2021年4月8日木曜日

今を生きる「肉の消費量を減らし地球温暖化防止」

 

借景(お隣の桜・満開!)
桜が満開

今年は、日本の多くの地域で桜の満開時期が早まり、観測史上もっとも早い満開となりました。我が家では、お隣に大きな立派な桜の木があり、借景をさせていただき、昼食を食べたり、コーヒーを飲みながら楽しんでいます。

京都地方気象台は326日、桜の満開時期を迎えたと発表。日本気象庁が観測を開始した1953年以来もっとも早いとのこと。大阪府立大学の生態気象学研究グループは、京都御所の資料、日記、詩集などの花見に関する記述を調査し、桜に関する最も早い記録は紀元812年であることを発見しました。

その中で最も早かった満開日は327日で、1236年と1409年、1612年の3回が記録されている。近年、桜の開花時期が早まっているのは、「地球温暖化の影響を受けた」可能性が高いと科学者らは指摘しています。

桜の開花時期のデータは古くから記録があるため、非常に価値が高いとされています。

地球温暖化
この数年を振り返ってみますと、春らしい穏やかでさわやかな日がかなり少なくなりました。5月には夏日(25以上)になることも早く、衣替えといえば6月との意識が、5月の連休から半そで姿になることもしばしばです。


地球温暖化の原因は、二酸化炭素(CO2)など地球の温度を暖める「温室効果ガス」が増えたことです。18世紀後半に英国で始まった産業革命で石炭など化石燃料の使用が急に増え、CO2排出が増加したのが、地球温暖化の始まりです。

現在の状況はと言えば、産業革命前に比べてすでに気温は約1度上昇しました。これにより、極端な大雨や寒波、干ばつなどの異常気象や氷河や氷床の減少による海面上昇など、温暖化の影響と考えられる被害が起こっています。

日本では、大型台風が直撃する頻度が高まり、オーストラリアや米カリフォルニア州では異常乾燥による山火事が頻発し、北極や南極の氷床は、びっくりするほど減少しています。被害を伴いながらの地球からの警告は、他人事ではなくなっているのです。

私たちに出来ること

地球温暖化の主要な原因は、「人類による活動そのものにある」と言われています。今や待ったなしの地球温暖化対策が行われていますが、“人類による活動”~豊かさや便利さ、快適さを求めて、様々な開発がなされてきたことによる人類のつけが回ってきた、と言っても良いのではないでしょうか。

それを享受していた時は、それほど悪いと思っていなかったことが、積み重なって悪影響を及ぼしていたのです。温暖化の悪影響を小さくするには、二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を少なくするしかありません。

私たちの身の回りでは、このための色々な活動が行われています。冷暖房の温度を控えめに設定/自家用車の使用を控えて、バスや鉄道を利用/自家用車のアイドリングストップなどの「エコドライブ」/レジ袋に代わってマイバッグなどを携帯する等々です。

肉を食べるのを減らし地球温暖化を防止

最近読んだ以下の記事には、大変驚きました。

「肉の消費量を減らせば、地球温室効果ガスを効果的に減らせる」~その内容は、家畜の牛などは、温室効果の高いメタンガスを多く排出し、食肉産業による牧場づくりのためのアマゾン森林帯等の伐採(7080%が消滅)が進み、飼料や肥料の生産や輸送などで排出する温室効果ガスの排出量は、全体の18%が畜産業関連と言われています。

この割合は、自動車などの輸送機関で生じる温室効果ガス13%を上回るのです。このようなことから、欧米では、「週に一日肉を食べないことで地球温暖化を防止させよう」との運動が、10年ほど前から広がっています。

私はと言えば、魚野菜中心の生活で肉を食べることは少ないのですが、健康面だけでなく、地球温暖化を防止する最も効果ある食事法として、周りの人たちにも勧めたいと思っています。

私たちの日常生活は、豊かで便利で快適な暮らしとなり、それらを享受してきました。地球温暖化によって、それらの軌道修正をしています。肉を食べることについては、日本人の寿命が大きく伸びた一因とも言われ、おいしい食べ物でもあります。

一方で、世界的には温暖化に影響大であったとは、つゆ知らずの事でした。それを少しだけ食べないことによって、地球温暖化防止に大きく貢献できるのです。それと分かったときに、修正して行動するしかありません。少し視野を広く、深く、高く持って、行動できればと思わされます。 

「この地上で、将来何が起こるかということを、見通すことのできる者はいない。」(伝道者の書 712節 現代訳) 

2021年4月8日 小坂圭吾

2021年3月4日木曜日

聖書の不思議「男と女の違いを認める」

ロダン:考える人
 ロダンの彫刻

先月、東京五輪組織委員会・会長の女性蔑視発言がきっかけで、“ジェンダー平等の問題”が大きく取り上げられました。“ジェンダー”あまり聞きなれない言葉で調べてみました。

生物学的な性差をセックスというのに対して、社会的、文化的に形成された男女の違いをジェンダーと呼ぶのだそうです。

日本においては、男は社会で働き、女は家庭を守るという性的分業が教育を通して刷り込まれ、女性にとっては社会で活動しにくい差別的な環境が形成されてきたように思います。それを何とか平等にしていこうと努力している日本ですが、世界的にはかなり遅れています。

ロダン作の有名な彫刻「考える人」、これは男性の象徴で、ひとり腰を下ろし静かに考え事にふけりたいのが男性です。一方、女性はと言えば、こんな姿を見かけることはめったになく、面白い人がこんな表現をしました。

「ロダンが女の彫刻を作ったら、タイトルは何だろうか?きっと『しゃべる人』に違いない。」なるほど!このように男と女は、大いに違うのです。

神さまは、創造の始めに人を男と女に、役割の違うものとして造られました。聖書には、男と女の違いについていろいろと書かれています。男と女の思考、態度、感情の違いについて、意外と理解されていないように思われ、男と女は違うことをお互いにしっかり認めることが必要なようです。

子供の姿

小さい子供に画を書かせると、男の子は、物を中心に描き、女の子は、人物を中心にその中に関係を描きます。女の赤ん坊は、人の顔をじっと見つめ相手と目を合わせる時間が長く、男の赤ん坊は、動くおもちゃを喜んで長く見つめています。

男の子は物とその仕組みに、女の子は人とその関係に興味を持ちます。女の子がする“ままごと遊びは、ここに関係を重んじる姿が見られ、母親になり、おばあちゃんになってもその姿は変わりません。

人と人との絆、つながりを求め一緒に歩むことは、女性が圧倒的に得意分野で、大家族におけるその中心は、母親か、おばあちゃんか、どちらにしても女性がつながりをつけているのです。

桃の花

男と女はとにかく違う!

かなり前に読んだ本に「話を聞かない男、地図が読めない女」(アラン・ピ-ズ、バーバラ・ピーズ共著)があります。今まで女性について正しく理解してないためにトラブルになっていたことを教えられたと、記憶しています。

特に夫婦関係においてよく出くわす事がらや、教会の姉妹達と交わりをしている時に出くわす事柄について、「そうだったのか!」と目からうろこが落ちました。

昨今も脳の働きの研究が盛んになり、男と女はその脳の働きが違っており、男と女の違いをめぐる多くの疑問が分かってきています。

一時流行語のようになった「地図が読めない女」については、それこそ多くの人が経験しています。地図を読んで理解するには空間能力が必要で、これは男性が圧倒的に優位で、女性の方が劣るからだそうです。

コミュニケーションついては、女性の方がまさって強く、言葉、顔の表情や手の動きといったボデイランゲ-ジを使って、女性は男性の3倍ものコミュニケーション活動をしているといわれます。

時折、朝こんなヘマなことをします。「僕のヨーグルトはどこにあるの?」妻はおいしそうにヨーグルトを食べていますが、私の分はテーブルのどこにあるのか、色々なものが置いてあるのでパット目には見つかりません。「目の前にあるでしょう!」「ウムー!」

またある時こんなこともありました。私が「冷蔵庫にジャムが見つからないね?」と尋ねます。「ほら、ここにあるじゃない?」「ウムー」

こんな経験は、どこの家庭でも男女の間に見られる光景だと思います。女は視野の範囲が広いので、冷蔵庫や食器棚にあるものをひとめで見渡すことが出来るのですが、男には見えないので、ゆっくり探さねばなりません。

現在の日本における離婚する夫婦の理由が、「性格が合わない」というものがありますが、夫婦は性格ばかりか色々と違うのは当たり前なのです。長い間付き合ってよく知っているご夫婦何組も思い浮かべて見ますと、ほんとうに違うなと思います。

男と女は、性格、考え方、感じ方、決断の仕方、行動の仕方がまるで違います。神様がご自分に似せて、男と女とを創造されましたが、その男女の違いを知れば知るほど、こんなにも素晴らしく創られたものだと感嘆させられます。

ですから、お互いに違いを受け入れ協力して歩めば、素晴らしいものが、生み出されていくのではないでしょうか?

「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」(創世記1:27 新改訳) 

「男は怒ったり争ったりしないで、どこにおいても聖い思いを持って祈りをささげなさい。‐‐‐女はつつましい服装で、適度に品位を保つように心がけるべきであって‐‐‐。」(テモテⅠ2:8~9 現代訳)

2021年3月4日 小坂圭吾

     

2021年2月15日月曜日

喜び「人生は一緒の方がいい」

 

紅梅

オンラインで一緒に     

コロナ禍の緊急事態宣言が延長され、巣ごもりがさらに続きます。オンラインを使っての礼拝、講演会、懇談会、趣味の会ミーテング、役員会・理事会等、「オンラインもなかなか良いぞ!」とこの1年色々やってきました。

特にこの半年は、オンラインでの良さを何かと享受してきたように思われます。遠方の方との交流では、スカイプ、ZOOMとかラインによって、顔を見ながら話せますので、かなりの満足度はあるようです。

家人が、カナダの娘と週に一度くらいの交流、教会の人達とは、二人だけの聖書中心のスモールグループをやっているのは、人と人とのつながりを深め、お互いに良い時間になっていることでしょう。

遠隔地でも一緒に歩んでいることが実感できる、オンラインだからこそ出来る素晴らしさです。その反面、「早くコロナ禍が収束して、直に触れ合って交流したいものだ。」との思いも強くなってきています。

多くの人に支えられて


毎年1月に、「聖書関連団体懇談会」が、銀座の日本聖書協会の会議室で開催されます。今年は関係12団体が集まりましたが、コロナ禍のために、オンラインZOOMでの開催になりました。

出席者は、聖書そのものに関連した活動をしている団体の方々ですが、私は、現代訳聖書刊行会および創造主訳聖書刊行会を代表して出席しました。それぞれの団体が、午前中から午後に少しかけて1年間の活動内容を報告し、その後、これからの課題について話し合います。

それぞれの報告・意見や議論を聞きながら、時代の流れ・動きを受け取り、参考になるヒントをいただきます。1年ぶりにお会いしますので、挨拶や感謝を述べる等、一緒に集まるからこそできる事柄です。


この数年にわたっては、『現代訳聖書・改定新版』のプロジェクトを推進していましたので、この懇談会を通して、いくつかのヒントや良いソフトの紹介等をしていただきました。一緒に集まり、交流をしていたから中から生まれた素晴らしい助けでした。

一冊の聖書を作るには、企画に始まり、献金を募る、翻訳、編集、校正、装丁、イラスト、カバーデザイン、チラシ、広告に至るまで、実に多くの方々の祈りと協力・アドバイスをいただいています。背後にあって、主なる神様が導いていて下さったことを心から感謝しています。

神さまのご計画

神さまは、私たちが一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と一緒に生きることが神さまのご計画であり、二人は一人に勝るのです。

一緒に生きるとは、交流・交わりを持ち、その友情を深めることです。聖書が教える「愛に生きる」ことであり、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。

『人生を導く5つの目的』を始めて読んだ時、私に衝撃を与えた事柄は、神は、関係こそ人生のすべてであると言われるという箇所でした。人生のすべてであって、一部ではないということです。

神を愛し、人を愛することの二つが、最も大切なことと理解しているとはいえ、関係こそ全てという具体的なレベルで実行できているか、その認識もきわめて弱かったのです。私たちの人との関係は、毎日のスケジュールの中で、無理やり後から押し込む、後回しにしている現状があります。

人のために時間を作る努力をしているとはいえ、優先順位のトップに来ていません。優先順位が高いことは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができますが、その時間がどれほど少なかったことでしょう。

関係こそ人生のすべてであるということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。人間関係は、煩わしいことも多くありますが、お互いに交流し、交わることを通してこそ、私たちの人格もまた磨かれていきます。

煩わしいこと以上に良いものが与えられる、神が与えてくださる恵みです。なるほど、人生は一緒の方がいいと、小さな経験ですが答えることができます。

「兄弟が一致して一緒にいることは、なんとすばらしく、楽しいことだろう。」
(詩編133:1 現代訳)


2021年2月15日 小坂圭吾

2021年1月29日金曜日

健康余話「心と体の健康~足を鍛える」

須走からの富士山

健康には、何が重要なのか?

新型コロナウイルスの世界全体の感染者数が、累計で1億人を超えました。世界的大流行の収束の見通しは立たず、日本でも在宅勤務や外出自粛‐‐‐コロナ禍の巣籠もり生活が続きます。

私たちが健康で過ごしていくためには、何が重要なのか、よく言われるのが健康の4要素です。①適度な運動、②正しい食事、③心の平安、④十分な睡眠 私は、これにもう一つ ⑤やりがいのある事 を加えます。仕事、ボランテイア、孫の世話、家事、趣味でもOK、他の人のために役立つ何かを絶えずしていくことです。

60歳過ぎから第二の現役を始めて、十数年になりますが、眠る前に、必ずその日の感謝なことを思い出しながら「明日もあの事、この事をしなければ‐-!」と思いつつお祈りをして眠ります。

いつでしたかふと、「明日やるべきことがあることは、何とも感謝なことだ」と思わされ、これも健康に重要な要素だと気がつきました。

健康は心の姿勢から

貝原益軒の最高の健康読本「養生訓」は、今もその秘訣は変わらず、彼が83歳の頃に著わした江戸時代のベストセラーです。

「庭に草木を植えて愛する人は、朝夕心にかけて水をやり、土を盛り、肥料をやり、害虫をとってよく養い、その生長を喜び、衰えるのを見て悲しむ。草木に対してでさえそうなのだから、尊くかつ重い自分の身体を大事にするのが当たりまえだ。その自分の身体を草木ほどにも愛さないとは一体どういうことか。」

「生まれつき元気で、身体の強い人でも、養生の方法を知らず、朝晩不摂生をして元気をなくし、日夜精力を減らして、寿命にも達しないで早死にする人が多い。また、生まれつき虚弱で病気がちの人でも、よく摂生して保養すれば、逆に長生きすることも出来る。」(養生訓より、現代語訳)

彼が生きた江戸時代は、「人生50年時代」ですが、『人間の寿命は百歳を定命とする』と言っています。養生の心がけしだいで長寿を保つことが出来、短命で終わることもあると述べています。

「体の健康について、一番大事なことは、本人の健康になりたいという意志である」と教えられます。その心(意志・気持ち)と身体とは密接な関係があり、心の健康が損なわれれば身体の健康も損なわれ、逆に、身体の健康が損なわれれば心の健康も損なわれます。

もちろん例外もあり、作家の三浦綾子さんのように、多くの病気を抱えながらも、その使命を果たされた方もあります。私たち凡人は、体調が悪いと心も病む、意志も弱くなります。

普通に努力をすれば、健康を維持できるのですから、体の健康について強い関心を持って励む、ほんのちょっとの努力が必要です。
適度な運動~歩行速度を上げる

速歩

人生100年の時代、健康な人生を送りたいという気持ちをしっかり持つことが勧められています。貝原益軒の言葉、健康に関心を持て!身体に強い関心を持て、養生せよを受けて、その健康の中で第一は、適度な運動“です。

コロナ禍にあって、歩く機会がめっきり減っていないでしょうか。運動と言えば、やはり一番手軽で効果が大なのが早歩き、脚を鍛えることです。脚の筋肉は、第二の心臓と言われ、ふくらはぎにポンプ機能があり、血液の循環を助ける働きがあるのです。

早く歩くと筋肉が増加し、脚のポンプ機能が高まり、心臓への血流が良くなります。そうすると、心臓の働きが活発になり、体の隅々に血液が送られ、全身の健康維持につながるのだそうです。

寿命も延びますので、歩行速度は、私たちの健康と生命力のバロメーターとも言えます。歳を重ねると歩行速度が低下してきますが、効率よく体力向上が期待できるものに、「インターバル速歩」というウオーキング法があります。

近年の研究では、単なるウオーキングでは筋力・持久力の向上が見込めないと言われ、新たに開発されたのが『インターバル速歩』です。

ややきつめの早歩き(ややきついなと感じる程度)と、ゆっくりした歩きを3分ずつ交互に繰り返すやり方です。130分以上(10分ずつの小分けでもOK)、週に4日以上で、生活習慣病の改善につながるとのことです。

運動について、私も色々と工夫しながらやってきましたが、これが一番効率も良く体力増進に効果的だと納得して取り組んでいます。 

「愛するあなたが、魂においていつも恵まれているように、すべての面で恵まれ、また健康であるようにと私は祈っている。」(ヨハネの手紙第3 2節 現代訳)

2021年1月29日 小坂圭吾

2021年1月15日金曜日

今を生きる「コロナ禍~笑いと喜びに変えていただく」

箱根・芦ノ湖
コロナ感染拡大の第3波
 2020年は、世界を突如襲った新型コロナウイルスに振り回され、コロナ感染拡大で私たちの日常生活も一変してしまいました。全世界で9,000万人以上の人々が感染された由、日本でもコロナ禍の第3波により再び緊急事態宣言が出され、自粛生活を余儀なくされる日々が続きます。

人と人が互いの接触を減らす努力、3密を避ける努力なしには、この難局を乗り切れません。このような中にあって、医療関係者ばかりでなく、社会全体を支え続けてくださっているお一人お一人に心から感謝を申し上げます。

 コロナ感染拡大後の生活の変化について、朝日新聞の調査によりますと、ストレスは、53%が「増えた」と答えています。(男性の47%よりも女性の58%の方が多いと回答)「変わらない」は全体で44%、「減った」は1%でした。ステイホームが広がり、家族と接する時間が「増えた」人は22%、「変わらない」が64%、「減った」が13%です。

ストレスと家族の関係では、家族と接する時間が減った人で、ストレスが「増えた」は67%と高く、家族との時間が「増えた」人も、ストレス増は60%と全体より高く、家族との時間が「変わらない」人でストレス増は48%であり、生活の変化そのものがストレスに結びついているようです。

「オンライン〇〇〇」については、利用が増えたものを複数回答で聞いたところ、「買い物」と「友人・知人とのやりとり」が共に24%、「会議や打ち合わせ」19%、「遠方に住む家族とのやりとり」15%が続いています。全体として、オンライン利用が増えることが、「良いことだ」は50%を占めています。 

コロナ下の生活は? 
私自身について振り返りますと、1年前とは違った良い事もあります。まず、一人で静かに過ごすことが多くなり、そのため、本を読む、祈る、ドラマや映画を見る、ひとりでやる趣味の時間が増えました。(見なくてよいドラマや映画も多かったな?)

次に、オンラインZOOMにより、今まで時間と距離を考えて出席できなかった講演会、会議等にも参加でき、理事会・役員会にも欠席もなく出席できました。オンラインでは、人間的な触れ合いが十分にできない反面、気軽に情報を共有したり、顔を見るだけでもホッとしたりという良い面があります。 

コロナ禍は全く予期しない事柄ですが、私たちの人生は、予期せぬ事柄で満ち満ちています。「なぜ、このようなことが起こるのか?」「主なる神様は、どうしてこれを許されたのだろうか?」率直な疑問ではあります。

このような動けない自粛の生活が続きますと、全ては神様の手の中にありと思いつつも、不自由さといやだなとの思いや愚痴も出て、不安や恐れやストレスがたまり、チョットしたことで落ち込む、失望・落胆に陥りがちになります。
神様に素直に申し上げよう
 人は生きている限り、大小は色々ですが不安・恐れ・ストレスがたまり、やがて失望、落胆する目に遭います。そのような時にどうするか?――その状況から目をそらさず、まずはしっかりとそれに向き合い、共にいてくださる神様にそのことを申し上げましょう。

何も飾らず、ただ素直にありのままの自分を、神様の前に投げ出すことです。正直に打ち明けてみることです。その気持ちを素直に神様に吐き出すこと、嘆きや怒りも、泣くこともあるかもしれません。自分の感情を神様にぶつける、遠慮は必要ありません。

神様に向かって、不安、恐れ、ストレス、これらは、人によって実に様々ですが、ほんとうに神様とお話がしたい、聞いてもらいたいなら、自分の嫌なところ全てで神様に関わりあうことです。自分のありのままで、それが祈りです。そうすれば、神様も応えて下さいます。

神様に申し上げても、なお、誰かに聞いてほしいということもあるでしょう。信頼できる人にそのことを聞いてもらうのも、とても良いことです。あるいは、運動することにより、ストレス発散とやる気のスイッチが入り、元気が出てきますが、私もしばしば体験しています。

 神様との祈りを通して、身近な人や運動を通して、心のスイッチを切り換え、立ちあがる力は、神様が与えて下さいます。神様から“笑いと喜び”をいただき、それらを心にギュウ(牛)と詰め込みたいものです。

そういえば、今年は丑年(うしどし)でした。モウ、コロナ禍とは「さよなら!」したいですが、コロナと一緒でも、今年も”笑いと喜び”で、違った新しい歩みが始まります。 

「その時、私たちの口は笑いでほころび、私たちの舌は喜びの歌を叫んだ。」 
(詩篇  126:2 現代訳)

 2021年1月15日 小坂圭吾

2020年12月19日土曜日

祈り「祈りは神との交わり~願いの祈り」

横浜ランドマークタワー

生活の中心は? 
クリスマス・シーズンになり、近くのコーヒーショップで”ジングルベル”の音楽を耳にしました。昨今、街中等であまり聞くことがなく、一気にクリスマスが近い気分になり、キリストに心を向けて、祈りについて考えることにしました。

 私たちクリスチャンにとって、生活の中心は、聖書を読み、神が共にいてくださることを感じつつ祈ることです。この1年、コロナ禍で私たちの生活が大きく揺らぎ、変化せざるを得ませんでした。

毎日の生活は、色々と問題があふれ、願い事で満ちあふれ、祈らざるを得ない環境だったかもしれません。仕事上の問題、人間関係、病気のこと、子供・孫の問題、予期しなかったことが突然起こってくる等々---。

コロナ禍の影響かもしれませんが、この1年を振り返ると、聖書を読むこと、祈ることが多かったかな?とも思います。

祈りと勝負 
今月読んだ本に「老いと勝負と信仰と」(加藤一二三著、ワニブックス・PLUS新書)があります。将棋士の加藤一二三九段(通称:ひふみん)は、カトリックの信徒です。私も少しだけ将棋を指していましたが、100年人生を考えると囲碁の方が良いかなと転向して、今は囲碁を趣味にまでしたいと熱が入っています。彼が、クリスチャン棋士ということで、この本を手にしました。

彼の将棋人生は、まさに信仰に裏打ちされた人生です。信仰があるからこそ、あれだけの棋士としてのすばらしい業績を達成されたということが出来ます。彼は、「祈りは、人を強くする、勝負強くする」と書いておられます。信仰と勝負はリンクしている。

彼が戦って勝利した名局と言われるものは、祈りが直接勝利に結びついている!その例をいくつも紹介しておられます。彼は、対局の前に教会で祈りをささげ、対局の昼休みに教会に行って力を得る。大きな対局になると地方に出かけますが、勝負の前には近くに教会があるかを探して、そこに行ってお祈りをする。

もちろん、祈っても成功しないこともありますが、負けが見えても投げ出すことはせず、最後まで真剣です。信仰と勝負、祈りによる勝負の姿に感動を覚えます。
祈りとは何か?
祈りは、私たちにとって生活の中心であり、神との交わりであり会話です。聖書を読むことを通して、神の御声を聞きますが、祈ることは、神さまに語りかける、聞くことであり、会話です。

アウグステイヌスは「祈りは魂の呼吸である」と言っていますが、私たちは、意識しなくても呼吸をしています。眠っている間も無意識にやっています。それと同じように、魂に新しいエネルギーを入れる、人間らしく生きていくには祈りは必要です。

聖書では、「絶えず祈りなさい。」(テサロニケⅠ、5章17節)と言われています。呼吸と同じように、絶えずしなければなりません。信仰生活は、実に「祈りの生活」なのです。 「祈りは呼吸である」と教えられてから、私は、どんなことでも祈るようになりました。

ちょっと何かをしようとする時、すぐに祈ることにしました。仕事を始めるとき、途中で考え事をしているとき、食事の前、人との会話でまずいことを言ったかなと感じた時、それがすぐに消えなくて思い出すたびに悔い改めの祈り、昼寝をする前、何か探し物をする時、寝る前に、‐‐‐。もちろん、デボーションや家庭礼拝でも祈りますが、この短くとも、その都度その都度祈ることが重要だと思います。 

これらを振り返ってみれば、私たちが一番よくしている祈りは、願いごとをする祈りではないでしょうか。祈りの大半が願うことに費やしていると思われます。少しずうずうしく祈りすぎかなと思わないでもありません。願いながらも自分で精いっぱい努力します。

 願う祈りの根底にあることは、信仰に基づいて願いを神様に祈り、神様が必ず良きになしてくださるとの確信です。単純ですが、深い神様への信頼があれば、神様はそれを聞いて下さるのです。

言葉を換えれば、自分の力ではできることには限界があり、神様の力なしでは何もできないことの自覚があることです。神様の恵みで、色々なことが整えられていく。絶望的な状況の中でも、神様が助けてくださるとの希望を持つことです。単純な信仰によって、願いが本当の祈りになるのです。

願うからには、神様に真剣にすべてをゆだねて願いましょう。同時に、自分のやるべき分を精いっぱい果たしていくことも重要です。(私の恩師曰く:神様からの恵みは何もないかのように、一所懸命自分のやるべき努力をしていく。)この両者が協力して、願う祈りが実現しいきますと、とても楽しい祈りの生活となります。 

2020年12月19日 小坂圭吾 

(追伸)祈りの映画「いのりの力」について書いたブログを参考に供します。
                 2016年8月16日火曜日  祈り「祈りの力」

2020年11月25日水曜日

祈り「聖書をゆっくり読む」

昇仙峡・仙娥滝

現代訳聖書・改訂新版について

去る111日に『現代訳聖書・改訂新版』を刊行いたしました。翻訳者の尾山令仁先生ご自身による本文の見直しが数千箇所に、現代訳聖書翻訳委員による日本語の推敲と修正が、時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、約3万箇所を修正しています。

既に読まれた方々からは、更にわかりやすくなった、気になっていた言葉、箇所が修正されてよかった等、好評の声をいただき、うれしく感じています。表紙をビニール製にして広げやすくしたことも、聖書のコピーがしやすくなった等の声も聞かされ、長持ちして使っていただけるものと思っています。

“読むだけで良くわかる聖書”をこの日本で刊行することは、神のみ旨であると考えますが、改定新版を出すには多くの資金が必要です。献金によるしかないと判断し、献金のお願いを始めましたが、途中で集まるかな?と不安にはなりました。

神様が責任を持ってやって下さると思いつつも、集まらない時の他の手段も考えていました。3年にわたり献金のお願いをして、物価の値上がりによる計画以上の出費等も吸収して必要額が満たされ、主なる神様に感謝をささげます。


聖書の読み方

発売後、色々な方と聖書の読み方等について、お話をする機会を得ています。ある聖書を読む会では、皆さんそれぞれに使っておられる聖書を持参され、輪読していくそうです。訳が違う各人の聖書を、声を上げて読んでいきます。それを聞きながら、訳の違いを理解し味わいながら学びをしていく、それがまた良いとのお話でした。

先日、ある信仰生活も長い方の聖書の読み方をお聞きしました。彼は、3種類の聖書を並べて読んでいらっしゃるとの由。新改訳聖書そして現代訳聖書、もう1冊だそうです。常にそのようにしておられ、じっくりと聖書を読んでおられるのだと想像がつきます。

我が家の家庭礼拝では、今は現代訳聖書を第8版と改訂新版を使い、訳の違いを味わいながら読んでいます。時には、新改訳聖書も入れて読んだりします。


ゆっくり読む

最近、聖書の読み方について学びをしました。私たちは、毎日、時間と場所を決め、静かに神様と個人的に出会う~聖書を読み、神の御声を聞いて黙想する~そして生活の中で適用していくことを目指しています。これが、毎日のデボーション、静思の時(QT:Quiet Time)です。

この時の聖書の読み方について考えてみました。まず聖書を読むことについては、聖書個所をゆっくりと読む、2~3回ゆっくり読みましょうと言われます。このゆっくり読むとは、どういうことをするのでしょうか?

人それぞれにゆっくりのペースがあります。神について何かを知るためではなく、神様ご自身と出会うために読むのです。ですから、普通の本を読むのとは違う、それなりの読み方があるはずです。ですから「ゆっくり読む」のです。聖書を非常にゆっくり読むのです。2~3回ゆっくり読みましょうとは、このことに通じるのです。

具体的には、反芻(はんすう)するように読むことです。反芻するとは、牛や羊が牧草を口に入れて何度も噛み、一度胃に入れて、また口に戻して噛み続けることです。

私の幼いころは、近所に牛の姿がよく見られて、のんびりと反芻している姿があり目に焼き付いています。ですから、反芻するとは、何度も読む、行きつ戻りつしながら読む、また戻って読むことだと理解できます。

はじめに神が天と地を創造された。(神が・・天と地・・・創造・・)地は茫漠として何もなく、(茫漠・・)闇が大水の表の上にあり、(闇が・・大水の表の上・・)神の霊がその水の表を動いていた。(神の霊・・動いていた・・)

何度も同じ個所を繰り返し読む、まとまった個所を読んでまた最初に返って読む。途中で時々少し戻る。規則はなく、自由に読んでいくのです。まとめますと、「聖書を非常にゆっくり、行きつ戻りつしながら、何度も読む」ということです。

こうしていきますと、心に触れたみ言葉や疑問点等が生じて黙想へと導かれ、神様との対話へと進んでいくことが出来ます。今までのご自分のやり方に、時には、このゆっくり読むを取り入れることが、デボーション、QTのやり方としてとても意義あるのではないかと思います。

 20201125日 小坂圭吾