2020年2月17日月曜日

健康余話「心は七分目で軽く」


京都・嵐山
咳エチケットのマスク

先週、都内に向かって電車・バスに乗って出かけ街を歩くと、マスクをしている方が、例年以上に多かったです。やはり新型コロナウイルスによる肺炎の感染が、大きく影響しているようです。

寒いのが苦手な私は、早くからマスクをして、花粉の頃になるとマスクは必須です。10数年前は、マスクをする人はそれほど多くはなく、ちょっと気恥ずかしい感じでした。新型コロナウイルスだけでなく、例年のインフルエンザも要注意で、どちらにしても体調管理と予防が欠かせません。

予防には、マスクと手洗いが必須ですが、手洗いには石鹸を使い、親指、指と指の間、爪までも洗うようにとの指導を見て、なるほどと思わされました。咳やくしゃみをするとそのしぶきが飛び、1回で飛散する飛沫粒子は咳で約10万個、くしゃみで約200万個とも言われます。                                             

そこに沢山のウイルスが含まれていて、感染するのです。マスクは、感染の拡大を防ぐ「咳エチケット」とでも言うことが出来ます。

ストレスが色々な不健康のもと

「養生をするには、まず心気を養うことである。心と気をおだやかにし、怒りと欲を抑え、いらいらや心労を減らし、心を苦しめず、気をそこなわないのが、心気を養う方法である。」 (貝原益軒『養生訓』より、現代語訳)

身体に強い関心を持って養生せよと説いた貝原益軒ですが、養生の術として、心の平静を保ち、心の不安を除くことが第一と言っています。今で言うストレスをのぞき、平安な心で過ごすことが健康のもとなのです。

長い人生で、誰もが病気になりますが、その病気の原因に「ストレス」があり、不健康のもとをつくっています。「ストレス」には「悪いストレス」だけでなく「良いストレス」もあります。「良いストレス」とは、夢、目標、やるべき仕事、スポーツ、良い人間関係など、自分を奮い立たせる、勇気づける、元気にしてくれる刺激とその状態のことで、人生を豊かにしてくれます。

「悪いストレス」とは、過労、悪い人間関係、不安など、自分の体や心が苦しくなる、不愉快な気分になる、やる気をなくす刺激とその状態のことをいいます。「良いストレス」も度を過ぎると不健康になり、ストレス解消、たまったストレスをのぞくことは不可欠です。

心は七分目で軽く、感謝する

ストレス」について心がけている事ですが、それは、「腹は八分目、心を七分目で軽く」です。心については「計画や目標は七割達成できたら、まずまずと満足する」ことです。

このことを息子に話したら、「今の立場は、それでいいのだろうが、若いときは難しいのではないの?100%達成ではないの?」と反論されました。確かにそうかも知れないなと思いますが、そのときは納得したのですが、しばらくこのことを熟成させました。

結論は、やはり七割達成で満足!がよいと考えるに至りました。何事も、貪欲に取り組むことがよいことだと考えがちです。特に若いときに百点満点を狙って、70点だと甘いのではないかと思いがちです。

考えて見ますと、その時点で70点ならそれで満足する心、感謝する心を持った方がどれ程よいかわかりません。もちろん百点を目指していても、少し心を切り替えて『続きは明日できる』と感謝を持って終わるほうが、ストレスが少ないことは言うまでもないのです。

ストレスを強く感じる人には、常に百点満点でないと納得できない人が多いといわれます。『頑張る』という言葉で自分を追い込んだとしても、ときには肩の力を抜いて『ほどほど頑張ればそれでいい』というのはどうでしょうか。

『今日できなかった』ではなく、『続きは明日できる』という肯定的な表現が、気持ちを楽にしてくれます。うまくいかないことを急いで解決しようとしないで、しばらく放っておいて熟成を待つのもストレスの解消です。

私は、50代の半ばにビジネスをしながら、神学校に行く決心をしました。「その当時、人生80-90年だから、今ここで学びをしておいたほうが先にキット役立つだろう」。そのとき、私の尊敬する知人(牧師)が「是非、心を軽くして学んでください!」と言ってくださいました。

短い言葉でしたが、心の深くに入りました。普通4年で卒業ですが、経営の一端を担う仕事の責任もあり、1年は中断というときもありましたが、「ちょっとだけお休み!」と考えて、挫折することも無く、7年もかかりましたが無事卒業しました。心を軽くして!心は七分目で!これからも歩んでいきたいと思います。

「感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ 3:15 新改訳)

2020年2月17日 小坂圭吾

2020年1月24日金曜日

今を生きる 「良書を繰り返し読む」


葉山海岸
アメリカ歴代大統領

今年は、アメリカ大統領の選挙があります。歴代の大統領の中で卓越した力を発揮した米大統領と言えば、リンカーン大統領です。彼は、奴隷解放を宣言し、南北戦争を戦い抜き、国家分断の危機を乗り越えてきた世界中の人々が敬愛する大統領です。
リンカーン大統領が就任式の宣誓に用いた聖書ですが、前オバマ大統領は、それを就任式(20091月)で使いました。200年もしっかり保存されていることに、さすがだと思わされました。

オバマ大統領の就任式での開会の祈りを「人生を導く5つの目的」の著者:リック・ウオレン牧師がされました。太平でなく内外に困難山積の時代に就任したアメリカ大統領は、初代ワシントン、16代リンカーン、32代ルーズベルトですが、彼らは卓越した指導力を発揮した人々です。

一方、景気が良くて人々が浮かれている時代の大統領は、ほとんど忘れ去られたおり、何か考えさせられます。現トランプ大統領は、アメリカを二分するような政策が多く、歴史は彼をどのように評価するのでしょうか。 
良書を読む
先日、5~6年ぶりにお会いしたクリスチャンの方から、昨年、毎週日曜日の朝78人で『人生を導く5つの目的』をテキストにスモールグループを再開したとのお話を聞きました。

「みんなかなり前に読んだ本ですが、それ引っ張り出して来て、毎週学んで1年で終える予定です。」と話して下さいました。「この本は、4年ほど前に改訂新版を出しました。旧版は40章ですが、2章追加して42章になっています。」とご案内をしましたら、「じゃあ、若い人に案内をしましょうかね。」

この本は、2002年に英語版が出版されて以来、85ヶ国語を超える言語に翻訳され、全世界で8千万部以上が読まれています(4年前のデータ)。日本でも毎年着実に用いられており、近々再版を出す予定です。
今年になって、私も30数年前に読んだ「カーネギー話し方教室」(D・カーネギー著)の本を書棚から取り出して、読み始めました。きっかけは、ある雑誌に“古典の名言”と題して、デール・カーネギーの本の中から“話し方について、緩急をつけること、間を置くことに気をつけること”が紹介されていました。
昨年から人前で話すことがまた多くなり、話し方が気になり、学び直そうと取り出したわけです。ところが、30数年前の本ですから、開くとすぐに背中のノリが悪いのか、バラバラになってしまいました。もう絶版になっていますので、その後の訳の本を購入して読んでいます。 
繰り返し読む
本の読み方には、次のような読み方があります。速読(時間がない時、大量の情報の中からポイントを絞り読みたい時) 通読(基本的な読み方、初めから終わりまで通してサラッと読む) 熟読(ペンを持って重要な所に線を引き、考えながら読み込む)が代表的なやり方です。
                 
聖書を読むやり方は、最初のころは通読、それから熟読そして繰り返し熟読する方法ではないでしょうか。聖書ばかりか、「これだと言う本」を繰り返し読むことの大切さを感じています。

読む先に忘れてしまう私ですが、多くの方が、次々と本を読んでも忘れてしまうことが多いのではないでしょうか?良い本に出会うこと、「これだという本」を見つけて、何度も繰り返して、自分への適用を考えながら読む。環境や年齢の変化によって、その都度内容や伝わってくるものは違います。

特に、人生に関する良書を通して、その著者の経験を分かち合い、共に人生を体験することができます。著者の体験を通した洞察や困難な状況を乗り越えた経験則は、私たちの目を大きく開いてくれ、助けとなります。
「これだと言う本」を繰り返し読むことについては、1年に数冊読めれば良いのでしょう。心の実力をつけるために、ゆっくりと繰り返し読む人生に関する良書を、積み上げていければと願っています。
私たちクリスチャンにとっては、言うまでもなく最良の良書は、聖書です。毎日のデボーションは、繰り返し熟読そのものです。聖書のみ言葉は、読めば読むほど、私たちの人生のあらゆる事柄に指針となり、灯を与えてくれます。神を信じる道を守ってくださる主のみ言葉に、朝に夕に親しんでいきたいものです。
「そのような人たちは、御言葉を喜び、昼も夜も御言葉を深く思う。」(詩編 1:2 現代訳)
2020年1月24日 小坂圭吾

2019年12月12日木曜日

感謝「日本の精神・武士道~新渡戸稲造に学ぶ」


新渡戸稲造~旧5千札
旧5千円札の新渡戸稲造 

現在のお札、5千円札の肖像は?~樋口一葉ですが、1世代前のお札、旧5千円札の肖像?~新渡戸稲造でした。新渡戸稲造ってだれ?と聞かれると、政治家、学者、教育家と一言で答えるのは難しく、その働きが多岐にわたり大きな足跡を残しました。

何よりもこの人の与えた人格の影響力は、大きくかつ深い。彼は、北海道大学の前身である札幌農学校の草創期の卒業生(1881年)で、「少年よ、大志を抱け」で有名なウイリアム・クラーク博士が赴任した学校です。

新渡戸稲造は二期生だったので、入学したとき既にクラーク博士はアメリカに帰国され、直接指導を受けたわけではない。しかし、多くの感化を受けた一人です。

札幌農学校の臨時校長として招聘されたウイリアム・S・クラーク博士は、学者、教育者、指導者として立派な人物で、熱心なクリスチャンでした。日本のプロテスタント教会の歴史は、横浜、熊本、札幌に始まる3つのバンドより出発、この札幌バンドの基盤となったのが札幌農学校です。

クラーク博士は、日本での赴任期間がわずかに8ヶ月で、この短い歳月の中で、彼は計り知れない影響を生徒たちに残しています。キリスト教にもとづく人格教育に重きをおき、それに感化されキリスト教徒になった生徒が輩出します。

大志、夢、希望を持つ

彼が在職8ヶ月後に「少年よ、大志を抱け」と言って立ち去ったことは有名です。この言葉の最後には、「キリストにあって」との言葉があったという説は、クラーク博士の気持ちとして一番ぴったりするようです。

私たちの願いは、神に喜ばれる生き方をすることに他なりません。一人一人に与えられている賜物は違い、この地球上には、過去、現在、将来にわたって私という存在は2度と出てくることはありません。

クラーク博士は、言われます。私でなければ出来ない大志、夢、希望を、キリストにあってしっかりと描いて進むように!彼の人格教育の基がここ“キリストにあって”に込められているのです。

札幌農学校で学んだ新渡戸稲造は、クラーク博士の熱情あふれる人格教育に感化され、孫弟子としてクリスチャンになりました。彼は、人格形成としての武士道を幼い頃から道徳律として叩き込まれ、その武士道の精神とキリストの教えが相通じるものがあり、キリスト教を受け入れたのです。


世界的ベストセラー『Bushido―The Soul of Japan』~原書を英文で書く

彼が、アメリカで英文による『武士道』(『Bushido―The Soul of Japan』)を刊行したのは1899年(明治32年)38歳のときです。世紀の変わり目で、日清戦争と日露戦争の間にあたり、彼が海外向けに執筆する気になった動機について、序文に述べています。


あるときのベルギーの著名な法学者ラブレーとの会話のなかで、「日本人は、どのようにして道徳教育を授けているのか?」と問われたが返事が出来ず、アメリカで知りあった彼の奥さんにもうまく説明することが出来ない。

幼い頃から武士道を道徳律として叩き込まれたことから、日本には「武士道という道徳教育」があったというひとつの得心が生まれてきたのです。新渡戸稲造は、36歳になっていました。

その頃、病気療養のためにアメリカ・カリフォルニア州に滞在し、外国から日本を冷静にみつめる絶好の時であったでしょう。原書を英文で書き、サブタイトルに『The Soul of Japan』(日本の魂)とつけたのです。

英語で書かれたこの本は、世界の各国で翻訳され世界的なベストセラーとなりました。新渡戸稲造の『武士道』は、圧倒的な熱情と祖国愛とキリスト教に対する確信がつらぬかれて、読む者を高揚させてくれます。

第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが読んで感動し、友人に配るばかりか日本びいきになったといわれます。

日本人のバックボーン

これほどに用いられた本『武士道』は、決して古めかし道徳でもなく、封建制度の因習を書いているのでもない。そこにある生き方は、人間としての普遍的な生き方・倫理観を内包した題材が多く見られます。現代の日本人がある意味で失いつつある「日本の精神」を格調高く描きあげているのです。

武士道の基本的な精神は、「義」を中心におき「仁」を心とし「礼」を型として表す「勇猛果敢なフェアープレイ精神」としています。このほかにも、「勇」(勇気と忍耐)、「誠」(武士道に二言がない)、「名誉」(命以上に大切な価値)、「忠義」(何のために生きるか)、「克己」(自分に克つ)等が説明されています。これらを読むと、私たち日本人のバックボーンにある精神、その素晴らしいものを思い起こさせてくれます。

武士道の生き方と言えば、私が小学校3、4年生だったとき担当してくださった内藤先生を思い出します。とても気骨のある優しい男の先生で、今思うに「サムライ」というニックネームが似合う立派な先生で、武士道に通じる日本人のバックボーンにある精神を教えられたように思います。

中学生の時には、岡山市立丸の内中学校の中村校長先生を思い出します。全校生徒千5百人くらいの中学で、月に1回くらい、全校生徒が校庭に集められ、校長先生のお話があります。必ずと言って良いほどに「勉学、品位、耐乏」の言葉を色々と噛み砕いて、話をされたように思います。

しっかり勉強をすること、品位については礼儀、勇気、優しさ、親切等について語られ、何事も耐え忍ぶように。今でも「勉学、品位、耐乏」の言葉を忘れることはなく、この校長先生の話には、武士道の精神が背後にあったのだなと感じます。その他、小学校、中学校ともほんとに素晴らしい先生方に教えられたなと感謝がわきあがります。
新渡戸記念庭園・肖像
武士道は、「いまにも消えそうな灯心」かもしれません。しかし、日本人の心に焼きついた武士道の徳目ともいうべきものは、消えるものではありません。その精神は、日本人である限り残り続けるでしょう。ぜひとも残って欲しいと強く願うものです。

それは、普遍的な生き方・倫理観を内包したものだからです。そして、武士道の精神は、キリスト教の精神と相通じるものがあり、聖書の言葉にもこんな言葉があります。 

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(コリントⅠ 13:4-7 新改訳)

2019年12月12日    小坂圭吾

(追伸)新渡戸稲造は、カナダ・ビクトリアで客死し、ブリテイッシユ・コロンビア大学(UBC)内に、彼を偲んで新渡戸記念庭園が造られています。



2019年11月13日水曜日

祈り「継続は力なり~苦難は忍耐を」


日本のカルタ・花札
小野道風 と雨蛙

正月に家族が集まりますと、時に、子供のころに良くやった“花札遊び”をします。花札は、昭和の時代に日本の家庭には一組くらい置かれていたものですが、トランプをはじめ他の室内遊戯に席を譲ってしまいました。

花札は、1月から12月までの季節に花鳥風月の画をあしらった、美しい日本のカルタです。下の写真は、この花札の中の一枚で 11月を表す)と言い、柳に小野道風 (おののどうふう)と雨蛙(あまがえる)が描かれています。

小野道風 は、平安時代の名筆家の一人にあげられ、書家を目指して、子供のときから師匠のもとへ一日も休まずに通いました。「姿勢を正しく、筆はまっすぐに持ち、字の一点一画にも心をこめて書きなさい」と教えられ、手習いにはげみますが、何年通っても、自分の字に自信を持てません。

花札・柳

「もうだめだ。書家になれる見こみはないのでもうやめよう」と心に決め、雨がしとしとと降る中を師匠の家から帰って行きます。道すがら、一匹の雨蛙が柳の枝にとびつこうとしているのを見かけました。


柳の枝は、風に吹かれて揺れ、蛙はぴょんぴょんとび上がっては落ちてしまいます。道風は、くり返しとび付く蛙の姿を見守り、あきらめるだろうと思った次の瞬間、蛙が柳の小枝にとびつき満足そうでした。

「そうだ、自分もあきらめないで続けよう!」こう心に誓った道風は、筆を取り直し、やがて日本一の書道の大家になったとのことです。

柳に届かずとも継続中

あきらめないで続けることの大切さは、言うまでも無いことです。私の場合、柳の枝に飛びついたり落ちたりで、いまだに継続中が英語です。学校教育で学び、大学時代には英会話がこれから重要だ!とわかりつつも中途半端で大学を卒業しました。

ビジネスマン時代は、必要に迫られ、英語のマニュアルを読む、英会話も時々習う、英語を使ってのグローバルミーテイングのために宣教師に1年習って磨く等をして、曲りなりにこなしてきました。私にとっての英語は、必要に迫られ、蛙が柳に向かってとびつき小枝にとびのるも、しばらくすると必要が少なくなり落ちてしまうのです。

あまり支障もないので、これも仕方ないな!と自分を受け入れております。それでも数年に一度海外に出かける時は、親しい人と少しでもスムースに英会話が出来るように、“にわか”勉強に励みますが、とてもとても、柳には届きません。      


苦難は忍耐を

途中で投げ出したくなり、悪戦苦闘をした、私のビジネスマンとしての最初の三年間は忘れられません。理工系出身で、就職をして最初の仕事は、コンピューター部門のシステムエンジニアでした。

その頃は初代コンピュターの時代で、当時の職場で使用されていたIBM大型コンピューターはというと、20数年ほど前のパソコン並の性能で、技術の進歩には驚かされます。仕事はきつく、神経の擦り減るような毎日が続きました。出来の悪いのも手伝っていたのでしょう。マニュアルはすべて英語で、辞書を引きながら解読です。

大学で勉強したコンピューターの知識はほとんど役に立たず、先輩に教えてもらいながら、必死について行こうと努力です。仕事もよく分からない状況での孤軍奮闘、徹夜の連続で、あるとき体調を崩してしまいました。心晴れぬ日々が二年ほど続いたでしょうか。必死に聖書を読み、祈る日々でした。

「神様、本当に辛い毎日!!できることなら、この会社を辞めて仕事を放り出してしまいたいです。‐‐‐でも、ここで辞めると生涯負けになりますので、この辛い峠を越えるまでとにかく耐えられるように助けて下さい。」そのように祈りつつ仕事に取り組むこと三年、気がつくと何とか一人前になっていました。

石の上にも3年、辛い峠を乗り越えてからは心も晴れ、会社を辞めずに仕事を続けることができました。継続してやればものになるものです。今思えば、一緒に苦労し助けてくださった先輩がおられたこと、そして信仰によって支えられ続いたのだと思います。

我々ビジネスに携わる者の間では、このように本当に辛い仕事を乗り切った経験について「地獄を経験した」と言って、その後の人生において大きな宝となっています。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」 (ローマ 5:3-4 新共同訳)

2019年11月13日    小坂圭吾

2019年10月2日水曜日

今を生きる「一歩ずつゆっくり」


観音埼灯台
観音埼灯台

全国色々なところに旅行し、海岸に出てきますと気になるのが灯台です。近くであれば、灯台を見に行きます。灯台と言えば、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督)が忘れられません。

この映画は、新婚早々にやってきた観音埼灯台から、北は納沙布(ノサップ)岬、南は五島列島・女島まで灯台守・夫婦の苦節25年を、日本各地の風物をからめて描いた物語です。夫婦の愛情や親子の情愛の深さに感動しました。いくつも灯台が出てきて、あれは行ったことがある、これもと思いながら鑑賞しました。

観音埼灯台は、地元の神奈川県横須賀市にあり、10年以上も前ですが、家から近くにあるので、ウオーキングの行程の中で行きました。白い貴婦人といわれ「おいら岬の灯台守は」の歌で知られ、 我が国で建てられた最初の洋式灯台です。

大正12年9月1日の関東大震災で崩れ落ちて再建され、現在は三代目になります。どこの灯台も今やラセン状の階段(廊下)となっており、それをゆっくりと歩くと、最後はしごの階段を登る形が多いように思います。

はしごの階段を登りつつ、映画に出てきたシーンを思い起こします。灯台として3代目なのでしょうか、傾斜が緩やかな階段で、“一歩ずつゆっくり”歩いていくといつの間にか登ってきてしまったという感じでした。

一日一歩ずつ

皆さんは、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」(星野哲郎 作詞、米山正夫 作曲)をご存知ですか?かつては毎日のように巷に流れていましたが、私のような年だと誰もが知っているかと思いますが、歌詞を紹介しましょう。
  『 ワン・ツー ワン・ツー/ワン・ツー ワン・ツー/

しあわせは 歩いてこない/だから歩いて ゆくんだね/

一日一歩 三日で三歩/三歩進んで 二歩さがる/

人生は ワン・ツー・パンチ/汗かき べそかき 歩こうよ/

あなたのつけた 足あとにゃ/きれいな花が 咲くでしょう
(以下省略)』

こうして歌詞を見ると思わず歌いたくなってきます。一日一歩とにかく歩いてこそ、人生の花が美しく咲くことでしょう。
納沙布岬灯台

ひと足ひと足、我は進まん

昨今は、囲碁将棋共に若い方の台頭が目立ち、史上最年少の10歳で囲碁プロ棋士となった中邑菫(なかむらすみれ)初段が大活躍です。人生100年時代を見据えて生涯できる趣味として、私も4年ほど前から、囲碁を始めました。

私の義父が囲碁5段くらい、実兄も囲碁を中高年からやり始めたなと思い出し、一念発起です。良い本をあさり、教室に通い、囲碁クラブに入り、3年もしますとかなり力がつきましたが、そこから伸び悩みです。

どうしたらよいのかな?と考えていると、色々な趣味の世界でかなりの腕前の人の話を聞くと「常に練習をしてないと、すぐに腕は落ちてくるよ!」と聞かされました。そうかと思いあたり、週に何回か碁石をもって、テキストを見ながら一歩一歩学んでいます。1年もすると不思議と色々なことが見えてきて、力がついてきました。

私たちの生活は、何事においても一歩ずつ歩いていけば、前に進んで行くことができます。二歩前進一歩後退あるいは3歩進んで2歩さがる信仰生活でも(それこそ現実的です)、必ず前に進んで行くことができます。

信仰の良い基本を身につけて、良い習慣化すれば必ず成長できるのです。何もダッシュのように走りまくることはなく、ゆっくりでいいのです。

聖歌588番(新聖歌355番)に「主と共に歩む」という歌があります。

『 主と共に歩む その楽しさよ/主の踏み給いし 御跡をたどる

ひと足ひと足 主にすがりて/絶えず絶えず われは進まん 』

神様から示されたことを、今日はこのことを一歩だけ進めてみよう、足を踏み出そうと決心してやる時、やがて大きな祝福、果実として実ります。継続して“一歩ずつゆっくり”でいいのです。私たちにとって、“一歩ずつ”~ひと足ひと足、主と共に歩むことは、私たちの人生に書かせない言葉です。 

「インマヌエル~~神は私たちとともにおられる~」(マタイ1:23) 

2019年10月2日    小坂圭吾




<追伸>

🔴 2019年9月より、読書会(人 生 を 考 え る 集 い)では、

ヘンリ・ナーウエン著「いま、ここに生きる」をテキストに、学びと分かち合いを行っています。東京プレヤーセンター(TPC) 

霊的生活とは、どこか別のところにあるのではなく、いま、ここにあるものです。それは、日々の平凡な出来事の中に臨んでくださる聖霊なる神を体験する生活です。本書でナーウェンは、日々の出来事の中で、神はどこにおられ、どこに私たちを導こうとされているかを、自らの体験と洞察をあげながら、共感に溢れた暖かい筆致で描いています。

本書を通して、自分自身に問いかけるところから変化が始まると思います。



➀テキスト:「いま、ここに生きる」(ヘンリ・ナーウエン著)

1800 円+税 キリスト教書店、アマゾンで購入可)

②世話人: 岩渕勲(前ギデオン協会会長)

小坂圭吾(パーパス・ドリブン・ジャパン/ロゴス出版社代表)

和氣敏治(東京プレヤーセンター代表/チャプレン)

③日時:毎月第4 木曜日19 時から20 30

2019 926 日(木)スタート)
④場所:お茶の水クリスチャンセンター4

東京プレヤーセンター・オメガチャペル(403 号室)

東京都千代田区神田駿河台2-1、OCCビル4

JR&地下鉄 御茶ノ水駅 徒歩35

⑤参加費:1 回につき500

⑥予約・お問合せ:和氣敏治(わけとしはる)

03-5577-6365(東京プレヤーセンター)

070 -5572-8868(携帯)
         E-mailtoshi.wake@gmail.com

2019年9月10日火曜日

今を生きる「子供の教育」

カナダ
幼少の思い出

今年の残暑は、例年になく厳しいですね。暑い夏と言えば、幼少の頃(岡山・備前生まれ)の楽しい思い出が、次々に浮かんできます。小学校のとき、近くの川での水遊びや瀬戸内海の小さな島に臨海学校で宿泊(先生方は大変です!)、兄と二人で岡山の瀬戸内海岸の知り合いの家に1週間ほど寝泊りして海水浴(漁師の家、魚とみそ汁がうまい!)等々、なんとも楽しいうれしい思い出がいっぱいです。

田舎のガキ大将だった私は、小学校の先生に、私がリーダーで悪いことが見つかり、関係者一同(約10人)整列させられみっちり叱られました。ある時、母には1対1で悪かったことをトクトクと諭されたこと、父や祖父には罰として蔵の中に入れられたこと、夕方門の外に出されたこと(古い門構えです)や正座して行儀を教えられたこと等、叱られしつけられたことをよく覚えています。

全て良い思い出としてあるのは、叱り方/しつけ方が良かったのでしょうか。小学校の先生、祖父や両親からは、認められていることがベースにあって、色々なことを自由にやらせてくれ、間違ってやった場合がみがみ言わずに、急所でしっかり叱られたと感じています。4人兄弟の末っ子で、親も失敗を重ねて、知恵が出来たのかもしれません。

子育ての失敗

私たちの子育てについて、時に、子供たちと話し合うことがあります。話しての発見は、その当時の子供の状況や気持ちがわかってなかったなと思わされ、失敗したことが多かったなと振り返ります。父親として良く考えてやった事が、子供にはつらかったと聞かされ、「それは、ごめんなさい!」と謝ったこともあります。

父親なりに、子供のことは良く見るようにしたつもりですが、見えてない理解してないことが多いのです。家にいないのですから見えないのは当然で、それでもわかっているつもりになっていたにすぎないのです。

子育ての時に、自分が育った環境や親から受けた教育、自分が出来なかったこと等も反映して、親の願いが入ってやることになりがちです。それが子供にとっては大の迷惑!始めての子育てですのでそのことがわかりません。



例えば、子供が勉強をするように励ましますが、勉強をやる子はやるし、やらない子はできないのです。ところが、時期が来れば、本気になってやる時が来るもので驚かされます。子供の性格を考えてと言っても、その時よく見えていないので、不十分だらけで、子供を間違ってしか育てられないのかもしれません。

真の子供の教育とは!

私たちにとって傷だらけの子育ても、それなりに達成できたかなと主のあわれみに感謝しています。失敗も繰り返しながら、子供の人生は親がコントロールできないとある時に手放してから、主が益として下さったのでしょう。

子供にとって何度も岐路に立った時に、今思えばあのように判断が出来たのは、神さまの恵みとしか言いようがなく、失敗の判断も、後で見れば益になっていることが多いのです。親としては、そのような失敗経験が生きて、子供たちの子育ての失敗を見ても「神さまがやがて全てを益にして下さる」と祈ることが出来、余裕をもって見る、アドバイスできるのです。

現在は、孫育てについて考えることが多くなりました。一番上が高校卒業して受験浪人生、一番下が幼稚園生です。祖父母の役目は、小さいころに良い思い出を作ってやることであると孫たちを見ています。

孫7人7様の色々な性格で、男の子と女の子はこんなにも違うのかと驚かされ、一人ひとり、個性的な性格が浮き彫りに出てきます。親は、子育てを日夜悩みながら、神さまの恵みによって前に進んでいる、時には後退もありますね。

親にとって、その子育てがうまくいかなくなり、やがて親が子供を親の手から離す時が来ます。そうするとき、その子は、良い方向に間違いなく導かれていきます。

私たちの子育てや、子供たちの子育て(孫)を見て、間違いだらけの子育ての中から、その本質に気がつき、主が良い方向に導いて下さるのです。

箴言の言葉に“正しく教育せよ”と命じられていますが、これは、子供一人一人の人生は、主が定めておられるのだから、子供を親の手から離して、主にささげなさいと教えられています。主を恐れる個性教育、人格教育こそが、真の教育というべき事柄です。失敗が良い方向に向かうカギとなるのが、神の恵みです。 

「子供をその成長過程で正しく教育しなさい。そうすれば、年老いても、そこから離れない。」   (箴言 22:6 現代訳)

2019年9月10日    小坂圭吾