2009年12月20日日曜日

喜び 「感動する」

     小さな感動 昨日まで、東北地方(山形、秋田県)に行って来ました。5年ぶりの大雪に見舞われ、50-60cmの積雪でした。近年、雪らしい雪を見ていませんので、思いがけず、積もってまもない素晴らしい雪景色を満喫です。(写真は”柿の木と大雪)
 新幹線自由席に乗って、ふと、関西方面から“のぞみ”号で帰る途中のことを思い出しました。いつもはビジネス客で静かな車内、斜め横に2人の若い女性(学生の方?)が大きな声で話をしています。少しうるさいかなと気になっていた時、彼女らの斜め横に座って寝ていた男性が立ち上がり、彼女らに向かって一呼吸置き人指し指を口に当て「シー」と合図しました。とたんに彼女らの声は、テレビの音量を下げたかのごとくに聞こえなくなったのです!その後、私も静かに眠ったことは、言うまでもありません。実にうまい注意の仕方であったと、些細なことながら小さな感動でした。

     映画「沈まぬ太陽」 先月上旬、山崎豊子原作、渡辺謙主演の映画「沈まぬ太陽」を見に行きました。その頃は、秋雨が続き気分も重く、映画でも見れば元気が出るかなと劇場に足を運びました。この映画の原作を読んでいませんので、どんな展開なのかも知りません。日本が経済大国へと急成長した激動の時代は、自分が生きた時代も重なりながら鑑賞です。
男の熱い生き様を貫く主人公、渡辺謙さんの気魄のこもる演技は、見ごたえ充分です。主人公の生きた厳しさは、個人の尊厳や生命までも危うくする組織悪との戦いで、政治の闇と癒着した組織の姿も含めて、当時も今もさもあらんと思います。このモデルの会社(JAL)の企業体質が如実に描かれ、虚実ないまぜですが、これが人間社会の現実と考えさせられます。このモデルの会社は、改革が無ければ消えていく運命です。主人公は、自分の信念を変えずに生き抜き、その姿に感動を覚えます。海外勤務の中で、雄大な大自然や異文化との触れ合いを通して、人間の小ささも感じさせられます。見終わって、気晴らしどころかほんとに元気が与えられました。人生に対する視点や生き様まで影響を与えてくれる、星5つの映画です。

     いつもやわらかい心で
  私たちは、感激・感動したとき実に元気が出てきますが、その場面は色々です。感銘深い言葉に触れたとき、スポーツや映画を見たとき、聖書の言葉が迫ってきたとき、自然界の雄大さに圧倒されたとき、信仰書を読み涙が流れたとき等々―。体の元気は食事をすることにより、心の元気は、感激・感動することによります。落ち込んでいる、問題や困難にぶつかり困りへし折れている心に、元気・やる気が与えられるからです。
忘れられない体験と言えば、困難や苦しみを乗り越えたときが多いかもしれません。私たちを成長させ訓練される神様は、苦しい状況や問題の状況をしばしばお用いになります。そのような時、かたくなな心がしだいに柔らかくなり、物事を素直に受け止める状況になり、心に響くことが与えられるのでしょうか。
  人生において成長し続ける大切なポイントは、“感激・感動する心を失わない”という言葉があります。“感激・感動は意識となり、意識は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となる!”いつもやわらかい心を持ち、苦しいことや問題にも正面から取り組むと共に、小さなことでも感激・感動する心を持ち続けていきたいものです。

「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル3:8 新改訳)

2009年12月20日    小坂圭吾  
        

2009年12月4日金曜日

コーヒーブレイク 「九州に行ってきました」


      九州をワイドに周遊 
10月下旬に、2泊3日のツアーで九州6県をぐるりとワイドに周遊する(鹿児島県を除く)ハードスケジュールな旅行をしました。主な周遊地は、熊本県(阿蘇)、宮崎県(高千穂峡)、大分県(別府温泉、湯布院)、福岡県(柳川)、佐賀県(嬉野温泉)、長崎県(大浦天主堂、長崎平和公園(左の写真))です。

 旅行好きになったルーツは、大学時代に東京から故郷の岡山に帰省のとき、わざわざ大回りをして方々を旅行して病み付きになったのです。ビジネス時代は、日本全国へ仕事で出張しましたが、工夫して時間を作りついでにちょいとその地を観光です。家族旅行もしばしばで、子供が大人になっても一緒に旅行する珍しい一家です。旅行好きな私ですが、日本全国でまだ撃破してない県が3つほどあります。九州にも行きたい県があり、妻と娘も一緒に親子3人で行く事になりました。

    旅のスタイル
 旅に出ると決まってやるスタイルがあります。新聞を読まない、テレビも見ない。温泉が必ずあるところに泊まり、1日に3回温泉に入る。(宿に着いて食事前、寝る前そして朝風呂に入る。)デジカメでとにかく気軽にシャッターを切る。ツアーで行く場合、何も考えないで景色と会話とガイドの話を楽しむ。下車観光するところをゆっくり歩きまわる。今回の旅行では、毎日1万歩から1万2千歩は歩きました。 

 阿蘇くまもと空港(右の写真)に着いて観光バスに乗り込み、最初に添乗員の方の挨拶です。添乗員は、旅程や宿・昼食等の世話をする係りで、普通は、あまり面白くも何もありません。しかし、これが実に愉快!「皆様、今日はXX交通社をご利用頂きありがとうございます。2泊3日よろしくお願いします。」拍手ぱちぱち!するといきなり「まったく気の入ってない拍手をありがとうございます。」もう大拍手と爆笑です。「この旅は、ほんとうに大変なスケジュール、厳しいスケジュールです!特に関東のお客様は、これでもかと言わんばかりの詰めに詰めた内容です!」脅しとおかしさが混じって、これから2泊3日が楽しいぞと思わせました。ですから、彼女が登場するたびに、今度は何を言うのかと皆心待ちに聞き、そのたびに爆笑。ガイドさんの説明もうまいのに感心!彼女たちが楽しくしようとの企てに皆も影響され、わいわいがやがやの道中でした。

      夢を与え拓く!  
メンバーの方々は、主に40歳から80歳くらいで面白い方、声の大きな方が何人もおられました。80歳くらいのご夫婦ですが、ご主人がとても愉快な方で、私の妻と娘が奥さまに「ご主人は、とてもユーモラスな方ですね!」と言ったところ、返ってきた返事が「お貸ししましょうか?」でこれまたおかしくて大笑い!!宿での夕食後には、数人いつの間にかロビーに集まって、身の回りの事柄から始まり、政治、経済に話が及び、政権交代についても楽しく1時間ほど話すさまでした。3日間快晴に恵まれ、ほんとに楽しい旅でした。

色々と見た中のひとつに、湯布院の近くにある「九重(ここのえ)“夢”大吊橋」(右上の写真)が心に残りました。総工費約20億円、平成18年10月30日落成した長さ390m、高さ173m、幅1.5mの日本一の人道大吊橋です。湯布院が脚光を浴び、さびれてきた村を“どげんかせんといかん”と言うので、町長一人がんばり、町議会の全員反対を説得し完成させました。村としては、とてつもなく大きな夢の計画です。国、県の補助無しで建設し、ちょうど私たちが行った日が落成して丸3年、既に訪れた人が500万人でした。素晴らしい立地の場所にあり、町民の夢を拓くことが出来ました。そして、訪れた人々には夢を与える大吊橋です。「九重(ここのえ)“夢”大吊橋」は、みんなに夢を与え拓かれるようにとの願いが込められ名付けられました。
旅行する時に、いつも読みたい本をもって行きますが、今回も読まずに終わり。今度からは、持っていくのは止めにするつもりです。旅に出て心と頭を空っぽにしますと、新しい違ったものが入って来ます。新しいことがどんどんとインプットされます。大自然や歴史や文化、人との触れ合いを通して、心の中に励ましやら、元気やら、夢が与えられたり拓かれたりするのです。これが、旅のよさなのです。

「青年たちは幻を見、老人たちは夢を見るようになる。」(使徒2:17 現代訳)

2009年12月4日    小坂圭吾          

2009年11月18日水曜日

今を生きる 「時を考える」

       時(とき)について
今年の夏に、数年ぶりに「伝道者の書」を読み、“むなしい人生”について書いている内容の深さ、おもしろさにあらためて感動しました。まさに人生論の集大成で、第3章には「時」のことが書いてあり、少し調べてみました。

広辞苑による「時」についての説明は、“①過去から現在へ、更に未来へと連続して、とどまることなく過ぎゆく現象。時間。②一昼夜の区分。時刻。刻限。③特定の時期。④時勢にあうこと。等”が書かれてあります。そして、「時は金なり」の使い方についての説明があり、時間は貴重・有効なものだから、無駄に費やしてはいけないとあります。そのほか「時を争う」「時、人を待たず」「時に遭う」色々な使い方についても説明があります。まずは、“時の中の時間”について考えてみようと思います。

      時間管理
ピーター・F・ドラッカーの名言集「仕事の哲学」の中に、“時間管理”について述べているところがあります。私たちは、自分の時間の中で、無駄な時間をそれほど使っているとは思っていません。ドラッカーは、「成果には何も寄与しないが無視できない仕事に時間を取られる。膨大な時間が、実はほとんどあるいはまったく役に立たない仕事に費やされる。」と書いています。時間は、誰にも平等に与えられた一日24時間です。

ある若い人に、「私たちは、無駄な時間を過ごしているのだよね!」と言ってみたところ、「え、例えばどんなこと?」と聞かれました。ほとんど意識してないのでしょう。若い時から中堅時代には、時間はいくらあっても足りないくらいですが、実に、無駄などうでもよい事に時間を費やしているものです。自分の経験から言いますと、読まなくても良かった本、おもしろくも何の益もなかった映画、ついつい時間をとられたインターネットの検索、見なくても良かったテレビ番組、出席しなくても良かった会合、委員会等々、やめても問題の無いものは、山ほどであります。

            無駄なものを捨てる  
私たちの1日の生活は、実にさまざまで複雑です。無駄な事に時間を浪費することは、いつの日か習慣のようになり、歯石のようにたまります。歯石は、掃除をしない限り落ちません。今年も年に1度の歯石の掃除に、そろそろ行こうかと思っています。

1週間、1ヶ月のスケジュールを見ると、いつの間にか時間の浪費に過ぎないようなことがたまり、ドラッカーは、これに対して処方箋を書いています。「最低でも年に2回ほど、3、4週間継続して何をしたかの記録を取る必要がある。記録を見て、日々のスケジュールを見直し、組み替えをしなさい。」「まったくしなくても何も起こらないなら、その事はやめてしまうべきである。」と勧めています。私もこの助言を頂いて、それほど詳細ではありませんがスケジュールを記録した手帳を見ながらCHECKしますと、無駄で止めたほうがよいものが見つかりました。

無駄なことを抽出するばかりか、これはやらない事にしようと決めることも大切です。優先順位をつけることは、大事なことを選び出すことですが、逆にやらないことを決めることでもあります。「何をやらないのか」を決めることが、案外簡単な場合もあり、そうすると時間がどんと浮くこともあります。そうする事により、時間の使い方を見直して、心の余裕とゆったりした時間、重要な事にはしっかり時間をかける事が出来ます。本来のやるべきことに時間を注ぐことが出来るのです。
 時間について考えてきましたが、このようなテーマで書くのも時がある、何事をするにも時があるとの聖書の言葉を思い出します。時には、あるいは年に時々、自分のスケジュールの大掃除をすることを大切にしたいと思います。

「この地上には、何をするにも時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、ーー
 保存する時、投げ捨てる時、ーー」(伝道者の書3:1-2、6 現代訳)

2009年11月18日    小坂圭吾

2009年11月3日火曜日

健康余話 「ウオーキングをする(2)」

     ブラブラ歩く
先月から、NHKテレビで「ブラタモリ」番組が始まりました。街歩きの達人・タモリさんとともに、都会の街並みをブラブラ歩く一味違った楽しい番組です。ふだん何気なく見ている、十分に知っていると思っている風景の中に、意外な歴史や秘密があります。過去の痕跡やエピソードを探し、古(いにしえ)の風景をCGで再現している探検散歩です。NHK久保田アナウンサーとのやり取りも楽しさを増してくれます。第1回は“早稲田”つづいて“上野”そして“二子玉川”で、どの地域もそれなりに詳しいと思っていましたが、驚きも沢山ありました。第4回は“銀座”で、タモリさん流の目のつけどころの違った“銀ブラ”でした。銀座の“通り”そのものにこだわり、ビルの路地裏、道路の真ん中より見るわずかな高低さ、碁盤の目のような街路の構造等々、銀座の歴史400年をも楽しみながらの銀ブラです。ブラブラ歩く、ウオーキングをするのに、ある目的を持って見て歩くと大きな発見があるものだと教えられます。

    新たな発見  
ウォーキングを意識してやるようになったのは、シェイプアップ効果と手軽に出来ることからです。このような有酸素運動では、脂肪が燃焼されるのは20分を過ぎてからと言われています。1回につき最低でも20分以上続けかつそれを出来れば1日に数回、週に3日間くらいのペースで続けられれば文句なしとのことで、何とか継続しています。歩く時は一日9千歩から1万歩で、週に3日間は歩きます。自分と向き合い、五感に感じ、自然と調和しながら歩くことは、健康の良きパートナーです。

「ブラタモリ」にも刺激されて、ウオーキングをする際、色々と探索するようになってきました。先月、私の家から歩いて10分以内にある公園全てを、カメラを持ってつぶさに探索しました。意外な発見!それは時計です。大小さまざまで10箇所の公園、そのうち4箇所に時計塔があります。少し前の記憶ですと、時計が止まっていたり時刻がまったく違ったりと役に立ちません。最近は、時刻が合っているようだなと思って見ると、その秘密がわかりました。なんと“電波時計”に変わっていたのです。電波時計は、誤差が10万年に1秒とされる正確さをもつ「原子時計」、この「原子時計」をもとに送信される標準電波を受信し、自動的に時刻や日付を修正する時計です。時計をよく見ると“PULWAVE”と書いてあり、どの時計もS社の製品で正しく時刻が合っていたのです。

     目に見えない電波
この電波時計を見て思ったことは、私たちの信仰も目に見えない神様からの電波を絶えずキャッチしているのだと!受ける側の信仰が、神様からの電波をしっかりと受信していれば、確かな歩みが出来るのだと聖書の言葉を思い出しました。そして、私たちが知らないところで、神様にいつも守られているのです。感謝と共に、気が休まります。
 思えば、この1週間のうちにヒヤリとしたことがいくつかありました。成田空港へ迎えに行っての帰りに、日も暮れ、首都高速で左に曲がるべき道を気がついたのが遅く間違えてしまい、やむなく高速を降りる(首都高速では、何度か道を間違えています。難しい!)。すぐに一般道路の交差点に入り、真ん中あたりで赤信号と気付く。あたりは真っ暗ですので、あの赤が目立ちました。「あ!赤信号だ。ヤバイ!」少し気が動転していたのか?信号無視?家族のものが「黄信号だったので大丈夫!」と言ってくれましたが、目の前にはパトカーが止まっています。冷や汗だらり!ですが無事に過ぎました。
翌日、参議院議員補欠選挙の期日前投票に車で行く途中、一方通行をゆっくり走っていました。突然、宅急便の車が出てきて、間一髪、急ブレーキと警笛を鳴らす。車の運転手が降りてきて「人に気を取られて、気がつきませんでした。すません!」「まあ、気をつけて行きなさい!」これらのことについて妻のコメント!「事故が無かったことを感謝しましょう。」ホッ!

「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。」(詩篇92:11 現代訳)
2009年11月3日    小坂圭吾

2009年10月19日月曜日

健康余話 「ウオーキングをする(1)」

     PGAシニアツアーを観戦10月1日(木)にPGAシニアツアーの今季第4戦、富士フイルム・シニア・チャンピオンシップが千葉県平川カントリークラブで開催されました。下手の横好きでゴルフを楽しむ一人ですが、実際に観戦に行ったことはありません。シニアプロの方が身近なので、何かと刺激になるだろうと決心して行きました。横浜から千葉に行き更に外房線JR誉田駅へそこからギャラリーバスでゴルフ場まで、約2時間半あまりかかります。来場者は、平日ですからほとんどが中高年の方々です。行くと既に17組までスタート済みで、18組目がシニアツアーで4年連続賞金王になった高橋勝成プロのスタートでしたので、その組について観戦しました。前組が飯合肇プロ、倉本昌弘プロ、前々組が青木功プロ、尾崎健夫プロ他でした。スタートしてすぐに、ある中高年のAさんと話が弾み、一緒に一日まわる事になりました。このゴルフ場から家までは近く、自転車でも行けるゴルフ場が5箇所くらいあるとのことです。いかに千葉県にはゴルフ場が多いか推察できますが、約150はあると聞きました。

   観戦は一緒の方がいい! 最初は、半分ほど見て昼食を食べて帰ればいいと考えていました。普通ですと入場料を取られますが、スポンサーの気前が良く、60歳以上は無料、ゴルフクリップのマ-カー&スポンサーのお土産を頂きました。(実は、このスポンサーは第一の現役時代に勤務したところです!)ご一緒にまわったAさんに刺激され、全て観戦しようと心を入れ換えました。全部回るのに約5時間弱でしたが、一人では途中やめていたでしょう。プロ選手権の場合は、9ホール終わって休むことはせずプレーを続けますので、4時間半から5時間続けてのスループレーです。観戦する人たちの中には、折りたたみイスやシートを持ち歩き、お昼近くになると、おにぎりを食べながら観戦です。9ホール観戦したところで、私は昼食会場に戻り、急いで食べて観戦に戻ります。Aさんは休まずそのまま行かれ、途中で合流しました。

その日は、秋晴れの気持ちのよい日でした。万歩計によると約1.5万歩です。歩幅が70CMとすると 0.7M X 15,000 = 10,500M すなわち約10キロメートル歩いた事になります。帰宅後、別の方法で距離の計算をしてみても、ほぼ同じ結果になります。Aさんと「かなり歩きましたね。それにしても、5時間、腰を掛ける事もしないで立ったままで10キロ、これはハードです。」「そう、彼らは、足腰をしっかり鍛えているよね。」彼は、途中で腰を掛けることはせず、私は、後半何度か腰を下ろして、観戦でした。

        腰痛になる! ゴルフは、あまり運動にならないと、10数年前までは言われたように思います。近年、ウオーキングが健康に良いと言われだしてから、そのように言うのを聞いたことはありません。私もゴルフをする時に、何度か万歩計で歩数をはかりましたが、約1.2万歩ですので約8キロメートル歩きます。カートを利用しますが、10年ほど前までは、カートなどに乗ったことはないので、足腰の鍛え方が不足かなと考えさせられます。
5年ほど前にちょっとしたことからギックリ腰になり、それ以降、腰痛予防の体操を毎日しています。今年の4月に突然腰痛になり、全治1ヶ月かかりました。その後ウオーキングして長時間歩きますと、腰痛ではなく右足の太ももの裏辺りが痛くなりました。4月の腰痛の時にまず右足の太ももがおかしくなった事を思い出し、足腰全体をしっかり鍛えなければならないと感じました。筋肉をしっかりケアーしないとウオーキングも出来ないと感じ、体を鍛えるストレッチがよいのではと調べました。ストレッチのよい本があるに違いないと探したところ、やはり見つかるものです。8月からストレッチを初めて3ヶ月、その成果がはっきりと出て来ました。体全体の筋肉が硬いのですが、自分でも少し柔らかくなったと感じ、長い間歩いても足腰の痛みは出てきません。1時間、2時間のウオーキングにも耐えられるようになり、主の導きに感謝しています。

「私の足を雌鹿の足のように強くして、高いところでもどこでも、行くことができるようにしてくださいます。」(ハバククの預言3:19 現代訳)

2009年10月19日    小坂圭吾

2009年10月5日月曜日

今を生きる 「やり抜く」

                       
    国会議事堂訪問
  先月9月14日(月)、民主党議員のお世話でJASS(日本セカンドライフ協会)の仲間と国会議事堂を訪問しました。衆議院議員選挙後の特別国会開催に向けての準備もされつつありました。1936年(昭和11年)に完成した国会議事堂は、70年来のリニューアル工事で、昔の汚れを落として白い輝きを取り戻して、花崗岩の外壁が現れています。約30年前にアメリカのワシントン国会議事堂を訪問したときのことを思い出し、それと比較して、さすがに日本らしい立派な造りであると思いました。床は大理石、赤じゅうたん、窓と天井にはステンドグラス、中央広間の壁画等々です。議事堂の正面向かって右が参議院、左が衆議院となっています。参議院議場と衆議院議場はほとんど同じですが、参議院のみ議場の正面中央が国会開会式のときに天皇陛下が臨席されるお席があります。中央広間には、議会政治の基礎を築くのに功労のあった伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像が建っています。台座の4人目は、誰にするか決まらなかったために空席でしたが、「政治に完成はなく、未完の象徴」との意味もあるとのことです。

      走り抜く
  今回、民主党の圧勝により政権交代がなされ、顔ぶれが一新し改革がなされます。色々と紆余曲折があるにせよ、“大切なことを何が何でもやり遂げてほしい”と願います。走り出してまだ1ヶ月も経ちませんが、私たちは色々と変化を感じています。身近のところでは、妻が政治に関するニュースをしっかり見聞きするようになりました。「キット、多くの人が注目して私のように政治を見るようになっているでしょう!」とは彼女の弁です。先日の日曜礼拝後に昼食会があり、何人かの人々に意見を聞いてみました。「とにかく、政治がわかりやすくなった。各大臣が自分の言葉で語っているので、実に良くわかる!」「政権公約を大きく打ち出したのだから、やらざるを得ないだろう。是非、やり遂げて欲しい!」今までの負の遺産を大きく方向転換をしようとするのですから、色々な抵抗があることでしょう。当たり前のことを当たり前にやらなかった自民党・官僚政治であったかな!と今さらながら思います。私たちも実に保守的で、良いことであっても変革する事をためらいます。今度の新しい政権は、政権公約の実現を目指して、走り抜いて欲しいものです。                                                                          
      天国を目指して 
 今朝、ゴミを捨てるついでに朝の散歩に出かけたところ、近所にお住まいのカトリック信徒のSさんにお会いしました。「私も80才になりました」と言われ、「見るからにお若い感じです」と申し上げました。正直、そんな歳にはとても思えません。時々、公園等で教会等の事について、立ち話をさせていただきます。「いやあ、中身は年相応になっています」とのこと。公園で、いつものようにお互いに鉄棒にぶら下がりました。私の教会の恩師も80代前半、生涯現役と言っておられます。60代半ばの私は、これらの方々を見るにつけ、自分でがんばるのではなく、信仰によって走り抜きたいと思わされます。

  私たちも、自分の仕事、家庭、教会等において、自分のやるべき働きに一所懸命取り組んでいます。目指すゴールは天国ですが、この天国へのマラソンを走り抜きたいと思っています。若い時は、自分で走り抜こうとする事が多く、それでも何とかなる時もあります。しかし、やることが一杯でいらいらしている自分、疲れきっている自分が多いのではないでしょうか。その事に気がつき、神様にお祈りしますと不思議と平安と力が与えられます。神様を忘れて自分でがんばる姿は、神さまのエネルギー、スタミナを欠いた状態、車でいう“ガス欠”です。自分で変にがんばらないためには、主との関係をしっかり保ち、祈りが大切です。そんなこと当たり前!そうです。当たり前のことがきちんとできれば、熟達したクリスチャンなのだと思います。自分でがんばろうと力を入れなくとも、案外、物事はスムースに進みます。“スムースに”と言う意味は、ジグザグはありますけれども、主の御手の中で導かれていきます。人生というマラソンにおいて、このエネルギー不足、スタミナ不足にならないように毎日、あるいはそれに気づいた時、お祈りによって神さまのエネルギーを補充していただきましょう。
 
「主はいつも地上をご覧になっていて、主に心を向けている人がいれば、その人に力を与えてくださいます。」( 歴代誌2、16:9 現代訳)

2009年10月5日    小坂圭吾

2009年9月19日土曜日

今を生きる 「あるべき姿を求める(2)」

   イチロー、新記録安打達成!
  イチローがまた新しい記録(連続9年間200本安打)を達成しました。野球史上に燦然と輝く記録ですが、その背景にある彼の野球への取り組み姿勢に着目しています。イチローのすごさは、打撃技術もさることながら、試合への取り組み方、あらゆることに万全の準備をすることに感嘆します。たとえば、健康管理、けがをしないために、クラブハウスでフカフカのソファに座らないでパイプイス、それは長く座ると腰に負担がかかる。自分をコントロールして精神的にマイナスにならないようにするために、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻る。体力作りについては、彼オリジナルの方法で厳しく鍛錬している。あらゆる面において、どうあるべきかを考え追求しているのです。打撃技術については、アメリカのピッチャー総てが必死になって研究を重ね戦いを挑み続けて来るのですから、イチローも必死になって“どうあったらよいか”を考え、工夫を重ねて新しい打法を編み出し走り続けているのです。  

    一喜一憂しない  
 イチローの姿を見て、私たちの日常生活に模範として取り込むには、あまりにも差がありすぎる感があります。「どうあるのがよいか?」と常に考え実行しているプロセスでは、そこまでやるかと思うほどです。ひと言で言えば、鍛錬と節制ですが、そのなかで参考になることは、多々あります。三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻り、今回のように素晴らしいことを成し遂げても冷静です。自分をコントロールして一喜一憂しない彼の姿です。私たちの日常生活の中で、とかく一喜一憂が多いのですが、どうあるべきかを教えてくれます。
 打撃技術をはじめ、あらゆる事に万全を尽くしての準備を怠らないイチローですが、「打撃と言うものには、これでいいと言う形はない。従って、答えもなければ、終わりもない。」との言葉のように、彼は、常に理詰めで考えてあるべき姿を探し続けているのです。 

     人生の模範にならう
 私たちの人生の歩みについて「どうすべきか?あるべき姿は?」ついては、私たちの模範が聖書にあります。パウロは、「私にならう者となってください。」(Ⅰコリント4:16 新改訳)と言っています。パウロと比較して自分を見ると、その格差をおのずと感じますが、至らなさに着目ではなく、パウロの信仰にならおうというのです。模範を見て、自分の出来ることをやっていく。自分は自分でしかありませんし、模範にならいつつ自分らしさを発揮しながらやっていけばいいのです。

私の家では、月に2回ほど子供たちを集めて、妻が習字教室を開いています。「教会の看板だけでなく、孫に教えてあげるのもいいね!」と言うことがキッカケで始まったのですが、お手本をしっかりまねる子は、見る見るうちに上達するそうです。習字は、いつもお手本を見て、あるいは、お手本の上に紙を置いてその上から書いていきます。そうすると間違いなく腕があがります。私も小学生のとき、このようにして何年も習いました。(その割には、字がうまくなく、今は読みやすいとだけしか褒められたことがありませんがーー。)
模範・お手本と比較をして、違いを見て改善していきます。信仰生活において模範にならってできていることもあれば、少なくともこれは改善すべきことも多々あります。イエス様や使徒たちの模範と比較して、自分の足りない部分について、主の助けをいただきながら改善をし、イエス様にならう者として励んでいきたいものです。

「このように、主であり先生であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきです。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするために、模範を示しました。」(ヨハネ13・14-15 現代訳)
 
2009年9月19日    小坂圭吾

2009年9月7日月曜日

今を生きる 「あるべき姿を求める(1)」

     衆議院選挙で政権交代!
 8月30日の衆議院選挙で、民意の劇的なうねりの中で民主党が圧勝し、日本の政治に政権交代という新しい扉が開かれました。もう数年以上も前から自民党のやり方にうんざりしていた一人ですが、半年くらい前から、急激に地殻変動が起こりつつありました。29日に不在者投票に行きましたが、人が多くて50分待ちの状態でしたので、30日に投票しました。選挙権を得てから今日まで棄権をしたことはありませんが、今回ほど投票所が混んだ事は初めての経験です。
  ところで、注目の選挙区の当選者の方々のインタビューを聞いていて、政党に関係なく当選した方々の共通している点を発見しました。それは、自分の考えにブレがなく、信念を持ってやり抜いていること、そして政治家として自分の強みを生かして、“日本はどうあるべきか?やるべきことは何か?”がはっきりしていることです。そして、民意がどこにあるかを体でもって把握しているように感じました。これらの若手あるいは中堅議員の方々が、今後大いに活躍されることを期待致します。  

         うまいラーメン屋
  もう数年前になりますが、我が家の近くにラーメン屋さんが何軒も開店しました。昼食時などに気軽に行って味見をして、いつの間にか店の評定していました。あの店は雰囲気がよい、挨拶がよい、この店は麺がよくない、味が今一歩、こちらの店は値段が高い、メニューが総花的である、ここの店は綺麗ではないが麺と味にはこだわりがある――等々色々な観点から見ています。自分の頭の中には、あるべきラーメン屋なる店があり、それとの比較をしています。何回か行きますと、その店の評価が私なりに決まっていきます。家の近くに6-7軒ありますが、安くてそれなりにおいしい店もあります。年に数回は行く店で、先月、クリスチャンの知人Sさんにバッタリお会いしました。「安くておいしい店なので、時に来るのです」とのことで、奥様もご一緒で久しぶりに会話が弾みました。この店はチェーン店ですが、最初の頃と比較しますと、お客への対応、メニュー、味も改善されたと感じています。きっと顧客のことを考え、あるべき姿を思いながら改善したにちがいありません。

       60歳代でクリスチャンに
  知人Sさんは、60歳なかばで会社生活を終えて教会に通い始められ、一昨年のクリスマスに洗礼を受けられました。会社生活の先輩として存じ上げており、Sさんが教会に通い始めてまもない頃、これまた先輩のKさんを通してお会いしたのです。Sさんは、海外勤務で約20年間市場開拓に従事され、慌ただしい環境の中では、宗教に思いをはせる余裕はありません。40数年間の会社生活から解放されて、これからの過ごし方を考えた時、「人生にとって何が大切か、どうあるべきか」「心のよりどころは」といった課題に直面されました。かつての仲間や身近な知人と人生を語り合う機会が多くなり、その中にはクリスチャンの方もおられ、キリスト教が度々話題となります。それが契機で、Sさんは「よし、聖書を学んでみよう」と決意されます。後から思えば、色々な導きがあったことが思い出される由。30数年前に建てた横浜の住居に戻られ、幸いにも教会が徒歩圏内にあり、教会に行くようになりました。その後まもなくして、Sさんにお会いしました。「礼拝は、欠かさず出席するようにしています!」とのお話でした。「人生を導く5つの目的」の本を差し上げるつもりでしたが、「買って読みます」と言われました。「これは本気で求道されるのだ。神様を見出されるのもそう遠くはない!」との思いがよみがえります。

 「人生にとって何が大切か、どうあるべきか」を考えることは、どの年代であっても大切な最重要事項です。私の場合は、幸いにも学生のときにそのことを考えることが出来、神様を見出すことが出来ました。それから40数年になりますが、神様に出会われた方のお話を聞くにつけ、その方にとっては、“まさにこのときが神のときであった”と思わされます。そして、真実の道を求める、若い心のときであったのだと思うのです。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)
 
2009年9月5日    小坂圭吾

2009年8月19日水曜日

喜び 「人生は一緒の方がいい(2)」

   色々なコメント、書評を頂いて新刊「人生は一緒の方がいい」(つながりを深める40日)を4月に刊行しましたが、この本は11種類目の本になります。“健全な人生、健康な教会形成”を目指して、少しはバランスのあるメニューが整ってきていれば幸いです。企画をする側としては、色々な方々のご意見を頂くと「そうだったか?」と目が開かれたり、「意図した通りだったかな!」と喜んだりで、どちらにしても感謝しております。今回は、スタッフから「書評にとりあげられたものを掲載するのはどうですか?」と促され、「それも良いね!」と思い早速書くことにしました。

     自分が出来なくても皆で一緒に  先々月(6月)、横浜にあるキリスト教書店を訪問し、書店員の方にお話をお聞きしました。所属教会はスモールグループが盛んで、ご一緒に色々と読んでの感想だったと記憶しています。
「新刊「人生は一緒の方がいい」については、自分が出来なくても“皆で一緒に”というのが、励ましとほっとさせてくれるところがあります。『5つの目的』は、私がやらねばと迫って来るのですが、一人ではとても無理でも、皆で一緒にやればいいんだと考えると、気楽に出来そうですね。」
これは、この本の一番大切なところをずばりと指摘してくださいました。

  雑誌や新聞に”新刊の書評”として載せられたものの中から、ご紹介致しましょう。リバイバル・ジャパンの6月1日号に掲載された内容です。
「著者は、「目的のある人生」を生きていくのは、孤独な人生ではないことを第二弾である本書で読者に問いかけています。‐‐‐‐1課ずつ明快な聖書箇所を引用しつつ「一緒に生きる」ことの素晴らしさを生き生きと描き、読者を「一緒に生きる」ことへといざなっていきます。‐‐‐‐本書は、聖書が描いている「人との関わり」の価値がよく理解され、他者と一緒に生きることを大切にする人生観が養われ、結果として真実な、安全な交わりの実践の場としてのスモールグループが用いられていくことを主眼としているようです。セルグループやスモールグループを用いたミニストリーを展開してみたものの、なかなかうまく機能しないという悩みを抱えている教会リーダーにとって、聖書に基づいた本質的なものの見方を考え直すための好著といえるでしょう。」
発売して数ヶ月間、どのような反響になるかなと思いながら、楽しみに見ていました。この書評のように受け止めてくださった教会や信徒の方々から、スモールグループで読むことにしたというお話をいただいています。聖書が描く「人との関わり」の価値をよく理解し、他者と「一緒に生きること」ことの重要性は、私にとっては、「5つの目的」を読んでから目が開かれました。「一緒に生きる」ことの大変さもありますが、つながりなくしてはさびしい人生になります。

      ヤマアラシのジレンマ
次におもしろい書評をご紹介します。「恵の雨」2009年8月号に掲載されたものです。
「『ヤマアラシのジレンマ』という寓話がある。『二匹のヤマアラシが温めあおうと近づいたら、お互いの針で刺し合ってしまった。あわてて離れると、やはり寒い。』というコミュニケーションの魅力と煩わしさを表した話だ。本書は、人が互いに交わりを持ち、一緒に成長し、仕え合い、共に礼拝し、伝道することを神は望んでおられるという。では針の問題はどうすればいいのか?寓話が出した答えは、『適度な距離を保つ』という妥協案だったが、本書が提示するのは『キリストのことばを心に住まわせ、競争意識を持たず、要求よりも理解に務める』など、聖書が教える根本的な解決だ。神様に頼れば『針があるからこそ成長できる』と言うことさえできる。」(ヤマアラシの写真は、ウイキペデイアより引用)
人と交わりを持ち、他者と「一緒に生きる」ことを目指せば、お互いの針が必ず気になってくるものです。しかし、神様に頼ることによって成長できる素晴らしい世界があるのです。

「鉄で鉄を研ぐように、人の心も他の人の心との触れ合いによって成長する。」(箴言27:17 現代訳)

2009年8月19日    小坂圭吾

2009年8月5日水曜日

感謝 「日本プロテスタント宣教150周年(2)」

        札幌・函館ツアー
  今年の春に思い立って函館に行きました。3月ごろのツアーは、安くて質の高い旅行ができ、往復の飛行機代相当分の料金で、2泊3日の良質な旅行が出来ます。目的が合えば大変お得な“奉仕料金ツアー”で、二つの目的を持って出かけました。      
  3月19日(木)、羽田から朝一番の新千歳空港行きJALにのりました。第一の目的は、札幌で自由行動を生かして“キリスト教書店を訪問”です。(HP・全国キリスト教書店の“書店紹介ページ”に掲載)書店の方とのお話で、札幌の教会もスモ-ル・グループの活動が盛んであることをお聞きしました。近年、全国的にスモ-ル・グループが盛んであると推察していますが、信徒同士の深い交わりを通して、ある意味で多様な意見、考えを受け入れる土壌を養っているとも言えます。礼拝でメッセージだけを聞いて終わりとか、表面的なつき合いレベルの交わりで終わりとしないで、正直に心を開いて分かち合う交わり、時には衝突することも恐れない交わりが必要です。表面的でなく正直な交わりを育てるのは大変ですが、愛に生きる本当の交わりがそこにはあります。
  書店訪問後に、札幌時計台前のコーヒーショップで一息入れます。この時計台は、もともと札幌農学校(現・北海道大学)の演武場として建設されたそうで、札幌農学校での青年クリスチャン新渡戸稲造、内村鑑三らが、互いに本音でぶつかり合い切磋琢磨して過ごしたところです。周りはまだ雪が残っており、遠く明治時代に思いを馳せました。

        箱館から函館に   第二の目的は、函館見学です。若いころから旅行好きで日本全国を歩き回り、あちこちの大都会、中小都市、田舎をそれなりに肌で感じ、土地の状況や教会の事情をそれなりに理解していますが、それが、PDJの企画に役立ち感謝しています。
  ところで、翌3月20日(金)登別、昭和新山、洞爺湖をめぐって函館へ、翌々日には大沼公園、トラピスチヌ修道院(女子)、五稜郭、函館港を見学です。函館に行き「え?」と思ったことが、明治時代までは、函館ではなく箱館でした。五稜郭を拠点に抵抗した幕末維新の動乱・箱館戦争が終了し、明治時代が動き出して箱館から函館になります。
  ペリーが来航した翌年1859年、長崎、横浜とともに箱館(函館)が開港され、外国の水兵や船乗りは、土産を買い求めながら、キュウリやナスを生でかじったり、木魚をたたきながら踊る水兵もいた由。好奇心旺盛な函館っ子は、すぐに打ち解け人々の生活に外国文化が少しずつ浸透します。洋館や教会が立ち並ぶ石畳の坂道、色々な教派の教会や仏閣が並んでおり、異国情緒あふれる函館の街並みが出来上がります。

        キリストにおいて一つ   1874年1月ハリス宣教師夫妻が函館に赴任されて、開拓伝道が始まります。「キリスト教禁制」の高札は撤去されていたとはいえ、外国人にとっては命の危険もあった時代です。札幌では、W・S・クラーク博士が1876年札幌農学校設立のために招かれます。博士の感化でキリスト教に改宗し、イエスを信じる者の契約に署名をした札幌農学校の1、2期生ら青年クリスチャンの群れを「札幌バンド」と言い、新渡戸稲造、内村鑑三らがそのメンバーです。彼らは、クラーク博士が帰国後、ハリス宣教師より信仰的指導を受け、洗礼を受けたのです。

 日本宣教の夜明けに派遣された宣教師の方々にとって大きな問題は、言葉が通じないことです。「私の曽祖父バラ宣教師は、日本語が一番の弱点でした。とにかく日本語がバラバラです。」とバラ宣教師のひ孫さんが、ユーモアに当時の宣教師の苦労を語っておられます。さまざまなご苦労を乗り越え日本伝道に奮闘されたその熱い情熱と使命感に感じいります。そのことを思うときに、全ての教派が一つであることを確認し、共に働こうと活気づくこのとき、教会改革の新しい意識を持つことが出来ればと祈ります。皆で一緒にやることを考え、“とにかく一緒にやろう”とすることに意義があります。もはや「キリストにおいて一つ」であることの認識が土台にあり、日本宣教のために、皆で一緒に助け合い小さな事からでも始められたらと願います。

「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28 新共同訳)

2009年8月5日    小坂圭吾

2009年7月18日土曜日

感謝 「日本プロテスタント宣教150周年(1)」

       日本宣教の夜明け プロテスタント教会が日本に宣教して今年で150年になります。1858年にペリーがアメリカから浦賀に来航し、日本は、翌年1859年長崎、横浜、箱館(函館)を開港せざるを得なくなり、アメリカからプロテスタント教派の宣教師が送られてきました。実は、それよりも13年前にイギリスの宣教師バーナード・J・ベッテルハイムとその家族が1846年5月に琉球(沖縄)の那覇に上陸したのです。彼こそが、日本への最初のプロテスタント宣教師であり、彼により沖縄に福音の種が蒔かれたのです。日本は、まだキリシタン禁制下でした。アメリカを代表する日刊紙「ニューヨーク・タイムズ」等の海外の新聞が報じている当時の“日本宣教の夜明け”についての記事は、最初の宣教師や日本人伝道者の苦闘と愛の証しであり、私たちの心が揺さぶられ襟を正される思いが致します。

      宣教150周年・記念大会 先日(7月8日)、宣教150周年を記念する行事のひとつ記念大会が、パシフィコ横浜の国立大ホール・会議センターで開催されました。スローガンは、キリストにあってひとつ――主イエスの証し人として――です。日本キリスト教協議会(伝統派)、日本福音同盟(福音派)、日本リバイバル同盟(聖霊派)が、それぞれに独自の活動を続ける中で、3つのグループがそれぞれ異なる背景を持ちながら、教派、教団を超え皆が一致して日本の宣教を担おうとする新しいうねりです。開会礼拝に出席しましたが、大ホールはほぼ満席で、聖霊のご支配の中で宣教の歴史を振返り、賛美がささげられ、祝辞、証し、メッセージが語られました。

  リック・ウオレン牧師がビデオレターにより、最初に祝辞を述べられました。101歳の現役牧師の証しは、私たちに一歩前進して伝道活動に励むように促され、メッセージを通して、「キリストにあってひとつ」の思いを強くさせられました。日本の教会が、“お互い違っていてもいいじゃないか!”とそれぞれの特徴を生かしながら、共に福音宣教の使命に熱くなっていければと心を熱くしました。これがひとつのエポックになることを祈り、このことを心に留めておきたいと願っております。


       教団・教派について思うこと 私は、長老派の教会で40数年信仰生活を送ってきました。2年ほど前にクリスチャンになった知人は、日本で一番古い教会(長老派の教会)で結婚式を挙げ、その後20数年後に同じ教会で洗礼を受けました。その彼に鋭い質問をいくつか投げかけられました。「プロテスタント教会は、なぜこんなに教団教派に分かれてあるの?」「神学校もばらばらで、こんなにたくさんある必要はないでしょう。神学生はほとんどいないのでは?」「もっとお互いに協力し、統合できないのはなぜ?」等々一つ一つの質問は、素直な疑問として聞くに値するものがありました。私たち一人ひとりが違うように、互いに理解し合い違いを楽しめるようになれば感謝だ、とお答えしました。 
     
 教会生活40数年の最初のころは、「なぜこんなに教派教団の違いを言うのだろうか?」と疑問に思ったことも確かです。やがてビジネスで忙しくそのような関心事もどこかへ飛んで行きました。長い間長老として奉仕しながら、キリスト教会全体の動きについては、小さな窓から見聞きしてきました。その間、ベルリンの壁が崩れるように一歩ずつお互いの壁がなくなりつつあることを肌で感じました。12年前には押し出されるようにして"超教派のJTJ宣教神学校"に行くことになりました。その交わりの中で、色々な教派の方々に出会いながら、もはや教派教団にとらわれない人々が、こんなに沢山あることを知ったのです。自分の教派の神学校ではなく、超教派のJTJに来ていたのです。信仰と勇気のいることです。
  ビジネスをしながら神学校で学ぶ多くの人々は、教派、教団を超え聖書の真理をしっかり学びたいと集まる人々と言っても言い過ぎではないでしょうか!もちろん良い伝統は生かし続けるのがいいですし、その教派でないと出来ないことが多くあります。ですから、今回の宣教150周年記念大会のように、3つのグループが一致を見ながら前進をするようになったことは、画期的であり、大喜びしたい事柄です。PDJミニストリーを始めて5年の中で、小さな窓からチラチラと日本の教会を見聞きするとき、ますます互いに理解し合い違いを楽しめるようになりつつあるのかなと感じられ、感謝です。

「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28 新共同訳)

2009年7月18日    小坂圭吾


2009年7月2日木曜日

今を生きる 「物を大切にする(2)」

       エコ買い替え       
 最近、「エコ」という言葉が頻繁に出てきます。「エコ」というのは、エコロジーの略ですが、自然環境保護運動で人間生活と自然との調和・共存をめざす考え方で使われています。そして、家電製品や自動車について、“エコ買い替え”を促進する国の制度が決まりました。家電製品については、地上デジタル対応テレビ、エアコン、冷蔵庫が対象で、これらを買うとエコポイントが付与されて環境配慮型の商品などに交換できる仕組みです。エコカーについては、自動車取得税の減免制度に加えて、条件によっては補助金が出るのです。
この“エコ買い替え”に対して抵抗感があるのは、「無理をしてまだ使えるものまで買い替えたら、もったいない。廃棄物がたくさん発生する。」という点です。本当に使い切ったものを買い替えるのは良いと思います。一昨年の夏ですが、17年使用したリビングのエアコンをついに買い替えました。当時エアコンといえばMメーカー品といわれたものですが、17年間トラブルありません。この買い替えで毎年悩んだのが、新しい製品は電気使用量が少なくエコになっているのと、しかし、ここで買い替えると廃棄物になることの狭間でした。まだ故障ではありませんでしたが、10年をとっくに過ぎていれば、製品としての寿命は十分使い切ったなと思い決断しました。工事した電気屋さんも「聞いたことが無いくらい長く使いましたね。」のコメントでした。エコ買い替えに対しては、「もったいない」の観点でチェックしてみる必要があります。

          もったいない
 もう10年ほど前になりますが、妻の姉から、義理の兄のあまり使わないがまだ使えそうな服を何着も送ってくれました。古くてもそのことを感じることなく、見てすぐに良い物だとわかります。少しリフォームをしましたが、リフォームのおばさんが「とても良い生地で長く使えるよ!」と褒めてくれました。1着はさすがに使い切って終わりにしましたが、その他の物は毎年着ていますが、古いとはまったく感じさせません。良いものを買うほうが、どれ程よいかを教えてくれた事柄で、この時から考え方が変わりました。
昨年、二番目の息子が「そろそろ、車の車検なのだが、どうしたらいいと思う?」と意見を聞いてきました。車は、9年は経過して約15万キロは走っている。少しだけ痛んでいるところもあるのですが、このように即座に答えました。「もし、ここで乗り換えたら、多分、廃車だろうね。エンジンは問題なし、車体もきれいで頑丈そのもの!まだまだ使えるね。少し調子の悪い部分を修理し寿命を使い切らないと、もったいないね!」彼は、親父のこの話を聞いて「友人もそう言っていたね。やはり、そうするか!」と言って今もその車に乗っています。

      もったいない傘  じめじめした蒸し暑い梅雨が続きます。6月11日傘の日、“MOTTAINAI傘プロジェクト”が始まると新聞で読みました。日本の年間傘消費量は、約1億3,000万本と世界一だそうで(日本の人口と同じ数字に驚き!)、その中の約9割がビニール傘と言われています。この大量のビニール傘はどこへ消えたの?電車の中やホテルに忘れられた、風雨の強い日に壊れ捨てられた、家やオフィスの傘立てに溜まっている傘・・・・忘れ物や落し物として回収され不要となった傘。“これぞもったいない”ですね。この問題を何とか、解決したいと立ち上がってエコの活動をしようとの意図です。たかがビニール傘というほんに小さなことですが、日本全体で見れば大きな問題です。私たちの身の回りの事柄で、エコにつながることは、まさに小さなことばかりですが、そのことが積み重なることによって大きな事柄の解決へとつながっていくのです。千里の道も1歩からのことわざにもあるごとく、地道な活動が求められています。

「ごく小さな事に忠実な者は、大きなことにも忠実である。」(ルカ16:10 新共同訳)

2009年7月2日    小坂圭吾

2009年6月18日木曜日

今を生きる 「物を大切にする(1)」

      自動車産業の原罪
経営危機に陥った米自動車産業首位のゼネラル・モーターズ(GM)が、破産申請をしました。一度破産をして新生をはかるのですから“破産新生”という言葉が合うように思います。80年間覇者のなしてきたことは、覇者の偉業というよりは、「驕る平家は久しからず」を思い出させます。まさに「覇者の驕り」として、人類にとってプラスはあったとはいえ負の遺産を多く残しました。自動車は、人々の自由な移動を可能にしましたが、交通事故を起こし、二酸化炭素を排出し地球温暖化、環境へのマイナス影響が多大です。そのことに対する経営としての取り組みが極めて弱く、ガソリンをガブ飲みする大型車を作り続け、燃費の向上についての開発投資を怠り、利益追求に血眼になった米自動車産業の実態です。

やがてこの日が来ることを予感し“破産新生”しかないと思っていた人々が多いと思いますが、オバマ政権が慎重に事を運んだことに拍手をおくります。自動車産業が誕生して生んだ多くの罪、交通事故と環境への負荷という「自動車産業の原罪」とも言うべき事柄ですが、それをあがなうべく交通事故や環境負荷のない車開発に努力を傾けてほしいものです。
            地球温暖化 
今年も地球温暖化を思わせる現象がまま見られます。20年ほど前と比較しますと、春らしい穏やかでさわやかな日がほんとに少なくなりました。緑と花の素晴らしい春には違いありませんが、温度がすぐに夏日の気温になり、衣替えといえば6月との意識が、今は5月の連休から半そで姿になることもしばしばです。

過去100年間に、東京の年間平均気温が3℃も上昇したのは事実ですし、中小規模都市も1℃上がりました。年間平均1℃上昇ということは、1年間に365℃分の上昇になります。春から夏、秋にかけての気温を見ますと、平均よりも高い日もあれば、低い日もあります。高い日は、平均より5℃高いとすれば、365℃を5℃で割ると72。すなわち、平均よりも5℃高い日が72日間、2ヵ月半あることになります。5月の素晴らしい気候は、20℃―23℃くらいがほどよい温度としますと、5℃高いと25℃―28℃と夏日になります。このような日々が春から秋にかけての半年間ですと、平年よりも高い日が少なくとも1ヶ月強はあるということになり、暑い日が多く見逃せない温暖化現象です。
 
         物を大切に
  地球温暖化を防ぐために私たちが出来ることは、身近に色々あります。ある日曜日のスモールグループで、世界的な経済危機の話から「物を大切にしなければね!」という話になり、Yさんが「今でも新入社員の頃に買った服が3着ほどあり、生地がとても良いので大切に着ていますよ」との話しでした。もう50年も前のものです。確かに生地の良いものは、少しも古さを感じさせません。使い捨てでなく、大切にして使い切ることなのです。
 私の場合、効率主義の中に身を置きそれなりに毒されて、長持ちするものよりも、そこそこに良いもの買い、そこそこに使い新しいものに買い換えることの考え方が強く、使い切るまでの気持ちは少なかったと思います。妻もしばしば、「ほんとに良いものを長く使ったほうがいいのでは?」と何度も言ってくれたのですがー。それでも、30年ほど前に買ったスポーツ用のジャンバーは、生地も色もしっかりしていていまだに使っています。物を大切にする気持ちは持っていたつもりですが、深く考えた行動ではなかったと思います。
 
  GMの驕りに始まり、地球環境の温暖化、そして物を大切にと書いてきましたが、そこに流れる問題意識は、「自分さえ良ければいい」との考えが、多かれ少なかれあるのだなと感じます。「俺の考えるようにするまでだ」というほど強烈な高ぶりや自分勝手ではないかもしれません。もう少し視野を広く、深く、他の人々のことまで含めて考えるなら、やはり考えが浅く、気がつかない中で「自分さえ、自分たちさえ良ければ」になっていたのです。聖書の教える愛の言葉、その深みを思わされます。

「愛は自慢したり、高ぶったりしない。無礼なことをしたり、自分さえよければよいとは考えない。」(コリントⅠ 13:4-5 現代訳)

2009年6月18日    小坂圭吾

2009年6月4日木曜日

今を生きる 「男女の違いを認める(2)」



      男と女はとにかく違う!
 今朝こんなヘマなことをしました。「僕のヨーグルトはどこにあるの?」妻はおいしそうにヨーグルトを食べていますが、私の分はテーブルのどこにあるのか、色々なものが置いてあるのでパット目には見つかりません。「目の前にあるでしょう!」「ウムー!」またある時こんなこともありました。私が「冷蔵庫にジャムが見つからないね?」と尋ねます。「ほら、ここにあるじゃない?」「ウムー」こんな経験は、どこの家庭でも男女の間に見られる光景だと思います。女は、視野の範囲が広いので冷蔵庫や食器棚にあるものをひとめで見渡すことが出来るのですが、男には見えないので、ゆっくり探さねばなりません。
 現在の日本では、結婚した夫婦の半分が離婚するとの事です。その理由に「性格が合わない」というものがありますが、夫婦は性格ばかりか色々と違うのは当たり前なのです。ちなみに、30-80歳代のご夫婦10数組について、長い間付き合ってよく知っている方々を思い浮かべて見ますと、ほんとに違うなと思います。男と女は、性格、考え方、感じ方、決断の仕方、行動の仕方がまるで違います。

       知らないことの失敗
 私たち夫婦も、何が似ているだろうかと探さなければ分からないほどです。よく知れば知るほどに違うのです。感謝なことに、信仰の土台だけは一致して同じです。学生時代から今日まで同じ教会に導かれ、育てられ、奉仕をしてきました。男女の色々な面が違うことがわかってきてから、妻の意見を聞いいてみようという姿勢になっています。男の見方・感じ方、女の見方・感じ方が違うことをお互いに知っていますので、よい意味で話が広がります。
 それにしても、男と女の違いをよく理解してないためにかなり失敗をしてきました。たとえば、時々妻の買い物に付き合うのですが、しばらくするといらいらしてきます。さっさと決めたらと思うのですが、なかなか決めない。ところが、夫の買い物に対しては、「これが良いでしょう」と感性が鋭く、早い結論に驚かされます。二人の違いが分かってからは、買い物は別々に済ませるか、付き合っても、私は他のところをぶらぶらと見て最後に合流することにしています。またこんな例もあります。教会の色々なことについて話していると、私はとかく分析的な内容に話が傾き、妻は感情や人間関係に焦点を合わせた内容となっています。「今は、分析的な話は必要ないのよ」と言われるたびに、いつもの私の癖だなと何度感じたことでしょう。また、妻の話を聞いていて、何か解決策を出そうとする自分に気づくことがあります。ただ聞いてほしいだけと言われることもしばしば、少し改善はされてきていますがー。
       神様の創造
 男と女の違いは、肉体的特徴の相違、性格や心理の相違、別の切り口で思考や感情、態度の相違等色々な面が考えられます。神様は、最初に人間を男と女にお造りになったという創造の原点にさかのぼることが必要です。神様が最初に男をお造りになり、次に男のために「ふさわしい助け手」として女をお造りになりました。この「ふさわしい助け手」というのは、男性にとっても女性にとっても、それぞれに助け補い合ってくれる存在という事です。「助け補い合って」が鍵ですが、そのことによって社会的使命、個人的使命を果たし、神様の栄光を表していくのです。助け補い合う仲ですから、足りない点や違う点が多くあるのは当然と言っていいでしょう。ビジネスにおいても教会の働きにおいても、男性だけで良い働きが出来るわけではなく、やはり女性の方が入ってチームを組んでこそ良い働きが出来ることは、誰しもが経験していることです。神様は、男と女の違いを認めて協力して働くようにと言われています。お互いを良く知ってその持ち味を生かすことが出来れば、家庭でも教会でも仕事でも、健康な人生を送ることが出来るに違いありません。その方が楽しいことも事実です。
     
「神のご計画の下にあっては、女は男無しには生きられないし、また、男も女無しには生きられない。女が最初、男から造られたように、男も女から生まれてきている。このように、相互に依存しあっているだけでなく、人間は、男も女もすべて神によって造られた者たちである。」(コリント第一 11:11-12 現代訳)

2009年6月4日    小坂圭吾

2009年5月20日水曜日

今を生きる 「男女の違いを認める(1)」

     ロダンの彫刻
 ロダン作の有名な彫刻「考える人」を実物あるいは写真等で見られた方は多いかと思います。これは男性の象徴で、ひとり腰を下ろし静かに考え事にふけりたいものです。一方、女性はといいますと、こんな姿を見かけることはめったにありません。面白い人が、こんな表現をしました。「ロダンが女の彫刻を作ったら、タイトルは何だろうか?きっと『しゃべる人』に違いない。」なるほどと思います。これが象徴するように、男と女は大いに違うのです。神さまは、創造の始めに人を男と女に、役割の違うものとして造られました。しかし、男と女が違うことをどれだけの人が正しく理解し認識しているでしょうか?聖書には、色々なところに男と女の違いについて書かれており、それなりに理解をしていることと思います。しかし、男と女の思考、態度、感情の違いについては、あまり理解されていないように思います。経験上は分かっていても、それを認識して自分の行動まで生かせるところまで至っていません。お互いに色々と違うことをしっかり認めることが必要だと思われます。

        子供の姿
  子供の姿についておもしろい話を聞きました。小さい子供に画を書かせると、男の子は、物を中心に描くことを考え、女の子は、人物を描きその中に関係を求めて描きます。そういわれれば、孫達の絵はそうなっているなあと思います。赤ん坊の場合ですが、女の赤ん坊は人の顔をじっと見つめ相手と目を合わせる時間が長く、男の赤ん坊は動くおもちゃを喜んで長く見つめています。男の子は物とその仕組みに、女の子は人とその関係に興味を持ちます。“ままごと遊び”は、女の子がする遊びですが、ここに関係を重んじる姿が見られ、母親になり、おばあちゃんになってもその姿は変わりません。人と人との絆、つながりを求め一緒に歩むことは、女性が圧倒的に得意分野です。大家族の姿を良く観察しますと、その中心は、母親であるか、おおばちゃんであるか、どちらにしても女性がつながりをつけているのです。

      男と女の違いについて
  ある時、男と女の違いについて少し理解を深める必要があると感じて、「話を聞かない男、地図が読めない女」―男脳・女脳が「謎」を解く-(アラン・ピ-ズ、バーバラ・ピーズ共著)を読んでみました。すると、今まで女性について正しく理解してないためにトラブルになっていたことを多く発見しました。特に夫婦関係においてよく出くわす事がらや、教会の姉妹達と交わりをしている時に出くわす事柄について、「そうだったのか!」と目からうろこが落ちました。この10数年ほどの間に脳の働きの研究が盛んになり、男と女はその脳の働きが違っており、男と女の違いをめぐる多くの疑問が分かってきました。一時流行語のようになった「地図が読めない女」については、それこそ多くの人が経験しています。要するに、地図を読んで理解するには空間能力が必要で、これは男性が圧倒的に優位で、女性の方が劣るからだそうです。コミュニケーションついては、女性が文句無く強いのです。言葉、顔の表情や手の動きといったボデイランゲ-ジを使って、女性は男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているといわれます。

  先日、あるコーヒーショップで何気なく周囲を見ていると、一組の若い男女の方が語り合っていました。ふとしばらく観察したところ、先ほど述べたように女性はボデイランゲ-ジを使い、男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているのです。これは身近な一例ですが、女はおしゃべりであるとは、確かに実証されているようです。脳の働きにおいてもまったく違うのです。コミュニケーション能力、言語能力が求められる分野では、女性が圧倒的に強いといわれるゆえんです。

  神様がご自分に似せて、男と女とを創造されましたが、その男女の違いを知れば知るほど、こんなにも素晴らしく創られたものだと感嘆させられます。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記1:27 新共同訳)   (続く)

2009年5月20日    小坂圭吾

2009年5月11日月曜日

感謝 「どんなことでも感謝する(1)」

       PDJブログ1年
“PDJブログ”を書き始めて1年、月に2回を目途に書いていますが、意外と追いかけられます。2年前に『PDJレポート』として出発し、一段落したところで“PDJブログ”として再スタートしました。「PDJブログを読んでいますよ!」とメールや電話あるいはお会いしたときに声をかけられると嬉しいものです。少しは役立っていることに感謝しています。PDJブルグでは、①私たちの生活のあらゆる視点で、神様の言葉が生きている ②特に“人生は人とのかかわりが重要だ”という視点を欠かさない これらの視点、軸がぶれないように気をつけて連載していきます。読まれる皆様は、どの様に感じておられるでしょうか?

        感謝なこと
書き始めて良かったことは、とにかく勉強させられ、得ること多いことです。世の中のスピードが速くなり、色々なことが変わりました。その間、PDJの方向性もはっきりし、私自身も色々な面で変化させられました。新しい書籍を出し、PDJブログを書きながら、聖書の教えを広く、深く体験させられている自分を発見します。天国を目指す旅人である私たちは、生涯成長し続けたいものですが、変化していく過程こそが重要であると思います。ブログを書くためには、常に色々と情報を集め、考え、体験をし、他の人と分かち合いを通してアドバイスが与えられ、書くことが練り上げられます。ブログの写真は、デジカメで全て撮影したものです。何となくシャッターを切ったもので、感動するものがときにあります。

       感謝とつぶやき
 先月始め(4月5日)、JTJ宣教神学校の岸学長が、私たちの教会の礼拝に参加されました。1階ロビーで受付の一員をしていましたので握手をした後、即座に歩きましょうと言われて、ご一緒に6階礼拝堂まで階段を登りました。お互いに健康のために、運動が欠かせないこと、週に3回くらい体を動かしていることを確認したのです。
その後、先月中旬(4月16日)に“まさかの出来事”に遭遇しました。その日は一日スポーツをして「今日は少しバテ気味だな。ちょっと右足が引きつるな」と思い、お風呂に入り揉んだところ直りました。しかし、腰がだんだんとおかしくなり、夜には腰痛だとわかり、3日間はさすがに痛かったですね。整形外科でレントゲン撮影を取り、腰をひねって痛めただけで、特に悪いところなしと診断されました。鎮痛剤のお世話になり、まずまず直るには10日間は要しました。今から5年前の5月に、初めて“ぎっくり腰”をやったことがあり、そのときは早くに回復しました。
今回は、健康管理に気をつけていた中での“まさかの出来事”で、気をつけても起こるのだと、状況を受け止めました。腰痛になったことを通して「見えないことが見え、感謝することが多いな」と思ったのです。周りに対して文句よりも感謝の気持ちが多く、元気な時は色々とうるさいことを言う自分に気づかされました。青葉若葉の5月、木々の色にしても毎年こんなに元気で美しいのかなと思ったのも不思議です。一日一日と癒されることが、手に取るように分かりますので、嬉しいやら感謝でした。

腰痛になり2週間あまりは、感謝な事が多かったのですが、5年前と違い2週間経過してもスッキリと完治しません。口内炎ができたり、違うところが少しおかしくなったりでついつい愚痴、つぶやきが出て来ました。今までの感謝も吹き飛んでしまったのでしょうか?ほんとうに痛くて困ったときは、つぶやきはなかったのです。もう直ってもよいのにと思う私の自分勝手が、つぶやきにさせていることに気がつきました。「つぶやかず疑わずに、主を信じて行動しなさいと聖書にあるよ!」と家内のひと言が、つぶやきをきっぱり止めようと決心させ、元気が出て来ました。
今回のテーマは“感謝する”でしたが、思わぬことが起こり、“感謝とつぶやき”を書くことになりました。読んでくださり感謝します。

「どんなことでも、つぶやいたり疑ったりせずに行ないなさい。」(ピリピ2:14 現代訳)
「すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケⅠ 5:18)
        
2009年5月11日    小坂圭吾

2009年4月23日木曜日

喜び 「人生は一緒の方がいい(1)」

      一緒に     
昨年11月、次に出す新刊「Better Together」なる本の編集・翻訳を行なっていました。本のタイトルについては、いつもあれかな、これかなとデイレクターと一緒に悩みます。彼は、「Better Together」を本文の中で“人生は一緒の方が良い”と訳していました。「このままをタイトルに使うほうが良いのでは?」と仮決定しました。そして、数ヶ月熟成期間を置くことにしたのです。その後、NHKの紅白歌合戦のテーマが「ひとの絆」となっており、人と人とのつながりを意識した演出を目指し、キャッチコピーは『いっしょに』であることを知りました。何人かの人から、それとなく意見を聞き、「“一緒の方が良い”は堅いので、“一緒の方がいい”にしたらどうだろう」との話になり、「人生は一緒の方がいい」に決めました。

      多くの人に支えられて
  PDJもこの4月で丸5年になり、今までに約10冊刊行させていただきました。一冊の本を出すには、何が必要で何を翻訳するかの企画に始まり、翻訳、編集、校正、本のタイトル、装丁、イラスト、カバーデザイン、チラシ、広告に至るまで一回一回が勝負です。年に単行本2冊を刊行することを目標に出版をしておりますので(重刷りを入れれば年に4-5冊ですが)、1冊1冊丁寧に仕上げております。PDJの役割として『スモール・グループに役立つ書籍を提供する』ことを常に考えながら、企画を進めています。ところで、1冊の本を出すに当たって、どのくらいの方々が協力してくださっているのかを考えてみました。映画で最後に製作に携わってくださった方々の名前がずらずらと出てきますが、あのイメージです。いやあ、実に多くの人々に支えられて、1冊の本ができるのだと実感します。これらの方々との関係・交わりの中から、次の本の方向性が決まる、本のタイトルにヒントを頂く、表紙のデザインが良くなる、チラシのデザインにアイデアを頂く、キャッチフレーズが新鮮になる、広告に良いタイミングを得る等々です。一人で出来る事は、ほんにわずかな事だなと思わされます。
     
        神さまのご計画 神さまは、私たちが一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と“一緒に生きる”ことが神さまのご計画です。二人は一人に勝るのです。
“一緒に生きる”とは、交わりを持ち、その友情を深めることです。聖書が教える「愛に生きる」ことであり、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。
「人生を導く5つの目的」を始めて読んだ時、私に衝撃を与えた事柄は、“神は、関係こそ人生のすべてであると言われる“という箇所でした。“人生のすべてであって、一部ではない”ということです。神を愛し、人を愛することの二つが、最も大切なことと理解しているとはいえ、“関係こそ全て”という具体的なレベルで実行できているか、その認識もきわめて弱かったのです。私たちの人との関係は、毎日のスケジュールの中で、無理やり後から押し込む、後回しにしている現状があります。人のために時間を作る努力をしているとはいえ、優先順位の初めに来ていません。優先順位が高いことは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができますが、その時間がどれほど少なかったことでしょう。
“関係こそ人生のすべてである”ということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。その結果、「友はいますが親友がいません」という状態から、「正直に話ができる親友がいます。色々と教えられ、私からも遠慮なくアドバイスもします」という状態に変えられました。神が与えてくださった恵みです。なるほど、“人生は一緒の方がいい”と、小さな経験ですが答えることができます。

「あなたがたが初めから聞いている通り、神の命令とは、愛に生きることに他なりません。」
(ヨハネの手紙第二 1:6 NCV)

2009年4月23日    小坂圭吾

2009年4月4日土曜日

今を生きる 「がんばる、がんばり過ぎない(2)」

   WBCで侍ジャパン優勝     
 野球の世界一をかけた第二回WBCで「侍ジャパン」が2連覇を飾りました。決勝戦が行なわれたのがロスアンゼルスのドジャースタジアムで、一度訪れたことがありますが、当時野茂選手が練習をしていたのが、記憶に残っています。日本中が熱気に包まれ、「侍ジャパン」が試合ごとに強くなり、チーム一丸となっていることがテレビ観戦をしていて感じます。チームリーダーのイチローが不振を極めましたが、最後は決勝打を放ちました。仕事師イチローは、にこりともしなかったその姿には、単なるガンバリを越えた何かを感じさせました。「個人的には想像できない苦しみ、つらさ、痛覚では感じられない痛みを感じた。ひとつ壁を乗り越えた気がする。」そして、彼のはじける笑顔を見ることが出来ました。原監督が我慢と信の一念で、不振のイチローを一番に起用しグランドに送り続ける様もまた圧巻というべきことでした。

      自分に打ち克つ
 このWBCの優勝は、不景気で沈みがちな日本中に、勇気と感激、感動を与えてくれ、日本列島が熱狂しました。あれから10日間あまり経過しましたが、あの様子を見るとその感動はよみがえります。イチローの姿を見ていると“頑張る”と言う言葉の意味を『自己と戦い打ち克つ』ことと捉える事ができます。私たちの人生の中で「嫌だなぁ~。辛いなぁ~。苦しいなぁ~」等の思いが起こり、ともすれば弱気になってしまう自分に気づきます。「もう良いよ」「投げ出しちゃえ~」とささやきかけるもう一人の自分、誰もがそんなもう一人の自分に打ち克とうと努力したことがあるはずです。「嫌だ、辛い、苦しい」等と思うこと全て自分自身であり、一番怖い敵は、私の心中に潜んでいる自分自身なのです。そのことを知り、そんな自分を認めることが、自分自身に打ち克つことのできる出発点のように思います。とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみることだと、先輩方の声が聞えてくるようです。それで乗り越えれる人は、それで良し、それができない人は、どうしたらよいのでしょうか?

     がんばり過ぎない
 私の若い時代ですが、クリスチャンとして“信仰を持ってがんばる”ことを強く教えられたものです。信仰をもって努力する、がんばることが、何か自分に合うといいますか好きでしたので、そのようにしてきました。(別に好き嫌いの世界では無いように思いますがーーー。)がんばりのDNAを持った日本人クリスチャンは、“信仰を持って”がんばると言いながら、いつのまにか“とにかくがんばる姿”に変わっていることがあります。とかく陥りがちな私たちの姿です。色々なことが気になり、心を配りとにかく遣り抜こうとする姿です。素晴らしいことですが、神さまとの関係を見失い自分中心になっている姿に変わっているかもしれません。がんばり過ぎてやがて疲れ果て、忍耐もできず「もうがんばれない」となるのです。
 
 若い頃には、“信仰によってがんばる”ことで何とか切り抜けることもできます。体力と気力があるときは、出きる事が多いかもしれません。やがて、何とか“自分でがんばる”ことから脱却したいと思うようになります。“神にゆだねる”事が必要だと気づいてきます。しかし、どのようにすることなのか最初はよく分かりませんでした。楽天的なタイプの私ですが、思い煩いは意外とあります。「あまりがんばらないで、そんな時こそ神にゆだねなさい。」と人は言って下さり、妻も何度も言ってくれましたが、それが分かりません。「神様、これを何とか切り抜けることが出来るよう力を与えてください。」この祈りしか出来ないのです。次第にどうすればいいのか少しずつ分かってきます。「神様、いま思い煩いでいっぱいで、いらいらしています。あの事、この事、色々とどうしようかと不安です。どうしたらいいのか、必要なことを教えてください。」真剣に今の状況を祈ることだと少し分かってきます。そうすると、イライラ、不安が少しづつ解消してくるのです。成るしかならないのだから、今はこれだけをやる。あとのことは、神様が最善にしてくださるだろう。その時になって、祈って考えるようにしようと訓練されてきました。自分でがんばり過ぎないで、“神にゆだねる”ことが少しわかってきております。

「何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあれば、どんなことでも、それを聞いてくださる神に、感謝の心を持って、申し上げるがよい。」(現代訳 ピリピ4:6)

2009年4月4日    小坂圭吾

2009年3月18日水曜日

健康余話 「心と体の健康(3)」

       沖縄の長寿神話が崩れる
 沖縄といえば、長寿世界一を誇る島として名前が知られています。今から2年前、義理の弟の病気見舞いで沖縄に行きました。その親族Kさん(70歳代)と夕食を食べながら話しているときに「今や長寿の島ではなくなっている!」とその現状を話してくださいました。そのKさんの顔つやのよいことは言うまでも無く、その秘訣は畑仕事に精を出しておられました。沖縄には米軍基地があって良いこともありますが、米国人の食事や生活習慣が、地元住人とりわけ男性に大きな影響を与えている由。ファミーリーレストラン、マックをはじめ高カロリーな食事に加えて、自動車の普及が運動不足を誘っている。このため、心臓病やがんによる死亡を急増させ、特に60歳以下の沖縄男性の死亡率が高い。結果的に、沖縄男性の平均寿命は国内では25位となっているのです。しかし、女性の長寿世界一は、現在も変わりません。女性の方々は、低カロリーで塩分控えめな沖縄式食生活に、毎日心がけておられるのでしょう。

       食こそ健康の基本
 貝原益軒は、『養生訓』の中で健康のためにはいかに飲食が重要であるかを詳細に述べています。彼の生きた時代は、江戸時代元禄期で爛熟した元禄文化を享受した時代です。現代と同じ飽食の時代であり、そこから発する知見は、歴史に耐えかつ訴えるものがあります。
「飲食は人間の大きな欲望の一つであり、口や腹が勝手にほしがっているものである。口や腹がほしがるままに食べすぎると、度をこして必ず内臓がこわれ、さまざまな病気をひきおこし、命を失うことになる。」「食べ物はすべて淡白なもののほうがよい。味が濃いものや油っこいものはたくさん食べてはいけない。‐‐‐‐肉も一品でいい。野菜などのおかずは一、二品にするといい。肉を二品食べるのもいけないし、多量に食べるのもいけない。」「珍しいものやおいしいものを食べるときでも、腹八、九分目でやめておいたほうがいい。腹いっぱい食べると、後で害がある。」(貝原益軒『養生訓』より、現代語訳)

あまり肉を取りすぎず、淡白な食べ物それは緑や黄色の野菜類を多くするように、そして食べ過ぎないようにと勧めています。現代人がとかく高カロリー、高蛋白の肉、魚、卵などを多く食べることに対して、食べ過ぎないよう“腹八分にすべし”と減食主義と勧めています。特に中高年にとっての食べすぎは、要注意です。日本人の白米食は江戸時代に流行し、玄米から白米に変わり、一日2食から3食の習慣になりました。玄米の時代は、2食で足りたのですね。もう20年以上も前ですが、教会で玄米の素晴らしさを教えられ、我が家に玄米を取り入れました。私の子供の頃は、精米をしている所を見ながら遊んでいました。米は玄米が一番の宝で、精米をすればするほど、その宝を捨てているのだと子供心にわかっていたのです。玄米食に慣れていない方は、胚芽米や七分付きの状態にしてその他の穀物などと一緒に炊くと、ほんとに美味しく食べることが出来ます。

      腹八分目に病なし
先日、NHKの番組を見ていましたら、お笑いタレントの伊集院光さんがゲストに出ていました。彼は、一時体重が150KGになった時、ダイエットをして95KGまでに4ヶ月間で減量したそうです。そのときの秘訣は、①食べないで腹8分目にする②運動は水泳とウオーキングを心がけたとのこと。“腹八分目にする”ことが、こんなに効果があるのだということを知りました。現代にも残っている“腹八分目に病なし”ということばは、貝原益軒の考え方からきていると言われます。“腹八分目”と言っても人によって差がありますが、お腹に少し余裕をもたせて食べることくらいに考えるのがよいのでしょう。私たちは、食べ過ぎ、栄養を取りすぎることで色々な病気を起こしています。口や腹がほしがるままに食べると、度をこしてしまうという“絶えることの無い誘惑の力”に打ち勝つことが必要です。「自制」という徳目を身につけることが求められます。いつも腹八分、九分目で生活するとすごく快調です。しかし、自制心を忘れて失敗しても、またこの大切なことを思い起こして“腹八分目”を心がけていると習慣になるようです。食べ過ぎの誘惑に陥らないで、自制する良い習慣を身につけたいものです。

「自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。」(ガラテヤ6:1)

2009年3月18日    小坂圭吾

2009年3月4日水曜日

今を生きる 「がんばる、がんばり過ぎない(1)」

  「100年に一度」の経済危機
「100年に一度」の経済危機と言われ、世界経済が坂を転げ落ちるように下落の一途をたどり始めて半年以上になります。世界各国の経済は確かに嵐が吹きすさんでいます。ヨーロッパ、ロシアそしてアメリカの経済の落ち込みぶりは、当然ながらひどいようです。日本経済は、メデイアの報道だとかなり危機的かなと思い込みがちですが、各国と比較するとまだましな方です。ともあれ、資本主義の行き過ぎた事に対して、全世界においてブレーキがかかっています。中東産油国特にドバイではバブルに浮かれ人工島や世界一高いビルを建設し、少し行き過ぎだと思っていましたが、案の定ストップがかかりました。原油もピークの4分の1まで落ちました。全世界で自動車や電機業界は激しい落ち込みですが、自動車について言えば、「国内では、車はこれ以上増えて欲しくない」と思っている人が多いのではないでしょうか?地球温暖化が進み、今年の春はまさに異常!温暖化に対しての色々な施策や技術が開発されていくことを願います。行き過ぎの大いなる是正は、経済学で言う「見えざる手」のわざ(神のご介入)として、正常になる良いチャンスです。

         日本人の好きな言葉“がんばる”
「100年に一度の危機」ならば、「100年に一度のチャンス」と捉えることもでき、ここは“頑張る”時でもあります。とかく、我慢する/耐える/頑張ると言う気持ちを失わせる様なことが多々あり、社会全体が転げ落ちるように悪い方向へと行きつつあるように感じます。データに基づいてお話をするまでも無く、私たちの実感です。このような中でこそ、知恵を出してやり抜く、頑張る時代なのでしょう。私たち日本人の好きな言葉“がんばる”について、大辞林の辞書を引きますと〔 頑張る:困難にめげないで我慢してやり抜く 〕とあります。
この言葉で思い出すのが、2000年9月のシドニー・オリンピックにおける女子マラソンの高橋尚子選手です。過酷な訓練で心と体を鍛え上げ、オリンピックの大舞台という重圧の中、42キロを終始安定して走り抜きました。「すごく楽しい42キロで、自分の体と相談し対話しながらだったので、緊張というより集中していました」と走った直後のインタビューで淡々と語るさわやかな姿!走ることが好きでたまらない彼女は、マラソンあるいは陸上競技という一見暗い辛いイメージのスポーツを実に明るいものにしてくれました。「自分の体と相談し対話しながら集中し」かつ臨機応変に走る高橋尚子選手は、“頑張っているとは感じさせず”に楽しく走り抜いていたのが、強烈な印象として残っています。
        “がんばる”のギアチェンジ
私たちの人生は、この地上から天国というゴールを目指してのマラソンと考えることが出来ます。人生80年、90年の長距離マラソンですから、それなりの心構えが必要なように思います。私たちの毎日は、多忙で色々なことに追いまくられており、自分で追いまくっていると考えられる方は、案外少ないでしょうか。とにかく頑張る事に精を出している毎日かもしれません。「がんばる」という言葉が好きな日本人は、働き志向、がんばり志向の強いDNAが、親から植え付けられているのではないかと思われます。テレビのインタビュー等に出てくるスポーツ選手の言葉ばかりでなく、色々な場面で「‐‐‐頑張ります」の言葉がしばしば最後についてきます。ビジネスにおける私も「がんばる私」であったように思いますし、20世紀の日本人はとにかく頑張って生きてきたように感じます。特に「若い時は頑張らなくてどうする!」との声が聞こえてくるようです。
私たちは、とかく快楽な方へ安易な方へ楽な方へ自然と流されていきがちです。(私もそんな一人です。)ですから「さあ、頑張ろう」と自分に気合を入れることは確かです。昨日もある本を読んでいて「覚悟を決め、自分の役割に徹しないといけない!」と気合が少し抜けていたかなと教えられました。そんなとき、気合をどのように入れるかが大切なように思います。「がんばる」ことは素晴らしいことです。トップギアにいきなり入れるのではなく、車であれば、「まずローに入れセカンド、サードそしてトップギア」に入れる様に、ゆっくりと速度を上げていく。「がんばり過ぎない」様にギアチェンジをうまくやりながら、ときには速度を落として、目標を目指し一心に走り抜きたいと思います。

「私は、ただこのことに励んでいる。つまり、後ろのものを忘れ、前のものに向かって前進しており、キリスト・イエスによって私たちのために用意されている神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っている。」(ピリピ 3:13-14 現代訳)

2009年3月4日    小坂圭吾

2009年2月19日木曜日

今を生きる 「良書を繰り返し読む」

     アメリカ歴代大統領
  今年は、リンカーン米大統領の生誕200年に当たるそうです。彼は、奴隷解放を宣言し、南北戦争を戦い抜き、国家分断の危機を乗り越えてきました。人々が敬愛するリンカーン大統領が就任式の宣誓に用いた聖書、オバマ大統領はそれを先月の就任式で使いました。200年もしっかり保存されていることに、さすがだと思わされました。オバマ大統領の就任式での開会の祈りを、リック・ウオレン牧師がされました。オバマ大統領の演説は、世界的な不況の中で我々に希望を与え、共に仕事を成し遂げようとの力強い内容で、これから卓越した指導力を期待しましょう。太平でない時代、内外に困難山積の時代に就任したアメリカの初代大統領ワシントン、16代リンカーン、32代ルーズベルトは、卓越した指導力を発揮した人々です。一方、景気が良くて人々が浮かれている時代の大統領は、ほとんど忘れ去られたおり、何か考えさせられます。

     愛読者カードより
  「人生を導く5つの目的」を読まれた方々から、多くの愛読者カードを頂いています。20代から70代まで、さまざまな立場の方からのご意見、ご感想です。困難な状況にある中でこの本に出会い、教えられた、救われたとの感想が、特に目立ちます。
 「リック・ウオレン師の本書に出会ってから、ちょうど私も仕事上の悩みを抱えていた時でもあり、礼拝に出席する気持ちになり、神様に奉仕することがどれほど素晴らしいかを理解できるようになりました。本書からいただいた大いなる恵みに感謝します。」(男性)
問題が山積し、落ち込み、悶々としている中でこそ、心に響く言葉が、アドバイスが入ってきます。風を切って歩いている、特段問題も無く歩んでいるような中でのアドバイスや、これはという言葉は、ほとんど入ってこないものです。「苦労は買ってでもするものである」とのことわざがありますが、苦労、困難の中にあってこそ人は磨かれていくもののようです。

先日、教会に来られた方が、「5つの目的」の2回目を読んでいると言われました。困難な問題に直面しているときでもあり、読むごとに心に入ってくることが色々とおありだったようです。そのときに「1章読まれたら、是非、章の最後にある“考えてみましょう”について、ペンを取り書いてみてください。」とお勧めしました。彼は、「確かに読んで素晴らしいと思っても、そのままだとすぐに流れてしまいますね」と同感してくださいました。実は、書いたものを後で読み返すと、自分の心の成長もわかります。
 「この本を読んでいる段階で、この本に書いていることが日常生活で同時に起こっていて、体験をしつつ、本の内容が日ごとに深みを増して、実生活に役立ち適用できることがよくわかりました。この本の宝を生かしていきたいと思います。」(女性)    
この方は、読むばかりでなく、自分のものにしておられる感じがします。


      人生に関する本の読み方
 本の読み方については、①速読(時間がない時、大量の情報の中からポイントを絞り読みたい時) ②通読(基本的な読み方、初めから終わりまで通してサラッと読む) ③熟読(ペンを持って重要な所に線を引き、考えながら読み込む)が代表的なやり方です。聖書を読むやり方は、最初のころは通読、それから熟読そして繰り返し熟読する方法ではないかと推察します。デボーションは、まさに熟読そのもの。そして、「これだ」と言う本を“繰り返し読む”ことの大切さを、最近、強く感じています。読む先に忘れてしまう私ですが、多くの方が、次々と本を読んでも忘れてしまうことが多いのではないでしょうか?良い本に出会うこと、「これだという本」を見つけて、何度も繰り返して、自分への適用を考えながら読む。環境や年齢の変化によって、その都度内容や伝わってくるものは違います。人生に関する良書を通して、その著者の経験を分かち合っていただき、共に人生を体験することができます。著者の体験を通した洞察や困難な状況を乗り越えた経験則は、私たちの目を大きく開いてくれ、助けとなります。
 ともかく、「これだと言う本」を繰り返し読むことについては、1年に数冊読めれば良いのでしょう。心の実力をつけるために、ゆっくりと、繰り返し読む人生に関する良書を積み上げていければと願っています。

「あなたがあれほどの経験をしたのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょう。」(ガラテヤ 3:4)
2009年2月19日    小坂圭吾

2009年2月3日火曜日

健康余話 「心と体の健康(2)」

      咳エチケットのマスク
昨今、町を歩いたり、電車に乗るとマスクをしている方が多いなと感じます。寒いのが苦手な私は、早くにマスクをします。花粉症の頃になるとマスクは必須で、花粉症の人は10年前も多かったはずですが、その頃はマスクをする人は少なく、ちょっと気恥ずかしい感じでした。今年は、マスクをしている人が多いのに驚きです。インフルエンザや花粉がもはや飛んでいるからでしょうか?今年の風邪は“咳(せき)の風邪”といわれ、私も昨年のクリスマスに咳風邪にかかり、直るのに2週間ほどを要しました。咳やくしゃみをするとそのしぶきが飛び、1回の咳で飛散する飛沫粒子は約10万個、くしゃみで約200万個とも言われます。そこに沢山のウイルスが含まれていて、それを吸い込んで感染するのです。昨年の暮れに、孫から妻にそして私に感染しました。結婚して初めて風邪をもらいました。マスクは、感染の拡大を防ぐ「咳エチケット」とでも言うことが出来ます。

      ストレスが色々な不健康のもと
 「養生をするには、まず心気を養うことである。心と気をおだやかにし、怒りと欲を抑え、いらいらや心労を減らし、心を苦しめず、気をそこなわないのが、心気を養う方法である。」 (貝原益軒『養生訓』より、現代語訳)
身体に強い関心を持って養生せよと説いた貝原益軒ですが、養生の術として心気を養うこと:心の平静を保ち、心の不安を除くことが第一と言っています。今で言うストレスをのぞき、平安な心で過ごすことが健康のもとなのです。長い人生で一度も病気をしない人は無く、誰もが病気になります。その病気の原因に「ストレス」があり、不健康のもとをつくっています。「ストレス」には「悪いストレス」だけでなく「良いストレス」もあります。「良いストレス」とは、夢、目標、やるべき仕事、スポーツ、良い人間関係など、自分を奮い立たせる、勇気づける、元気にしてくれる刺激とその状態ということで、人生を豊かにしてくれます。「悪いストレス」とは、過労、悪い人間関係、不安など、自分のからだやこころが苦しくなる、不愉快な気分になる、やる気をなくす刺激とその状態のことをいいます。「良いストレス」も度を過ぎると不健康になります。ストレス解消、たまったストレスをのぞくことは不可欠です。

      心は七分目で軽く
  「ストレス」について教えられ、心がけていることをお話しします。それは、「腹は8分目、心を七分目で軽く」です。心については「計画や目標は七割達成できたら、まずまずと満足する」ことです。このことを息子に話したら、「今の立場は、それでいいのだろうが、若いときは難しいのではないの?100%達成ではないの?」と反論されました。確かにそうかも知れないなとそのときは納得したのですが、しばらくこのことを熟成させました。結論は、やはり“七割達成で満足!”がよいと考えるにいたりました。
 何事も、貪欲に取り組むことがよいことだと考えがちです。特に若いときに百点満点を狙って、70点だと甘いのではないかと思いがちです。ちょっとだけ立ち止まって考えてみると、その時点で70点ならそれで満足する心、感謝する心を持った方がどれ程よいかわかりません。そして『続きは明日できる』と感謝を持って終わるほうが、ストレスが少ないことは言うまでもありません。ストレスを強く感じる人には、常に百点満点でないと納得できない人が多いといわれます。『頑張る』という言葉で自分を追い込んだとしても、ときには肩の力を抜いて『ほどほど頑張ればそれでいい』というのはどうでしょうか。『今日できなかった』ではなく、『続きは明日できる』という肯定的な表現が、気持ちを楽にしてくれます。うまくいかないことを急いで解決しようとしないで、しばらく放っておいて熟成を待つのもストレスの解消です。
 私は、50代の半ばにビジネスをしながら、神学校に行く決心をしました。「人生80-90年だから、今ここで学びをしておいたほうが先にキット役立つだろう」。そのとき、私の尊敬する知人が「是非、心を軽くして学んでください!」と言ってくださいました。短い言葉でしたが、心の深くに入りました。普通4年で卒業ですが、経営の一端を担う仕事の責任もあり、1年は中断というときもありましたが、「ちょっとだけお休み!」と考えて、挫折することも無く、なんと7年かけて無事卒業しました。心を軽くして!心は七分目で!これからも歩んでいきたいと思います。

「感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ 3:15 新改訳)

2009年2月3日    小坂圭吾