2021年11月27日土曜日

喜び・感謝「自分史を書く(その2)~挫折について」

 

国宝・松本城

何か役立つことあれば

自分史を書くにあたり、大きく3つに分けて書いたと先に述べました。40歳の頃、“人生を3段ロケットにたとえて考える”のも面白いとの青写真があって、取り入れたものです。

第1段ロケットが、この世に生を受け大人に成長し就職するまでの時代(教育時代)、第2段ロケットが、仕事を通して社会に貢献する時代(第一の現役時代)、第3段ロケットが、第一の現役を卒業してより広く社会貢献をしていく時代(第二の現役時代)です。

「人生は、ロケットのようだ。1段目の噴射が終わり、2段目の噴射が終わったと思ったら、今、また3段目のロケットも点火して加速している。」と言われることもあります。確かに、次々と噴射がされて気が付けば、私も3段目のロケットを加速、今やかなり遅速になっています。

昨今は、時間と少しの経験がありますが、体力がなくなり、記憶もままならず、自分史を書いて、何か役立つことがあればと記述しました。証としてさらけ出すには、他の人には面白くないことも多く、少しは参考になるかなと思うことを中心に、挫折とか失敗等も含めて書いていきます。

楽しい小学校、中学校時代

自分史を書いてみて、小学校から中学校時代は、誠に楽しい時代だったなと思い出されます。岡山県の田舎に育ちましたが、周りは山と田んぼと畑、池と川ありで、小学校時代と言えば、いたずら坊主でガキ大将でした。近所の友達と、川や池で魚とりや水遊び、畑や田んぼで走って、村のそこかしこで遊びまわりました。

村の公民館で、習字やそろばんを習ったこと、時々映画が上演され、熱でフイルムが切れたことを思い出します。小学校時代はあまり努力をしなくても勉強が出来ましたので、学校の先生からの勧めもあり、岡山市のM中学校に行くことになりました。実は、もぐり入学(越境入学)だったのです。

家からバスを使って約1時間かけて通学、喜び勇んで学校に通いました。M中学校は、県下一と言われる中学校、この3年間は、今までで一番勉強したように思います。3年生の級長の時、学校体育祭で学年ごとに学級対抗戦が行なわれ、対抗競技ごとの総合成績で一番になろうと団結、見事に12クラス中で優勝しました。今で言うチームワークの大切さを学んだ時でした。これまた楽しい中学時代でした。



紅葉の松本城

一転して挫折

しかし、高校受験が迫ってくるある日、“越境入学”の摘発を岡山市・教育委員会が行なったのです。県下一の中学校なので、優秀な子供が色々な地域から越境入学してくる。そのために、地元の子供が目指すべき高校に入れなくなり、地元のご両親たちが訴えて、越境入学した子供は、本来親が住んでいる地域の高校に行くように指導を始めたのです。

このため、地元のS高校に行かざるを得なくなったのです。これは大きなショックで、第一の挫折でした。地元の高校へ行かざるを得ない3年間、心なしか勉強に身が入らず、挫折が影を落としていて、ただ「大学は何が何でも一流大学に行く!」ことにしか目がいきません。最初の大学受験では、目指す大学は不合格、浪人となり予備校へ行くことになったのです。

予備校での成績は良く、今度は間違いなく合格と思って受験をしましたが、第一希望は滑ってしまい、第二志望の大学に行くことになりました。続いての第二の挫折です。

大学入学のために上京しましたが、重い足取りでした。入学式も行く気にならず、母から一生に一度のことだから行くようにと言われ、夜行列車を乗り継いで、何とか入学式に間に合いました。

大学に入ってまずやったのが、聖書を研究しようとそのクラブ活動を探し、キリスト者学生会(KGK)のキリスト教講演会に出席したのです。講師の尾山令仁牧師が切り出しました。「君たちは有名大学に入り、やがて就職して、立身出世をしていく。だが、それだけが人生だろうか?この大学時代で最も重要なことは、人生とは何か?を考えることである。真実の生きた神様を知ることである。」と声高に話されました。

最後の言葉は、よく覚えてないのですが、「なるほど、その通りだ。切れ味も良く、素晴らしいことを言うなあ!」と即座に、この先生の教会に行ってみようと決心しました。高田馬場教会を紹介してもらい、毎週日曜日に教会に通い始めました。挫折の続いた事柄が、ここから一転歯車が好転していくことになりました。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:9)

挫折と考えることは、私自身の小さな思いに過ぎず、ばらばらに思えるような人生の一つ一つの断片が、やがてつなぎ合わされていくことを知るのです。

 2021年11月27日 小坂圭吾