2018年6月17日日曜日

祈り「神に従う」


横浜ベイブリッジ
神の御心を知る

キリスト者として、神に聴くことの次は、神に従うことです。信仰生活を一言でいえば、神に従う生活です。「クリスチャン」の意味は、「キリストのもの」つまり「キリストの奴隷」という意味で、キリストに従い、神の御心にかなった生き方をする者のことです。

神の御心にかなった生き方をするために、毎朝神のみ言葉を読み、聖霊の助けによって神の御心を聞いて知り、従っていけば良いのです。ですが、御心がわからないために困っているか、自分の考えで走ってしまっている現状があることでしょう。

聖書の原則をわかっていながらも、すぐにその原則から外れて行動してしまう愚かな私たちです。ですから、私たちは、自分の生活に照らして毎日聖書を読み、黙想しお祈りします。こうして聖書と祈りの中で、具体的な問題について、聖霊が働いて下さり、心の中に確信を与えて下さいます。この為に、熱心に祈ることは重要で、動くことのない心の平安が与えられたならば、従うことです。

神に従う~内的な服従

神に従うことは、色々な形があると思いますが、普通は、聖書を通して神が語り掛けてくださる事柄に従うわけで、二つの面があり、内的な服従と外的な行為です。“内的な服従”とは、心の態度を全て神に仕えていくという態度で従っていくことで、何よりも重要です。

み言葉を自分に適用するとき、自分にはできそうにない事柄にぶつかる時、ともかく神の力をいただいてやってみよう、神の力によってそれが出来ると信じ神のみ言葉に従う決意をすることが、“内的な服従”です。

み言葉に対して自分を無力にして従うことになります。例えば、罪から離れること・捨てることや全てのものを神にささげること等です。罪について考えるとき、自分のためか、神のためかという視点で自分の態度を探りますと、神のためと言いながらも、自分のためという考えが心の奥底にあるものです。これは、悔い改めて神に従うべきポイントです。

また、私たちの全て、時間もお金も才能も私たちの人生そのものが神さまのものです。ですから、キリストの弟子として、自分の人生の全てを犠牲にして神にささげるという心の態度、神への服従の態度は大切です。

神に献身するという言葉ですが、神学校に行って牧師とか伝道師になることだけを指しているわけではなく、神の働きの為に自分の全てを使って(犠牲にして)働くという事で、クリスチャン全てに求められていることです。
外的な行為

“外的な行為”とは、心で決心したことを信仰によって行動する、信仰により生きることで、“外的な服従”と言うことが出来ます。み言葉から教えられ心で決心をしたが、いざやろうかやるまいかと躊躇しがちですが、一歩踏み出して行動します。罪を捨てる決心や一切を神にささげるという決心を、具体的に行為として実行することです。

そればかりか、毎日主を仰ぎ見つつ、物事にたいして選択と決断をしていくことが求められます。私たちの人生は、右にするか左にするかの選択と決断の連続です。信仰によって生きるとは、神のみ旨と思えることを選び、決断し、実行していくことです。

自分の望みを優先させるのではなく、いかに神のみ旨を選ぶか、神への従順にかかっているのです。神の約束を信じ、それに従って生きる生活をしていく事が、神さまに喜ばれることです。実行してうまくいかなければ、また神に聴いて従っていけば良いのです。

このようにして、み言葉を体験し自分のものにしていくとき、信仰的に成長していきます。信仰生活は、体験であると言われるゆえんです。

「信仰が無ければ、神に喜ばれることはできない。神のみもとに来る人はだれでも、神が存在することと、神は求める人に必ず答えてくださることを信じることができる。」(ヘブル11:6 現代訳)

2018年6月16日    小坂圭吾

2018年5月20日日曜日

コーヒーブレイク「『現代訳聖書・改訂新版』に向けて」


改訂新版に向けてスタート

「読むだけで分かる聖書」として多くの人に親しまれてきた『現代訳聖書(旧新約)』は、尾山令仁師の個人訳聖書として、1983年に初版が刊行されました。当初、全国の多くの方々にお願いをして“現代訳聖書”刊行の献金を募り、発行にこぎつけました。以来10版を重ねてきましたが、数年前にすべて売り切れとなりました。

これまでは、版を重ねるたびに改訂を行い、印刷費は教会で工面をする等、さまざまな努力を重ねてきましたが、10版の刊行以降、印刷の前工程のシステムが大きく変わり(一言でいえば、デジタル化による工程の変化)、10版で使用した組版が使用できない状況となり、ふりがなを付ける作業を含めた一連の組版作成作業を一から行なう必要が生じました。また、言葉は二、三十年で変わるという常識から、本文の見直しも全面的に行なうことにし、すでに改訂の作業を3年ほど前から始めています。

現代訳聖書ができるまでの経緯

『現代訳聖書』は、日本人への伝道と牧会の現場から生まれた聖書です。1953年、神学校を卒業した尾山令仁牧師は、開拓伝道に励みながら聖書の私訳に取り組み始め、聖書講解書や月刊誌『羊群』に連載していた講解説教につける形で翻訳を進めました。その後、『新改訳聖書』の翻訳委員としての責任を担う中で、「読むだけで分かる聖書」の必要性を強く感じるようになりました。

そのような時に、アメリカ聖書協会の翻訳者であり、言語学者のユージン・ナイダ博士の「ダイナミック・エクイバレンス」という翻訳原則に出会いました。これは、従来行われてきた「原語に忠実」という翻訳原則ではなく、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて「原文の意味に忠実」に訳すという原則であり、ウイックリフ聖書協会や一般の翻訳書において採用されている翻訳原則です。

この原則に基づき、“キリスト教の背景を持たない日本人にも分かる聖書”を目指して翻訳を進め、198310月に旧新約聖書66巻を『現代訳聖書』として無事刊行するに至りました。費やした年月は30年、翻訳原則を改めてからは20余年、随時手を加え、版を重ねる度に改訂を行なってきました。

現代訳聖書刊行の意義

 『現代訳聖書』と同じ翻訳原則(「原文の意味」に忠実に訳すという翻訳原則)で訳された聖書は、英語圏では十数種類出ており、多くの人に読まれておりますが、日本語訳では『現代訳聖書』だけです。過去30数年の歴史の中で多くの人々からお寄せいただいた支持の声は、“分かり易い”ということです。日本語の多くの聖書のわかりにくさは翻訳にあるといわれますが、現代訳聖書の分かりやすさは、「原文の意味」に忠実に、原典に聖書解釈を加えながら訳していることによるものと言えるでしょう。
歴代の現代訳聖書

聖書はかなりボリュームのある書物です。現代訳聖書10版の場合、旧新約聖書で約2100ページにもなり、普通の単行本約10冊分の分量に相当します。このようなボリュームの本を出版するには相当の資金が必要であり、この度の「改訂新版」については、印刷費も含めて千八百万円程度の資金が必要です。

今回はそのうちの不足分一千三百万円を献金によってまかないたいと思い、ここに献金のお願いをする次第です。(4月末現在で、約230万円の献金が寄せられており、感謝しています。)この聖書が一人でも多くの日本人の方々に読まれることを願いつつ、ご協力をお願い申し上げます。

2018520日    小坂圭吾(現代訳聖書刊行会代表) 

■ご献金の方法

・三菱東京UFJ銀行 江古田支店(店番190
  普通預金 口座:1069586
  現代訳聖書刊行会 代表 小坂圭吾

・ゆうちょ銀行 店名:098(ゼロキュウハチ)
  店番:098 普通預金 口座:3677351
         現代訳聖書刊行会

  領収書が必要な方は、下記までご連絡ください。

現代訳聖書刊行会                                
176-0012 東京都練馬区豊玉北11213 聖書キリスト教会ビル        
E-mailinfo@logos-pb.com FAX 044-872-8705        
(ロゴス出版社内『現代訳聖書』担当)

■現代訳聖書刊行の歴史

197811月 現代人の聖書(新約)初版発行                    
198310月 現代訳聖書(旧新約)初版発行  
198912月 現代訳聖書(新約普及版)初版発行~小見出し・脚注付き  
199411月 現代訳聖書(旧新約)6版発行~小見出し付き  
200004月 現代訳聖書(旧新約)8版発行~小見出し付き・文字を大きく  
200405月 現代訳聖書(旧新約)10版発行~小見出し付き・文字を大きく            
2014年06月 現代訳聖書(旧新約)日本語の見直しを開始
201704月 現代訳聖書・改訂新版(新約)電子書籍版(キンドル版)発行 


2018年4月9日月曜日

祈り「神に聴く」


東海の名城・掛川城
神さまが語りかけておられる

信仰生活とは、キリスト者として、神さまが私に何を望んでおられるかをよく聴き、それに従って生きていくことです。“聴く”とは、積極的に耳を傾けることで、聖書と祈り(神と個人的に交わる)を通して、神さまのみ旨をいかに知るかです。

私たちは、現在の事、過去の事、将来の事を思いながら、聖書を読み、お祈りをします。自分の生活を振り返りながら聖書を読みますと、毎日の些細な出来事を通して、神さまが私たちに語りかけておられる事を思い出すのです。

神さまが、耳に聞えるように語ってくださることは稀です。その声を聴くには、ラジオの受信機にたとえれば、チャンネルをしっかり合わせる必要があります。聖書のみ言葉、まわりの人々の助言、自然、毎日の些細な事を通して、神さまは語りかけておられます。

チャンネルの合わせ方は、毎日の出来事に注意深くなって、心を開いて、素直で謙遜な心でいますと、神さまが教えて下さるのです。ですから、聖書と祈りの中で、自分の生活に照らしながら、神が語られたことを振り返るようにします。

祈りの課題について

 私たちは、神さまに感謝と色々なお願いの祈りをします。毎日、毎週、毎月のように祈りの課題がありますが、課題とその結果を書きとめるのも有効です。私も月の始めに祈りの課題を書き、1か月後にどのように導かれたかを振り返って書きとめ、新たな課題に更新します。祈りの課題は、出来るだけ具体的に書くように心がけています。

過去の祈りの課題を振り返りますと、日々の些細な出来事の中から、神さまに示され違う方向に舵を切ったことがいくつかあります。数か月前のある問題については、将来の事を考えると今着手すべきと示され、嫌な事も多い事柄でしたが取り組みました。

祈りながら前に進みますと手助けと知恵が与えられて、ほんとに感謝しました。毎日の生活の中では、滑ったり転んだりの生活ですが、神さまに感謝と共に謝ることも多いのです。



信仰は体験である

祈りの課題の中に、具体的でなく何をすべきかわからないという課題もあります。ぼんやりはわかりますが、神さまがはっきりと導いてくださることを願い、神様にお聴きする祈りです。祈りながら、1週間あるいは1か月もすれば、方向性とかやるべきことが見えてくるのです。

壁にぶつかり前に進めないような事柄もあります。どうしたら良いでしょうかと祈るしかありません。このブログを書くにあたり、良いネタが無くて困っている時、1週間もすれば、お祈りに答えてタイミング良く知恵が与えられることがしばしばです。

私たちの父なる神さまは、全能のお方、全てを知って良きに導かれる方、この体験を積んでいきますと、主なる神さまとの信頼のパイプが太くなり、信仰が強められます。“信仰は体験である”と言われる通り

「求め続けなさい。そうすれば与えられます。捜し続けなさい。そうすれば見つかります。」(マタイ7:7 現代訳)

2018年4月9日    小坂圭吾


2018年3月12日月曜日

考えるヒント「何のために?目的は何?」


穂高連峰と梓川
思考の癖(くせ)

私たちは誰しも、無くて七癖(ななくせ)と言われるほど癖を持っています。本人は気がつかなくても、まわりの人は分かるものです。では、“思考の癖”については、いかがでしょうか?

私たちが陥りやすいのが、何かを決めようという時、多くの人が「これだ!」と良い案に飛びつくことです。“衝動買いをした”というのは、このことですね。そこで一息入れて、何のために?目的は?他に良い案は無いだろうかと考えるのです。

前回、「食事のとり方を見れば、その人の人柄、健康状態等が分かる!」と言われると書きました。この意味は、賢い人は、食事という場面でちょっと考え何に気をつけて食べるかを決める、それが自然に身についているということでしょうか。食事をすることは、どれほど健康に影響を与えるかを知っていますので、その事を考えて行動しているのです。

何のために?

 何をやるにしても、「何のために」という明確な目的意識をもって行動するか、行き当たりばったりの行動をするかによって、その人の人生や仕事は、大きく明暗を分かつことになります。食事位自由でよいのではないかと思われるでしょうが、自分の食べたいものをとにかく自由に食べていると、年を重ねて体調不良になり、やがて癌を宣告されるという事例は後を絶ちません。

食事をするというのは、実に大切な意思決定の分野で、お腹がすけば食べるしかなく、とにかくおいしい物を食べる、空腹を満たすために食事をする。それは何のためか?その目的は何かと考えていきますと、健康を維持するために食事をするとなるわけです。

私の場合ですと(この10年くらいですが)、健康を考えて塩と油ものも控えめにし、添加物はできるだけ少なく、お腹いっぱいに食べないと心がけています。時に守れなくて逸脱しますが、翌日くらいにはもとに戻すように心がけています。

他に良い案は無いのか?

今から数年前の1月下旬、色々なお店が入っているショップ街を歩いていました。クリスマスセールとお正月のセールが終わってバーゲンセールのシーズンで、かなり安いなと思いながら歩いていました。ふと気にいったショルダーバッグが目に留まりました。品質、デザインも良く、機能も十分で、定価はそれなりに高いですが、半額セールでした。

何のためにこのバッグを買うのかを自問自答です。色々な所用で半日以上外出するとき使うショルダーバッグを探していたのですが、その目的のためのバッグでは、やや小さいかなと思いながら、大きさ以外では満足だし、半額だから良いだろうと決断し買いました。

家人にも良いと言われながら、1年使いました。やはり少し小さくて、持ち物が少し多いとパンパンになってしまいます。今にして思うに、良い物だったが、他にもあるかもしれないと探すべきだったと思います。(今でも愛用しています。)

今回のショルダーバッグの場合、品質が良い、デザインが気に入っている、機能も十分ある、価格は○○円くらい、大きさは単行本とそれ以外にいろいろと入るゆとりあり、が条件だったわけです。

これらの条件は、最適な案を決めるための目的に対する目標・狙いどころと言った選択基準のことです。この大きさが、実は、一番重要だったかもしれません。そこを妥協したために、少し使いにくいともいえるのです。

私たちが、何かを決める場合、案は色々と出ている場合が多く、それを決めるのは何のためか?それを決める基準(目標、狙い)を考えて案を絞る、それでも良い案が無ければ、他に案が無いかを考えることだと思われます。 

2018年3月12日    小坂圭吾

2018年2月13日火曜日

祈り「デボーション(静思の時)を持つ」


デボーションとは?

神を知るために、聖書と祈りを通して、神と個人的に交わることを“デボーション(静思の時)”と言います。QT(Quite Time)と言われることもあります。今日では、毎日聖書を読み進めるにあたり、良い指導書や手引き書が書店に並んでいます。(デボーション、静思の時、QT(Quite Time)という表現がついている)

 神と共に過ごす時間は、生活の最優先事項になるべきもので、デボーションを持つようにと強調されるのは、なぜでしょうか?その理由は、全被造物の中で、創造主なる神さまと交わり、意思疎通を図ることができるように造られたのは人間だけで、人だけに与えられている特権です。

  イエス・キリストも、しばしば静かな所に退いて、絶えず神との個人的な交わりをされ、その時間を通して、神からの力を受けられたのです。更に言えば、神さまに大きく用いられた人たちは皆、神さまとの交わりの習慣を身に着けていました。私たちは、健康を保つために肉体的な糧だけでなく霊的な糧も必要で、神さまのみ言葉という霊的な栄養分をしっかり取る必要があるのです。

どのように進めるの?

日々のデボーションを持つには、早朝に15分程度から始めましょうと言われます。頭のさえている朝が一番良くて、15分程度とはいえ、毎日働きに出かける方々にとっては容易なことではなく、10分の時間でも大変です。私の若い時は、早起きが苦手で、早起きの努力を色々とするも成功しませんでした。

従って、私の場合、通勤に毎日1時間程度を要しましたので、満員電車の中で、吊革にぶら下がりデボーションとなりました。時々、小型の聖書を開いて読んでいるビジネスマンを見かけることがあり、彼も苦労して工夫しているなと感じたものです。        

教会のS長老は、「現代訳聖書」の古い版を引き裂いて、背広の内ポケットに入るくらいの厚さの単位にして、それを電車の中で読んでいると自慢げにうれしそうに話してくれました。電子書籍が出回っている今日では、スマホかタブレット端末を使って、聖書を読むことが出来ますね。

車通勤の方は、少し早くに出かけて、駐車場に車を停めてその時間を割くのも良いことです。昨今は、100円コーヒーでマックやコンビニの片隅の席でも可能ですね。自宅で静かに時間を取れる時は、ぜひ落ち着いて取り組まれたら良いかと思います。神様と二人だけになれる場所をぜひ見つけて下さい。
河津桜
継続は力です

 デボーションを継続していくために、良い指導書や手引き書の活用は、お勧めです。選ばれるポイントとして、「黙想」と「適用」についての良い質問があるものを利用されると、自分の頭で考え、黙想しながら、自分への適用が出来ると思います。

  信仰に入られて間もない方には、聖書箇所の解説等も書いてあり、聖書を読む手助けになります。ある程度信仰が進まれた方は、質問に対して聖書から導きを得るようにされるのが良いかと思います。解説は、時間があれば後から読まれる程度でよいのではないでしょうか。                                        

 悪魔はデボーションを妨げようとしてきます。一つは、聖書の言葉が心に入って来ないのです。声を出して聖書を読み祈ることで、意識を集中させることです。声を出せないならば、声を出すつもりで読んでみることです。

 体調が思わしくない、時間に追われて焦っているとかで、その気にならない時がありますが、その事をまず神にぶつけて祈ることから始めてみましょう。それでも出来ない場合は、さぼったなと自分を責めることは止めて、明日はしっかりやろうと心を切り替えましょう。

   とにかく毎日少しの時間でも良いので継続してみてください。必ず素晴らしいことがあり、自分の生活が変わっていくことでしょう。

「イエスは朝まだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで一人、祈っておられた。」(マルコ1:35 現代訳)

2018年2月13日    小坂圭吾

2018年1月18日木曜日

祈り「信仰の本質~聖書を読み、祈ること」

聖書を読むこと

神を知ることは、人格を持っておられる神を個人的に知る事であり、祈りを通して神とかかわりを深めていくことです。神のみ言葉である聖書を読み、神の御声を聞くことが基本的な方法です。聖書には、私たちに対しての無数のヒントや呼びかけがあり、今の私に必要なメッセージ与えてくれる書物です。

聖書は、永遠の真理と言われますが、時代や人種、国境、文化などすべての違いを超えて、神さまが私たち人間に語りかけ、今の私たちの問題にその解答を与えてくれるのです。神の御心を知るというのは、聖書にあるそれぞれの時代に起こった出来事を通して、神はどのような方であり、人間はどのような者であるかについて、神の御見解が示されているのです。

聖書の時代と現代では、時代も民族、文化、習慣も異なりますが、その本質においては皆同じであり、神さまも同じです。ですから、聖書の時代の社会や文化の中に啓示された原則を読み取ることで、現代の問題への適用を学ぶことが出来ます。聖書こそ永遠の真理であり、あらゆる問題に対する神の御心、解答なのです。

現代語訳の聖書を読む

 日本語の聖書は、実はなかなか意味の分からないことが多い書物です。リック・ウオレンは、彼の著書「霊的成長をもたらす4つの習慣」(PDJ刊)の中で、いくつかの“現代語訳聖書”を読むことを勧めています。英語圏の聖書には、意訳の聖書で平易な文体で書かれ読みやすく、聖書通読にはとても良い翻訳があると書いています。

聖書は大別して、“「言語に忠実」な聖書”と「原文の意味に忠実」な聖書があります。英語圏では15種類以上の翻訳聖書があり、後者がリック・ウオレンの言う“意訳された現代語訳聖書”というもので十数種類出ていて、多くの人に読まれています。

日本では、多くの人が使われている聖書は、前者の“「言語に忠実」な聖書”ですので、理解を困難にしています。現代と聖書の時代では、時代も民族、文化、習慣も異なりますが、そのことが理解できるように訳されていないからです。「原文の意味に忠実」な聖書~意訳された現代語訳聖書は、このことを踏まえて分かり易く翻訳してあり、日本語では、『現代訳聖書』や『創造主訳聖書』がこれにあたります。

冬の花

自分の生活に照らして読む

 聖書を読むときは、自分の生活に照らしながら、祈り心をもって読み進めることで、今の自分に最も大切なメッセージをくみ取ることが出来ます。

 聖書を読まれるときに、出来ればもう1冊“「原文の意味に忠実」な聖書( 意訳された現代語訳聖書)”をそばに置かれて、必要な都度これを開かれると理解が進みます。何人もの方から、「英語の聖書は分かり易いです」とお聞きしますが、それは“「原文の意味に忠実」な聖書”だからです。

  先日ある方に「実に多くの牧師、伝道者の方々が、『現代訳聖書』を座右に置いて、読んでいるのですね。」と言われました。牧師にとっても、新改訳聖書、新共同訳聖書においては、分かりにくい所が出てくるのです。

 こうして読まれた聖書箇所について、心に触れた箇所について黙想する、その時にその段落ごとに「黙想」と「適用」の質問がついた手引書があれば、それを利用するのは、聖書のみ言葉と生活を結び付けてくれ、とても助けになります。静かに黙想し、自分の頭で考えて、自分のメッセージを発見し、適用・実践することについて祈りましょう。

「神の語られる御言葉は生きていて、力があり、両刃の刃物のように切れ味が良く、人の心の奥深くにある思いや意図をもあらわにする。」
(ヘブル4:12 現代訳聖書)

(現代訳聖書は、現在売り切れて、「改訂新版」を刊行すべく準備中です。)

2018118日    小坂圭吾

2017年12月26日火曜日

祈り「信仰の本質~神を知ること」

鎌倉・建長寺にて
神を知ること

数か月前に、東京神学校(東京都練馬区)の特別講義で「信仰の本質」について、お話を聞く機会を得ました。信仰の本質とは、神との親しい交わりをすること、神の行われることを見て全存在をもってかかわること、すなわち、神を知ることです。“神について知ること”と“神を知ること”はどのように違うのか、この二つは、全く違う事柄です。

“神について知ること”は、神についての知識を得ることで、聖書や神学の勉強をすれば、知識をたくさん得ることが出来ます。しかし、これは信仰の本質のための手段にすぎませんので、知識が増えても生活に変化が起こりません。

一方、“神を知ること”は、人格を持っておられる神を個人的に知る事であり、聖霊の力によってのみ可能です。これこそが、信仰の本質であり、神を知ることを通して、生活において根本的な変化がもたらされます。

リンゴの話

カトリックのデ・メロ神父が上記の二つの違いをリンゴのたとえで話しておられます。リンゴについて知っている人とは、リンゴがどこで栽培され、1本の木にどのくらいの実がなり、どんな種類があるかを知っています。リンゴを知っている人は、リンゴがどれほど美味しいかを食べてその味を知っている人です。神を知っている人というのは、神さまと言うリンゴを食べて、いかに美味しいか、味わったことのある人なのです。

私の周りを見渡してみますと、聖書の知識はそれほどなくとも、生活と祈りを通して、絶えず神と会話をすることをしながら、神さまに接し交わりをしていく。問題があれば、神さまに祈りを通してぶつけ答えていただき、困難を乗り越えていく。こうして、神さまがいかに素晴らしい方かを体験している。これぞ、神を知ることです。

人生は問題だらけ

私たちの人生は、問題続出の日々であろうと思います。自分の仕事、健康、経済的な問題、家族のこと、人間関係、教会のこと等々、問題らしいことは何も無いという日は、1年のうちに何日あることでしょうか?前向きに表現すれば、神に祈りをささげる願い、望みでいっぱいということです。

もちろん、内容の大きさは、大小さまざまだと思われます。楽観的であるなしにかかわらず、問題は問題であり、どのように向き合うかは、とても重要です。深刻な問題もあれば、来年以降の大きな課題というレベルの問題もあり、長期戦に構えてやるしかないこともあれば、もうヤマを越えてあと一歩で乗り越えそうだという事もあります。

 私の場合、今いくつ問題があるか、神に祈っている願い、望みがあるか数えてみると8~9個はあるかなと思います。かなり重要な問題もありますが、これは祈るしかない、全能の神様に信頼して祈るしかないと家人と家庭礼拝等で祈っています。自分で考えて対策を考えるよりも、神さまに働いていただくのが、最善最良の方法だと思うからです。「絶えず祈りなさい。」(テサロニケⅡ5:17)のとおりです。


 毎日の生活の中で、色々な問題が生じて、実にさまざまな祈りを神にしますが、自己中心の小さいお願い、毎日の具体的な願いも必要で大切です。それと共に、神のみ旨にかなった大きな望みも重要です。先に、私が数えた願い、望みの中で、小さい願いと大きな望みが、今日は、半々でした。

 2か月半ほど前ですが、右手の薬指を痛めて、腱鞘炎のようになりました。少し快方に向かい使っては痛め、一時は、2週間ほど出来るだけ使わないようにしました。そのため、快方に向かいましたが、この時は、祈りの課題の中で、小さい願いが大半を占めて、大きな望みの祈りと行動がおろそかになっていました。それに気が付いた時、この右手の薬指の損傷が、ほんとに大切なことを教えて下さったと感謝しました。

「すべてのことについて感謝しなさい。」(テサロニケⅡ5:18)

来る年も、神さまの祝福が皆様の上に注がれますように。生活と祈りを通して、神さまの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、力強い歩みが出来るよう心からお祈りいたします。

20171225日    小坂圭吾