2023年2月11日土曜日

今を生きる「人生は旅~流浪の教会に教えられる」

 

ドウダンツツジの新芽

ドウダンツツジの新芽

先日、庭の木々をぼんやりと眺めていると“ドウダンツツジ”に何かが出てきているようです。生け垣として植えたもので、近づいてみれば、新しい芽が膨らみ始めていたのです。

ドウダンツツジは、春にはかわいらしい白い花をつけ、その後は新緑になり、晩秋には真っ赤に紅葉して、年中楽しませてくれます。丈夫で手間がかかりません。

24日は立春で、暦の上では春の始まりです。今年の冬も厳しい寒さの時がありましたが、数日前のお昼ごろ、家人と「もう春の気配を感じるな!」と言いながら散歩しました。頬にあたる風が冷たさを感じない日でした。

寒い中を潜り抜けて、新しい芽をつける木々、季節も冬から春に向かう今日この頃、小さな春をその気になれば、見出すことができるものです。

阪神・淡路大震災の記憶

先月中ごろ、阪神・淡路大震災(1995117日発生)について新聞を読みつつ、当時のことを思い出しました。あのとき、勤務していた会社の同期の者が大阪で大震災に被災し、その日東京本社への転勤辞令が出るも数か月間は現職にとどまり、頑張ったのでした。

私の故郷は岡山ですが、親族は関西に住んでいる者が多く、ある親戚の家もつぶれて大変でした。1か月後くらいでしたか、岡山への帰省の途中に西宮によることことにしました。新幹線で新大阪まで行き在来線・山陽本線の岡山方面行に乗り換えました。

西宮近くになってきますと、社内での話し声が次第に小さくなり、やがて会話がなくなりました。西宮駅に降り立って、周りの風景を見るに声も出ませんでした。生れて始めてみる大震災のなす厳しい状況でした。


流浪の教会~地震、津波、原発事故~その後

信徒の友1月号に“編集者イチ推しの本”として推薦された『選ばれてここに立つ~311後を生きる」(佐藤彰著、日本基督教団出版局、20127月刊行)を読みました。

福島第一聖書バプテスト教会・佐藤彰牧師の著作は、これ以前に『流浪の教会~地震、津波、原発事故~』が原発事故後に緊急出版(20117月)され、少しでも支援になればと即座に買って読みました。

その後の200余名の教会員と牧師の「流浪の旅」について書かれた本が、この推薦された本です。これを読んで、東日本大震災の厳しさについて、再度心が痛みました。

人生の不条理は、突然様々な形でやってくるものです。突如巨大地震と大津波と原子力発電所の爆発という3重苦に投げ出され、バラバラとなりました。

家も故郷も無くなり、流浪の旅を始めたという点で、大きな試練の中に置かれたのです。私たちが予想する出来事をはるかに超えて、尋常ではありません。

この教会は、無牧が続いた農村の教会に、若い佐藤彰牧師が期待され招かれたのでした。以来40数年弱の間に、近隣の信徒の捧げた土地に3つのチャペルを建て、教会員も200名を超えました。

2009年には会堂を建て替え、神様に大いに祝福されました。新しいことも始めようとした矢先に、20113月東日本大震災による原発事故が起こり、すべての労苦が奪われたのです。

牧師も信徒も、教会を捨て、家を捨て、職場を捨てて強制非難となってしまったのです。全く何も持たずのままで~~。

人生は旅、プロセス

この劇的なストーリー、神様のなさる恵みの数々を教えられながら、何度も涙を流しながら読み、わが身のあり方をも振り返ることになりました。

この厳しい状況を経験された皆さんの生き方から、11日を精一杯歩まねばと思わされたのです。この本から少し引用をします。

イスラエルは故郷を出て外国に住み、その地で奴隷となり、モーセに率いられて脱出しましたが、その後は実に40年間もシナイ半島を旅したのです。誰も40年の旅なんてしたくないはずです。

でも気が付きました。聖書は「人生は旅」ということを懇々と語っていたということを。「そうか。旅ならば全部がプロセスだ。山登りにたとえるならば、1合目もいい、5合目もいい、途中途中で喜べないなら、いつ喜べるのだ」と。

いつから結果主義になったのでしょう。頂上でなければダメだ、0点だと。いつから成果主義になったのでしょう。100点か、0点しかないと。頂上に着いたか、まだか。福島に帰ったか、まだか、着けば100点、着かなければ0点と。

モーセは、出エジプトをして荒野の40年にわたる流浪の旅を終え、ネボ山ではるかにカナンの地を見ながらもそこに入ることを許されませんでした。

偉大なるモーセは、神様の言われることを素直に聞き入れ、自分の生涯としては十分であったと受け入れたことでしょう。

しかし、それだけではない、40年の旅そのものに意味があったのではないか?彼は、カナンの地に入ることを目指して歩みますが、明日はどうなるかわからない日々の旅です。

今日という日を精一杯歩むことが一番大切なことであり、その日その日を楽しみながら旅したに違いありません。

私たちは、今日と同じように明日もあると思って歩んでいますが、明日がある無しにかかわらず、この日を精一杯歩んでいきたいものだと強く教えられました。 

「あなたがたは、明日どうなるかということさえ分からないのである。」(ヤコブ 4:14 現代訳)

「いつでもその日その日を精一杯生きればよいのです。」(マタイ6:34 現代訳)

 2023211日 小坂圭吾

 

 

2023年1月26日木曜日

今を生きる「ソロモンの知恵から学ぶ」

 

四季の森公園
男の料理教室

しばらく前から「料理は重要だ、ある程度は自分で出来るようにしたいなあ!」と考えていました。

昨年の春ごろ、家族から「地区センターで男の料理教室があるので行ってみたら?」と言われ、以前から知っていましたが、このひと声で行く決心をしました。

妻が大病していたこともあり、しばらく家事をやることになると覚悟していたからです。男だけ7~8人が集まり、2チームに分かれて、女の先生2名がレシピを説明し、実地に色々と指導してくれるのです。

2時間かけて出来上がった料理を、コロナ禍でもあり持ち帰りました。ちょうどお昼前に出来上がって持ち帰りますので、妻にこれを作ったよ!と一緒に食べるのです。やがて、料理の得意な妻に教えてもらう方がよかろうと考えて、3回ほど教室に通い終了としました。

料理は楽しい

料理といえば、小学生の頃、母親に包丁を持たされて大根の皮をむくことを教えられたのを思い出します。当時はかまどを使って、ご飯を炊く、煮物を作る、お茶を沸かす等をしていましたが、その手伝いをしばしばしたものです。(郷里は備前岡山の田舎です。)

当時、お手伝いさんや奉公人の方が何名もいて、祖父母も健在でしたので、台所仕事もやることが多かったと思います。そういえば、魚屋さんがわざわざ我が家に色々と魚をもってきて、それを母が見ながら、買うものを決めていた光景を思い出します。

この半年間余、妻に料理を教えられつつ慣れてきました。半年前の野菜等の切り方は、ほんに下手だったなと思います。特に堅い人参をうまく切るには、力とコツ?がいるものです。なかなか細く切ることはむつかしく、少しは上手になってきたでしょうか。

夕食は妻任せですが、朝食だけは、毎回メニューは変わらずですが、私がそれなりに準備をします。料理を作ることは楽しいものです。

人生はまさかの連続

ところで人生の楽しみといえば、何でしょうか?人生は楽しむことよりも大変なこと、予想さえしなかった困難なことが次々と起こるものです。

「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」この徳川家康の人生訓は、私たちの心に響くものがあります。

NHKの大河ドラマ「どうする家康」を見ていますと、彼が残したこの言葉の重みを感じざるを得ません。まだ3回しか放映されていませんが、ここまでの人生も大変ですが、これからはさらに困難が襲ってきます。

だから、このタイトル「どうする家康」となるのだと思います。人生の3つの坂~上り坂、下り坂、まさかの坂~このまさかの坂、マサカの出来事が次々に起こる家康、この主人公の大河ドラマは、見る価値はたっぷりありそうです。

ソロモン王

ソロモンの知恵

人生を思いっきり謳歌し、楽しむことを考え行動した人といえば、聖書に出てくるソロモンです。彼は、全世界で知恵と富と文才で知られている王、東西を通じての大賢者です。

彼は、神様によって権力・富・能力を与えられ、人生を探求する知恵と多くの機会を得て、贅沢の限りを尽くし、幸福と満足を得るため色々なことに試みました。その試みた人生の長い「体験の記録」が、聖書の「伝道者の書」です。

数多くの探求と経験の後に、「その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」(伝道者の書2:23)と言っています。心を休めるところが、私たちには必要です。

ソロンは、色々と試みたのち、伝道者の書の最後にこう書いています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)。

更に、この結論の前にこのように書いています。「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)

私がこの言葉に目が留まったのは学生時代でしたが、「とにかく若い日に創造者を心に刻むことだ」と思い信じました。年齢を重ねて思うことは、この若い日というのは、今が一番若い日だと捉えて挑戦することだと思います。

今からでも遅くはない、今やろうと気が付けば、その時が一番良いとき、その人にとって若いときであると思います。今からでも遅いことは何もない、この時を生かしたいものです。 

「この地上には、何をするにも時がある。」(伝道者の書3:1 現代訳)

 2023126日 小坂圭吾


 

2022年12月16日金曜日

今を生きる「『現代訳聖書(改訂新版)』を読む」

 


悪魔のバーゲンセール

今年もクリスマスシーズンになり、街のあちこちでは、クリスマス・バーゲンセールが行われていますが、こんなお話があります。

ある時、悪魔が現役引退(?)の決意をし、それまで使い古した商売道具を“タタキ売り”に出すことにしました。タタキ売りの現場には、悪意や憎悪、嫉妬、羨望、強欲、好色、欺瞞など魅力あふれる品物が陳列されています。

ところがその横に何の変哲もない道具があり、よく見ると他の道具よりはるかに使い込まれた跡があり、誰かが質問をしました。

「これはいったい何ですか?随分高い値札がついていますけど――」          それは“失望・落胆”だよ」悪魔は答えました。                           「でも、そんなものが他の道具より高価だというのは、どういうわけですか?」見物人がしつこく尋ねると、悪魔はそのわけを説明してくれました。

「それはじゃな。他の道具じゃとても歯が立たん時でも、これを使えば人間の心を簡単にこじ開け、その心の中に入ること出来る特別の道具なんじゃ。いったん“失望・落胆”が入り込めば、あとは他の道具を使って思いのままに仕事ができるという具合じゃ。どうだい買うかい?」

悪魔は私たちを失望・落胆させようと、色々な問題を引き起こし、私たちを苦しめようとします。しかし、このような苦しみや試練は喜びとセットであると聖書は教えています。

言葉を変えれば、マイナスは必ずプラスになるということです。聖書を読み、聖書から教えられ続けていると、マイナスはプラスに変わると信じて歩む力が与えられるのです。

なぜ聖書を読むの?

聖書を読むとは言うものの、なんといっても聖書は古い本で、いわゆる“古典”に属する書物ですので、チョット読んだだけではわかりにくいものです。普通の本ですと、その書籍がどういう目的で書かれたかが最初に記されていますが、聖書にはそれがありません。

それでは聖書の書かれた目的はなんでしょうか。それは私たちの救いです。聖書は生ける神のみことばであり、「イエス・キリストによる救い」を教えている本です。それは私たちの成長を促す霊の食物なのです。

この数年、私たち夫婦はほぼ毎日のように家庭礼拝を続けてきました。カナダ・バンクーバーに10日間ほど旅行した際、『リビングライフ』というディボーションテキストを用いてホテルで朝の家庭礼拝をしたのがきっかけでした。

それ以前にも週に一度くらいは家庭礼拝をしていましたが、優先的に家庭礼拝をするようになって、非常に多くの恵み・祝福を経験するようになりました。

個人のディボーション以上に広さと深さにおいて恵みが与えられるのです。家庭礼拝の教材には、当初は解説付きのものを使っていましたが、次第に解説の必要を感じなくなり、今は質問メインの教材にしています。教材はいくつか変遷しましたが、聖書は常に『現代訳聖書』を使ってきました。

『現代訳聖書(改訂新版)』の刊行

この『現代訳聖書(旧新約)』ですが、去る202011月、訳文を見直した新たな『改訂新版』(紙版)を刊行しました。

1983年の初版刊行以来、「読むだけで分かる聖書」として多くの人に親しまれてきましたが、言葉は二、三十年で変わるという常識から、5年ほどかけて改訂の作業に取り組み、翻訳者の尾山令仁先生による見直しに加え、現代訳聖書翻訳委員会による日本語の推敲と修正も行いました。


時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、古い言い回しの修正、送り仮名の変更、漢字とひらがなの使い分け、句読点の調整、接続詞や代名詞や敬語などの調整等々、修正は約3万箇所にのぼりました。

聖書を翻訳によって分類すると、「原語に忠実」な聖書と「原文の意味に忠実」な聖書の2種類に分けられます。『新改訳聖書』、『新共同訳聖書』等が前者の“原語に忠実な聖書”であり、『現代訳聖書』が後者の“原文の意味に忠実な聖書”に該当します。

「原語に忠実」に訳した場合、2千年以上も前の原語をそのまま訳すわけですから、当時と風俗習慣が違う私たちには理解できず、良くわからない箇所が多々出てきます。ユダヤ的表現が随所に見受けられたり、昔の度量衡や貨幣が出てくる等々、理解が難しくなるポイントはいくつもあります。

英語圏では「原文の意味に忠実」に訳すという翻訳原則で訳された聖書は十数種類出ているようですが、日本語訳の聖書では極めて少ないのが現状です。

「『現代訳聖書』を読むと、意味の分かりにくい箇所がよく分かる」とのご感想をいただくことがよくありますが、それは、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて、「原文の意味に忠実」に訳していることによるものです。

電子書籍版の刊行

先月11月には『現代訳聖書 改訂新版 電子書籍版』を刊行しました。Amazonキンドルにてご購入後、スマホ、タブレット、パソコン等でご利用できます。電子書籍市場ではAmazonキンドルが一番のメジャーであり、今後のIT技術の進歩にも追随してくれるので安心です。

なお、旧約聖書(1250円)、新約聖書(750円)の二つに分かれています。読むだけで分かる聖書『現代訳聖書 改訂新版 電子書籍版』を、ぜひ日々のデボーションや家庭礼拝や聖書研究にお役立てください。詳しくは、こちらをご覧ください。

https://www.logos-pb.com/

私たちはこれからも「読みやすく分かりやすい聖書」を出し続けていきたいと願っています。日本人の多くは八百万の神しか知らず、99%の人々が真の神さまを知らない状態です。一人でも多くの日本人に聖書を読んでいただくために、この『現代訳聖書』が用いられることを心から願ってやみません。

 「今生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋なみ言葉の乳を熱心に求めなさい。それによって成長し、救いが完成するのである。」(Ⅰペテロ2:2 現代訳)

 20221215日 小坂圭吾(現代訳聖書刊行会・代表)

 (追伸)

改訂新版の刊行にあたり、多くの資金が必要となり献金のお願いをしてきましたが、電子書籍の刊行も含めて必要額が満たされましたことをここにご報告し、感謝を申し上げます。主なる神様に賛美と感謝をささげます。

 

 

2022年11月18日金曜日

喜び 「感激・感動する」

 

生田緑地ばら苑
元気が出る

私たちは、感激・感動したとき実に元気が出てきますが、その場面は色々です。自然界の雄大さに圧倒されたとき、スポーツや映画を見たとき、聖書の言葉が迫ってきたとき等々

体の元気は、食事をすることにより、心の元気は、感激・感動することによります。問題や困難にぶつかり、落ち込み折れている心に、元気・やる気が与えられるからです。感動して忘れられない体験と言えば、困難や苦しみを乗り越えたときが多いかもしれません。

私たちを成長させ訓練される神様は、苦しい状況や問題の状況をしばしば用いられます。そのような時、かたくなな心がしだいに柔らかくなり、物事を素直に受け止める状況になり、心に響くことが与えられるのでしょうか。

今回は、過去の感激・感動した特に旅のシーンを思い出しながら、感激、感動のことを徒然なるままに書いてみます。

第1話、新幹線の中で

新幹線自由席に乗って、関西方面からのぞみ号で帰る途中のことです。いつもはビジネス客で静かな車内、斜め横に2人の若い女性(学生?)が大きな声で話をしています。

少しうるさいかな?と気になっていた時、彼女らの斜め横に座って寝ていた男性が立ち上がり、彼女らに向かって一呼吸置き人指し指を口に当て「シー」と合図しました。とたんに彼女らの声は、テレビの音量を下げたかのごとくに聞こえなくなったのです!

その後、私も静かに眠ったことは、言うまでもありません。実にうまい注意の仕方で、些細なことながら小さな感動でした。

第2話、添乗員の面白いこと
ツアーで九州をぐるりと周遊するハードスケジュールな旅行をした時のことです。阿蘇くまもと空港に着いて観光バスに乗り込み、最初に添乗員の方の挨拶です。添乗員は、旅程や宿・昼食等の世話をする係で、普通は、あまり面白くも何もありません。

ところが、これが実に愉快!「皆様、今日はXX交通社をご利用頂きありがとうございます。23日よろしくお願いします。」拍手ぱちぱち!するといきなり「まったく気の入ってない拍手をありがとうございます。」もう大拍手と爆笑です。

「この旅は、ほんとうに大変なスケジュール、厳しいスケジュールです!特に関東のお客様は、これでもかと言わんばかりの詰めに詰めた内容です!」脅しとおかしさが混じって、これから23日が楽しいぞと思わせられました。

彼女が登場するたびに、今度は何を言うのかと皆心待ちに聞き、そのたびに爆笑。ガイドさんの説明もうまいのに感心!彼女たちが楽しくしようとの企てに皆も影響され、わいわいがやがやの道中でした。

九重”夢”大吊橋

第3話、湯布院近くの九重(ここのえ)”夢大吊橋

先日、長男夫婦が大分県の湯布院に旅行したと聞き、そういえば、夢大吊橋があったことを思い出しました。今はどうなっているかとスマホで調べたところ、1116日入場者数が1100万人を突破したとのこと。

総工費約20億円、20061030日落成した長さ390m、高さ173m、幅1.5mの日本一の人道専用大吊橋です。湯布院が脚光を浴び、さびれてきた村をどげんかせんといかんと言うので、町長一人がんばり、町議会の全員反対を説得し完成させました。

村としては、とてつもなく大きな夢の計画です。国、県の補助無しで建設し、ちょうど旅行で行った日が落成して丸3年(20091030日)、既に訪れた人が500万人でした。素晴らしい立地の場所にあり、町民の夢を拓くことが出来、訪れた人々には夢を与える大吊橋です。

「九重”夢大吊橋」は、みんなに夢を与え拓かれるようにとの願いが込められ名付けられました。町長一人とにかく頑張って、この素晴らしい立地を生かした事業をやり遂げたお話で、本当に感動したことを覚えています。

いつもやわらかい心で

旅する時には、心と頭を空っぽにしますと、新しい違ったものが入って来ます。新しいことがどんどんとインプットされます。大自然や歴史や文化、人との触れ合いを通して、心の中に励ましやら、元気やら、夢が与えられたり拓かれたりするのです。これが、旅の良さなのです。

人生において成長し続ける大切なポイントは、”感激・感動する心を失わないという言葉があります。”感激・感動は意識となり、意識は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となる!

いつもやわらかい心を持ち、苦しいことや問題にも正面から取り組むと共に、小さなことでも感激・感動する心を持ち続けていきたいものです。

「きょう、もし御声を聞くならば、~~~ 心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル3:7~8 新改訳)


2022
1118日 小坂圭吾


2022年10月6日木曜日

今を生きる「平凡な日常を大切に~妻を尊敬する」

 

山下公園から横浜ベイブリッジ

まずはジョークから

オンヌリ教会の主任牧師・イ・ジェフン先生の語られた楽しいジョークです。 一組のご夫妻がいつも礼拝に出席していました。ご主人は、奥さんの付き合いで嫌々出席していました。

ある日、奥さんが風邪をひいてしまい、礼拝に出席できなくなりました。奥さんが、ご主人に頼みました。「どうしても牧師先生の説教が聞きたいので、あなたが代わりに行って、説教のメモを取り、後で話を聞かせてください。」

ご主人はしかたないので礼拝に出席し、やがて帰って来ました。ところが、なぜかご主人の様子が違っていて、とても愛情深く、親切になった由。

奥さんは、「どんな説教を聞いたのかしら?『妻を愛せよ』との内容だったのかしら?それにしても、一回の説教でこんなに人が変わるかしら?」と教会に電話して聞いてみました。

牧師先生にこのことを話して尋ねると、牧師はびっくりして言いました。「私の説教はですね、『敵を愛せよ』というテーマだったのです・・・。」(大笑い)

それにしても、夫たるもの家庭の平和のためには、奥さんの言うことに従うことは、良いことにつながりますね。

気になるバナナ

先月の朝食の時、私がバナナを食べようとしたときに、妻がさらりと言い出しました。「あの店でのバナナは買わないでほしい。」「味は、他の店とは変わらずおいしいよ!?」私が買ったこのバナナについて、何かまずいことがあるようでした。

数時間後に、妻がスマホを開いて「安全なバナナの見分け方」という記事を私に読むように見せました。輸入したバナナは、防カビ剤が残留している可能性が高く、その防カビ剤の危険性がわかっており、農薬や化学肥料に頼らず有機栽培の物に限るようにとのことでした。

妻の食の安全についての気配りは、ここまでも行き届いており、バナナについては認識不足でした。

我が家では、30数年も前から玄米菜食中心の食事で、さらに無農薬有機肥料で栽培された自然食品が中心です。肉は少なくして魚中心で、味付けは薄味です。

私も意識をするようになってから7~8年、努力中です。長い間、食事について妻まかせで、自分自身で「何を食べるのが良いか、何が悪いか?」確かなことを知らずできました。

狭心症になって始めて、目が覚めて色々と勉強しました。食事によって人間は多大な影響を受け、病気や肥満にもなり、健康にもなりえます。

妻は病気療養中なので、理想的な食生活は出来ない現実ですが、根本的な考え方は変わっていません。現在はスーパーで売っているお弁当、総菜等も毎日の食卓に乗せています。


三浦綾子作

平凡な日常を大切に

今読んでいる本に、三浦綾子・生誕100年記念ベストエッセイ集「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」(いのちのことば社)があります。三浦綾子さんの書かれた多くのエッセイの中より、選りすぐりの物を選んでくださったので、読んでいくと一編一編が深い味わいを感じるとともに「日常を深く大切に生きる」ことを教えてくれます。

したがって、1日に1編ずつ味わいたいと感じながら、夫婦で大切に読み進めました。その中にこのような文があります。

「生きるということは、私は悲しみや苦しみに耐えることであると同時に、平凡な日常を切り捨てずに、深く生きることであるとも思う。」

平凡な日常と言いますが、神様が創られたこの日は、この時は、決して平凡ではなく、毎日が昨日よりは大きく異なるのです。白いキャンパスに今日のことを書くとすれば、間違いなく昨日とは違う絵になるのです。そこにある意味もまた深く掘り下げれば、新しいことや発見、感謝があるのではないでしょうか。

先のバナナ事件から発して、食べることについて少し深く考えることにつながりました。自然食にこだわるといいながら、いい加減になっている自分、食の安全を忘れていました。自分一人では気づかないことは多くあり、人と接することから、目が開かれ気づかされていくものです。

このように書きながら、日常をいかに深く生きるのか、その心構えを持つと何か変わるように思わされます。「老いては、子と妻に従え。」とは、良くぞ言われたものだとわが身を振り返ります。 

「夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(ペテロⅠ3:7 新共同訳聖書)

 202210月6日 小坂圭吾