2008年12月27日土曜日

歴史探訪「日本最東端に行ってきました(2)」


稀にしか見られない国後島
11月上旬の3日間は天候に恵まれ、あまり見ることが出来ない歯舞(はぼまい)群島、更にほとんどみることが少ない国後島(くなしりとう)の2島を見ることが出来ました。これはそんなに多くは無い経験とのことでした。

先日、近所の公園の大掃除があり、皆で集まって公園の大掃除をし、集めた枯れ葉で焼き芋を作ります。これがまたうまいこと限りなし!!そのとき、2軒先のお隣Tさんと掃除をしながらお話をしてみると、北海道中部出身のTさんご夫婦は、私と同じ頃帰省されていた由。週末には、北海道西部から中部の天気は崩れて、東部の一部だけは恵まれたことが分かりました。そういえば、その3軒先隣のSさんまた私の妻も北海道出身です。岡山出身の私ですので、これを1番として2番目に好きな県が北海道です!

二日目の夕方には、知床に入りました。オホーツク海にまさに沈もうとしている夕日がとてもきれいで、普段は車が多く危ないので停車しないとのことですが、その日はバスを止めてくれ皆でこの夕日を撮影しました。オホーツク海の寒そうな姿と相あまって、とても感慨深い景色でした。3年ぶりの知床です。
 
世界自然遺産・知床  
3年前の2005年7月14日に、私は初めて知床に来ましたが、何も知らなかったのですが、知床が世界自然遺産に登録が決定され、それを聞き驚きました。ホテルではお祝いの特別イベントがあり、知床についての自然環境のなす偉大な様について、知床ネイチャーガイドの方から、スライドにより説明を聞きました。

知床半島中央部は、千島火山帯が貫き、海岸線は荒く海に削られた地域です。冬には世界で最も南端に接岸する流氷が訪れます。流氷は、“プランクトンのゆりかご”と呼ばれ、流氷下の海水に養分がたまりやすく、それを食べるプランクトンが豊富になり、そのためにサケなどの豊富な魚介類が育つのです。サケは秋に知床の河川を遡上し、ヒグマ、オジロワシ、オオワシなどに捕食されます。これらの動物の排泄物および死骸は、植物の栄養素として陸地に還元されます。

このような海と陸との食物連鎖を見ることのできる自然環境が残されている点が評価され、世界自然遺産の登録物件となったのです。海洋生態系と陸上生態系の相互関係の素晴らしいサイクルに、感動を覚えます。

知床では、人間がおじゃましている!
遺産登録された翌日、その実態を見学しました。車の移動中に「あ、熊だ!」との叫び声、しばらくすると今度は巨大な角を持った鹿がのっそりと横切っていく。7月でしたのでサケではなくサクラマスが河川を遡上するのを見学、知床観光船からは、200メートルにも切り立った断崖と奇岩群、そして知床連山を観光しました。

そんな知床の風景を見ると、目に見えない悠久のサイクルの中に、人間がおじゃまさせてもらっているのだと感じます。神様の御手によって、知床の自然は素晴らしい循環系として造られ、すべてのものが目に見えない絆で結ばれていることが分かります。

一方で、おじゃまな人間のために、知床の現状は課題山積みです。夜の国立公園内をバスで走りライトを照射して動物を探す、人間の立ち入りは、動物や木々にとっては大きなストレスである等々。自然を守ろうと言いつつ一方で、自然破壊につながる行為を私たちはしていることに考えさせられます。

知床の観光と漁業が成り立っているのは、ひとえにこの大きな自然のおかげであり、この自然を守り抜くしか知床の生きる道はありません。ぜひとも、自然と人々の暮らしが調和し、素晴らしい知床が守られることを祈るものです。

知床の空を大きく旋回している“ワシ”、残念ながら映像でしか見られませんでしたが、その雄大な姿、サケを取りに行くときの果敢さに感動させられ、自然から新しい力を頂くことができます。クリスマスを終えて、まもなく新年を迎えますが、主から鷲のような力を頂いて新しい年も歩みたいと願います。

「主を待ち望むものは、新しい力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40:31 新改訳)

2008年12月27日    小坂圭吾

2008年12月12日金曜日

歴史探訪「日本最東端に行ってきました(1)」

北海道東部・根室へ 
長い間の願いであった北海道東部・根室に行ってきました(11月6-8日)。北海道東部の中でも根室にはなかなか行くチャンスがなく、やっとかないました。釧路空港から入り、釧路湿原→厚岸(カキで有名です)→霧多布湿原→根室、二日目は、根室の最東端・納沙布岬→風連湖→野付半島・トドワラ→知床斜里町ウトロ(世界自然遺産)、3日目は、オシンコシンの滝→濤沸湖→網走(博物館・網走監獄、天都山)そして女満別空港から帰路につきました。(北海道の地名には、読み仮名が必要ですが省略をお許し下さい!)

どこに旅行しましてもその素晴らしさに感動しますが、旅行するなら北海道が一番好きな場所です。大自然の雄大さは、北海道でなければ味わうことが出来ません。海の幸、山の幸、陸の幸を味わい、都会では出会うことがない人情や暮らしに出会うことが素晴らしい体験です。3年ぶりに来て、新しい発見と深い味わいを感じました。

日本最東端、納沙布(ノサップ)岬  
日本本土最東端の地が根室ですが、その根室半島最東端に納沙布岬があります。北方領土返還要求運動の原点になる地で、目前にある北方の島々を望みながら歴史的経緯を見聞きしますと、この北方領土4島返還に対する思いが伝わってきます。

これら北方領土の島々に住んでおられた方々は約2万人弱もあり、戦後ロシアに不法占拠され、この根室地方に引き上げざるを得なかった人々です。目前の海上3キロメートル強の沖合いが、ロシアとの国境線となります。

貝殻島が一番近くでその近辺では昆布を取ることが出来ますが、ロシアに占拠されているため高い漁業権を支払いながら昆布を取っているのには驚きです。今まで北方領土返還についてはあまり知らなさすぎたことを思わされます。そこを見学しました私たち一行は、返還の署名運動に各自サインをし、お土産に昆布をしっかり買いました。

根室の地での開拓
根室は日本で日が暮れるのが一番早く、秋の午後4時半にはもう暗くなります。根室の町を夕方散歩し、根室駅売店でそして近くの北海道にしかないコンビ二チェーン店で女子店員の方と会話を弾ませます。彼女たちからは、都会では感じられない良さが伝わってきます。旅行に行ったときは、必ず現地の新聞に目を通すことも心がけています。根室の町は人口も減り、今は3万人程度になったとの事でした。

この街に来て、教会があれば訪問しようと考えていました。ホテルにおいてある“根室の散策マップ”を見ますと、キリスト教会がイラスト入りでしっかり掲載されていました。カトリック幼稚園も掲載されていて、街ではだれでも知っている存在なのだと思いました。

二日目の朝、教会へ出かけて見ました。なるほど存在感のある立派な会堂です。今から120年余も前、1886年(明治19年)にアメリカの宣教師夫妻によって開拓をされました。夫君は翌年志半ばにして病気のために天に召されました。奥様はこの地にとどまり、ヤソのおばさんとして町の人々の尊敬と愛慕を集め、開拓して2年後9名の方々が洗礼を受け、根室キリスト教会が設立されたのです。

伝道は、根室・和田をはじめ、別海、北見、紋別まで及んだのです。そして、20年の長い間、神の福音が述べ伝えられました。この当初の困難さは、口で言い表すことは出来ないでしょう。そして、今日まで多くの外国人宣教師をはじめ、牧師、伝道師によって宣教がなされました。無牧の時も何度もあったとのことですが、信徒の方々が力を合わせて教会を守られたのです。

多くの涙と祈りが積み重ねられ、この地に福音が伝わり実を結びました。その尊い働きに感謝します。朝早くだったので、牧師の方にご挨拶だけさせていただき、根室の地を後にしました。

「涙を流して種を蒔くものは、喜びの歌を歌いながら、刈り取るようになる。」(詩篇126:5 現代訳)

2008年12月12日    小坂圭吾

2008年11月26日水曜日

感謝 「物を使い込む(2)」

5年の会堂建設プロジェクト
この会堂建設プロジェクトは、大変なことですが恵みも多く、ほぼ5年がかりの建設でした。千人会堂の姿をイメージしながら土地探し、建物がない更地を2年余探しました。東京都心の不動産屋には、ほとんど知られることになりましたが、千人会堂を建てられる土地は簡単には見つかりません。更地中心で中古の建物を探すことはあまり考えていません。そんな中で、練馬区に文明堂カステラ工場が建物付きで売りに出ていることを知り、早速現場を見に行きました。7階建ての建物、ガランとした空き家の工場を歩きながら、「これがどこまできれいにリニューアル出来るのかな?」と頭をよぎります。私が勤めていた会社の建設関係の責任者Kさん、そして大手設計事務所Gさんに調査をお願いしたら「これは素晴らしい物件、見違えるような教会にリニューアル出来る!」との話でした。2年余り探す間にバブルがはじけて、価格交渉においても、主の御手が差し伸べられていました。
         
      柱と壁だけを残しての大リニューアル 千人会堂建設のためには、まず海外の教会を見学することを計画し、韓国、アメリカそして国内とそれぞれ10数箇所ずつ教会を訪問しました。その訪問で一番感謝なことは、特にお願いしなくともその会堂建設で失敗したところを包み隠さず教えて下さったことです。「この失敗だけは、しないで下さい!」この言葉が今も記憶に残っています。見学を通して、会堂建設の取り組み姿勢や設計のヒントをたくさん頂きました。リニューアルという点では、アメリカ・ロスアンゼルスの教会を忘れることが出来ません。礼拝堂に入ると、頭の上には空調のダクト等のパイプが天井を這っています。何と倉庫を大リニューアルして作った教会で、きれいに仕上げてあるので何の違和感もありません。このようなリニューアルもあるのだと教えられました。
工場を教会にリニューアルというのは、柱と壁だけを残して後はすべて剥ぎ取り、新しくリニューアルです。工事の難しさは、日本でも前例のない「工場を多くの人が出入りする教会堂に改築する」という点です。教会らしくするには、玄関や窓、外壁を作り直し、レイアウトは大幅に違います。建物の形は変えてはいけない、すなわち増築不可という厳しい制約の中での改修工事です。技術陣の方々も知恵を絞ってやってくださり、色々な問題を乗り越えてきました。工事の段階で、建設責任者の方々が、異口同音に言われた言葉があります。「不思議なことが色々と起きる。難しいことの解決は、いわば、自動ドアを踏むとドアがスーと開くように不思議と道が開かれ、解決されていく。」これこそ、背後にあって神様がすべてを支配され、導いておられた何よりの証左です。
       
    大切なものを残して
 高田馬場教会(旧会堂)を取り壊すときに、建設関係の方々が「旧会堂の十字架の塔を、取り壊すのはもったいない。使い道を考えませんか?」と提案してくださり、7階の屋上に設置してもらうことにしました。夜には、ライトアップし遠くからも十字架が見えるようにしたのです。これは、旧会堂からの歴史の継承でもあります。この様にして完成した聖書キリスト教会・東京教会は、当時としては画期的なリニューアルで、BELCA賞という日本でも栄誉ある賞を頂くこととなりました。この意味は、優れた改修・復元を実施した既存の建築物のうち、特に優秀なものの関係者が表彰されたのです。まったく用途の異なる建築物に改修したことは、審査員の方々の驚きでした。私たちとしては、古いものを復元し教会として十分な働きが出来る建物になったことは、何よりの喜びです。このリニューアルした建物、教会堂は、いまや地域においては“世の光としての働き”をしてくれます。その地域において教会としての諸活動があればこそですが、新しい役割に復元した建物が、歴史を背負いつつ“復活の主”を証ししてくれます。今後、50年いやもっと使い込むことが出来ることでしょう。物を大切にする、使い込むと何がいいのでしょうか?使い込めば愛着が出るといわれますが、何かホットした気持ち、落ち着くのは確かです。何か心が豊かになります。豊かさは、物ではかるのではなく心の豊かさではかるということに気づかされます。

「わたしがこの世にいる間、わたしは世の光としての働きをします。」 (ヨハネ 9:5 現代訳)

2008年11月26日    小坂圭吾

2008年11月10日月曜日

感謝 「物を使い込む(1)」

      世界的な金融危機
 現在、世界では国際金融危機が起こり、株価の大暴落が発生、世界恐慌への発展が危惧されています。日本も株の大暴落、景気は日増しに悪くなり、これから大変だなと予感されます。これと似たような状況・日本経済のバブル崩壊が、1990年前半に起こりました。マイナス面が大きくクローズアップされますが、それは割愛させていただき、プラス面について書いてみようと思います。まず考えましたことは、色々な面で行き過ぎた事柄が大いに矯正されることです。効率一辺倒で豪華なもの、便利なものを追いかける姿、お金がすべてのような風潮が崩れて、大切なことに目が届くようになることを期待します。この様に偉そうなことをいう私も、かつては効率主義の中に身を置き、そのことに邁進した一人であったことも事実です。第二の現役としてミニストリーをする中で、本来大切なことに色々と気づかされています。

     物を使い込む
 先々月、岡山県北部にある甥(おい)の家を訪問しました。津山駅まで車で迎えに来てもらい、昔から何度も見る景色を見ながら「どこの家もかなり新しくなったなあー」と言いながら、思わず声を上げました。「お前の家は、周りと比較すると古いねーー。これこそ旧家だ!」「そうですね。周りは建て直したので、古い家といえば、私の家と隣の本家の家だけでしょう」あと100年もすれば、重要文化財にもなるかも?知れません。そういえば、数年前に本宅や倉や蔵等の大修理をしたときに、一軒分の家が建つほどの費用だったと私の姉が語っていました。門は200年、本宅はそれでも140年は経過している木造建築です。まだまだ使えますので、新しいものに建て替えようとの考えは、さらさらありません。木造の家がどれ程長持ちするかについて、甥の説明は次の通りです。樹齢100年の木は、少なくとも100年は持つとのこと。風雨にさらされても、風通しがよければ木は次第にかたくなり、ますます長持ちする。今の家の柱と梁は、まだ100年はゆうに使えるだろうと話してくれました。最近の新築の家は、30年位しか持たないものが多いとの話を聞きますが、ほんとうでしょうか?

     リフォームすれば使える!
 この横浜に住んで30年近くになります。この30年間、歩いて10分以内で家を建てる槌(つち)の音が止んだことがなく、どこかで新しい家が建てられています。大変残念な風景は、まだ築10年余りの家が壊されて新築されることです。事情は色々でしょうが、もったいない!と思います。救いである事は、この数年前からT不動産が、売りに出た家屋を買い取って取り壊すことをせずにリフォームすることを始めました。周囲の家との調和もうまく考えてリフォームした家で、大歓迎です。私の家も、ここに建てて30年近くになろうとしていますが、最初の頃、メーカーは30年保証と言っていましたが、大丈夫だとわかり“ロングライフ50年保証”と言い出しました。不具合なところがきわめて少なく、部分補修をしつつ長‐‐‐‐く使えるでしょう。

     教会も大リフォーム
 私たちの所属する聖書キリスト教会・東京教会(東京都練馬区)は、会堂建築としては日本でも画期的な大リフォームした教会(鉄筋7階建て)です。来て見られても、大リフォームだとは、ほとんどの方が気づきません。今から15年以上前の1991年、東京都より、神田川改修工事のために、高田馬場にある教会堂を移転するよう要請を受けました。神田川といえば、台風シーズンには氾濫する暴れん坊で有名!その川沿いに私たちの高田馬場教会(移転後に名前を変更)がありました。当時の会堂は、会堂建設後まだ10年しか経過していない400人規模の会堂でしたので、それこそ“もったいない”との思いがありましたが、氾濫する河川工事のためには協力するしかありません。「これは主からの新たなるチャレンジ!」と信仰によって受け止め、すばやく移転を決めました。建物は著名な方にデザインをしていただき、多くの方が見学に来られ、新しく会堂建築される教会の参考に供することが出来ました。そして、目指すは、1000人規模の会堂建設ということで、5年のプロジェクトがスタートしたのです。  (続く)

2008年11月10日    小坂圭吾

2008年10月27日月曜日

喜び 「日本の精神・武士道(2)」

原書を英文で『Bushido―-―The Soul of Japan』札幌農学校で学んだ新渡戸稲造は、クラーク博士の熱情あふれる人格教育に感化され、孫弟子としてクリスチャンになりました。彼は、人格形成としての武士道を幼い頃から道徳律として叩き込まれ、その武士道の精神とキリストの教えが相通じるものがあり、キリスト教を受け入れたのです。彼が、アメリカで英文による『武士道』(『Bushido―The Soul of Japan』)を刊行したのは1899年(明治32年)、38歳のときです。世紀の変わり目で、日清戦争と日露戦争のあいだにあたり、彼が海外向けに執筆する気になった動機については、序文にのべています。 あるときのベルギーの著名な法学者ラブレーとの会話のなかで、「日本人はどのようにして道徳教育を授けているのか?」と問われたが返事が出来ず、アメリカで知りあった彼の奥さんにもうまく説明することが出来ない。幼い頃から武士道を道徳律として叩き込まれたことから、日本には「武士道という道徳教育」があったというひとつの得心が生まれてきたのです。新渡戸稲造は、36歳になっていました。その頃、病気療養のためにアメリカ・カリフォルニア州に滞在し、外国から日本を冷静にみつめる絶好の時であったでしょう。原書を英文で書き、サブタイトルに「The Soul of Japan――日本の魂」とつけたのです。

         当時の世界的ベストセラー「武士道(Bushido)」
 英語で書かれたこの本は、世界の各国で翻訳され世界的なベストセラーとなりました。新渡戸稲造の『武士道』は、圧倒的な熱情と祖国愛とキリスト教に対する確信がつらぬかれて、読む者を高揚させてくれます。第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが読んで感動し、友人に配るばかりか日本びいきになったといわれます。これほどに用いられた本「武士道」は、決して古めかし道徳でもなく、封建制度の因習を書いているのでもない。そこにある生き方は、人間としての普遍的な生き方・倫理観を内包した題材が多く見られます。現代の日本人がある意味で失いつつある「日本の精神」を格調高く描きあげているのです。武士道の基本的な精神は、「義」を中心におき「仁」を心とし「礼」を型として表す「勇猛果敢なフェアープレイ精神」としています。このほかにも、勇(勇気と忍耐)、誠(武士道に二言がない)、名誉(命以上に大切な価値)、忠義(何のために生きるか)、克己(自分に克つ)等が説明されています。これらを読むと、私たち日本人のバックボーンにある精神、その素晴らしいものを思い起こさせてくれるのです。

         日本人のバックボーン
私は、このブログを書きながら、岡山市丸の内中学校のN校長先生の教えを思い出しました。全校生徒千5百人くらいの中学ですが、週1回か月に1回か忘れましたが、全校生徒が校庭に集められ、N校長先生のお話があります。必ずと言って良いほどに「勉学、品位、耐乏」の言葉を色々と噛み砕いて、話をされたように思います。しっかり勉強をする、勤勉であること、品位については正義とか礼儀、勇気、優しさ、親切等について語られたように思います。そして、何事も耐え忍ぶようにと、今にして思えば、道徳教育の時間だったように思います。今でも「勉学、品位、耐乏」の言葉を忘れることはなく、この話を思い起こせば、武士道の精神が背後にあったのだなと感じます。また、私が小学校3、4年生だったとき担当してくださったN先生、とても気骨のある優しい男の先生で、今思うに「サムライ」というニックネームが似合う立派な先生でした。この先生からも、武士道に通じる日本人のバックボーンにある精神を教えられたように思います。小学校、中学校ともほんとに素晴らしい先生方に教えられたなという実感と感謝がわきあがります。
 武士道は、「いまにも消えそうな灯心」かもしれません。しかし、日本人の心に焼きついた武士道の徳目ともいうべきものは、消えるものではありません。その精神は、日本人である限り残り続けるでしょう。ぜひとも残って欲しいと強く願うものです。それは、普遍的な生き方・倫理観を内包したものだからです。そして、武士道の精神は、キリスト教の精神と相通じるものがあり、聖書の言葉にもこんな言葉があります。

「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、主の言葉は、とこしえに残る。」 (イザヤ 40:8 現代訳)

2008年10月27日    小坂圭吾

2008年10月18日土曜日

喜び 「日本の精神・武士道(1)」

         岡山に帰省 先月、1年ぶりに故郷・岡山へ帰省しました。新幹線の岡山駅が見違えるように変わり、ちょっと戸惑いました。最初に、CLC・BOOKS岡山店を訪問です。路面電車に乗り、ゆったりとした町並み(高層ビル少なし)、道路・歩道の広いこと、歩く速度がゆっくり等を見ながら、地方の良さにホットした気持ちになります。(CLC・BOOKS岡山店については、別の項をご覧ください。)バスで実家へと向かう途中、山陽自動車道の下を横切りました。広い平野の田んぼの中を横切るこの巨大な高速道路、こんな道路が山陽地方に本当に必要なのか?岡山の知人にこのことをぶつけたところ、山陽地方の南を走る山陽自動車道は、無くても困らない程度のものとの説明でした。地方が変わりつつある中、無駄、無用なもの(立派過ぎる道路、大きすぎるショッピングセンターや工業団地、利用の少ない公共温水プール等々)が多くなったことを感じます。自然がいっぱいで閑静な地方の良さが、失われつつあることに寂しさを覚えました。

      5千円札の新渡戸稲造 この往復の新幹線の中で、「武士道―いま、拠って立つべき“日本の精神”」(新渡戸稲造著、岬龍一郎訳、PHP文庫)読みました。最近、本屋に行きますとこの種の古典ものが目に付き、読んでみようと思ったのです。グローバル化で日本の良さが失われつつある中、“日本であることの良さ”を発見させてくれた本です。アメリカの良さは認めますが、どうもアメリカの好きになれない所が多々あり、やはり日本人、日本の良い精神が我々にはあることを発見させてくれます。
 新渡戸稲造というと、旧5千円札の肖像画を思い出す方もあるでしょう。少し前までは、5千円札の新渡戸稲造、千円札の夏目漱石の時代でした。新渡戸稲造ってだれ?と聞かれると、政治家、学者、教育家と一言で答えるのは難しく、その働きが多岐にわたり、大きな足跡を残しました。何よりもこの人の与えた人格の影響力は、大きくかつ深い。彼は、北海道大学の前身である札幌農学校の草創期の卒業生(1881年)です。「少年よ、大志を抱け」で有名なウイリアム・クラーク博士が赴任した学校である。新渡戸稲造は二期生だったので、入学したときには既にクラーク博士はアメリカに帰国しており、直接指導を受けたわけではない。しかし、多くの感化を受けた一人です。

       大志、夢、希望を持つ
 札幌農学校の臨時校長として招聘されたウイリアム・S・クラーク博士は、学者、教育者、指導者として立派な人物で、熱心なクリスチャンでした。日本のプロテスタント教会の歴史は、横浜、熊本、札幌に始まる3つのバンドより出発しましたが、この札幌バンドの基盤となったのが札幌農学校です。クラーク博士は、日本での赴任期間がわずかに8ヶ月に過ぎない。この短い歳月の中で、彼は計り知れない影響を生徒たちに残しています。キリスト教にもとづく人格教育に重きをおき、それに感化されキリスト教徒になった生徒が輩出します。彼が在職8ヶ月後に「少年よ、大志を抱け」と言って立ち去ったことは有名です。この言葉の最後には、「キリストにあって」との言葉があったという説は、クラーク博士の気持ちとして一番ぴったりするようです。彼の人格教育の基がここにあり、“キリストにあって大きな志を、望みを持つ”ようにとの願いです。私たちの願いは、神に喜ばれる生き方をすることに他なりません。私たちの行動の根底にある大志、夢、希望が、キリストに結びついているかどうかを考えることが重要です。さもないと、自分中心の考えが支配します。一人一人に与えられている賜物は違い、この地球上には、過去、現在、将来にわたって私という存在は2度と出てくることはありません。私でなければ出来ない大志、夢、希望を、キリストにあってしっかりと描いて進むように!私は、クラーク博士の言葉をこの様に理解しております。

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。」(詩篇62:5 新改訳)  (続く)

2008年10月18日    小坂圭吾

2008年10月4日土曜日

感謝 「バカになる、寅さん40周年(2)」

       寅さん映画の観客数寅さん映画が公開されたのが、昭和44年(1969年)8月でした。第1作の観客動員数(映画館に足を運んだ人)が54万人、第4作までは横ばいです。人気が次第に上がり、第5作から70万人そして90万人となり、第8作には148万人の観客が動員されました。昭和47年の第9作「男はつらいよ、柴又慕情」(マドンナ・吉永小百合)から更に人気上昇し189万人、そして経済の右肩上がりにつれ(?)200万人を軽く突破する観客動員数が続きます。最大の観客数は、昭和48年12月に公開された第12作「男はつらいよ、私の寅さん」(マドンナ・岸恵子)で241万人でした。その後、超ロングランになりますが、140万人から220万人の人々が毎回この映画を楽しんでいます。48作までの観客動員数を合計しますと約7970万人、日本人口の2/3が見たことになります。そして、これから海外で本格上映です。

      寅さんを見る理由作家の井上ひさし監修の「寅さん大全」の本の中で、人々はなぜ四分の一世紀もの間、このシリーズを倦むこともなく観てきたのか、その理由の一部を掲載します。
「寅さんは、一種の自由人で好きなときに好きなところへ行くことができる。成人男子の7割前後が給料生活者、給料と引きかえに自由を束縛されている。だから身軽な寅さんに憧れ、彼を観るために映画館に出かけてしまうのだ」 「渥美清の演技がまたすばらしい。渥美が寅さんか、寅さんが渥美か、どちらがほんとか分からないぐらいすばらしい」 「どちらがほんとか分からないようにするために、彼はこの25年間、出演をほとんどこの映画1本に絞ってきた。そこが偉いね。」 「彼のその誠実さが当然、寅さんにもにじみだし、お客さんは寅さんを信用する」 「寅さんと妹さくらとの情愛にいつも打たれる」 「マドンナが毎回、変わるのが楽しみ」 「そのマドンナもそのときそのときの旬の女優が選ばれるので、楽しさが2倍にも3倍にもなる」 「寅さんに妙に向学心があるのがおもしろい」 「万事金の世の中に人の情けが生きていて、それがうれしくてほっとする」   
理由をあげれば、際限がありません。まったく同感です。

私が学んだ宣教神学校のN先生は、寅さんの研究(?)をしっかりとやっておられます。神学校の授業でその学びの成果を披露してくださいました。特に、話し方についての先生の研究は教えられること大、とても面白い学びでした。先日お会いした時、寅さん映画のニュープリントのお話をすると、教会の関係者の中にも寅さん研究者(?)が多いことをお聞きしました。
  
     キリストにあってバカになる
寅さんより教えられた「バカになる」ことについて考えてみますと、私たちクリスチャンにもあてはまることが多いと思われます。職場、学校、地域の中を見渡してみると、なんとなく人望のある人を見出すことが出来ます。その人は利口ぶっている人ではなく、バカぶっている人・バカになっている人ではないでしょうか。本人がそのことを意識してなくて、自然体のままかもしれません。その人と話すと暖かみを感じ、親しみを感じます。その人のまわりにはいつのまにか人が集まり、会話も楽しくはずみます。私たちクリスチャンも小利口に生きるのではなく、バカになって生きることが必要であると教えられます。教会は競争社会ではありませんので、あるがままの自分で飾らずに生きていきたい。一人一人は、それほど立派でもなければ賢くもない。パウロのキリストにかける情熱、生き方を見ると、よくもあんなことが出来るなと思われることが多くあります。この事は私が生涯やることとして、神様から示され取り組むことだ!バカになって取り組むだ!主なる神様にかける情熱を持って、小利口に生きるのではなく、キリストにあってバカになり「明るく、やわらかく、愉快に」生きたいと願います。

「もし、あなたがたの中で、自分は頭が良いなどと考える者がいたら、そんな愚かな考えはかなぐり捨てて、ばかになるがよい。というのは、この世の知恵などは、神の御前では実につまらないものである。」(現代訳、Ⅰコリント3章18-19節)

2008年10月4日    小坂圭吾

2008年9月25日木曜日

感謝 「バカになる、寅さん40周年(1)」

 寅さんシリーズ誕生40周年
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」の名セリフで始まる映画「男はつらいよ」の寅さんシリーズが、誕生40周年を迎えました。今回、ニュープリント上映でしかも公開当時にならって2本立てを見てきました。私もこの映画の大ファンで、既に48本すべては見ています。何度か映画館にも足を運びましたが、あの観客席の和やかな雰囲気は、他の映画では経験した事が無く、今回もほぼ同じような雰囲気でしたが、少し静かな感じでした。
渥美清の寅さんが、団子屋「とらや」の裏手にある印刷工場で働く若い工員たちに、親愛の情を込め「労働者諸君」と呼びかけるとき、あるいはおいちゃんが、甥の寅さんの愚行を眺めながら思わず「馬鹿だねぇ」と溜息ながらに嘆く時、観客席は爆笑に包まれる。このおかしさは、その場にいる者には複雑な内容が瞬時に観客に伝わり、大きな笑いとなります。寅さんシリーズを一本も見たことのない人には、わかってもらいにくい事柄ではあります。
             
           海外進出この寅さんシリーズも、いよいよ海外進出です。英語の字幕、あるいは吹き替えをするのでしょう。寅さんは、面白おかしい巧みな話術を使い、わかったようなわからないようなおもしろいタンカ、テキ屋の言葉の達人です。これをどこまでうまく伝えれるのか、スタッフの方々の力量が問われます。NHK番組「英語でしゃべらナイト」で(写真は、NHK番組より撮影)、このことを取り上げ、英語での吹き替えも実演して見せました。雰囲気は伝わってきました。ぜひとも、素晴らしい字幕、吹き替えになることを期待します。
ともあれ、寅さんの言葉にはこの種の味わい深いというか、面白おかしいセリフが随所にあります。「寅さんの人生語録」ですが、一見すると陳腐なセルフの羅列に見えますが、寅さんを知っている人には、何とも愉快なのです。誰がしゃべっても面白いというわけではありません。渥美清の寅さんが話すときに、その言葉の深い奥行きとニュアンスが出てくるのです。寅さんのしゃべっている光景、声が聞こえてくるのです。それは何故だろうかと考えさせられます。楽しみながら寅さんの研究に励んでいますが、まだまだ道半ばです。      

       若いときの思い違いこの寅さんは「バカを地で行っている」と思われます。「頭がいい」わけでもなく、「知識がある」わけでも無し。学歴などあるはずがありませんが、でも、向上心があります。人間の価値はと言えば、学歴や頭の良し悪しではなく、知恵が働くかどうかで決まることを教えているともいえます。寅さんを見始めてから、「バカになる」事について考えさせられ、あるとき、『利口バカ』について知りました。若い時には、知っていることが良いこと、尊いことで“知”に走りたがる。そういう時は、知らぬ人がバカに見える。年を重ねると“人は理屈では動かない”ことを知り、知識だけではつまらないことに気づくようになる。若いときの思い違いを悟るのです。利口がバカらしくなり、これが『利口バカ』だと悟るのです。ともあれ、人がバカに見える間は器が小さく、努めてバカになると不思議に人望が集まり、これぞ利口なのかもしれません。自分のばかげたこと、失敗したことをオープンに話す人に人が集まります。ドンと自分を落とした話は、人々の心にすんなりと入っていきます。“バカの利口”という言葉もありますね。口では『バカになる』といっても、それができる人は極めて少ないのです。(続く)

2008年9月25日    小坂圭吾

2008年9月15日月曜日

祈り 「継続は力なり」

      小野道風 と雨蛙私の子供の頃には、どこの家庭にも一組くらいの花札は置かれていました。花札は、1月から12月までの季節に花鳥風月の画をあしらった外国にはない、美しい日本のカルタです。写真は、この花札の中の一枚で“雨”と言い、柳に小野道風 (おののどうふう)と雨蛙(あまがえる)が描かれています。小野道風 は、平安時代の名筆家の一人にあげられています。道風は、書家を目指して、子供のときから師匠のもとへ一日も休まずに通いました。「姿勢を正しく、筆はまっすぐに持ち、字の一点一画にも心をこめて書きなさい」と教えられ、手習いにはげみますが、何年通っても、自分の字に自信を持てません。

「もうだめだ。書家になれる見こみはないのでもうやめよう」と心に決め、雨がしとしとと降る中を師匠の家から帰って行きます。道すがら、一匹の雨蛙が柳の枝にとびつこうとしているのを見かけました。柳の枝は、風に吹かれて揺れ、蛙はぴょんぴょんとび上がっては落ちてしまいます。道風は、くり返しくり返しとび付く蛙の姿を見守り、あきらめるだろうと思った次の瞬間、蛙が柳の小枝にとびつき満足そうでした。 「そうだ、自分もあきらめないで続けよう!」こう心に誓った道風は、筆を取り直し、やがて日本一の書道の大家になったとのことです。

       いまだに継続中あきらめないで続けることの大切さは、いうまでも無いことです。私の場合、柳の枝に飛びついたり落ちたりで、いまだに継続中が英語です。学校教育で学び、大学受験も英語があり、大学時代には“英会話がこれから重要だ!”とわかりつつも中途半端で卒業しました。ビジネスマン時代は、必要に迫られ、英語のマニュアルを読む、英会話も時々習う、英語を使ってのグローバルミーテイングのために宣教師に1年習って磨く等をして、曲りなりにこなしてきました。私にとっての英語は、必要に迫られ、蛙が柳に向かってとびつき小枝にとびのるも、しばらくすると必要が少なくなり落ちてしまうのです。あまり支障もないので、これも仕方無しと自分を受け入れております。継続しやりきるには、そこに何かしらの決意とか、情熱とかが無ければならないような気がします。      

        苦難は忍耐を 途中で投げ出すことなく、やりきることができた事の中で、私のビジネスマンとしての最初の三年間が忘れられません。就職をして最初の仕事は、コンピューター部門のシステムエンジニアでした。その頃は初代コンピュターの時代で、当時の職場で使用されていたIBM大型コンピューターはというと、15年ほど前のパソコン並の性能です。技術の進歩には驚かされます。仕事はハードで、神経の擦り減るような毎日が続きました。出来の悪いのも手伝っていたのでしょう。マニュアルはすべて英語で、辞書を引きながら解読です。大学で勉強したコンピューターの知識はほとんど役に立たず、先輩に教えてもらいながら、必死について行こうと努力です。仕事もよく分からない状況での孤軍奮闘、徹夜の連続で、あるとき体調を崩してしまいました。心晴れぬ日々が二年ほど続いたでしょうか。必死に聖書を読み、祈る日々でした。

「神様、本当に辛い毎日!!できることなら、この会社を辞めて仕事を放り出してしまいたいです。‐‐‐でも、今辞めると生涯負けになりますので、この辛い峠を越えるまでとにかく耐えられるように助けて下さい。」そのように祈りつつ仕事に取り組むこと三年、気がつくと一人前になっていました。辛い峠を乗り越えてからは心も晴れ、会社を辞めずに仕事を続けることができました。継続してやればものになるものです。今思えば、一緒に苦労し助けてくださった先輩がおられたこと、そして信仰によって支えられ続いたのだと思います。我々ビジネスに携わる者の間では、このように本当に辛い仕事を乗り切った経験について「地獄を経験した」と言って、その後の人生において大きな宝となっています。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」 (ローマ 5:3-4 新共同訳)

2008年9月15日    小坂圭吾

2008年9月5日金曜日

健康余話 「心の若さを保つ」

  日本人の平均寿命
日本は世界一の長寿国ですが、男性が79.19歳、女性が85.99歳だそうです。厚生労働省の今年4月に発表した「全国市町村別平均寿命」によると、男性は神奈川県横浜市青葉区が「男性長寿日本一」になり、女性も「7位」になっています。「女性長寿日本一」は、沖縄県中頭郡北中城村で、女性10位以内には沖縄県が4つ入っているのは“さもあらん”と思います。横浜市青葉区の長寿日本一については、私達にはまったくの予想外でした。青葉区の特徴は、市内でも最も公園数が多く、私の家から徒歩10分以内に10箇所もあります。公園では愛護会活動が盛んで、清掃活動や花壇つくり、あるいは運動教室などもあります。(このブログに掲載したお花の一部は花壇つくりのものです。)スポーツをやる施設もたくさんあり、こうした色々な活動が、長寿の秘訣になっているのかもしれません。

        脳の喜びを耕す
何歳になっても若々しく生きることは、誰しもの願いです。平均寿命が長くなるにつれ、心の若さを保つことがますます重要になります。先日、脳科学者の茂木健一郎さんのおもしろい話をお聞きしました。

何歳になっても心の若さを保ちつづけるには、脳を若々しく保つことである。「心のアンチエイジング(エイジング=加齢に、アンチ=抵抗する)」が重要である。そのための処方箋は、「脳の喜びを耕していく」ことに尽きる。「脳の喜びを耕す」とは、おもしろい映画や美しい絵画を見る、子供や孫の成長を見つめる、仕事で充実感を得る、親しい友人と交遊するなど、喜びを耕す要素に事欠かない。これらは、すべて「学ぶことの喜び」とまとめることができ、広い意味での“学習”である。脳は、喜びを感じるときにこそ、学ぶことができる。広い意味での学習をすると、脳は「ドーパミン」という物質を放出し、喜びを感じる。喜び、快感を生み出す行動が次第にくせになり、2回、3回と繰り返し続けていくたびに、その行動が上達していく。これを「強化学習」と呼ぶ。

“ある行動をとる → 試行錯誤してうまくいく → 褒められる、達成感を得るなど報酬を受け取る → ドーパミンが放出され快感を得る → 再び同じ行動をとりたくなる”、
この“強化学習のサイクル”をまわし続け、脳の喜びを耕すことによって、実際の年齢とは関係なくいつまでも成長を続け、心の若さを保つことができる。

         心の若さを保つ
“強化学習のサイクル”をまわすことは、言い換えると“広い意味の学習をして喜びを得る”ことのサイクルをまわし続けることです。ある課題に挑戦して、「やった!できた!」との達成感を味わうとき、また挑戦しよう、次はもう少し難しい事をやってみようと、自分が鍛えられどんどん成長しいくことが脳科学的に解明されています。私たちの向上心――学び続けることや心の成長をし続けることができるのは、そんなサイクルになっているのです。広い意味で“学ぶことの喜びを続ける”ことは、「自分を磨くこと」につながります。自分を磨くことは、
①広い意味での学習を通して知的に向上すること
②人との関係を通して磨くこと
③神との関係を通して磨くこと
の3つの道があるように思います。知的に自分を磨くことは、学習を通して知的に向上することだけでなく、人とのかかわりを通して自分を磨くことも多くあります。それによって、自分の至らないことやハット気づかされることも確かです。本当の知を磨くことは、人とのかかわりの中で育てていくものです。更に、私たち神を信じるものは、聖書を読み、祈り、教えられたことを人々との関係において実行していく中で、神様を通して教えられたことが達成でき、自分が磨かれていく、霊的に成長していくことを実感します。このようにして、一生涯人格を磨くこと、心を磨くことが、若さの秘訣なのでしょうか?茂木健一郎さんが、“一生をかけて自分を磨き続けていくこと以上に楽しいことはない“と言い切られた言葉が耳に残ります。

「私たちの肉体はだんだん衰えていっても、私たちのうちにある本当の命は、日ごとに新しくされ、若やいでいく。」(コリント第二 4:16 現代訳)

2008年9月4日    小坂圭吾

2008年8月12日火曜日

喜び 「夢を持つ」

北京オリンピック北京オリンピックが始まりました。開会式の一糸乱れぬ整然とした演技に始まり、日々、興奮と感動を与えてくれています。オリンピック選手たちは、夢と希望を持ち、4年に一度しかないオリンピックに向け、具体的な目標に向かって大変なトレーニングに励み大会に臨んでいます。昨日は、北島康介選手(25)が男子100メートル平泳ぎ決勝で世界新を出し2大会連続の金メダルを獲得しました。金メダルを取った前回は「チョー気持ちいい」のコメントでしたが、今回はテレビカメラの前に立ち、タオルで顔をぬぐいましたが、しばらくタオルを顔に押し付けたまま動かず、目に涙で10秒近く声が出てきません。「―――すいません。何も言えない。―――最高っすね。」止まらない涙をふきながら、一言ひと言を区切るよう話してくれました。超人と言われる北島選手ですが、挫折や故障、いくつもの逆境を乗り越えてきたのです。彼の乗り越えてきたプロセスを見ますと、まず素直に努力する姿勢が挙げられます。そして、子供たちと一緒に泳ぎ水泳の基本を教える中で、子供たちからパワーをもらっている姿が浮かんできます。挫折や故障がある中で、子供たちから最高の元気をもらって感動し、復調したことが伺われます。金、そして世界新―――という夢と希望をもち具体的な目標を実現し涙した北島選手、私たちにも興奮と感動を与えてくれました。

       夢がある者には? 夢、希望、目標について、もう10数年前になりますがうまくまとめた1枚のものを入手しました。どなたがまとめたかは不詳です。
      夢
 夢がある者は、希望がある。  希望がある者は、目標がある。
 目標がある者は、計画がある。 計画がある者は、行動がある。
 行動がある者は、実績がある。 実績がある者は、反省がある。
 反省がある者は、進歩がある。 進歩がある者は、夢がある。  
 
実に素晴らしいサイクルになっています。一般によく言われる“PLAN→DO→CHECK→ACTION”というPDCAのサイクルになっています。この考え方は、仕事ばかりでなく、個人についても何か実現していく際に使える考え方です。ここで、夢はビジョンに、希望は目的と言い換えてもいいでしょう。ここでいう夢とは、“将来実現させたいと思っている望み”のことです。夢よりも希望、希望よりも目標のほうが、すぐに実現が可能なこと、具体的な事柄ということができます。オリンピック選手たちの努力、節制を見るときに、彼らの目標は明確で、それに向かって一生懸命走ります。厳しい自己訓練をし、無駄な事を排除し栄冠を勝ち取るためにやるのです。パウロの生き方について、次の聖書の御言葉が思い起こされます。

「優勝するためには、あらゆる努力を払って節制する。地上の競技においてそうするのなら、まして、天国の競技である信仰生活においては、なおさらではないか。だから、私は目標の分からないような走り方をしないし、無駄なことは一切しない。私は、競技の選手のように、厳しい自己訓練をする。」(コリントⅠ 9:25-27 現代訳)

私たちは、天国に向かって走っている者ですが、何と無駄なことが多いことでしょうか?もっとシンプルな生活をするようにとの教えは、ズシンと来るものがあります。

2008年8月12日    小坂圭吾

2008年5月3日土曜日

始めに&これから「そしてこれから」

              PDJレポート1年
 PDJレポートを書き始めてから1年!「変えられた人生を生み出す」健康な教会の基本概念やキーワードおよび日本における事例や進め方のノウハウを紹介しようとの思いから始めました。PDのキーワードについては、最低必要な5つの事柄について(外側から内側へ、目的とバランス、スモールグループ、一日一歩ずつゆっくり、マネジメント)書いてきました。(ご覧になりたい方は、「PDJレポート」のトップの右下に写真があり、その下にあるラベル:キーワードをクリックすれば、まとめて出てきます。)
 4年間にわたるPDJのミニストリーの中で、色々な教会・集会に出席し、色々な方々にお会いしました。私の今までの仕事や教会から少しでも離れて、より広い視野で物事を見たり、聞いたり、考えようと努力しました。1年「PDJレポート」を書くとなれば、それなりに一生懸命見聞きし、何を伝えようかと事あるごとに考えています。それは感謝なことです。

      これからどうしようか?
“そしてこれから”どのように書こうかと考えています。日本の教会の平均礼拝出席者は30人、しかし15-20人の教会が日本では一番多いのです。日本の多くの教会にとって、今いちばん切実なことはなんだろうかとスタッフとも考えました。PDJとして出版する書籍が、(感謝なことですが)必ずというほどにベストセラーになるのは何故か?「5つの目的」がいまだに売れ続けている理由は何か?今や、大きな教会がどんどん買って使ってくださっているわけではありません。それよりも小さな教会が、あるいは個人が使ってくださっています。教会を離れているクリスチャンも多い中で(所属教会を持たないクリスチャンが3%存在します)、それらの方々に手を差し伸べ、架け橋をかけようとの動きもあちこちで見られます。ハウスチャーチという動きも、確実に動き出しています。そのような中で、このPDJレポートの役割を今年は少し変えていこうとの結論に至りました。個人に焦点を当て、何か心に残る、少しでも読んでよかったと思えるレポートを書いていこうと思っています。

                   
「躁の時代」から「欝の時代」への大変化
先日のある雑誌に、作家・五木寛之氏の記事「躁(そう)の時代から鬱(うつ)の時代へ。一日一日、瞬間瞬間を大切に生きる!」が載っていました。読んでいてとても共感を覚えました。戦後50年の「躁の時代」の幕が閉じ、「鬱の時代」の大きな変革期が訪れようとしている。大切なことは、どんな風が吹いているのか肌で感じることであること。鬱の時代は30年先を見越して計画する生き方では対応できない。せいぜい3年先ぐらいの単位で自分の備えをして、毎日を充実させて生きていくことが大切であると五木寛之氏は書いています。毎日のテレビや新聞を見ていますと、日本の社会が壊れかけている現実が映し出されています。

第1に人間関係が大きく壊れています。親子関係、夫婦関係、先生と生徒の関係、会社の上司と部下の関係等、昔では考えられない悲惨な事件が起こっています。ここまでひどくなったのかと思わされる事件が次々に起こります。携帯電話やインターネットを使ったいやな事件もあり、これら全て心の問題ということが出来ます。
第2に健康の問題です。私の住んでいる地域(横浜市青葉区)は、日本でもいちばんの男子の長寿の地域だそうです。そんなにお年寄りが多いとは思えませんが、長寿になりますと、介護の問題や医療過誤の問題が大きくなってきます。医師にとって、今はいちばん大変な時代で、患者からいつ訴えられるかと恐れ、不安があるのです。
第3に経済の問題です。少し景気がよくなりかけたかなと思えば、サブプライム問題で世界中の株価が下落し、今年いっぱいは大きなダメージを受けそうです。金余りの現象の中で、原油が高騰し色々な物価が上がってきています。年金問題もまだ不安材料がいっぱいです。

これらの壊れかかった心と体、そして経済社会の絡み合った大変動を、五木氏は、「鬱の時代」の到来と言っています。「躁の時代」とは、敗戦後から約50年を指し、焼け跡に物は無くとも夢や希望や目標を持って経済大国として右肩上がりに登り、その絶頂がバブルでした。そして、バブルの崩壊後10年余になりますが「鬱の時代」に到来です。この時代は、先がまったく読めない時代ですので、せいぜい3年ぐらいの単位で自分の備えをし、毎日を充実させて生きていく時代です。これこそ、神様を信じて生きていくクリスチャンにふさわしい時代のような気がしてなりません。「躁の時代」は良くて「欝の時代」は暗いとか言うことではありません。良い悪いではなく、そのときにふさわしくいきることだと思います。一日一日、瞬間瞬間を大切に生きるという神様が私たちに教えてくださっている生き方を、生き抜く良い時代だと感じております。そして、この御言葉がぴったりと心にはまります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」
(テサロニケ第一、5:16-18)


(これからは、「PDJレポート」を”PDJブログ”と名前を変えて、気楽に読んでいただく記事を掲載していきます。)

2008年5月3日    小坂圭吾