新型コロナウイルスの危機
新型コロナウイルスの感染が世界中に広まり、WHO(世界保健機関)は、世界的な大流行を示す「パンデミックにあたる」と発表しました。“パンデミック”との表明は、2009年の新型インフルエンザ以来です。
その時「100年に一度」の経済危機と言われ、世界経済が坂を転げ落ちるように下落しました。今回は、それ以上に世界各国の感染状況が厳しく、世界経済も嵐が吹きすさんでいます。
なぜ、これほどまで全世界がパニック状況に陥るのでしょうか?第一は、新型ウイルスだから良くわからないのでパニックになりやすく、治療薬も無いので怖いということです。ワクチン(予防接種)や治療薬の開発には、真剣に取り組むも半年、1年以上もかかるそうです。
2009年の新型インフルエンザは、世界中に大感染をしましたが、治療薬が見つかり、そんなに怖いものではないことがわかり収束しました。第二に、インフルエンザ以上に、新型コロナウイルスは感染力が強いのです。
本人が感染していると意識してなくても、無症状でもほかの人に感染しますし、感染者の80%は、無症状か軽症の人なのです。ヨーロッパ、アメリカに、感染が急激に広がったことからも分かります。
行き過ぎの是正
今回の世界全体に及ぼす打撃は、第二次世界大戦以来、最大の危機かもしれません。まずは、新型コロナウイルスのパニックが早く収まり、多くの方が亡くなった悲しみや不安や恐れが、癒されていくことをお祈りします。
これまで一番気になっていたのは、人類の成してきた各種の開発と破壊等による地球温暖化ですが、深刻な状況に進んでいました。パニックが沈静化し、これを契機に今までの色々な行き過ぎの是正がなされることをも願います。
このような中でこそ、知恵を出してやり抜く、頑張る時代なのかもしれません。私たち日本人の好きな言葉“がんばる”について、大辞林の辞書を引きますと【頑張る:困難にめげないで我慢してやり抜く】とあります。
どのように頑張ればよいのでしょうか?毎日のように暗い話が流れて来て、日々の生活も制約を受けることも多々あります。このようなとき、変わらぬものと言えば、私たちにとっては、聖書の言葉です。私たちを慰め、励まし、力を与えてくれる聖書の言葉は、どんな状況にあろうとも変わらぬ希望であり、約束です。
ギアチェンジ:主が私の右におられる
「いつも主にあって喜びなさい。」(ピりピ 4:4)
聖書が勧める重要ポイントは、「喜びなさい」、しかも「いつも」Alwaysです。私達の毎日の生活は、いつも喜んでおれる状況ではないでしょう。喜びいっぱいの時もありますが、人生は、苦しいことの方が多いかもしれません。
今回のような“新型コロナウイルスの感染”拡大で、思いもかけない事柄が、私たちに押し寄せています。不安があり、うまく進まず、やる気が出なくて大変だなあー。実に色々な困った状況が、起きているかもしれません。
このような中にあっても、主にあって“いつも喜びなさい”との勧めです。聖書は、そんな無理、出来そうもないことを勧めているのでしょうか?
これは、いつも嬉しそうにしていなくとも、心の深みにおいて消えることのない「生きる喜び」をもつことを意味しています。私達が喜んだり悲しんだりするのは、多くの場合、物事の表面におこっている現象だけを見て一喜一憂するのです。
一昨年の秋、関西空港の近くに停泊していた大型貨物船が、当時の大型台風によって漂流され、関西空港に通じる道路が壊されて不通になりました。大きな船が停泊するとき、大きな錨をドーンと深い海におろします。錨を深く下ろせば、船は動きませんが、そうでないと漂流してしまいます。
私たちの毎日の生活の中には、嫌なこと、悲しい、苦しいことが、必ず起こってきます。それらに振り回されないで歩むには、私達の創造主である神様に、人生を航海していく上での錨をしっかり下ろす、結びつく以外にはよい方法はありません。“主にあって”とあるのは、その意味です。
ダビデは告白しています。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆらぐことがない。」(詩16:8)
私達に生きがい、喜びを与えてくださる主なる神様に、人生を航海していく上での錨を下ろす、つながることです。そうすれば、人生における表面的な現象に右往左往することなく力強く歩んでいくことが出来ます。
聖書を読む、神のみ言葉に接して神に祈る、神さまと交わりお話をすることが大事になります。そうすることを通して、今日私が何をすべきかが導かれ、力が与えられていくのです。
2020年3月23日 小坂圭吾