2011年11月30日水曜日

今を生きる 「目標を考える(1)」

    来年のカレンダー
霜月(11)はもうすぐ終わりです。文字通り霜が降る月の意味ですが、温暖化の影響でしょうか、霜を一度も見ませんでした。そして、“忙しくて師匠も走る”と言う師走(12)となります。このことばのもつ語感が、年の暮れの人事往来の慌ただしさと一致するためか、とても親しみを感じます。ところで、そろそろ来年のカレンダー、日記帳、手帳を購入されましたか?私のところにも、11月になって来年のカレンダーが数本送られてきており、先日は、本屋さんで手帳を購入しました。カレンダーは、どのカレンダーも週の始まりは日曜日から始まっていますが、手帳は、1ページに1週間のスケジュールが入り、その週の始まりが月曜日のものが多いのです。近年は少し改善されましたが、日曜日で始まる手帳で気にいったものを探すのに、かつては苦労しました。したがって、手帳だけは、心なしか早くに購入しています。

     夢・目標について
  今年1年を振り返るのは、まだ早いと思いますが、皆さんは今年目標を立てられましたか?もう10数年前に“夢”について入手した1枚の紙があります。作者は不詳です。
          夢                                                              
  夢がある者は、希望がある。  希望がある者は、目標がある。
  目標がある者は、計画がある。 計画がある者は、行動がある。  
  行動がある者は、実績がある。 実績がある者は、反省がある。  
  反省がある者は、進歩がある。 進歩がある者は、夢がある。
実に素晴らしいサイクル、一般によく言われる“PDCAサイクル (PLAN→DO→CHECK→ACTIONになっています。この考え方は、仕事ばかりでなく、個人についても何か実現していく際に使える考え方です。ここで、夢はビジョンに、希望は目的と言い換えてもいいでしょう。ここでいう夢とは、将来実現させたいと思っている望みのことです。夢よりも希望、希望よりも目標のほうが実現可能なこと、具体的な事柄ということができます。今年はこのようにやるぞ!と個人の目標を立てる、教会の目標・計画立案があるかと思います。                       
     PDCAサイクル
 PDCAサイクルとは、PLAN【計画を立てる】→DO【実行する】→CHECK【評価・検討する】→ACTION【改善策を講じる】のことです。                                          (1)計画を立てる<PLAN>―――計画を考える前にまず目的を考え、その目的に対して、計画をすなわち目標と具体策を考えていきます。私たちの悪い癖は、目的を考えないですぐに計画を立てるあるいは行動する。私も含めて、大部分の人がそのような癖を持っています。目的を考え、計画を作る。計画は大雑把なものから色々ですが、自分たちの目標レベル、内容に応じて細かさは考えて作るのが良いでしょう。計画を立てるときには、紙に書き出すことが重要で、そのことによって良い考えが与えられるものです。                                                      2)実行する<DO>―――計画したことを実行するのみです。
(3)評価・検討する<CHECK>―――これが意外とおろそかにされます。良かった!で終えてしまわないで、良かったこと/改善すべきことを洗い出します。実行し結果が出て、結果は満足に値するかどうかを考え、駄目だった時は、具体的に何が不十分だったのか。満足する結果の時は、何をしたことによってその結果を得られたか等を考えます。                    (4)改善策を講じる<ACTION>―――評価・検討した事柄を、次に生かすことです。                                                              
 このようにPDCAサイクルを回すことによって、らせん階段を上るように、私たちも成長していきます。PDCAの中で、計画を立てる項目は、大雑把なやり方であっても、しっかり考えてやることです。そして、実行し、評価・検討し、改善策に生かすのです。目標についてさらに考えてみましょう。(続く)

「目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:14)    
2011年11月30日    小坂圭吾



2011年10月19日水曜日

祈り 「心を守る」

      心の掃除
  前のブログでは、片づけ、整理整頓について書いてきました。片付け本を要約すると「いらないものを捨てる」、「ものを持たない」の2点に絞ることが出来ます。ある本では、逆転の発想で「捨てるモノ」ではなく、「残すモノを選ぶ」と教えています。確かに、捨てるかどうかと自問して迷った時、「残したいのか?」と自分に聞けば、答えが出て来るかなとも思います。
ところで、片づけ、断・捨・離がこれですべてうまくいくかと言えば、そうは簡単ではないこともあります。日常の掃除と違って、いざ片づけとなると心がそれなりに整ってないと決断ができないのです。心がむしゃくしゃしている中で、「これは必要、これは捨てる」とは出来ないのではないでしょうか。心の掃除こそ、実はもっと考えておくべきことのように思います。
                                               
     心の残痕(きずあと)
  若い20-40歳代の頃は、気分が乗らないとか、気分が落ち込んでいるとかがありましても、「それはそれとして、やるべきことはやらんとあかん!」と心のスイッチを切り替え、後ろの事を忘れて前進したように思います。ですから、あまり心や気分に左右されることなく、歩もうとしていました。そうは言っても落ち込んでいれば、力は出なかった事でしょう。
  人間関係において落ち込んだ場合ですが、正しい処理が欠かせません。人間関係で失敗して忘れても、正しく解決もしくは処理できなかったことは、後になってふっと思い出して「あの時はまずかったなあー」と苦い味、悔いのようなもの、残痕が残っているものです。
  先日ふと20数年前のある失敗のことを思い出して、妻に話しました。それは、山登りに家族と一緒に(その時は4人)出掛け、山に向かって歩く途中で、私が怒り出して気まずいまま山を登った事でした(理由は思い出せません)。妻はまったく覚えてないとのこと。その後、1か月後くらいにその失敗を雪辱すべく、同じメンバーでもう一度その山を登ったのでした。忘れられない心の残痕、もはや血は流れていませんが、主なる神にゆるしをお祈りしました。                                                   
                                                              
      心の「霊的なバケツ」                                
 数年前の話ですが、アメリカのシカゴにあるウイロークリーク・コミュニテイー教会のビル・ハイベル牧師が、心を「霊的なバケツ」にたとえて語られました。心の掃除も兼ねたとても有効なお話です。聖霊による思いは、「いのち」と「平安」ですが、心にある「霊的なバケツ」にこれらが満ちていると人々との関係、仕事や家族との関係、余暇の過ごし方がとてもスムースに行きます。大切なことを決断することも、スムースに出来ることは言うまでもありません。しかし、このバケツのエネルギーが満杯の状態から大きく減っていくと大変です。いらいらが色々と起こり、物事がスムースに進まなくなるのです。このバケツを満たす方法は、色々とあります。十分に眠る、静かに本を読む、デボーションをする、ウオーキングをする、人と楽しく食事や会話する、海に行く、山に登るなどなど。各人それぞれですが、自分は何によって満たされるのかを知っておくことが大切です。                  
                                   
      心を守る                                 
 この「霊的バケツ」をいっぱいにしておくために、毎日補充する知恵と工夫が必要です。毎日の減ったエネルギーを補充するには、第一は「デボーション」です。複雑で多忙な毎日を過ごしている方々にとっては、デボーションの時間を十分取れないかも知れません。そのためにも、自分は何でバケツがいっぱいになるか?を発見しておくことが重要です。私の場合は、毎朝デボーションで不足を満たしつつ、1日の半ばで枯渇するとウオーキングあるいはラジオ体操をする、もしくは本を読むのです。かなり枯渇すると遠くに出かける、あるいは海に行く等々これらを組み合わせてやるのです。ですから、“旅に出る”のは、心にある「霊的なバケツ」の枯渇を補ってくれる最大の方法であるばかりか、心の中の汚れや垢(あか)を洗う、心の残痕をいやす、掃除することもこの旅を通して出来るのです。旅を通して、自然や歴史や文化を学ぶ、地方の産物を賞味するばかりでなく、これも旅の大きな収穫でもあります。
                

「何よりも、心を守りなさい。いのちの泉が湧いてくるところだからである。」(箴言4:23現代訳)

2011年10月19日    小坂圭吾

2011年9月23日金曜日

喜び 「片づける(2)」

     暑さ寒さも彼岸まで
今年の残暑は、厳しい日が続きましたが、やっと秋分の日(923日)を迎えました。「暑さ寒さも彼岸(ひがん)まで」という言葉をご存知ですか。先日、若い人に聞きましたら、あまり知らないとのこと。この意味は、「冬の寒さ(余寒)は春分(321日)頃まで、夏の暑さ(残暑)は秋分(923日)頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味です。日本の慣用句ですが、季節感と共に確かにそのように暑さ寒さが凌ぎやすくなり、的を射ているなと思わされます。今年も、そのようになってホッとしますね。

ところで、今年の夏は、節電対策で扇風機を使った方も多かったことでしょう。我が家も扇風機には、例年以上に活躍してもらいました。2か月も使用しますと扇風機の羽にホコリがたまってきます。例年ですと、扇風機をしまって暖房器具を出す時、掃除をすることで事足りていました。今年は、扇風機が大活躍をしたためホコリがついて、途中で掃除をせざるを得ませんでした。やはり、片づけや掃除はこまめにやる几帳面さが要求されるようです。
                                                                                     
       机の片づけ
 皆さんの机の上は、きれいですか?机の中はどうでしょうか?机の上が物置になっている方も時々見かけますね。私の机の上には、パソコン、本立て、ペン立て、スタンド以外は置かないように心掛けています。もちろん、仕事をするとき色々な資料を持って来て、目いっぱい広げることもあります。先週は、珍しくいろいろと必用な物を持ち込んで、机・床・台の上に並べて戦線拡大もいいところ。こんなに広げてやることは多くはありません。しかし、その日の終わりには、「今日はここまで!」と区切りをつけて片づけをして、机の上はキレイにします。机の上は作業をする所なので、極力モノを置かないようにしています。

整理整頓とは、まずは物を減らすこと、そして使いやすく配置をすることです。前者が整理であり、後者が整頓になるのです。不要なものが多いと整頓は難しくなります。こうすることによって、机の上、中、キャビネット、棚、本棚、押入れもきれいに片付いてくることでしょう。日頃からこまめに整理整頓に心がけることです。
                                                                                  
       旅行と写真の整理
多くの方が苦手であろう“旅行と写真の整理”について、お話しましょう。私も“下手(へた)の横好き”と言って、コンパクトカメラで何か良いネタがあると写真を撮りまくります。その後ですぐに、画像を見て不要なものはどんどん消していくのです。したがって、パソコンに保存する段階では、おおむね半分に減っています。さらに、パソコンの画面で見て、23割は削りますので、撮影段階から見れば20-30%に減っていることでしょう。保存の時には、年月と主要なテーマを入れてファイル名にしています。プリントするのは、その中で数枚でしょうか。それが写真帳に年代順に入れてあります。


旅行に関しては、国内、海外に分けて旅行ごとの資料をしっかりとファイルし、写真の中でこれは思うものを写真帳に入れて、詳しくはパソコンにありますので、いつでも開くことが出来ます。これは、経営コンサルタント・大前研一がそのノウハウを披露してくれたのに倣って、小坂流に工夫をしています。彼は、旅は記憶するだけでなく、記録に残しておくことが大変な玉手箱になると勧めています。彼に触発され、旅行の整理がぐっと良くなりました。

整理整頓された旅行のファイルや写真をひも解くと、旅の記憶ばかりか自分の人生の過去の旅路にさかのぼることが出来、いろいろなことが一瞬にして脳裏によみがえってきます。1枚の写真からよみがえってくる人生の旅路を味わうことも、整理整頓、片づけの楽しい一面ではないでしょうか。楽しく整理整頓をしましょう。整理整頓の極意は、ほんとに必要なものは何かを考えることです。必要なものでも、使う頻度(毎日、週に一度、月に一度等々)も良く考えて配置することです。片付けは、人生における様々な場面での優先順位を考えることと同じようなことが大いにあると思わされます。人生の片づけ術の腕を、さらに磨きたいものです。

「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。」(ルカ 10:41)

2011年9月23日    小坂圭吾

2011年8月17日水曜日

喜び 「片づける(1)」

        断捨離
 
今年の始めごろ、妻から「断捨離(だん、しゃ、り)」という言葉を知っているかと尋ねられました。聞いたことのない言葉で、ある切り抜きを渡されました。読んでみますと「これは面白い」と感じ、さっそくインターネットで調べますと、今注目されているとのこと。皆さんは、ご存知でしたか?最近、あちらこちらで見かけるようになりました。
  ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方から来ているとのことで、10年ほど前、金沢市に住む主婦が提唱し、ブログを通して広がったとのことです。「断捨離」は、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというものです。モノも情報もあふれかえっている現代。ともすれば、安いからと必要もないものを買い集め、捨てることもできずにいる自分。次から次へと流れてくる情報に右往左往している自分。そんな生き方に対して、不必要なものを捨てるというプロセスを積み重ねると、身の回りをスッキリさせることが出来、自分の心をも整理して行くことが出来るというものです。現代は、“いらないものをいかに捨てるかという知恵”こそが、必要な気がします。

     人生の片づけ術
  このことで思い出すのは、あの「坂の上の雲」に出てくる秋山好古の生き方です。彼は、実にシンプルな考え方、生活態度で生き抜いた人だったと思います。NHKテレビでの放映を見て刺激され、「坂の上の雲」を読み始めました。単行本は全部で8巻、いま6巻まで読み終えました。NHKテレビでの放映が終了するころには、読む方も完了したいと思います。
 ところで、わかりやすく言えば“片づけ”ですが、私もいつの間にか“片づけ上手な一人”になりました。大袈裟に言えば、人生の片づけ術ですね。世の中には、片づけコンサルタントも出て来ています。事務所はもちろん、家、書斎、物置もきれいに片づいています。妻も私に影響されて、片付けがかなり上手になったように思います。私の片づけ上手はいつごろかな?と、これを書きながら思い出してみました。それは、母の影響が大であったと思われます。実家は、それはもうきれいに片づいていましたし、母の片づけや掃除をしていた姿が目に焼きついています。どこを開けても整然としていました。祖父がきれい好きっだので、その影響も大きかったようです。ビジネスをするようになって、片付けの上手な身近の先輩を見ながら、少しづつ腕を磨いてきたように感じます。

        身のまわりの片づけ
 毎日の煩雑な生活の中で、片づけをしなければならないことが次々に起こってきます。先月でしたが、ふと時間が出来ましたので、不要なものを少し整理でもしようと思い立ちました。やってみるとほとんど片づいていて、捨てるもの、整理することもあまりありません。それよりも、大事にしている物をもっと活用しようと思い立ちました。やはり、忘れてそのままになっている物があるものです。

  “片付けの極意は何か?”と問われれば、物をすぐに分けて整理することです。必要なものと不要なものを分けて、不要と分類したものは、捨てるべき箱に入れます。期限が来れば処分をします。すぐに捨てるかどうかを迷うことがありますが、その場合は、一時置き場の箱に入れます。1-2週間後に見直しすれば、簡単に必要、不要を決めることが出来ます。寝かすことの重要さがここにもあります。
  必要と決めたものは、整理整頓をしてありますので、必要なキャビネット、本棚、ファイルに入れます。入れる際に目に触れた過去のもので、もういらないと即座にわかる時があります。それは取り出して、廃棄します。もし時間があれば、ついでにそのファイルやキャビネット、本棚を整理整頓してしまいます。要は、不要なものを減らす努力をついでにするのです。ほんの少しの時間を使ってやるのです。片づかない人の多くは、そのときそのとき片づけをしないで、後からしようとしますので片づきません。「仕事の出来る人は、片づけも上手である」いや「片づけの上手な人は、仕事も出来るようになる」と言いきってしまっていいかもしれません。片づけをうまくやれば、仕事もはかどることは確かです。

 「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。」(ルカ 10:41)

2011年8月17日    小坂圭吾

2011年7月20日水曜日

祈り 「失敗につきあう」

     びわの収穫
我が家の庭には、少し大きな“びわの木”があります。もう20年ほど前になるでしょうか、私の教会の牧師夫人が小さな苗を持って来て下さいました。「このびわの木の葉は、病気やけがの治療にとても有効だから、ぜひ大切に育ててくださいね。」あまり手間もかけることもなく大きくなり、その葉には、今までに病気やけがの治療に何度もお世話になりました。残念なことに、びわの実はほとんど収穫できませんでした。それが今年は大収穫で、これには驚きました。
  最初の収穫を、小学校2年生の孫(女の子に)に木に登らせて30個ほど取りました。翌週には、小学校5年生の孫(男の子)に同じく30個ちぎってもらいました。その後も2回ほどに分けてもぎ取り、全部で100個余りの収穫でした。びわの実は、種が大きくて嫌いな人も多いようです。どれほどの栄養素があるのかを調べると、意外にもいろいろと栄養素があり、葉だけでなく実も貴重な果物だとわかりました。

     木から落ちる
 孫たちにやってもらったびわの収穫について、後で、少し反省をしました。それは、木から落ちてけがをしないようにと、いろいろと準備や注意をしながらやらせたことです。それよりも、「びわを取ってくれるかな?」と言って自由にやらせたら面白かっただろうと思ったのです。私が事前に梯子をかけたり、ここから登ればいいよと教えたりお膳立てをしないで、孫に試行錯誤させたら良かっただろうと思ったのです。もしかして、枝の1本折れるか、木から落ちることもあるかもしれませんが、怪我をしてもたかが“かすり傷”くらいでしょう。
 ほんの些細な出来事ですが、失敗やけがをしないようにお膳立てをしたり道筋をつけたりと、知らず知らずのうちに、「失敗から学ぶ」ことを忘れている自分に気が付きました。「失敗しない」ように出来るだけ効率よく、スムースに事が運ぶようにとの考えが走ってしまいます。私たちの子供の頃は、遊んでいて“かすり傷”は絶えることが無く、足を見るとその傷跡がいくつか残っています。孫に対する教育現場と捉えるならば、もっとおおらかに失敗もさせて良かったのではないでしょうか。

      失敗とつき合う
  私たちは、誰でも失敗しますし、時にはかなり深刻な場合もあります。「失敗は成功の母」という言葉がありますが、人が成長するうえで特に必要な経験をしなければならない失敗があり、これは“良い失敗”ということが出来るでしょう。この失敗は、成長のためにはどんどん経験するべきでしょう。経験する必要のない「悪い失敗」もあります。良い失敗に含まれない失敗は、すべて「悪い失敗」です。大きな罪を犯して、人生における深刻な失敗になることは避けるべき事と思います。それは別としても、神様を信じる私たちにとって、一見して悪い失敗と思うことも、やはり“成功の母”となりうることを知っています。その面では、何も学ぶことが出来ないような悪い失敗は、避けるべきですが、失敗に出来るだけ上手に付き合うことも大切です。人生経験を積むとは、失敗を通して自分なりの良いものを発見して、成長することを指しています。
 
  ある時、若い男性がある試験に失敗しました。今まで失敗らしい失敗、ましてや試験に落ちる経験はしたことが無い、ある意味で順調な歩みをしてきた彼でした。何年もかけて準備をし、何段階もある試験の途中で不合格になりました。まさか、この途中の段階で落とされようとは思いもかけず、彼は、さすがに落ち込みました。私は、どのように言うのが良いか「何か言ってあげなくては!」と思ったのですが、不合格になって落ち込んだことの共感をのみ伝え、忍耐して待つことにしました。若い彼にとっては、それは良い経験をしていると考えたからです。まさに“良い失敗”をしたのです。彼は、その失敗原因を考え、目標を立て直し再出発する時です。この失敗と上手につきあってほしいと祈りました。私たちは、失敗に落ち込んで弱くなっている時にこそ、主の力によって強くされるのです。

「私が弱い時にこそ、私はキリストの力によって強くなることが出来るからである。」(コリントⅡ 12:10 現代訳)

2011年7月20日    小坂圭吾