2011年5月16日月曜日

今を生きる 「原発事故は、想定外のことですか?」

     想定外のこと?
  東日本大震災で福島原発事故が起こり、「想定外のことが発生した」との話を何度も聞かされました。これを聞いて「何を今さらそんなことを言うの?リーダーならリーダーらしく、科学者なら科学者らしく素直に認めたらどうなの?心から謝罪でもしたらどうか!」と厳しいですが、私は感じました。
 
 専門家は、1000年以上前の平安時代にこの地域が広範に浸水した大津波を予測し、福島第一原発の想定津波の見直しを迫っていました。国会でも、原子炉冷却システムが機能しなくなる恐れがあることが指摘されながら何もしなかったのです。原発事故が起きてわかったことは、リスク分散がきわめて不十分でした。どこかが機能不全になれば他で補えるようにバックアップをして万全を期しておくのですが、この原子力発電所の場合、お粗末限りなしの状況でした。
 
     イエスの十字架と復活
  この東日本大震災からしばらくしてイースター(復活祭)があり、まもなくペンテコステ(五旬祭)の日が巡ってきます。この季節にイエス・キリストの十字架と復活を思いながら、「想定外のこと」について思い巡らしました。「イエス様が、十字架にかかられることは想定外でした。ですから、十字架にかかられるときに思わず逃げ出したのです。」とは、弟子たちは言いませんでした。イエスは何度も「私はやがて十字架にかかる」と言われ続けましたので、弟子たちは、十分すぎるほど知っていました。イエスが、総督ピラトの裁判にかかり十字架刑に処せられるとわかると、弟子たちの多くは、恐ろしくなって逃げてしまいました。これが私たちの姿でもあります。
 
 十字架にかけられたイエスが、3日目に復活されます。女の弟子たちは、イエスの葬られた墓に行くとそこは空でしたが、御使いの話を聞き、イエスがよみがえられたことを信じます。それを男の弟子たちに話しますが、誰も信じてくれません。男の弟子たちは、旧約聖書の話を十分知りつつも、「イエスが復活されるなんて、まさか?」との反応だったのです。想定外とは思いません。ヨハネは、ペテロと一緒に走って行って墓の中の様子を見て、復活されたことを信じます。その後、イエス様がいろいろな場面で顕現されますが、弟子のトマスが最後まで頑固に信じないと言い張ります。彼は知識で想定出来ていても、理解できていなかったがゆえに信じられなかったのです。思えば、私も信仰に入る前、復活について頭で理解できても信じられなかった体験があります。
 
     想定外は、実は想定内
 NHKスペシャル(57日)での東日本大震災についての検証を見ますと、今回の大震災は十分に考えられる事、“想定外ではなくて想定内である”と言えるようです。確かに千年前に起きたであろう三陸沖地震の大きさに匹敵する規模でした。原発事故について「想定外」との言葉は、責任回避以外の何物でもありません。歴史は繰り返す!私たちも、想定外と言って責任回避という同じ過ちを犯しがちなものです。過ちを素直に認めようとしない自分があります。素直に現実を認めて、間違いを素直に受け入れていくところから、新しい力が湧き出て来るように思います。
 
 このような大災害は「信じられない」というのが素直な気持ちではあります。日本ハムのトレイ・ヒルマン元監督が、日本ハムが日本シリーズに優勝した時に「信じられない!」と叫んだことは有名です。彼にとっては、優勝は想定外だったかもしれませんが、そのようなことが起こるのは神様にとっては想定内であり、だから自分にとっては信じられないと言われたのだと思うのです。すべての事柄は、主なる神様の支配下にあり、神様にとっては全てが想定内です。その神を信じる私たちは、想定外のことも想定内として受け止めるところから、主よりの新しい力をいただくことが出来るのです。そして、歴史に学ぶ者となりたいと思います。

「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」(伝道者の書1:9)

2011年5月16日    小坂圭吾