2021年8月6日金曜日

今を生きる「目標を持つ~東京オリンピック、努力と節制」

 

東京2020オリンピック・開会式

東京2020オリンピック                           

東京オリンピックが、コロナ禍にある中で開催されましたが、様々な心配がなされ、現実になろうとしている面もあります。連日のように続く日本人選手の大活躍、メダルの獲得に喜び、励まされている方も多いことでしょう。

賛否両論ある中、日本の都合でやめるべきではないと思った一人として、開催してよかったと思っています。

NHKテレビでは、オリンピック放送アスリートナビゲーターに北島康介さんが出ています。確か2008年北京オリンピックで、北島康介選手(25)は、男子100メートル平泳ぎ決勝で世界新を出し、2大会連続の金メダルを獲得しました。

金メダルを取った最初は、「チョー気持ちいい」のコメントでした。北京オリンピックではテレビカメラの前で、タオルで顔をぬぐい、しばらくタオルを顔に押し付けたまま動かず、目に涙で声が出ず!「すいません。何も言えねえ。最高っすね。」止まらない涙をふきながら、一言ひと言を区切るよう話してくれました。

北京オリンピック・北島康介選手
超人と言われる北島選手でしたが、挫折や故障がある中で、いくつもの逆境を乗り越えてきたのです。~~素直に努力する姿勢、子供たちと一緒に泳ぎ水泳の基本を教える中で、子供たちから最高の元気をもらって感動、復調したと記憶しています。

今回も全てのオリンピック選手たちは、夢と希望を持ち、4年に一度しかないオリンピックに向け、挫折や故障、プレッシャーと闘いながら、具体的な目標に向かって大変なトレーニングに励み大会に臨んでいます。

夢と希望と目標 

夢とは何でしょうか?いちばん遠くにあり具体性がなく、叶えたいけれど手が届きそうにないものかもしれません。希望とは?夢よりも近いが遠いもので、夢よりも具体性はあるが漠然としているものです。

目標とは?夢や希望と比べて身近なもので、具体性があり、達成のために課題を設定して取り組めるものです。壮大さで言えば、夢>希望>目標となり、現実的に言えば、夢<希望<目標となります。

松下幸之助が、あるとき“あなたの趣味は何ですか”と聞かれ、「私には趣味はないですな。しいていえば、夢が趣味ということになりますかな。」と答えたそうです。その彼が、夢と現実について、このような言葉を残しています。

「夢や希望を持つことが大事だからといって、それにとらわれて、みずからの立場なり現実の社会というものを忘れてしまってはいけない。それでは夢があくまでも夢のままに終わる。

けれども、われわれは現実に照らして一段高い目標を定め、これにしたがって日々の仕事を着実にすすめてゆくならば、その夢がしだいに現実化してくるのだと思う。

また、そういうところに人生の喜びというか、いわゆる生きがいというものを感じることができるのではないだろうか。」

努力と節制

オリンピック選手たちは、その夢、希望、目標は明確であり、それに向かって一生懸命努力し、あらゆることに節制して励みます。厳しい自己訓練をし、無駄な事を排除し栄冠を勝ち取るためにやっているのです。途中で挫折や故障も乗り越え、挑戦してきています。

この状況から、あのパウロの生き方について、次の聖書の御言葉が思い起こされます。

「優勝するためには、あらゆる努力を払って節制する。地上の競技においてそうするのなら、まして、天国の競技である信仰生活においては、なおさらではないか。だから、私は目標の分からないような走り方をしないし、無駄なことは一切しない。私は、競技の選手のように、厳しい自己訓練をする。」(コリント 9:25-27 現代訳)

夏の芦ノ湖

パウロは、コリント教会の人々の信仰生活について、安易に過ぎていることを見て、コリント人が熱狂する陸上競技を取り上げて教えています。

競争して賞を受けられるように走るとは、天の父なる神様に喜ばれるために、最高の信仰者を目指して走るということです。目標は、天国に行くまでキリスト信仰を持ち続け走ることで、そのためには、あらゆる努力と節制を心がける必要があります。

霊肉共に健全で病気にかからない生活習慣、積極鍛錬に励む~聖書を読み、祈る、神の御声を聞いて従うことだと思います。

私たちは、天国に向かって走っている者です。毎日の生活の中で、日々神を敬う生活を送る、目標を見失わず、一番大切なことに集中し無駄なことを取り除き、走り続けたいと願います。

 2021年8月月6日 小坂圭吾