2016年12月24日土曜日

代表挨拶「2016年を感謝して~電子書籍に取り組む」

トランプ現象 

今年、世界中の多くの人が驚いた事と言えば、アメリカ大統領にトランプ候補が当選したことでしょう。大統領選挙の数日前までは、私自身「アメリカ国民の半数近い人々は、どうしてこのトランプ候補を応援するのだろうか?」と不思議に思っていました。選挙の行われる数日前、NHKスペシャル「揺らぐアメリカはどこへ?混迷の大統領選挙」の番組を見てわかりました。

この番組を通して、“トランプ現象”は、グローバル化に翻弄される白人労働者の現体制への“抵抗”、格差是正を訴える若者たち、反移民感情の高まり等々、アメリカの地殻変動が起こりつつあることを理解しました。従って、それ以降のアメリカの動きには、さほど驚くこともなく“さもあらん”と静かに見ていたのです。

アメリカの実情を知らなければ、このようにはできなかったなと思わされます。これから、トランプ新大統領が世界のリーダーとして、正しい判断のもとにその職務を遂行していかれることを祈ります。

電子出版市場の進展

ところで、電車に乗った時、それとなくスマホ、タブレット、携帯、PC等を見ている人、紙の本を読んでいる人を数えることがあります。私のように紙の本を読んでいる人は、約1~2割程度で、この45年で一気に電子出版が普及したことが感じられます。そういえば、トランプ新大統領もツイッターを駆使しておられますね。

この数年、電子出版市場は急激な進展を見せています。2015年度の日本国内における電子出版市場は1826億円、内訳は電子書籍1584億円、電子雑誌242億円で、電子書籍の伸びはプラス25%で、ここ数年は20%前後の伸びを示すと予想されています。各種技術の発達に伴い、その領域も拡大し様変わりをしています。

かつては、町の本屋さんが次々と姿を消し、日本人も書籍を読まなくなった?と嘆く声も聞かれましたが、数年前から、紙書籍に電子書籍を足した販売金額は、前年度に対して右肩上がりに伸びているのです。

電子書籍に取り組む

私たちは、数年前から、聖書(現代訳聖書及び創造主訳聖書)の電子書籍化に取り組み始めました。紙で既に発行しているとはいえ、電子書籍化するにあたり内容の面でも改善をはかり、加えて、普通の本とは違って、目次から本文に飛ぶ、何章に飛ぶとか、聖書ならではの必須機能が加わります。

電子技術の進歩も激しいものがあるために、スマホ、タブレット、PCの改定に追いついて、刊行した電子書籍が不具合を起こさないようにしなければなりません。例えば、今持っているスマホ端末を何年後かに新しいものに更新した時、かつて購入した電子書籍が使えないようでは困ります。

そのことを考え、電子書籍化は、“アマゾンキンドル”で購入できるものにあわせて、開発準備をしております。それは、端末の進歩・機能の変化に追随してくれるからです。

年明け後まもなく、尾山令仁訳・現代訳聖書(新約聖書)の改訂新版を刊行すべく、アマゾンから購入できるよう準備中です。この後、旧約聖書について改定新版・電子書籍、そして改訂新版・現代訳聖書(旧新約聖書)の紙書籍を順次出版することができればと願っています。

前のものに向かって

尾山令仁先生は、厚木市で開拓伝道を始められ、厚木聖書キリスト教会を牧会されていますが、私も今年からその開拓伝道のお手伝いをさせていただくことにしました。日本の教会は、全体としては弱くマイナーであることは否定できません。

ですから、いつも開拓の精神をもって前に進む気概が必要です。神学校を卒業して第二の現役を始めるにあたり、小さい教会、弱い教会のお手伝いをするのが私の役割ではないかと考え、そのように奉仕をしてきました。弊社も同じように、小さく弱いミニストリーの一つです。

「ただこの一事に励んでいます。‐‐‐ひたむきに前のものに向かって進み、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3・13~14)

このパウロの姿勢に倣いながら、前のものに向かって、来年も新たな気持ちで主と共に働きを進めていきたく願います。みなさまのご指導、ご鞭撻を何卒よろしくお願いいたします。

201612月クリスマス

        パーパス・ドリブン・ジャパン(PDJ)/ロゴス出版社
                          代表 小坂 圭吾



2016年11月14日月曜日

コーヒーブレイク「メモを取る」


横浜・みなとみらい
     もの忘れが多くなる

誰しも年齢を重ねると“もの忘れ”が多くなってきます。それは、50代以上の人なら誰しも感じていることではないでしょうか。その一方で、人の名前を覚えるのがとても上手な人がおられるのも事実です。わたしはと言えば、努力しなければ、人の名前が覚えられません。

先日も「あの方は、○○さんですよね?」と記憶があいまいなので、そっと周りの人に聞きましたところ、案の上、間違えまして、XXさんでした。ある日曜日の礼拝で、いつもそれなりにメモを取るようにしているのですが、話のスピードが速くて、なかなかうまくメモを取ることができません。

メモの速度もかなり落ちたなと思いながら、ふと、お隣の方がメモを取っているのをそれとなく見ると、実に上手にメモしてあるのに驚かされました。その人は、メモ上手と言われますが、なるほどと思いました。

     紙とペンと持ちメモする

名前と顔が一致し、経歴等をしっかりと覚えるのが得意な人は、政治家の中に多いと言われます。「いい政治家と教師になるには、相手の名前と顔を一度で覚えることだ」言われるのだそうです。

調べてみますと、平民宰相と言われた原敬は、この点については卓越した政治家で、顔と名前、経歴、誰と誰は仲が良い、悪いまで克明に覚えていたそうです。(田中角栄もそうだろうと推察です。)


その原敬が、東京駅で刺客の凶刃に倒れて、後をついで内閣総理大臣になったのが高橋是清です。彼は首相やめてからも、大蔵大臣としても活躍しましたが、その彼は、健忘症と言われるほど(?)の人だったようです。昭和11年二・二六事件によって、彼は青年将校たちの凶弾によって倒れますが、彼の遺品の中から、過去数十年間にわたるポケット手帳が見つかりました。

高橋是清は、もの覚えが良くないことを自ら知っていて、彼の頭に記憶する代わりに紙とペンを持ち、ポケット手帳に人の名前や起きたことを最大もらさずメモする習慣を身に着けていたのです。首相、大臣として活躍した陰には、このような人の知らない努力があったのです。

     記憶を強化する

記憶を良くする方法について、以前に教えられ実行していること~~“寝る前に朝起きてから寝るまでに何をしたか、できるだけ思い出しながら感謝なことを数える”のです。これだけですが、最初はその日のことが全然思い出せないのですが、数日続けているうちに少しずつ思い出せるようになります。

今では苦労することなく、一日の感謝なことを思い出すことができます。感謝の祈りをして寝ますが、記憶力が高まり、結果として思考力が向上したと思われます。

今考えていることは、忘れることが多いことにあらがうために、今やっていることを強化する(詳しく思い出す)とともに、もっとメモをしっかり取って、大切な情報を生かすように心がけたいと思います。毎日、色々な人に会い、お世話になり、またお世話もしますが、これら関係する人についてのメモの仕方が、ほんとに貧弱でした。

私のスケジュール表をぱらぱらとめくりますと、メモの半分ほどは空欄です。ここに重要な情報をきちんと書いていけば(人に関することが中心ですが)、きっとより良い人間関係を作ることに役立つのではないかと期待できます。まさに外部データーベースの活用です。

こうして、日々の生活に、ミニストリーに、教会生活に役立たせればと願っています。数年後に、その成果が報告できれば、幸いです。



20161114日    小坂圭吾

2016年10月24日月曜日

今を生きる「鈍感になる」


         
沼津御用邸記念公園 
     休暇と言えば2週間

NHKテレビ番組で、オーストラリアへの旅を題材にした英語番組を見ていました。この国では、休暇と言えば2週間は取るのだと知り、日本以外の先進国では、それが当たり前なのでしょう。数年前にカナダ・バンクーバーに10日間旅した時、地元の人に「ちょっと短いですね。次回はもっと長い休暇で来てください。」と言われたものです。

今月、海外からのお客さんがあり、旅人をもてなそうと色々とお世話をしました。彼らは、2週間の休暇を取って日本滞在中に4か所の宿泊先を移動しながら、旅をつづけました。精力的に動いている彼らを見ると、あまり疲れを感じている様子もなく、旅を満喫して帰国しました。

若さの違いもあるでしょうが、なぜだろうかと考えて見ました。少し前に読んだ本で「もっと鈍感になろう」ということを考えていた時でしたので、これと関係するだろうかなと推察しました。

鈍感になる

旅人の彼らの姿は、いい意味で「鈍感になる」ことではないかと思わされたのです。ここでいう「鈍感」とは、にぶいとか、グズグズしているということではありません。鈍感になるとは、小さいことでクヨクヨしない、どうでもいいことで落ち込まない、ちょっとしたことで悩まない、失敗も仕方ないと割り切れる、大舞台でも緊張しないとか~~人生をスイスイと楽しく生きていくこと、自分らしく大らかに生きていくことです。


彼らは、細やかな配慮と感受性も高く、礼儀正しく、それでいて何か大らかでゆったりとした所が感じられます。彼らの人柄をそれなりに知っていますので、この“鈍感”について話題にして尋ねてみました。わかったことは、場合を考えながら選択をしているとの返事でした。ケースバイケースで、うまくスイッチを切り替えているのです。

彼らは、そもそもおおらかでゆったりした面があり、それができるのでしょう。それとなくわかってきたように思われます。私はと言えば、あらゆることに配慮しすぎていると周囲に言われることがあります。ですから、「もっと鈍感になろう」と思索していたのでしょう。


     図太く鈍感に

小泉純一郎元首相が、安倍内閣の自民党執行部に対して「政治の世界では、『鈍感力』が大切だ」と言って、支持率低下に一喜一憂していたことについて“げき”を飛ばしたことがあります。普段あまり「鈍感であること」の大切さを考えたことがなく、今回のことが引き金になり、単に鈍感になるばかりではなく、「神に信頼して、図太く、鈍感な自分になろう」と願わされています。

すべてのことを完璧にやろうとする一般的日本人の強さを、私も少し備わっているようですが、今一つ大らかにゆったりとした生き方が少ないかなと思います。そのわが身を振り返り、小さいことでクヨクヨしない、図太く鈍感に歩んでいけるように、神に助けを求めていきます。


かつて、ビジネス時代に培ったあらゆることを完璧に、時間は守る等の癖が、自分自身と周囲を疲れさせているかもしれません。日常生活の中でも、鈍感になって大らかにゆったりと歩むことを意識してやっていくことが大切です。神に信頼して、神の手の中ですべてをゆだねられる信仰を磨いていけらたと思わされています。



20161024日    小坂圭吾

2016年9月14日水曜日

今を生きる「それ相応の逆境を生きる」


         
                     順境もあれば逆境もあり

人生には、順境もあれば逆境もあります。「順境」とは、万事が具合よく運んでいるような境遇を言い、その逆が「逆境」です。この順境、逆境について何を基準にするのか、その判断は意外と難しい。“災いを転じて福となす”との言葉がある通り、時が経過しなければ判断できないのですが、逆境は、私たちすべてが免れないくらい多くあるものです。


「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」(ジョン・クウアン著、小牧者出版)を読んだ時、リンカーン大統領が、どれほど失敗と挫折を重ねたかを知り驚きました。彼ほど逆境の中でありながらも、偉大な功績を残した人はいないのではないでしょうか。逆境に始まり、逆境の中に働き、逆境に終わった人と言ってよいかもしれません。

母をなくし、次男・三男を失い、事業に失敗(2回)、婚約者を亡くし、州議会、下院、上院、副大統領各選挙に落選が計6回。大統領になっても、奴隷解放、南北戦争のために内外において、多くの逆境と戦う日々でした。オバマ大統領もあこがれる素晴らしい人徳と業績を残す大統領・リンカーン、その挫折そして逆境を乗り越えた力こそが、信仰の力です。

新渡戸稲造という生き方

新渡戸稲造(にいとべいなぞう)博士~~世界的なベストセラー「武士道」の著者、偉大なる教育者、「国際平和の使者」と呼ばれたクリスチャン、旧5千円札の人~~彼の名著「修養」の中に、逆境について書いてある章があります。


逆境・災いには二つの種類があり、一つは自分自身で作る自業自得、もう一つは天の授ける天命、運命である、と書いています。いずれが多いかと言えば、自ら作る方がはるかに多いのです。

博士は、逆境だと思っている人の傾向として、ヤケになりやすい/他人のことを羨(うらや)ましく思う/他人を恨(うら)みやすくなると言っています。逆境に陥った理由を謙虚に自分に求めて、それは自分の責任であると思わない限り、逆境からの脱出はできないと忠告しています。


逆境を好転させるには、それに陥ったならば、これを避けることは悪いことではないが、逆境に耐え忍び、逆境の中から一つの修養の材料を求めて「善用」することを勧めています。人生を肯定的に捉えて「すべて善きこと」として受けて、積極的な生き方をしていこうということです。


リンカーン大統領の顏(右端)

     七転び八起きの信仰

リンカーンは、「失敗と不幸」をいやというほど味わいながらも、それを次の礎石として用いたのです。大統領になる前の彼は、政治家、事業家としての失敗に対して決してあきらめず、失敗という障害物を飛び石に変え、倒れても素早く起き上がり、自分の失敗原因を分析する知恵を、神様に求めました。

リンカーンは答えています。「サタンは、私が失敗するたびに『もうお前は終わりだ』とささやきます。しかし、神様は、『今回の失敗を教訓とし、さらに大きなことに挑戦しなさい』と言われました。私は、サタンのささやきより、神様の声に耳を傾けたのです。」

最後まであきらめないリンカーンは、人生に困難が訪れるたびに聖書の言葉をますます愛し、“失敗も不幸も”神様を愛する者にはすべてのことが働いて益となることを信じました。ですから、ますます謙遜になり、忍耐と強い信仰の持ち主となったのです。


リンカ-ン大統領時代のエピソードは、沢山あります。リンカーンが大統領に就任して最初の演説の時、彼を嘲笑しあざ笑う上院議員の無礼な攻撃に対して、全く不快感を表さず、温和な言葉で受け答えをして、周囲の者に感銘を与えました。/

長年の政敵と言われた人スタントンを南北戦争の陸軍長官に任命したことに、参謀たちは真っ向から反対・抗議しました。リンカーンは語ります。「イエス様は、敵を愛せよと言われました。彼は、もう私の敵ではなく、こうすれば、敵もなくなり、能力のある人の助けを受けることもできるし、一石二鳥ではありませんか?」スタントンは、リンカーンを最も偉大な人物と尊敬するようになったのです。/

南北戦争に勝利した時、リンカーンは次のように告白しています。「北軍の勝利は、祈りの勝利です。私たちは、南軍のロバート・リー将軍のような名将がいなかったことは、むしろ良いことで、祈りによって神様にさらに頼ることができたからです。」 

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
    (ローマ8:28)

 2016年9月14日    小坂圭吾

2016年8月16日火曜日

祈り「祈りの力」


     映画「War Room(祈りのちから)」

先月7月に映画「祈りのちから」を見ました。原題は「War Room」(戦略会議室)、戦争の実戦前に戦略を練り上げ指令する場所のことで、私たちの人生にとっては、それこそが「祈りの部屋」ということで、この映画では、祈りこそが戦いの武器であり、力である事を教えてくれます。

ビジネスマンの夫トニーと不動産仲介業の妻エリザベス、一人娘のダニエル一家。一見幸せそうな家族ですが、夫婦間に問題があり亀裂がある。そんな中で、エリザベスがある日仕事で、家を売却したいという老女クララに出会う。

エリザベスが問題を抱えていると気づいたクララは、彼女に信仰について尋ねる。ここからキーパーソンであるクララおばあちゃんが祈りについて勧める。そのパワフルな指導は、私もエリザベスと共に教えられ引き込まれていく。

クララおばちゃんは、自宅のクロゼットを案内し、そこはおばあちゃんの祈りの場所「ウオー・ルーム」であった。クロゼットの壁には、祈りのメモが張り付けられていた。祈りの課題、状況、かなえられた祈りがびっしりと‐‐‐。クララは、一週間に一時間、自分と会って信仰の話をしようと説得するのです。

     キャスト全員がクリスチャン

の映画は、ケンドリック兄弟(クリスチャン牧師兄弟)が、監督そしてプロデューサーをそれぞれ務めており、現代のクリスチャン映画作りに風穴を開けたと言われています。

二人は、「クリスチャンを勇気づけ、鼓舞する仕事をしたい。この作品でも、人々が今までよりも神の近くを歩んでいけるようにしたい。」と語っています。そして、映画のキャスト全員が、クリスチャンです。

二人は、何を行うにもまず祈ってやる。「映画のテーマは?」まず祈りが先である。「タイトルはどうする?」祈る。「撮影準備は?」「ロケーションは?」祈る、祈る、祈るのだそうである。当たり前と言えばそうであるがー。

この映画の一番のキーパーソンは、クララおばあちゃんであるが、なかなか女優の適任者が見つからず、ケンドリック兄弟は困り果てたそうですが、彼らは祈り、一人の敬虔なクリスチャンを見出すことができたのです。

      祈りの力

この映画会場の雰囲気は、何かいつもと違い、笑いと涙があふれ、あたたかい空気が流れていました。見終わって、思わずお隣のご夫婦に「いやあ、素晴らしい映画でしたね!」とお互いに言葉を交わしました。


この映画を通して、勇気づけられ、鼓舞されたことは、映画のタイトルそのものずばりです。クララおばあちゃんは、エリザベスの信仰が「気が向いたときにしか教会に行かず、祈りも心のこもらない“ぬるいもの”である」と気づきます。

クララはコーヒーを出しながら、「神は“ぬるい信仰”を好まれない。“熱い”か“冷たい”かであってほしい」と諭します。熱い信仰で祈ることこそが、人生における勝利のカギであると!人がどれほど行き詰まることがあったとしても、『祈り』こそ最強の力になるのだと、全編を通して教えてくれます。

熱心なクリスチャンであるクララは、かつて人生における危機、失敗経験の中で、全能の神に熱く祈ることにより、自分の悩み、苦しみ、告白、願を神にぶつけて乗り越えたのでした。祈りによって神様がどれほど力強く、適切な答えを出してくれるのか!彼女は、クロゼットを“奥まった祈りの部屋”としてそれに当て、これが一番の気に入った部屋なのです。



「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。‐‐‐むしろ、冷たいか、熱いかであってほしい。」(黙示録3:15)

私の記憶に間違いがなければ、クララおばあちゃんが最初エリザベスに出したコーヒーは、“ぬるいコーヒー”でした。何週間後には、エリザベスの信仰の態度が次第に熱くなってきて、“熱いコーヒー”を出すのです。このシーンは、映画の最後の方になって思い出され、熱い信仰でなければと私の胸を指しました。

神に対しては、いつも熱く、霊に燃えて勤勉でありたい。勤勉で怠らず、情熱を持って熱心に働き、自分のまかされた使命に生きる。そのためには、熱い祈りをささげ、上からの力を受けるものでありたいと願っています。

最後に、この映画を見ることを心からお勧めいたします。

2016816日    小坂圭吾


2016年7月14日木曜日

今を生きる「幸福な人生の秘密」


水戸・偕楽園
     ハーバード大学で75年にわたる研究

今年5月にNHK・Eテレで、スーパープレゼンテーション(TED)のプログラムで「史上最長の研究が明かす幸福の人生の秘密」が放映され、たいへん興味深く視聴しました。

この研究は、ハーバード大学が1938年にボストンにおいて始めたもので、“健康で幸福に生きるには、人生どんな選択をするとそのようになるのか?”約700人余の男性について、追跡調査を75年にわたって行い、結論を得たものです。

研究対象は、第1のグループにハーバード大学の学生たち、第2のグループにボストンの最貧困層の青少年たちで、当時19歳前後だった人たちですが、今生きているのは90歳代の人々が60人で、その多くは子供たち2000人が研究の対象になっています。

当時の若者たちは、工場労働者、医者や弁護士、アルコール中毒症になった人、大統領になった人、貧困層からトップに上り詰めた人、逆に転落した人と色々です。本人に会って話を聞き、健康状態を調べ、子供たちの話や夫婦の会話も録音するそうです。

    秘訣は良い人間関係

私たちにとって最も関心の高いテーマですが、史上最長の研究プロジェクトの責任者は第4代になっており、今も年間1億円の予算を投じて、情熱と忍耐をもって追跡調査・研究がおこなわれています。

この75年にわたる研究からわかったことは、“良い人間関係が、幸せと健康の秘訣である”ということです。若い人たちは、富とか名声とか成功することが一番だと考えますが、そうではないのです。

得られた教訓の第1は、人とつながりがある事が良いことで、孤独は良くないということです。第2に、身近な人との暖かい人間関係を築いていく人間関係の質が大切であり、それが私たちを守り、老化を防止してくれるのです。第3に、良い人間関係は、体だけでなく脳を守ってくれる作用があるとのことです。口喧嘩をすることがあっても、頼れる深い人間関係がある事が良いのです。

つながっていると感じる

この研究の結果を聞きながら、まさに聖書が教えている通りなのだ!との実感を強めました。良い人間関係と言っても様々ですが、社会的なつながりの数が多いというよりも、人間関係の中でどう感じるか、「つながっていると感じるかどうか」が重要なのです。

家族、教会(特にスモールグループの人々)、友人、地域の人々、仕事関係の人々の中で、人間関係がつながっていると感じられる良い人間関係を築いていくことが大切です。多くの数を必要とするよりも、身近な人々と質の高いつながり、関係を結ぶことが重要です。

私は、現在ある教会で、「人生で一番大切なこと~心がつながるコミュニテイをめざして~」(リック・ウオレン著、PDJ)をテキストにして、毎月1回スモールグループでご一緒に学び、分かち合いをしています。この学びの狙いは、互いの交わりを深め、心がつながる関係をしっかり築いていくことにあります。

それは、「共に(一緒に)」という言葉をあげることができますが、「共に(一緒に)生きる」ということであり、良いつながりを持って生きることです。人が集まるところには、問題もついてまわるのが人生の現実ですが、人とのかかわりの中でこそ、最もよく成長でき、体も心も脳も守られるのです。

十字架を思い描いてみますと、これを書く時は、まず縦の線(神と人との関係)を書き、次に横の線(人と人との関係)を書きます。人と人との関係が良い関係であるためには、神との関係が良くなければ実現できません。

神の愛をいただいた事によって、相手をそのまま受け入れ、問題があっても赦し受け入れ、良いつながりを築いていきたいと願っています。聖書の福音の要点「愛、受け入れ、赦し」を実践出来ればと、祈りつつ取り組んでいます。

2016714日    小坂圭吾




2016年6月10日金曜日

感謝「心の断捨離」


五月晴れの後楽園と岡山城
     のんびりと故郷に帰省!

先月久しぶりに、岡山県津山市の近くに住む高齢の姉夫婦を慰問のため、帰省しました。近年は、飛行機よりも新幹線の方が落ち着くので、こちらがよくなってきました。五月晴れに恵まれた旅行で、新幹線の中でのんびり、岡山駅に着いて10数年ぶりに後楽園を散策です。

何度も来たことがあり、歩きながら昔の思い出がよみがえってきます。カメラの絶景ポイントもいくつか発見し、途中で岡山名物・吉備団子とお茶をいただいて、まさにのんびりです。

2時間半余りの散策後に、岡山駅から津山線に乗り、約1時間余りローカル線の旅です。コーヒーを片手に周りの青葉若葉、旭川の水の流れをぼんやりと眺めながら、2両編成の電車は津山へと向かいます。津山駅からは途中までバスに乗り、迎えに来てもらいます。田舎の風景とその暮らしにどっぷりとつかりました。

三日間を過ごし自宅に戻った翌日、何か自分の心の中が変わったなと感じたのです。心に余裕ができたというか、忙しくやろうとしない、無駄なことはしなくなったという感じで、今もそのことは続いています。

     断捨離

これはいったいどうしたことなのか?このブログを書きながら、もしかして、“心の断捨離”ができたのではないかなと考えました。というのは、よりシンプルに考え、余計なことに手を出さないようになってきたからです。


「断捨離」というのは、ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方から来ていることで、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというものです。

モノも情報もあふれかえっている現代にあって、不必要なものを捨てるというプロセスを積み重ねると、身の回りをスッキリさせることが出来、自分の心をも整理して行くことが出来るということです。

現代は、いらないものをいかに捨てるかという知恵こそが、重要な事なのでしょう。

     心の片づけ

“断捨離”と言えば、“モノの断捨離”と共に、それ以上に大切なのが“心の断捨離”です。モノの片づけを通して、心の片づけもできるわけですが、“心の片づけ”に取り組むことだけもできます。

“心の片づけ”(心の断捨離)は、物を片付けるのと同じで、役立たない不要な考えを取り除き、より重要な事柄のために心の中のスペースを確保することです。定期的に心の中から不要なものを取り除くことですが、不要なものは、最初から入れないのが一番ではないでしょうか。

そうすることにより、余計なことで心配する、ストレスを溜めることから自分を守ることができます。心配事というのは、起きる前そして起きてから悩むことで2重にストレスになり、実際にはその90%は起こりません。

現代の私たちは、テレビやパソコン、スマホあるいは不要不急な買い物等々にどれほど余計な時間とお金を使っていることでしょう。それらを遮断して、静かな中にどっぷりと身をゆだねて、自分自身にしっかりと向き合ってみましょう。

私たちの心の中に入ってくるごみを綺麗にする“心の掃除と整理整頓”が、必須なのです。心の中の整理整頓は、毎日の積み重ねで心に余裕が生まれてきますが、あるタイミングでは、リフレッシュして心の大掃除が必要ともなります。


今回の岡山への旅には、せっかくの機会なので、あれもこれもしようといくつか用件が出てきましたが、どうもその気になれず、慰問とリフレッシュすることに目的を絞りました。

非日常の自然に触れ、今までと違った暮らしに触れ、自分も気が付かない中で癒されました。慰問の目的を果たし且つ心の中のごみが一掃され、リフレッシュされたことは、ほんとに恵みであったと感謝しています。



2016年6月10日    小坂圭吾

2016年5月13日金曜日

今を生きる「人間関係の十戒」

     朝の挨拶

今朝は、いつもより少し早く、我が家の玄関まわりの掃除、まずは塀の内側の掃除をしていました。ちょうど、小学生たちが学校に通う時間帯です。庭の塀越しに小学生が「おはようございます」とあいさつをしてくれ、思わずこちらも「おはよう!行ってらっしゃい」と返しました。「行ってきます」と気持ちよく返事をしてくれたのです。         

しばらくして、塀の道路わきを掃除していますと他の小学生が気持ちよく挨拶をしてくれました。今日は、ふたりの小学生と朝の挨拶を交わせたなと喜んだことです。

私の小学生の頃は、小学校に行く道中約30分、全ての人に挨拶を交わしたものです。努めて朝の時間帯には、こちらから「おはよう」を言うようにしていますが、今朝のように子供の方から率先して挨拶をしてくれると、ほんとにうれしいものです。

     人間関係の十戒

ファイルを整理していましたら、義理の父が30年以上も前に墨で書いた「人間関係の十戒」という書を見出しました。何かの新報からの引用のようです。最初にこのような言葉があります。

一、人に話しかけなさい、人から気持ちよく話しかけられるほどうれしいことはありません。

(朝の子供からの挨拶は、とてもうれしく感じたものです。二人の子供の挨拶に続いて、掃除が長く続いていたために、お隣の方がごみを捨てるために通られて、挨拶を交わすことにもなりました。その日の午前中は、なんと五人もの方々と話を交わすことになりましたが、単なる挨拶だけでなく、ホンの一言二言がさらに関係を深めることになります。)

二、しかめっ面をするには六十五の筋肉を動かさなければなりませんが、ほほえむのには、たった十五の筋肉を動かすだけで良いのです。だから人にはほほえみかけなさい。                       
三、人に会ったら名前を呼びなさい、その人の耳には自分の名前を呼ばれるのが一番美しい音楽に聞えます。

(しかめっ面の多い人のしわが多くなるのは、これが原因かな?と勝手に解釈しました。/名前を呼ぶことに心がけていますが、一番美しい音楽に聞こえるとは、そうかもしれないなと思います。)


     他人の為につくす

途中を少し省かせていただきますが、写真をクリックすれば大きな画像ですべてをご覧になることができます。

七、ほめることは惜しみなく批評は控えめに。
八、他人の感情をお察しなさい、思いやりはうれしいものです。

十、気をつけて奉仕の機会を見逃さないようになさい、人生で一番大きなこと       
  は他人の為につくすことです。

(この1週間ほど前から「子は親の鏡」という詩を書いたドロシ―・ロー・ノルト著「子供が育つ魔法の言葉」という本を読んでいます。著者は、“子は親の鏡”と言う詩を書いて、全世界中の人々に読まれるようになり、その詩の背景等を解説した素晴らしい本です。
 
その中に、「誉めてあげれば、子供は、明るい子に育つ」「やさしく、思いやりを持って育てれば、子供は、やさしい子に育つ」とあります。子供や孫たちに対して、このことを心がけたいと願います。/最後の言葉は、聖書の核心をついた言葉ですが、人生で最も大切なこと”愛“を表現した事柄ということもできます。これで締めくくっているのですね。)
 
義父は、大切だなと思う言葉を色々と書きとめて、ある程度まとまると自分の筆で書き、子供たちに配ってくれたもののひとつです。将来を担うのは、子供であり孫たちです。彼らのことを深く考えていくべき年代になりました。

聖書の愛から考えると、人間関係を良くする要旨は、他の人に仕える、奉仕をすることに他なりません。将来を担う子供たちに、大人の背中をしっかり見せて暮らしていきたいものだと思います。

2016513日    小坂圭吾

 

2016年4月14日木曜日

今を生きる「自分のやるべきことをやる」

    自分がやりたいこと

「自分がしたいこと、やりたいことをやりなさい!」とは、よく言われることです。“自分のやりたいことは全部やれ”とまで言う人もありますが、万人にあてはまるとも言えません。旅行や趣味等については、良いのかもしれませんが、自分の進むべき道や仕事に関しては、自分がやりたいことを、じっくり考えることが大切です。
 
企業に勤めていると、これから先何がやりたいかと希望を聞かれて申告しますが、自分の願いとは違ったところに配属されることもありえます。その時、自分がやりたいことは、適所ではなかったのだなとわかる方も多いことでしょう。適所でないと知って、自分のことが意外とわかってない!周りの人の方がはるかに良く見えていると気づくのです。

あるとき、私の子供が進路を大きく変えたいと言い出したことがあります。その理由は、「この道はどうも自分にあいそうにない!」とのことでした。楽な方向転換ではなく、これから勉強をして出直すとの覚悟が感じられ“そこまで考えたならば、良いのではないか”と思いました。
 
本人にしてみれば、最初やりたいと思って進んだことが、少し進んでみて違うなとわかってきたのでしょう。やりたいことから、自分としては、これをやるべきと少し見えてきたのかもしれません。素直に受け入れてやりよかったと思っています。

やるべきことは何か?

その頃、私の考え方として「人生多少の寄り道、わき道、回り道は、マイナスにはならない」と思えるようになっていました。(今では、もっと寄り道が長くても人生のプラスになると考えます。)

若い時に自分の道、やるべきことを確かに見つけることができれば幸いなことですが、誰しもがそのようにできるとは限りません。まあこの道かなと進んでダメであれば、方向転換をすることもあります。安易な方向ではなく、より困難な道に進むのであれば、良い決断であるとも言われます。

“やりたいこと”を考えて見ると、その中に変な欲望や思いつき等が混じっていて、ほんとにやりたいことではないことも多々あります。その時は良いように思われても、時間の経過や環境の変化、自分の心変わり等で、どうでも良いことがわかり、やるべきことも見えてくるようです。
 
仕事について、これからやるべきリストを作ったとして、優先順位の高い順にやっていくと、優先度の低いやるべきリストは、やがてやらなくても良いと消えていきます。それは、状況が変わったり、あるいは問題が解決されたりということもあるでしょう。優先度や重要性を考えることによって、やるべきことがはっきりとしてきます。

     優先度の高い、重要度なもの

次の聖書のみ言葉が浮かんできました。

「あなたがしようとすることを、主に任せなさい。そうすれば、あなたの計画は必ずうまく行く。」(箴言16:3 現代訳聖書)

ここで“あなたがしようとすること”とは、“やりたいこと”もあれば、“やるべきこと”もあるでしょう。人の心の中では、色々なことを考え、準備するかもしれません。やりたいと思っていることが、やがてこれこそやるべきことだと情熱が入ります。あるいは、やりたい、やるべきだと思った事を考えなおすこともあります。
 
私もやるべきかどうわからない時が起こりますが、その時は、1週間でも1か月でも寝かせておきます。どのような状況であれ、“それを成就されるのは主である”と、聖書は語っているのです。

自分がやりたい、やるべきと思うことの中に優先度の高い、重要なものがやるべきことに通じていき、さらに主がやってみたらよいだろうと後押ししてくださる事こそが、ほんとにやるべき事になるのでしょう。そのように考えながら、よりよく主に導かれながら歩みたいものです。               

2016414日    小坂圭吾

 

2016年3月21日月曜日

今を生きる「今こそ、新しいことに挑戦する」

         
          今が一番できる!

この数か月ほど、色々な方々の生き様(60~80代)を見たり聞いたり、本を読んだりして気がついたことに、「とにかく新しいことに挑戦している」と言われるのです。しかも、若い時ではなくとも「今が一番できるのだ!」ということ、今なのです。
 
人生を3段ロケットにたとえて、私はすでに3段ロケットを発射してかなり飛んでいるところ。考えてみれば、その人の人生にとっては何歳であろうとも、今という時が一番知識も経験も豊かな時であるはずです。
 
60代以降になりますと多少忘れることも多いかもしれませんが、総じていえることは、20代でも40代でも60代でも80代でも「今が一番何かができる時なのだ!」ということ、ちょっとした衝撃です!今が重要です。

新しいことに挑戦する

言葉を変えれば、今こそが“新しいことを発見し、挑戦するとき!”ということで、その気になれば、何か新しい発見があります。“人生は、何も新しいことに挑戦しなければ、世の中全般が進歩しているので、後ずさりをしているようなものだ”と教えられた記憶があります。
 
私たちは、とかく守りの姿勢に入りがちですが、小さなことで良いので、新しいことに挑戦する、あれやこれや工夫をして夢中になってやってみることが大事であると教えられます。

なぜショックを受けたのか?考えてみますと、何か新しいものに挑戦する気持ちが弱くなっていました。“今こそできる時だ”という気づきが、何か新しい気持ち、視点をもって取り組めそうで(うまく表現できないのですが)、何か今までとは違った気分です。今が新しい出発点!
 
今日から取り組めば、3年後、5年後、10年後にはあの時取り組んで良かったと必ずなるだろうと思うからです。ただ新しければ良いのではなく、軸はしっかりしてぶれないで何か新しいもの、良いものを見つける、たとえ小さいことでも良いのです。

何か新しいもの(Something New

自分の仕事や教会の奉仕、趣味、家庭生活、日常の生活の中に、それなりに何か新しいもの(Something New)を必ず見出すことができます。常に新しい何かを考えることが大事で、これが創意工夫とでもいうのでしょうか。40代の頃にこの“Something Newの考え方”を教えられ、大切にしてきた言葉です。
 
やり方を変える、違う方向に進んでみる、嫌がっていた気持ちはそばにおいてやってみる、今までのやり慣れたことをとにかく変える等々。旅行好きな筆者ですが、さっそく新しい方面を開拓しようとあれこれ調べてみますと、意外なことに同じ予算と時間で新しい経験が出来、みんなも楽しめるだろうとわかり、近々行く計画をしています。10数年前と比較すると、世の中も進歩し変わっていますので、面白い企画ができるのです。

毎朝のコーヒーを淹れることに“Something New”をやってみました。何人分淹れるか、出来立てのコーヒーの濃さは、コーヒー豆の量は、お湯の温度、むらす時間、ドリップのやり方、器をどの程度温めるか?等々、条件といい工夫することはいくつもあり、出来上がりも1回ごとに異なります。
 
おいしく淹れるために、あれこれ工夫して実行、自分で問題を見つけ答えを考えて次に実行する、PDCAのサイクル(PLAN→DO→CHECK→ACTION)を回していくのです。まあ毎日やることですから気楽に、前からやってきた経験に加えて新しい工夫をする、色々とやりつくしてかなり上達したようです。

3月になり、まさに春が来ました。曇りや雨の日が数日続き晴れた朝、何かと意欲も上がります。雨でもハレルヤ(晴れるや)!とは簡単にいかない筆者ですが、心を気楽にして楽しみながら、“今こそがやれる時だぞ”と新しいことに挑戦できればと願っています。

2016320日    小坂圭吾