2021年10月18日月曜日

喜び・感謝「自分史を書く(その1)」

 

芦ノ湖と富士山(恩賜箱根公園より)

PDJブログを書き始めて2年目の頃

20099月、PDJブログを書き始めて2年経過した頃です。ブログの中で、自分の証しも随所に書いていますが、まとめて自分史を書く必要を感じ、始めることにしました。その時の目的は、自分史をまとめることで、子供や孫に信仰の証とか教訓を残せたら良いかなとの思いが強かったと思います。

教訓となると、成功話よりも失敗話の方が面白いであろう、いやなことも出来れば赤裸々に書こうと考えました。1年くらいで書けるだろうと始めは気楽でしたが、どうしてどうして、そんなに簡単には進みませんでした。

手帳や日記帳、写真帳をめくって調べていくと、記憶と違うことも出てきますし、これも書くかなとなってくるのです。34年経過して一時中断。何度か中断をしましたが、再度、再々度と書き続けることが出来ました。

気が付けば10年も経過して、とにかく喜寿までには書き上げようと励み、この9月にともかく最低の区切りまでを書き終えました。

人生は3段ロケット

40歳代の頃、人生を3段ロケットにたとえて考える“ということを学び、そのような青写真が何となく自分の頭にあった様に思います。それで、自分史を書くにあたり、大きく3つに分けて考えました。

第1段ロケットが、この世に生を受けて親の庇護の元で育てられ、教育を受けて一人前の大人に成長するまでの時代(大学卒業して就職するまで)、第2段ロケットが、仕事を通して社会に貢献する時代(第一の現役時代)、第3段ロケットが、第一の現役を卒業してより広く社会貢献をしていく時代(第二の現役時代)です。

40歳の頃は、この3段ロケットでよかったと思いますが、今や人生100年の時代になって、もう一段のロケット~第4段ロケット(第三の現役時代)もありかなと考えています。ということで、第3段ロケット(第二の現役時代)を喜寿(77歳)までとすることにしました。

顧みますと、第一段ロケットを、そして第2段ロケット、第3段ロケットを自分の努力というよりも、神様の導きの中で順調に打ち上げたように感じます。

自分史を書く目的

自分史を読んでもらう対象は誰かについてですが、妻と子供、孫とその周りの人々を念頭に置いて書くことにしました。自分の証を書くのですが、それを公に出すには、何かしら取り繕うこともせざるを得なくなり、真実であっても読まれた方に不愉快な思いを与えることにもなり、公には出さない方針で進めました。

書く目的については、第1に、自分の生きた証を残すことです。子供や孫たちにとって、後になって少しでも役立ってくれればと願います。第2に、自分史を書くことによって、「今後の生き方」が見えてくる、大いに考えることにつながっています。今後の生き方については、色々な区切りで「主なる神は、何をさせようとしておられるのか?」と考えてきましたが、どうするかが少しずつ見えてきています。

今後について、第4段ロケットを打ち出したいのですが、出来るかどうかわかりません。飛び出しても燃料が切れて落ちるのかもしれません。華々しいロケットではなく、ドローンを飛ばすくらいが分相応かなとも思います。

3に、コミュニケーションを深められることについてですが、親子、孫とのコミュニケーションの多い家族ですが、自分史という題材も使って、今後大きくなることを期待しています。

作ることが楽しい~謙遜な思い

私の時は?

自分史を書くのに既に10年余も経過していますが、これから妻に、息子に世話になりながら、推敲を重ねていきますので、まだまだ時間がかかります。形になってきますと、作ることが楽しいものだと感じます。

写真もどれにするか、アルバムを整理しながら、選ばねばなりません。その一方で、自分がこの世に生を受け、人間形成をさせられて、その役割を果たしてきた道筋を顧みると、自分が努力したことは、ほんの少しだったなと思わされます。

神様にお膳立てをしていただいて、やったことがすべてであったのだと思わされるのです。自分が生まれてきたことから始まり、小坂家という家族かつその親族の中で育てられーーー書き出したらキリがありません。

そのように謙遜な思いにさせられるのは、自分史を書いたからこそのことでありましょう。神様を信じればこそ、その恵みが鮮やかに見えて、この思いが出てくるので感謝なことです。

 「私の時は、あなたの御手の中にあります。」(詩編3115節 現代訳)

 2021年10月18日 小坂圭吾