2017年8月24日木曜日

健康余話「十分な睡眠をとる」


バンクーバー近郊にて
健康保持の4原則

今年の関東地方の8月は、予想と違って低温と雨続きになり、気が滅入りそうになりました。東京地方は、8月はじめから20日間雨が降らぬ日はなく、ほとんど晴れ間を見ることもありませんでした。

このようなあまり元気が出ない時、心に元気をいただきたいと賛美を3-4曲歌い、仕事を始めます。インターネットで“聖歌・讃美歌”と検索しますと“MP3♪&詞 聖歌・賛美歌~MP3音楽のべ1743曲集”(http://sanbika.la.coocan.jp/index.htmlと出て来て、ピアノかオルガンで演奏をしてくれますので、一人で大きな声を上げて歌っています。もう数年前から愛用していますが、聖書を読み・祈ることも入れたりして、心に平安・元気が与えられます。

心に元気を与えられたところで、健康保持の4原則の一つ“十分な睡眠をとる”ついて書こうと思います。私たちが健康で過ごしていくための4原則は、①心に平安、②十分な睡眠、③適度な運動、④正しい食事、が必要と言われています。

十分な睡眠

多くの方々は、睡眠について色々な問題を抱えているように思われます。寝つきが悪い/寝つきは良いのだが途中で目が覚めてしまう/熟睡できない/枕が合わない/夏はエアコンの温度調節がうまくいかない/眠りの質が良くない/夢を見ることが多い等々、悩みは尽きません。

日本人の睡眠時間は、短くなり続けています。国民栄養・健康調査によれば、睡眠時間が6時間以下の人は、H20年には全体の3割未満⇒H27年には4割近くに急増し、7時間以上の人は大幅に減った由(35% ⇒27%)。これは、スマホ等の影響も大であろうと推察します。

1日に必要とされる睡眠時間は、赤ん坊の時が一番必要で、年齢を重ねるにつれ次第に減り、2050代の働き盛りの世代であれば、1日に7~8時間程度必要とされています。ですが、十分な睡眠をとりたいと願いつつも出来ないのが現状でしょうか。

睡眠不足を補うのは、午後のどこか(夕方以降にならないこと)で20分ほど昼寝が有効です。私も何十年も毎日のように昼寝をしますが、昼寝は30分以内ですとその後に元気も与えられ、夜の睡眠には悪い影響は与えないようです。
HEBELIANより転載
より良い睡眠をとるために
                          
上質な睡眠をとるためには、それなりの準備が必要です。第1に、昼間より良い活動(仕事、家事、子育て、勉強、ボランテイア等生きがい、やりがいのあること)をして、肉体的、精神的に適度な疲労があることです。そのためにも、昼間に日の光を浴びることや、夕方に運動とか散歩は有効です。

第2に、寝る前の心と体の状態を整えることです。寝る前に嫌なテレビやパソコン・スマホでゲームをしたりして寝ることは、良い結果を招きません。寝る前に適度な温度のお風呂に入る、聖書を読み静かに祈る等は、良いことは言うまでもありません。

第3に、眠れなくてもあせらないことです。目をつぶって寝ていれば、80%の疲れはとれていると言われます。私も途中目が覚めても「もう3時間眠れますように!」とお祈りをし我慢をしていますと眠りにつきますし、ウトウトであっても大丈夫と自分に言い聞かせます。高齢者の場合、必ずしも7-8時間寝る必要はなく「8時間寝なければ」と意識しすぎるとストレスになり、「それ以上は寝すぎです」と専門家の意見です。

番外編ですが、枕について、私は5~6年余も経過すると枕が気になり、新しく変えています。枕も色々と研究されているようで、新しいのも良いものだと納得しています。部屋の温度については、18~26℃位が良いそうですが、夏の夜に気温や湿度が高いと寝苦しく、手足からの放熱がうまくいきません。身体深部の温度(深部温度)は、睡眠中が一日で最も低くなりますが、深部体温が放熱により下がると自然に入眠を助けてくれますので、その工夫が必要です。
                  
睡眠中は、浅い眠り(レム睡眠、体の休息)と深い眠り(ノンレム睡眠、脳の休息)を80110分周期で繰り返しています。眠っている間に、脳の疲れをいやし、心身の疲労を回復し、免疫力や治癒力も高まります。5年ほど前に始めて手術で入院して帰宅後、1日寝る毎に手術後の傷が癒されていることを実感しました。良い睡眠をとることは、起きている時の生活の充実につながるのです。


2017年8月24日    小坂圭吾


2017年8月9日水曜日

聖書の不思議「創造主なる神が存在される」

 
北海道・知床
天地の創造主

「はじめに神は天と地とを創造された。」(創世記1:1 口語訳聖書)
聖書の最初の言葉、特段の説明もなくおごそかに神秘的な言葉で書かれています。この言葉に感動を覚えたのは、大学1年生の時でした。その時に、創造主が存在し天地を造られたのか?と色々と調べました。全宇宙と地球がどのように運航しているか、人間、動物、植物がどれほど精密に複雑に造られているかを知り、この聖書の言葉を黙想してみますと、創造主がおられ天地を造られたのだと認めざるを得なかったのです。

進化論については、小学校の先生から聞いた記憶はあります。それよりも、天地の全てがいかに精密に複雑に造られ、正確に運航している様を知ると、進化論は考える余地もありません。天地の創造主が存在されると見出だしたのです。

この宇宙、地球、自然界、人間についてつぶさに調べると、この世界が偶然にできたのではなく、その背後にデザインをされた方がおられることを、やがて認めることとなり、多くの自然科学者が認めています。万有引力の法則などの発見をしたアイザック・ニュートンもその一人で、彼は、自然科学(物理・数学・天文)史上最大の科学者と言われています。

人が人として生きる道

創造主の存在が分かり、その神さまは、私との関係はどうなのか?神様を信じるとはどういうことか?を考えるようになります。多くの人々が、聖書を真剣に調べて、やがて神の存在を知り、神の子・イエスキリストを救い主として受け入れたことを聞かされます。聖書に反対している人さえも、そうなのです。

「聖書は、人が人として正しく歩んでいくことを導いてくれる書物」であろうと理解しても、神さま、救い主を信じることがわからないのです。私も同じような経験をし、ともかく、聖書をしっかり学んでいく、そこに何か真実があるのではないかと求道する姿です。教会の礼拝やKGKの集会に出席して聖書を学び、それに関する本を読み漁りました。やがて、この真実な道にかけてみるしかない、飛び込んでみないとわからないのではないかと導かれました。

日曜日の朝の礼拝の時に「この道にかけてみよう!」と決断し、信仰へのジャンプをしました。イエスキリストを私の救い主として受け入れるに至りました。「人が人として生きる道が、そこにはある」とひたすら求めて見出したのです。信じるとは、信頼することです。聖書を読めば、イエス・キリストがどれほど信頼できるお方かが分かってきますが、目に見えないお方、神さまですから、信仰のジャンプということになるのです。それは、全くの恵みによることです。

聖書の不思議

神を信頼し、信じて信仰を持ったとはいえ、聖書を読んでもわからないことがいろいろと出てきます。その時に、教会で指導されたことは、「聖書の中でわからないことが出てきても、次第に霊的な目が開けて、わかるときが来ます。わかるところだけをまず理解して進みなさい。」ということでした。

「信仰は体験である」と言われ、霊的な目が開かれなければ、理解できないとも言われます。よくわからない事柄といえば、イエス様の復活、奇跡、罪の三つでしょうか。“イエス様の復活”や“奇跡”については、全知全能の神が、超自然的な力を働かされれば、当然できないわけがない等々、それなりの説明や論理展開で、最初は理解をしていました。“罪”については、罪人と言われても子供のころから品行方正にしつけられて育ち、あまり悪いことはしてないしー。でも、やはり自分も罪人だろうなとこれまた浅い頭での理解レベルです。

聖書を読み、祈り、日々の問題を信仰により解決していく信仰の体験を積み重ねていきますと、いつの日か着実に心から「アーメン」とわかってきます。霊的な目が開かれるのです。罪と十字架と復活の関係が明確にわかり、奇跡も信じられます。聖書の言葉を自分に適用・実践して、その通りになる体験を積み重ねることにより、これらのことを信じようと思うまでもなく、その通りであるとわかってくるのです。

私にとって、創造主なる神が存在されることは、最初は知的理解でした。聖書を自分に適用し実践する信仰体験を積み重ねるに従い、今も生きて歴史を動かされる創造主、この小さい者も導いてくださる全知全能の主がおられると語る生き証人となりました。この幸いを心から感謝しています。

2017年8月9日    小坂圭吾