できなくなってしまいました。ついに、彼自身がクリスチャンになってしまったというお話。この話を聞いてから、聖書に反対するならば、“真っ向から中途半端でなく取り組んでほしい”と勧めることだと思わされました。

その本気で反対した人の名前は、ルー・ウォーレス(1827~1905)。彼は、弁護士、州知事、南北戦争のときの北軍将軍、アメリカ合衆国の政治家および著作家であり、歴史小説『ベン・ハー』を書いたといえば、名前を知らなくても最も良く記憶されていることでしょう。

     徹底した無神論者の回心

彼は、徹底した無神論者で、聖書を読んだこともなく、キリスト教に敵対する感情を抱いていました。その彼が友人たちの前で「私はキリスト教を抹殺するために、キリストを否定する本を書くのだ。」と誓いました。
『ベン・ハー
彼は、キリスト教を攻撃するためだけに聖書を読み始めます。聖書には、多くの間違いがあるに違いないと期待して、読み始めます。一心不乱に、疑いの思いを持ちながら読んでいくのです。数年にわたり、彼は夢中で聖書を読み、アメリカやヨーロッパの図書館を回って山のような資料を集め、研究を続けました。資料を集めて調査をすればするほど、聖書の真実性を裏付ける証拠がたくさん出てきて、否定できなくなってしまいました。

旧約聖書をすべて読み終え、間違いを発見することができないことが、やがて自分の考えに対する疑いへと変わっていきます。彼の心に、予期もしない変化が起こり始めたのです。

続いて、彼は新約聖書を開き、読み始めます。イエス様が残酷な十字架にかかられる場面で、彼はついにくずれるように倒れて、神に祈ったのです。「イエス様、あなたは間違いなく神の子、私の救い主です。あなたを信じます。」

ジェームス王欽定訳(日本聖書協会より引用)
彼は、心から神を信じたのです。 “神を信じるクリスチャンは、くびきにかけられているのだ”と、彼は思っていたのですが、そこには、本当の自由と喜びと解放があることを知ったのです。

神の愛に感動する

神様の愛に感動し、キリストを信じる者となったルー・ウォーレス、このお話を聞くとほんとに感動しますね。聖書がいかに真実な書であるかが、彼の人生を通して、鋭く迫ってきます。これで終わりではなく、彼は、それまでキリスト教を抹殺しようと書き始めていたペンを折ります。聖書を否定する本を書くために集めた資料をもとに、今度は、イエス・キリストをあかしするために本を書く、それが、神様が新しくして下さった心によって書いた「ベン・ハー」です。 

新しく造り変えられたルー・ウォーレスは、それまでの輝かしい経歴であった自分の人生(それは徹底した無神論者、神を恐れない人生であったのですが)を、主によって導かれ、神様のために働く人生へと舵を切り替えたのです。

彼が書いたイエスキリストの愛と赦しを描いた作品は、ルー・ウォーレス自身の人生を重ね合わせたものかも知れません。4回も映画にもなった不朽の名作を通して、多くの方々をイエス様のもとへと導いています。


2015年9月14日    小坂圭吾

2015年8月8日土曜日

聖書の不思議「太陽が運航を止めた~消えた一日」

     
箱根大観山より芦ノ湖を望む

     聖書は神のみ言葉
聖書を読んでいますと、「神のみ言葉」であると信じていても不思議な事だなと思うところがいくつかあります。神様のなさることなので、それが真実であろうと受け止めているところが、科学の発展により、その奇跡の証拠が示されますと、「やはりそうだったのだ。聖書の言葉は確かだな。」と感じるのです。

今回取り上げるのは、“まる124時間太陽が運航を止めた”という聖書の記述です。具体的には、次の通りです。 ヨシュア記101214節、ヨシュアが主に大声で祈ると、イスラエルの民が敵を絶滅してしまうまで、太陽はほぼ1日天にとどまったままで、動かなかったとあります。②Ⅱ列王記20章8‐11節、ヒゼキヤ王の要請に従って、預言者イザヤは、日時計が10度あとに戻ることを祈ると、主はそうされたとあります。

この二か所を読むと、主は不思議なことをされるものだと思います。

     消えた1

アメリカのインデイアナ州の新聞『勝利の生活』に「どうしたら消えた1日を見つけることができるか」というタイトルの記事が掲載されました。

1960年代の始め、アメリカ大統領の命令により、月に人間を着陸させるための研究が、NASAで盛んに行われていました。月に着陸する時間を計算するために、宇宙科学者たちは、今から100年後、または1000年後の太陽と月、または星の位置を知るために徹底した計算をしなければなりません。
 
それまでに発見されている小惑星や遊星の軌道を計算し、人工衛星を打ち上げたときにそれらがぶつからないようにするためです。

ある日、科学者たちは、正確な時間を測定するために過去から未来までの時間を細かく区切ってコンピューターを作動させていた時、突然、コンピューターが止まったのです。時折、入力した資料に問題があるとか、出力された結果がほかの値と大きな誤差がある場合、コンピューターが止まることがあるのです。

札幌大通り公園の日時計
コンピューター技術者が言うには、「コンピューター自体には、何の問題もなく、正常です。コンピューターのプリントアウトによると、過去のどこかで、24時間がなくなっていると出ているのです。」全員で、資料を再検討し再入力もしてみるも、結果は、同じでした。論理的な説明や解答を見つけることができません。

みんなが困り果てていると、クリスチャンである科学者の一人が次のように言いました。「私が日曜学校に通っていたころ聞いた話ですが、旧約聖書の時代に太陽が一日止まったというのです。」みんなは半信半疑でしたが、聖書の内容を確認してみました。
 
それが前に記した①ヨシュア記101214節です。聖書に出てきた事件を参考に計算してみますと、ヨシュア記で太陽が止まっている時間は、ほぼ1日で、23時間40分でした。まだ説明できない40分が残っていました。

みんなが頭を抱えていると、クリスチャンの科学者が、別の聖書の箇所②Ⅱ列王記20章8‐11節を思い出したのです。10度とは、正確に40分を意味します。

  と②を合わせると、宇宙科学者たちが説明できなかった“消えた1日”を、正確に説明することができました。

     半信が事実に!

この記事を読んだときに、当然ながら、「聖書の記事は事実だったのだ!」と感動しました。私は、聖書記事については、神様のなさることだから真実であると信仰的にそのように受け止めています。半信半疑ではなく、疑ってはいなくても半信だった部分もあるかもしれません。このNASAの宇宙科学者たちは、“消えた1日”を聖書の中で奇跡的に見つけて喜んだように、私も大いに喜びました。

実は、この記事は、「I LOVE 聖書」(ジョン・クアウン著、小牧者出版)より引用させていただきました。聖書を愛する方々には、ぜひお読みになることをお勧めします。聖書に対する視野が、さらに大きくなることでしょう。

20158月8日    小坂圭吾

2015年8月7日金曜日

聖書の不思議「キリスト教の前提は何か」




      人は猿から進化?

中学生の時でしたか?学校の先生から“人の進化についての図”を見ながら説明を聞いた覚えがあります。「へえ、そうなのか??人が猿から進化したとは、ほんとかなあ?」それ以来、それらしき進化の話を聞いたこともなく、信じることもありませんでした。
大学生になってキリスト者学生会(KGK)主催のキリスト教講演会に導かれ、「人生とは何か?を探求しよう」と教会に行き始め、聖書を真剣に読み始めました。

最初に疑問になったのが、「科学とキリスト教は、衝突をするのではないか?」ということです。「科学とキリスト教について」色々と本を読みました。理性でわかることには限界があり、その理性の限界を超えた世界がある。時間に対しては永遠、有限に対しては無限、相対に対しては絶対という世界がそれです。

理性を超えたこれらの世界は、想像することは出来ても、それで止まってしまいます。人間の理性を超えた世界を知ろうと思えば、そちら側からの啓示による以外には手がありません。神の啓示を前提にしなければ、私たちは、何も知ることが出来なくなるのです。

    キリスト教の前提

自然科学においては、普遍的原理と仮説を前提にしています。この前提は、要件として存在的、肯定的、限定的でなければなりません。その前提が正しいか誤っているかを決するのは、その前提から導き出される結果が、適切に説明されているか、正しく当てはまるかどうかということです。 
    

ちょっと難しい話になりましたが、要は、キリスト教にも前提があり、この世界を創造された唯一の神がおられ、その神が、私たち人間を救うために示されたイエス・キリストによる救いの啓示が聖書であるということです。
したがって、創造主なる神がおられて、神が啓示された聖書の教えを人間に当てはめてどうなるかを見ることにより、この前提が正しいかどうかを判断するわけです。科学によって、神の存在、創造主の存在を証明することはできませんし、これからも証明されることはないでしょう。

科学によれば、神が存在する・神がこの世界を創造されたという「理にかなった証拠」を提供してくれます。しかしながら、神の存在を信じられるかどうかは、「信仰の問題」になるのです。

                            
私が見出したこと


私は、“この天地を創造主が造られた!”という前提に基づいて、この世界の起源をより適切に説明しているかどうかを調べ考えてみました。いろいろと本を読み調べました。これは、それほど難しいことではなく、この宇宙と自然界そしてこの人間の構造をつぶさに知ると、それは驚き以外の何物でもありません。

これは、早くに理解をすることができ、この世界の背後にデザインをされた方がおられることを素直に認めました。信じるというより、創造主がおられることを見出したのです。この時は、大学の勉強よりも聖書を読み、これらのことを調べることのほうが楽しく夢中でした。学校では、ほとんど教えられない壮大かつ神秘な世界を探求し、それも事実としてわかっている身近な事柄ばかりなのです。そのことに夢中で大学1年生の学業成績が芳しくなく、父に代わって兄から電話でひどく叱られました。(翌年から、学業成績はかなり取り戻しましたが!)           

創造主なる神が、私との関係でどうなのか、神さまを信じるとはどういうことか?「聖書は、人が人として正しく歩んでいくことを導いてくれる書物」であることはわかりますが、私の救い主を信じることがわかりません。ともかく、聖書をしっかり学ぶ、何か真実があるのではないかと求道する姿です。

教会やKGKの集会に出て聖書を読み学び、色々な本を読み漁り、やがて、この真実な道にかけてみるしかない、飛び込んでみないとわからないのではないかと導かれたのです。日曜日の礼拝の時に「この道にかけてみよう!」とイエスキリストを私の救い主として受け入れる信仰へのジャンプをしたのです。「人が人として生きる道が、そこにはある」と求めて見出したのは、全くの恵みによることです。
      
2015年6月15日    小坂圭吾


2015年5月14日木曜日

歴史探訪「備中高松城・水攻め」



ローカル線・JR吉備線
3月下旬、岡山へ12日の出張でしたが、早くに仕事が終わり、このまま帰路に着くにはもったいないと岡山観光案内所で手軽に行ける良い場所を案内してもらいます。豊臣秀吉の水攻めで有名な“備中高松城”にいざ出発です。

岡山駅からJR吉備線に乗車、2両編成の電車の座席はほぼ満席で、ローカル線としてはにぎやか。おじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃんの顔を見ながら、やはり岡山の顏だなと、岡山県人には不思議とそれなりにわかるのです。

のどかな車内と車窓を見ながら20分あまり、「備中高松駅」で下車。駅前の看板地図を見ていると、そこへ数人の高校生の人が通り、「備中高松城へは、どのようにいけばよいの?」と聞いてみます。自分で行った経験がないような返事ですが(若い人たちには関心が薄い?)、言われた方角に歩くとやがてはっきりわかる地図あり。

更に10分歩くと、前方から中高年10人ほどのウオーキングの一団で「もうすぐですよ。この先を左です!」やはり中高年の方が確かです。

備中高松城・水攻め


1582年に織田信長の家臣・羽柴秀吉が、毛利氏配下の清水宗治の守備する備中高松城を攻撃します。

お城の周囲は沼地に囲まれ難攻不落で、黒田官兵衛の策により、城を大規模な堤防で囲み、折しも梅雨時で川の水をせきとめた堤防内には水があふれ、城は見事に水没、世に言う「備中高松城・水攻め」です。

平坦な低湿地の中の城に、数千人もの兵士らが籠って持久戦になったとは想像できません。水攻めの最中に、織田信長が討たれる本能寺の変が起き、秀吉はただちに和睦を結び、城主清水宗治は、「自分が切腹をして家臣の命が救われるならば」と承諾します。

浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句には、この気持ちが読み取れます。秀吉は、宗治を武士の鑑として賞賛したと言われます。
    
のんびり一人旅
初春の陽気に誘われながら、お城の跡、当時の堤防図、城主清水宗治の辞世の句と彼の墓等を見ながら、のんびりと散策しました。駅に戻る途中に少し大きなスーパーがあり、コーヒーも飲めそうなので立ち寄ります。

地元の人々が34人集まってコーヒーを飲みながら談笑しています。買い物に来た地元の人がそこの輪に入り、談笑して立ち去っていきます。2030分ほど、ぼんやりと彼らの話や光景を見聞きしつつ、都会では見られないなとうらやましい思いがしました。

のぞみ号の自由席に乗って帰路に、途中から乗ってきたお隣の方とお話をすると、何と旅行会社に勤めておられ、旅の秘訣を色々と耳学問することもできました。

半日のんびりとした時間でしたが、短時間であったとはいえ、見知らぬ土地を一人気ままに歩いて、精神面のエネルギーを蓄えることが出来ました。黒田官兵衛がどのような思いでこの土地をまわり、高松城の水攻めをやる策を考えたのか、彼の心を推察したりもしてみました。

全身の神経細胞も刺激され、心も体も大いに力をいただいた気分でした。人々とふれあいや見聞の喜びを実感し、感謝な一人旅でした。

2015514日    小坂圭吾