2010年12月16日木曜日

今を生きる 「日本の前途を憂える(1)」

     散髪屋での政治放談
   毎月1回行く散髪屋、朝9時に開店です。先日は15分前に行きましたが、何と早くも4台の散髪台はフル稼働中で待っている人も数人です。自宅から20分くらいで、3年ほど前に開店して大盛況の散髪屋さんです。料金が手ごろなことと、店主の応対が良いことが評判を呼んでいるのでしょう。店主の方とは何かと親しくしていて、このときは政治放談をしました。
 まず私「昨今の政治を見ていると、腹立たしいことが多いですね。民主党のやり方を見ていると、あまりにもぶれることが多くて、まったくがっかりですね。」散髪屋の店主「まったくだ。このままだと菅内閣は持たないね。総理としてもう少ししっかりしてもらわんと困るね。自民党も困ったものだ。景気が悪くて困っているのに、民主党の上げ足ばかりとって!もう少し建設的な意見を戦わせてほしいね。」私「何かまずいことを探して攻めれば良いとしか考えてないね。政治としてやるべき優先度の高いことがいっぱいあるよね。」店主「ただ反対ではなく、ある程度やらせてみて、駄目ならそれをどう改善していこうかという姿勢がほしいね。」 
 多くの国民が今の政治のやり方には、どの党にも辟易しているのが現状でしょうか。

     沈没寸前の日本
 この数か月間、“このままの日本で良いのだろうか?”と問題提議をして、いろいろな方と会話を交わしています。我ら日本人は、大声を上げ「このままだと駄目だ!」とはあまり言わない国民ですが、多くの方々が、日本の現状をこのままではまずいと思っておられることでしょう。自分で声に出し発信をしていこうと、このブログでも書くことにしました。
 まず今の日本がいかに危機的状況で沈没寸前であるのか?日本の現状は、政治のみならず行政も経済も教育などあらゆる面で、破綻をきたしています。その破綻をきたしている代表が、政治ではないでしょうか。2010年度の国家予算を見ますと、税収が37兆円に対して92兆円の予算を組んで「高校無償化」「子ども手当」「高速道路の無料化」などの大衆迎合、選挙目当てのばらまきをし続けています。(これらをやることが意味ないとは言いませんが、国家予算が破綻をきたしている中で、このような政策が良いとはとても思えません。)そのために国の借金が2010年度末には973兆円になる見通しです。
 これを一般的な家計に置き換えてみると、年収が370万円なのに支出が920万円もあり、かつ借金がほぼ1億円もあるのです。しかも毎年400万円の新しい借金をしている、いずれは破産すること必死でしょうが、これほどひどい財政危機の国は、世界中でどこにもありません。

     民主党の豹変
  民主党政権が誕生して、自民党とは違う良い政治をしてくれるであろうと期待しました。政権交代をしたことにより、今まで見えなかったこと、自民党政権が長かったために腐敗していたことが明らかになりました。一方で、民主党のやっていることは、自民党を上回る史上最大の予算であり意味不明のバラ撒き政策です。おまけに選挙で言ったこととやることがブレてしまっています。自民党以上にひどいこともいろいろと出て来ている状況です。選挙のための政治家をやっているとしか言い様がなく、国民のための政治家をやっているとは、とても言うことが出来ません。野党の党首の発言を聞いていても、危機感も信念も感じられないのは、まことに残念です。                                                  

 こんなにひどい日本、ダメな日本を作ってきたのは、政治家と官僚だというと言いすぎになるでしょうか?何もそれは今に始まったことでなく、何十年も前から言われていました。マスコミが、鋭い分析や批判を加えた報道をすることを期待したいのですが、彼らはわかっていても語ろうとしないのです。もちろん一部の良識ある人たちは、書いたり話したりしていますが、それは多くの国民には伝わってきません。このダメになった日本の現状を指摘した本やジャーナリストは、ほんのわずかなのです。良く言われることですが「日本は、経済は一流だが、政治は三流だ」があります。もう20年以上も前から「政治はどうしようもない」と言われ続けていました。声を大にしないまでも多くの人たちが思っていたことでしょう。その当時は、経済が右肩上がりに成長して国民の生活はどんどんよくなり、“政治は大きな判断をしてこなくても良かった”と言っても過言にはならないでしょう。
 
 イギリスのチャーチルの言葉があります。「政治家のレベルは、国民のレベル以上にはならない。」日本の選挙民が、政治家に対し地元への利益誘導や安直な見返りしか期待しなければ、その程度の政治家にしかならない。知名度の高い「タレント候補」をもてはやす国民のレベルでは、良い政治をといっても限度があります。政策の中身よりもイメージで一票を投じてしまう我々日本人の選挙に対する意識の低さ、それを厳しく自戒したいものです。日本の政治の貧困さは、実は、ほかでもない私たち国民自身の責任です。                      

2010年12月16日    小坂圭吾   

2010年11月19日金曜日

喜び 「ラジオ、テレビを考える」

     ラジオの気分
日本で初めてラジオ放送が始まったのが1925322日で、今年で何と85年目を迎えました。変化に敏感なテレビに対して、4050年続く長寿番組も珍しくないのがラジオの世界です。私も車を運転しながらラジオを聞きますが、「永六輔、誰かとどこかで」の番組を聴くことがあります。これは、TBSラジオで1967年から始まったそうで、永六輔さんの声を聞きながら、かなりの年令だろうなと思いながら聞いています。意外にもラジオの年間販売台数は、300万台ほどあり、語学習得や防災用の必需品として用いられるようです。
我が家にも数台ほどありますが、内2台は、1520年ほど前の古いラジオです。昔のものは、作りが良いのでしょうか、長持ちがしますね。数年前に買ったラジカセは、数年でカセットデッキが壊れて買い直しましたが、それも数日で壊れてクレームをつけたところ、すぐに新品と交換してくれました。今は、大丈夫なようです。数台の内1台は防災用ラジオで、1台はダイニングキチンにあり、どちらも“ながら”用ラジオとして使っています。残りの2台は、私と妻それぞれ専用です。時々、夜7時のNHKテレビニュースを、ラジオから聞きながら食事をすることがあります。食事の時は、必須でない限りテレビはつけないか消音にしています。その方が、ゆっくりと食事ができるからです。
     テレビに思う
 テレビが世に出てしばらくして、「テレビで一億総白痴化する」と発したのは、有名な評論家の人だったと思います。1日平均どの位テレビを見るかの調査によると、あまりにも多いのに驚かされます。一億総白痴化が、現実の姿になっているのでしょうか?テレビの悪い影響に毒される、あるいは深く考えることをしなくなっている現実があります。
この十年ほどのテレビ番組を見て、不愉快に思うことがいくつかあります。ひとつは、見たいと思う番組がほんとに少なくなってきて、どうでも良いようなクイズ番組や低俗なお笑い番組が横行して見る気になりません。私の場合、ニュースと特別番組そしてスポーツ番組、映画くらいが中心で、他はあまり見ません。

肝心のニュース番組で、不愉快に思うことがあります。それは、殺人事件やひき逃げ事件、殺傷事件について、毎日にように微に入り細に入り、これでもかこれでもかと言うように繰り返し同じ事報道します。これには、うんざりします。事件の進展がないのに、繰り返し同じこと報道するのは、止めてほしいと思います。その報道の仕方があまりにも配慮が足りないというか、遺族の方のことを考えるともっと違う表現をして良いのではないかと思うことがしばしばです。自殺、他殺の表現として、事実言うとしてももう少し何らかのデリカシーがあっても良いのではないでしょうか?現場の生々しい実態事細かく淡々と報道する、しかも言葉が連呼されるのは、まことに聞くに耐えません。そこまでいう必要があるのか疑問に思い、担当デイレクターにも文句言いたい気持ちです。            
                                          
    ラジオ脳を鍛える
 古くからの知人でクリスチャン先輩・増沢康年さん、彼は、NHKラジオの英会話講座を聞き、腕を磨いた人です。もうかなり前のことですが、千人会堂建設のためにアメリカの教会視察に御一緒した時ですが、英語で自己紹介をする時がありました。その時、彼が易しくともきれいな発音で自己紹介をされました。そのわけを聞きました。なにしろ朝早起きの彼ですので、「会社に一番に行くと、NHKラジオの英会話をまず聞きます。これが長年の習慣です。」と秘訣を話してくださいました。「継続は力」身近なすばらしいお手本です。

 ラジオは、脳を鍛えると言われます。視覚に頼ることがない分、音や言葉が連想の刺激へとつながり、音声を映像化する必要があり、脳には負担がかかりますが幅広く活性化されていくのだそうです。テレビの場合、脳力アップには不向きだといわれます。ラジオは、何かをしながら聞くという「ながら」が特徴ですが、同時に二つのことを行うというのは、脳にとっては高度な働きになります。ですから、脳を鍛えて老化を防ぐことにもつながるのです。テレビやインターネットや携帯電話やら便利な世の中になって、頭を使わなくなったと感じるのは、私だけではないと思います。脳は甘やかすと衰えてしまいますが、鍛えると成長するのです。

何事も鍛えること、訓練する事を忘れてはならないと思い起こしました。ラジオとテレビについて考えてきたら、こんな事に結論がいたりました。色々なことが便利になり、とかく楽なほうへと流れていきがちな私たちです。そんな時、つらいことや嫌なことを忍耐することにより、後で見るとそれがほんとに良かったのだと思うことがいかに沢山あることでしょう。どうせやるなら、鍛える事になるような生活をしたほうが、良いようにも思います。

「およそ、鍛練というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(ヘブル 12:11 新共同訳)

2010年11月19日    小坂圭吾

2010年10月15日金曜日

今を生きる 「ユニークに生きる」

     一文字
  毎年お世話になっている歯科医に「ア歯科」があります。約20年前、近所の良い歯医者を捜していたところ、評判も良さそうだと聞きました。「面白い名前をつけたものだな。一文字だ。しかも最初の一文字だ。」と思いながら、通い始めた記憶があります。それまでは、歯医者にほとんど用事がなかったのですが、40代半ば頃に、勤務先で歯の検査をしたところ、歯槽膿漏(しそうのうろう)であると言われました。「こんなに良い歯を、長い間ほったらかしにしてはいかん。年に一度は歯科医に行きなさい!」と厳しく指導され、歯医者を捜していたのです。
  その頃は、分厚い電話帳が配られていた時代で、何か調べるといえば、電話帳をめくったことを思い出します。ですから、電話帳の最初に来ることを考えたのかな?と思ったりもしました。こんな名前をつけている歯科院長はといえば、当時としては良い意味で、ユニークな面白い方だと思いました。(今は当たり前かもしれません)すなわち、歯磨きを徹底させるとか、あまり費用をかけないで治療をするとか、歯のクリーニングをしっかりさせて一生使える自分の歯を残していこう、という事に力を注いでいる歯科院長です。娘が年に1-2回ほど帰国しますと、この医者にお世話になります。なにしろ、海外の歯の治療は高いものですから。そのとき、この歯科院長は、帰国滞在日数内で、治療をうまく終わらせてくれるのです。

     ユニークな商号
  先日、本棚を見て「読むくすり」(上前淳一郎著、文春文庫)という本を手に取りました。前々から、読み返すと面白いだろうなと何となく気になっていた本です。シリーズで10数冊以上も出ている本ですが、そのうちの1冊を十数年ぶりかに読み返してみますと、「あ」と「ん」いうテーマで書いてある記事がありました。そこには、こんな内容のことが書いてありました。

  東京23区の企業名電話帳のページをめくってみると、平仮名で一字だけの店は、「あ」は1軒だけで「ん」は4件もある由。喫茶店「あ」の店と印刷会社「ん」を紹介している。どちらにしても、電話をかけて来たり、店先に来たりしたお客は、不思議に思うようだ。最初に電話番号登録のため電話局に行き、屋号を記入した書類を窓口で渡したら言われた。「店の頭文字『あ』だけを書いてもダメだよ。全部記入してください。」株式会社『ん』の商号登録に登記所へ行ったら、係員が変な顔をして受け付けてくれない。1日待たされ、登記所は会議をして、やっとOKになった。このユニークな名前は、商売繁盛になったようだ。
 インターネットで株式会社「ん」を検索したところ、印刷会社はもうないのでしょうか、違うお店でした。

      西村長ばあさんのこと     
  この秋の連休を利用して、岡山の故郷に帰ってきました。例年の秋と比較するとまだ夏日(25℃以上)があったりして、誠に暑い秋でした。私の母の実家が、岡山県の北部・鏡野町にあります。まさに旧家でして、家も古ければ住んでいる人間様もまた古いことは言うまでもありません。米寿(88歳)のお祝いを兼ねて訪問です。周りの家は、すべて建て直して新しくなっていますが、実家だけは、建て直しの費用がかかりすぎて出来ず、門はすでに150年余です。
  私の母の母(祖母になる)に、西村長(ちょう)と言う人がいました。この西村家の家業(造り酒屋)の2代目です。彼女は、結婚してまもなく夫が27歳でなくなり、その後、この家業を引き継ぎ、女ひとりで子供を育て(女の子2人)、奉公人を世話しながら(多い時は10人位?)家業を切り盛りしたのです。2代目として活躍したのは、今から70年以上も前・戦前の話です。私も幼いときに、実家の縁側でしばしば将棋をしながら遊んでもらった記憶があります。明るくて、肝っ玉が太くて人徳もあり、“ほんとに良く出来た長ばあさん”だったと、彼女を知る人たちの一致した意見です。テレビドラマの主人公にでもすれば面白そうな人で、その個性が光っているのです。私の母の評によれば、“長ばあさん”を褒める言葉があふれ出ます。  
  その後の3代目、4代目、5代目を見てみると、その連れ合いを含めて、どう見てもユニークだなといわざるを得ません。一人ひとりが、実に個性にあふれている一族なのです。なぜ、こうなるのでしょうか?この一族の歴史を、このときに少し時間をかけて聴きながら、誰しもその人の個性そのままに生き抜いたのだなとわかり、そんな家風があったのだなと感じました。良い家風の大切さを思いました。
  私たち一人ひとりは、実にユニークに造られました。私というものは、人類始まってから今日までそして今後も、同じ人間は決して存在しません。それほどにユニークであるに違いないのに、そのユニークな輝きをとかくすると失ってしまいがちです。ですから、自分に与えられた賜物を意識して、しっかりと輝かせて生きていきたいと思わされるのです。

  「あなたがたは、それぞれ違った賜物を頂いているのですから、それを下さった神の良い管理者として、その賜物を使い、お互いに仕え合いなさい。」(ペテロⅠ 4:10)

2010年10月15日    小坂圭吾

2010年9月13日月曜日

健康余話 「断食をする」

     人間の寿命は125歳まで 
現代の医学では、人間の寿命は、遺伝子に125歳までプログラムされていると考えられています。現実には、その寿命が来る前に体の老化が進み、病気にかかって死んでしまいます。日本の3大死因は、がん、心筋梗塞(心臓関係)、脳卒中だそうです。明治大正期の首相で早稲田大学の創立者である大隈重信は、大言壮語で晩年まで意気軒昂(けんこう)。「ワシは125歳まで生きるつもりだ。なぜかといえば、動物は己の成長期の5倍は生きる。」大風呂敷の好きな彼の持論でしたが、結局83歳でなくなりました。
平均寿命が80歳といわれる時代ですが、仕事に費やした時間と、定年後に使える時間がほぼ等しいといわれます。ですから、定年近くになり、それまで仕事を通して養われた経験、知見からして、何か役立つことを探し求める。会社生活の時代に考える余裕の無かった心のよりどころを求め、宗教に思いをはせる。私たち日本人の宗教心といえば、「何事のおわしますかは知らねども、忝さ(かたじけなさ)に涙こぼるる」の歌心が、日本人の根底にあると言われます。多くの日本人は仏教行事にかかわり、家庭には仏壇があり、神社や仏閣があれば手を合わせるという、そのような環境で育ってきています。学校時代は、ミッションスクールであったという方も多く、チャペルでの礼拝や聖書講義を聴いて卒業しています。キリスト教への理解と関心は、必ずしも深まっていないかもしれません。定年後になって、日本的なものを身につけた中で、生きた創造主を求めてそれを見出す!それは、私たちの思いをはるかに越えた素晴らしい事柄です。

     最高の医者にかかる
中高年になりますと、心のよりどころを求めると共に、健康のことが最大の関心事になります。若い頃から、健康に留意することは重要なことなのですが、どうもそのように気をつけないのが我々の姿のようです。古今東西において、神さまが、私たち人間の健康のために与えてくださった最高の医者、それが何と二人もいます。一人は熱であり、もう一人は断食です。 
“発熱”は、誰にとっても一種の体における警告信号で、かつ絶妙な癒し手でもあります。私の妻は、普段元気ですが、忘れた頃(10数年に一度くらいでしょうか?)風邪で熱を出して寝込むことがあります。そのときには、医者にも行かず、薬も使わず、時間がかかってもあわてず、そのまま寝て休んでいます。「風邪薬を飲んだらどうか?」「少し長引いているので、医者にでも行ったらどうか?」と尋ねてもまったく受け付けてくれません。そして、4日も寝れば間違いなく直ります。(私は、このまねは全く出来ず、買い置きの薬を飲んでしまいます。)発熱には、それなりの訳があり、同時にその病気を治す力もあると言われます。医者に行けば、昔ならば「安静にして寝ていれば、大丈夫!」と言って元気つけてくれたように思いますが、昨今の医者は誰も言わないことでしょう。必ず薬を処方してくれ、多すぎる薬を出すのには、やや腹立たしく思うことがあります。(何も風邪の場合だけでは、ありませんがー。)
        
     断食をする
もう一人の名医は、“断食”です。断食といえば、病気の治療や癒しに用いられ、体調を整えたり、体重が増えすぎたりで試みられます。かなり前の話ですが、私の兄が、辻堂の断食道場にお世話になった事があります。このことや教会で断食の話を何度となく聞くにつけ、「断食は名医である」と言うのは真理であると、悟るようになりました。
私も、体重が増えすぎますと(そうは言っても常に標準体重内です)、昼食断食することがあります。昨年のクリスマスの時ですが、正月にかけてどうしても食べすぎになりますので、妻と相談し、正月すぎまで、昼食を普段の半分以下あるいは断食しようと実行しました。これにより、体調良く快適に過ごせました。
断食の本格的な体験は、神学校の学びの中で“リトリート(RETREAT:黙想)”と言って、3日間ほど断食をしながら黙想、祈りに専念するカリキュラムに出席しました。水だけというような断食ではなく、韓国から断食用の食材を調達して準備し、重湯のようなものを毎食いただきました。ですから、苦しいとかいう感じはまったくなく、消化する重いものがお腹に入っていないので、しだいに頭がさえてくるように感じられます。奥多摩地方の山中で、静かで涼しく気持ちの良い環境であり、祈りに十分打ち込み、体調も整えられた時間を持ちました。断食して祈るといえば、教会でみんなで「朝食あるいは昼食を抜いて、この事について祈りましょう」という事に、何度も参加したことがあります。
いざとなれば断食して祈る、病気を治すことが必要ですが、普段は、食べ物と食べ過ぎに注意して、体をいつも軽やかにしておくことが、何かにつけて良いのだと思います。時には、1食か2食抜いて祈りに専念することも大切だと、この記事を書きながら思い起こしました。

「ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。」(サムエル記Ⅱ 12:16)

2010年9月13日    小坂圭吾

2010年8月11日水曜日

今を生きる 「もったいない精神」

     大暑の毎日
毎日、猛暑日がつづいています。7月23日は一年で最も暑いころとされる「大暑」、そして8月8日頃の「立秋」までの期間は、一年中でもっとも気温の高い季節にあたります。地球温暖化や都市のヒートアイランド現象などの影響により、最近の日本の夏は、亜熱帯に近い気候になっていると実感します。最近10年間の横浜地方気象台で観測した真夏日(最高気温が30℃以上の日)は、年間49.3日でした。30年前までの10年間の平均は、40.1日でしたから、確実に暑くなっています。孫たちの話を聞きますと、昨年までは、夏中もエアコンを入れずにすごせたそうですが(我慢強いなー!)、さすがに今年は、エアコンを入れないと寝ることができないとの由。アブラゼミが鳴き始め、トンボが飛び交い、サルスベリの夏の花が盛りの時です。お隣の立派なサルスベリの花、毎日愛でて楽しんでいます。中国では、お隣の景色をお借りして楽しむことを“借景”と言うのだそうで、中国に行ったとき教えられました。

     はじめての漏電
先日、外出先から帰宅してみると停電していました。「停電とは珍しいな?」と思い、分電盤を調べてみると、漏電遮断機(ブレーカー)が落ちています。漏電の箇所について家の中を色々と点検しましたが、わかりません。結局、東京電力の担当者に来ていただいたのですが、エアコンが漏電していることがわかり、びっくり!もう12年も使用しているエアコンで、省エネの観点から買い替え時であろうかと思っていたところでした。担当者の人から、「省エネなっとく&安全なっとくBOOK」を受け取り、さっそく読んでみると・・・
①使用頻度の少ないプラグを抜く ②白熱電球を蛍光ランプに替える
③ムダな明かりをこまめに消す  ④エアコンを控えめに 
など、電気についてちょっとした心掛けでできるエコ対策がわかりました。少しは実践していましたが、早速、我が家でも省エネを徹底・実践しています。12年間使ったエアコンですので、まあ寿命を使い尽くし“もったいない”という後ろめたさも無く、買い替えをしました。

     Japanese spirit of“mottainai”(もったいない)
カナダ・バンクバーに住んでいる娘から、“カナダ大好き、Myカナダ”のジャーナルに「簡単ワンポイント英会話」についてブログを載せているというので読んでみました。そこに、“モッタイナイ”の記事があるので、「簡単ワンポイント英会話」より少し抜粋させてもらいます。
 
今週も、日本語から英語にしづらい表現をご紹介します。ケニアの環境副大臣のマータイさん(ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境活動家)が日本の“もったいない精神”に感銘を受けて、「Japanese spirit of“mottainai”」を広めてくれたのは有名なお話ですが。とはいっても、まだまだ「tsunami」(津波)や「sushi」(寿司)レベルではなさそうなこの言葉。“Mottainai” がいつの日か“Tsunami” レベルになるまで(?) この英語表現で代用しておきましょう。” What a waste! “ もったいない!(なんて無駄な!)解説:wasteはここでは名詞で「無駄」の意味。whatは後ろに名詞をおいて、感嘆を表し「なんて~なんでしょう!」の意。(何か現象を目の前・耳にして感嘆を示しながら)もったいない!と言いたいときに。応用:waste of—で後ろに名詞をおけば「ーーがもったいない」「――の無駄」e.g. What a waste of time! 時間もったいない!(なんていう時間の無駄!) 
 先日、知人の経営している山荘に出かけ、彼の本棚を拝見して、ぎっしりと並んだ本の中に中古本が色々とあることを発見しました。しかも、良い本が沢山ありました。帰宅してまもなく、大きな中古本屋(ブックオフ)や神田の古本街に出かける機会がありました。意外と良い本を発見し、何冊も購入しました。どれも新刊並みのきれいな本で、「物は天下のまわりもの」うまく出会いさえすれば、物を大切に使いきる、役立たせることが出来るのです。
使い捨てはモッタイナイ!食べ残しはモッタイナイ!電気のつけっぱなしはモッタイナイ!これは、日本人にとっては当たり前のこと。この精神の根源は、「物を大切にする」こと、物の命を使いきることでもあります。人の無駄には気がついても、自分のしている無駄に案外気がつかないことがあります。家族のエアコンのつけっぱなしに注意をしつつも、自分が食器を洗う時の水の垂れ流しには、あまり注意を払わずやっていることがあります。もったいない、それは無駄だといいつつも、隠された悪意の意図があったりもします。また、無駄なように見えても意味を深く考えれば、とても重要な無駄もあるものです。それらはさておき、明らかな無駄はなくするように心がけましょう。

「弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。『何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。』」(マタイ26:8-9)

2010年8月11日    小坂圭吾

2010年7月15日木曜日

今を生きる 「中国の歴史に学ぶ(2)」

     ガジュマルの木台湾を訪問した中で、一本の“カジュマルの木”に目が留まりました。ガジュマルは、沖縄や屋久島を始め東南アジア地域に分布する高木で、高さは20mにもなります。よく見ると大変面白い形をしており、どういう構造だろうかとつぶさに観察しました。幹の途中から気根と呼ばれる根を何本も出し、それがどんどん伸びて地面に付くと肥大して生長しています。それが、木を支える支柱根となります。気根を伸ばし元の木を包んで枯らしてしまうこともあり「締め殺しの植物」ともいわれます。見るからに立派な木で、モンスターのような感じでした。

この木を見て、中国の歴史の凝縮を見るような思いでした。中国の歴史を見ると、国同士の壮絶な戦い、政権内の権力闘争、平和でしっかりした国の土台が築かれる時等を思い起こします。このカジュマルの木は、何かその歴史全体の流れを表しているかのように感じられました。この木を見たところが歴史遺産のある所でしたので、なおさら中国の歴史の壮絶さを思い起こしたのです。
 
     歴史は繰り返す
歴史について考えさせられたことに、「高校時代に学んだ歴史と何が違うのか?」ということがあります。当時は受験勉強としての歴史でしたので、良くも悪くも教科書と参考書の暗記です。真実かどうかを疑うこともなく、正しいということで暗記でした。今は、何故その歴史書にそう書かれたのか?まず疑ってかかるというか、誰がどういう背景で書いたかを考えます。中国の歴史書を書いたのは、多くはその時の為政者の管理下で書かれています。わかりやすく言えば、主に戦争に勝利した側から過去の出来事を都合の良いように書くのです。ひとつの事件でも、いろいろな見方や説があり、真実に対する意味付けはひとつではないかもしれません。為政者の管理下でなく、自由に書いたものであれば見方も異なります。時代によっても、その見方や説はどんどん変わっていきます。

歴史を振り返りますと、人間は、あらゆる分野にわたり少し形を変えながら、何度も同じようなことを繰り返してきました。聖書では、いかに人間が罪人であるかを教えています。科学の進歩は著しいものがありますが、人間の心に至っては、同じことを繰り返しています。

     歴史に学ぶ
「愚者は経験に学ぶが、賢者は歴史に学ぶ」の言葉がありますが、同じ過ちを繰りかえさないということで的確な表現と思われます。歴史に学びながら、今日に適用するとどうなるかを考えることが重要になります。政治史、科学史、技術史、戦史、生活史、自然史と、ありとあらゆる事象に歴史はありますが、それらをすべて学ばなくとも、過去の歴史を参考にすると見えてくるものがあります。この数年、色々な内閣が登場しましたが、総理大臣として同じような失敗をその都度繰り返しているように感じます。歴史に学んだ賢者の政治家が登場することを、心から願って止みません。

中国の劉邦(りゅうほう)という人物をご存じですか?劉邦は、中国文明の土台を築いたといわれる「漢」(BC202年に建国し、前漢として~AD8年まで)という国家を建設した人物です。劉邦は、国の治め方について「秦」(劉邦の前にBC221年天下統一した国、短期で滅亡)から学び、急速な政治改革を断行せず、徐々に改革を推し進めていく姿勢を取りました。その結果、十数年しか持たなかった秦に比べて、漢(俗に前漢)は200年も中国に平和をもたらしました。彼は、歴史から学んで生かした成功例です。

「歴史を学ぶ意義は何か?」と考えてみますと、昔のこまごました事実ではなく、そこに登場する人々の行動や考え方から、人間とは何かを理解する手がかりを得る、自分たちにどのように生かすかを考えることでしょうか。歴史を学んで、自分にどのように生かすかは自分次第なのです。広く勉強をし、その中で自分にひっかかってくるものを掘り下げて知識を深める事により、やがて自分自身の人生の選択や生き方によい影響を与えてくれます。それ故に、歴史を題材にした本が読まれ、NHKテレビをはじめ歴史番組が人々をひきつけるということでしょう。ところで、聖書もまた壮大な歴史書のひとつです。その聖書は、歴史書の中でも深さと高さと広さにおいて最大の書であるゆえに、“聖書は人生を導く書”といわれるゆえんです。


「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。」
(ヨハネ5:39)

2010年7月15日    小坂圭吾

2010年6月18日金曜日

祈り 「大統領リンカーンの生涯に学ぶ(2)」

     南北戦争を見た木 
今から20年あまり前ですが、私の所属する聖書キリスト教会・東京教会の会堂建設(千人会堂建設)のために、韓国とアメリカの教会を訪問し、その模範から学ぼうということになりました。韓国教会を訪問する時は、研修旅行として教会員の方々と一緒に訪問しました。その後、アメリカ教会訪問をするには距離が遠いことや見学範囲が広いこともあり、会堂建設企画委員だけで行く事にしました。  

アメリカでは、アトランタにある日本人教会にお世話になり、アメリカ南部の教会の案内をしていただきました。その時、日本人の教会員の方の家に宿泊させていただきました。アトランタの郊外にある、ゴルフ場に隣接したアメリカらしいすばらしい家でした。そこにある庭に、大きな木が1本ありました。私は、思わず「この木は、南部戦争を見たのでしょうか?」と聞いたところ、「当然、この木はその戦争を見守ったことでしょう」との返事でした。その時は、奴隷制度をめぐるアメリカ北部と南部の利害の不一致、リンカーンが大統領に選出されると対立が激化しやがて南北戦争に発展した経緯等を詳しくは知りませんでした。世界史を学ぶようになって、奴隷制度の悲惨さと解放がどれほど必要なものであるかを、理解しました。

     アトランタのハナミズキ
アトランタにある教会や町をめぐりながら、時々南北戦争の話が話題に上りました。この辺りが激戦地だったとかの話が、それとなく残っています。ストーンマウンテン公園(写真左上)には、世界最大の岩山があり、そこに南軍の英雄3人が彫られた世界最大のレリーフ、彫刻があります。

アトランタの町には、いたるところにハナミズキがあります。“ハナミズキの花は、十字架を象徴している”ということは、アメリカで知りました。花自体は、桜よりもはるかに大きく、4枚の花びらが白か薄紅色に染めあがり、実に見事です。この4枚の花弁はそのまま十字架を連想させます。

言い伝えによると、この木自体が十字架に使われたということです。ハナミズキは大木にはなりませんが、2度と悲しい役目を果たしたくないので大きくならないと言われているとかー。東京教会の献堂式には、アメリカの教会からこのハナミズキが贈られて、玄関前に植樹してあります。もう15年になりますが、かなり大きくなり、困難にもめげずしっかり教会が建て上げられるようにと見てくれているようです。

     挫折を乗り越えて 
リンカーンの生涯に戻りますが、彼は実に多くの困難と挫折を味わいながらも、決してくじけないで信仰によって立ち上がり、オバマ大統領もあこがれる素晴らしい人徳と業績を残す大統領になりました。「失敗と不幸」という文字を嫌というほど味わいながらも、それを次の礎石として用いたのです。母をなくす、次男・三男を失う、事業に失敗(2回)、婚約者を亡くす、州議会議員選・落選(2回)、下院議員選・落選、上院議員選・落選(2回)、副大統領選・落選等々。また、彼は、小さな田舎町で生まれ、大統領になるまでに多様な職業を経験しました。農夫から始まり、船乗り、土木作業員、商売人(店員)、軍人(民兵大将)、郵便配達員(局長)、測量士、弁護士そして政治家(州議会議員、下院議員)、そして大統領です。このように書いていくだけでも、私ならもう途中で折れていることでしょう。

これらの経験は、政治家として国民に仕える時の助けになりました。「決してあきらめない!」このような言葉では言いつくせませんが、とにかく、彼はあきらめないのです。奴隷解放の戦いにおいても、七転び八起きの信仰により、困難が訪れるたびに慰めと力を得る聖書のみことばを愛し、すべてのことが働いて益となることを信じたのです。

 特に、大統領となって南北戦争を指揮する中で、愛と忍耐を持って神に頼り祈るリンカーンの姿が、胸を打ちます。南北戦争は、真理のために戦ったのですが、兵器や武器、そして作戦力等多くの面で劣勢でした。特に南軍には偉大な名将がいて、すべての面で南軍が優勢であったが、軍配は北軍に上がったのです。これは、リンカーンが祈りの人であったからです。ホワイトハウスにおいて、戦地の最前線部隊のテントに留まりながら、主に祈ったリンカーンの姿がありました。

戦争が終わった後で、リンカーンはこのように告白しています。
「北軍の勝利は、祈りの勝利でした。私たちは、南軍のロバート・リー将軍のような名将がいなかったことは、むしろ良いことでした。なぜなら、祈りによって神様にさらに頼ることができたからです。」

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)

2010年6月18日    小坂圭吾

2010年5月8日土曜日

祈り「大統領リンカーンの生涯に学ぶ(1)」

     リンカーン記念館  
少し前になりますが、アメリカで歴史上最も尊敬できる人物について世論調査をしたところ、1位はイエス・キリスト、2位はリンカーンだったとのことです。リンカーンがどれほどアメリカ人や世界の人々から愛と尊敬を受けているかを実感させてくれるものです。オバマ大統領も、尊敬する大統領としてリンカーンをあげています。私たち日本人の場合は、リンカーンといえば、小さい頃に伝記で読んで何となく記憶に残っているか、奴隷解放と南北戦争を勝利した大統領という程度の知識かもしれません。

  今から30数年前に初めてアメリカに出張した時、ワシントンを訪問し、国会議事堂、ホワイトハウス、大統領が日曜礼拝に行く教会そしてリンカーン記念館を訪ねました。リンカーン記念館にあるリンカーンの座像は、今でもはっきりと覚えています。建物の入り口中央に置かれている巨大な石像は、両腕をひじ掛の上に乗せて、厳粛な雰囲気をかもしだしています。周囲を散策しながら、これほどまで巨大な建物の記念館を作ったのには、アメリカにとって偉大な尊敬する人物だからであろうと推察しました。クリスチャンであることは知っていましたが、それ以降、リンカーンについて深く学ぶこともありませんでした。 

     ホワイトハウスを祈りの家に
  
先日、「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」(ジョン・クアアン著、小牧者出版)を読みました。この本を通して、リンカーンがどれほど信仰の人であったかを知り、大きなチャレンジを与えられました。著者は、韓国の牧師として聖書を愛する運動を広げていくという使命を持ち、神様の働きに力を注いでいる方です。

彼の言葉によると、「すでにリンカーンに関する本は数千冊に及んでいる。私も多くの人たちの本と資料を参考にし、彼の生涯を信仰の面から整理して見た」とあるとおり、彼の人徳と業績の背後にある信仰面の素晴らしさが、ほんとに良くわかります。韓国でスーパーベストセラーとして多くの人に読まれています。

リンカーンの生涯を通して教えられたことがいくつかあります。第一が、彼のお母さんが素晴らしいクリスチャンで、リンカーンに「信仰」と「夢」を植え付けたことです。「神さまのみことば通り生きなさい」とモーセの十戒が心の奥深くに焼きつき、その通りに正直に生きる原動力になったのです。

彼が9歳の時に母がこの世を去りますが、次の新しい母も素晴らしいクリスチャンで、良く聖書の話を聞かせてくれ、信仰の目を育ててくれたのです。特に、彼に読書の習慣を育ててくれ、まれに見る「本の虫」と呼ばれて独学で勉強をしながら、創造的なリーダーとなりました。彼は、学校らしい学校教育を受けていませんが、読書に専念し、よい文章があればメモを取り、繰り返して読んで自分のものとしました。彼は、毎年自分の身長ほどの本を読むことを目標にしたとのことです。
      
     さばくな!  
彼の生涯を貫き通していることは、聖書を読み、祈り、聖書の言葉に生き抜いたことです。彼も罪びとであり多くの過ちを犯しました。あるいは、犯しかけながらも留まりました。犯した過ちについては、それが聖書の言葉に照らした時に、もう2度とやらないと心に焼き付け、犯しそうになった時に冷静に踏みとどまって、神の心にかなうような行動に自分を仕向けたのでした。特に「さばいてはいけない」「自分の敵を愛せよ」のことばを実行したのです。

我が身を振返る時、自分の敵とまでは思わなくとも、すぐに心の中で人をさばいたり、悪く思ったりすることは誰でもあります。批判する、悪く言うことはいとも簡単に行なってしまいます。人をほめ建てあげることがいかに少なく、度量の狭い人間であるかを思い起こすのです。

リンカーンは、弁護士時代に不満に思う若手政治家を非難しまくって、相手を大憤慨させ命がけの決闘を申し込まれ、命を失う危機に立たされました。ミシシッピ川の川辺で決闘となり、決闘直前に友人たちの仲裁により、彼の謝罪を受け入れ、血を見る決闘にはなりませんでした。この出来事が、リンカーンに大きな衝撃となり、今後他の人を批判する、悪く言うことをしないと決心したのです。

アメリカの歴代大統領が就任式では、大統領が自分の好きな聖書箇所を選び、就任の宣誓をして、聖書に口づけをして神様のことばに対する畏敬の念を表します。リンカーン大統領が特に好み、選んだ聖書箇所は、次の御言葉です。
 
「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:1)

2010年5月8日    小坂圭吾

2010年4月9日金曜日

今を生きる 「中国の歴史に学ぶ(1)」

     歴史研究会 
昨年の春頃から、世界史の勉強を始めました。日本史については、高校時代の勉強やNHKの大河ドラマや映画等で色々と取り上げられ、それなりに理解が進んでいます。しかし、世界史については弱く、日本セカンドライフ協会主催の歴史研究会に入会し、勉強を始めました。受験勉強とは違って、人間はどんな行動をするのか、自分は今どこにいるのか、今日にどう適用するのか等を考えます。人間の書いた世界の歴史は、後の時代の人々が、自分たちの都合の良いように書き表しています。そこに思いを致しながら読み砕く必要があります。
 
学び始めて、全体を把握する必要が出てきて、本屋で探しますと「マンガ、中国の歴史がわかる本」に出くわしました。マンガは「サザエさん」くらいしか読んだことが無く、どちらかというと苦手です。でも、イメージを作るには良いのではないかと思い、買って読みました。なかなか面白い!世界の歴史も3冊セットですが、入手して読みました。


     台湾を訪問
歴史の勉強も少し進んだ頃、元大手商社で台北に駐在されていた知人の勧めもあり、台湾に行く事にしました。中国本土へは、この10数年間に5回ほどビジネスまた個人旅行(聖書を運ぶ)で訪問をしています。「改革開放」の旗印のもと、13億以上の人々が深刻な内部矛盾を抱えながら、急激な変貌を遂げています。その大きなうねりの中で、日本では考えられないような事件が中国で起きていますが、中国の歴史を学ぶうちに少しずつ理解が出来つつあります。その中国本土とは一味も違う台湾の訪問です。

                                                                             

台湾は、九州とほぼ同じ大きさで、人口は2300万人(人口密度が高い)。成田空港から台北まで飛行機で約3時間。日本語がかなり通じて、お土産などは円が使え、日本に対する国民感情は極めて友好的なところで、過去の歴史がそうさせています。食べ物は、日本人の嗜好にあってほんとに美味しい!中華料理と言っても台湾料理といったほうがよいように思います。野菜をふんだんに使った台湾料理は、健康的であることは言うまでもありません。
台北から台中、台南を通り高雄(たかお)まで、台湾高速鉄道(新幹線)が最高速度300㎞/時で走っており、日本の新幹線車両が導入されています。これに乗って車窓の風景を眺めていますと、日本の東海道あるいは山陽新幹線から外を見ているような錯覚にも陥りました。高速道路網もよく整備されています。正直に言って、これほどまで日本に近い、馴染みが深い国とは予想をしていませんでした。

     地下水脈を考える
チャイナ(中国)といえば、私たち日本人は、中国本土(中華人民共和国)、香港(中国返還前に訪問)、台湾を含めて呼んでいます。これらを訪問してみますと、政治形態が違っても中国語であり、歴史と文化と建物を見ると同じ国だなと思わせられます。近年、しだいにこの中国が、より大きく見えつつあります。台湾が経済的に著しい発展を遂げて、その後に中国本土に生産拠点を立地し、その関係者や家族も含めて既に100万人という台湾人が、中国本土に移り住んでいる由。

中国本土、香港、台湾で見聞きし体験したことを思い起こし、文献等で調べて見ますと、そこに地下水脈のようにつながっているグレーターチャイナ(チャイナに華僑国家であるシンガポールも含めて言う)というネットワークに着目することができます。日本からは見えないが国境を越えたところでつながり、ネットワークが出来ているのです。日本の対中国本土貿易の比重が20%、対グレーターチャイナの比重が30%強で、対アメリカの比重は、全体の14%以下なのです。日本は、これらの国とますます関係を深めていく事にならざるを得ないと感じます。


キリスト教信仰という目で見たとき、台湾では、十字架は多くはありませんが見ることが出来ました。台北の繁華街で長老派の教会が、通りに面してドンと見えました。中国本土には、地下教会に8000―9000万人の信徒がいるといわれ、キリストにある地下水脈は、そのいのちが主にあって強くつながっています。日本でも地下教会の様子について、新聞や雑誌あるいはDVD等を通して知ることが出来ます。その水脈が、キリストにあるいのちが溢れていることを知るにつけ、主にある霊的なネットワークに私たちもつながっている事に感謝を覚えます。

「わたしが与える水は、一度飲んだら、もう決して渇くことのない心の水です。それを心の中に受け入れた人は、その人の心の中でそれが泉となって、永遠の命の水がわき出ます。」(ヨハネ4:14 現代訳)

2010年4月9日    小坂圭吾 

2010年3月13日土曜日

感謝 「日本全国を旅行しました(2)」

      一番印象深いところ 日本全国を一周して、一番印象深い所はどこか?と質問されれば、北海道と沖縄です。なぜかと考えてみると、自分が生まれ育ったところが影響しています。豊かな自然(山と海)そして海の幸、山の幸がまことに豊かな岡山育ちですので、その良さがありつつもまた違う側面、特にのびのび雄大な面があるところが北海道であり、沖縄です。
北海道はなぜ県と呼ばないのかという疑問を持ちます。調べてみました。明治時代になって、本格的にこの地を開拓しようと「北海道」と名付けられ、その後、他の地方と同様に「札幌」「函館」「根室」の3県が置かれました。がうまく機能せず、政府の直轄として「北海道庁」が置かれました。戦後に、直轄地から他の都府県と同様に1地方自治体となり、「北海道」の名前となったのです。北海道には、数えると20回近くも訪問をしています。ビジネスの出張で半分、後は、妻の出身が北海道ということもあり、家族旅行が多かったように思います。

     初めての北海道 
  初めて北海道に行ったのが約40年前で、妻の実家を訪問した時です。寒い冬2月の北海道は、岡山育ちには興味津々で、零下の中での生活など予想がつきません。帯広空港まで飛行機で飛びました。帯広に下りて、あのジンとくる冷たさ、寒さは、記憶によみがえります。そして、電車に乗って陸別まで行きます。その電車に乗って驚いたことが、2重窓です。夕方になると外の窓ガラスばかりでなく、内側の窓ガラスまで少し凍ってきているようです。陸別駅から歩いてまもない彼女の実家に着いて、部屋に入ると中は25℃近く、半そで一枚で過ごせる温かさです。外は零下15℃くらいで、一番寒いときには、零下25℃になるそうです。暖房といえば、当時は石炭もしくは薪を使って一日中燃やしていましたが、深夜も一晩中ストーブを燃やして寝るのですが、朝起きると口のあたりに霜柱がついていてびっくりしました。
  暖かい部屋で、北海道の開拓の歴史を聞かせていただきました。彼女の祖父たちが開拓民としてこの地に入り、大変な苦労をされました。祖父の時代に陸別郵便局を開設し、2代目が彼女の父でした。北海道開拓の1ページ、当時の人々の開拓魂により、陸別町があるのだと思いました。外は、雪一色の銀世界で、日本で一番寒い地、日本一“しばれる町”陸別です。今でも、毎年NHKが昼の番組で、寒い陸別町から何がしかの様子を放送しています。

     心のバケツ
  旅に出ることの良さは、ふんだんにあります。年齢によって、旅に求めるものが違ってきていますが、若い頃は、好奇心が先立って色々なところに行くことだけで満足です。50代~60代になると少しずつ変化してきて、気分が一新する、頭の中が整理されるとか人間関係が深まったとか等々が重要になってきています。
 ウイロークリーク・コミュニテイー教会のビル・ハイベル牧師が心にある「霊的なバケツ」ついて語られた記事があります。聖霊による思いは、「いのち」と「平安」ですが、心にある「霊的なバケツ」にこれらが満ちていると人々との関係、仕事や家族との関係、余暇の過ごし方がとてもスムースに行きます。しかし、このバケツのエネルギーが満杯の状態から大きく減っていくと大変です。いらいらが色々と起こり、物事がスムースに進まなくなるのです。このバケツを満たす方法は、実にいろいろとあります。十分に眠る、静かに本を読む、デボーションをする、ウオーキングをする、人と楽しく食事や会話する、海に行く、山に登るなどなど。各人それぞれですが、自分は何によって満たされるのかを知っておくことが大切です。  

     心を守る 
    
  いつも「霊的バケツ」をいっぱいにし続けることは難しいですが、毎日補充する知恵と工夫が必要です。毎日の減ったエネルギーを補充するには、第一は「デボーション」であろうと思います。複雑で多忙な毎日を過ごしている方々にとっては、デボーションの時間も十分取れないことかも知れません。そのためにも、自分は何でバケツがいっぱいになるか?を発見しておくことが重要です。私の場合は、毎朝デボーションで不足を満たしています。1日の半ばで枯渇するとウオーキングもしくは本を読む。かなり枯渇すると外に出かけあるいは海に行ってこれらを組み合わせてやるのです。ですから、“旅に出る”のは、「霊的なバケツ」の枯渇を補ってくれる最大の方法ではないかと思っています。心にある「霊的なバケツ」を満たすばかりでなく、あるときは心の中の汚れたもの、こびりついている垢(あか)を洗うこともこの旅を通してやるのです。旅を通して、自然や歴史や文化を学ぶあるいは地方の産物を賞味するばかりでなく、これが旅の大きな収穫でもあります。

「何よりも、心を守りなさい。いのちの泉が湧いてくるところだからである。」(箴言4:23現代訳)

「心が幸福であれば、それが顔にも現れるが、心に憂いがあれば、気をくじけさせてしまう。」
(箴言15:13 現代訳)

2010年3月13日    小坂圭吾

2010年2月17日水曜日

感謝 「日本全国を旅行しました(1)」

     日本全国を旅行 昨年の12月に山形から秋田を旅行し、日本全国一周しました!!当初、10月に行く予定でしたが、台風の直撃で中止になり、1ヶ月して、「もうすぐ全国一周達成だからね」と再度企画して12月18-19日に行く事にしたのです。山形、秋田地方は5年ぶりの大雪に見舞われ、50-60cmの積雪です。近年、雪らしい雪を見ていませんので、思いがけず、積もってまもない素晴らしい雪景色を満喫です。旅の道ずれの方からは、「全国一周達成ですね。大雪で忘れられない思い出ですね」と言われ、10月中止の意味を受け止めました。全国一周したからと言って、それほど意味があるわけでもありません。北は北海道から南は沖縄まで、見て聞いて感じて味わい得たものといえば、色々とあります。その一端を皆さまに分かち合いできればと思い、書く事にしました。

    47という数字
  この数字は、何かお分かりですか?すぐに思い出すのは、赤穂浪士四十七士ですが、実は、日本全国を県単位の数え方をすると47あります。正確には、1道1都2府43県です。この言い方を正確に言える方は、少なくなっていることでしょう。ちなみに、アメリカ合衆国は、50州より構成されています。1871年(明治4年)明治政府が廃藩置県を断行、それまでの藩を廃止して、地方統治を中央管下の府と県に一元化する行政改革を行ないました。その後に、統合や名称変更をしつつ、現在の47地方統治地区となっています。日本全国一周の定義(?)ですが、その県を通過するだけですと5年以上も前に終わっていますが、その県の中で意味のある説明できる所に行った事により、その県を旅行したと数えます。北海道は広い地域ですので4分割して訪問、したがって、小坂流の県単位での数え方では、少なくとも50の県を旅行した事になります。

      旅行好きはいつから?
  旅行好きになったルーツは、大学時代にさかのぼります。大学は東京、故郷は岡山ですので、休みのたびに実家の商売の手伝い(?)に帰省です。いつも同じルートを帰省するのは何かもったいない気がして、好奇心が旺盛な事もあり、ルートを色々と変え見てまわろうと計画しました。大回りしても、電車賃はさほど変わりません。旅費はといえば、色々と節約して仕送りを貯めて作り、帰省の旅行計画を緻密に立て、実行することから好きになったのです。ビジネス時代は、日本全国へ仕事で出張しましたが(海外もあちこちに)、工夫して時間を作り、ついでにちょいとその地を見学、観光です。家族旅行もしばしば、子供が大人になっても一緒に旅行する珍しい一家です。あそこに行きたいなと思っていると、ビジネスで出張か、家族旅行で行く羽目になります。意思のあるところに道がある!数年前に、あと少しで全国一周と気がつきましたが、まだ旅行してない県が5つほどありました。例によって「あそことあそこに行ければいいな!」と思っていましたら、昨年一気にその計画が飛び込んできたのです。そして、全国一周を達成です。

        待つこと
  このように書いて気がつくことがあります。「何が何でもこのことをやるぞ!」と構えるよりも、「是非こうしたいが、まあ時があるので待っていれば必ず成ることだろう」という姿勢が大切だと思うようになっています。若いときの姿勢は、とかく自分で“このことを成し遂げよう”との思いが強かったようです。それはそれで良いとしても、“物事には時がある”ことをわきまえるようになりました。人生に対する考え方が、旅行の計画にも出ているのでしょう。「忍耐して待つ」というには大げさかもしれません。この「待つ」という姿勢がこの10年ほどで少し出来るようになったでしょうか?このようなブログを書いたり、雑誌の原稿を書いたりするときも同じようなものです。筆が進まなくて、どうしようかと悩むことがあります。ネタはすべてあるのですが、書いてみて納得がいかない。あるときは“起承転結”の“転”に当たる良いネタが無い!そこで、数日あるいは1週間寝かせて待っていますと、良いネタやアイデアが飛び込んでくるのです。   

  「この問題どうするかなー」と思いながら、悩みながらに気にかけながら、あるいは祈りながら待っている事柄があります。ある事柄は、数週間、あるいは数ヶ月、長いものだと数年の待ち状態です。その間、何もしないのではなく、このことをしていれば、やがて時が来るであろうと忍耐して待つのです。このように待っていますと「きた、きた、その時が来たぞ!」と主の導きを感じます。先日も、数年越しの事柄に道が開かれ、主に心から感謝しました。

「神のなさることは、皆、時にかなって美しい。」(伝道者3:11 現代訳)

2010年2月17日    小坂圭吾

2010年1月20日水曜日

喜び 「弱さを誇る」

      閉口したこと           
 電車に乗って閉口したことがあります。今タバコを吸ってきたばかりの男性が、お隣に座られタバコくさいのに困りました。タバコは、まったく口にしたこともなく苦手です。新幹線に乗って喫煙車を通らざる得ないとき、タバコの煙でドンよりと濁った車内を移動するときの嫌な気分??喫煙者の多くの方が“喫煙車の車内はいやだね”と告白しています。
 先月、久しぶりに喫茶店で知人と会いました。昔からのヘビースモーカーの彼ですので、仕方なく喫煙室で付き合いました。彼は、1時間半タバコが手から離れません。喫煙室での付き合いは、厳しかったですね。帰宅してから、下着からすべてを着替えしました。今度こそは、禁煙室にしようと提案するつもりです。多くの方が禁煙をしたいと思いながらも、出来ずにいるのだと思います。タバコが健康に良いと思っている方は無く、でも止められないのです。

     壁画「最後の晩餐」   
レオナルド・ダ・ヴィンチの名作「最後の晩餐」の壁画は、イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ教会にあります。この壁画は、420 x 910 cm の巨大壁画ですが、20年余かけて10年ほど前に修復が完了しました。主イエス様が、弟子たちに対して「あなた方のうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と言われた瞬間を表しています。この名作は、多くの方が複写絵でご覧になったことと思います。(写真は、“ウイキペデイア・フリー百科事典”より掲載)

その壁画の部屋には、一枚の写真が掛かっていて、一面の瓦礫の中に、この壁画だけが建っている写真です。案内人の話によると「第2次世界大戦の空襲に遭い、一帯は破壊されましたが、この壁画だけは無事だったのです。」1943年8月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍が、ミラノを空爆し町全体の約半分近くの建造物が全壊しました。実は、壁画のある建物は、爆撃を案じた修道士たちがミラノ市民と力を合わせて、この壁画の周りに土嚢を積み上げて保護し、奇跡的に残ったのです。「市民たちは『自分の家や事務所は壊れても、いつかは建て直せる。しかし、この壁画は一度壊れたら作り直すことができない。』と考えたのです。」朝日新聞のコラム欄に載っていた記事ですが、これを読んで私は感動しました。彼らは、「一度壊れたら作り直せないものを、壊してはならない」と考えて行動したのです。確かに、目に見えるものは、一度壊れたらもう修復することはできません。奇跡の絵画と呼ばれた作品ですが、現在では存在自体が奇跡だと言われています。
 
      壊れたら終わりか?
 目に見えるものは、やがて朽ち、壊れていくのが世の常です。故意に壊そうとしないまでも間違って壊したり、破壊と創造のようにスクラップ&ビルドというようなこともあります。目に見えるものはいつか壊され、あるいは天変地異で埋もれてしまいます。考古学の発展により発掘され、あるいは、壊れかけたものを修復することで、そこに新しい発見がなされることも多くあるでしょう。最近では“環境を大切に”ということで、壊れかけても修理して使うことが多くなり、喜ばしい限りです。
 私たちの人生においては、どうでしょうか?大失敗をしたり、人間関係が壊れたり、取り返しのつかないことをしたら、「俺の人生は終わりだ。もう立ち上がれない」と思ってしまいます。そこまで大きな失敗とは言わなくても「あの事だけは悔やまれてならない」と思うことはないでしょうか?誰しもが、多かれ少なかれ、悪習慣の経験、苦く悲しい経験、つらい経験、痛みの経験をしていることでしょう。幸いにもまだそのような経験がなくても、失敗を恐れてなかなか思い切ったことができない人もいるかもしれません。失敗の人生、壊れた人生、どん底の人生など、深い傷や痛みを、聖書は“実に宝だ”と教えています。聖書では、「弱さ」と訳されていますが、自分の弱さを知り、その弱さを素直に認める人を神さまは好んで用いられます。神さまが用いられるのは、私たちの長所だけだと考えがちですが、むしろ、私たちの弱さを用いられるのです。聖書の原理の中には、この世の原理とは全く逆なことが沢山あります。これもそのひとつではでしょうか?神が不完全な人を用いられるという事実は、何という心強い励ましでしょうか。

「『わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。』今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。」(コリントⅡ12:9 リビングバイブル)

2010年1月20日    小坂圭吾