青葉写真倶楽部
長い間続いている趣味と言えば、「写真」です。どうして写真が好きになったのかは、確かなことが思い当たりません。それほど研究熱心でもなく、ただ旅の記録、家族の記録を残すことが目的のようなものです。したがって、作品としての写真を意識して撮ることはなく、良いものがあれば、このブログに掲載をする程度です。
5月にふと「写真教室にでも行こうかな?」という思いが起こりました。写真撮影の技術をしっかり学んでおきたいと思ったのです。写真教室について探し始めたところ、地元の地区センターが共催で「青葉写真倶楽部」が募集していて、即座に応募します。定員をオーバーして「抽選の結果外れました」とのハガキ!その直後に、欠員が出たのでOKとの電話が入り、これには感動!腰を入れてやろうと学び始めました。講師は、地元の元校長先生でなかなかの腕前の方、セミプロいやプロといってもよい方です。通常はコンパクトカメラ専門で撮影していますが、教室に入ってから、一眼レフカメラを持ち出して、初心に帰って学び始めています。1年後くらいには、作品としての写真が撮れることを願っています。
写真には「言葉」がある!
写真を撮って思うことに、見た目には素晴らしいと思うお花、光景でも、写真を見ると平凡でどういうことなし、つまらないという写真があります。記録写真と言う目から見れば、それで良い面も多くあります。あんなに素晴らしいと思うお花でも、良い写真にならないのは、どうしてなのでしょう。写真を撮る時に大切なことは、“写真には言葉がある”ということ。自分が撮った写真を人に説明できるように物語性を考えながら撮影するようにと教わりました。かつて自分が撮った写真の中で、それなりに良いと思う写真は、自分なりの説明がしっかりできる、物語があります。そこには、自分が感動している事柄があるのです。
先日、青葉写真倶楽部で“ハーブ園”に写真撮影に行きました。私には、どうにも平凡な写真しか取れそうにありません。頭でわかっていることは、光と背景を考えながら、お花が美しく見えるアングル(角度)を探す、うまい構図を作ることに尽きるのですが、それを見つけることが出来なません。先生が撮影された構図とアングルを見せていただき、そのように構えてファインダーを覗いて見ると、なるほど素晴らしい!平凡に見えるハーブ園でも、しっかり見て良い構図を作ることができる、そのような目を養い育てることが重要だと体験しました。
平凡の中に感動を!
ほんとに素晴らしいお花や光景に遭遇しますと、良い写真が撮れる可能性は高いともいえるでしょう。しかし、平凡にしか見えない中にも、光、背景、目的、アングル、構図等を十分に考えながら撮影をして行くときに、見る目と技量が養われていれば、一幅の素晴らしい写真を撮ることができるに違いありません。私にとっては、学びが始まったばかりです。
芸術に関して、私の関心は、低かったように思います。「やっと絵心に関心が出て来たのね?」と周りに軽口をたたかれますが、その通りです。「小学校の頃には、岡山県の絵の展覧会で特賞を取ったことがあるぞ!」と言い返しながら、写真を通して芸術の世界に入門(?)と言うところです。“単なる写真ではなく作品としての写真”を撮ることは、平凡にしか見えない中に、私ながらの見る目と技量を持って、芸術作品を作ることでもあります。
私たちの毎日の生活は、平凡なことの連続かもしれません。みんなが見逃してしまう事、当たり前と思っている事、不平を言う事の中に、意味のあるものを見出し、当たり前を輝かせて生きていく。不平を言う代わりに、この苦しみもまた感謝であると、見出すことができる心を養っていく。それは、写真を撮る時の心構えとある一面では同じようなものを感じます。日頃の平凡な生活の中にこそ、意味あるもの感動できるものを見出せることができるように、心を養うことが出来ればと願います。
思えば、あのパウロがローマの獄中で書いた手紙「ピリピ人への手紙」を思い出します。彼は、投獄の身でありながらも喜びにあふれていたことが分かります。誠に驚きと言うほかありません。そのことも思いながら、平凡な中にも感動、喜びを見出していきたいものです。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)
2012年7月17日 小坂圭吾
2004年5月に「パーパス・ドリブン・ジャパン(PDJ)」を設立し、”健康な教会形成ミニストリー”をスタートしました。はじめて刊行しましたのが『人生を導く5つの目的』でした。 2013年1月には『創造主訳聖書』の刊行のために、PDJの兄弟会社として「ロゴス出版社」を設立し、両社は一体として運営しています。2020年11月には『現代訳聖書(改訂新版)』を刊行しました。 ブログを書き始めたのは、2007年5月からで、はじめは”PDJレポート”として書き始めました。その後、”PDJブログ”⇒”PDJロゴス・ブログ”と名称を変えました。聖書の言葉に即して、共感、納得、発見など心を揺り動かす何かが生まれることを願いつつ、これからも書いていきます。(会長 小坂圭吾)
2012年7月17日火曜日
2012年6月29日金曜日
今を生きる 「人生の講座いろいろと開講」
今までは文章中心のブログでしたが、時には、写真中心で!!とはいえ、講座について、写真を撮る(撮ってもらう)余裕がなくて、写真が少ないですね。これでは、あかんなと思いつつも、今回はお許しください。
ところで、5月にふとしたことから、写真教室にでも行こうかなという思いが起こってきました。しっかりとした写真撮影の教室に行ったこともなく、基本をしっかり勉強しておく必要があるなと探し始めたところ、すぐに飛び込んできました。(これには、驚きました。)地元の地区センターが共催で「青葉写真倶楽部」が開講されることになり、さっそく入会して学び始めました。講師は、地元の元校長先生でなかなかの腕前の方、セミプロいやプロといってもよい方です。半年から1年後くらいには、少しましな写真が撮れることを願っていますがーー。
ところで、5月にふとしたことから、写真教室にでも行こうかなという思いが起こってきました。しっかりとした写真撮影の教室に行ったこともなく、基本をしっかり勉強しておく必要があるなと探し始めたところ、すぐに飛び込んできました。(これには、驚きました。)地元の地区センターが共催で「青葉写真倶楽部」が開講されることになり、さっそく入会して学び始めました。講師は、地元の元校長先生でなかなかの腕前の方、セミプロいやプロといってもよい方です。半年から1年後くらいには、少しましな写真が撮れることを願っていますがーー。
人生の目的講座は、1月から4月まで開講しました。30歳台から60歳台まで約15人です。神学校を卒業したばかりの人、教会役員やリーダーの人、何回も本を読んだという人、英語で熟読された人、講座の当日に本を購入されてきた人、求道者の方もいらっしゃいました。第1セッションの時は、しばらくぶりでさすがに緊張!どのような展開になるかを十分予想できません。終わって、手ごたえは、それなりに良し。第2セッションから盛り上がりがグイと上がり、第3セッションは、出席者の一人一人の分かち合いを通して、お互いを知ることが次第に深くなりつつあり、メンバーの方々が、全体を支え、気づきに導いているように感じられます。どのような発言も、折にかなって役立つように感じられるのは、聖霊の導きだなと、感謝しています。
次の写真は、開講当初の自己紹介の場面です。
東京プレヤーセンター(TPC)は、昨年の9月に設立されました。和気敏治代表がビジョンを抱いて、「365日礼拝」「365日祈祷」を掲げオープンしました。設立に至るまでには、不思議な主の導きがありました。私も、当初からこの働きには協力をしていくことが必要であると感じて、今日に至っています。以下は、東京プレヤーセンターの写真です。お茶の水駅から2-3分、”御茶ノ水クリスチャンセンター”4階にあります。近くにお越しの時は、TPC礼拝を12:15-12:45、その後交わりを13:30までやっていますので、ぜひお立ち寄りください。(メッセージを担当してくださる方は、約80人ほどおられます。)
2012年6月15日金曜日
健康余話 「起床早朝」
朝の詩
先日、知人で先輩のMさんから新聞のコピーをいただきました。感謝なことに、ときどきコピーをいただきますが、読んでみると面白く機知に富んだ詩なのでご紹介します。調べてみると、2012年5月20日の産経新聞『朝の詩』という欄に掲載されていて、作者は、兵庫県宝塚市に住む70歳の森口憲一さんです。
『朝の詩』 無為徒食(むいとしょく)
馬齢七十 退職四年 起床早朝 毎日日曜 新聞熟読 眼精疲労
朝食完食 食欲旺盛 食後珈琲 砂糖減量 血糖心配 少々肥満
運動不足 夕刻散歩 悠々入浴 夕食満腹 減量作戦 一日延期
飲酒少量 顔面紅潮 早寝早起 九時就寝 本日終了 無為徒食
老後の日々をうまく詩にしてあります。漢字4字で言いたいことを凝縮して表現しておられ、良く伝わってきます。“本日終了 無為徒食”何ともいえぬ風情が感じられ、この詩全体からは、ぶらぶらと何もしないで過ごしておられる様子ではないようですね。
いつの間にか
この詩を読みつつ、いつの間にか私も似たような生活をしつつあることに気づかされます。と言っても、奥深さが違うことでしょう。まもなく私も、馬齢七十になりますので、共感することが多いのかもしれません。この詩のタイトルの「無為徒食」は、意味が深そうです。
これは、自然に任せて作為的でなく生活をしている姿であろうと感じています。ぶらぶらして何もしないで過ごす生活ではなくて、やるべき時もあれば、やらない時もある。頑張る時もあれば、頑張らない時もある。「ほどほどに生きる」ということでしょうか。頑張る、頑張らないというあんばい・比率は、年代によってあるいは置かれた環境によって、違ってくることでしょう。自然の流れに任せて、作為的でなく生きていく事の幸せを、実感していきたいものです。私もこのごろ、ほどほどの生き方が大切だと少しわかりかけてきました。
起床早朝
共感した最大のポイントは、“起床早朝/早寝早起 九時就寝”です。昔は、考えられなかったことが私も実行できています。今朝も5時前に起きて、今このブログを書き上げています。計画的にやろうとしたことではなく、朝起きてブログの続きを書かなきゃと思っただけの事。5時過ぎになると新聞配達のバイクの音が聞こえ、何ともいえぬ良い風情です。
起床早朝は、全く苦手でしたが、2年前に海外旅行に夫婦で行くことがきっかけとなり、初日は4時前に起床でした。妻は、早起きは慣れたものです。海外旅行中は、毎日4時台に起床したと記憶していますが、意外と出来るではないかと良い習慣が定着したのです。
朝早く起きると眠るのも早くなります。ましてや疲れている時は、眠気が襲ってきて我慢が出来なくなり、9時台に就寝となります。今週もほとんど9時台に寝ています。かつては、目覚まし時計が必須でしたが、今は自然に7時間から7時間半くらい眠ると目が覚めます。体内時計がうまく調節してくれているのでしょう。ふとしたことから、早寝早起と言う良い習慣を身につけることが出来、感謝しています。聖書のみことばに、イエスさまが朝早く起きて祈られたことを思い起こします。
「そこで、イエスは朝まだ暗いうちに起きて、寂しい所に出て行き、そこで一人、祈っておられた。」(マルコ1:35 現代訳)
2012年6月15日 小坂圭吾
先日、知人で先輩のMさんから新聞のコピーをいただきました。感謝なことに、ときどきコピーをいただきますが、読んでみると面白く機知に富んだ詩なのでご紹介します。調べてみると、2012年5月20日の産経新聞『朝の詩』という欄に掲載されていて、作者は、兵庫県宝塚市に住む70歳の森口憲一さんです。
『朝の詩』 無為徒食(むいとしょく)
馬齢七十 退職四年 起床早朝 毎日日曜 新聞熟読 眼精疲労
朝食完食 食欲旺盛 食後珈琲 砂糖減量 血糖心配 少々肥満
運動不足 夕刻散歩 悠々入浴 夕食満腹 減量作戦 一日延期
飲酒少量 顔面紅潮 早寝早起 九時就寝 本日終了 無為徒食
老後の日々をうまく詩にしてあります。漢字4字で言いたいことを凝縮して表現しておられ、良く伝わってきます。“本日終了 無為徒食”何ともいえぬ風情が感じられ、この詩全体からは、ぶらぶらと何もしないで過ごしておられる様子ではないようですね。
いつの間にか
この詩を読みつつ、いつの間にか私も似たような生活をしつつあることに気づかされます。と言っても、奥深さが違うことでしょう。まもなく私も、馬齢七十になりますので、共感することが多いのかもしれません。この詩のタイトルの「無為徒食」は、意味が深そうです。
これは、自然に任せて作為的でなく生活をしている姿であろうと感じています。ぶらぶらして何もしないで過ごす生活ではなくて、やるべき時もあれば、やらない時もある。頑張る時もあれば、頑張らない時もある。「ほどほどに生きる」ということでしょうか。頑張る、頑張らないというあんばい・比率は、年代によってあるいは置かれた環境によって、違ってくることでしょう。自然の流れに任せて、作為的でなく生きていく事の幸せを、実感していきたいものです。私もこのごろ、ほどほどの生き方が大切だと少しわかりかけてきました。
起床早朝
共感した最大のポイントは、“起床早朝/早寝早起 九時就寝”です。昔は、考えられなかったことが私も実行できています。今朝も5時前に起きて、今このブログを書き上げています。計画的にやろうとしたことではなく、朝起きてブログの続きを書かなきゃと思っただけの事。5時過ぎになると新聞配達のバイクの音が聞こえ、何ともいえぬ良い風情です。
起床早朝は、全く苦手でしたが、2年前に海外旅行に夫婦で行くことがきっかけとなり、初日は4時前に起床でした。妻は、早起きは慣れたものです。海外旅行中は、毎日4時台に起床したと記憶していますが、意外と出来るではないかと良い習慣が定着したのです。
それまでも何度も早起きをしようと試みますが、失敗続き!ふとしたことで出来るようになったのです。それまでは、せいぜい10-20分くらい早起きから徐々に早く起きることに持っていこうという方法でした。これで挫折ですが、7時前に起きる習慣が、4時ごろに起きざるを得ないことが何日も続くと、考え方が全く変わるのです。
朝早く起きると眠るのも早くなります。ましてや疲れている時は、眠気が襲ってきて我慢が出来なくなり、9時台に就寝となります。今週もほとんど9時台に寝ています。かつては、目覚まし時計が必須でしたが、今は自然に7時間から7時間半くらい眠ると目が覚めます。体内時計がうまく調節してくれているのでしょう。ふとしたことから、早寝早起と言う良い習慣を身につけることが出来、感謝しています。聖書のみことばに、イエスさまが朝早く起きて祈られたことを思い起こします。
2012年6月15日 小坂圭吾
2012年4月18日水曜日
感謝 「全てのこと感謝、一生感謝」
あいさつをしてから駅に向かって歩きながら、考えました。あの一息間があいたのは、普段はまったく交わすことのない挨拶だったなと!「イースター、おめでとうございます!」とは、あまりお互いに言い交した覚えがありません。子供、孫の誕生や、試験に合格、入学、就職、結婚、受洗、クリスマス等々「おめでとうございます」と言い交すことがある中で、「イースター、おめでとうございます!」とは、ほんとに言わないなあ!!それは、私だけだろうか?
色々な「おめでとう」のあいさつの中で、実はこれが一番重要な言葉であるだろうに!Sさんのあの自然な挨拶に感心し感謝しながら、駅まで急いで歩きました。
結婚式のスピーチ 先週末に、実は3番目の子供(娘)の結婚式があり、式後に肩の凝らない会費制の結婚披露パーテイがありました。親としての感謝の言葉は、おおよそ以下のようです。
「今ここにある二人(新郎新婦)は、ご出席の皆様とのおつきあいを通して、育てられてきたと感じています。娘は、英語が強くなり、あるいは積極的になってきたのは、環境もありますが、皆さま方から刺激され、教えられてそのようになって来たのだと思っています。
『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる』と旧約聖書の箴言の言葉にありますが、新郎新婦も皆様あっての今日であろうと思います。ほんとに感謝いたします。
感謝と言えば、先月、知人が一冊の素晴らしい本を贈呈してくれました。『一生感謝』この本を読むと、あらゆることにもっと感謝を。とにかく感謝、感謝の日にしたいものだと!思わされました。良いことばかりでなく、嫌なことも、考え方を変えればそこには感謝することが沢山あることが分かってきます。良い時にも悪い時にも、感謝をする日々でありたいと願います。」
寝る前に感謝を思い出す!
1年ほど前から、私は、夜寝る前にその日の感謝なことを少なくとも5つ以上思い出し、主に感謝をしつつ寝るようにしています。そうすると、良く眠れるようになります。加えて、その日の良いことを記憶でき、記憶力が悪くなったのが少し改善されているかもしれません。
「一生感謝」(ジョン・クオアン著、小牧者出版)という本を読み始めてから、思い出す感謝が、実に倍以上になってきました。一番の変化は、嫌なことがあっても感謝な面があるはずだと考えるようになったことです。別に無理をしているわけではなく、良く考えると感謝な面が分かってくるのです。この本を読み始めたころ、何度か嫌な問題が起きました。そのようなとき、寝る目にこの本を読んでいますと、不思議と感謝な心に変えられていくのです。
とにかく感謝、感謝の日にしたいものだと!のスピーチは、一生感謝にしたいと決心している事柄です。
「主に感謝しよう。主は慈しみ深く、その愛は永遠に続く。」(詩編136:1 現代訳) 2012年4月18日 小坂圭吾
2012年3月27日火曜日
祈り 「祈りは最大の力なり」
東日本大震災か
ら1年
千年に一度と言われる東日本大震災そして原発事故から1年が経ちました。1万5854人の命が失われ、行方不明者は3155人です。いまだに肉親を探し求める人たちの悲しみはいかばかりでしょうか。今もなお34万人余の方々が、避難をして暮らしておられるのです。
新聞に掲載された数字で見る東日本大震災の状況、つぶさに読んでみると、その凄さは計り知れません。M9.0(宮城県三陸沖130キロ)、最大震度7、津波の高さ最大33メートル。地盤のずれは、宮城県牡鹿半島で東へ5.3メートル、1.2メートル沈下。被害総額17.4兆円。原発事故は、深刻度が最悪の「レベル7」。こんなに凄かったのだと-----。
震災から1年の節目を迎えて、テレビや新聞での報道を目に焼き付けました。被災地の様子からすれば、緊張感が緩むどころか「まだまだ、1年たってもこの程度の復興だ」ということです。支援をする私たちは、この復興は長期戦であると覚悟して、「自分には、何が出来るのか?」「出来ることをしよう」と問い続けながら、行動をしていきたいものです。目を覚まして、たゆみなく、このために祈り続けたいと思います。
のど元過ぎれば 今回の大震災を経験し、首都直下地震に対しても従来想定よりも大きい震度の揺れを想定し、色々と見直しが行われていることは喜ばしいことです。皆さんは、地下鉄に乗っている時に、地震が起きたらどうされますか?地震発生後どのくらいで津波がやってくるのか、地下鉄にはいつごろ水が入ってくるのか?テレビの報道番組を見て、色々と基本的な身の処し方を教わりました。私たちは、自然災害に対しては、色々なことを想定して、被害を最小限にとどめる「減災」を追求していく必要があります。
我が家でも、地震対策の見直しをしようと考えました。昨年やろうと思いながらも、そのままに放置されている事柄があるものです。“のど元過ぎれば、熱さを忘れる!”ほんとに忘れっぽい者です。地震対策グッズは?3日間の食糧、水は大丈夫?家具等でまだ地震対策をしてないものがあります。
最大の減災対策は?
先日、TPC主催のステイーブン・英子先生・講演会に出席しました。世界中で色々な災害が次から次へと起こる中、未信者の方々をはじめ多くの人たちが終末を感じ恐れていることが話されました。イエス様の終末預言に対して、産みの苦しみの始まりが、この21世紀になって激しい陣痛になってきているとのお話です。
それは、21世紀の災難を見ると良くわかります。今まで起こらなかった最大の災難が次々に起こっているからです。21世紀に入り、2001年9月ニューヨークで史上最大のテロ攻撃でツインタワー崩壊(9.11事件、3千人以上死亡)。2003年8月ヨーロッパを襲った猛暑(7万人の死亡)、2005年10月インド北部大地震(8.8万人死亡)。2008年5月中国・四川省大地震(8.4万人死亡)、2010年1月ハイチ大地震(22.2万人死亡)等々です。
9.11事件が起こる数か月前のことですが、アメリカのある教会では、聖霊に導かれて、「ニューヨークで何か大変なことが起こる!お祈りが必要だ、祈りだ、祈るのだ!」と教えられ、教会を上げて祈り続けたそうです。その輪は、ある程度までアメリカに広がったことでしょう。9.11事件は、予想を下回る災難にとどまったのは、神様の憐れみと言うほかありません。
東日本大震災も同じような神様の憐れみがあった、と思われます。それは、日本の救いのために、世界中で祈って下さっているからです。私たちは、絶えず目を覚まして、神に祈りをささげることが、最大の災害対策とも言うことが出来ます。これこそが、「最大の減災」に通じる道なのです。
「世の終わりが近づいている。だから、自制して、いつも祈っていなさい。」(ペテロⅠ4:7 現代訳) 2012年3月27日 小坂圭吾
千年に一度と言われる東日本大震災そして原発事故から1年が経ちました。1万5854人の命が失われ、行方不明者は3155人です。いまだに肉親を探し求める人たちの悲しみはいかばかりでしょうか。今もなお34万人余の方々が、避難をして暮らしておられるのです。
新聞に掲載された数字で見る東日本大震災の状況、つぶさに読んでみると、その凄さは計り知れません。M9.0(宮城県三陸沖130キロ)、最大震度7、津波の高さ最大33メートル。地盤のずれは、宮城県牡鹿半島で東へ5.3メートル、1.2メートル沈下。被害総額17.4兆円。原発事故は、深刻度が最悪の「レベル7」。こんなに凄かったのだと-----。
震災から1年の節目を迎えて、テレビや新聞での報道を目に焼き付けました。被災地の様子からすれば、緊張感が緩むどころか「まだまだ、1年たってもこの程度の復興だ」ということです。支援をする私たちは、この復興は長期戦であると覚悟して、「自分には、何が出来るのか?」「出来ることをしよう」と問い続けながら、行動をしていきたいものです。目を覚まして、たゆみなく、このために祈り続けたいと思います。
のど元過ぎれば 今回の大震災を経験し、首都直下地震に対しても従来想定よりも大きい震度の揺れを想定し、色々と見直しが行われていることは喜ばしいことです。皆さんは、地下鉄に乗っている時に、地震が起きたらどうされますか?地震発生後どのくらいで津波がやってくるのか、地下鉄にはいつごろ水が入ってくるのか?テレビの報道番組を見て、色々と基本的な身の処し方を教わりました。私たちは、自然災害に対しては、色々なことを想定して、被害を最小限にとどめる「減災」を追求していく必要があります。
我が家でも、地震対策の見直しをしようと考えました。昨年やろうと思いながらも、そのままに放置されている事柄があるものです。“のど元過ぎれば、熱さを忘れる!”ほんとに忘れっぽい者です。地震対策グッズは?3日間の食糧、水は大丈夫?家具等でまだ地震対策をしてないものがあります。
最大の減災対策は?
それは、21世紀の災難を見ると良くわかります。今まで起こらなかった最大の災難が次々に起こっているからです。21世紀に入り、2001年9月ニューヨークで史上最大のテロ攻撃でツインタワー崩壊(9.11事件、3千人以上死亡)。2003年8月ヨーロッパを襲った猛暑(7万人の死亡)、2005年10月インド北部大地震(8.8万人死亡)。2008年5月中国・四川省大地震(8.4万人死亡)、2010年1月ハイチ大地震(22.2万人死亡)等々です。
9.11事件が起こる数か月前のことですが、アメリカのある教会では、聖霊に導かれて、「ニューヨークで何か大変なことが起こる!お祈りが必要だ、祈りだ、祈るのだ!」と教えられ、教会を上げて祈り続けたそうです。その輪は、ある程度までアメリカに広がったことでしょう。9.11事件は、予想を下回る災難にとどまったのは、神様の憐れみと言うほかありません。
東日本大震災も同じような神様の憐れみがあった、と思われます。それは、日本の救いのために、世界中で祈って下さっているからです。私たちは、絶えず目を覚まして、神に祈りをささげることが、最大の災害対策とも言うことが出来ます。これこそが、「最大の減災」に通じる道なのです。
「世の終わりが近づいている。だから、自制して、いつも祈っていなさい。」(ペテロⅠ4:7 現代訳) 2012年3月27日 小坂圭吾
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