2009年11月18日水曜日

今を生きる 「時を考える(1)」

       時(とき)について
今年の夏に、数年ぶりに「伝道者の書」を読み、“むなしい人生”について書いている内容の深さ、おもしろさにあらためて感動しました。まさに人生論の集大成で、第3章には「時」のことが書いてあり、広辞苑で調べてみました。“①過去から現在へ、更に未来へと連続して、とどまることなく過ぎゆく現象。時間。②一昼夜の区分。時刻。刻限。③特定の時期。④時勢にあうこと。等”の説明があります。そして、「時は金なり」の使い方についての説明があり、時間は貴重・有効なものだから、無駄に費やしてはいけないとあります。そのほか「時を争う」「時、人を待たず」「時に遭う」色々な使い方についても説明があります。まずは、“時の中の時間”について考えてみようと思います。

     時間管理
ピーター・F・ドラッカーの名言集「仕事の哲学」の中に、“時間管理”について述べているところがあります。私たちは、自分の時間の中で、無駄な時間をそれほど使っているとは思っていません。ドラッカーは、「成果には何も寄与しないが無視できない仕事に時間を取られる。膨大な時間が、実はほとんどあるいはまったく役に立たない仕事に費やされる。」と書いています。時間は、誰にも平等に与えられた一日24時間です。ある若い人に、「私たちは、無駄な時間を過ごしているのだよね!」と言ってみたところ、「え、例えばどんなこと?」と聞かれました。ほとんど意識してないのでしょう。若い時から中堅時代には、時間はいくらあっても足りないくらいですが、実に、無駄などうでもよい事に時間を費やしているものです。自分の経験から言いますと、読まなくても良かった本、おもしろくも何の益もなかった映画、ついつい時間をとられたインターネットの検索、見なくても良かったテレビ番組、出席しなくても良かった会合、委員会等々、やめても問題の無いものは、山ほどであります。

   無駄なものを捨てる
 私たちの1日の生活は、実にさまざまで複雑です。無駄な事に時間を浪費することは、いつの日か習慣のようになり、歯石のようにたまります。歯石は、掃除をしない限り落ちません。今年も年に1度の歯石の掃除に、そろそろ行こうかと思っています。1週間、1ヶ月のスケジュールを見ると、いつの間にか時間の浪費に過ぎないようなことがたまり、ドラッカーは、これに対して処方箋を書いています。「最低でも年に2回ほど、3、4週間継続して何をしたかの記録を取る必要がある。記録を見て、日々のスケジュールを見直し、組み替えをしなさい。」「まったくしなくても何も起こらないなら、その事はやめてしまうべきである。」と勧めています。私もこの助言を頂いて、それほど詳細ではありませんがスケジュールを記録した手帳を見ながらCHECKしますと、無駄で止めたほうがよいものが見つかりました。

無駄なことを抽出するばかりか、これはやらない事にしようと決めることも大切です。優先順位をつけることは、大事なことを選び出すことですが、逆にやらないことを決めることでもあります。「何をやらないのか」を決めることが、案外簡単な場合もあり、そうすると時間がどんと浮くこともあります。そうする事により、時間の使い方を見直して、心の余裕とゆったりした時間、重要な事にはしっかり時間をかける事が出来ます。本来のやるべきことに時間を注ぐことが出来るのです。
 時間について考えてきましたが、このようなテーマで書くのも時がある、何事をするにも時があるとの聖書の言葉を思い出します。時には、あるいは年に時々、自分のスケジュールの大掃除をすることを大切にしたいと思います。

「この地上には、何をするにも時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、ーー
 保存する時、投げ捨てる時、ーー」(伝道者の書3:1-2、6 現代訳)

2009年11月18日    小坂圭吾

2009年11月3日火曜日

健康余話 「ウオーキングをする(2)」

     ブラブラ歩く
先月から、NHKテレビで「ブラタモリ」番組が始まりました。街歩きの達人・タモリさんとともに、都会の街並みをブラブラ歩く一味違った楽しい番組です。ふだん何気なく見ている、十分に知っていると思っている風景の中に、意外な歴史や秘密があります。過去の痕跡やエピソードを探し、古(いにしえ)の風景をCGで再現している探検散歩です。NHK久保田アナウンサーとのやり取りも楽しさを増してくれます。第1回は“早稲田”つづいて“上野”そして“二子玉川”で、どの地域もそれなりに詳しいと思っていましたが、驚きも沢山ありました。第4回は“銀座”で、タモリさん流の目のつけどころの違った“銀ブラ”でした。銀座の“通り”そのものにこだわり、ビルの路地裏、道路の真ん中より見るわずかな高低さ、碁盤の目のような街路の構造等々、銀座の歴史400年をも楽しみながらの銀ブラです。ブラブラ歩く、ウオーキングをするのに、ある目的を持って見て歩くと大きな発見があるものだと教えられます。

    新たな発見  
ウォーキングを意識してやるようになったのは、シェイプアップ効果と手軽に出来ることからです。このような有酸素運動では、脂肪が燃焼されるのは20分を過ぎてからと言われています。1回につき最低でも20分以上続けかつそれを出来れば1日に数回、週に3日間くらいのペースで続けられれば文句なしとのことで、何とか継続しています。歩く時は一日9千歩から1万歩で、週に3日間は歩きます。自分と向き合い、五感に感じ、自然と調和しながら歩くことは、健康の良きパートナーです。

「ブラタモリ」にも刺激されて、ウオーキングをする際、色々と探索するようになってきました。先月、私の家から歩いて10分以内にある公園全てを、カメラを持ってつぶさに探索しました。意外な発見!それは時計です。大小さまざまで10箇所の公園、そのうち4箇所に時計塔があります。少し前の記憶ですと、時計が止まっていたり時刻がまったく違ったりと役に立ちません。最近は、時刻が合っているようだなと思って見ると、その秘密がわかりました。なんと“電波時計”に変わっていたのです。電波時計は、誤差が10万年に1秒とされる正確さをもつ「原子時計」、この「原子時計」をもとに送信される標準電波を受信し、自動的に時刻や日付を修正する時計です。時計をよく見ると“PULWAVE”と書いてあり、どの時計もS社の製品で正しく時刻が合っていたのです。

     目に見えない電波
この電波時計を見て思ったことは、私たちの信仰も目に見えない神様からの電波を絶えずキャッチしているのだと!受ける側の信仰が、神様からの電波をしっかりと受信していれば、確かな歩みが出来るのだと聖書の言葉を思い出しました。そして、私たちが知らないところで、神様にいつも守られているのです。感謝と共に、気が休まります。
 思えば、この1週間のうちにヒヤリとしたことがいくつかありました。成田空港へ迎えに行っての帰りに、日も暮れ、首都高速で左に曲がるべき道を気がついたのが遅く間違えてしまい、やむなく高速を降りる(首都高速では、何度か道を間違えています。難しい!)。すぐに一般道路の交差点に入り、真ん中あたりで赤信号と気付く。あたりは真っ暗ですので、あの赤が目立ちました。「あ!赤信号だ。ヤバイ!」少し気が動転していたのか?信号無視?家族のものが「黄信号だったので大丈夫!」と言ってくれましたが、目の前にはパトカーが止まっています。冷や汗だらり!ですが無事に過ぎました。
翌日、参議院議員補欠選挙の期日前投票に車で行く途中、一方通行をゆっくり走っていました。突然、宅急便の車が出てきて、間一髪、急ブレーキと警笛を鳴らす。車の運転手が降りてきて「人に気を取られて、気がつきませんでした。すません!」「まあ、気をつけて行きなさい!」これらのことについて妻のコメント!「事故が無かったことを感謝しましょう。」ホッ!

「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。」(詩篇92:11 現代訳)
2009年11月3日    小坂圭吾

2009年10月19日月曜日

 健康余話 「ウオーキングをする(1)」

     PGAシニアツアーを観戦
10月1日(木)にPGAシニアツアーの今季第4戦、富士フイルム・シニア・チャンピオンシップが千葉県平川カントリークラブで開催されました。下手の横好きでゴルフを楽しむ一人ですが、実際に観戦に行ったことはありません。シニアプロの方が身近なので、何かと刺激になるだろうと決心して行きました。横浜から千葉に行き更に外房線JR誉田駅へそこからギャラリーバスでゴルフ場まで、約2時間半あまりかかります。来場者は、平日ですからほとんどが中高年の方々です。行くと既に17組までスタート済みで、18組目がシニアツアーで4年連続賞金王になった高橋勝成プロのスタートでしたので、その組について観戦しました。前組が飯合肇プロ、倉本昌弘プロ、前々組が青木功プロ、尾崎健夫プロ他でした。スタートしてすぐに、ある中高年のAさんと話が弾み、一緒に一日まわる事になりました。このゴルフ場から家までは近く、自転車でも行けるゴルフ場が5箇所くらいあるとのことです。いかに千葉県にはゴルフ場が多いか推察できますが、約150はあると聞きました。

   観戦は一緒の方がいい!
最初は、半分ほど見て昼食を食べて帰ればいいと考えていました。普通ですと入場料を取られますが、スポンサーの気前が良く、60歳以上は無料、ゴルフクリップのマ-カー&スポンサーのお土産を頂きました。(実は、このスポンサーは第一の現役時代に勤務したところです!)ご一緒にまわったAさんに刺激され、全て観戦しようと心を入れ換えました。全部回るのに約5時間弱でしたが、一人では途中やめていたでしょう。プロ選手権の場合は、9ホール終わって休むことはせずプレーを続けますので、4時間半から5時間続けてのスループレーです。観戦する人たちの中には、折りたたみイスやシートを持ち歩き、お昼近くになると、おにぎりを食べながら観戦です。9ホール観戦したところで、私は昼食会場に戻り、急いで食べて観戦に戻ります。Aさんは休まずそのまま行かれ、途中で合流しました。

その日は、秋晴れの気持ちのよい日でした。万歩計によると約1.5万歩です。歩幅が70CMとすると 0.7M X 15,000 = 10,500M すなわち約10キロメートル歩いた事になります。帰宅後、別の方法で距離の計算をしてみても、ほぼ同じ結果になります。Aさんと「かなり歩きましたね。それにしても、5時間、腰を掛ける事もしないで立ったままで10キロ、これはハードです。」「そう、彼らは、足腰をしっかり鍛えているよね。」彼は、途中で腰を掛けることはせず、私は、後半何度か腰を下ろして、観戦でした。

        腰痛になる!
ゴルフは、あまり運動にならないと、10数年前までは言われたように思います。近年、ウオーキングが健康に良いと言われだしてから、そのように言うのを聞いたことはありません。私もゴルフをする時に、何度か万歩計で歩数をはかりましたが、約1.2万歩ですので約8キロメートル歩きます。カートを利用しますが、10年ほど前までは、カートなどに乗ったことはないので、足腰の鍛え方が不足かなと考えさせられます。
5年ほど前にちょっとしたことからギックリ腰になり、それ以降、腰痛予防の体操を毎日しています。今年の4月に突然腰痛になり、全治1ヶ月かかりました。その後ウオーキングして長時間歩きますと、腰痛ではなく右足の太ももの裏辺りが痛くなりました。4月の腰痛の時にまず右足の太ももがおかしくなった事を思い出し、足腰全体をしっかり鍛えなければならないと感じました。筋肉をしっかりケアーしないとウオーキングも出来ないと感じ、体を鍛えるストレッチがよいのではと調べました。ストレッチのよい本があるに違いないと探したところ、やはり見つかるものです。8月からストレッチを初めて3ヶ月、その成果がはっきりと出て来ました。体全体の筋肉が硬いのですが、自分でも少し柔らかくなったと感じ、長い間歩いても足腰の痛みは出てきません。1時間、2時間のウオーキングにも耐えられるようになり、主の導きに感謝しています。

「私の足を雌鹿の足のように強くして、高いところでもどこでも、行くことができるようにしてくださいます。」(ハバククの預言3:19 現代訳)

2009年10月19日    小坂圭吾

2009年10月5日月曜日

今を生きる 「やり抜く」

                       
    国会議事堂訪問
  先月9月14日(月)、民主党議員のお世話でJASS(日本セカンドライフ協会)の仲間と国会議事堂を訪問しました。衆議院議員選挙後の特別国会開催に向けての準備もされつつありました。1936年(昭和11年)に完成した国会議事堂は、70年来のリニューアル工事で、昔の汚れを落として白い輝きを取り戻して、花崗岩の外壁が現れています。約30年前にアメリカのワシントン国会議事堂を訪問したときのことを思い出し、それと比較して、さすがに日本らしい立派な造りであると思いました。床は大理石、赤じゅうたん、窓と天井にはステンドグラス、中央広間の壁画等々です。議事堂の正面向かって右が参議院、左が衆議院となっています。参議院議場と衆議院議場はほとんど同じですが、参議院のみ議場の正面中央が国会開会式のときに天皇陛下が臨席されるお席があります。中央広間には、議会政治の基礎を築くのに功労のあった伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像が建っています。台座の4人目は、誰にするか決まらなかったために空席でしたが、「政治に完成はなく、未完の象徴」との意味もあるとのことです。

      走り抜く
  今回、民主党の圧勝により政権交代がなされ、顔ぶれが一新し改革がなされます。色々と紆余曲折があるにせよ、“大切なことを何が何でもやり遂げてほしい”と願います。走り出してまだ1ヶ月も経ちませんが、私たちは色々と変化を感じています。身近のところでは、妻が政治に関するニュースをしっかり見聞きするようになりました。「キット、多くの人が注目して私のように政治を見るようになっているでしょう!」とは彼女の弁です。先日の日曜礼拝後に昼食会があり、何人かの人々に意見を聞いてみました。「とにかく、政治がわかりやすくなった。各大臣が自分の言葉で語っているので、実に良くわかる!」「政権公約を大きく打ち出したのだから、やらざるを得ないだろう。是非、やり遂げて欲しい!」今までの負の遺産を大きく方向転換をしようとするのですから、色々な抵抗があることでしょう。当たり前のことを当たり前にやらなかった自民党・官僚政治であったかな!と今さらながら思います。私たちも実に保守的で、良いことであっても変革する事をためらいます。今度の新しい政権は、政権公約の実現を目指して、走り抜いて欲しいものです。                                                                          
      天国を目指して 
 今朝、ゴミを捨てるついでに朝の散歩に出かけたところ、近所にお住まいのカトリック信徒のSさんにお会いしました。「私も80才になりました」と言われ、「見るからにお若い感じです」と申し上げました。正直、そんな歳にはとても思えません。時々、公園等で教会等の事について、立ち話をさせていただきます。「いやあ、中身は年相応になっています」とのこと。公園で、いつものようにお互いに鉄棒にぶら下がりました。私の教会の恩師も80代前半、生涯現役と言っておられます。60代半ばの私は、これらの方々を見るにつけ、自分でがんばるのではなく、信仰によって走り抜きたいと思わされます。

  私たちも、自分の仕事、家庭、教会等において、自分のやるべき働きに一所懸命取り組んでいます。目指すゴールは天国ですが、この天国へのマラソンを走り抜きたいと思っています。若い時は、自分で走り抜こうとする事が多く、それでも何とかなる時もあります。しかし、やることが一杯でいらいらしている自分、疲れきっている自分が多いのではないでしょうか。その事に気がつき、神様にお祈りしますと不思議と平安と力が与えられます。神様を忘れて自分でがんばる姿は、神さまのエネルギー、スタミナを欠いた状態、車でいう“ガス欠”です。自分で変にがんばらないためには、主との関係をしっかり保ち、祈りが大切です。そんなこと当たり前!そうです。当たり前のことがきちんとできれば、熟達したクリスチャンなのだと思います。自分でがんばろうと力を入れなくとも、案外、物事はスムースに進みます。“スムースに”と言う意味は、ジグザグはありますけれども、主の御手の中で導かれていきます。人生というマラソンにおいて、このエネルギー不足、スタミナ不足にならないように毎日、あるいはそれに気づいた時、お祈りによって神さまのエネルギーを補充していただきましょう。
 
「主はいつも地上をご覧になっていて、主に心を向けている人がいれば、その人に力を与えてくださいます。」( 歴代誌2、16:9 現代訳)

2009年10月5日    小坂圭吾

2009年9月19日土曜日

一歩前に 「あるべき姿を求める(2)」

   イチロー、新記録安打達成!
  イチローがまた新しい記録(連続9年間200本安打)を達成しました。野球史上に燦然と輝く記録ですが、その背景にある彼の野球への取り組み姿勢に着目しています。イチローのすごさは、打撃技術もさることながら、試合への取り組み方、あらゆることに万全の準備をすることに感嘆します。たとえば、健康管理、けがをしないために、クラブハウスでフカフカのソファに座らないでパイプイス、それは長く座ると腰に負担がかかる。自分をコントロールして精神的にマイナスにならないようにするために、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻る。体力作りについては、彼オリジナルの方法で厳しく鍛錬している。あらゆる面において、どうあるべきかを考え追求しているのです。打撃技術については、アメリカのピッチャー総てが必死になって研究を重ね戦いを挑み続けて来るのですから、イチローも必死になって“どうあったらよいか”を考え、工夫を重ねて新しい打法を編み出し走り続けているのです。  

    一喜一憂しない  
 イチローの姿を見て、私たちの日常生活に模範として取り込むには、あまりにも差がありすぎる感があります。「どうあるのがよいか?」と常に考え実行しているプロセスでは、そこまでやるかと思うほどです。ひと言で言えば、鍛錬と節制ですが、そのなかで参考になることは、多々あります。三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻り、今回のように素晴らしいことを成し遂げても冷静です。自分をコントロールして一喜一憂しない彼の姿です。私たちの日常生活の中で、とかく一喜一憂が多いのですが、どうあるべきかを教えてくれます。
 打撃技術をはじめ、あらゆる事に万全を尽くしての準備を怠らないイチローですが、「打撃と言うものには、これでいいと言う形はない。従って、答えもなければ、終わりもない。」との言葉のように、彼は、常に理詰めで考えてあるべき姿を探し続けているのです。 

     人生の模範にならう
 私たちの人生の歩みについて「どうすべきか?あるべき姿は?」ついては、私たちの模範が聖書にあります。パウロは、「私にならう者となってください。」(Ⅰコリント4:16 新改訳)と言っています。パウロと比較して自分を見ると、その格差をおのずと感じますが、至らなさに着目ではなく、パウロの信仰にならおうというのです。模範を見て、自分の出来ることをやっていく。自分は自分でしかありませんし、模範にならいつつ自分らしさを発揮しながらやっていけばいいのです。

私の家では、月に2回ほど子供たちを集めて、妻が習字教室を開いています。「教会の看板だけでなく、孫に教えてあげるのもいいね!」と言うことがキッカケで始まったのですが、お手本をしっかりまねる子は、見る見るうちに上達するそうです。習字は、いつもお手本を見て、あるいは、お手本の上に紙を置いてその上から書いていきます。そうすると間違いなく腕があがります。私も小学生のとき、このようにして何年も習いました。(その割には、字がうまくなく、今は読みやすいとだけしか褒められたことがありませんがーー。)
模範・お手本と比較をして、違いを見て改善していきます。信仰生活において模範にならってできていることもあれば、少なくともこれは改善すべきことも多々あります。イエス様や使徒たちの模範と比較して、自分の足りない部分について、主の助けをいただきながら改善をし、イエス様にならう者として励んでいきたいものです。

「このように、主であり先生であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきです。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするために、模範を示しました。」(ヨハネ13・14-15 現代訳)
 
2009年9月19日    小坂圭吾

2009年9月7日月曜日

一歩前に 「あるべき姿を求める(1)」

     衆議院選挙で政権交代!
 8月30日の衆議院選挙で、民意の劇的なうねりの中で民主党が圧勝し、日本の政治に政権交代という新しい扉が開かれました。もう数年以上も前から自民党のやり方にうんざりしていた一人ですが、半年くらい前から、急激に地殻変動が起こりつつありました。29日に不在者投票に行きましたが、人が多くて50分待ちの状態でしたので、30日に投票しました。選挙権を得てから今日まで棄権をしたことはありませんが、今回ほど投票所が混んだ事は初めての経験です。
  ところで、注目の選挙区の当選者の方々のインタビューを聞いていて、政党に関係なく当選した方々の共通している点を発見しました。それは、自分の考えにブレがなく、信念を持ってやり抜いていること、そして政治家として自分の強みを生かして、“日本はどうあるべきか?やるべきことは何か?”がはっきりしていることです。そして、民意がどこにあるかを体でもって把握しているように感じました。これらの若手あるいは中堅議員の方々が、今後大いに活躍されることを期待致します。  

         うまいラーメン屋
  もう数年前になりますが、我が家の近くにラーメン屋さんが何軒も開店しました。昼食時などに気軽に行って味見をして、いつの間にか店の評定していました。あの店は雰囲気がよい、挨拶がよい、この店は麺がよくない、味が今一歩、こちらの店は値段が高い、メニューが総花的である、ここの店は綺麗ではないが麺と味にはこだわりがある――等々色々な観点から見ています。自分の頭の中には、あるべきラーメン屋なる店があり、それとの比較をしています。何回か行きますと、その店の評価が私なりに決まっていきます。家の近くに6-7軒ありますが、安くてそれなりにおいしい店もあります。年に数回は行く店で、先月、クリスチャンの知人Sさんにバッタリお会いしました。「安くておいしい店なので、時に来るのです」とのことで、奥様もご一緒で久しぶりに会話が弾みました。この店はチェーン店ですが、最初の頃と比較しますと、お客への対応、メニュー、味も改善されたと感じています。きっと顧客のことを考え、あるべき姿を思いながら改善したにちがいありません。

       60歳代でクリスチャンに
  知人Sさんは、60歳なかばで会社生活を終えて教会に通い始められ、一昨年のクリスマスに洗礼を受けられました。会社生活の先輩として存じ上げており、Sさんが教会に通い始めてまもない頃、これまた先輩のKさんを通してお会いしたのです。Sさんは、海外勤務で約20年間市場開拓に従事され、慌ただしい環境の中では、宗教に思いをはせる余裕はありません。40数年間の会社生活から解放されて、これからの過ごし方を考えた時、「人生にとって何が大切か、どうあるべきか」「心のよりどころは」といった課題に直面されました。かつての仲間や身近な知人と人生を語り合う機会が多くなり、その中にはクリスチャンの方もおられ、キリスト教が度々話題となります。それが契機で、Sさんは「よし、聖書を学んでみよう」と決意されます。後から思えば、色々な導きがあったことが思い出される由。30数年前に建てた横浜の住居に戻られ、幸いにも教会が徒歩圏内にあり、教会に行くようになりました。その後まもなくして、Sさんにお会いしました。「礼拝は、欠かさず出席するようにしています!」とのお話でした。「人生を導く5つの目的」の本を差し上げるつもりでしたが、「買って読みます」と言われました。「これは本気で求道されるのだ。神様を見出されるのもそう遠くはない!」との思いがよみがえります。

 「人生にとって何が大切か、どうあるべきか」を考えることは、どの年代であっても大切な最重要事項です。私の場合は、幸いにも学生のときにそのことを考えることが出来、神様を見出すことが出来ました。それから40数年になりますが、神様に出会われた方のお話を聞くにつけ、その方にとっては、“まさにこのときが神のときであった”と思わされます。そして、真実の道を求める、若い心のときであったのだと思うのです。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)
 
2009年9月5日    小坂圭吾

2009年8月19日水曜日

一歩前に 「人生は一緒の方がいい(2)」

   色々なコメント、書評を頂いて
新刊「人生は一緒の方がいい」(つながりを深める40日)を4月に刊行しましたが、この本は11種類目の本になります。“健全な人生、健康な教会形成”を目指して、少しはバランスのあるメニューが整ってきていれば幸いです。企画をする側としては、色々な方々のご意見を頂くと「そうだったか?」と目が開かれたり、「意図した通りだったかな!」と喜んだりで、どちらにしても感謝しております。今回は、スタッフから「書評にとりあげられたものを掲載するのはどうですか?」と促され、「それも良いね!」と思い早速書くことにしました。

     自分が出来なくても皆で一緒に
  先々月(6月)、横浜にあるキリスト教書店を訪問し、書店員の方にお話をお聞きしました。所属教会はスモールグループが盛んで、ご一緒に色々と読んでの感想だったと記憶しています。
「新刊「人生は一緒の方がいい」については、自分が出来なくても“皆で一緒に”というのが、励ましとほっとさせてくれるところがあります。『5つの目的』は、私がやらねばと迫って来るのですが、一人ではとても無理でも、皆で一緒にやればいいんだと考えると、気楽に出来そうですね。」
これは、この本の一番大切なところをずばりと指摘してくださいました。

  雑誌や新聞に”新刊の書評”として載せられたものの中から、ご紹介致しましょう。リバイバル・ジャパンの6月1日号に掲載された内容です。
「著者は、「目的のある人生」を生きていくのは、孤独な人生ではないことを第二弾である本書で読者に問いかけています。‐‐‐‐1課ずつ明快な聖書箇所を引用しつつ「一緒に生きる」ことの素晴らしさを生き生きと描き、読者を「一緒に生きる」ことへといざなっていきます。‐‐‐‐本書は、聖書が描いている「人との関わり」の価値がよく理解され、他者と一緒に生きることを大切にする人生観が養われ、結果として真実な、安全な交わりの実践の場としてのスモールグループが用いられていくことを主眼としているようです。セルグループやスモールグループを用いたミニストリーを展開してみたものの、なかなかうまく機能しないという悩みを抱えている教会リーダーにとって、聖書に基づいた本質的なものの見方を考え直すための好著といえるでしょう。」
発売して数ヶ月間、どのような反響になるかなと思いながら、楽しみに見ていました。この書評のように受け止めてくださった教会や信徒の方々から、スモールグループで読むことにしたというお話をいただいています。聖書が描く「人との関わり」の価値をよく理解し、他者と「一緒に生きること」ことの重要性は、私にとっては、「5つの目的」を読んでから目が開かれました。「一緒に生きる」ことの大変さもありますが、つながりなくしてはさびしい人生になります。

      ヤマアラシのジレンマ
次におもしろい書評をご紹介します。「恵の雨」2009年8月号に掲載されたものです。
「『ヤマアラシのジレンマ』という寓話がある。『二匹のヤマアラシが温めあおうと近づいたら、お互いの針で刺し合ってしまった。あわてて離れると、やはり寒い。』というコミュニケーションの魅力と煩わしさを表した話だ。本書は、人が互いに交わりを持ち、一緒に成長し、仕え合い、共に礼拝し、伝道することを神は望んでおられるという。では針の問題はどうすればいいのか?寓話が出した答えは、『適度な距離を保つ』という妥協案だったが、本書が提示するのは『キリストのことばを心に住まわせ、競争意識を持たず、要求よりも理解に務める』など、聖書が教える根本的な解決だ。神様に頼れば『針があるからこそ成長できる』と言うことさえできる。」(ヤマアラシの写真は、ウイキペデイアより引用)
人と交わりを持ち、他者と「一緒に生きる」ことを目指せば、お互いの針が必ず気になってくるものです。しかし、神様に頼ることによって成長できる素晴らしい世界があるのです。

「鉄で鉄を研ぐように、人の心も他の人の心との触れ合いによって成長する。」(箴言27:17 現代訳)

2009年8月19日    小坂圭吾