四季の森公園 |
しばらく前から「料理は重要だ、ある程度は自分で出来るようにしたいなあ!」と考えていました。
昨年の春ごろ、家族から「地区センターで”男の料理教室”があるので行ってみたら?」と言われ、以前から知っていましたが、このひと声で行く決心をしました。
妻が大病していたこともあり、しばらく家事をやることになると覚悟していたからです。男だけ7~8人が集まり、2チームに分かれて、女の先生2名がレシピを説明し、実地に色々と指導してくれるのです。
約2時間かけて出来上がった料理を、コロナ禍でもあり持ち帰りました。ちょうどお昼前に出来上がって持ち帰りますので、妻にこれを作ったよ!と一緒に食べるのです。やがて、料理の得意な妻に教えてもらう方がよかろうと考えて、3回ほど教室に通い終了としました。
料理は楽しい
料理といえば、小学生の頃、母親に包丁を持たされて大根の皮をむくことを教えられたのを思い出します。当時はかまどを使って、ご飯を炊く、煮物を作る、お茶を沸かす等をしていましたが、その手伝いをしばしばしたものです。(郷里は備前岡山の田舎です。)
当時、お手伝いさんや奉公人の方が何名もいて、祖父母も健在でしたので、台所仕事もやることが多かったと思います。そういえば、魚屋さんがわざわざ我が家に色々と魚をもってきて、それを母が見ながら、買うものを決めていた光景を思い出します。
この半年間余、妻に料理を教えられつつ慣れてきました。半年前の野菜等の切り方は、ほんに下手だったなと思います。特に堅い人参をうまく切るには、力とコツ?がいるものです。なかなか細く切ることはむつかしく、少しは上手になってきたでしょうか。
夕食は妻任せですが、朝食だけは、毎回メニューは変わらずですが、私がそれなりに準備をします。料理を作ることは楽しいものです。
人生はまさかの連続
ところで人生の楽しみといえば、何でしょうか?人生は楽しむことよりも大変なこと、予想さえしなかった困難なことが次々と起こるものです。
「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」この徳川家康の人生訓は、私たちの心に響くものがあります。
NHKの大河ドラマ「どうする家康」を見ていますと、彼が残したこの言葉の重みを感じざるを得ません。まだ3回しか放映されていませんが、ここまでの人生も大変ですが、これからはさらに困難が襲ってきます。
だから、このタイトル「どうする家康」となるのだと思います。人生の3つの坂~上り坂、下り坂、まさかの坂~このまさかの坂、マサカの出来事が次々に起こる家康、この主人公の大河ドラマは、見る価値はたっぷりありそうです。ソロモン王
ソロモンの知恵
人生を思いっきり謳歌し、楽しむことを考え行動した人といえば、聖書に出てくるソロモンです。彼は、全世界で知恵と富と文才で知られている王、東西を通じての大賢者です。
彼は、神様によって権力・富・能力を与えられ、人生を探求する知恵と多くの機会を得て、贅沢の限りを尽くし、幸福と満足を得るため色々なことに試みました。その試みた人生の長い「体験の記録」が、聖書の「伝道者の書」です。
数多くの探求と経験の後に、「その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」(伝道者の書2:23)と言っています。心を休めるところが、私たちには必要です。
ソロンは、色々と試みたのち、伝道者の書の最後にこう書いています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)。
更に、この結論の前にこのように書いています。「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)
私がこの言葉に目が留まったのは学生時代でしたが、「とにかく若い日に創造者を心に刻むことだ」と思い信じました。年齢を重ねて思うことは、この若い日というのは、”今が一番若い日だと捉えて挑戦すること”だと思います。
今からでも遅くはない、今やろうと気が付けば、その時が一番良いとき、その人にとって若いときであると思います。今からでも遅いことは何もない、この時を生かしたいものです。
「この地上には、何をするにも時がある。」(伝道者の書3:1 現代訳)