2009年4月23日木曜日

喜び 「人生は一緒の方がいい(1)」

      一緒に     
昨年11月、次に出す新刊「Better Together」なる本の編集・翻訳を行なっていました。本のタイトルについては、いつもあれかな、これかなとデイレクターと一緒に悩みます。彼は、「Better Together」を本文の中で“人生は一緒の方が良い”と訳していました。「このままをタイトルに使うほうが良いのでは?」と仮決定しました。そして、数ヶ月熟成期間を置くことにしたのです。その後、NHKの紅白歌合戦のテーマが「ひとの絆」となっており、人と人とのつながりを意識した演出を目指し、キャッチコピーは『いっしょに』であることを知りました。何人かの人から、それとなく意見を聞き、「“一緒の方が良い”は堅いので、“一緒の方がいい”にしたらどうだろう」との話になり、「人生は一緒の方がいい」に決めました。

      多くの人に支えられて
  PDJもこの4月で丸5年になり、今までに約10冊刊行させていただきました。一冊の本を出すには、何が必要で何を翻訳するかの企画に始まり、翻訳、編集、校正、本のタイトル、装丁、イラスト、カバーデザイン、チラシ、広告に至るまで一回一回が勝負です。年に単行本2冊を刊行することを目標に出版をしておりますので(重刷りを入れれば年に4-5冊ですが)、1冊1冊丁寧に仕上げております。PDJの役割として『スモール・グループに役立つ書籍を提供する』ことを常に考えながら、企画を進めています。ところで、1冊の本を出すに当たって、どのくらいの方々が協力してくださっているのかを考えてみました。映画で最後に製作に携わってくださった方々の名前がずらずらと出てきますが、あのイメージです。いやあ、実に多くの人々に支えられて、1冊の本ができるのだと実感します。これらの方々との関係・交わりの中から、次の本の方向性が決まる、本のタイトルにヒントを頂く、表紙のデザインが良くなる、チラシのデザインにアイデアを頂く、キャッチフレーズが新鮮になる、広告に良いタイミングを得る等々です。一人で出来る事は、ほんにわずかな事だなと思わされます。
     
        神さまのご計画 神さまは、私たちが一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と“一緒に生きる”ことが神さまのご計画です。二人は一人に勝るのです。
“一緒に生きる”とは、交わりを持ち、その友情を深めることです。聖書が教える「愛に生きる」ことであり、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。
「人生を導く5つの目的」を始めて読んだ時、私に衝撃を与えた事柄は、“神は、関係こそ人生のすべてであると言われる“という箇所でした。“人生のすべてであって、一部ではない”ということです。神を愛し、人を愛することの二つが、最も大切なことと理解しているとはいえ、“関係こそ全て”という具体的なレベルで実行できているか、その認識もきわめて弱かったのです。私たちの人との関係は、毎日のスケジュールの中で、無理やり後から押し込む、後回しにしている現状があります。人のために時間を作る努力をしているとはいえ、優先順位の初めに来ていません。優先順位が高いことは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができますが、その時間がどれほど少なかったことでしょう。
“関係こそ人生のすべてである”ということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。その結果、「友はいますが親友がいません」という状態から、「正直に話ができる親友がいます。色々と教えられ、私からも遠慮なくアドバイスもします」という状態に変えられました。神が与えてくださった恵みです。なるほど、“人生は一緒の方がいい”と、小さな経験ですが答えることができます。

「あなたがたが初めから聞いている通り、神の命令とは、愛に生きることに他なりません。」
(ヨハネの手紙第二 1:6 NCV)

2009年4月23日    小坂圭吾

2009年4月4日土曜日

今を生きる 「がんばる、がんばり過ぎない(2)」

   WBCで侍ジャパン優勝     
 野球の世界一をかけた第二回WBCで「侍ジャパン」が2連覇を飾りました。決勝戦が行なわれたのがロスアンゼルスのドジャースタジアムで、一度訪れたことがありますが、当時野茂選手が練習をしていたのが、記憶に残っています。日本中が熱気に包まれ、「侍ジャパン」が試合ごとに強くなり、チーム一丸となっていることがテレビ観戦をしていて感じます。チームリーダーのイチローが不振を極めましたが、最後は決勝打を放ちました。仕事師イチローは、にこりともしなかったその姿には、単なるガンバリを越えた何かを感じさせました。「個人的には想像できない苦しみ、つらさ、痛覚では感じられない痛みを感じた。ひとつ壁を乗り越えた気がする。」そして、彼のはじける笑顔を見ることが出来ました。原監督が我慢と信の一念で、不振のイチローを一番に起用しグランドに送り続ける様もまた圧巻というべきことでした。

      自分に打ち克つ
 このWBCの優勝は、不景気で沈みがちな日本中に、勇気と感激、感動を与えてくれ、日本列島が熱狂しました。あれから10日間あまり経過しましたが、あの様子を見るとその感動はよみがえります。イチローの姿を見ていると“頑張る”と言う言葉の意味を『自己と戦い打ち克つ』ことと捉える事ができます。私たちの人生の中で「嫌だなぁ~。辛いなぁ~。苦しいなぁ~」等の思いが起こり、ともすれば弱気になってしまう自分に気づきます。「もう良いよ」「投げ出しちゃえ~」とささやきかけるもう一人の自分、誰もがそんなもう一人の自分に打ち克とうと努力したことがあるはずです。「嫌だ、辛い、苦しい」等と思うこと全て自分自身であり、一番怖い敵は、私の心中に潜んでいる自分自身なのです。そのことを知り、そんな自分を認めることが、自分自身に打ち克つことのできる出発点のように思います。とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみることだと、先輩方の声が聞えてくるようです。それで乗り越えれる人は、それで良し、それができない人は、どうしたらよいのでしょうか?

     がんばり過ぎない
 私の若い時代ですが、クリスチャンとして“信仰を持ってがんばる”ことを強く教えられたものです。信仰をもって努力する、がんばることが、何か自分に合うといいますか好きでしたので、そのようにしてきました。(別に好き嫌いの世界では無いように思いますがーーー。)がんばりのDNAを持った日本人クリスチャンは、“信仰を持って”がんばると言いながら、いつのまにか“とにかくがんばる姿”に変わっていることがあります。とかく陥りがちな私たちの姿です。色々なことが気になり、心を配りとにかく遣り抜こうとする姿です。素晴らしいことですが、神さまとの関係を見失い自分中心になっている姿に変わっているかもしれません。がんばり過ぎてやがて疲れ果て、忍耐もできず「もうがんばれない」となるのです。
 
 若い頃には、“信仰によってがんばる”ことで何とか切り抜けることもできます。体力と気力があるときは、出きる事が多いかもしれません。やがて、何とか“自分でがんばる”ことから脱却したいと思うようになります。“神にゆだねる”事が必要だと気づいてきます。しかし、どのようにすることなのか最初はよく分かりませんでした。楽天的なタイプの私ですが、思い煩いは意外とあります。「あまりがんばらないで、そんな時こそ神にゆだねなさい。」と人は言って下さり、妻も何度も言ってくれましたが、それが分かりません。「神様、これを何とか切り抜けることが出来るよう力を与えてください。」この祈りしか出来ないのです。次第にどうすればいいのか少しずつ分かってきます。「神様、いま思い煩いでいっぱいで、いらいらしています。あの事、この事、色々とどうしようかと不安です。どうしたらいいのか、必要なことを教えてください。」真剣に今の状況を祈ることだと少し分かってきます。そうすると、イライラ、不安が少しづつ解消してくるのです。成るしかならないのだから、今はこれだけをやる。あとのことは、神様が最善にしてくださるだろう。その時になって、祈って考えるようにしようと訓練されてきました。自分でがんばり過ぎないで、“神にゆだねる”ことが少しわかってきております。

「何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあれば、どんなことでも、それを聞いてくださる神に、感謝の心を持って、申し上げるがよい。」(現代訳 ピリピ4:6)

2009年4月4日    小坂圭吾