箱根・芦ノ湖 |
PDJロゴス・ブログ
2004年5月に「パーパス・ドリブン・ジャパン(PDJ)」を設立し、”健康な教会形成ミニストリー”をスタートしました。はじめて刊行しましたのが『人生を導く5つの目的』でした。 2013年1月には『創造主訳聖書』の刊行のために、PDJの兄弟会社として「ロゴス出版社」を設立し、両社は一体として運営しています。ここに10年を経過し、心新たな決意で取り組んでいこうと思っております。 (代表 小坂圭吾)
2021年1月15日金曜日
今を生きる「コロナ禍~笑いと喜びに変えていただく」
2020年12月19日土曜日
祈り「祈りは神との交わり~願いの祈り」
横浜ランドマークタワー |
2020年11月25日水曜日
祈り「聖書をゆっくり読む」
去る11月1日に『現代訳聖書・改訂新版』を刊行いたしました。翻訳者の尾山令仁先生ご自身による本文の見直しが数千箇所に、現代訳聖書翻訳委員による日本語の推敲と修正が、時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、約3万箇所を修正しています。
既に読まれた方々からは、更にわかりやすくなった、気になっていた言葉、箇所が修正されてよかった等、好評の声をいただき、うれしく感じています。表紙をビニール製にして広げやすくしたことも、聖書のコピーがしやすくなった等の声も聞かされ、長持ちして使っていただけるものと思っています。
“読むだけで良くわかる聖書”をこの日本で刊行することは、神のみ旨であると考えますが、改定新版を出すには多くの資金が必要です。献金によるしかないと判断し、献金のお願いを始めましたが、途中で集まるかな?と不安にはなりました。
神様が責任を持ってやって下さると思いつつも、集まらない時の他の手段も考えていました。3年にわたり献金のお願いをして、物価の値上がりによる計画以上の出費等も吸収して必要額が満たされ、主なる神様に感謝をささげます。
聖書の読み方
発売後、色々な方と聖書の読み方等について、お話をする機会を得ています。ある聖書を読む会では、皆さんそれぞれに使っておられる聖書を持参され、輪読していくそうです。訳が違う各人の聖書を、声を上げて読んでいきます。それを聞きながら、訳の違いを理解し味わいながら学びをしていく、それがまた良いとのお話でした。
先日、ある信仰生活も長い方の聖書の読み方をお聞きしました。彼は、3種類の聖書を並べて読んでいらっしゃるとの由。新改訳聖書そして現代訳聖書、もう1冊だそうです。常にそのようにしておられ、じっくりと聖書を読んでおられるのだと想像がつきます。
我が家の家庭礼拝では、今は現代訳聖書を第8版と改訂新版を使い、訳の違いを味わいながら読んでいます。時には、新改訳聖書も入れて読んだりします。
ゆっくり読む
最近、”聖書の読み方”について学びをしました。私たちは、毎日、時間と場所を決め、静かに神様と個人的に出会う~聖書を読み、神の御声を聞いて黙想する~そして生活の中で適用していくことを目指しています。これが、毎日のデボーション、静思の時(QT:Quiet Time)です。
この時の”聖書の読み方”について考えてみました。まず聖書を読むことについては、聖書個所をゆっくりと読む、2~3回ゆっくり読みましょうと言われます。このゆっくり読むとは、どういうことをするのでしょうか?
人それぞれにゆっくりのペースがあります。神について何かを知るためではなく、神様ご自身と出会うために読むのです。ですから、普通の本を読むのとは違う、それなりの読み方があるはずです。ですから「ゆっくり読む」のです。”聖書を非常にゆっくり読む”のです。2~3回ゆっくり読みましょうとは、このことに通じるのです。
具体的には、反芻(はんすう)するように読むことです。反芻するとは、牛や羊が牧草を口に入れて何度も噛み、一度胃に入れて、また口に戻して噛み続けることです。
私の幼いころは、近所に牛の姿がよく見られて、のんびりと反芻している姿があり目に焼き付いています。ですから、反芻するとは、何度も読む、行きつ戻りつしながら読む、また戻って読むことだと理解できます。
はじめに神が天と地を創造された。(神が・・天と地・・・創造・・)地は茫漠として何もなく、(茫漠・・)闇が大水の表の上にあり、(闇が・・大水の表の上・・)神の霊がその水の表を動いていた。(神の霊・・動いていた・・)
何度も同じ個所を繰り返し読む、まとまった個所を読んでまた最初に返って読む。途中で時々少し戻る。規則はなく、自由に読んでいくのです。まとめますと、「聖書を非常にゆっくり、行きつ戻りつしながら、何度も読む」ということです。
こうしていきますと、心に触れたみ言葉や疑問点等が生じて黙想へと導かれ、神様との対話へと進んでいくことが出来ます。今までのご自分のやり方に、時には、この”ゆっくり読む”を取り入れることが、デボーション、QTのやり方としてとても意義あるのではないかと思います。
2020年10月26日月曜日
コーヒーブレイク「『現代訳聖書』が新しくなりました」
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現代訳聖書・改訂新版 |
『現代訳聖書(旧新約)』を、11月1日に「改訂新版」として新しく刊行いたします。1983年に初版が刊行され、「読むだけで分かる聖書」として多くの人に親しまれてきましたが、多くの皆様の祈りと尊い献金に支えられて、ここに改訂新版刊行の運びとなりました。
初版を発行してから、部分的に改訂をしながら10版まで重ねてきました。それ以降、印刷の前工程のシステムがデジタル化により大きく変わり、10版で使用した組版が使用できない状況となったため、一連の組版作成作業を一から行なう必要が生じました。
言葉は二、三十年で変わるという常識から、本文の見直しも全面的に行なう必要を感じ、5年ほど前から大幅改訂の作業に取り組みました。具体的には、現代訳聖書翻訳者の尾山令仁先生ご自身による本文の見直しを行い、修正は数千箇所にのぼりました。
また、現代訳聖書翻訳委員会(主宰:小坂直人)による日本語の推敲と修正を行いました。日本語自体を見直す作業で、古い言い回しの修正、送り仮名の変更、漢字とひらがなの使い分け、句読点の調整、接続詞や代名詞や敬語などの調整等々、時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、約3万箇所を修正しています。
言葉は世の中の動きと共に変化します。数年前に広辞苑が10年ぶりに大改訂され、新しい項目が約1万項目も追加されたことは記憶に新しいところです。新聞で使われる言葉も毎年のように更新されているようですが、それらの情報も取り入れ、日本語の見直しを進めてきました。
現代訳聖書ができるまで
『現代訳聖書』は、日本人への伝道牧会の現場から生まれた聖書です。1953年、神学校を卒業した尾山令仁牧師は、開拓伝道に励みながら聖書の私訳に取り組み始め、聖書講解書や月刊誌『羊群』に連載していた講解説教に付ける形で翻訳を進めました。
私が学生の頃、尾山先生がW大KGKで創世記の学びを指導しておられ、そこで私訳に基づいてお話されていたことを思い出します。その後、『新改訳聖書』の翻訳委員としての責任を担う中で、「読むだけで分かる聖書」の必要性を強く感じるようになりました。
そのような時に、アメリカ聖書協会の翻訳者であり、言語学者のユージン・ナイダ博士の「ダイナミック・エクイバレンス」という翻訳原則に出会います。
これは、従来行われてきた「原語に忠実」という翻訳原則ではなく、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて「原文の意味に忠実」に訳すという原則であり、ウイックリフ聖書協会や一般の翻訳書において採用されている翻訳原則です。
この原則に基づき、“キリスト教の背景を持たない日本人にも分かる聖書”を目指して翻訳が進められ、1983年10月に旧新約聖書66巻を『現代訳聖書』として刊行するに至りました。費やした年月は30年、刊行後も随時手を加え、版を重ねる度に改訂を行なってきました。
現代訳聖書・刊行の意義
聖書を翻訳によって分類すると、「原語に忠実」な聖書と「原文の意味に忠実」な聖書の2種類に分けられます。『新改訳聖書』、『新共同訳聖書』等が前者の“原語に忠実な聖書”であり、『現代訳聖書』が後者の“原文の意味に忠実な聖書”になります。
「原語に忠実」に訳した場合、2千年以上も前の原語をそのまま訳すわけですから、当時と風俗習慣が違う私たちには理解できず、良くわからないことが多々出てきます。時代背景が異なる上に、ユダヤ的表現法が随所に見受けられ、昔の度量衡や貨幣が出てくる等々、理解を困難にしています。
「原文の意味」に忠実に訳すという翻訳原則で訳された聖書は、英語圏では十数種類出ており、多くの人に読まれております。「『現代訳聖書』を読むと、意味の分かりにくい箇所がよく分かる」というご感想をいただくことがよくありますが、それは、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて、「原文の意味」に忠実に、原典に聖書解釈を加えながら訳していることによるものです。
今回の改訂に当たり、多くの資金が必要となり、3年にわたって献金のお願いをしてきましたが、必要額が満たされましたことをここにご報告し、感謝を申し上げます。主なる神様に賛美と感謝をささげます。
私たちはこれからも、「読みやすく分かり易い聖書」を出し続けていきたいと願っています。日本人の多くは、八百万の神しか知らず、99%の人々が真の神さまを知らない状態です。聖書は隠れたベストセラーかつロングセラーの本ですが、日本では多くの方々が積読(つんどく)状態にあるのではないかと思われます。
ですから現代訳聖書刊行会の使命は、現代の日本人に「読みやすく分かり易い聖書」を届けていくことにあると考えています。一人でも多くの日本人に聖書を読んでいただくために、この『現代訳聖書』が用いられることを心から願ってやみません。
2020年10月26日 小坂圭吾(現代訳聖書刊行会・代表)
■現代訳聖書刊行の歴史
1978年11月 現代人の聖書(新約)初版発行
1983年10月 現代訳聖書(旧新約)初版発行
1989年12月 現代訳聖書(新約普及版)初版発行~小見出し・脚注付き
1994年11月 現代訳聖書(旧新約)6版発行~小見出し付き
2000年04月 現代訳聖書(旧新約)8版発行~小見出し付き・文字大きく
2004年05月 現代訳聖書(旧新約)10版発行~小見出し付き・文字大きく
2016年01月 現代訳聖書(旧新約)日本語の見直しを開始
2017年04月 現代訳聖書(新約11版)電子書籍版(キンドル版)発行
2020年11月 現代訳聖書(旧新約)改訂新版発行~小見出し付き・文字大きく
2020年9月21日月曜日
祈り「求めなさい、そうすれば与えられます」
河口湖 |
コロナ禍の猛暑
今年の猛暑には、少しへばって“夏バテ”かな?と思わされました。何とか凌ぎましたが、気候変動による想像を超えるリスクを実感させられます。洪水や台風などの被害の大きさは、年々大きくなっており、暑い夏は9月まで続きました。
世界に目を向けると、熱波が世界を襲い、米国カリフォルニア州では、8月に気温が54.4℃を記録、フランスやスペインでも40℃を超える日が続いた由。米国カリフォルニア州では、今夏、熱波による記録的な乾燥状態の中で落雷があり、大規模な山火事が続き、被害額は莫大です。
農業や建設業、運輸業等では、暑くて外で働けなくなるとか、仕事効率が落ちていることでしょう。先日久しぶりに涼しい朝に20~30分散歩して、「これって、1か月ぶりかな?」と、猛暑が続く中、巣ごもりをしていたのだなと思わされました。
3密でなければ、恐れる必要はない
コロナ禍の中にあって、人々は家に居て外に出ないようにと言われ、夜の外出や宴会などはとんでもない。手を洗い、マスクをつけてー。マスクをつけることは大切ですが、不要な時にはつける必要はないと感じます。
人々と接近する場面では、当然マスクをエチケットでつけますが、散歩の時や往来で人がまばらであれば、マスクをつけることはせずに、手に持って歩きます。外に出ないようにとのことについては、人が行かない所に出かけて、ウオーキングをしっかりやります。
箱根、富士山の南麓、河口湖に避暑とウオーキングに行きましたが(車を使います)、道路も現地も空いていて楽しくリフレッシュ出来ました。7月から、公的なスポーツ施設が解禁になり、水泳やフィットネス・トレーニング室に行くと、平日はコロナ禍の定員の半分以下でガラガラです。2か月経過しても、あまり変わらず、貸し切りのような状況で、ぜいたくに使わせてもらっています。(もったいない!)
コロナ禍に対して、3密を避けて十分注意しますが、人が密集しなければ、恐れる必要はありません。恐れて閉じこもるのではなく、必要な行動はしていくべきであろうと思います。
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富士山とフジアザミ |
100年に一度と言われるコロナ禍に対する戦いは、コロナと共に生活することになり、これからもしばらく続くことでしょう。毎日の生活の中で、様々な新しい問題が起こってくる、将来に対する不安がある、新しい知恵を求められる、どうして良いかわからない等々のことが起こってきます。
様々な制限がある中、神さまの前に静まり、イエスさまとの関係を点検する、再構築する機会にしていくことが大切です。全知全能の主に頼る、私たちの最大の武器“祈りについて”考えて見ましょう。
「求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば、見出します。たたきなさい。そうすれば、開かれます。」(マタイ7章7節)
この箇所では、“祈りの積極的な励ましと命令”が与えられています。根気よく、あきらめないで、忍耐強く祈ることが勧められています。なぜ、祈らなければならないのか?それは、神がわたしたちの求め、願いをご存知ないからではありません。
神は全能の主でいらっしゃるので、私たちの求める以前から、必要なものをご存じです。神は本当に必要を感じてもいない者に、無理強いをして与えることをなさらないのです。“祈り求める”ということの意味は、私たちにとって、それが本当に必要だということ、それを与えて下さるのは、天の父なる神であるという信仰の表明です。
天の父なる神が与えて下さるのだという信仰が必要で、「求めよ」「探せ」「たたけ」と三度違った言い方で強調的に教えておられるのです。
「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7章8節)
主イエスは、約束してくださいます。主イエスを信じて、やってみようと求める、探す、たたくのです。自分にとって何が必要なのかがわかっていたら、それを求めれば与えられます。何が必要なのかが良くわからない時には、熱心に探し続ければ、見出すことができるのです。
私たちにとって、切実な祈りであれば、途中でやめたりせず、祈り求め、続けましょう。そのことがとても大切です。私たちは、祈りを通して、神の光に照らされ、求めるものが与えられ、生きる力が与えられ「よし、やるぞ、やってみよう」と一歩を歩み出す者となれるのです。「切実に祈り求め続ける」そのようなものにしていただきたいと思います。
2020年9月21日 小坂圭吾
2020年8月24日月曜日
今を生きる「人生は人・本・旅を通して、豊かに楽しく」
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立命館アジア太平洋大学 |
大分県別府市に2000年4月に開学したユニークな国際大学・APU大学(立命館アジア太平洋大学)、開学20年で日本人と留学生が半数ずつ在籍し、授業は日英2原語で開講しています。
名前は聞いたことがあるという程度の認識しかなかったのですが、今年になって、孫が第一志望でこの大学受験に受かり、コロナ禍の中でオンライン授業を受けているようです。この1年ほど日経新聞を読んでいますと、出口治明さんが記事を書いておられて、彼がここの学長と知ったのは、今年の初めごろでした。
なかなか見識の広い方だなと思いつつ、5月ごろに「還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方~」(出口治明著、講談社現代新書)が刊行されました。日経新聞に広告が出て、すぐに買い求めて読みました。
自分の好きなことをするのが一番幸せ!
「還暦からの底力」というタイトルといい、サブタイトルの“歴史・人・旅に学ぶ生き方”にとても引かれたのです。孫が行く大学の学長さんでもあり、その考え方も知りたいという事も大きいようです。先日、家人も読んで面白かったと言っています。
「60歳になったらこれを、70歳になったらこれがお勧め」というハウツー的な話が全くないのは、読んでいてすがすがしい。“人間は、一生懸命自分の好きなことをするのが一番幸せだ”との考え方が根底にあるからでしょう。
聖書的立場から言えば、全く受け入れられない考え方もありますが、刺激を受け共感した事柄を一言でいえば、次のようなところです。
“人生100年時代、色々な人に会い、色々な本を読み、色々な所に出かけて行って、刺激を受け、沢山の学びを得る。パワフルに行動するためには、その人にとって一番若いのは、今のこの時、すぐ行動する。何でも今すぐに早く始めた方が良い。迷ったらやる、買う、行く。「7~8割これは良い」と思ったら行動する。”かなり発破をかけられる示唆に富んだ書物でした。
「人・本・旅」
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著者ほど多くの「人・本・旅」の経験をしているわけではありませんが、人生を豊かに楽しく、かつ人々に役立つことをしていくには、これが基本だと思わされます。
人生100年を春夏秋冬で言えば、私の場合、今は秋の後半で冬はほとんど無いのかなと思う楽天家です。体力的には秋ですが、総合的に考えれば、秋たけなわであり、まだまだ人生長いというべきでしょう。60代に70代にならなければ、分からないことが在ると言われますが、その通りだなと思います。
振り返れば、私も60歳(還暦)から、第二の現役が始まり、PDJミニストリー(健康な教会ミニストリー)を始めました。自分の力ではなく、神様によって始めさせられたというのが正しいと思います。
70歳になって、これまた神さまによって、聖書ミニストリー(創造主訳聖書の刊行、しばらくして現代訳聖書・改訂新版プロジェクトに取り組む)を始めさせられました。始めるきっかけは、周りの状況がそれをするしかないという状態に置かれ、押し出されるままに一歩を踏み出したのです。
自分で考え、好きで始めたのではありませんが、一所懸命に一緒にやっていると好きになるのも確かです。若い時は、自分が考えて始めたなどと思ったことも多々ありますが、今は状況が良く見えるのかそのようには考えられません。
その具体的推進には、色々な人に会い、色々な本を読み、色々な所に出かけて行って、刺激と沢山の学びを得て、このようにやったらと主からチャンスとヒントをいただきます。
それ以上に、一緒にこれらを推進した方々がいたことが、最大であったと思います。私の果たした役割は、ほんの少しだけです。60歳、70歳という節目節目に、神さまの絶妙な導きにより、私に働いて下さいました。
2020年7月25日土曜日
コーヒーブレイク「ブログを書き13年、感謝とつぶやき」
京都・天龍寺 |
感謝なこと
書き始めて良かったことは、とにかく勉強させられ、得ることが多くありました。本の出版に絡んで始めたことですが、途中からは、自分で学んだことや教えられたこと等があると、この事を書いて発表する場があり、励みになる事を発見しました。
10数年を振り返ると、“まさかの出来事”に遭遇し、その事を記事にすることが何度かありました。新型コロナ感染拡大による私たちの生活の大変化は、”まさかの出来事“です。
「どんなことでも、つぶやいたり疑ったりせずに行ないなさい。」(ピリピ2:14 現代訳)