2011年3月25日金曜日

祈り「東日本大震災(2)」

     日本人の何かが変わった                         今回の大災害は、日本にとり全てのことが変わってしまうくらいの大災害です。この地震を機会に、日本人の何かしらが変わったのかもしれないと街を散歩して、車を運転して、人とすれ違う中に“ふっと感じる”のは、私一人だけではないかもしれません。それは、軽い会釈であり、譲り合いの行動の中に感じるのです。読売新聞・朝刊の「編集手帳」にこんな言葉が載っていました。「この地震を境に日本人の何かが変わったとすれば、他人の苦痛に心を寄せ、より小さな自分の苦痛に耐えるすべを学んだことかもしれない。」(2011324 朝刊)

確かにそんなことではないかと思わされています。  災害地の皆さんのことを考えながら、祈りながら過ごす中で、毎回食べる食事も質素にしつつも、「何でこんなにおいしく感じるのだろう」と言いながら、食べる毎日ではあります。自分の小さな苦痛に耐えるとまでは言いませんが、感謝なことではあります。

     私たちが出来ること                            2週間は、被災地の皆さんの苦痛を思いながら、“私たちが出来ることをできる限りする努力”をされたことでしょう。一つは、不要不急な動きをせず節約をし、具体的な支援をしようとの声がかかりました。不要不急な車を使わない、自転車や歩く事に変えて、ガソリンの節約をしました。食料品やマスク等は、ほんの少しの辛抱でした。  

節電については、どの家庭でもかなり徹底されたことでしょう。不要な電気を消し、暖房を止め、待機電力を使っているコンセントを抜く等でした。使ってない部屋は点灯しない、何とか見えればうす暗くてもそれで用事を済ませる。街や家全体が暗くなったなーと思いますが、節電をしている証拠です。前から気になっていた電球は、これを機会に省資源タイプに切り替えました。節電については、まだまだ長期にわたって継続していく必要があります。ガスや水についても、節約の工夫です。意外な節約方法にも、気が付かれたかもしれません。

ただ、肝心なことは、平常になるとこのような節約の良き習慣が、また後戻りしないように“歯止めをかける”必要があるように思います。そして、支援のお金や物資をいろいろな方面を通して提供されたことでしょう。まだまだ始まったばかりで、これからが被災地の方々が大変になるのです。祈りが必要です。                            

    心のケアをする                                                 
もう一つ重要なことは、周りの人々と交わりを通して、心のケアをしていくことです。私の所属教会(聖書キリスト教会・東京教会)では、日曜日には教会学校も一緒に子供も含めて全員での礼拝として、心のケアに力を注ぎました。これを通して、多くの方が互いに心のケアが重要だと感じ、主に対する安心を得たことと思います。その後、教会員の親族が被災している(福島県)とのことから、会堂(東京・練馬区)の一部を被災者避難所にしたのです。そのつながりで、約40人受け入れました。

この会堂を建設するときに、「東京で震度7の地震が起きてもまず大丈夫!」というレベルを確認して作りましたので、関東大震災でも来たらきっと被災者受け入れに役立つだろうと考えていました。幸いにも会堂のスペースはかなり広いので、どの部屋も使っているとはいえ、使い方を変更して避難所としています。現在の教会スタッフおよび関係者が「この先がどうなるかわからないが、何とかなるだろう」と受け入れる判断をして、良い結果を生んだのです。まさか、この会堂がこのような形で早くに役立つとは思いもよらず、彼らの良い働きに感謝です。

一番問題になっているのは、原子力発電のトラブル、放射線物質に関する件です。さまざまな情報が流れる中で、不安をあおる、間違った情報に振り回されないことです。このようなときには、正確な情報を集め、デマを信じないで行動したい。情報の出所、科学的な根拠、それを話している人の信頼性等を確認することが大切です。                      


もう一つ気になったのが、とかく他者の批判をしがちになることです。このような状況になると、××が悪い、対応が今ひとつ不足だといったような言葉を発しがちです。そのような足を引っ張るような発言をしても何も役に立ちません。聖書もこのことを厳しく戒めています。他人を批判することは止めて、前向きな方向に、自分自身が出来ることをやるように切り替えたいと思います。

人を裁いてはいけません。人を裁けば、あなたがたは神様から裁かれます。」(マタイ7:1 現代訳)                                                       

2011年3月25日    小坂圭吾

2011年3月14日月曜日

祈り 「東日本大震災(1)」

      関東大震災かな?
東日本大震災、いやあ、驚きました!その時、皆さんは、どこにおられましたか?大丈夫でしたか?私は、外出先のロビーで受付の方とお話をしているときに、グラグラと来ました。「これは関東大震災かな?」と最初思いました。その建物は、新しいしっかりした建物なので大丈夫だと思いましたが、ロビーなので逃げ隠れるところがなく戸惑いました。テレビがつけてあって、数分後に誰かが「宮城沖地震だ!」と知らせてくれました。

現在、その被害がどんどん判明してきています。初日、2日目の予想をはるかに超えている大変な被害状況です。阪神淡路大震災の時も同じような状況だったことを思い出します。

被災地の皆さま、ご親戚・ご友人が被害に遭われた皆さま、心からお見舞いを申し上げます。

     政府の対応は?
こうしてブログを書いている今も、携帯電話に緊急地震速報が入ってきました。「茨城沖で強い地震です!」と同時にかなりの揺れが起こりました。今日で3晩が経過しましたが、まだまだ余震は続いています。絶え間なく余震が続き、何か船酔いなのかと錯覚をしてしまいそうです。

こんな時はどうしたら?今は、とにかくプロの人たちにお任せするしかありません。各政党が一致協力して、政府に対応を一元化し専心してもらうことが重要のように思います。阪神淡路大震災の教訓を生かして、官邸の地下には24時間職員常駐の「危機管理センター」が設置され、そこに必要な情報が集められ分析され、指示が飛んでいるようです。きっと今、災害、危機の指揮者をとる首相は、この危機管理センターにおいて、適宜適切な指示を出しておられるのでしょう。

人命救助は「72時間以内」が重要であると言われますが、自衛隊を5万人規模からさらに増やして捜索等をするようになったことは、素晴らしいことです。各党の党首会談を何度か重ねる中で、無駄な動きはやめるような話し合いもされた由、阪神淡路大震災の教訓が生かされているようです。今の時期の大切なことは、“一にも二にも人命救助”です。政府には、迅速に隠しだてせず正直に、不都合な事実も国民に広く情報を開示してほしいと願います。

     私たちはどうしたらいいの?
私たちはこんな時にどうしたらよいのでしょうか?色々な人たちとお話をして、私なりに考えたことは以下の通りです。
第1は、周りの人々と交わりを通して、互いに心のケアをしていくことです。今の正直な気持ち:恐れ、怒り、緊張、不安等を話して、互いに受け止めることです。あるいはそこから一歩踏み込んで前向きなことや感謝なことがあるかもしれません。私自身は、緊張から一歩踏み込んで感謝なことを受け止めています。

2は、不要不急な動きをしないことです。昨日の状況ですと、多くの人がガソリンスタンドに行って給油されたようで、売り切れの看板があちらこちらに出たとのことです。交通機関が正常に動きませんので、仕事をする人には給油満タンは必要ですが、そうでない人は、少し様子を見ることではないでしょうか。ガソリンが不足することは、絶対に考えられません。食料品についても、少しの予備を買うことは良いとしても、買占めは是非やめたいものです。

3は、節約です。今日から、電気の輪番停電が始まりました。我が家では、初日から節電を意識して始めましたが(まだあるものです)、電気ばかりでなく生活全般にわたって節約をして、義捐金や教会の復興のための献金活動の時に、それをささげたいものです。     

第一段階にするべきことは、このようなことでしょうか。言うまでもないことですが、私たちには祈りを欠かすことが出来ません。特に、国の指導者たち、専門家や行政の人々、ボランティアの人たち等のために、とりなしの祈りをしていきたいと思います。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」(ローマ12:15 現代訳)

2011年3月14日    小坂圭吾