黒田官兵衛 |
軍師・黒田官兵衛 NHK大河ドラマ・『軍師官兵衛』(2014年)を見られた方も多いのではないでしょうか? この大河ドラマは、初めて黒田官兵衛を主人公として描かれ(主演は岡田准一さん)、官兵衛の幼少時代から始まり、信長に認められ、秀吉に愛され、家康に一目置かれる存在となる官兵衛の波乱の人生を描いています。
戦国時代が舞台の大河ドラマに、必ずといっていいほど登場する豊臣秀吉をして、「次の天下人」と恐れさせたのが天才軍師・黒田官兵衛と言われています。
過去の戦国もので、官兵衛が登場した大河ドラマはいくつもあり、官兵衛を主人公に据えたことは、その生涯を描くだけのエピソードや魅力に富んだ人物だったということです。
彼は、能力だけでなく人間的にもとても優れていた人物であり、戦国の乱世を終わらせるために時代が必要とした軍師だったわけです。
キリシタン・黒田官兵衛 黒田官兵衛については、「キリシタン・黒田官兵衛」(雑賀信行~さいかのぶゆき~著、雑賀編集工房)を読み、理解を新たにしました。キリシタンとは、16世紀以降明治まで行われた日本におけるキリスト教(カトリック)またはその信徒の総称です。
この本では、戦国武将ならではの活躍はあまり言及しないで、キリシタンとしての側面を掘り下げています。
実は、官兵衛がキリスタンだったという史料が非常に少なく、そのようなものを残せば、キリシタン禁制の時代において余計な災いを招くと、黒田家により廃棄・抹消されたであろうと思われます。この本の著者は、それを掘り起こして書いています。
官兵衛が神を信じたのは、織田信長が豊臣秀吉に「中国攻め」を命じて、秀吉の参謀として活躍していた時です。有岡城主・荒木村重が、謀反を起こし、その説得に単身乗り込みますが、土牢に幽閉されます。
そこで見た藤の花が、官兵衛にとって「救い」となり、神を信じるに至ったと言われています。
神を求める 黒田官兵衛は33歳でしたが、その4年ほど前、高山右近と出会います。キリスト教について話を聞き、右近からキリスト教についてやさしく説いたものを贈られ、宣教師からの話も聞き、思いを巡らしたことでしょう。
彼の求道中に、謀反に出会って狭い土牢に閉じ込められ、身動きもままならず、最低限の食物を与えられるだけで、いつ解放されるかもわからない生き地獄の中で日々を送ることになったのです。
「なぜ、こんな目にあったのか?まったく何もできない!!妻、父母、人質の息子はどうなるだろうか?秀吉様、信長様はどうしているのだろうか?これで終わりだな?
それにしても、謀反を起こした者への対処が甘かったなあ。謀反を裏で糸を引いていたのは、私の主君である小寺政職だったとは?何とも悔しい、悲しいことだ。」
藤の花 |
悶々とした日々が続き、堂々巡りの思いを巡らしたことでしょう。そんな官兵衛にとって、励ましとなったのが一房の「藤の花」だったのです。
その美しい可憐な花に勇気づけられて、天地の創造主の存在、誰に見放されても神様は見守って下さると生きる望みをつなぎ、神の存在を信じることが出来たのです。
更に多くの宣教師やキリシタン信者の話を聞き、時が来て救いに至ったのです。それからの官兵衛は、軍師そしてキリシタン大名として更に大きな活躍をしました。
秀吉によるキリシタン宣教師追放令が出されますが、彼は、最高権力者である秀吉の圧力に屈することなく、キリスト教信仰を生涯守り生き抜いたのです。
父なる神の許し 私たちの人生において、苦難と言われることは、必ず襲ってきます。人生は、問題の連続です。人生がうまくいっているときは、イエス様の教えや、神様のことを知っている、そのように生きているつもりになっています。
しかし、苦難を通してでなければ、深く神様のことを知ることは出来ないとも言えます。苦難と言えば、ヨセフが牢屋に入れられる、ダニエルがライオンの穴に、エレミヤが泥の穴に投げ込まれる、パウロが難船に3度も遭う等、聖書にはあります。
父なる神は、これらの事をあえて許されたのは、苦難を通して彼らが神と親しくなるためです。自分ではなく、神により頼むようになるのです。神が主権を持っておられるので、思いがけない不幸な出来事さえも、神のご計画の中で起こっていることです。
どのような状況にあっても、そうした悪いものから良いものを引き出してくださる、益として下さる神様です。父なる神に期待し、忍耐をもって前進し、喜び、感謝しましょう。
「神がすべての事を働かせて、益として下さる。」(ローマ8:28)