2011年6月20日月曜日

今を生きる 「失敗から学ぶ」

     みんなで支えあう                             
 東日本大震災から3か月が経過しました。この震災で“日本人の何かが変わった!”と私たちは感じていますが、それは、日本人の持つ良い面があらわになっているのかもしれません。震災後の私たちの行動を見ると、日本人が都市化され変わってきたと言われながらも、いざという時は「みんなで支えあう、持ち合う」という生き方の良い面がみられました。被災地で暴動や略奪もなく、食べるものがほとんどない時みんなで静かに列を作って待つという姿は、外国では考えられないと驚かれました。この姿は、阪神大震災の時にも見られたことです。           
 一方で、「みんなで一緒に」の考え方は、弱い一面もあります。原発事故に対する機敏な対応が見られないのがその一端ともいえるでしょうか。日本政府および東京電力の対応の遅さ、危機管理の無さは、残念な限りです。その中にあって、原発事故の収束に向けて日夜戦って下さっている原発所内の方々の献身的な働きを忘れてはなりません。全世界が見つめている“フクシマ”には、祈りの支援が必要です。被災という絶望に向きあって戦う東北の方々のために、私たちも忍耐強く支援を続けていきたいものです

     失敗の研究
  このような中で、実に注目すべくニュースがあります。先月24日日本政府は、東京電力福島第一原子力発電所・事故調査委員会の委員長に「失敗学」を提唱する畑村洋太郎・東大名誉教授(70)の起用を決めました。事故調査委員会は、ほかに法律や地震の専門家ら約10人で構成され、年内に中間報告をまとめ、来夏にも最終報告を出すとの方針です。              
  日本の政治、行政の見られる欠陥は、責任の所在のあいまいさ、場当たり的な対応、正確な情報を出し渋る体質、過去の「失敗の研究」の欠如---等々があげられます。これは何も今に始まったことではなく、戦前戦後を通じて、“日本の失敗”ともいうべきことです。原発事故に対しては、失敗の原因を究明しその情報を共有化することが重要です。

  失敗学は、1990年代半ば、失敗の原因を分析し再発をいかに防止するかを体系的にまとめてその基礎が作られたと言われています。それをさかのぼる10数年前、私は、大手メーカーの企業教育に携わっていました。その時、「KT法:論理的問題解決の手法」を使って、企業の物つくりにおけるトラブルの原因究明そして対策作り、再発防止をする教育に奔走しました。そのような中、「失敗学」なるものが提唱され、大手企業の中では当然のこととしてやっていましたが、学問的にまとめられることは素晴らしいことだと感じたものです。
  畑村洋太郎名誉教授は、「9世紀の昔に起こった大規模な貞観(じょうがん)地震は、ほぼ忘れられていた。加えて、人間は都合の悪いことは考えない習性があり、取り返しのつかないことの原因になる。今回、それらが重なって防災対策で不幸な結果につながった。」ぜひとも100年後の評価に耐えられる中身になることを期待しましょう。
     
     口で失敗しないように
  失敗についてわが身のことを振り返ってみますと、大きい小さいは別にしてとにかく失敗だらけの人生ということになるでしょうか?仕事の中で、対人関係の中で、親子関係の中で、夫婦関係の中で、勉強の中で、スポーツをしていてもそうです。忘れてしまっていた、勘違いをした、つい手が滑ってしまった等々小さな失敗、ミスは、私たちには事欠きません。
  失敗はすることによって次につながる良い面もあり、全てが悪いとは考えません。このような中で、一番失敗が多く何とか制御したいのが口ではないでしょうか?「口は災いのもと」ということわざを出すまでもありません。舌は、もろ刃の剣で、命を与える舌もあれば、死をもたらす舌にもなりえます。平和か争いか、理解か誤解か、建設か破壊かー。こうして書きながら、少し前のある光景を思い出します。「言っていることが間違いではないが、もう少し言葉を選ぶべきではなかったか。口数が多く、舌の制御が足りなかったな!」若いころから、言葉には注意をするように教えられてきましたが、一層の制御が必要だと感じているこのごろです。

「私たちはだれでも皆、多くの失敗をする。もし言葉の上で失敗しない人があったら、あらゆる点で自分を制御できる立派な人である。」(ヤコブ3:2 現代訳)

2011年6月20日     小坂圭吾