2010年6月18日金曜日

祈り 「大統領リンカーンの生涯に学ぶ(2)」

     南北戦争を見た木 
今から20年あまり前ですが、私の所属する聖書キリスト教会・東京教会の会堂建設(千人会堂建設)のために、韓国とアメリカの教会を訪問し、その模範から学ぼうということになりました。韓国教会を訪問する時は、研修旅行として教会員の方々と一緒に訪問しました。その後、アメリカ教会訪問をするには距離が遠いことや見学範囲が広いこともあり、会堂建設企画委員だけで行く事にしました。  

アメリカでは、アトランタにある日本人教会にお世話になり、アメリカ南部の教会の案内をしていただきました。その時、日本人の教会員の方の家に宿泊させていただきました。アトランタの郊外にある、ゴルフ場に隣接したアメリカらしいすばらしい家でした。そこにある庭に、大きな木が1本ありました。私は、思わず「この木は、南部戦争を見たのでしょうか?」と聞いたところ、「当然、この木はその戦争を見守ったことでしょう」との返事でした。その時は、奴隷制度をめぐるアメリカ北部と南部の利害の不一致、リンカーンが大統領に選出されると対立が激化しやがて南北戦争に発展した経緯等を詳しくは知りませんでした。世界史を学ぶようになって、奴隷制度の悲惨さと解放がどれほど必要なものであるかを、理解しました。

     アトランタのハナミズキ
アトランタにある教会や町をめぐりながら、時々南北戦争の話が話題に上りました。この辺りが激戦地だったとかの話が、それとなく残っています。ストーンマウンテン公園(写真左上)には、世界最大の岩山があり、そこに南軍の英雄3人が彫られた世界最大のレリーフ、彫刻があります。

アトランタの町には、いたるところにハナミズキがあります。“ハナミズキの花は、十字架を象徴している”ということは、アメリカで知りました。花自体は、桜よりもはるかに大きく、4枚の花びらが白か薄紅色に染めあがり、実に見事です。この4枚の花弁はそのまま十字架を連想させます。

言い伝えによると、この木自体が十字架に使われたということです。ハナミズキは大木にはなりませんが、2度と悲しい役目を果たしたくないので大きくならないと言われているとかー。東京教会の献堂式には、アメリカの教会からこのハナミズキが贈られて、玄関前に植樹してあります。もう15年になりますが、かなり大きくなり、困難にもめげずしっかり教会が建て上げられるようにと見てくれているようです。

     挫折を乗り越えて 
リンカーンの生涯に戻りますが、彼は実に多くの困難と挫折を味わいながらも、決してくじけないで信仰によって立ち上がり、オバマ大統領もあこがれる素晴らしい人徳と業績を残す大統領になりました。「失敗と不幸」という文字を嫌というほど味わいながらも、それを次の礎石として用いたのです。母をなくす、次男・三男を失う、事業に失敗(2回)、婚約者を亡くす、州議会議員選・落選(2回)、下院議員選・落選、上院議員選・落選(2回)、副大統領選・落選等々。また、彼は、小さな田舎町で生まれ、大統領になるまでに多様な職業を経験しました。農夫から始まり、船乗り、土木作業員、商売人(店員)、軍人(民兵大将)、郵便配達員(局長)、測量士、弁護士そして政治家(州議会議員、下院議員)、そして大統領です。このように書いていくだけでも、私ならもう途中で折れていることでしょう。

これらの経験は、政治家として国民に仕える時の助けになりました。「決してあきらめない!」このような言葉では言いつくせませんが、とにかく、彼はあきらめないのです。奴隷解放の戦いにおいても、七転び八起きの信仰により、困難が訪れるたびに慰めと力を得る聖書のみことばを愛し、すべてのことが働いて益となることを信じたのです。

 特に、大統領となって南北戦争を指揮する中で、愛と忍耐を持って神に頼り祈るリンカーンの姿が、胸を打ちます。南北戦争は、真理のために戦ったのですが、兵器や武器、そして作戦力等多くの面で劣勢でした。特に南軍には偉大な名将がいて、すべての面で南軍が優勢であったが、軍配は北軍に上がったのです。これは、リンカーンが祈りの人であったからです。ホワイトハウスにおいて、戦地の最前線部隊のテントに留まりながら、主に祈ったリンカーンの姿がありました。

戦争が終わった後で、リンカーンはこのように告白しています。
「北軍の勝利は、祈りの勝利でした。私たちは、南軍のロバート・リー将軍のような名将がいなかったことは、むしろ良いことでした。なぜなら、祈りによって神様にさらに頼ることができたからです。」

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)

2010年6月18日    小坂圭吾

2010年5月8日土曜日

祈り「大統領リンカーンの生涯に学ぶ(1)」

     リンカーン記念館  
少し前になりますが、アメリカで歴史上最も尊敬できる人物について世論調査をしたところ、1位はイエス・キリスト、2位はリンカーンだったとのことです。リンカーンがどれほどアメリカ人や世界の人々から愛と尊敬を受けているかを実感させてくれるものです。オバマ大統領も、尊敬する大統領としてリンカーンをあげています。私たち日本人の場合は、リンカーンといえば、小さい頃に伝記で読んで何となく記憶に残っているか、奴隷解放と南北戦争を勝利した大統領という程度の知識かもしれません。

  今から30数年前に初めてアメリカに出張した時、ワシントンを訪問し、国会議事堂、ホワイトハウス、大統領が日曜礼拝に行く教会そしてリンカーン記念館を訪ねました。リンカーン記念館にあるリンカーンの座像は、今でもはっきりと覚えています。建物の入り口中央に置かれている巨大な石像は、両腕をひじ掛の上に乗せて、厳粛な雰囲気をかもしだしています。周囲を散策しながら、これほどまで巨大な建物の記念館を作ったのには、アメリカにとって偉大な尊敬する人物だからであろうと推察しました。クリスチャンであることは知っていましたが、それ以降、リンカーンについて深く学ぶこともありませんでした。 

     ホワイトハウスを祈りの家に
  
先日、「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」(ジョン・クアアン著、小牧者出版)を読みました。この本を通して、リンカーンがどれほど信仰の人であったかを知り、大きなチャレンジを与えられました。著者は、韓国の牧師として聖書を愛する運動を広げていくという使命を持ち、神様の働きに力を注いでいる方です。

彼の言葉によると、「すでにリンカーンに関する本は数千冊に及んでいる。私も多くの人たちの本と資料を参考にし、彼の生涯を信仰の面から整理して見た」とあるとおり、彼の人徳と業績の背後にある信仰面の素晴らしさが、ほんとに良くわかります。韓国でスーパーベストセラーとして多くの人に読まれています。

リンカーンの生涯を通して教えられたことがいくつかあります。第一が、彼のお母さんが素晴らしいクリスチャンで、リンカーンに「信仰」と「夢」を植え付けたことです。「神さまのみことば通り生きなさい」とモーセの十戒が心の奥深くに焼きつき、その通りに正直に生きる原動力になったのです。

彼が9歳の時に母がこの世を去りますが、次の新しい母も素晴らしいクリスチャンで、良く聖書の話を聞かせてくれ、信仰の目を育ててくれたのです。特に、彼に読書の習慣を育ててくれ、まれに見る「本の虫」と呼ばれて独学で勉強をしながら、創造的なリーダーとなりました。彼は、学校らしい学校教育を受けていませんが、読書に専念し、よい文章があればメモを取り、繰り返して読んで自分のものとしました。彼は、毎年自分の身長ほどの本を読むことを目標にしたとのことです。
      
     さばくな!  
彼の生涯を貫き通していることは、聖書を読み、祈り、聖書の言葉に生き抜いたことです。彼も罪びとであり多くの過ちを犯しました。あるいは、犯しかけながらも留まりました。犯した過ちについては、それが聖書の言葉に照らした時に、もう2度とやらないと心に焼き付け、犯しそうになった時に冷静に踏みとどまって、神の心にかなうような行動に自分を仕向けたのでした。特に「さばいてはいけない」「自分の敵を愛せよ」のことばを実行したのです。

我が身を振返る時、自分の敵とまでは思わなくとも、すぐに心の中で人をさばいたり、悪く思ったりすることは誰でもあります。批判する、悪く言うことはいとも簡単に行なってしまいます。人をほめ建てあげることがいかに少なく、度量の狭い人間であるかを思い起こすのです。

リンカーンは、弁護士時代に不満に思う若手政治家を非難しまくって、相手を大憤慨させ命がけの決闘を申し込まれ、命を失う危機に立たされました。ミシシッピ川の川辺で決闘となり、決闘直前に友人たちの仲裁により、彼の謝罪を受け入れ、血を見る決闘にはなりませんでした。この出来事が、リンカーンに大きな衝撃となり、今後他の人を批判する、悪く言うことをしないと決心したのです。

アメリカの歴代大統領が就任式では、大統領が自分の好きな聖書箇所を選び、就任の宣誓をして、聖書に口づけをして神様のことばに対する畏敬の念を表します。リンカーン大統領が特に好み、選んだ聖書箇所は、次の御言葉です。
 
「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:1)

2010年5月8日    小坂圭吾