2009年7月18日

コーヒーブレイク 「日本プロテスタント宣教150周年(1)」

       日本宣教の夜明け
 プロテスタント教会が日本に宣教して今年で150年になります。1858年にペリーがアメリカから浦賀に来航し、日本は、翌年1859年長崎、横浜、箱館(函館)を開港せざるを得なくなり、アメリカからプロテスタント教派の宣教師が送られてきました。実は、それよりも13年前にイギリスの宣教師バーナード・J・ベッテルハイムとその家族が1846年5月に琉球(沖縄)の那覇に上陸したのです。彼こそが、日本への最初のプロテスタント宣教師であり、彼により沖縄に福音の種が蒔かれたのです。日本は、まだキリシタン禁制下でした。アメリカを代表する日刊紙「ニューヨーク・タイムズ」等の海外の新聞が報じている当時の“日本宣教の夜明け”についての記事は、最初の宣教師や日本人伝道者の苦闘と愛の証しであり、私たちの心が揺さぶられ襟を正される思いが致します。

      宣教150周年・記念大会
 先日(7月8日)、宣教150周年を記念する行事のひとつ記念大会が、パシフィコ横浜の国立大ホール・会議センターで開催されました。スローガンは、キリストにあってひとつ――主イエスの証し人として――です。日本キリスト教協議会(伝統派)、日本福音同盟(福音派)、日本リバイバル同盟(聖霊派)が、それぞれに独自の活動を続ける中で、3つのグループがそれぞれ異なる背景を持ちながら、教派、教団を超え皆が一致して日本の宣教を担おうとする新しいうねりです。開会礼拝に出席しましたが、大ホールはほぼ満席で、聖霊のご支配の中で宣教の歴史を振返り、賛美がささげられ、祝辞、証し、メッセージが語られました。
リック・ウオレン牧師がビデオレターにより、最初に祝辞を述べられました。101歳の現役牧師の証しは、私たちに一歩前進して伝道活動に励むように促され、メッセージを通して、「キリストにあってひとつ」の思いを強くさせられました。日本の教会が、“お互い違っていてもいいじゃないか!”とそれぞれの特徴を生かしながら、共に福音宣教の使命に熱くなっていければと心を熱くしました。これがひとつのエポックになることを祈り、このことを心に留めておきたいと願っております。


       教団・教派について思うこと
 私は、長老派の教会で40数年信仰生活を送ってきました。2年ほど前にクリスチャンになった知人は、日本で一番古い教会(長老派の教会)で結婚式を挙げ、その後20数年後に同じ教会で洗礼を受けました。その彼に鋭い質問をいくつか投げかけられました。「プロテスタント教会は、なぜこんなに教団教派に分かれてあるの?」「神学校もばらばらで、こんなにたくさんある必要はないでしょう。神学生はほとんどいないのでは?」「もっとお互いに協力し、統合できないのはなぜ?」等々一つ一つの質問は、素直な疑問として聞くに値するものがありました。私たち一人ひとりが違うように、互いに理解し合い違いを楽しめるようになれば感謝だ、とお答えしました。
 教会生活40数年の最初のころは、「なぜこんなに教派教団の違いを言うのだろうか?」と疑問に思ったことも確かです。やがてビジネスで忙しくそのような関心事もどこかへ飛んで行きました。長い間長老として奉仕しながら、キリスト教会全体の動きについては、小さな窓から見聞きしてきました。その間、ベルリンの壁が崩れるように一歩ずつお互いの壁がなくなりつつあることを肌で感じました。12年前には押し出されるようにして超教派のJTJ宣教神学校に行くことになりました。その交わりの中で、色々な教派の方々に出会いながら、もはや教派教団にとらわれない人々が、こんなに沢山あることを知ったのです。自分の教派の神学校ではなく、超教派のJTJに来ていたのです。信仰と勇気のいることです。ビジネスをしながら神学校で学ぶ多くの人々は、教派、教団は関係なく、聖書の真理をしっかり学びたいと集まる人々と言っても言い過ぎではないでしょうか!もちろん良い伝統は生かし続けるのがいいですし、その教派でないと出来ないことが多くあります。ですから、今回の宣教150周年記念大会のように、3つのグループが一致を見ながら前進をするようになったことは、画期的であり、大喜びしたい事柄です。PDJミニストリーを始めて5年の中で、小さな窓からチラチラと日本の教会を見聞きするとき、ますます互いに理解し合い違いを楽しめるようになりつつあるのかなと感じられ、感謝です。

「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28 新共同訳)

2009年7月18日    小坂圭吾


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2009年7月2日

 一歩前に 「物を大切にする(2)」

       エコ買い替え       
 最近、「エコ」という言葉が頻繁に出てきます。「エコ」というのは、エコロジーの略ですが、自然環境保護運動で人間生活と自然との調和・共存をめざす考え方で使われています。そして、家電製品や自動車について、“エコ買い替え”を促進する国の制度が決まりました。家電製品については、地上デジタル対応テレビ、エアコン、冷蔵庫が対象で、これらを買うとエコポイントが付与されて環境配慮型の商品などに交換できる仕組みです。エコカーについては、自動車取得税の減免制度に加えて、条件によっては補助金が出るのです。
この“エコ買い替え”に対して抵抗感があるのは、「無理をしてまだ使えるものまで買い替えたら、もったいない。廃棄物がたくさん発生する。」という点です。本当に使い切ったものを買い替えるのは良いと思います。一昨年の夏ですが、17年使用したリビングのエアコンをついに買い替えました。当時エアコンといえばMメーカー品といわれたものですが、17年間トラブルありません。この買い替えで毎年悩んだのが、新しい製品は電気使用量が少なくエコになっているのと、しかし、ここで買い替えると廃棄物になることの狭間でした。まだ故障ではありませんでしたが、10年をとっくに過ぎていれば、製品としての寿命は十分使い切ったなと思い決断しました。工事した電気屋さんも「聞いたことが無いくらい長く使いましたね。」のコメントでした。エコ買い替えに対しては、「もったいない」の観点でチェックしてみる必要があります。
          もったいない
 もう10年ほど前になりますが、妻の姉から、義理の兄のあまり使わないがまだ使えそうな服を何着も送ってくれました。古くてもそのことを感じることなく、見てすぐに良い物だとわかります。少しリフォームをしましたが、リフォームのおばさんが「とても良い生地で長く使えるよ!」と褒めてくれました。1着はさすがに使い切って終わりにしましたが、その他の物は毎年着ていますが、古いとはまったく感じさせません。良いものを買うほうが、どれ程よいかを教えてくれた事柄で、この時から考え方が変わりました。
昨年、二番目の息子が「そろそろ、車の車検なのだが、どうしたらいいと思う?」と意見を聞いてきました。車は、9年は経過して約15万キロは走っている。少しだけ痛んでいるところもあるのですが、このように即座に答えました。「もし、ここで乗り換えたら、多分、廃車だろうね。エンジンは問題なし、車体もきれいで頑丈そのもの!まだまだ使えるね。少し調子の悪い部分を修理し寿命を使い切らないと、もったいないね!」彼は、親父のこの話を聞いて「友人もそう言っていたね。やはり、そうするか!」と言って今もその車に乗っています。

      もったいない傘
 じめじめした蒸し暑い梅雨が続きます。6月11日傘の日、“MOTTAINAI傘プロジェクト”が始まると新聞で読みました。日本の年間傘消費量は、約1億3,000万本と世界一だそうで(日本の人口と同じ数字に驚き!)、その中の約9割がビニール傘と言われています。この大量のビニール傘はどこへ消えたの?電車の中やホテルに忘れられた、風雨の強い日に壊れ捨てられた、家やオフィスの傘立てに溜まっている傘・・・・忘れ物や落し物として回収され不要となった傘。“これぞもったいない”ですね。この問題を何とか、解決したいと立ち上がってエコの活動をしようとの意図です。たかがビニール傘というほんに小さなことですが、日本全体で見れば大きな問題です。私たちの身の回りの事柄で、エコにつながることは、まさに小さなことばかりですが、そのことが積み重なることによって大きな事柄の解決へとつながっていくのです。千里の道も1歩からのことわざにもあるごとく、地道な活動が求められています。

「ごく小さな事に忠実な者は、大きなことにも忠実である。」(ルカ16:10 新共同訳)

2009年7月2日    小坂圭吾

2009年6月18日

一歩前に 「物を大切にする(1)」

       自動車産業の原罪
 経営危機に陥った米自動車産業首位のゼネラル・モーターズ(GM)が、破産申請をしました。一度破産をして新生をはかるのですから“破産新生”という言葉が合うように思います。80年間覇者のなしてきたことは、覇者の偉業というよりは、「驕る平家は久しからず」を思い出させます。まさに「覇者の驕り」として、人類にとってプラスはあったとはいえ負の遺産を多く残しました。自動車は、人々の自由な移動を可能にしましたが、交通事故を起こし、二酸化炭素を排出し地球温暖化、環境へのマイナス影響が多大です。そのことに対する経営としての取り組みが極めて弱く、ガソリンをガブ飲みする大型車を作り続け、燃費の向上についての開発投資を怠り、利益追求に血眼になった米自動車産業の実態です。やがてこの日が来ることを予感し“破産新生”しかないと思っていた人々が多いと思いますが、オバマ政権が慎重に事を運んだことに拍手をおくります。自動車産業が誕生して生んだ多くの罪、交通事故と環境への負荷という「自動車産業の原罪」とも言うべき事柄ですが、それをあがなうべく交通事故や環境負荷のない車開発に努力を傾けてほしいものです。

            地球温暖化
  今年も地球温暖化を思わせる現象がまま見られます。20年ほど前と比較しますと、春らしい穏やかでさわやかな日がほんとに少なくなりました。緑と花の素晴らしい春には違いありませんが、温度がすぐに夏日の気温になり、衣替えといえば6月との意識が、今は5月の連休から半そで姿になることもしばしばです。
 過去100年間に、東京の年間平均気温が3℃も上昇したのは事実ですし、中小規模都市も1℃上がりました。年間平均1℃上昇ということは、1年間に365℃分の上昇になります。春から夏、秋にかけての気温を見ますと、平均よりも高い日もあれば、低い日もあります。高い日は、平均より5℃高いとすれば、365℃を5℃で割ると72。すなわち、平均よりも5℃高い日が72日間、2ヵ月半あることになります。5月の素晴らしい気候は、20℃―23℃くらいがほどよい温度としますと、5℃高いと25℃―28℃と夏日になります。このような日々が春から秋にかけての半年間ですと、平年よりも高い日が少なくとも1ヶ月強はあるということになり、暑い日が多く見逃せない温暖化現象です。
 
         物を大切に
  地球温暖化を防ぐために私たちが出来ることは、身近に色々あります。ある日曜日のスモールグループで、世界的な経済危機の話から「物を大切にしなければね!」という話になり、Yさんが「今でも新入社員の頃に買った服が3着ほどあり、生地がとても良いので大切に着ていますよ」との話しでした。もう50年も前のものです。確かに生地の良いものは、少しも古さを感じさせません。使い捨てでなく、大切にして使い切ることなのです。
 私の場合、効率主義の中に身を置きそれなりに毒されて、長持ちするものよりも、そこそこに良いもの買い、そこそこに使い新しいものに買い換えることの考え方が強く、使い切るまでの気持ちは少なかったと思います。妻もしばしば、「ほんとに良いものを長く使ったほうがいいのでは?」と何度も言ってくれたのですがー。それでも、30年ほど前に買ったスポーツ用のジャンバーは、生地も色もしっかりしていていまだに使っています。物を大切にする気持ちは持っていたつもりですが、深く考えた行動ではなかったと思います。
 
  GMの驕りに始まり、地球環境の温暖化、そして物を大切にと書いてきましたが、そこに流れる問題意識は、「自分さえ良ければいい」との考えが、多かれ少なかれあるのだなと感じます。「俺の考えるようにするまでだ」というほど強烈な高ぶりや自分勝手ではないかもしれません。もう少し視野を広く、深く、他の人々のことまで含めて考えるなら、やはり考えが浅く、気がつかない中で「自分さえ、自分たちさえ良ければ」になっていたのです。聖書の教える愛の言葉、その深みを思わされます。

「愛は自慢したり、高ぶったりしない。無礼なことをしたり、自分さえよければよいとは考えない。」(コリントⅠ 13:4-5 現代訳)

2009年6月18日    小坂圭吾

2009年6月4日

今を生きる 「男女の違いを認める(2)」



      男と女はとにかく違う!
 今朝こんなヘマなことをしました。「僕のヨーグルトはどこにあるの?」妻はおいしそうにヨーグルトを食べていますが、私の分はテーブルのどこにあるのか、色々なものが置いてあるのでパット目には見つかりません。「目の前にあるでしょう!」「ウムー!」またある時こんなこともありました。私が「冷蔵庫にジャムが見つからないね?」と尋ねます。「ほら、ここにあるじゃない?」「ウムー」こんな経験は、どこの家庭でも男女の間に見られる光景だと思います。女は、視野の範囲が広いので冷蔵庫や食器棚にあるものをひとめで見渡すことが出来るのですが、男には見えないので、ゆっくり探さねばなりません。
 現在の日本では、結婚した夫婦の半分が離婚するとの事です。その理由に「性格が合わない」というものがありますが、夫婦は性格ばかりか色々と違うのは当たり前なのです。ちなみに、30-80歳代のご夫婦10数組について、長い間付き合ってよく知っている方々を思い浮かべて見ますと、ほんとに違うなと思います。男と女は、性格、考え方、感じ方、決断の仕方、行動の仕方がまるで違います。

       知らないことの失敗
 私たち夫婦も、何が似ているだろうかと探さなければ分からないほどです。よく知れば知るほどに違うのです。感謝なことに、信仰の土台だけは一致して同じです。学生時代から今日まで同じ教会に導かれ、育てられ、奉仕をしてきました。男女の色々な面が違うことがわかってきてから、妻の意見を聞いいてみようという姿勢になっています。男の見方・感じ方、女の見方・感じ方が違うことをお互いに知っていますので、よい意味で話が広がります。
 それにしても、男と女の違いをよく理解してないためにかなり失敗をしてきました。たとえば、時々妻の買い物に付き合うのですが、しばらくするといらいらしてきます。さっさと決めたらと思うのですが、なかなか決めない。ところが、夫の買い物に対しては、「これが良いでしょう」と感性が鋭く、早い結論に驚かされます。二人の違いが分かってからは、買い物は別々に済ませるか、付き合っても、私は他のところをぶらぶらと見て最後に合流することにしています。またこんな例もあります。教会の色々なことについて話していると、私はとかく分析的な内容に話が傾き、妻は感情や人間関係に焦点を合わせた内容となっています。「今は、分析的な話は必要ないのよ」と言われるたびに、いつもの私の癖だなと何度感じたことでしょう。また、妻の話を聞いていて、何か解決策を出そうとする自分に気づくことがあります。ただ聞いてほしいだけと言われることもしばしば、少し改善はされてきていますがー。
       神様の創造
 男と女の違いは、肉体的特徴の相違、性格や心理の相違、別の切り口で思考や感情、態度の相違等色々な面が考えられます。神様は、最初に人間を男と女にお造りになったという創造の原点にさかのぼることが必要です。神様が最初に男をお造りになり、次に男のために「ふさわしい助け手」として女をお造りになりました。この「ふさわしい助け手」というのは、男性にとっても女性にとっても、それぞれに助け補い合ってくれる存在という事です。「助け補い合って」が鍵ですが、そのことによって社会的使命、個人的使命を果たし、神様の栄光を表していくのです。助け補い合う仲ですから、足りない点や違う点が多くあるのは当然と言っていいでしょう。ビジネスにおいても教会の働きにおいても、男性だけで良い働きが出来るわけではなく、やはり女性の方が入ってチームを組んでこそ良い働きが出来ることは、誰しもが経験していることです。神様は、男と女の違いを認めて協力して働くようにと言われています。お互いを良く知ってその持ち味を生かすことが出来れば、家庭でも教会でも仕事でも、健康な人生を送ることが出来るに違いありません。その方が楽しいことも事実です。
     
「神のご計画の下にあっては、女は男無しには生きられないし、また、男も女無しには生きられない。女が最初、男から造られたように、男も女から生まれてきている。このように、相互に依存しあっているだけでなく、人間は、男も女もすべて神によって造られた者たちである。」(コリント第一 11:11-12 現代訳)

2009年6月4日    小坂圭吾

2009年5月20日

今を生きる 「男女の違いを認める(1)」

     ロダンの彫刻
 ロダン作の有名な彫刻「考える人」を実物あるいは写真等で見られた方は多いかと思います。これは男性の象徴で、ひとり腰を下ろし静かに考え事にふけりたいものです。一方、女性はといいますと、こんな姿を見かけることはめったにありません。面白い人が、こんな表現をしました。「ロダンが女の彫刻を作ったら、タイトルは何だろうか?きっと『しゃべる人』に違いない。」なるほどと思います。これが象徴するように、男と女は大いに違うのです。神さまは、創造の始めに人を男と女に、役割の違うものとして造られました。しかし、男と女が違うことをどれだけの人が正しく理解し認識しているでしょうか?聖書には、色々なところに男と女の違いについて書かれており、それなりに理解をしていることと思います。しかし、男と女の思考、態度、感情の違いについては、あまり理解されていないように思います。経験上は分かっていても、それを認識して自分の行動まで生かせるところまで至っていません。お互いに色々と違うことをしっかり認めることが必要だと思われます。

        子供の姿
  子供の姿についておもしろい話を聞きました。小さい子供に画を書かせると、男の子は、物を中心に描くことを考え、女の子は、人物を描きその中に関係を求めて描きます。そういわれれば、孫達の絵はそうなっているなあと思います。赤ん坊の場合ですが、女の赤ん坊は人の顔をじっと見つめ相手と目を合わせる時間が長く、男の赤ん坊は動くおもちゃを喜んで長く見つめています。男の子は物とその仕組みに、女の子は人とその関係に興味を持ちます。“ままごと遊び”は、女の子がする遊びですが、ここに関係を重んじる姿が見られ、母親になり、おばあちゃんになってもその姿は変わりません。人と人との絆、つながりを求め一緒に歩むことは、女性が圧倒的に得意分野です。大家族の姿を良く観察しますと、その中心は、母親であるか、おおばちゃんであるか、どちらにしても女性がつながりをつけているのです。

      男と女の違いについて
  ある時、男と女の違いについて少し理解を深める必要があると感じて、「話を聞かない男、地図が読めない女」―男脳・女脳が「謎」を解く-(アラン・ピ-ズ、バーバラ・ピーズ共著)を読んでみました。すると、今まで女性について正しく理解してないためにトラブルになっていたことを多く発見しました。特に夫婦関係においてよく出くわす事がらや、教会の姉妹達と交わりをしている時に出くわす事柄について、「そうだったのか!」と目からうろこが落ちました。この10数年ほどの間に脳の働きの研究が盛んになり、男と女はその脳の働きが違っており、男と女の違いをめぐる多くの疑問が分かってきました。一時流行語のようになった「地図が読めない女」については、それこそ多くの人が経験しています。要するに、地図を読んで理解するには空間能力が必要で、これは男性が圧倒的に優位で、女性の方が劣るからだそうです。コミュニケーションついては、女性が文句無く強いのです。言葉、顔の表情や手の動きといったボデイランゲ-ジを使って、女性は男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているといわれます。

  先日、あるコーヒーショップで何気なく周囲を見ていると、一組の若い男女の方が語り合っていました。ふとしばらく観察したところ、先ほど述べたように女性はボデイランゲ-ジを使い、男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているのです。これは身近な一例ですが、女はおしゃべりであるとは、確かに実証されているようです。脳の働きにおいてもまったく違うのです。コミュニケーション能力、言語能力が求められる分野では、女性が圧倒的に強いといわれるゆえんです。

  神様がご自分に似せて、男と女とを創造されましたが、その男女の違いを知れば知るほど、こんなにも素晴らしく創られたものだと感嘆させられます。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記1:27 新共同訳)   (続く)

2009年5月20日    小坂圭吾

2009年5月11日

コーヒーブレイク 「感謝する」

       PDJブログ1年
“PDJブログ”を書き始めて1年、月に2回を目途に書いていますが、意外と追いかけられます。2年前に『PDJレポート』として出発し、一段落したところで“PDJブログ”として再スタートしました。「PDJブログを読んでいますよ!」とメールや電話あるいはお会いしたときに声をかけられると嬉しいものです。少しは役立っていることに感謝しています。PDJブルグでは、①私たちの生活のあらゆる視点で、神様の言葉が生きている ②特に“人生は人とのかかわりが重要だ”という視点を欠かさない これらの視点、軸がぶれないように気をつけて連載していきます。読まれる皆様は、どの様に感じておられるでしょうか?

        感謝なこと
書き始めて良かったことは、とにかく勉強させられ、得ること多いことです。世の中のスピードが速くなり、色々なことが変わりました。その間、PDJの方向性もはっきりし、私自身も色々な面で変化させられました。新しい書籍を出し、PDJブログを書きながら、聖書の教えを広く、深く体験させられている自分を発見します。天国を目指す旅人である私たちは、生涯成長し続けたいものですが、変化していく過程こそが重要であると思います。ブログを書くためには、常に色々と情報を集め、考え、体験をし、他の人と分かち合いを通してアドバイスが与えられ、書くことが練り上げられます。ブログの写真は、デジカメで全て撮影したものです。何となくシャッターを切ったもので、感動するものがときにあります。

       感謝とつぶやき
 先月始め(4月5日)、JTJ宣教神学校の岸学長が、私たちの教会の礼拝に参加されました。1階ロビーで受付の一員をしていましたので握手をした後、即座に歩きましょうと言われて、ご一緒に6階礼拝堂まで階段を登りました。お互いに健康のために、運動が欠かせないこと、週に3回くらい体を動かしていることを確認したのです。
その後、先月中旬(4月16日)に“まさかの出来事”に遭遇しました。その日は一日スポーツをして「今日は少しバテ気味だな。ちょっと右足が引きつるな」と思い、お風呂に入り揉んだところ直りました。しかし、腰がだんだんとおかしくなり、夜には腰痛だとわかり、3日間はさすがに痛かったですね。整形外科でレントゲン撮影を取り、腰をひねって痛めただけで、特に悪いところなしと診断されました。鎮痛剤のお世話になり、まずまず直るには10日間は要しました。今から5年前の5月に、初めて“ぎっくり腰”をやったことがあり、そのときは早くに回復しました。
今回は、健康管理に気をつけていた中での“まさかの出来事”で、気をつけても起こるのだと、状況を受け止めました。腰痛になったことを通して「見えないことが見え、感謝することが多いな」と思ったのです。周りに対して文句よりも感謝の気持ちが多く、元気な時は色々とうるさいことを言う自分に気づかされました。青葉若葉の5月、木々の色にしても毎年こんなに元気で美しいのかなと思ったのも不思議です。一日一日と癒されることが、手に取るように分かりますので、嬉しいやら感謝でした。

腰痛になり2週間あまりは、感謝な事が多かったのですが、5年前と違い2週間経過してもスッキリと完治しません。口内炎ができたり、違うところが少しおかしくなったりでついつい愚痴、つぶやきが出て来ました。今までの感謝も吹き飛んでしまったのでしょうか?ほんとうに痛くて困ったときは、つぶやきはなかったのです。もう直ってもよいのにと思う私の自分勝手が、つぶやきにさせていることに気がつきました。「つぶやかず疑わずに、主を信じて行動しなさいと聖書にあるよ!」と家内のひと言が、つぶやきをきっぱり止めようと決心させ、元気が出て来ました。
今回のテーマは“感謝する”でしたが、思わぬことが起こり、“感謝とつぶやき”を書くことになりました。読んでくださり感謝します。

「どんなことでも、つぶやいたり疑ったりせずに行ないなさい。」(ピリピ2:14 現代訳)
「すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケⅠ 5:18)
        
2009年5月11日    小坂圭吾

2009年4月23日

一歩前に 「人生は一緒の方がいい」

      一緒に     
昨年11月、次に出す新刊「Better Together」なる本の編集・翻訳を行なっていました。本のタイトルについては、いつもあれかな、これかなとデイレクターと一緒に悩みます。彼は、「Better Together」を本文の中で“人生は一緒の方が良い”と訳していました。「このままをタイトルに使うほうが良いのでは?」と仮決定しました。そして、数ヶ月熟成期間を置くことにしたのです。その後、NHKの紅白歌合戦のテーマが「ひとの絆」となっており、人と人とのつながりを意識した演出を目指し、キャッチコピーは『いっしょに』であることを知りました。何人かの人から、それとなく意見を聞き、「“一緒の方が良い”は堅いので、“一緒の方がいい”にしたらどうだろう」との話になり、「人生は一緒の方がいい」に決めました。

      多くの人に支えられて
  PDJもこの4月で丸5年になり、今までに約10冊刊行させていただきました。一冊の本を出すには、何が必要で何を翻訳するかの企画に始まり、翻訳、編集、校正、本のタイトル、装丁、イラスト、カバーデザイン、チラシ、広告に至るまで一回一回が勝負です。年に単行本2冊を刊行することを目標に出版をしておりますので(重刷りを入れれば年に4-5冊ですが)、1冊1冊丁寧に仕上げております。PDJの役割として『スモール・グループに役立つ書籍を提供する』ことを常に考えながら、企画を進めています。ところで、1冊の本を出すに当たって、どのくらいの方々が協力してくださっているのかを考えてみました。映画で最後に製作に携わってくださった方々の名前がずらずらと出てきますが、あのイメージです。いやあ、実に多くの人々に支えられて、1冊の本ができるのだと実感します。これらの方々との関係・交わりの中から、次の本の方向性が決まる、本のタイトルにヒントを頂く、表紙のデザインが良くなる、チラシのデザインにアイデアを頂く、キャッチフレーズが新鮮になる、広告に良いタイミングを得る等々です。一人で出来る事は、ほんにわずかな事だなと思わされます。
     
        神さまのご計画
神さまは、私たちが一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と“一緒に生きる”ことが神さまのご計画です。二人は一人に勝るのです。
“一緒に生きる”とは、交わりを持ち、その友情を深めることです。聖書が教える「愛に生きる」ことであり、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。
「人生を導く5つの目的」を始めて読んだ時、私に衝撃を与えた事柄は、“神は、関係こそ人生のすべてであると言われる“という箇所でした。“人生のすべてであって、一部ではない”ということです。神を愛し、人を愛することの二つが、最も大切なことと理解しているとはいえ、“関係こそ全て”という具体的なレベルで実行できているか、その認識もきわめて弱かったのです。私たちの人との関係は、毎日のスケジュールの中で、無理やり後から押し込む、後回しにしている現状があります。人のために時間を作る努力をしているとはいえ、優先順位の初めに来ていません。優先順位が高いことは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができますが、その時間がどれほど少なかったことでしょう。
“関係こそ人生のすべてである”ということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。その結果、「友はいますが親友がいません」という状態から、「正直に話ができる親友がいます。色々と教えられ、私からも遠慮なくアドバイスもします」という状態に変えられました。神が与えてくださった恵みです。なるほど、“人生は一緒の方がいい”と、小さな経験ですが答えることができます。

「あなたがたが初めから聞いている通り、神の命令とは、愛に生きることに他なりません。」
(ヨハネの手紙第二 1:6 NCV)

2009年4月23日    小坂圭吾