2023年12月30日土曜日

今を生きる「その日を精一杯生きる」

 

伊豆熱川温泉

まさかの出来事~コロナに感染

今年もまさに押し迫り、間もなく、新しい年を迎えます。今月の締め切りも目の前に迫り、やっとのことで今これを書いています。今年最後のまさかの出来事~コロナに感染しましたが、何とかしのいだところです。

妻がまず「コロナ」にかかり、介護している私もやがて来るかなと思いつつ、2日後には医者にコロナですと宣告されました。原因は、よくわかりません。

10日間ほどでコロナは去ったなと思いましたが、完治するには更に4~5日必要でした。妻は、比較的軽くて済みましたが、私は大変でした。ほぼ3日間は、水も飲めない、つばも飲み込むのにのどが痛い、薬を飲まないといけないので、痛いのを覚悟して水を口に含んで必死で飲みました。

3日間は、ほぼ何も飲まず食わずで、断食です。神学校のリトリートで2間ほど断食祈祷に参加したことがありましたので、当初は気軽に考えていましたが、のどがとにかく痛い、何ものどを通らない苦しさは、これは初めての経験でした。

後で、家族の中にコロナで同じような経験をしていた者があり、少し慰められましたが、早くに助けを求めておれば、もっと楽であったろうと思わされました。このために4キロもやせ、驚きました。


厳しいのどの痛み

普通の風邪ですと、2~3日もすれば峠を越しますが、今回は、そうではありませんでした。途中厳しい痛みのために、もう天国に引き上げてほしいなと思ったほどでした。

それほどに厳しい痛みでしたが、最初は、体がだるく熱も出てきて、やがて咳と痰が絡み、更に徐々にのどの痛みになってきました。最初からそうなるのが分かれば、それなりの手当、薬をもらったと思いますが、そうではなかったのです。

痛くなってから解熱剤を飲んでも効いてくるのは1日経過してから位ですので、その間がとにかく痛いのです。私も高齢になっていますので、やはり体は弱りました。

コロナの症状は、人それぞれと言われますが、決して甘く見てはいけません。この辛い体験は、のどもと過ぎれば熱さを忘れとなりがちですが、このように書くことを通して自戒したいと思います。

気が付いてみれば、クリスマスシーズンですが、クリスマス&年賀状の用意もしなければと思いつつ、毎日が過ぎていきます。しだいに、「クリスマス&年賀状を今年はお休みしようか?」と考え始めました。

クリスマスどころか、クルシミマスの状況の中にあり、周りの家族は、止めるようにとアドバイスしてくれます。今まで長~~い間継続してきた事ですので、簡単に決められず!?ただ気になりつつ、日が過ぎていきます。


その日を精一杯生きなさい

聖書の言葉にこのような聖句があります。

「明日のことを心配する必要はありません。いつでもその日のその日を精一杯生きればよいのです。」(マタイ6:34 現代訳)

コロナとの戦いの日々の中、明日の心配をする余裕は全くありません。その日その日をしのぐのに精一杯というところでした。

10日ほど経過してコロナは去ったなと思った時からは、年賀状はどうしようかなと考えつつも、今日やることではないと考えて、やがて見えてくるだろうと日を過ごします。

やがて、人間関係に気を遣うのもこのあたりで終わりにしても良いかなとの思いが強くなり、来年の始めに年賀状を出して、終了宣言にすることにしました。ついでに、お中元、お歳暮も来年から止めようと決めました。

考えてみれば、良し悪しは別にして、世間の思惑の中で、長い間生きてきていた自分がここにあったのかなと思わされます。人間関係に気を使い、人の顔色をうかがいながら(私はこのようにはしなかったと思っていますが)、多少とも心をすり減らして生きてきたかもしれません。

すべてが悪いわけではなく、それに縛られていたとは思いませんが、そこから自由になる自分があるなとは思わされます。このまさかのコロナによるショックがなければ、このような結論には至らなかったと感謝しています。

その日をその日を精一杯生きるとは、この数日間は、まさにその日その日を味わい、丁寧に生きている感じがします。毎日のように良い天気が続き、実に穏やかな日差しの中で、今日も生かされているのだと感じながらの生活です。

2023年もこうして生活できたことに、主なる神さまに感謝をささげます。

2023年12月30日 小坂圭吾

2023年11月15日水曜日

聖書の言葉「何をするにも時がある」

西伊豆スカイライン・ススキ

隣近所の家が取り壊し

今年になって、隣近所の家が取り壊されて売りに出され、半年もしないうちに新しい家が建ち、新しい方が引っ越して来られました。壊された家は2軒あり、ご夫婦ともよく知っている方々でした。

一人暮らしになり、高年齢では一戸建ての住まいは手間も大変で、マンション等に移られたのだろうと思われます。近所を散歩しますと、取り壊された家は、それ以外に3~4軒はあるでしょうか。

私の住む地区は、「長寿日本一」というエリアの一角で喜ばしい反面、高齢者が多い世相を反映しているかなと思われます。

この地域に移り住んでもう40年以上になりますが、来た頃の風景は、新築の家があちこちで建ち、槌の音がやむことがありませんでした。

光陰矢の如し!その新しい家も古くなり、日本の家屋は木造が多いため建て替えになるのは致し方ないとは言え、寂しさも覚えます。


無駄な時間

ピーター・F・ドラッカーの名言集「仕事の哲学」の中に、“時間管理”について述べているところがあります。私たちは、自分の時間の中で、無駄な時間をそれほど使っているとは思っていません。

ドラッカーは、「成果には何も寄与しないが無視できない仕事に時間を取られる。膨大な時間が、実はほとんどあるいはまったく役に立たない仕事に費やされる。」と書いています。

時間は、誰にも平等に与えられた一日24時間です。

ある若い人に、「私たちは、無駄な時間を過ごしているよね!」と言ってみたところ、「え、例えばどんなこと?」と聞かれました。ほとんど意識してないのでしょうが、無駄などうでもよい事に時間を費やしているものです。

私の経験から言いますと、読まなくても良かった本、おもしろくも何の益もなかった映画、ついつい時間をとられたインターネットの検索、見なくても良かったテレビ番組です。

更に、出席しなくても良かった会合、委員会等々、やめても問題の無いものは、山ほどであります。

無駄なものは止める

私たちの1日の生活は、実にさまざまで複雑です。無駄な事に時間を浪費することは、いつの日か習慣となって歯石のようにたまり、掃除をしない限り歯石は落ちません。

ドラッカーは、時間の浪費に対して、処方箋を書いています。

「年に何回か、3、4週間継続して何をしたかの記録を取る必要がある。記録を見て、日々のスケジュールを見直し、組み替えをしなさい。」「まったくしなくても何も起こらないなら、その事はやめてしまうべきである。」と勧めています。

私もこの助言を得てCHECKしますと、無駄で止めたほうがよいものが見つかりました。今では、無駄な時間を過ごすと「これは無駄だった!」と気が付きますが、なくなるわけではありません。

無駄なことを抽出するばかりか、これはやらない事にしようと決めることも大切です。優先順位をつけるとは、大事なことを選び出すことですが、逆にやらないことを決めることでもあります。

「何をやらないのか」を決めることが、案外簡単な場合もあり、そうする事により、時間の使い方を見直して、心の余裕とゆったりした時間、重要な事にはしっかり時間をかける事が出来るのです。


何をするにも時がある

時については、伝道者の書(人生論の集大成)にこんな記事があります。

「この地上には、何をするにも時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、壊すとき、建てる時、~~ 保存する時、投げ捨てる時、~~ 戦う時、平和の時。~~神のなさることは、皆、時にかなって美しい。」(伝道者の書3:1-8、11 現代訳)

1節「この地上には、何をするにも時がある。」とは、私たちがそのまま受け入れるべき真理であろうと思います。神様によって定められた時のことであり、神様が天地万物を時間と共にお造りになりました。

2節から8節に、神様が定められた28の時(14の対になる組み合わせ)を記してあり、「時の詩(うた)」と呼ばれています。反対の意味の言葉、好ましい時と好ましくない時が対になっています。

これらを読むと、この地上の出来事にはすべて定められた時があることを示しているのです。2節前半「生まれる時、死ぬ時」人間はだれしも、自分の生まれる時や死ぬ時を選ぶことはできません。

8節後半「戦う時、平和の時」昨今の世界で起きている戦争を思うに、私たちの人生に起こる出来事には、個人の選択を越えてどうすることもできない時があります。

これは諦めの言葉のようにも読めますが、すべての時を定めておられる神様への信頼の言葉でもあります。

一方で、私たちの意思で選択によって出来る事柄、その時があります。人生には、色々で好ましくない時が実に多くあるものです。

つらく悲しいこと、困難なことがであっても、忍耐して歩んでいくうちに、“これも神の時であったのだ”と分かるときが来るのです。

人生におけるバラバラに見える一つ一つの断片が、つなぎ合わされて行く、そこに大きな意味があったのだと分かる時があるのです。

11節「神のなさることは、皆、時にかなって美しい。」と言うのは、定められた時の背後に、全てのものをそれなりに良く造られた神様がおられることを、私たちは信じているのです。

聖書の言葉は深遠で、悟れないことが多くありますが、たとえ今は信じられない悟れなくとも、信じられる悟れる者にしてくださいと祈りたいと願います。

2023年11月15日 小坂圭吾

2023年10月16日月曜日

聖書の言葉「弱さを誇る」

壁画「最後の晩餐」

人の一生は重荷を負うて!

NHK大河ドラマ「どうする家康」、かなり視聴率が高いようですが、私も毎週この大河ドラマを楽しんでおります。このドラマを見始めて、色々なことを調べるにつけ、家康のすばらしさを実感できたように思います。

徳川300年が続いて、今日の日本の基礎が作り上げられたのは、家康ならではの功績です。

徳川家康の人生訓に「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」がありますが、彼が残したこの言葉は、この歳になればこそ、そうだねと感じさせられます。

大河ドラマのここまでの家康の人生も大変ですが、これから更に困難が襲ってきます。ですから、このタイトル「どうする家康」「困った家康どうする」となり、実に良く出来たタイトルです。

人生における困難、まさかの出来事が次々に起こることに対して、家康はどちらかというと弱い人だったかもしれませんが、重荷を負いながら、周りの人たちの助けを得て、忍耐して歩むのです。

私たちも同様、さあどうする?

私たちの人生はどうかといえば、同じように次々と困った事、嫌な事が起きて来るものです。仕事において、上司・同僚から下の者から、こんなひどいことを言われた。家庭の中で、子供が親の言うことを聞かずに全く違う方向に動いてしまっている。

育児において不安があり、うまく子育てができてない。勉強も思う様に進まず、やる気が出なくて大変だなー。人間関係もどうもギクシャクしてー。どうも体調がすぐれないなあ。

実に色々な困った状況が次々に起こります。“さあどうする”と神様に言われているようです。困難、大変なことが起こるのが私たちの人生です。

壁画「最後の晩餐」

世界では、二つの戦争が同時進行して、何とか停戦になるように祈るしかありませんが、第2次世界大戦の最中に、素晴らしい出来事がありました。

イタリアのミラノの教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの名作「最後の晩餐」の巨大壁画ですが、主イエス様が、弟子たちに対して「あなた方のうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と言われた瞬間を表しています。

その壁画の部屋には一枚の写真があり、一面の瓦礫の中にこの壁画だけが建っている写真~第2次世界大戦の空襲に遭い、一帯は破壊されたが、この壁画だけは無事だった証拠です。

19438月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍が、ミラノを空爆し町全体の約半分近くの建造物が全壊しました。

この壁画のある建物への爆撃を案じた修道士たちがミラノ市民と力を合わせて「自分の家や事務所は壊れても、いつかは建て直せる。この壁画は一度壊れたら作り直すことができない。」と考えて、壁画の周りに土嚢を積み上げて保護し残ったのです。


その後、
20年余かけて修復が完了し、このような経緯から存在自体が奇跡だと言われています。

キンモクセイ

壊れたら終わりか?~弱さを誇る

目に見えるものは、やがて朽ち、壊れていくのが世の常です。故意に壊そうとしないまでも間違って壊す、スクラップ&ビルドというようなこともあります。

目に見えるものはいつか壊され、あるいは天変地異で埋もれてしまいます。考古学の発展により発掘され、壊れかけたものを修復することで、そこに新しい発見がなされることも多くあります。

最近では環境を大切にということで、壊れかけても修理して使うことが多くなり、喜ばしい限りです。

私たちの人生においては、どうでしょうか?大失敗をしたり、人間関係が壊れたり、取り返しのつかないことをしたら、「俺の人生は終わりだ。もう立ち上がれない」あるいは「あの事だけは悔やまれてならない」と思うことはあるものです。

誰しもが、多かれ少なかれ、苦く悲しい経験、つらく痛みの経験、悪習慣の経験をしていることでしょう。幸いにもそのような経験がなくても、失敗を恐れてなかなか思い切ったことができない人もいるかもしれません。

失敗の人生、壊れた人生、どん底の人生など、深い傷や痛み等々を、聖書は実に宝だと教えています。

聖書では、「弱さ」と訳されていますが、自分の弱さを知り、その弱さを素直に認める人を神さまは好んで用いられます。

全能の神さまは、その弱さを乗り越える力を与えてくださり、長所ばかりでなくその弱さを十分に用いて下さるのです。

聖書の原理の中には、この世の原理とは全く逆なことが沢山あります。これもその一つ、神が不完全な人を用いられるという事実は、何という心強い励ましでしょうか。

「『わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。』だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。

‐‐‐なぜなら、弱いときにこそ、私は強いからです。―――無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。」(コリント12:9~10 リビングバイブル)

2023年10月16日 小坂圭吾  


2023年9月9日土曜日

今を生きる「関東大震災より100年、防災について考える」

 

関東大震災後に開園した横浜・山下公園

残暑見舞い

今年の夏は、まさに暑い夏でした。気象庁によると、6月から8月にかけての気温について、過去126年で最も暑い夏になった由。特に気温が高かったのが北海道と東北とのことでした。

私は家人と共に、8月に数回、箱根、御殿場に避暑に行きましたが、朝早くに出かけて昼過ぎには帰途に着くようにして、ここ横浜よりも5~6位は涼しく快適でした。

我が家の庭では雨が少ないので、野菜や庭木、芝に水やりをこの1か月ほどは欠かせず、大変でした。9月に入っても今年は特に残暑が厳しく、今月半ばまでは続くのかなと覚悟です。

残暑厳しき折、くれぐれもご自愛のほどお祈りいたします。

関東大震災(災害史上最悪、10万人犠牲の歴史)より100年

1923年(大正12年)9月1日11時58分に相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大震災、あれから100年、危機意識も高まり、色々と調べてみました。

東京での被害が大きいために、東京が震源地だと思っていた一人ですが、実は神奈川県でした。

神奈川県から千葉県南部を中心に震度7や6強の地域が広がっており、東京市(都)、埼玉県、山梨県で震度6を観測したほか、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲におよびました。

発生が昼食の時間と重なったことから多くの火災が発生し、特に東京市では木造建築の密集した地域で、台風による強風で大規模な延焼火災に拡大しました。

被害を受けた住家は総計37万棟、死者・行方不明者は約105000人(内焼死が約9割)、経済被害は当時の国家予算の約4倍と言われました。

首都圏は壊滅的な被害を受け、その後の復興事業により、街路や公園が整備され近代的な街並みが造られました。

横浜市の山下公園が、震災時の瓦礫を埋め立てて造られたことを知り、ぜひその足跡を探してみたいと思っています。

近い将来必ず起きる大地震

その後、1995年1月に阪神・淡路大震災、2011年3月には東日本大震災が起きたことは、私たちの記憶にも新しいかと思います。更に、近い将来必ず起きると言われる大地震が二つあります。

一つは、首都直下地震(震源は1都4県で想定されている)で30年以内に70%、二つ目は、南海トラフ巨大地震(10県で最大震度7を想定、太平洋沿岸地域に10超の津波が襲来)で40年以内に90%の確率で起きると言われています。

要は、今起きてもおかしくない、あるいは30年後、40年後かもしれないということです。9月は防災月間、自然災害は防ぐことはできませんが、その被害を減らすこと“減災”は出来ます。

自分の家がどのような災害リスクがあるかをハザードマップなどで自然災害を知る、転倒防止の家具を固定する、水・食料・生活用品の備蓄をする、一人ひとりが自分の減災を見つけることです。

長期的な観点から考えれば、住む家について地盤のしっかりした上に地震と火事に強い家(耐震性と耐火性)を建てること、津波と水害の被害のない所を選ぶことでしょうか?

備蓄の水や食料を点検してみたところ、昨年怠っていたかなと気づきました。地盤については、ハザードマップを調べて確認しています。私が家については、諸先輩から地震と火事に強い家を建てよと強く言われて実行しました。

更に10年ほど前、あるクリスチャンの先輩(東京都)が、今後の大地震を見据えて太陽光発電と蓄電池システムの設備を作ったと紹介して下さり、それに倣って設置しました。

このように、自分の家は少なくとも復旧させる必要は少ないと思われ、となれば他の人々を助ける力になればと願っています。

将来必ず来ること

私たちの人生において、今来てもおかしくない、今でなくても何年か後には必ず来ることといえば、ではないでしょうか?地震に対する対策以上に、この死に対する備えはもっと重要かもしれません。

生きる真の神さまを信じている私たちは、死に対してあまり考えてないかもしれません。神さまを信頼して毎日主と共に歩んでいけば、それで良いのかな?とも言えるでしょう。

1度の防災月間に減災について点検するごとく、死について考える(終活)、あるいは主なる神様との関係を点検する(デボーション、家庭礼拝、教会生活等)のも良いかなと思いました。

私の場合、デボーションについて見直しが必要と感じていました。今月から徐々にそれを変えつつあります。信仰生活の基本はここですので、神様との関係を更に深めることが出来ればと願っています。

「すべての人が、アダムの子孫として、死ななければならなかったように、キリストを信じる人は、皆生かされるのである。」

コリント15:22 現代訳)

2023年9月9日 小坂圭吾

2023年8月14日月曜日

健康余話「夏バテ対策~やる気スイッチを入れる」

 

箱根・強羅公園
夏バテになる!

先月末に、息子が仕事も一区切りついたのでゴルフをやろうと誘ってくれました。こんな猛暑に行くのは避けていましたが、せっかくなので涼しい所(御殿場)を探して行きました。

朝4時台に起きて5時過ぎに出発、私の住む横浜より5度位涼しいですね。13時にはプレー終了ですから、暑さはほとんど感じることなく、快適に過ごしました。

朝早く起きて出かけ、それまでの仕事疲れが両者それぞれにあり、楽しくとも疲れたなあという感じでした。

数日後に、どうも夏バテかなと思いました。体調は下り坂とわかり、次第に体がだるくて夏バテと理解しました。今までに、夏バテの経験は記憶にありません。

ともかくゆっくりとして、午前にも午後にも昼寝をしました。これは長引くかな?と思いながら数日ほど経過、何も悪い所はないが体がだるくやる気も出ない。何か対策?~あることを思い出しました。

やる気対策

かなり前のNHK・ためしてガッテン!」を見た時に、人間の脳には、やる気を出すときに活発に働く「やる気スイッチ」があることを思い出したのです。

病気の場合はさておいて、普段どうもやる気が出ない‐‐そんな時にすぐに実践できるワザは、“ずばり体を動かす”ことです。

スポーツ心理学においても、呼吸が早まることで、「今、やる気が出ているかも!」と脳に錯覚させて、やる気がぐっとあがるというわけです。

ラジオ体操や筋トレをする、ただ力強いポーズをとるだけでも、「やる気スイッチ」は入ります。私は、今回は筋トレを20分そして庭仕事1時間をして、どうやらやる気、元気が復活しました。

体を動かすといえば、私がやるのは、筋トレ&ストレッチ、ウオーキング、庭仕事、ゴルフ、夏は水泳です。すべて足腰を鍛えながら、互いに補完しあって、楽しみながらやっているものです。

どれも一人で黙々とやれますが、そこに仲間がいれば、声をかけて一緒にやれば、更に楽しくなります。


何事も一緒の方がいい

ゴルフは、ウオーキングの延長であり、自然を愛でながら目標を持って出来るスポーツで、中高年にも健康に良いスポーツの一つです。

ゴルフの歩数を測りますと、約1.2万歩=約8キロメートル歩きます。ゆっくりでも出来るだけ大股で歩くようにして、プレーと会話を楽しむように努力しています。

10年ほど前、千葉県で開催されたPGAシニアツアーを観戦した時のことです。来場者は、平日ですからほとんど中高年の方々です。シニアツアーで4年連続賞金王の高橋勝成プロの組について観戦しました。

スタートしてすぐに、ある中高年のAさんと話が弾み、一緒にまわる事になりました。彼の家はゴルフ場から近いそうで、自転車でも行けるゴルフ場が5箇所くらいある由。 初は、半分ほど観戦して昼食を食べて帰ろうと、考えていました。

入場料は、スポンサーの気前が良く60歳以上は無料、ゴルフクリップ&マ-カー等のお土産を頂きました。途中から、ご一緒にまわったAさんに刺激され、全て観戦しようと心を入れ換えました。

全部回るのに約5時間弱でしたが、一人では途中やめていたでしょう。観戦する人たちの中には、折りたたみイスやシートを持ち歩き、お昼近くになると、おにぎりを食べながら観戦です。

秋晴れの気持ちのよい日で、Aさんは、途中で腰を掛けることもなく歩きました。私にはかなりハードでしたが、Aさんとご一緒できたからこそ、最後まで観戦できました。

やる気につなげる

ゴルフの現地観戦は、プロのプレーを楽しみながら一緒に5時間、約10キロメートル歩くのですが、あまり他ではない観戦です。

途中で何度か腰を下ろしましたが、あれから10数年かなり足腰を鍛えています。実は、この20数年の間に何度かギックリ腰や腰痛等を経験しました。その頃は、腰痛予防の体操を毎日したものです。

突然腰痛になり、更に腰痛ではなく右足の太ももの裏辺りが痛くなりました。足腰全体をしっかり鍛えなければならないと感じ、体を鍛えるストレッチがよいのではと良い本を探して実践、3ヶ月もすると成果がはっきりと出て来ました。

それ以来、ストレッチに筋トレも加えて、長いウオーキングにも耐えられるようになりました。体を動かすことは、今やいくつかのメニューが出来ています。

身体と精神の疲れは出てきますので、絶えず体を動かすことに心がけ、その時の状況により色々と使い分けながら、やる気につなげています。

「私の主である神さまは私の力です。私の足を雌鹿の足のように強くして、高い所でもどこでも、行くことができるようにしてくださいます。」(ハバククの預言3:19 現代訳)

2023年8月14日 小坂圭吾

 

2023年7月20日木曜日

喜び・感謝「新たな気持ちで“もったいない精神”」

 

夏の逗子海岸
猛暑の毎日~大暑

毎日、厳しい暑さが続いています。日本には、1年間を24分割しそれぞれの季節を表す言葉をつけた二十四節気という季節の呼び方があります。

今年は7月7日が小暑(しょうしょ)~本格的に暑くなる少し前のこと、7月23日が大暑(たいしょ)~1年で最も暑くなる時期のこと、8月8日が立秋(りっしゅう)~夏が全盛期を迎え、秋の気配が徐々に立ち始める日です。

ですから7月下旬から8月上旬頃までは、一年中でもっとも気温の高い季節にあたるわけです。この厳しい暑さを乗り切るために、鰻を食べ夏バテしないで乗り切ろうとは、日本らしい風習です。先日、知人から中元で鰻が贈られて、感謝していただきました。

最近の日本の夏は、ますます亜熱帯に近い気候になっていると実感します。

植物のお世話~成長が素晴らしい

私の書斎には、鉢植えの植物が二つあります。デンマークカクタスという春に美しい花が咲くもの、もう一つは、サンベリアという丈夫で育てやすい観葉植物です。名前も知らず、殺風景な書斎に何か良いものはないかなと探して、妻の一言で購入しました。

どちらも3~4倍くらい大きく成長して、最初の鉢植えから2回も大きな鉢に移植をしました。水を気が付いたときやる、それだけのお世話です。神様が背後でお世話をして下っている!と思わされる一コマです。

庭の隅に野菜を植えていますが、毎年芽を出し収穫できる野菜があります。10年以上も前からある多年草のオカワカメ、茹でた状態が見た目や食感がワカメによく似ていることからオカワカメと呼ばれるようになり、非常に栄養成分に富んだ食材です。

もう一つシソですが、秋の収穫が済むと枯れて種が落ち、庭のあちらこちらに毎年芽を出し今年も大収穫です。この2種類は、葉っぱが例年の倍以上の物もあり、食べるのに追われる状態です。

我が家の庭ではコンポスターを置いて、生ごみ、残飯等を入れて堆肥としています。そのため、土がとても肥沃になっていると思われます。野菜も果物の木も育ちが良く、育てて下さる神様に感謝しています。

日本精神もったいない

昨年の半ばに15年余も使ったエアコンを2台、寿命を十分に使い尽くしただろうともったいないとの思いは無く、買い替えをしました。1階居間と2階書斎ですが、今年使ってみて冷房の利きがいいなと感じています。

2階の書斎には、送風機を置いて部屋から冷たい風を廊下に送り出し階下に流すと、廊下や玄関は少しヒンヤリとします。1階の居間は、よりよく冷やすために、扇風機でかきまぜています。

もったいないについては、ノーベル平和賞受賞者・ワンガリ・マータイさん(ケニアの元環境副大臣、環境活動家)が、日本のもったいない精神に感銘を受けて、環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」を広めてくれたのは有名なお話です。

彼女は、Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉が「もったいない」であり、この美しい日本語を環境を守る世界共通語として広めることを提唱したのです。

tsunami」(津波)や「sushi」(寿司)レベルの言葉になってくれたらいいなと思います。


もったいないの意味~感謝

使い捨て、食べ残し、電気のつけっぱなしはもったいない、この精神の根源は、「物を大切にする」ことです。近隣にある中古品のお店の利用や、インターネットで中古品を探すことも多くなり、うまく出会いさえすれば、物を大切に使いきる、役立たせることが出来るのです。

人の無駄には気がついても、自分のしている無駄に案外気がつきません。家族のエアコンのつけっぱなしに注意をしつつも、自分が食器を洗う水の垂れ流しには、あまり注意を払わずやっているのが現実です。

ワンガリ・マータイさんは、もったいないの意味について、日本で感謝という意味があることを教えられたと語っています。私たちが使っている物に対して、感謝の気持ちを表すことはありませんが、当たり前のことに感謝するという気持ちを、私たちは忘れてはならないと思わされます。

物を大切に活かす、それは感謝の気持ちで活かすことであり、自分に与えられた賜物も、人々のために活かしていく事を心がけたい~その賜物を十分に用いないともったいない~と、新たな気持ちで思わされています。

「すべてのことについて、感謝しなさい。」(テサロニケⅠ5:18)

2023720日 小坂圭吾


2023年6月11日日曜日

喜び・感謝「聖書に堅く立つ」

尾山令仁師葬儀
(花は聖書を形どっている)
恩師の信仰指導

先月、私の恩師である尾山令仁先生が天に召され、前夜式、告別式の二日間奉仕をさせていただき、霊的に豊かな祝福を受けました。その奉仕を通して、自分の人生の振り返りにもなりました。

大学1年生の4月に、早稲田KGKの講演会に出席し、そこで尾山先生にお会いし信仰に導かれました。その時、先生のお話を聞いて、「この大学時代に人生とは何かを探求しよう」と決心し、当時の高田馬場教会(聖書キリスト教会・東京教会の前身)に通い始めました。

聖書もしっかり読み、信仰の入門書や関係する本を次々と読みあさりました。大学の勉強よりも真理の探究の方が楽しく、取り組むこと約2年、天地創造の神さまがおられることを受け入れ、やがてイエスキリストが私の救い主であると信じ、しばらくして生涯この方に従って歩むと決心をしました。

ホップ、ステップ、ジャンプの3段階で信仰の確信を与えられたのです。当時の尾山先生は、内村鑑三の言葉「学生の信仰ほどあてにならぬものはない」を引用されて、そうであってはならないと私たち学生を特別に信仰訓練して下さいました。

大学4年間のこの信仰訓練があってこそ、社会人になってからもキリスト信仰一途で歩み、今日まで来ることが出来たと思います。高田馬場教会そして聖書キリスト教会・東京教会において、牧師長老による共同牧会の一翼を、ご一緒に担わせていただきました。

聖書に堅く立って歩み、聖書の御言葉を素直にまっすぐ信じることを身につけて来られたことは、本当に感謝です。

聖書に堅く立つとは?

私たちの教会は、聖書は神の御言葉と信じ、聖書に堅く立つそして自主独立の教会であるとその特徴を掲げています。福音派と言われる教会であれば、同じように聖書に堅く立つと標榜していると思います。

「聖書は神の御言葉と信じる」のですが、「一つ一つの御言葉、全ての御言葉を信じる」ことが出来ているかは、自分自身に問うてみるとそうではないなと思わされます。

その通り信じる御言葉であると考えている一方で、その通りだがまだ霊的目が開かれてない御言葉があるのです。否定することはありませんが、悟らされてないことがあります。例えば、異言ですが、素晴らしいとは思いますが、それで留まっているのです。

信仰に入って間もない時、復活と奇跡については、信じられませんでした。その時に指導されたことは、わからなくても信仰生活を送っていくうちに、きっとわかってきて信じられると言われました。

全知全能の神さま、天地創造の神さまを受け入れましたので、神様なら出来るだろうと否定はしませんでした。すると早くに復活は信じることができ、やがて奇跡も受け入れられ、かなり経過して目の前で癒しの奇跡にも出くわさせていただいたのです。

聖書を素直に、まっすぐ信じる

ところで、信仰に入って数十年の教会生活は、聖日厳守、日曜日の仕事・勉強の禁止、安息日に旅行すれば罰が降る、禁酒禁煙等々、ついこの前まで、教え続けられてきたような感じです。

もちろん素晴らしい面もありますが、XXしてはいけないのような律法主義的な要素があり、これこそ正統的で聖書的であると信じて受け入れてきたものです。しかし、聖書が言っていることは、そこまでがんじがらめに縛っているのではないと私たちの目が開かれてきました。

かつての先輩の牧師先生たちが、聖書の言葉に命を懸けて闘ってこられたことによって、それが改革されてきました。

聖書の言っていることはこうではないかと、今までの伝統や習慣や西欧から持ち込まれた考え方等がひっくり返されて、聖書的に正しいものに改革され、祝福されてきています。

私が50歳の頃、聖書キリスト教会・東京教会の千人会堂建設に携わり、一緒に汗を流して会堂建設をして下さった技術者の方々がありました。

実に素晴らしい千人会堂に仕上げてくださった人々に伝道した時のこと、「毎週日曜日に教会に行かなければならない!これは腰が引けるなあ!」と言われたものです。

未信者の方にとっては、かなり律法主義的に映っていたことでしょうか。あれから、日本の教会への敷居は、かなり低くなってきました。キリストの心を具体化しようと懸命です。

私の恩師も、大きく信仰変革されました。「常に聖書がどう言っているかに帰れ」と御言葉に帰ることを、強調され続けました。私たち一人一人にとっては、聖書を素直にまっすぐに信じて従う。

そのことは聖書に書いてあるかな?と探してみてその言葉に従うことが、祝福の道であると思われます。聖書の言葉を素直に、まっすぐに信じる、このキリストの心を具体化して、毎日の生活をおくるものでありたいと願います。 

「蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい。」(マタイ1016 現代訳) 

2023611日 小坂圭吾