2019年10月2日水曜日

今を生きる「一歩ずつゆっくり」


観音埼灯台
観音埼灯台

全国色々なところに旅行し、海岸に出てきますと気になるのが灯台です。近くであれば、灯台を見に行きます。灯台と言えば、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督)が忘れられません。

この映画は、新婚早々にやってきた観音埼灯台から、北は納沙布(ノサップ)岬、南は五島列島・女島まで灯台守・夫婦の苦節25年を、日本各地の風物をからめて描いた物語です。夫婦の愛情や親子の情愛の深さに感動しました。いくつも灯台が出てきて、あれは行ったことがある、これもと思いながら鑑賞しました。

観音埼灯台は、地元の神奈川県横須賀市にあり、10年以上も前ですが、家から近くにあるので、ウオーキングの行程の中で行きました。白い貴婦人といわれ「おいら岬の灯台守は」の歌で知られ、 我が国で建てられた最初の洋式灯台です。

大正12年9月1日の関東大震災で崩れ落ちて再建され、現在は三代目になります。どこの灯台も今やラセン状の階段(廊下)となっており、それをゆっくりと歩くと、最後はしごの階段を登る形が多いように思います。

はしごの階段を登りつつ、映画に出てきたシーンを思い起こします。灯台として3代目なのでしょうか、傾斜が緩やかな階段で、“一歩ずつゆっくり”歩いていくといつの間にか登ってきてしまったという感じでした。

一日一歩ずつ

皆さんは、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」(星野哲郎 作詞、米山正夫 作曲)をご存知ですか?かつては毎日のように巷に流れていましたが、私のような年だと誰もが知っているかと思いますが、歌詞を紹介しましょう。
  『 ワン・ツー ワン・ツー/ワン・ツー ワン・ツー/

しあわせは 歩いてこない/だから歩いて ゆくんだね/

一日一歩 三日で三歩/三歩進んで 二歩さがる/

人生は ワン・ツー・パンチ/汗かき べそかき 歩こうよ/

あなたのつけた 足あとにゃ/きれいな花が 咲くでしょう
(以下省略)』

こうして歌詞を見ると思わず歌いたくなってきます。一日一歩とにかく歩いてこそ、人生の花が美しく咲くことでしょう。
納沙布岬灯台

ひと足ひと足、我は進まん

昨今は、囲碁将棋共に若い方の台頭が目立ち、史上最年少の10歳で囲碁プロ棋士となった中邑菫(なかむらすみれ)初段が大活躍です。人生100年時代を見据えて生涯できる趣味として、私も4年ほど前から、囲碁を始めました。

私の義父が囲碁5段くらい、実兄も囲碁を中高年からやり始めたなと思い出し、一念発起です。良い本をあさり、教室に通い、囲碁クラブに入り、3年もしますとかなり力がつきましたが、そこから伸び悩みです。

どうしたらよいのかな?と考えていると、色々な趣味の世界でかなりの腕前の人の話を聞くと「常に練習をしてないと、すぐに腕は落ちてくるよ!」と聞かされました。そうかと思いあたり、週に何回か碁石をもって、テキストを見ながら一歩一歩学んでいます。1年もすると不思議と色々なことが見えてきて、力がついてきました。

私たちの生活は、何事においても一歩ずつ歩いていけば、前に進んで行くことができます。二歩前進一歩後退あるいは3歩進んで2歩さがる信仰生活でも(それこそ現実的です)、必ず前に進んで行くことができます。

信仰の良い基本を身につけて、良い習慣化すれば必ず成長できるのです。何もダッシュのように走りまくることはなく、ゆっくりでいいのです。

聖歌588番(新聖歌355番)に「主と共に歩む」という歌があります。

『 主と共に歩む その楽しさよ/主の踏み給いし 御跡をたどる

ひと足ひと足 主にすがりて/絶えず絶えず われは進まん 』

神様から示されたことを、今日はこのことを一歩だけ進めてみよう、足を踏み出そうと決心してやる時、やがて大きな祝福、果実として実ります。継続して“一歩ずつゆっくり”でいいのです。私たちにとって、“一歩ずつ”~ひと足ひと足、主と共に歩むことは、私たちの人生に書かせない言葉です。 

「インマヌエル~~神は私たちとともにおられる~」(マタイ1:23) 

2019年10月2日    小坂圭吾




<追伸>

🔴 2019年9月より、読書会(人 生 を 考 え る 集 い)では、

ヘンリ・ナーウエン著「いま、ここに生きる」をテキストに、学びと分かち合いを行っています。東京プレヤーセンター(TPC) 

霊的生活とは、どこか別のところにあるのではなく、いま、ここにあるものです。それは、日々の平凡な出来事の中に臨んでくださる聖霊なる神を体験する生活です。本書でナーウェンは、日々の出来事の中で、神はどこにおられ、どこに私たちを導こうとされているかを、自らの体験と洞察をあげながら、共感に溢れた暖かい筆致で描いています。

本書を通して、自分自身に問いかけるところから変化が始まると思います。



➀テキスト:「いま、ここに生きる」(ヘンリ・ナーウエン著)

1800 円+税 キリスト教書店、アマゾンで購入可)

②世話人: 岩渕勲(前ギデオン協会会長)

小坂圭吾(パーパス・ドリブン・ジャパン/ロゴス出版社代表)

和氣敏治(東京プレヤーセンター代表/チャプレン)

③日時:毎月第4 木曜日19 時から20 30

2019 926 日(木)スタート)
④場所:お茶の水クリスチャンセンター4

東京プレヤーセンター・オメガチャペル(403 号室)

東京都千代田区神田駿河台2-1、OCCビル4

JR&地下鉄 御茶ノ水駅 徒歩35

⑤参加費:1 回につき500

⑥予約・お問合せ:和氣敏治(わけとしはる)

03-5577-6365(東京プレヤーセンター)

070 -5572-8868(携帯)
         E-mailtoshi.wake@gmail.com

2019年9月10日火曜日

今を生きる「子供の教育」

カナダ
幼少の思い出

今年の残暑は、例年になく厳しいですね。暑い夏と言えば、幼少の頃(岡山・備前生まれ)の楽しい思い出が、次々に浮かんできます。小学校のとき、近くの川での水遊びや瀬戸内海の小さな島に臨海学校で宿泊(先生方は大変です!)、兄と二人で岡山の瀬戸内海岸の知り合いの家に1週間ほど寝泊りして海水浴(漁師の家、魚とみそ汁がうまい!)等々、なんとも楽しいうれしい思い出がいっぱいです。

田舎のガキ大将だった私は、小学校の先生に、私がリーダーで悪いことが見つかり、関係者一同(約10人)整列させられみっちり叱られました。ある時、母には1対1で悪かったことをトクトクと諭されたこと、父や祖父には罰として蔵の中に入れられたこと、夕方門の外に出されたこと(古い門構えです)や正座して行儀を教えられたこと等、叱られしつけられたことをよく覚えています。

全て良い思い出としてあるのは、叱り方/しつけ方が良かったのでしょうか。小学校の先生、祖父や両親からは、認められていることがベースにあって、色々なことを自由にやらせてくれ、間違ってやった場合がみがみ言わずに、急所でしっかり叱られたと感じています。4人兄弟の末っ子で、親も失敗を重ねて、知恵が出来たのかもしれません。

子育ての失敗

私たちの子育てについて、時に、子供たちと話し合うことがあります。話しての発見は、その当時の子供の状況や気持ちがわかってなかったなと思わされ、失敗したことが多かったなと振り返ります。父親として良く考えてやった事が、子供にはつらかったと聞かされ、「それは、ごめんなさい!」と謝ったこともあります。

父親なりに、子供のことは良く見るようにしたつもりですが、見えてない理解してないことが多いのです。家にいないのですから見えないのは当然で、それでもわかっているつもりになっていたにすぎないのです。

子育ての時に、自分が育った環境や親から受けた教育、自分が出来なかったこと等も反映して、親の願いが入ってやることになりがちです。それが子供にとっては大の迷惑!始めての子育てですのでそのことがわかりません。



例えば、子供が勉強をするように励ましますが、勉強をやる子はやるし、やらない子はできないのです。ところが、時期が来れば、本気になってやる時が来るもので驚かされます。子供の性格を考えてと言っても、その時よく見えていないので、不十分だらけで、子供を間違ってしか育てられないのかもしれません。

真の子供の教育とは!

私たちにとって傷だらけの子育ても、それなりに達成できたかなと主のあわれみに感謝しています。失敗も繰り返しながら、子供の人生は親がコントロールできないとある時に手放してから、主が益として下さったのでしょう。

子供にとって何度も岐路に立った時に、今思えばあのように判断が出来たのは、神さまの恵みとしか言いようがなく、失敗の判断も、後で見れば益になっていることが多いのです。親としては、そのような失敗経験が生きて、子供たちの子育ての失敗を見ても「神さまがやがて全てを益にして下さる」と祈ることが出来、余裕をもって見る、アドバイスできるのです。

現在は、孫育てについて考えることが多くなりました。一番上が高校卒業して受験浪人生、一番下が幼稚園生です。祖父母の役目は、小さいころに良い思い出を作ってやることであると孫たちを見ています。

孫7人7様の色々な性格で、男の子と女の子はこんなにも違うのかと驚かされ、一人ひとり、個性的な性格が浮き彫りに出てきます。親は、子育てを日夜悩みながら、神さまの恵みによって前に進んでいる、時には後退もありますね。

親にとって、その子育てがうまくいかなくなり、やがて親が子供を親の手から離す時が来ます。そうするとき、その子は、良い方向に間違いなく導かれていきます。

私たちの子育てや、子供たちの子育て(孫)を見て、間違いだらけの子育ての中から、その本質に気がつき、主が良い方向に導いて下さるのです。

箴言の言葉に“正しく教育せよ”と命じられていますが、これは、子供一人一人の人生は、主が定めておられるのだから、子供を親の手から離して、主にささげなさいと教えられています。主を恐れる個性教育、人格教育こそが、真の教育というべき事柄です。失敗が良い方向に向かうカギとなるのが、神の恵みです。 

「子供をその成長過程で正しく教育しなさい。そうすれば、年老いても、そこから離れない。」   (箴言 22:6 現代訳)

2019年9月10日    小坂圭吾

2019年8月6日火曜日

コーヒーブレイク「映画『最高の人生の見つけ方』を見る」


カナダ、ジョフリー・レイクス
思わずほろっと!

映画については、NHKのBS放送で過去の良い映画が次々に上映され、楽しみに見ています。そんな中で、何度か見た映画に『最高の人生の見つけ方』(2007年、アメリカ)があります。

タイトルに引き付けられ、映画評を読んで、初回だけ映画館に足を運びました。いつもコーヒーとクッキーを持って映画館に入ります。我が人生を振り返りつつ、感動と共に涙もろく泣きました。あらすじは、次の通りです。

実業家で行儀の悪い大富豪エドワード(俳優:ジャック・ニコルソン)と、教養人で家族のために地道に働いてきた自動車整備工カーター(俳優:モーガン・フリーマン)は、癌に侵されて同じ病室で知りあった。

共に余命は6か月。カーターの枕元には、いつも妻がいるが、エドワードの枕元には世界最高のコーヒーを淹れる器具と忠実な秘書だけである。あるとき、カーターが棺桶(かんおけ)に入る前にやっておきたい夢を作り(棺桶リストと言う)、エドワードがそれを見て付け加えた。

二人は意気投合し、やりたいことをすべてやり尽くそうと決意し、無謀にも病院を脱出する。やりたいことリストを手に、ピラミッド、ヒマラヤを周り、レーシングカーでの対決やスカイダイビングに挑戦等々、さまざまなことに挑戦する。

お金は、大富豪エドワードが負担し、死を意識した初老男性2人が、残りの人生を生き生きと駆け抜ける。感動ストーリーをさわやかなユーモアで描き、2人の友情とすがすがしい笑顔に、思わずほろっとさせられます。

一番大切なことは?

夢の実行が次々と実現する過程で、二人の人生観が見えてきます。大富豪エドワードは、4度も結婚し巨額の利益を一代で築いた行儀の悪い人物として、一方の自動車整備工カーターは、物静かで夢をあきらめたが、神様を敬い家族を大事にする信仰心のある人として、同じ運命を持った二人が旅する中、掛け値なしの自分をさらけ出す。

そんな中で、二人はかけがえのない友情を築いていくのです。それを通して、それぞれが心から求めているもの、一番大切なことについて見出し、再確認していくのです。

「最高の人生とは何か?」と考えたかどうかは分かりませんが、一番大切なことは、人とのきずな、家族・友達というお金では買えないものを得ることだということです。そこにこそ、心から生きている喜びを感じる場があるのです。
カナダ、ウイスラー・ビレッジ
心のふれあい

誰も「最高の人生」を送りたいと願っています。そのために、色々なことに精を出し、努力しています。毎日多忙な生活をしている私たちは、目先のやるべきこと生活に追われていることも現実です。

20代、30代、40代は、とにかく懸命に走っている自分の姿ですが、「どんな人生を送りたいの?」と聞いてみたいですね。30代、40代の私には、自信に溢れた答えが返ってきますが、その答えを聞いて、「欠けている事があるのでは?」と今なら質問することでしょう。

20~50代にかけて、一番欠けること、後回しにしがちなことは、「人との関係」です。「関係こそ人生の全てである」と聖書では述べています。とかく、人よりも物を重視している自分があります。

妻や子どもたちとの時間は見つけるようにしている、親に対しては時間を少しは割いている、他の人のために時間を作る努力をしているなど、沢山の仕事や用事と比較すると、低い優先順位に置かれ、生活のほんの一部に過ぎないのです。

その時間を仕方なく、後から無理やりスケジュールにいれているのが実情です。私の場合、それでも家族に対して配慮したと思いますが、「人生におけるもっとも重要なことは、関係である!」との考えは、残念ながらありませんでした。

50代後半になって、やっと目が開かれたのです。ある人が「本当の友達、何でも相談できる友が何人いますか?」と聞きました。この質問にはハッ!とさせられますね。妻との関係、子供との関係、親・兄弟との関係、友達との関係、仕事上の関係の中で、物を重視ではなく人を重視した関係、このための時間を割きたいと思います。 

「鉄で鉄を研ぐように、人の心も他の人の心との触れ合いによって成長する。」

(箴言27:17 現代訳) 

20198月6日    小坂圭吾

2019年7月4日木曜日

感謝「人格をみがく」


歯を磨く

 私たちは毎日歯を磨いています。少なくとも2~3回、私は毎食後磨きますので、1日に4回程度になります。歯については、以前から虫歯もほとんどなく丈夫であると自信があり、歯医者に行くこともありませんでした。

ところが、歯の不調で歯医者に行ったところ、歯槽膿漏(しそうのうろう)になっていたのが分かり、こっぴどく叱られました。それ以後、少なくとも年に一度歯医者に行って、歯の掃除(クリーニング)をしてもらいます。

その時、磨き方が悪いと磨き方の指導がされます。教えられた通りやっているつもりが、いつの間にか自己流になっていて、翌年、歯磨きの指導を受ける羽目になります。何度か続けていくと、指導されているとおりに綺麗に磨けていて、お褒めの言葉を頂きます。

100歳までこのまま使っていきましょう。」と励まされ、「まだまだ先の事ですが…。そうしたいですね。」と答えながら嬉しくなりました。「90歳までこのままでー」と言っていた歯医者さんですが、今回は一気に10年も延ばしたがいいのかな?と思いながら帰宅したことです。

歯の磨き方をご存じですか?

 歯科衛生士さんより何度も「歯の磨き方」の指導を受けて、3つのポイント①歯本体を磨く②歯と歯の間をみがく③歯の基を磨くについて学びました。これは、私たちが「人格をみがく」ことに通じるものがあると発見です。

①“歯本体を磨く”ですが、自分自身を磨くことに通じます。聖書を読み、聖書的な考え方をしっかり身に着け、行動、言動において自分を高めていく努力をしていく。それは御霊の助けを得て、御霊の実、人格とも言うべきものが整えられていくことです。ピカピカの白い歯でも、歯磨きを怠たれば、やがて黄色くなってしまいます。私たちの人格も、毎日磨いて向上させなければ、やがて錆付いてしまうのです。

②“歯と歯の間を磨く”ですが、人と人との関係を磨くことです。家族関係、特に夫婦関係の中で、教会員との関係の中で、職場での上司、同僚、部下との関係の中で、自分の在り方を考え、自分が何者かを理解していくのです。互いに刺激し合って、成長させられ、人との関係において磨かれていきます。神が私たちを創造されたことを思う時、人との関わり合いの中でこそ、生きることの意味が分かってくるのです。

③“歯の基を磨く”ですが、私たちと神さまとの関係をいつも正しく整えておくことです。土台である歯の基がしっかりしてなければ、いかに歯の本体を磨いても意味をなさないのと同様に、私たちも生きることの土台である「主なる神との関係」をしっかりすることが大切です。聖書に生きる、福音に生きるとは、この主なる神さまとの関係を揺るぎないものにする事です。これは、私たちにとってデボーションを確立することであるとも言うことができます。


人格をみがく

歯磨きにおいては、③歯の基を磨き、②歯と歯の間をしっかり磨くことが大切であり、それを意識して磨くことが重要です。とかく①歯の本体を磨くことに力をいれて他を疎かにしがちで、優先順位を間違えてはなりません。

「人格をみがく」ことにおいても、③神さまとの関係を正しく整えることが最も大切であり、次に②人と人との関係を磨くことであり、①自分自身を磨くことは、それ自体大切なことに違いありませんが、これらの結果として出来てくる、導かれるのです。

人格、品位が備わることは、聖書で言うならば、“御霊の実を結ぶ”ことです。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、誠実、自制とありますが、これらは、主なる神さまにしっかり結びつき、良い関係が出来ていれば、神さまが実らせてくださるのです。主との関係を土台として、人との関係も良い関係を持つことが出来るようになります。

神さまとの関係が第一で人との関係も整っていくのです。とにもかくにも、主なる神さまにしっかり結びついて、聖書を読み、祈り、実行する者とさせていただきましょう。 

「キリストの中に深く根を張り、キリストに堅く結び付けられて建て上げられ、また、教えられた通り信仰を確立し、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7 現代訳聖書) 

2019年7月4日    小坂圭吾

2019年6月5日水曜日

喜び「ユーモアを楽しむ」 


日本の鉄道、飛行機は超正確!

今年もJRの時刻表(全線、全駅掲載)を買いました。昨年の版と比べても、ほとんど時刻は変わりませんが、日本の電車は時間が正確ですので、旅行するには必須で、時間の確認をしなければ、遅れることになりかねません。

日本の飛行機も、まさに正確です。航空関連情報の収集・提供を行うOAGの報告によれば、2017年の世界の空港の定時運航遵守率ランキングは、運航便数で世界トップ20の航空会社のうち、第1位はJAL(日本航空)で定時運航遵守率は85.27%。第2位はANA(全日空)83.81%が続き、日本の航空会社が12位を独占しました。この記事を書きながら、こんなジョークを思い出しました。

インドの列車はしばしば遅れる。人々も遅れることに慣れたもので、いちいち目くじらを立てる者などなく、のんびりとおしゃべりを楽しみながら駅で時間を過ごしている。ある日、列車が時間通りに到着し発車してしまった。

乗り遅れた人々は、駅員に抗議をした。「いつも遅れるのに、どうしてくれるのか!この責任をどう取るつもりだ?」駅員は涼しげに答えた。「ご安心ください。今の列車は昨日の列車で、今日の列車は、まだまだ先ですから。」

駄洒落(ダジャレ)とジョーク     

私の周りにも駄洒落(ダジャレ)の好きな方があり、思い出すのはTさん、お茶の水で午前の集会が終わり、皆さんと一緒に昼食を食べに行きました。

彼は早々に食べ終わり「実は、これから歯医者の予約があるので、先に行きます。申し訳ない。本日の午後の集会は、小坂さんが司会で、私は歯科医に行きます。」みんなでパチパチと手をたたいて送り出しました。彼は、何かあるごとに駄洒落を考えている、笑顔を絶やさない男です。

駄洒落(ダジャレ)そしてジョークと書いてきましたが、この二つは何が違うのかなと調べてみました。駄洒落(ダジャレ)は、大辞泉によると“下手なしゃれ、くだらないしゃれ”とあり、ジョークは、“冗談、しゃれ”となっています。

語呂合わせは、ダジャレに入るようです。語呂合わせが続きますと少しげんなりして、「品の良いジョークをお願いします」と言われるのを聞くことがあります。“気の利いたジョーク”の使い手になるためには、それなりにネタを集めることから始めることになります。
空母ロナルド・レーガン
世界の共通語

アメリカ合衆国・第40代ロナルド・レーガン大統領は、偉大な大統領の一人ですが、元ハリウッド俳優だけあって、ジョークの天才です。危機的状況のときこそ、このジョークが人の心を落ち着かせるということを心底理解している人で、レーガン大統領の逸話にこんな話があります。

彼は、ワシントンD..のヒルトンホテルで、暗殺者のヒンクリーからTVカメラの前で狙撃され、胸を撃たれ瀕死の重傷を負って救急病院に運ばれました。

その時、執刀の医者に向かって、血を吐きながら「みなさんが共和党員だと嬉しいんだけどね」と言ったそうです。その執刀医は民主党員だったのに、「大統領閣下、今日だけは職員全員共和党員です」と答えたそうです。何ともユーモアに富んだ会話で、思わず笑ってしまいます。

笑うことは、何と言っても楽しいことで、「ハッハッハッハ」と笑いながら過ごすことは健康的です。世界共通な言葉は、いくつかありますが、誰しも知っている共通語は、笑いだけかもしれません。一日に何度か笑うことにより、精神的に健康になることは間違いないようです。

私たちは、笑いなくして生きていくことが出来ません。日本は長寿大国、笑いによって健康寿命の延長につながるでしょう。笑いと言っても「気の利いたジョーク」の使い手となるには、準備と日頃の努力が必要なようです。品の悪い言葉を使わないこと、使う場とタイミングをしっかり考えることだそうです。

ネタとして手に入れたジョークについては、用法・用量(使いすぎは逆効果になる)をしっかり守り、食前、食後、食間にお使いください。なお、使用期限は特にありませんが、利く場合と利かない場合がありますので、十分注意してお使いくださいと注意書きがあります。

「また、恥ずべきことや、愚かな話や、みだらな冗談を避けなさい。そのようなことは、良くないことである。」(現代訳 エペソ5:4)

201965日    小坂圭吾


2019年5月13日月曜日

コーヒーブレイク「いい加減を見つける」



早寝早起きは三文の得

今朝は、朝5時前に起きましたが、9時過ぎに寝たためです。カーテンをほんの少し開けてあり、朝の日差しが入り目覚めが早くなります。実は、長年“早寝早起き”の習慣が出来ず、何冊か本を読んで挑戦しますが、長続きしません。“早寝早起きは3文の得”とは、十分に知っていましたがー。

今から約10年前に、家人と一緒に海外旅行をしたときに、毎日夜10時に寝て朝5時前に起床が4日間続きました。出発する前は、「早寝早起き!大変だ!」妻はいつも早寝早起きですから「大丈夫。できるわよ!」と言われて4日間、すんなり出来ました。

帰宅しても不思議とそのまま定着してしまい、それ以来、昔の習慣に戻らなくなりました。“早寝早起きだ!がんばるぞ”と決めたわけではなく、10時ごろに寝て、睡眠は7時間半が良いので、朝5時半から6時ころに起きるとおおよそ決めてあります。

眠りの調子が良ければそのようになり、途中起きて眠れずにウトウトが続けば、遅く起きるのです。ある時は、12時に寝ることもあり、そうなると当然7時ごろ起床となります。あまり力まず、まあ良いあんばい(塩梅)にと思ってやったことが良かったのでしょう。

がんばらない

諏訪中央病院の院長を53歳で引退後、国際的なNPO活動に精を出しておられる鎌田實さん、『がんばらない』の著書もあり、彼の体験をテレビや新聞、著作を通して知るにつけ、色々と教えられます。

「人間は、『がんばる』と『がんばらない』が、まだらであることが大事ではないか」と語っておられます。日本人は、「がんばる」という言葉が大すきで、「がんばれ」「がんばろう」が日本中に今でもあふれています。

そんな中で、彼は『がんばらない』という本を出して、「あなたのままでいい」「競争しなくていいですよ」言う意味を込めているそうで、とても新鮮に日本人に響いたのだろうと述べています。

私たちは、競争社会にさらされて、周りの目を気にしないではいられず、ついつい競争意識に走りがんばる。自分のあるがままの姿では生きられず、カッコつけようとする。そのような無理をしないで、自分らしく生きる。あるがままを認めて生きる。

この考え方は、聖書の教える考え方そのものです。もちろん、一生懸命にやる、頑張りも必要だと思いますが、競争にさらされ周りの目を気にしてやるのではなく、自分のあるがままの姿で生きていきたいのです。



いい加減を見つける

人生100年時代と言われて、もうすっかり定着したかのようです。平成から令和元年になり何か気分も新たになり、一層そんな気分になりました。後期高齢者に仲間入りして、感謝なことに、誰にもそんな年には見られることも無く、それなりに元気です。

人生を楽しく過ごしたいものだと、昨年の秋ごろから、スポーツジムに行き、マシーンを使いながら足腰を中心に体を鍛えています。最近教えられたことは、“100歳人生の後半いや終盤は、貯金よりも貯筋に努める”ことです。

“ちょきん”と言っても、筋肉をしっかり貯える~~貯筋が大切というわけです。いい加減に、いいあんばいに体を鍛えようと思いながらやっています。

“いい加減”と言うと否定的な意味で使われますが、「お風呂、ちょうどいい加減だよ!」のように「ほどよい」「ちょうどよい」状態のときに使われ、「いいあんばい(塩梅)」とも言います。

加減するとは、足したり引いたりすることで、“いい加減”は、ちょうど良いバランスです。この“いい加減”のニュアンスが、発音によってはどうでも良い加減に、そして発音によってはいい塩梅(あんばい)になる微妙な日本語がまた面白いですね。                           

“いい加減に!無理をせず、がんばり過ぎない、頑張らないこと”これは、中高年ばかりでなく、若い時代の私にも聞かせたかったことです。


2019年5月13日 小坂圭吾      

2019年4月23日火曜日

今を生きる「事実をよく見る」


事実を見る

本棚を見ていると柳田邦男の本が3冊(事実シリーズ)もありました。少し色あせていますが熟読した跡があり、懐かしくひもときました。若い頃にこれらの本を読んで教えられ、「事実を見る」という姿勢が養われました。

自分でなかなか出来てないのも事実ですが、この言葉がとても好きです。事実というものにこだわる、事実を基軸にしてという姿勢ですが、先入観や社会通念を捨ててということで、これが言うは易く行うは難いものです。

「事実をよく見る」としても、それだけで分かるわけでもなく、「事実をよく聞く」ことも求められます。事実を確かめるには、複眼で見る目が求められ、視点を斜めから、上あるいは下から、相手の立場に立つ、海外に移してとか柔軟に移動することによって、事実の本質を読み取ることにつながります。

名医はどこか違う

柳田邦男著「事実の読み方」(新潮社)の中に、この中にこんな話があります。

ノンフィクション・ライターとして著名な柳田邦男氏。これは彼の知り合いである外科医H先生のお話です。H先生は、今にもずり落ちそうな古い靴下をよくはいている由。部長の肩書きをもつ立派な医者が、何でゴムのバカになりかかった靴下をはくのか、傍からみると奇異な感じさえします。

このずり落ちそうな靴下を見ただけでH先生の人柄を判断すると「身なりをかまわない人」とか「だらしのない人」と思ってしまいます。(これは先入観あるいは全くの推測!)しかし、柳田邦男はその秘密“をH先生から聞く機会に恵まれたそうです。

それによると、古い靴下を履くのは手術のある日なのだとのこと。大手術になると7―8時間も立ちっぱなしになり、足が冷えたり血行が悪くなる恐れがあります。新品のゴムのきつい靴下を履いていると血行に良くないので、ある時思いついてこのようにしたとのことでした。

手術を完璧なものにするために、ここまで気を配っていたというわけです。「やはり名医はどこか違うと感嘆した」と柳田邦男は書いていました。




よく見て、聞いてみないとわからない

事実というのは、その内容をよく確認する、よく話を聞いてみないと分からないもので、憶測や先入観を捨てないと間違いを犯してしまいます。事実は事実としても、それに自分の意見や憶測や先入観を加えることが何と多いことでしょう。

その結果、事実は脇に追いやられ、憶測や先入観に基づいた主観的判断が入り込み、真実とは程遠い話ができあがり、その話が人から人へと伝わるととんでもないことになってしまいます。

大事に至ったことを少し分析して見ると、意外と相手の話をしっかり聞いていなかった、見てなかったために誤解が誤解を、憶測が憶測を呼んでいたことが見えてきます。実に背筋の寒くなる思いです。

ある方より、こんな問題が起きていると相談に来られました。確かに聞く内容が事実だとしたら、大きな問題だと感じました。しかし、起きている状況や関係者の方々を見るに、こんな馬鹿な事実があるはずはないと思いました。

本人に直接確かめるにはどうかと思い、少し時間を置くことにしました。後日、ご本人からお話を聞く機会があり、そうだったかと驚きました。映画に例えていうならば、ある場面以降を見ると確かに問題に見えますが、その場面の10分ほど前の状況から見ますと何も問題ではありません。

テレビなどのニュースを伝えるときに、編集者の都合の良いところだけを切り取って問題にするのと似ています。事実をしっかり見て、聞いて判断することの難しさを学びました。

こんな教訓を思い出します。「他の人を裁く、悪く思う気持ちが起きたとき、よく知らないからそうなるのだ。」相手を受け入れられない場合、知らないことが多いので、悪く考えてしまいがちです。教会における交わりは、帰するところ人間関係です。

ですから、このような考え方も特に必要であるように思われます。目をしっかり見開いて「事実をよく見、よく聞く」ことの大切さは、言うまでもないことです。おかしいなと思ったら、まず見て聞いて確認する。その際、確かな情報源から確認することが大切です。

 「尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」(ルカ1:3-4) 

2019年4月22日 小坂圭吾