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知床・オオワシ |
9月になっても猛暑の日々が続きました。外に出てスポーツを楽しむこともままならず、屋内プールでの水泳やスポーツセンターでのトレーニングに励んでいます。
先月のお盆休みに孫たちが来て、庭でセミの抜け殻を30個ほど集めましたが、暑さのせいかセミの鳴き声はあまり聞こえませんでした。そんな猛暑の中でも、スズメやムクドリ、時には大きなカラスが芝生を悠々と歩いています。真っ黒なカラスには思わず驚かされます。
時折、蝶々も飛んできて、わずかな花々を訪ねています。暑さが続くと涼しい北海道を思い出しますが、近年は必ずしも涼しいとは限らないようです。今日あたりから秋の気配が訪れるのでしょうか。
知床が世界自然遺産に登録
20年前の2005年7月14日、私はツアーで初めて知床を訪れました。その日ちょうど、知床が世界自然遺産に登録されることが決定し、宿泊先のホテルでそのニュースを知って驚きました。
ホテルではお祝いのイベントがあり、知床ネイチャーガイドの方からスライドを用いて自然環境の素晴らしさを説明していただきました。
知床半島中央部には千島火山帯が貫き、海岸線は荒々しく削られています。冬には世界で最も南に流氷が接岸します。流氷は「プランクトンのゆりかご」と呼ばれ、海水に養分を蓄え、プランクトンが豊かになり、サケなどの魚介類を育てます。
秋にはサケが河川を遡上し、ヒグマやオジロワシ、オオワシに捕食されます。動物の排泄物や死骸は植物の栄養となり、陸に還元されます。この海と陸の食物連鎖が評価され、知床は世界自然遺産に登録されたのです。その壮大なサイクルに心から感動を覚えました。
知床では、人間がおじゃましている!
翌日、実際に自然を体験しました。車で移動中に「熊だ!」との叫び声、やがて巨大な角を持つ鹿がゆっくり横切る姿に出会いました。
7月でしたのでサケではなくサクラマスが遡上しており、観光船からは200メートルもの断崖や奇岩群、知床連山を望むことができました。
その雄大な風景を前にすると、悠久のサイクルのただ中に私たち人間がおじゃまさせてもらっているのだと実感します。神様の御手によって、知床は自然の循環系として造られ、すべての命が見えない絆で結ばれているのです。
しかし一方で、知床の現状には課題もあります。国立公園内をバスが走り、ライトで動物を探す行為、人間の立ち入りが動物や植生に与えるストレス…。自然を守ろうと言いながら、実際には壊しているのが人間の現実です。
観光や漁業が成り立つのは、すべて自然の恵みのおかげです。この自然を守り抜き、自然と人々の暮らしが調和し、知床が守られるよう心から祈ります。知床連山
鷲のように上る
知床半島は、オジロワシやオオワシなど渡り鳥の繁殖地でもあります。鷲はその雄大な姿ゆえに「鳥の王者」と呼ばれ、多くの紋章にも描かれます。知床の空を旋回するワシの姿をテレビで見たときの感動はいまも残っています。
その勇壮な姿や、サケを捕らえるときの力強さは、自然から新しい力を与えられる体験でした。この雄大な鷲の姿を思うとき、聖書の御言葉が心に響きます。
「主を待ち望むものは、新しい力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40章31節 新改訳)
私たちの人生には、力が尽きて前に進めないと感じるときがあります。仕事や家庭の重荷、人間関係の悩み、健康や将来への不安…。その弱さを知っておられる神が、力を与えてくださると聖書は約束しています。
「主を待ち望む」とは、神に心を向け、信頼を置き、神の時と導きを祈り求めて歩むことです。その中で「新しい力」が与えられます。それは、神から与えられる超自然的な力です。
その力は、鷲が逆風をも受けて高く舞い上がる姿にたとえられています。同じように、私たちも逆境に押し倒されるのではなく、神を信頼することでその風を力に変えることができるのです。
「走ってもたゆまず、歩いても疲れない」――これは日々を支える神の力を意味します。人生にはスピードを求められる「走る」時期もあれば、忍耐が必要な「歩く」時期もあります。
主を待ち望む者には、そのどちらにも神が確かな支えを与えてくださいます。知床の自然がすばらしい循環で成り立っているように、私たちの人生も神の御手にゆだねるとき、すべてが結び合い、無駄のない歩みとなります。
私たちが疲れ果てているなら、この御言葉を心に留めてください。主を待ち望む者に、神は必ず新しい力を注いでくださいます。
この聖句を繰り返し何度も読み黙想する中で、私たちも鷲のように高く舞い上がる力を与えられるのです。
2025年9月19日 小坂圭吾