2009年5月20日水曜日

今を生きる 「男女の違いを認める(1)」

     ロダンの彫刻
 ロダン作の有名な彫刻「考える人」を実物あるいは写真等で見られた方は多いかと思います。これは男性の象徴で、ひとり腰を下ろし静かに考え事にふけりたいものです。一方、女性はといいますと、こんな姿を見かけることはめったにありません。面白い人が、こんな表現をしました。「ロダンが女の彫刻を作ったら、タイトルは何だろうか?きっと『しゃべる人』に違いない。」なるほどと思います。これが象徴するように、男と女は大いに違うのです。神さまは、創造の始めに人を男と女に、役割の違うものとして造られました。しかし、男と女が違うことをどれだけの人が正しく理解し認識しているでしょうか?聖書には、色々なところに男と女の違いについて書かれており、それなりに理解をしていることと思います。しかし、男と女の思考、態度、感情の違いについては、あまり理解されていないように思います。経験上は分かっていても、それを認識して自分の行動まで生かせるところまで至っていません。お互いに色々と違うことをしっかり認めることが必要だと思われます。

        子供の姿
  子供の姿についておもしろい話を聞きました。小さい子供に画を書かせると、男の子は、物を中心に描くことを考え、女の子は、人物を描きその中に関係を求めて描きます。そういわれれば、孫達の絵はそうなっているなあと思います。赤ん坊の場合ですが、女の赤ん坊は人の顔をじっと見つめ相手と目を合わせる時間が長く、男の赤ん坊は動くおもちゃを喜んで長く見つめています。男の子は物とその仕組みに、女の子は人とその関係に興味を持ちます。“ままごと遊び”は、女の子がする遊びですが、ここに関係を重んじる姿が見られ、母親になり、おばあちゃんになってもその姿は変わりません。人と人との絆、つながりを求め一緒に歩むことは、女性が圧倒的に得意分野です。大家族の姿を良く観察しますと、その中心は、母親であるか、おおばちゃんであるか、どちらにしても女性がつながりをつけているのです。

      男と女の違いについて
  ある時、男と女の違いについて少し理解を深める必要があると感じて、「話を聞かない男、地図が読めない女」―男脳・女脳が「謎」を解く-(アラン・ピ-ズ、バーバラ・ピーズ共著)を読んでみました。すると、今まで女性について正しく理解してないためにトラブルになっていたことを多く発見しました。特に夫婦関係においてよく出くわす事がらや、教会の姉妹達と交わりをしている時に出くわす事柄について、「そうだったのか!」と目からうろこが落ちました。この10数年ほどの間に脳の働きの研究が盛んになり、男と女はその脳の働きが違っており、男と女の違いをめぐる多くの疑問が分かってきました。一時流行語のようになった「地図が読めない女」については、それこそ多くの人が経験しています。要するに、地図を読んで理解するには空間能力が必要で、これは男性が圧倒的に優位で、女性の方が劣るからだそうです。コミュニケーションついては、女性が文句無く強いのです。言葉、顔の表情や手の動きといったボデイランゲ-ジを使って、女性は男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているといわれます。

  先日、あるコーヒーショップで何気なく周囲を見ていると、一組の若い男女の方が語り合っていました。ふとしばらく観察したところ、先ほど述べたように女性はボデイランゲ-ジを使い、男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているのです。これは身近な一例ですが、女はおしゃべりであるとは、確かに実証されているようです。脳の働きにおいてもまったく違うのです。コミュニケーション能力、言語能力が求められる分野では、女性が圧倒的に強いといわれるゆえんです。

  神様がご自分に似せて、男と女とを創造されましたが、その男女の違いを知れば知るほど、こんなにも素晴らしく創られたものだと感嘆させられます。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記1:27 新共同訳)   (続く)

2009年5月20日    小坂圭吾

2009年5月11日月曜日

感謝 「どんなことでも感謝する(1)」

       PDJブログ1年
“PDJブログ”を書き始めて1年、月に2回を目途に書いていますが、意外と追いかけられます。2年前に『PDJレポート』として出発し、一段落したところで“PDJブログ”として再スタートしました。「PDJブログを読んでいますよ!」とメールや電話あるいはお会いしたときに声をかけられると嬉しいものです。少しは役立っていることに感謝しています。PDJブルグでは、①私たちの生活のあらゆる視点で、神様の言葉が生きている ②特に“人生は人とのかかわりが重要だ”という視点を欠かさない これらの視点、軸がぶれないように気をつけて連載していきます。読まれる皆様は、どの様に感じておられるでしょうか?

        感謝なこと
書き始めて良かったことは、とにかく勉強させられ、得ること多いことです。世の中のスピードが速くなり、色々なことが変わりました。その間、PDJの方向性もはっきりし、私自身も色々な面で変化させられました。新しい書籍を出し、PDJブログを書きながら、聖書の教えを広く、深く体験させられている自分を発見します。天国を目指す旅人である私たちは、生涯成長し続けたいものですが、変化していく過程こそが重要であると思います。ブログを書くためには、常に色々と情報を集め、考え、体験をし、他の人と分かち合いを通してアドバイスが与えられ、書くことが練り上げられます。ブログの写真は、デジカメで全て撮影したものです。何となくシャッターを切ったもので、感動するものがときにあります。

       感謝とつぶやき
 先月始め(4月5日)、JTJ宣教神学校の岸学長が、私たちの教会の礼拝に参加されました。1階ロビーで受付の一員をしていましたので握手をした後、即座に歩きましょうと言われて、ご一緒に6階礼拝堂まで階段を登りました。お互いに健康のために、運動が欠かせないこと、週に3回くらい体を動かしていることを確認したのです。
その後、先月中旬(4月16日)に“まさかの出来事”に遭遇しました。その日は一日スポーツをして「今日は少しバテ気味だな。ちょっと右足が引きつるな」と思い、お風呂に入り揉んだところ直りました。しかし、腰がだんだんとおかしくなり、夜には腰痛だとわかり、3日間はさすがに痛かったですね。整形外科でレントゲン撮影を取り、腰をひねって痛めただけで、特に悪いところなしと診断されました。鎮痛剤のお世話になり、まずまず直るには10日間は要しました。今から5年前の5月に、初めて“ぎっくり腰”をやったことがあり、そのときは早くに回復しました。
今回は、健康管理に気をつけていた中での“まさかの出来事”で、気をつけても起こるのだと、状況を受け止めました。腰痛になったことを通して「見えないことが見え、感謝することが多いな」と思ったのです。周りに対して文句よりも感謝の気持ちが多く、元気な時は色々とうるさいことを言う自分に気づかされました。青葉若葉の5月、木々の色にしても毎年こんなに元気で美しいのかなと思ったのも不思議です。一日一日と癒されることが、手に取るように分かりますので、嬉しいやら感謝でした。

腰痛になり2週間あまりは、感謝な事が多かったのですが、5年前と違い2週間経過してもスッキリと完治しません。口内炎ができたり、違うところが少しおかしくなったりでついつい愚痴、つぶやきが出て来ました。今までの感謝も吹き飛んでしまったのでしょうか?ほんとうに痛くて困ったときは、つぶやきはなかったのです。もう直ってもよいのにと思う私の自分勝手が、つぶやきにさせていることに気がつきました。「つぶやかず疑わずに、主を信じて行動しなさいと聖書にあるよ!」と家内のひと言が、つぶやきをきっぱり止めようと決心させ、元気が出て来ました。
今回のテーマは“感謝する”でしたが、思わぬことが起こり、“感謝とつぶやき”を書くことになりました。読んでくださり感謝します。

「どんなことでも、つぶやいたり疑ったりせずに行ないなさい。」(ピリピ2:14 現代訳)
「すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケⅠ 5:18)
        
2009年5月11日    小坂圭吾