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| 小田原城 |
今月上旬、岡山県津山市にある介護付き老人施設にいる姉を慰問してきました。今年101歳になりますが、頭はしっかりしており、食事もしっかり食べているそうです。
かかりつけ医によれば、まだまだ長生きできるのではないか(110歳まで?)とのことでした。ただ耳が聞こえにくくなり、耳元で話さないと聞き取りにくいようです。
お土産に似顔絵を持参しましたが、とても喜んでくれて、写真立てに入れて飾ってあります。
田舎にある施設ですが、環境も設備も良く、私自身もやがてこのような施設にお世話になりたいと思うほどでした。
大学時代の恩師からの便りによると、95歳でご夫婦とも介護付き老人施設に入居され、その生活に大きな満足を感じておられるとのことでした。
そして80歳を超えた後輩である私たちには、早めの入居を勧めるとも書かれていました。人生100年時代と言われる今、このような施設の重要性を改めて感じています。
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| あじさい(小田原城にて) |
初めて出会った「人の死」
死や死後については、このブログに書くのは時期尚早だと見送ってきました。しかし100歳を超えた姉を訪ねたことをきっかけに、このテーマについて考えてみることにしました。
私が初めて死に直面したのは、中学1年生の時の祖父の死でした。祖父は82歳でした。祖父からは行儀作法を中心にしつけられたことを覚えています。
寒い冬の朝、「じいちゃんが亡くなったよ」と知らされ、初めて人の死を経験しました。その後、祖母、母、父の死にも直面しましたが、死について怖いと思ったことは不思議と一度もありません。
それは学生時代にキリスト信仰に導かれ、キリストの復活と永遠のいのちの約束を信じてきたからだと思います。
また、クリスチャンとして生涯を終えた母の死を通して、死について深く学ばせていただきました。
死ぬという仕事
私たちは人生の中で多くの仕事をします。しかし最後に、誰もが避けることのできない仕事があります。それは「死ぬという仕事」です。聖書によれば、主なる神を信じた者にとって、死は天国への入り口です。
作家・三浦綾子さんは、「私にはまだ死ぬという仕事がある」と語りました。死を人生の終わりではなく、最後に与えられた大切な務めとして受け止めていたのです。この言葉には、
・生きることは神から与えられた務め
・死ぬことも神から与えられた務め
・最後まで信仰を保ち、証しすること
という深い信仰が表れているように感じます。
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| 母の日・お花いろいろ |
余命半年を越えて
約5年前、妻が食道がんを患いました。10時間に及ぶ手術の後、5か所への転移が見つかり、医師から余命半年ほどと告げられました。
しかし、免疫チェックポイント療法が効果を示し、神様の憐れみと医療の進歩、そして信仰の支えによって、この困難を乗り越えることができました。
糖尿病Ⅰ型という副作用は残りましたが、がん細胞は消え、現在も元気に生活しています。この闘病の中で、エンディングノートを書いたり、キリスト教の終活について夫婦で学んだりしました。
また、『死後のことについて、本当のことを知りたい』(尾山令仁著・羊群社)を読み返し、改めて聖書が教える救いの信仰の大切さを思わされました。
この数年、神を信じておられない高齢の方々に福音をお伝えしたいとの思いが与えられています。何とか一人でも天国への道案内ができればと祈りながら、小さな一歩を続けています。
死は誰にとっても避けることのできない現実です。しかし、キリストを信じる者にとって死は終わりではなく、永遠のいのちへの入り口です。主イエスはこう語られました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11章25節)
この主の約束に支えられながら、与えられた今日を感謝して生き、やがて訪れるその日を平安のうちに迎えたいと思います。
2026年6月20日 小坂圭吾


