2025年6月23日月曜日

祈り「大切なことを忘れる」

あじさい

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月に風邪をひく

若葉のまぶしい5月、お花も色々と咲き、あちこちに出かけて新緑を楽しむことができました。ところが5月下旬にまさかの出来事!風邪をひいてしまいました。

朝起きると体がだるく、その日は朝から晩まで寝たり起きたり、それが3日間、いや4日間も続きました。熱は高くはなく、医者に世話にならずに何とかしのぎました。

このままだと治るに1週間以上だなと思わされ、10日過ぎてやっと少し元気を取り戻しましたが、完全に治るには更に時間がかかります。68日ペンテコステ礼拝に出席したのち、午後に今年2回も風邪を引いたがなぜだろうか?とわが身の「ふり返り」をしてみました。

いつ頃からでしょうか、「反省」ということではなく、ふり返りという言葉を使うようにしました。「反省」という言葉は、自分のあり方、生き方をふり返ってよく見ることです。

「ふり返り」も同じ内容ですが、生活の中の出来事や経験の中心にある意味、自分のあり方や生き方にとっての意味を見出すこと、反省よりも優しい積極的な意味合いが感じられこの言葉が好きになり、使うようになりました。

湯河原・万葉公園
半年間のふり返り

年の始めに今年の目標を考え、年末にはその結果がどうだったのか?と1年の「ふり返り」をする(SEETHINKPLANDOサイクルを回す)のがもう40数年にわたるやるべき事柄・習慣です。

今回は6月ですので、“半年間のふり返り”となりますが、これは初めてやる事柄です。そうはいっても、わが身のすべてでは無く、今年2回も風邪をひいたことに絞って考えました。

振り返れば、昨年12月インフルエンザにかかり、更にさかのぼれば、一昨年12月コロナにかかりました。この時は、夫婦共倒れです。この時は、どこから感染したのかはわかりませんでした。

気をつけていても感染するときは感染するなと思わされました。年末で少し忙しく、それも影響したかなと思ったことです。そして、今年の2月風邪をひき、またやられたなと思い、5月更に風邪をひく。さすがにこれは長くかかり、ふり返りを要することになったのです。

すぐに忘れる

ふり返りを始めて思ったことは、とにかくすぐに忘れるのだということを思い起こしました。

今回治るのに長引いたのも、神さまの御手の中にあってのことですが、「今回は長かった。辛かった、痛く感じたなあ!」と大切なことを思い起こすには、この位が必要だと主なる神様は思われたか!と感じたのです。

ちょうど今、ふとしたことから聖書の学びをもっとしようと神学校の学びを再度始めました。これはという事柄について、聴講を始めたのです。

旧約聖書五書の学びをしていますと、イスラエルの民が神の豊かな恵みを思い出さず、すぐに神の素晴らしい御業を忘れ、自分たちの神さえも忘れてしまう!!


何という愚か者かと他人事のように見ていたことは、どうしてどうしてこれは人間の忘れるという悲しい現実なのです。今回ほど、これが私の現実だという事を思い知りました。

何もこれほどのことを書くまでもなく、私たちはすぐに忘れる!それは、日曜日の礼拝後、教会を出ると今日の聖書箇所を忘れている!何も後期高齢者でなくても忘れている。

朝読んだ家庭礼拝の聖書箇所を、夜には忘れている!例を挙げたら、いくつもありますね。ですから、朝晩聖書を読み、祈り、神さまと交わりをしないと駄目な私たちなのです。

これは忘れてはいけないと思うみ言葉は、額に入れて、目の前に置かないと忘れてしまうのです。

半年間のふり返りをして分かったことは、要はあれこれとやり過ぎて疲れがたまり、ダウンにつながったことです。

人生をもっとスローにすべきこと、大切でないことは止めることを痛く示されました。そして、これらをすぐに忘れる者であることを示されました。今回の事は、ふり返りのたびに覚えておきたいと思っています。

「彼らは救い主である神様を忘れました。エジプトの地で大きなことをなされ、紅海で恐るべきことを行われた、救い主である神様を。」(詩編106:21-22 現代訳)

「あなたの神、主がこの40年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。」(申8:2 新改訳2017)

2025年6月23日 小坂圭吾

2025年5月30日金曜日

聖書のことば「さばいてはいけない」

 

ワシントン・リンカーン記念館

アメリカ大統領就任式

これまで色々な人々の生涯について、学んできました。聖書に登場する人々はさておいて、その伝記をしっかり読んだ人と言えば、アメリカ・リンカーン大統領です。

かなり前になりますが、アメリカで歴史上最も尊敬できる人物について世論調査をしたところ、1位はイエス・キリスト、2位はリンカーンだったとのこと、リンカーンがどれほどアメリカ人や世界の人々から愛と尊敬を受けているかを実感させてくれるものです。

オバマ大統領も、尊敬する大統領としてリンカーンをあげています。私たち日本人にとって、リンカーンといえば、奴隷解放と南北戦争を勝利した大統領という程度の知識かもしれません。

リンカーン聖書

アメリカ大統領就任式では、大統領が自分の好きな聖書箇所を選び、就任の宣誓をして、聖書に口づけをして神様のことばに対する畏敬の念を表します。リンカーン大統領が特に好み、選んだ聖書箇所は、次の御言葉でした。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:1)

リンカーンの生涯

今から40数年前に初めてアメリカに出張した時、ワシントンを訪問し、国会議事堂、ホワイトハウス、大統領が日曜礼拝に行く教会そしてリンカーン記念館を訪ねました。

そこにあるリンカーンの座像~建物の入り口中央に置かれている巨大な石像で、両腕をひじ掛の上に乗せて、厳粛な雰囲気をかもしだしています。

リンカーン像

周囲を散策しながら、これほどまで巨大な建物の記念館を作ったのには、アメリカにとって偉大な尊敬する人物だからであろうと推察しました。

その後、「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」(ジョン・クアアン著、小牧者出版)を読み、リンカーンがどれほど信仰の人であったかを知り、大きなチャレンジを与えられました。

リンカーンの生涯についてですが、彼のお母さんが素晴らしいクリスチャンで、彼に「信仰」と「夢」を植え付けたのです。

「神さまのみことば通り生きなさい」とモーセの十戒が心の奥深くに焼きつき、その通りに正直に生きる原動力になりました。彼が9歳の時に母がこの世を去りますが、次の新しい母も素晴らしいクリスチャンです。

彼女は、リンカーンに良く聖書の話を聞かせて信仰の目が養われ、読書の習慣を育ててくれ、まれに見る「本の虫」と呼ばれ独学で勉強をしました。

学校らしい学校教育を受けていませんが、読書に専念し、よい文章があればメモを取り、繰り返して読んで自分のものとしました。彼は、毎年自分の身長ほどの本を読むことを目標にしたとのことです。

さばいてはいけない  

リンカーンは、幼少時代からひどいいたずらっこで、周囲の人々をたびたび困らせました。悪い習慣は、弁護士時代にも表れ、彼が不満に思う若手政治家を非難しまくって、相手を大憤慨させ命がけの決闘を申し込まれ、命を失う危機に立たされました。

ミシシッピ川の川辺で決闘となり、決闘直前に友人たちの仲裁により、彼の謝罪を受け入れ、血を見る決闘にはなりませんでした。

この出来事が引き金となって、今後他の人を批判する、悪く言うことをしないとリンカーンは決心したのです。そして、マタイ7章1節のみことばを、生涯心に刻んだのです。

リンカーンの生涯を貫き通していることは、聖書を読み、祈り、聖書の言葉に生き抜いたことです。彼も罪びとであり多くの過ちを犯しました。

あるいは、犯しかけながらも留まりました。犯した過ちについては、それが聖書の言葉に照らした時に、もう2度とやらないと心に焼き付け、犯しそうになった時に冷静に踏みとどまって、神の心にかなうような行動に自分を仕向けたのでした。

特に「さばいてはいけない」「自分の敵を愛せよ」のことばを実行したのです。

愛、受け入れ、赦し

この聖書のことば「さばいてはいけない」は、私も失敗の数々があったなと思い起こします。若い頃の振り返りをしてみますと、赤面の至りです。長く人生を歩んできて、感謝なことが沢山出てきますが、失敗も多かったなと思います。

若い頃のいつでしょうか、とかくさばきになってしまう自分があったなと!?今ではさばきの思いが出てくる前に、愛、受け入れ、赦しが出てきて、ともかく受け入れようと思うのです。

いつ頃からそのようになったかは、定かではありません。すぐに心の中で人をさばいたり、悪く思ったりすることは誰でもあります。批判する、悪く言うことはいとも簡単に行なってしまいます。

人をほめ建てあげることがいかに少なく、度量の狭い人間であるかを思い起こすのです。「愛、受け入れ・赦し」の実践しかないと心に刻んでいます。

「人を裁いてはいけません。人を裁けば、神様から裁かれます。」(マタイ7:1 現代訳)

2025年5月30日    小坂圭吾      

2025年4月21日月曜日

コーヒーブレイク「脳・体を鍛える」

        身延山久遠寺・五重塔

ラジオ放送が始まって100年

日本でラジオ放送が始まったのが1925322日で、今年で100年目を迎えました。4050年続く長寿番組も珍しくないのがラジオの世界でした。

我が家にもラジオが数台ほどありますが、内1台は、20年以上も前の古いラジオで作りが良く長持ちです。数台の内1台は防災用ラジオで、最近新しい物に買い換えました。

1台はダイニングキチンに置いて“ながら”用ラジオとして使い、残りの1台は、ラジカセでCDかカセットを聞くためにあります。

夜7時のNHKニュースですが、食事時はテレビをつけませんので、ラジオだけは邪魔にならず利用します。車を運転しながらラジオを聞きますが、テレビがついてから少しラジオが減りましたね。

身延山久遠寺・桜満開

ラジオに思う

テレビが世に出てしばらくして、「テレビで一億総白痴化する」と発したのは、有名な評論家の大宅壮一だったと思います。

現在では、テレビだけでなくスマホやインターネットも含めて悪い影響に毒される、深く考えることをしなくなっている現実があります。

テレビは、脳力アップには不向きだと言われ、ラジオは脳を鍛えると言われます。

というのは、ラジオは視覚に頼ることがない分、音や言葉が連想の刺激へとつながり、音声を映像化する必要があり、脳には負担がかかり活性化されていくのだそうです。

ラジオは何かをしながら聞くという「ながら」が特徴で、同時に二つのことを行うというのは、脳にとっては高度な働きになります。ですから、脳を鍛えて老化を防ぐことにもつながるのです。

テレビやインターネットやスマホやら便利な世の中になって、頭を使わなくなったと感じるのではないでしょうか。脳は甘やかすと衰えていきますが、鍛えると成長するのです。

とにかく鍛える

脳を鍛えると言えば、私の場合、本を読み、色々とあちこちに出かけて見聞きし、インプットしたことを何かアウトプットする~話をする、ブログを書くことを継続しています。

毎日、大きな声で聖歌・讃美歌を歌い、聖書を声出して読むのも、良い事に繫がっているでしょうか。何事も鍛えること、訓練する事を忘れてはならない~~脳ばかりでなく体も同様です。

冒険家の三浦雄一郎さんですが、80歳で3度目のエレベスト登頂を果たされた時に、何歳になっても体は鍛えれば、強くなることを教えられました。

その後、コロナ禍の中、大病を患うもリハビリを続けて、昨年91歳の時、八甲田山系で山岳スキーにチャレンジされ、今なお冒険家としての人生は続いています。

私たちには同じような真似はできませんが、体は鍛えれば、それなりに成果があることは確かです。

そのことに刺激され高齢者になる頃から、週に一度はスポーツセンターに行きトレーニングジムで鍛え、週に4~5回は、ウオーキングと筋トレに励んでいます。

体力維持が目的ですが、そろそろ少しハードルを上げようかなと思っています。

脳・体に良い事に取り組む、

いざ鍛えるとなるとハードルが高くなりますが、最初は良い事だなと思って始めると、続けられるものです。私もやり始めて今日まで続いたものは、そのようにして始めたものです。

最近夫婦で、”げんきかい”という新しい仲間との交流会に参加を始めました。

地域の人々にそれぞれの趣味活動を支援し、「今日もげんきかい」「元気ですよ」と声をかけ合い、気楽に立ち寄り、お茶を飲みながら仲間との触れ合いに喜びを見出す場、非営利・非宗教・非政治の会です。

日曜日以外毎日運営しており、健康マージャン、ハマトレ体操、歌声会があり、会費は、300~500円で20~30人ほど集まっています。

とても素晴らしい運営をしていて、色々な方々と触れ合う場であり、元気が与えられます。

良い事と思うことに取り組み続けていく、すると工夫も出てくる、良ければ継続できるのです。外出して人と触れ合い、歩いていくので体も鍛えられ、人との交流で脳も鍛えられるのです。

とはいえ、嫌なことや辛いことがありますが、忍耐してやることにより、後で見ると良かったと思うことが沢山あります。鍛える、訓練などと思わず、気楽に楽しむことです。

やはり、鍛えることにつながる生活は、忍耐があるなと思わされますが、それも品性を磨く道程かなと思っています。

「どんな訓練でも、それを受けている時は、嬉しいよりはむしろつらいものだが、後で分かることは、そうした訓練を受けた者は、必ず神の御心にかなった生活ができるようになっているということである。」(ヘブル 12:11 現代訳)

2025年4月21日 小坂圭吾


2025年3月20日木曜日

感謝「老いには逆らえず、されど恵み多し」

 

小田原フラワーガーデン(梅まつり)

突然のコロナ、インフルエンザ、風邪

冬になり突然襲ってきました。2年前の12月、突然夫婦共々新型コロナウイルスに感染し、ついにやられたかと思いました。人ごみを避けてはいたのですが、どこから感染したかは不明です。

続いて昨年12月、今度はインフルエンザに感染、記憶では10年余りかかった記憶がありません。

更に今年の2月、風邪にかかりました。これらの一連の流れを見て、加齢かなと思うとともに、コロナに感染すると相対的に免疫力が落ちるのかな?と自分勝手に推察しました。

最後の風邪は、疲れがたまっていたのでやられたなと思っています。この話をいつもの散髪屋のおかみさんに話すと、「コロナにかかり免疫が落ちたと言う人が多いようです!」と言われました。

ネットで調べてもそのような事実は出てきませんが、私にとっては、冬にはとにかく気をつけねばなるまいと自戒しています。

原因はあるはずだ!

毎日B6サイズの手帳を使って、スケジュールと簡単なメモ~~その日にやったことや健康上のチョイ悪メモ(赤字で記入)を記入しています。それをめくって、これらの原因を考えてみました。

最後の風邪もコロナもインフルエンザも、色々とやり過ぎて疲れがたまり、加齢もあって、免疫が落ちてきて感染したのかなと分析しました。あれやこれとやりすぎ、まだ若いと思って疲れを感じる感覚も鈍くなり、気が付けばダウンをしている。

高齢になると免疫力そして体力が落ちてくるもの。筋トレとウオーキングに励んでいますが、80歳前後から年相応の体のガタが来て、否むことができません。

モーセの働きを見ますと、80歳にして、エジプトで奴隷にされ苦しんでいる民族を救い出すように主から命じられ、想像を絶する試練の中、その使命を果たしました。よくぞあの歳であそこまでの働きが出来たなと思わされます。

ヨシュアは、85歳の時にモーセの後を継いだと考えられ、「年を老いたが、まだまだしなければならない仕事が残っている。」(ヨシュア記13:1 現代訳)と主から命じられ、驚くべき力を与えられ、その使命を成し遂げました。

聖霊によって、外なる人は衰えても内なる人は日々新しくされ、新しく生きる力をふんだんに受けて、若返って鷲のように力強く飛ぶことができたに違いありません。


後ろのものを忘れる

若い頃(50歳代まで?)は、疲れてダウンしても(風邪でも)1~2日で(あるいは一晩で)回復するぞと祈って寝る、すると翌朝は起きることが出来ました。

大学生の孫が、この冬何回か風邪にかかるもバイトを休めないので薬を飲んで熱を下げてバイトに行くと言っていました。若い時はそうであったなと思います。

ちなみに、大学生の孫は、月に数回ほど来てくれて、庭仕事、家の仕事を色々と手伝ってくれます。今までは、夫婦で出来たことが大変になり、孫の手を借りることにしたのです。

アルバイト代を出してやりますが、アルバイトを通して社会人としての大切なことを教えています。今は、二人目の孫が来ていますが、やがて3代目、4代目と続きますので、とても助かります。

現在の私は、今や風邪でも3日間いや5~7日間ほどかかり完治という具合です。過去の元気な頃のようにはいかないことは、それなりにわかっている!いえわかってないようです。

過去を振り返って、かつてはそのように出来ても、現在はそうではない!考え方を変える必要があります。

老いても~~恵みは尽きず

「老いては子に従え」~~その意味は「年をとったら子供の言うことを聞くのがよい」ですが、年をとったら我を張らず、何事も子に任せて従うのが良い、という高齢者のあり方を言い表したことわざです。

喜寿を過ぎた頃からそのように心がけてはいます。とはいえ、引退ではありませんが、年を重ねないと分からない事が、この人生にはたくさんあります。その意味では、高齢者の果たす役割も多くあると考えます。

過去に起こった全ての出来事は、良かったとは言えませんが、良い事、悪い事すべては、神さまの御手の中にあって起きたことだと認識しています。

更に言えば、あの失敗、つらかったことが、良い事に変えられていったことを忘れることができません。マイナスがプラスになる、年を重ねるとそのことが明らかに理解できるのです。

ばらばらに見える人生の断片が、意味を持ってつながってくる、これは素晴らしい恵みです。感謝に尽きません。

「~~~後ろのものを忘れ、前のものに向かって前進しており、~~~目標に目指して一心に走っている。」(ピリピ4:13~14 現代訳)

「若者の美しさは力であり、年寄りの美しさは、白髪である。」

(箴言2029 現代訳)

2025年3月20日 小坂圭吾

2025年2月11日火曜日

喜び「HERE AND NOW(今ここに)」

 

日本一寒い町・陸別町
花粉症~早めの対策がカギ

今年に入り、1月中旬にスギ花粉が飛び始めたと!「シーズンの飛散量は、全国平均で平年の1.5倍以上になる」との「ウエザーニュース」の予想です。

先日、NHKテレビで花粉症についての放映があり、花粉症が始まっても速やかに薬を使い、早めの対策がカギであるとの報道がなされました。

私がこのことを教えられたのは20年以上も前のこと、かかりつけ医の方から、点鼻薬でしたが正月明けからすぐに点鼻薬を使って毎朝1回つけて、花粉症の厳しいときは14回までは使っても良いとの指導でした。

その通りに実行すると楽に日々を過ごせました。花粉の多い時には厳重に対策をして、何とか1日過ごせました。国民病と言われるにもかかわらず、予防対策の指導が遅い、徹底しないなあと感じたのは、私だけでしょうか?

早く予防を始めれば、確実に効果はあり、お勧めします。

寒い冬、初めての北海道

立春を過ぎても、今年の冬は寒く厳しいですね。寒い冬と言えば、初めて北海道に行ったのが厳冬2月で、もう50年以上前になります。

岡山という温暖育ちには興味津々で、零下の中での生活など予想がつきません。帯広空港まで飛行機で飛びましたが飛行機を降りるとジンとくる冷たさ、寒さは、記憶によみがえります。

電車に乗って陸別まで行きますが、その電車が2重窓には驚きました。夕方になると外の窓ガラスばかりでなく、内側の窓ガラスまで少し凍ってきているようです。

陸別駅に着いて妻の実家の部屋に入ると、中は30℃近く、半そで一枚で過ごせる温かさです。外は零下15℃くらいで、一番寒いときには、零下25℃になるそうです。

暖房といえば、当時は石炭もしくは薪を使って一日中燃やしていましたが、深夜も一晩中ストーブを燃やして寝るのですが、朝起きると口のあたりに霜柱がついていてびっくりしました。

暖かい部屋で、北海道の開拓の歴史を聞かせていただきました。彼女の祖父たちが開拓民としてこの地に入り、大変な苦労をされました。祖父の時代に陸別郵便局を開設し、2代目が彼女の父でした。

北海道開拓の1ページ、当時の人々の開拓魂により、陸別町があるのだと思いました。

外は、雪一色の銀世界で、日本で一番寒い地、日本一しばれる町陸別です。今でも、毎年NHKが昼の番組で、寒い陸別町から何がしかの様子を放送しています。

HERE AND NOW(今ここに)

北海道・北見の出身で大学の同窓・同期の知人がいますが、彼は囲碁では素人の最高位を取得しています。大学校友会・囲碁会の集まりで知り合ったのですが、北海道の寒い冬は、家の中で過ごすしかなく、そこから囲碁にとりつかれたと聞きました。

私はアウトドア派ですので、1日家にいるのが苦手ですが、寒い冬は、家の中で静かに読書がいいでしょうか。かつて読書会をした本、『いま、ここに生きる~生活の中の霊性』(ヘンリ・ナーウエン著/太田和功一訳/あめんどう発行)を読みました。

タイトルになっている「HERE AND NOW(今ここに)」の言葉は、40歳代の頃に知った言葉で、とても大切にしていた言葉です。今思えば、この本が書かれる前に、この言葉に出会ったかなと思われます。

著者は、キリスト者の霊性の教師として世界で広く認められ、尊敬されているカトリックの司祭で、とても読みやすい本です。

今回読み直して、「そうだ、そのように思う」「この数年の経験は、このような意味があり、同感だ」等々共感できる事柄が多くありました。

自分の心と思いを見つめながら読むと「今ここに生きる」ことに繫がってきます。人生経験が長くなると、色々と心のひだが出来、少し深くされたでしょうか。自分の霊性を見つめる良い機会となりました。

2章「喜び」~願望を超えてという文章があります。

「願望と幸福感というものはたいてい、物や出来事とつながりがあります。たとえば、天候が変わったり、戦争が終わることを願います。~~そして、その願望が満たされると幸せな気持ちになります。

しかし希望と喜びは、あなたを永遠の愛をもって愛し、あなたに対してつねに真実であられる方との親しい交わりに根ざした霊的な交わりです。たとえ多くの願いが実現しなかったとしても、~~神が共におられることによって喜ぶことができます。

私の生涯で希望と喜びにもっとも満ちあふれたときのいくつかは、身も心も非常な苦痛の中にあった時でした。」

著者はこの後で具体例を書いていますが、更に、第3章「苦しみ」について展開しています。

私の小さい体験でも、まさかの体験、挫折や痛み等の体験は、それだけに終わらず、その苦しみ、悲しみや痛み等の中に真の喜びが隠されていることを発見するのです。

それらを通して、新しい何かが生まれ「生みの苦しみ」がやがて喜びに変えられ湧きあがるのです。誠に感謝なことです。

「今の私たちの苦しみや悩みは、やがて過ぎ去る苦悩であって、それは、いつまでも続くすばらしい栄光をもたらすものである。」コリント 4:17 現代訳)

2025年2月11日 小坂圭吾