2021年1月15日金曜日

今を生きる「コロナ禍~笑いと喜びに変えていただく」

箱根・芦ノ湖
コロナ感染拡大の第3波
 2020年は、世界を突如襲った新型コロナウイルスに振り回され、コロナ感染拡大で私たちの日常生活も一変してしまいました。全世界で9,000万人以上の人々が感染された由、日本でもコロナ禍の第3波により再び緊急事態宣言が出され、自粛生活を余儀なくされる日々が続きます。

人と人が互いの接触を減らす努力、3密を避ける努力なしには、この難局を乗り切れません。このような中にあって、医療関係者ばかりでなく、社会全体を支え続けてくださっているお一人お一人に心から感謝を申し上げます。

 コロナ感染拡大後の生活の変化について、朝日新聞の調査によりますと、ストレスは、53%が「増えた」と答えています。(男性の47%よりも女性の58%の方が多いと回答)「変わらない」は全体で44%、「減った」は1%でした。ステイホームが広がり、家族と接する時間が「増えた」人は22%、「変わらない」が64%、「減った」が13%です。

ストレスと家族の関係では、家族と接する時間が減った人で、ストレスが「増えた」は67%と高く、家族との時間が「増えた」人も、ストレス増は60%と全体より高く、家族との時間が「変わらない」人でストレス増は48%であり、生活の変化そのものがストレスに結びついているようです。

「オンライン〇〇〇」については、利用が増えたものを複数回答で聞いたところ、「買い物」と「友人・知人とのやりとり」が共に24%、「会議や打ち合わせ」19%、「遠方に住む家族とのやりとり」15%が続いています。全体として、オンライン利用が増えることが、「良いことだ」は50%を占めています。 

コロナ下の生活は? 
私自身について振り返りますと、1年前とは違った良い事もあります。まず、一人で静かに過ごすことが多くなり、そのため、本を読む、祈る、ドラマや映画を見る、ひとりでやる趣味の時間が増えました。(見なくてよいドラマや映画も多かったな?)

次に、オンラインZOOMにより、今まで時間と距離を考えて出席できなかった講演会、会議等にも参加でき、理事会・役員会にも欠席もなく出席できました。オンラインでは、人間的な触れ合いが十分にできない反面、気軽に情報を共有したり、顔を見るだけでもホッとしたりという良い面があります。 

コロナ禍は全く予期しない事柄ですが、私たちの人生は、予期せぬ事柄で満ち満ちています。「なぜ、このようなことが起こるのか?」「主なる神様は、どうしてこれを許されたのだろうか?」率直な疑問ではあります。

このような動けない自粛の生活が続きますと、全ては神様の手の中にありと思いつつも、不自由さといやだなとの思いや愚痴も出て、不安や恐れやストレスがたまり、チョットしたことで落ち込む、失望・落胆に陥りがちになります。
神様に素直に申し上げよう
 人は生きている限り、大小は色々ですが不安・恐れ・ストレスがたまり、やがて失望、落胆する目に遭います。そのような時にどうするか?――その状況から目をそらさず、まずはしっかりとそれに向き合い、共にいてくださる神様にそのことを申し上げましょう。

何も飾らず、ただ素直にありのままの自分を、神様の前に投げ出すことです。正直に打ち明けてみることです。その気持ちを素直に神様に吐き出すこと、嘆きや怒りも、泣くこともあるかもしれません。自分の感情を神様にぶつける、遠慮は必要ありません。

神様に向かって、不安、恐れ、ストレス、これらは、人によって実に様々ですが、ほんとうに神様とお話がしたい、聞いてもらいたいなら、自分の嫌なところ全てで神様に関わりあうことです。自分のありのままで、それが祈りです。そうすれば、神様も応えて下さいます。

神様に申し上げても、なお、誰かに聞いてほしいということもあるでしょう。信頼できる人にそのことを聞いてもらうのも、とても良いことです。あるいは、運動することにより、ストレス発散とやる気のスイッチが入り、元気が出てきますが、私もしばしば体験しています。

 神様との祈りを通して、身近な人や運動を通して、心のスイッチを切り換え、立ちあがる力は、神様が与えて下さいます。神様から“笑いと喜び”をいただき、それらを心にギュウ(牛)と詰め込みたいものです。

そういえば、今年は丑年(うしどし)でした。モウ、コロナ禍とは「さよなら!」したいですが、コロナと一緒でも、今年も”笑いと喜び”で、違った新しい歩みが始まります。 

「その時、私たちの口は笑いでほころび、私たちの舌は喜びの歌を叫んだ。」 
(詩篇  126:2 現代訳)

 2021年1月15日 小坂圭吾

2020年12月19日土曜日

祈り「祈りは神との交わり~願いの祈り」

横浜ランドマークタワー

生活の中心は? 
クリスマス・シーズンになり、近くのコーヒーショップで”ジングルベル”の音楽を耳にしました。昨今、街中等であまり聞くことがなく、一気にクリスマスが近い気分になり、キリストに心を向けて、祈りについて考えることにしました。

 私たちクリスチャンにとって、生活の中心は、聖書を読み、神が共にいてくださることを感じつつ祈ることです。この1年、コロナ禍で私たちの生活が大きく揺らぎ、変化せざるを得ませんでした。

毎日の生活は、色々と問題があふれ、願い事で満ちあふれ、祈らざるを得ない環境だったかもしれません。仕事上の問題、人間関係、病気のこと、子供・孫の問題、予期しなかったことが突然起こってくる等々---。

コロナ禍の影響かもしれませんが、この1年を振り返ると、聖書を読むこと、祈ることが多かったかな?とも思います。

祈りと勝負 
今月読んだ本に「老いと勝負と信仰と」(加藤一二三著、ワニブックス・PLUS新書)があります。将棋士の加藤一二三九段(通称:ひふみん)は、カトリックの信徒です。私も少しだけ将棋を指していましたが、100年人生を考えると囲碁の方が良いかなと転向して、今は囲碁を趣味にまでしたいと熱が入っています。彼が、クリスチャン棋士ということで、この本を手にしました。

彼の将棋人生は、まさに信仰に裏打ちされた人生です。信仰があるからこそ、あれだけの棋士としてのすばらしい業績を達成されたということが出来ます。彼は、「祈りは、人を強くする、勝負強くする」と書いておられます。信仰と勝負はリンクしている。

彼が戦って勝利した名局と言われるものは、祈りが直接勝利に結びついている!その例をいくつも紹介しておられます。彼は、対局の前に教会で祈りをささげ、対局の昼休みに教会に行って力を得る。大きな対局になると地方に出かけますが、勝負の前には近くに教会があるかを探して、そこに行ってお祈りをする。

もちろん、祈っても成功しないこともありますが、負けが見えても投げ出すことはせず、最後まで真剣です。信仰と勝負、祈りによる勝負の姿に感動を覚えます。
祈りとは何か?
祈りは、私たちにとって生活の中心であり、神との交わりであり会話です。聖書を読むことを通して、神の御声を聞きますが、祈ることは、神さまに語りかける、聞くことであり、会話です。

アウグステイヌスは「祈りは魂の呼吸である」と言っていますが、私たちは、意識しなくても呼吸をしています。眠っている間も無意識にやっています。それと同じように、魂に新しいエネルギーを入れる、人間らしく生きていくには祈りは必要です。

聖書では、「絶えず祈りなさい。」(テサロニケⅠ、5章17節)と言われています。呼吸と同じように、絶えずしなければなりません。信仰生活は、実に「祈りの生活」なのです。 「祈りは呼吸である」と教えられてから、私は、どんなことでも祈るようになりました。

ちょっと何かをしようとする時、すぐに祈ることにしました。仕事を始めるとき、途中で考え事をしているとき、食事の前、人との会話でまずいことを言ったかなと感じた時、それがすぐに消えなくて思い出すたびに悔い改めの祈り、昼寝をする前、何か探し物をする時、寝る前に、‐‐‐。もちろん、デボーションや家庭礼拝でも祈りますが、この短くとも、その都度その都度祈ることが重要だと思います。 

これらを振り返ってみれば、私たちが一番よくしている祈りは、願いごとをする祈りではないでしょうか。祈りの大半が願うことに費やしていると思われます。少しずうずうしく祈りすぎかなと思わないでもありません。願いながらも自分で精いっぱい努力します。

 願う祈りの根底にあることは、信仰に基づいて願いを神様に祈り、神様が必ず良きになしてくださるとの確信です。単純ですが、深い神様への信頼があれば、神様はそれを聞いて下さるのです。

言葉を換えれば、自分の力ではできることには限界があり、神様の力なしでは何もできないことの自覚があることです。神様の恵みで、色々なことが整えられていく。絶望的な状況の中でも、神様が助けてくださるとの希望を持つことです。単純な信仰によって、願いが本当の祈りになるのです。

願うからには、神様に真剣にすべてをゆだねて願いましょう。同時に、自分のやるべき分を精いっぱい果たしていくことも重要です。(私の恩師曰く:神様からの恵みは何もないかのように、一所懸命自分のやるべき努力をしていく。)この両者が協力して、願う祈りが実現しいきますと、とても楽しい祈りの生活となります。 

2020年12月19日 小坂圭吾 

(追伸)祈りの映画「いのりの力」について書いたブログを参考に供します。
                 2016年8月16日火曜日  祈り「祈りの力」

2020年11月25日水曜日

祈り「聖書をゆっくり読む」

昇仙峡・仙娥滝

現代訳聖書・改訂新版について

去る111日に『現代訳聖書・改訂新版』を刊行いたしました。翻訳者の尾山令仁先生ご自身による本文の見直しが数千箇所に、現代訳聖書翻訳委員による日本語の推敲と修正が、時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、約3万箇所を修正しています。

既に読まれた方々からは、更にわかりやすくなった、気になっていた言葉、箇所が修正されてよかった等、好評の声をいただき、うれしく感じています。表紙をビニール製にして広げやすくしたことも、聖書のコピーがしやすくなった等の声も聞かされ、長持ちして使っていただけるものと思っています。

“読むだけで良くわかる聖書”をこの日本で刊行することは、神のみ旨であると考えますが、改定新版を出すには多くの資金が必要です。献金によるしかないと判断し、献金のお願いを始めましたが、途中で集まるかな?と不安にはなりました。

神様が責任を持ってやって下さると思いつつも、集まらない時の他の手段も考えていました。3年にわたり献金のお願いをして、物価の値上がりによる計画以上の出費等も吸収して必要額が満たされ、主なる神様に感謝をささげます。


聖書の読み方

発売後、色々な方と聖書の読み方等について、お話をする機会を得ています。ある聖書を読む会では、皆さんそれぞれに使っておられる聖書を持参され、輪読していくそうです。訳が違う各人の聖書を、声を上げて読んでいきます。それを聞きながら、訳の違いを理解し味わいながら学びをしていく、それがまた良いとのお話でした。

先日、ある信仰生活も長い方の聖書の読み方をお聞きしました。彼は、3種類の聖書を並べて読んでいらっしゃるとの由。新改訳聖書そして現代訳聖書、もう1冊だそうです。常にそのようにしておられ、じっくりと聖書を読んでおられるのだと想像がつきます。

我が家の家庭礼拝では、今は現代訳聖書を第8版と改訂新版を使い、訳の違いを味わいながら読んでいます。時には、新改訳聖書も入れて読んだりします。


ゆっくり読む

最近、聖書の読み方について学びをしました。私たちは、毎日、時間と場所を決め、静かに神様と個人的に出会う~聖書を読み、神の御声を聞いて黙想する~そして生活の中で適用していくことを目指しています。これが、毎日のデボーション、静思の時(QT:Quiet Time)です。

この時の聖書の読み方について考えてみました。まず聖書を読むことについては、聖書個所をゆっくりと読む、2~3回ゆっくり読みましょうと言われます。このゆっくり読むとは、どういうことをするのでしょうか?

人それぞれにゆっくりのペースがあります。神について何かを知るためではなく、神様ご自身と出会うために読むのです。ですから、普通の本を読むのとは違う、それなりの読み方があるはずです。ですから「ゆっくり読む」のです。聖書を非常にゆっくり読むのです。2~3回ゆっくり読みましょうとは、このことに通じるのです。

具体的には、反芻(はんすう)するように読むことです。反芻するとは、牛や羊が牧草を口に入れて何度も噛み、一度胃に入れて、また口に戻して噛み続けることです。

私の幼いころは、近所に牛の姿がよく見られて、のんびりと反芻している姿があり目に焼き付いています。ですから、反芻するとは、何度も読む、行きつ戻りつしながら読む、また戻って読むことだと理解できます。

はじめに神が天と地を創造された。(神が・・天と地・・・創造・・)地は茫漠として何もなく、(茫漠・・)闇が大水の表の上にあり、(闇が・・大水の表の上・・)神の霊がその水の表を動いていた。(神の霊・・動いていた・・)

何度も同じ個所を繰り返し読む、まとまった個所を読んでまた最初に返って読む。途中で時々少し戻る。規則はなく、自由に読んでいくのです。まとめますと、「聖書を非常にゆっくり、行きつ戻りつしながら、何度も読む」ということです。

こうしていきますと、心に触れたみ言葉や疑問点等が生じて黙想へと導かれ、神様との対話へと進んでいくことが出来ます。今までのご自分のやり方に、時には、このゆっくり読むを取り入れることが、デボーション、QTのやり方としてとても意義あるのではないかと思います。

 20201125日 小坂圭吾

 

2020年10月26日月曜日

コーヒーブレイク「『現代訳聖書』が新しくなりました」

 

現代訳聖書・改訂新版
新しい現代訳聖書

『現代訳聖書(旧新約)』を、111日に「改訂新版」として新しく刊行いたします。1983年に初版が刊行され、「読むだけで分かる聖書」として多くの人に親しまれてきましたが、多くの皆様の祈りと尊い献金に支えられて、ここに改訂新版刊行の運びとなりました。

初版を発行してから、部分的に改訂をしながら10版まで重ねてきました。それ以降、印刷の前工程のシステムがデジタル化により大きく変わり、10版で使用した組版が使用できない状況となったため、一連の組版作成作業を一から行なう必要が生じました。

言葉は二、三十年で変わるという常識から、本文の見直しも全面的に行なう必要を感じ、5年ほど前から大幅改訂の作業に取り組みました。具体的には、現代訳聖書翻訳者の尾山令仁先生ご自身による本文の見直しを行い、修正は数千箇所にのぼりました。

また、現代訳聖書翻訳委員会(主宰:小坂直人)による日本語の推敲と修正を行いました。日本語自体を見直す作業で、古い言い回しの修正、送り仮名の変更、漢字とひらがなの使い分け、句読点の調整、接続詞や代名詞や敬語などの調整等々、時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、約3万箇所を修正しています。

言葉は世の中の動きと共に変化します。数年前に広辞苑が10年ぶりに大改訂され、新しい項目が約1万項目も追加されたことは記憶に新しいところです。新聞で使われる言葉も毎年のように更新されているようですが、それらの情報も取り入れ、日本語の見直しを進めてきました。

現代訳聖書ができるまで

『現代訳聖書』は、日本人への伝道牧会の現場から生まれた聖書です。1953年、神学校を卒業した尾山令仁牧師は、開拓伝道に励みながら聖書の私訳に取り組み始め、聖書講解書や月刊誌『羊群』に連載していた講解説教に付ける形で翻訳を進めました。

私が学生の頃、尾山先生がWKGKで創世記の学びを指導しておられ、そこで私訳に基づいてお話されていたことを思い出します。その後、『新改訳聖書』の翻訳委員としての責任を担う中で、「読むだけで分かる聖書」の必要性を強く感じるようになりました。

そのような時に、アメリカ聖書協会の翻訳者であり、言語学者のユージン・ナイダ博士の「ダイナミック・エクイバレンス」という翻訳原則に出会います。

これは、従来行われてきた「原語に忠実」という翻訳原則ではなく、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて「原文の意味に忠実」に訳すという原則であり、ウイックリフ聖書協会や一般の翻訳書において採用されている翻訳原則です。

この原則に基づき、“キリスト教の背景を持たない日本人にも分かる聖書”を目指して翻訳が進められ、198310月に旧新約聖書66巻を『現代訳聖書』として刊行するに至りました。費やした年月は30年、刊行後も随時手を加え、版を重ねる度に改訂を行なってきました。

現代訳聖書・刊行の意義

聖書を翻訳によって分類すると、「原語に忠実」な聖書と「原文の意味に忠実」な聖書の2種類に分けられます。『新改訳聖書』、『新共同訳聖書』等が前者の“原語に忠実な聖書”であり、『現代訳聖書』が後者の“原文の意味に忠実な聖書”になります。

「原語に忠実」に訳した場合、2千年以上も前の原語をそのまま訳すわけですから、当時と風俗習慣が違う私たちには理解できず、良くわからないことが多々出てきます。時代背景が異なる上に、ユダヤ的表現法が随所に見受けられ、昔の度量衡や貨幣が出てくる等々、理解を困難にしています。

「原文の意味」に忠実に訳すという翻訳原則で訳された聖書は、英語圏では十数種類出ており、多くの人に読まれております。「『現代訳聖書』を読むと、意味の分かりにくい箇所がよく分かる」というご感想をいただくことがよくありますが、それは、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて、「原文の意味」に忠実に、原典に聖書解釈を加えながら訳していることによるものです。

今回の改訂に当たり、多くの資金が必要となり、3年にわたって献金のお願いをしてきましたが、必要額が満たされましたことをここにご報告し、感謝を申し上げます。主なる神様に賛美と感謝をささげます。

私たちはこれからも、「読みやすく分かり易い聖書」を出し続けていきたいと願っています。日本人の多くは、八百万の神しか知らず、99%の人々が真の神さまを知らない状態です。聖書は隠れたベストセラーかつロングセラーの本ですが、日本では多くの方々が積読(つんどく)状態にあるのではないかと思われます。

ですから現代訳聖書刊行会の使命は、現代の日本人に「読みやすく分かり易い聖書」を届けていくことにあると考えています。一人でも多くの日本人に聖書を読んでいただくために、この『現代訳聖書』が用いられることを心から願ってやみません。

20201026日    小坂圭吾(現代訳聖書刊行会・代表)

 

■現代訳聖書刊行の歴史

197811月 現代人の聖書(新約)初版発行

198310月 現代訳聖書(旧新約)初版発行

198912月 現代訳聖書(新約普及版)初版発行~小見出し・脚注付き

199411月 現代訳聖書(旧新約)6版発行~小見出し付き

200004月 現代訳聖書(旧新約)8版発行~小見出し付き・文字大きく

200405月 現代訳聖書(旧新約)10版発行~小見出し付き・文字大きく

201601月 現代訳聖書(旧新約)日本語の見直しを開始         

201704月 現代訳聖書(新約11版)電子書籍版(キンドル版)発行 

  

202011月 現代訳聖書(旧新約)改訂新版発行~小見出し付き・文字大きく

 

2020年9月21日月曜日

祈り「求めなさい、そうすれば与えられます」

河口湖

 コロナ禍の猛暑

今年の猛暑には、少しへばって“夏バテ”かな?と思わされました。何とか凌ぎましたが、気候変動による想像を超えるリスクを実感させられます。洪水や台風などの被害の大きさは、年々大きくなっており、暑い夏は9月まで続きました。

世界に目を向けると、熱波が世界を襲い、米国カリフォルニア州では、8月に気温が54.4℃を記録、フランスやスペインでも40℃を超える日が続いた由。米国カリフォルニア州では、今夏、熱波による記録的な乾燥状態の中で落雷があり、大規模な山火事が続き、被害額は莫大です。

農業や建設業、運輸業等では、暑くて外で働けなくなるとか、仕事効率が落ちていることでしょう。先日久しぶりに涼しい朝に2030分散歩して、「これって、1か月ぶりかな?」と、猛暑が続く中、巣ごもりをしていたのだなと思わされました。

3密でなければ、恐れる必要はない

コロナ禍の中にあって、人々は家に居て外に出ないようにと言われ、夜の外出や宴会などはとんでもない。手を洗い、マスクをつけてー。マスクをつけることは大切ですが、不要な時にはつける必要はないと感じます。

人々と接近する場面では、当然マスクをエチケットでつけますが、散歩の時や往来で人がまばらであれば、マスクをつけることはせずに、手に持って歩きます。外に出ないようにとのことについては、人が行かない所に出かけて、ウオーキングをしっかりやります。

箱根、富士山の南麓、河口湖に避暑とウオーキングに行きましたが(車を使います)、道路も現地も空いていて楽しくリフレッシュ出来ました。7月から、公的なスポーツ施設が解禁になり、水泳やフィットネス・トレーニング室に行くと、平日はコロナ禍の定員の半分以下でガラガラです。2か月経過しても、あまり変わらず、貸し切りのような状況で、ぜいたくに使わせてもらっています。(もったいない!)

コロナ禍に対して、3密を避けて十分注意しますが、人が密集しなければ、恐れる必要はありません。恐れて閉じこもるのではなく、必要な行動はしていくべきであろうと思います。

富士山とフジアザミ

神さまの前に静まる

100年に一度と言われるコロナ禍に対する戦いは、コロナと共に生活することになり、これからもしばらく続くことでしょう。毎日の生活の中で、様々な新しい問題が起こってくる、将来に対する不安がある、新しい知恵を求められる、どうして良いかわからない等々のことが起こってきます。

様々な制限がある中、神さまの前に静まり、イエスさまとの関係を点検する、再構築する機会にしていくことが大切です。全知全能の主に頼る、私たちの最大の武器“祈りについて”考えて見ましょう。

「求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば、見出します。たたきなさい。そうすれば、開かれます。」(マタイ7章7節)

この箇所では、“祈りの積極的な励ましと命令”が与えられています。根気よく、あきらめないで、忍耐強く祈ることが勧められています。なぜ、祈らなければならないのか?それは、神がわたしたちの求め、願いをご存知ないからではありません。

神は全能の主でいらっしゃるので、私たちの求める以前から、必要なものをご存じです。神は本当に必要を感じてもいない者に、無理強いをして与えることをなさらないのです。“祈り求める”ということの意味は、私たちにとって、それが本当に必要だということ、それを与えて下さるのは、天の父なる神であるという信仰の表明です。

天の父なる神が与えて下さるのだという信仰が必要で、「求めよ」「探せ」「たたけ」と三度違った言い方で強調的に教えておられるのです。

「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7章8節)

主イエスは、約束してくださいます。主イエスを信じて、やってみようと求める、探す、たたくのです。自分にとって何が必要なのかがわかっていたら、それを求めれば与えられます。何が必要なのかが良くわからない時には、熱心に探し続ければ、見出すことができるのです。

私たちにとって、切実な祈りであれば、途中でやめたりせず、祈り求め、続けましょう。そのことがとても大切です。私たちは、祈りを通して、神の光に照らされ、求めるものが与えられ、生きる力が与えられ「よし、やるぞ、やってみよう」と一歩を歩み出す者となれるのです。「切実に祈り求め続ける」そのようなものにしていただきたいと思います。

2020年9月21日 小坂圭吾 

2020年8月24日月曜日

今を生きる「人生は人・本・旅を通して、豊かに楽しく」

 

立命館アジア太平洋大学

APU大学

大分県別府市に2000年4月に開学したユニークな国際大学・APU大学(立命館アジア太平洋大学)、開学20年で日本人と留学生が半数ずつ在籍し、授業は日英2原語で開講しています。

名前は聞いたことがあるという程度の認識しかなかったのですが、今年になって、孫が第一志望でこの大学受験に受かり、コロナ禍の中でオンライン授業を受けているようです。この1年ほど日経新聞を読んでいますと、出口治明さんが記事を書いておられて、彼がここの学長と知ったのは、今年の初めごろでした。

なかなか見識の広い方だなと思いつつ、5月ごろに「還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方~」(出口治明著、講談社現代新書)が刊行されました。日経新聞に広告が出て、すぐに買い求めて読みました。

自分の好きなことをするのが一番幸せ!

「還暦からの底力」というタイトルといい、サブタイトルの“歴史・人・旅に学ぶ生き方”にとても引かれたのです。孫が行く大学の学長さんでもあり、その考え方も知りたいという事も大きいようです。先日、家人も読んで面白かったと言っています。

60歳になったらこれを、70歳になったらこれがお勧め」というハウツー的な話が全くないのは、読んでいてすがすがしい。“人間は、一生懸命自分の好きなことをするのが一番幸せだ”との考え方が根底にあるからでしょう。

聖書的立場から言えば、全く受け入れられない考え方もありますが、刺激を受け共感した事柄を一言でいえば、次のようなところです。

“人生100年時代、色々な人に会い、色々な本を読み、色々な所に出かけて行って、刺激を受け、沢山の学びを得る。パワフルに行動するためには、その人にとって一番若いのは、今のこの時、すぐ行動する。何でも今すぐに早く始めた方が良い。迷ったらやる、買う、行く。「7~8割これは良い」と思ったら行動する。”かなり発破をかけられる示唆に富んだ書物でした。

「人・本・旅」


この本を読んで、一番共感できたことは、「いろいろな人に会い、いろいろな本を読み、いろいろなところに出かけて行って、刺激を受けたら沢山学びが得られ、その分人生は楽しくなる。」言い換えれば、人生は「人・本・旅」を通して豊かに楽しくなるのです。

著者ほど多くの「人・本・旅」の経験をしているわけではありませんが、人生を豊かに楽しく、かつ人々に役立つことをしていくには、これが基本だと思わされます。

人生100年を春夏秋冬で言えば、私の場合、今は秋の後半で冬はほとんど無いのかなと思う楽天家です。体力的には秋ですが、総合的に考えれば、秋たけなわであり、まだまだ人生長いというべきでしょう。60代に70代にならなければ、分からないことが在ると言われますが、その通りだなと思います。

振り返れば、私も60歳(還暦)から、第二の現役が始まり、PDJミニストリー(健康な教会ミニストリー)を始めました。自分の力ではなく、神様によって始めさせられたというのが正しいと思います。

70歳になって、これまた神さまによって、聖書ミニストリー(創造主訳聖書の刊行、しばらくして現代訳聖書・改訂新版プロジェクトに取り組む)を始めさせられました。始めるきっかけは、周りの状況がそれをするしかないという状態に置かれ、押し出されるままに一歩を踏み出したのです。

自分で考え、好きで始めたのではありませんが、一所懸命に一緒にやっていると好きになるのも確かです。若い時は、自分が考えて始めたなどと思ったことも多々ありますが、今は状況が良く見えるのかそのようには考えられません。

その具体的推進には、色々な人に会い、色々な本を読み、色々な所に出かけて行って、刺激と沢山の学びを得て、このようにやったらと主からチャンスとヒントをいただきます。

それ以上に、一緒にこれらを推進した方々がいたことが、最大であったと思います。私の果たした役割は、ほんの少しだけです。60歳、70歳という節目節目に、神さまの絶妙な導きにより、私に働いて下さいました。

 パウロも言っています。                             「これは、もちろん、私の力によるのではなく、神の恵みによるのである。」      (コリントⅠ 15:10 現代訳)

 2020年8月24日 小坂圭吾

2020年7月25日土曜日

コーヒーブレイク「ブログを書き13年、感謝とつぶやき」

京都・天龍寺

ブログ書き始めて13

ブログを書き始めて13年、最初(20074月)は、『PDJレポート』として出発しました。一段落したところで『PDJブログ』として再スタート、ロゴス出版社から『創造主訳聖書』を刊行してから『PDJロゴス・ブログ』と改めました。(13という数字は、特に意識したわけではなく、好きな数字ですし、もう13年かと発見した次第です。)

最初のころは、月に2回を目途に書いていましたが、意外と追いかけられ、月に1回にしましたが、いつのまにか200回を超えました。「ブログを読んでいますよ!」とメールや電話あるいはお会いしたときに声をかけられると嬉しいものです。少しは役立っていることに感謝しています。

このブログでは、①私たちの生活のあらゆる視点で、神様の言葉が生きている ②特に人生は人とのかかわりが重要だという視点を欠かさない これらの視点、軸がぶれないように気をつけて書いてきました。読まれる皆様は、どの様に感じておられるでしょうか?

感謝なこと

書き始めて良かったことは、とにかく勉強させられ、得ることが多くありました。本の出版に絡んで始めたことですが、途中からは、自分で学んだことや教えられたこと等があると、この事を書いて発表する場があり、励みになる事を発見しました。

新しい書籍を出し、ブログを書きながら、聖書の教えを広く、深く体験させられている自分に気づきます。何かを学ぶには、「人に聞く」「勉強する」「体験する」ことが必要ですが、そのために、「人脈」「読書」「旅」が効果的な方法ではないかと思われます。

天国を目指す旅人である私たちは、生涯これらのことを通して、成長し続けたいものですが、変化していく過程も重要であると思います。ブログを書くためには、色々と情報を集め、考え、体験をし、他の人と分かち合いを通してアドバイスが与えられ、書くことが練り上げられます。

ブログの写真は、挿絵を除いて、自分自身デジカメで撮影しますが、最近スマホも使うようになり、スマホの画像がとてもきれいなのには驚かされます。何となくシャッターを切ったもので、感動するものが時にあります。

まさかの出来事 

10数年を振り返ると、“まさかの出来事に遭遇し、その事を記事にすることが何度かありました。新型コロナ感染拡大による私たちの生活の大変化は、”まさかの出来事“です。

2009年新型インフルエンザは、その時は「100年に一度」の経済危機とまで言われましたが、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまい記憶のかなたに飛んでいます。あの時の騒ぎは大変でしたが、世界各国の経済は確かに嵐が吹きすさみ、ヨーロッパ、ロシアそしてアメリカの経済の落ち込みぶりは大変でした。

あれだけ騒いだ2009年新型インフルエンザは、10年以上たった今も日常的に流行し続けています。新型コロナウイルスもそうなってしまい、コロナウイルスと一緒に共存していく社会も想定しないといけないようです。


もう一つのまさかは、健康上のことですが、腰痛等に突然悩まされたり、狭心症の手術を余儀なくされたりしたことです。腰痛や指のこわばり・しびれ等は、色々と調べて予防のためのストレッチを毎日10分ほど行っており、静かになりをひそめています。

とはいえ、それなりの年齢になって自分の体が弱くなっていきます。今した事・しようとする事を忘れる、小さな字が見えにくく目がかすむ、鉄棒にぶら下がりの時間がいまや半分、ラジオ体操の動きがゆっくり、昔出来たことが次第にできにくくなっています。


思考も頑固で柔軟にいかない~朝決めたことを、柔軟ではなく自分都合ですぐに変えてしまう!「朝礼暮改」は、今や長齢に通じて“長齢暮改”となることが多いようです。些細な失敗等が意外と多くなりますが、できるだけ笑いに変えたり、面白がったりできればと思っています。

感謝とつぶやきを書くことになりましたが、これからも、人々に役に立てればと願いつつ、ぼちぼちと書き続けます。

「どんなことでも、つぶやいたり疑ったりせずに行ないなさい。」(ピリピ2:14 現代訳)

2020年7月25日 小坂圭吾