2026年8月21日金曜日

喜び・感謝「旅に出て、心に元気をいただく」

日本全国一周(師走の秋田・田沢湖)
日本全国を旅して

毎年の目標として「旅行&ドライブを楽しむ」と掲げ、長く続けています。旅行が好きになったのは、学生時代、故郷に帰るときに、いろいろなルートを考えて旅をしたことがきっかけでした。

仕事で出張したときも、仕事が終わると周辺を散策し、家族旅行もしばしば計画しました。気がつけば、日本全国を一周~都道府県単位で数えると4711243県です。

私の「全国一周」の定義(?)は、その県を通過するだけではなく、その土地の意味のある所、名所を訪ねることです。北海道は広いので4回に分けて訪問し、少なくとも50地域を旅行したことになります。

今から約15年前の師走、山形から秋田へ旅行しましたが、5年ぶりの大雪に見舞われ、5060cmの積雪でした。しばらく雪らしい雪を見たことがなく、素晴らしい雪景色を満喫しました。

旅の道連れの方から、「全国一周達成ですね。大雪で忘れられない思い出ですね」と言われたことを、今でも覚えています。全国一周したからといって、それほど特別な意味があるわけではありません。

しかし、北海道から沖縄まで、実際に見て、聞いて、感じ、味わって得たものは少なくありません。だからこそ、「旅は本当にいいですね」と申し上げたいのです。

忍耐して待つ

「日本全国を旅行する」という目標を立ててから、あることに気がつきました。それは、「これをやり抜くぞ!」と構えるより、「ぜひこうしたいが、時があるので、自然体でやっていこう」という姿勢です。

若い時とは違い、年を重ねるにつれて、「物事には時がある」ということを少しずつわきまえるようになりました。これは旅行だけではなく、ブログや講演などの原稿を書くときにも同じです。

ネタはあるのに、書いてみるとなぜか納得がいかない。そんなとき、数日、あるいは1週間ほど寝かせて待っていると、良いアイデアがふっと浮かんでくるのです。

このブログも、最初に書いたものに納得がいかず、数日置いてから「よし、書き直そう」と思い、こうして書き直しています。「忍耐して待つ」ことの大切さを、あらためて感じています。

サルスベリ(百日紅~100日前後花が咲く)

旅のポイント

全国を旅して振り返ってみますと、最初の頃は、とにかく新しい所、興味のある所に心が引かれて出かけたものです。

しだいに、素晴らしい景色、歴史的に価値のある所、そして温泉を求めて行くようになりました。振り返れば、私の旅のポイントは、大自然と歴史と温泉の三つだったように思います。

グルメを目的にすることはあまりありません。宿のおいしい食事も大切ですが、私にとっては、この三つの方が重要だったのです。

若い時は、旅をすること自体で満足し、中年以降になると、「何が良かったのか」を振り返るようになりました。心が満たされ、どのように元気が与えられたかを考えるようになったのだと思います。

全国一周を成し遂げてからは、新しい所を探すよりも、これまで良かった所、思い出のある所をもう一度訪ねることが多くなりました。何日間も宿泊する旅行ではなく、日帰りや12日が中心です。

これからの旅

これからは、目的を絞った旅もしてみたいと思います。今まで多くのお城を訪問しましたが、城を聖書的な視点から見て、そこに生きた城主たちの人生をたどってみる。

キリシタン大名の城について、その観点から城や城主を見てみる。現存天守12城を訪ねる旅も、一つの題材になりそうです。

一方では、気に入った所にゆっくり宿泊して、「心のバケツ」を霊的に満たす静かな旅もいいかなと思います。これまであまりやらなかった旅ですが、そのような旅も大切なものです。

旅に出ると、普段とは違う景色に出会い、新しい発見があります。そして何よりも、心がリフレッシュされ、明日への元気が与えられます。

これからは、ただ遠くへ行くだけではなく、自然や歴史に触れ、お城を訪ね、そこに生きた人々の人生を考え、聖書を通して新しい発見をする。そんな旅をしてみたいと思います。聖書には、こうあります。

「しかし、主を待ち望む者は新たな力を得、鷲のように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく、歩いても疲れることはない。」

(イザヤ書4031節 聖書協会共同訳)

旅によって心に元気をいただき、そして主を待ち望むことによって新しい力をいただく。そんな旅を、これからも楽しんでいきたいと思います。

2026821日 小坂圭吾


2026年7月15日水曜日

コーヒーブレイク「『創造主訳聖書・改訂新版』に向けて」

歩く姿は百合の花

聖書を読み始めた頃

大学入学直後、キリスト者学生会(KGK)の講演会をきっかけに教会へ導かれました。教会に通い始め、聖書を読むときには、「分かるところだけ読み、分からないところは読み飛ばしてよい」と教えられました。

当時は聖書を古典のような難しい本だと思っていましたが、「読書百遍、意おのずから通ず」というように読み続けることが勧められていました。

分からなくても読むのをやめなかったのは、そこには何か大切なものがあると信じていたからでしょう。

通い始めた教会の牧師先生のメッセージも素晴らしく、聖書に関する本も次々に読みました。聖書がどのような本であるかを知るにつれ、本文で分からない箇所があっても読み進めることができました。

聖書はなぜ分かりにくいのか

ビジネス時代の後半から神学校で聖書66巻を学び、全巻を何度も通読してきました。また、『現代訳聖書・改訂新版』刊行の際には校正員として短期間に全巻を何度も読む恵みにもあずかりました。

長年、デボーションと家庭礼拝では『現代訳聖書』を用いてきましたが、この一年ほど『新改訳聖書2017』を使ってみると、改めて聖書には分かりにくい表現が多く、難しいと感じました。

多くの牧師方も同じように感じておられるのではないかと思います。

尾山令仁牧師は、この課題に約70年前から取り組まれ、「読むだけで分かる聖書」の必要性を強く感じておられました。

『現代訳聖書』誕生の歩み

尾山令仁牧師は、伝道・牧会のかたわら聖書の私訳に取り組み、『新改訳聖書』の翻訳委員として責任を担う中で、アメリカ聖書協会の翻訳者・言語学者ユージン・ナイダ博士の「ダイナミック・エクイバレンス」という翻訳原則に出会いました。

現代訳聖書・1983年刊行
これは、従来の「原語に忠実」という考え方ではなく、歴史・社会・文化の違いを考慮し、「原文の意味に忠実」に訳すという原則です。

この翻訳原則は、ウイックリフ聖書協会をはじめ、多くの翻訳で採用されています。

尾山牧師は、この原則に基づいて「キリスト教の背景を持たない日本人にも分かる聖書」を目指し、20数年をかけて翻訳を進められました。

そして198310月、旧新約66巻からなる『現代訳聖書』が刊行されました。

『創造主訳聖書』の刊行

四日市市の堀越暢冶牧師は、長年の伝道・牧会を通して、日本人にも分かりやすく聖書のメッセージを伝えたいと願っておられました。

一般の日本人が「神」と聞いて思い浮かべるのは八百万(やおよろず)の神であり、聖書が教える天地万物の創造主とは異なります。

「神」という訳語が福音宣教の妨げになっているとの問題意識から、20112月、堀越牧師の呼びかけで「創造主訳聖書懇談会」が開かれ、「神」とは別に「創造主」という訳語を用いた聖書が必要であるとの結論に至りました。

底本には尾山令仁牧師の許可を得て『現代訳聖書』(第10版)を採用し、「創造主訳聖書刊行会」が設立されました。そして20134月、『創造主訳聖書』が出版されました。

「創造主」という訳語を用いることで、「すべてを造られた唯一のお方」であることが伝えやすくなったと堀越牧師は語っておられます。

創造主訳聖書・2013年刊行

『創造主訳聖書・改訂新版』へ

創造主訳聖書刊行会の働きも今年で15年目を迎えました。初版6,000部は約10年をかけて皆様のもとへ届けられ、2024年に完売いたしました。

そこで、この10年間に寄せられたご意見やご感想を踏まえ、『創造主訳聖書・改訂新版』を出版することにいたしました。

2020年刊行の『現代訳聖書・改訂新版』を新たな底本とし、判型を大きくして文字を見やすくし、すべての漢字にルビを付けるなど、さらに親しみやすい聖書としてお届けしたいと願っています。

この趣旨をご理解いただき、お祈りとご献金によってお支えいただければ幸いです。出版に必要な経費は約1,300万円で、そのうち600万円を皆様のご献金によって支えていただきたいと願っています。

この聖書が一人でも多くの日本人に読まれ、創造主なる神を知るきっかけとなることを心から願っています。そのために、皆様のお祈りとお支えを賜れば幸いです。

2026715日 小坂圭吾(現代訳聖書刊行会代表)



ご献金先:ゆうちょ銀行

① ゆうちょ銀行内で送金する場合

記号:10630

番号:54563191

名義:創造主訳聖書刊行会(ソウゾウシュヤクセイショカンコウカイ)

② 他行から送金する場合

店名:〇六八(読み方:ゼロロクハチ) 店番:068

預金種目:普通  口座番号:5456319

名義:創造主訳聖書刊行会(ソウゾウシュヤクセイショカンコウカイ)

 

  領収書が必要な方は、下記までご連絡ください。

創造主訳聖書刊行会事務局

510-0946 三重県四日市市小林町3018169 創愛キリスト教会内

(担当:宮崎聖)

電話&FAX 0593212773

Email: sande0426@yahoo.co.jp

 
■創造主訳聖書刊行会

会  長   峯野龍弘 (ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会元老牧師)

副 会長   宇佐神実 (ジェネシス・ジャパン会長)

事務局長    宮崎聖   (創愛キリスト教会牧師/ノアの箱船記念館館長)

委  員   佐々木満男(国際弁護士)

委  員   小坂圭吾 (聖書キリスト教会牧師/現代訳聖書刊行会代表)

委  員    近藤高史 (CBMC理事)

委  員     孫斎賢  (枚方コミュニティーチャペル牧師)

委  員   小坂直人 (PDJロゴス出版社代表)

委  員   堀伸行   IGA上野福音キリスト教会副牧師)

 

 

 

2026年6月20日土曜日

今を生きる「死と死後について考える」

小田原城
101歳の姉を訪ねて

今月上旬、岡山県津山市にある介護付き老人施設にいる姉を慰問してきました。今年101歳になりますが、頭はしっかりしており、食事もしっかり食べているそうです。

かかりつけ医によれば、まだまだ長生きできるのではないか(110歳まで?)とのことでした。ただ耳が聞こえにくくなり、耳元で話さないと聞き取りにくいようです。

お土産に似顔絵を持参しましたが、とても喜んでくれて、写真立てに入れて飾ってあります。

田舎にある施設ですが、環境も設備も良く、私自身もやがてこのような施設にお世話になりたいと思うほどでした。

大学時代の恩師からの便りによると、95歳でご夫婦とも介護付き老人施設に入居され、その生活に大きな満足を感じておられるとのことでした。

そして80歳を超えた後輩である私たちには、早めの入居を勧めるとも書かれていました。人生100年時代と言われる今、このような施設の重要性を改めて感じています。

あじさい(小田原城にて)

初めて出会った「人の死」

死や死後については、このブログに書くのは時期尚早だと見送ってきました。しかし100歳を超えた姉を訪ねたことをきっかけに、このテーマについて考えてみることにしました。

私が初めて死に直面したのは、中学1年生の時の祖父の死でした。祖父は82歳でした。祖父からは行儀作法を中心にしつけられたことを覚えています。

寒い冬の朝、「じいちゃんが亡くなったよ」と知らされ、初めて人の死を経験しました。その後、祖母、母、父の死にも直面しましたが、死について怖いと思ったことは不思議と一度もありません。

それは学生時代にキリスト信仰に導かれ、キリストの復活と永遠のいのちの約束を信じてきたからだと思います。

また、クリスチャンとして生涯を終えた母の死を通して、死について深く学ばせていただきました。

死ぬという仕事

私たちは人生の中で多くの仕事をします。しかし最後に、誰もが避けることのできない仕事があります。それは「死ぬという仕事」です。聖書によれば、主なる神を信じた者にとって、死は天国への入り口です。

作家・三浦綾子さんは、「私にはまだ死ぬという仕事がある」と語りました。死を人生の終わりではなく、最後に与えられた大切な務めとして受け止めていたのです。この言葉には、

・生きることは神から与えられた務め
・死ぬことも神から与えられた務め
・最後まで信仰を保ち、証しすること

という深い信仰が表れているように感じます。


母の日・お花いろいろ

余命半年を越えて

5年前、妻が食道がんを患いました。10時間に及ぶ手術の後、5か所への転移が見つかり、医師から余命半年ほどと告げられました。

しかし、免疫チェックポイント療法が効果を示し、神様の憐れみと医療の進歩、そして信仰の支えによって、この困難を乗り越えることができました。

糖尿病型という副作用は残りましたが、がん細胞は消え、現在も元気に生活しています。この闘病の中で、エンディングノートを書いたり、キリスト教の終活について夫婦で学んだりしました。

また、『死後のことについて、本当のことを知りたい』(尾山令仁著・羊群社)を読み返し、改めて聖書が教える救いの信仰の大切さを思わされました。

この数年、神を信じておられない高齢の方々に福音をお伝えしたいとの思いが与えられています。何とか一人でも天国への道案内ができればと祈りながら、小さな一歩を続けています。

死は誰にとっても避けることのできない現実です。しかし、キリストを信じる者にとって死は終わりではなく、永遠のいのちへの入り口です。主イエスはこう語られました。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ1125節)

この主の約束に支えられながら、与えられた今日を感謝して生き、やがて訪れるその日を平安のうちに迎えたいと思います。

2026620日 小坂圭吾

2026年5月14日木曜日

コーヒーブレイク「AIとキリスト信仰」

わが家の庭に咲く牡丹
 AI(人工知能)に助けられる

この1年ほど、私はAIに何かと助けられています。最近では、100歳を超えた姉をこの5月に慰問しようと考え、その際の贈り物についてAIに相談しました。

いくつかの候補が挙がる中で、「似顔絵」というアイデアがあり、これは自分では思いつきませんでした。数日後、AIは画像処理も得意だと知り、似顔絵を描いてもらうことにしました。

今から8年前の写真を取り出し、“ChatGPT”を使って描いてもらうと、とてもよくできていて驚きました。手書き風や水彩画風など、さまざまなスタイルにも対応できます。

もっと新しい写真でも試しましたが、さすがに100歳に近い頃の写真だけあって、少し年齢を感じさせる仕上がりになりました。

それでも、服装を少し変えてもらうと、さらに素晴らしい作品になり、良いお土産ができました。


AIとの付き合い方

雑誌『プレジデント』(2023630日号)の「ChatGPT仕事術大全」を読み、少しづつAIを使い始めました。

最初は旅行プランを立ててもらいましたが、少し物足りなく感じ、それきりになりました。旅行は私の趣味ですから、自分で考えるほうが満足できるのです。

やがて、ブログ文章の推敲や表現の改善に、補助的に使うようにしました。

意味を勝手に変えられて困ることもありましたが、「最低限の推敲にとどめること」「どこをどう直したかを示すこと」と指示することで、良い補助役になりました。

海外に送る手紙の翻訳や、自分の英文の添削にも非常に役立っています。難しい表現になった時には、「もっと易しく」と頼めばすぐに調整してくれます。

昨年末には、友人から画像処理には“Copilot”が良いと教えられ、年賀状作りに使ってみました。「これは使える」と感じました。

さらに最近では、ChatGPTも絵が上手に描けることが分かり、ChatGPTCopilotGeminiの三つを比較しながら、それぞれの長所と短所を知ることができました。

この一年ほどで、ようやくAIとの付き合い方が少し分かってきた気がします。

AI時代に生きる

AIを使うほど、その便利さを日常の中で実感します。ビジネスの世界では、さらに大きな変化が起きているようです。

脳科学者の茂木健一郎さんは、「ChatGPT100年に一度の衝撃」と語り、この未来の技術に本気で向き合う必要を説いています。

今年2月の『讀賣新聞』には、弁護士業務におけるAI活用の事例も紹介されていました。「ここはAIに任せ、ここからは弁護士に」という役割分担が、今後ますます明確になっていくのでしょう。


AIはさまざまな分野で活用され、業務の効率化に大きく貢献しています。私たちの生活をより豊かにしてくれる可能性もあります。

私自身も、少しずつ試す中で、「なるほど、これは使える」と感じることが増え、助けられる場面が多くなりました。

AI時代とキリスト信仰

AIの便利さに驚く一方で、改めて感じることがあります。それは、AIを使うのは私たち人間であり、聖書が語るように、罪を持つ存在だということです。

ですから、AIがもたらすものが必ずしも良いことばかりとは限りません。悪用される可能性もあります。

この数年続くウクライナ戦争、またアメリカ・イスラエルとイランとの対立の中でも、戦略の立案や兵器(ミサイルやドローン)の運用にAIが活用されていると報じられています。

AI技術の優劣が、戦争の行方にまで影響する時代になっているのでしょうか。

AIがますます高度で完全なものへと近づく一方で、それを使う人間は不完全であり、罪人にすぎません。AIは驚くべき力を持っていますが、あくまでも人間が生み出した「道具」です。

人の心を真に導き、善悪を示し、希望を与えることができるのは、神のことばだけです。どれほど技術が進んでも、人間そのものが救われるわけではありません。

「主を畏れることが知恵の初めであり、聖い神を知ることが英知である。」(箴言9:10 現代訳)

「あなたの御言葉は、私の足を導くともし火、私の道を照らす光です。」(詩篇119:105 現代訳)

AIという新しい時代にあって、私たちは神を畏れることから始まる真の知恵を忘れてはならないと思います。

技術に助けられつつも、最後に拠り頼むべきお方は、やはり天地を造られた神であることを覚えていたいものです。

2026514日 小坂圭吾

 

 


2026年4月15日水曜日

人生の目的「神の親友になる」

 

横浜・桜木町~桜満開
朝晩、主に祈る

私たちは、「絶えず祈りなさい」の御言葉に従い、デボーションや家庭礼拝を通して、朝に夕に祈りをささげます。

私たちの人生は、一日一日の積み重ねによって形づくられますが、今日を充実させるためには、始まりと終わりが大切です。

宗教改革者マルチン・ルターは、朝と夜、眠る前に必ず祈るよう教え、ジャン・カルバンも一日に五度以上祈ることを勧めています。

朝一番に祈るときには、神の御言葉を読み、黙想し、「いのちと知恵と平安の恵みを与えてください」と祈ります。夜には、その日に受けた恵みに感謝し、犯してしまった罪を悔い改める祈りをささげます。

旧約時代の信仰の人々は、一日三度祈ったとあります。祈りの人ダビデがその代表です。

初代教会の使徒たちも、この旧約時代の伝統を受け継ぎました。午前九時、昼十二時、午後三時は、当時一般的な祈りの時間でした。

クレメンスやオリゲネスなどの教父たち(1世紀末〜5世紀頃に活躍したキリスト教の指導者・神学者たち)は、一日三度の祈りは当然であると教えています。

信仰の先輩たちの祈りの様子を見ると、長く祈っていることが伝わってきます。これも良いことですが、短い祈りを一日に何度もささげることも、さらに良い方法ではないかと思います。


祈りは呼吸である

神と親しくなるためには、一日三度祈ればよいというものではありません。毎日のデボーションや家庭礼拝の習慣は、とても大切です。

しかし「絶えず祈りなさい」と言われているのは、それだけでなく、一日中「神と会話する」ことが求められているのです。

私は神学校で、「祈りは呼吸をするように、いつでもどんなことでも神に祈ることだ」と教えられ、目が開かれました。

祈りは、私たちの生活の中心であり、神との交わりであり、会話です。聖書を読むことによって神の御声を聞き、祈ることによって神に語りかけ、また聞くのです。

アウグスティヌスは「祈りは魂の呼吸である」と言っています。私たちは意識しなくても呼吸をしています。眠っている間も無意識に行っています。

同じように、祈りも絶えずささげることが大切です。信仰生活は、まさに「祈りの生活」なのです。

このことを教えられてから、私の祈りの生活は大きく変わりました。何かをしようとするとき、すぐに祈るようになりました。

仕事を始めるとき、途中で考え事をしているとき、食事の前、人との会話で失言に気づいたときの悔い改め、昼寝の前、車の運転中、探し物をするとき、寝る前――

もちろんデボーションや家庭礼拝でも祈りますが、このように短くても、その都度祈ることが大切だと思います。

八重桜

絶えず神と語り合う

とにかく、一日中、神さまと会話するのです。

神と親しくなるとは、人生のすべての経験を神と分かち合うことによって築かれます。神との親しい交わりとは、日常の出来事や思いをそのまま神に差し出すことです。

「今こうしていますが、知恵と助けを与えてください」「このように考えましたが、導いてください」「どうしたらよいでしょうか」「感謝します」――このような祈りです。

要するに、短い会話の祈りを一日通して続けることです。

この習慣が身につくと、神の臨在をいつでも覚えることができるようになります。感情ではなく、神が共におられるという事実を覚え続けることが大切です。

御言葉を思い巡らす

祈りとともに欠かせないのが、御言葉の黙想です。御言葉の学びに長い時間を取れなくても、聖句を思い出したり、心の中で暗唱したり、スマートフォンで開いて読んだりすることはできます。

このように御言葉を思い巡らすことが「黙想」です。ある問題を繰り返し考えてしまうことを「思い煩い」と言いますが、「問題」ではなく「御言葉」を繰り返し思うようにすればよいのです。

私たちは思い煩うことに慣れていますが、その意味では黙想する力もすでに持っていると言えるでしょう。

御言葉を思い巡らし、神に語っていただき、そして祈る――御言葉と祈りは一つです。このようにして神に近づき、神との友情を深めていきたいと願います。

「神に近づきなさい。そうすれば、神もあなたがたに近づいてくださる。」(ヤコブ48

2026415日 小坂圭吾