2013年6月12日水曜日

コーヒーブレイク 「伝える(2)」


    翻訳の問題
先日、御茶ノ水の東京プレヤーセンターで礼拝の後で懇談をしていました。ある信徒の方が「日本語の聖書は、わかりにくい所が出て来ますね。対訳付きの聖書で英語を読む方が良くわかる時があります。」

「英語の聖書は10種類余もあって、分かりやすい文体の英語を載せてあるからです。日本にも分りやすい日本語で訳された翻訳がありますよ」と私は、『創造主訳聖書』のチラシをお見せしながらお話しました。「すぐに今から買いに行きます。2階の本屋さんですね。これで1冊売れましたね。」と飛んで行かれました!これは、うれしい驚きです。

聖書の分かりにくい原因は、ズバリ、翻訳に問題があるからです。ほとんどの聖書が「原語に忠実」という翻訳原則に基づいており、聖書の書かれた時代や風俗や習慣が、今日私たちが生きている日本とは全く違うにもかかわらず、それが考慮されないで翻訳されています。ですから、意味のわかりにくいところがあちらこちらに出てきます。

そこで、翻訳原則を「原語に忠実」ではなく、「原文の意味に忠実」という原則に基づいて行うことが重要なのです。「原文の意味に忠実」ですと、キリスト教の背景を持たない日本人にも読むだけでわかるように訳すことが出来ます(この翻訳原則をダイナミック・エクイバレンスと言います)。現在、一般の書籍は全てこの原則に基づいて訳されていますが、『人生を導く5つの目的』を始め、PDJで出版する書籍、教材等も、全てこの原則で訳されています。

     聖書の主題
もう一つの問題は、聖書の主題である「神」という訳です。日本人の多くは、「神」と言う訳の聖書だと、“八百万の神”を想いながら読んでしまうのではないでしょうか。一般の人々にとっては、「創造主」という言葉のほうが分かりやすく、天地万物の造り主、創造主の存在をダイレクトに伝えることが出来ます。クリスチャンである私たちは、神であろうと創造主であろうとさほど違いを感じませんが、未信者の方々は、「神」だと全く混乱をするのです。先日ある教会員のご婦人からこんなお話を聞きました。「私の主人は、聖書を読んでいると、“神”という言葉が出てくるたびに“八百万の神”を連想してしまって、良くわからないと言うのですよ。」

私自身は、クリスチャンになる前に聖書を読んでも、神と言う言葉について“八百万の神”を想いながら読むということが無かったために、混乱するとは思いもつきませんでした。『創造主訳聖書』を刊行してから、色々な方々からこのことを言われて、まさに日本人にとっては、混乱の種であったのだと実感しています。

     お便りから
先日、ある読者の方からお便りをいただき、少し長いですが一部を紹介させていただきます。

 「待望の『創造主訳聖書』を実際に手にしてみて、まず始めに、装丁が素晴らしい!聖書というと、堅苦しく、とっつきづらい雰囲気の物がほとんどで、それなりの厳かな装丁のものが在って然るべきですが、一般の人に手に取ってもらおうと考えたなら、断然カジュアルで親しみやすい雰囲気が必要となります。ちょうど手にしやすいサイズ、オシャレな表紙、持ち運べる軽さ、栞付き・カバー付きの親切さ‥。中を見た時に軽い衝撃『見やすい!』字体が丸ゴシックなのが新鮮で良いし、小見出しが大変多く、分かりやすい。その小見出しのデザイン線のお洒落なこと!

・・・訳文ですが、本当に読みやすいですね。聖書を初めて読んだ時から四半世紀以上が過ぎ、やはり聖書は少々読みづらい物だという印象で、すらすらサラリと読める感覚のものではない、とは皆が共通の認識!!??この聖書ならすらすら読める、すんなりと頭に入ってくるのでどんどん読み進めることが出来ました。

この聖書の最も革新的な部分である“創造主”という訳語。正直申せば、神を創造主に読み替えたくらいで何が変わるのだろう‥?と初めは思っていました。でもいざ本文を読んでみたら、非常に納得。何か私自身の信仰まで新たにされた感があります。私たちの神は世間一般でいうところの単なる”神“ではない“創造主”。この方から全てが始まりこの方で終わる、正にアルファでありオメガであるお方、それが創造主!天地の造り主である神様を表すのに、これ以上適切な言葉はありません」

この聖書が、日本人の多くの方々に届くことを心から願っております。(なお、6月24日(月)夜に講演会がありますので、ぜひご出席ください。画像をクリックしてくだされば、大きくなります。詳しくは、ロゴス出版社のHP http://www.logos-pb.com/ 
をご覧ください。)

2013年6月12日     小坂圭吾