2023年5月25日木曜日

今を生きる「私の口に見張りを置く」

 箱根・ポーラ美術館 
     「睡蓮の池」クロード・モネ    「

自分史を完成

今月、自分史を1冊の本としてまとめ上げました。自分史を書き始めてから12年もの歳月が流れ、よくも諦めずに書き上げたものだと思います。

当初は子供や孫に何か役立つものを、さらには信仰継承をとの思いで書き始めましたが、途中からは教会の人や親しい人のお役に立てればとの思いも湧いてきました。

読み手の範囲を少し広げることを意識して、自分なりに工夫してきたことや、その年齢にならなければわからないことなども書いてきました。昨年、マサカの出来事である妻の看病等で、書籍としての完成は1年遅れとなりました。

少し時間が経過し、改めて「自分史の目的」について考え直しました。書き始めた頃とはかなり状況が変わったことを鑑みて、子供や孫に対して、信仰のあかしと家族の歩みの記録となるものを提供することにしました。

自分の人生を思い返す

この半年間、自分が書いた文章を読み返し校正をしながら、再度、自分の人生を思い返すことになりました。特に写真を色々とあさり、集めていくと、次々と色々なことを思い浮かべるものです。

全く忘れていたことでも、写真があれば、すぐさまその時の状況に戻ることが出来るのです。特に幼稚園から小学校、中学校、高等学校、大学時代の懐かしい良いことの数々を思い浮かべました。苦しいこと、耐えがたいことよりも、楽しいことが多く残るものです。

就職してからも同じようなものですが、どういうわけか、それ以前の方が懐かしく思われます。それらの良いことの数々は、自分の努力よりも、天から与えられ備えられていた、周りの支えによってそのように出来たということです。

自分に与えられた賜物(能力、性格、体力)、育った環境(両親の保護、兄弟の援助、親族の援助等々)、学校の先生の指導、友達との切磋琢磨、就職してからは、先輩や同僚の援助や好意、上司の指導等々、数え上げればきりがありません。

自分の努力の占める割合は、1100いや11000、いえもっと小さかったのではないか?それを推し量ることはとても難しいことですが、そのように感じています。

挫折や失敗の数々

一方で、人生には挫折や失敗、危機、苦難が多々あります。多くの耐え難いことがありましたが、受けた良いことの数々を思えば、それは、感謝なことに変えられているのです。

その時は落ち込んだ挫折でも、やがて良いことに変わり、本当に良かったと思い起こします。マイナスはプラスに変えられるとの聖書のみ言葉通りです。

いざ現実に戻って、今失敗することは何かといえば、一番は口の禍ではないかと思われます。自分の人生を思い返すときは、大きな事柄を捉えて、あの時のあの事柄が大変だったと思い返します。

自分の語った口の禍、「あらゆる無駄な言葉」については、ほとんど忘れて消えていくのです。相手の反応があれば、失敗したことに気が付きます。失敗した言葉を少しは思い出しますが、指折り数えてそれほど出てこないのです。多大な迷惑をかけていたであろうと推察します。

私の口に見張りを置く

最近読んだ本に、「しばし立ち止まり、振り返る~人生の旅路と霊性~」(太田和功一著、あめんどう)があります。

しばしでよいので立ち止まり、祈りと黙想の時を持つことの大切さを強く教えられました。更に「心の生活習慣病」について取り上げられていて、人との会話において、いかに無駄な言葉を発しているかを教えられ、私にも当てはまる様々な心の生活習慣病に気づかされました。

「人を正したい症候群~でもという口癖」「詮索病症候群」「話し横取り症候群」「何でも原因究明症候群」等々10個ほど取り上げられていますが、そのうちのいくつも私が失敗してきた癖があり、他の人に指摘されたこと、他人のふり見てわが身に気が付いたこと等があるのです。


この写真は、私の机にあるものです。

「主よ、私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」(詩編141:3)もう数年の前にこのことに気が付き、妻に書いてもらって額に入れました。

毎日のように暗唱し、何年かは机の上に、しばらくして書棚に移動させました。今回、この本を読み、机の上に戻してきました。無益で、不用意で、無駄な言葉がいかに多かったかを思わされるのですが、「主よ、私の口を見張り守ってください」と祈る、これは天国に行くまで私の霊的修練であると思わされています。

 2023525日 小坂圭吾

2023年4月24日月曜日

喜び・感謝「失敗をバネにして、いつも感謝する」

横浜・山下公園~花壇展より~


春の選抜高校野球~山梨県勢が初めて甲子園優勝

今年95回目を迎えた選抜高校野球で山梨学院高校が初優勝し、山梨県勢として春夏を通じて甲子園で初めての優勝を果たしました。監督は吉田洸二監督、朝日新聞の“ひと”欄にこんな記事が掲載されていました。

彼は強豪私立の選任監督として山梨学院の監督に就任し、甲子園に春5回、夏5回も出場するも、最高で1勝止まり、なぜ勝てないのかを分析した。自分が采配を振るう映像を見返したら、小難しい顔をしていた。

これでは選手が固くなるのも当然である。かつての優勝経験を思い出し、わいわい楽しく、のびのびとやる、笑顔でやることに思いが至り、笑顔の野球にきりかえた。

「どんな時も、一番の応援団でいようと思った」と彼は語っています。確かに決勝で4回に2点を先取されても笑って選手をベンチに迎えている。5回に打者10人で7点を挙げて逆転をした。いつも笑顔の監督である。

失敗は成功の元といいますが、失敗には原因があり、それを是正するところに成功への道筋があるのです。


ゴルフは「ミスのゲーム」といわれる

私に出来るスポーツの一つがゴルフ(下手の横好き)です。一時中断するも、中高年になって少し熱を入れています。1日プレーをしますと約12,000歩くらいになり、大股で歩けばかなりの運動になります。

日ごろから歩くことやマシントレーニングに励み、体を鍛えることに心がけています。ナイスショットよりもミスショットの方が多いのがゴルフで、ショットのミスの影響を最小限に抑えて、リカバリーすることがゴルフの醍醐味です。

先月、4か月ぶりに本コースでプレーをしました。(寒いときはお休み)事前に少し練習も重ねて、ミスショットを打つも落胆するな、戦いはそこから始まると自分に言い聞かせてプレーです。

しかし、スタートから始まり3~4回もミスショットをしましたが、覚悟をして臨んだためリカバリーはそれなりに出来ました。

メンバーに恵まれて、一番良いリカバリーは拍手喝采を受けた忘れられないショットで、これだからゴルフはやめられないのです。帰宅後もこれらの失敗をどのように直すかの練習が始まります。

失敗をバネにして

私たちは、ちょっとした失敗や難しい事柄が起きることで、落胆したり、笑顔が消えて喜びを失ってしまいがちです。仕事、健康、経済的な問題、家族のこと、人間関係、教会のこと等々、失敗や問題らしいことは何も無いという日は、1年のうちにほとんどないかもしれません。

前向きに捉えれば、神に祈りをささげる願い、望みでいっぱいということです。自分の犯した失敗もあれば、他の人から降りかかってくる問題状況もあります。

先を読んでいくとこうなるかもしれないと、今から悩むこともあるかもしれません。この時、自分の心構えをどうしたらよいのか、どう問題解決していくのか、かなりの悩みどころです。

私は比較的楽天家の方でした。気持ちの切り替えが早く、「えい、もうこの問題は考えない。棚上げにする。」と決めると切り替えが出来た時もありました。

若い人の中には、このように出来る方をお見受けすることもあります。昨今は、なかなかそうはいかず、自分の心を自分でコントロールできません。



聖書の言葉にある「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのこと感謝」と神の御心3点セットが浮かんできます。

「いつも喜ぶ」には、どんな状況にも揺り動かされない、生きる喜びを与えてくださる神さまにしっかりつながることです。絶えず、神様の近くを歩んでいくことです。

そのためには、「絶えず祈る」事が大切です。いのちの源である神さまから命と力を絶えずいただく祈りの生活です。祈りこそ創造主に対する私たちの態度であり、造られたものとしての信頼と服従があります。

それをしていくと、「すべてのこと感謝」につながります。神さまの恵みが分かってくると、すべての材料が感謝になるのです。

というのは、全ては神さまの支配下にあり、そのようになさったのも神様だからです。ですから、苦しみも危険も嫌なこと全てに対して、神様が益として下さるのです。

自分の心をコントロールできなくなった昨今、すべての失敗、困難、マイナスは、必ずプラスに変えられると聖書から教えられ、信じています。

困難な問題ほど、いや難しいからこそマイナスは必ずプラスに変えられていくと信仰体験によって、それをバネにして歩んでいく事を楽しみにしています。

2023424日 小坂圭吾


 

2023年3月18日土曜日

今を生きる「覚悟を決める」

 

徳川家康公像(駿府城公園)

静岡・大河ドラマ館を見学

大河ドラマ「どうする家康」が始まり、徳川家康について色々と調べたり、見聞きしていると、家康について知りたいとの思いが強くなり、静岡・大河ドラマ館と駿府城の見学に出かけることにしました。

駿府という国は、家康が19歳まで12年間生活した場所であり、今川氏の軍師・雪斎から色々な教えを受けたところです。家康は、人間形成の上で非常に重要な時期を駿府で過ごしています。現在流に言えば、小学生、中学生、高校生時代というわけです。

良き環境、良き師に恵まれたということができます。彼がここで過ごした折、人生における何らかの覚悟が養われたのではないでしょうか。家康はこんな言葉を残しています。

「人間は覚悟が大事なりて、善悪は皆な手前の覚悟一つにあり。覚悟する時は武道も立ち、覚悟せざる時は人の道をも失ふ。」

三方ヶ原の戦いで敗れての覚悟

家康は75歳と当時としては大変な長寿でしたが、数多くの危機を乗り越え、その都度確かな覚悟をもって歩んだと感じられます。

例えば、家康が31歳の時、三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗し、浜松城へと逃げ帰りました。その逃げるとき、馬上で粗相をしたというのも有名な話です。 無敵武田騎馬軍団との戦いでは、結果として多くの兵や家臣を失ってしまい、自戒したのです。 

その時の覚悟の姿として、自分の姿を絵にして、通称「顰像(しかみぞう)」という肖像画を描かせています。顰とはしかめっ面の意で、その絵の家康は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていて、敗戦を自らの戒めとする、二度と同じ過ちを起こさないぞとの覚悟であろうと思われます。

家康しかみ像

この絵を常に傍に置き、肌身離さなかったとの逸話が家康の人間性をよく表しているとして伝えられています。

優柔不断が問題

物ごとが思うように進まないとき、どうしようかとあれこれ考えて優柔不断になり、次第に悪い方向に進み、泥沼に陥ってしまうことがあります。自分自身の考え方に問題があり、原因があるのです。このようなときに、どうすればいいのでしょうか?

主なる神様に助けを求める、祈っていけば、心が冷静になり、次第に状況が見えてくることでしょう。「やはりこうしよう、結果がどうなろうとこうする!」と悪い結果になろうともそれを受け入れて、そのうえで覚悟して進む道を決めることができる。

こうすれば、臨んだ結果を得ることができます。たとえ、そうでなく悪い結果になったとしても、その結果を受け入れ、マイナスはやがて主なる神様が必ずプラスに変えられると信じて前に進むことができます。

使徒パウロの覚悟

ここで使徒パウロの覚悟について考えてみましょう。ある時、ペテロ(ペテロはユダヤ人)は、ユダヤ人に忖度(そんたく)して福音の本質的な部分を曲げるような行動をとってしまいました。

それを見たパウロは、公衆の面前でペテロを非難します。普通であれば、あとでそっと注意をすることでしょう。パウロは福音の本質が曲げられるのが許せず、相手が偉大な先輩でも躊躇しなかったのです。

先輩にあたる大使徒に向かって、公衆の面前で非難するのは大きな覚悟が必要です。パウロは福音のためなら何でもする、死ぬことも覚悟していると言っています。

ペテロを相手にもひるむ事なく福音を守るために行動したパウロの覚悟は、私たちにとっても大切なものがここにあると思われます。

現在は、いろいろな意味で覚悟が求められる時代です。それは、戦乱の音が聞こえ、超高齢化の足音も確実に来つつあり、不安な要素が様々にある中で、覚悟をどう決めるかが問われるように思います。 

「私は主イエス様のためなら、エルサレムで縛られることだけでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」(初代教会の働き 21:13 現代訳) 

2023年3月18日 小坂圭吾

2023年2月11日土曜日

今を生きる「人生は旅~流浪の教会に教えられる」

 

ドウダンツツジの新芽

ドウダンツツジの新芽

先日、庭の木々をぼんやりと眺めていると“ドウダンツツジ”に何かが出てきているようです。生け垣として植えたもので、近づいてみれば、新しい芽が膨らみ始めていたのです。

ドウダンツツジは、春にはかわいらしい白い花をつけ、その後は新緑になり、晩秋には真っ赤に紅葉して、年中楽しませてくれます。丈夫で手間がかかりません。

24日は立春で、暦の上では春の始まりです。今年の冬も厳しい寒さの時がありましたが、数日前のお昼ごろ、家人と「もう春の気配を感じるな!」と言いながら散歩しました。頬にあたる風が冷たさを感じない日でした。

寒い中を潜り抜けて、新しい芽をつける木々、季節も冬から春に向かう今日この頃、小さな春をその気になれば、見出すことができるものです。

阪神・淡路大震災の記憶

先月中ごろ、阪神・淡路大震災(1995117日発生)について新聞を読みつつ、当時のことを思い出しました。あのとき、勤務していた会社の同期の者が大阪で大震災に被災し、その日東京本社への転勤辞令が出るも数か月間は現職にとどまり、頑張ったのでした。

私の故郷は岡山ですが、親族は関西に住んでいる者が多く、ある親戚の家もつぶれて大変でした。1か月後くらいでしたか、岡山への帰省の途中に西宮によることことにしました。新幹線で新大阪まで行き在来線・山陽本線の岡山方面行に乗り換えました。

西宮近くになってきますと、社内での話し声が次第に小さくなり、やがて会話がなくなりました。西宮駅に降り立って、周りの風景を見るに声も出ませんでした。生れて始めてみる大震災のなす厳しい状況でした。


流浪の教会~地震、津波、原発事故~その後

信徒の友1月号に“編集者イチ推しの本”として推薦された『選ばれてここに立つ~311後を生きる」(佐藤彰著、日本基督教団出版局、20127月刊行)を読みました。

福島第一聖書バプテスト教会・佐藤彰牧師の著作は、これ以前に『流浪の教会~地震、津波、原発事故~』が原発事故後に緊急出版(20117月)され、少しでも支援になればと即座に買って読みました。

その後の200余名の教会員と牧師の「流浪の旅」について書かれた本が、この推薦された本です。これを読んで、東日本大震災の厳しさについて、再度心が痛みました。

人生の不条理は、突然様々な形でやってくるものです。突如巨大地震と大津波と原子力発電所の爆発という3重苦に投げ出され、バラバラとなりました。

家も故郷も無くなり、流浪の旅を始めたという点で、大きな試練の中に置かれたのです。私たちが予想する出来事をはるかに超えて、尋常ではありません。

この教会は、無牧が続いた農村の教会に、若い佐藤彰牧師が期待され招かれたのでした。以来40数年弱の間に、近隣の信徒の捧げた土地に3つのチャペルを建て、教会員も200名を超えました。

2009年には会堂を建て替え、神様に大いに祝福されました。新しいことも始めようとした矢先に、20113月東日本大震災による原発事故が起こり、すべての労苦が奪われたのです。

牧師も信徒も、教会を捨て、家を捨て、職場を捨てて強制非難となってしまったのです。全く何も持たずのままで~~。

人生は旅、プロセス

この劇的なストーリー、神様のなさる恵みの数々を教えられながら、何度も涙を流しながら読み、わが身のあり方をも振り返ることになりました。

この厳しい状況を経験された皆さんの生き方から、11日を精一杯歩まねばと思わされたのです。この本から少し引用をします。

イスラエルは故郷を出て外国に住み、その地で奴隷となり、モーセに率いられて脱出しましたが、その後は実に40年間もシナイ半島を旅したのです。誰も40年の旅なんてしたくないはずです。

でも気が付きました。聖書は「人生は旅」ということを懇々と語っていたということを。「そうか。旅ならば全部がプロセスだ。山登りにたとえるならば、1合目もいい、5合目もいい、途中途中で喜べないなら、いつ喜べるのだ」と。

いつから結果主義になったのでしょう。頂上でなければダメだ、0点だと。いつから成果主義になったのでしょう。100点か、0点しかないと。頂上に着いたか、まだか。福島に帰ったか、まだか、着けば100点、着かなければ0点と。

モーセは、出エジプトをして荒野の40年にわたる流浪の旅を終え、ネボ山ではるかにカナンの地を見ながらもそこに入ることを許されませんでした。

偉大なるモーセは、神様の言われることを素直に聞き入れ、自分の生涯としては十分であったと受け入れたことでしょう。

しかし、それだけではない、40年の旅そのものに意味があったのではないか?彼は、カナンの地に入ることを目指して歩みますが、明日はどうなるかわからない日々の旅です。

今日という日を精一杯歩むことが一番大切なことであり、その日その日を楽しみながら旅したに違いありません。

私たちは、今日と同じように明日もあると思って歩んでいますが、明日がある無しにかかわらず、この日を精一杯歩んでいきたいものだと強く教えられました。 

「あなたがたは、明日どうなるかということさえ分からないのである。」(ヤコブ 4:14 現代訳)

「いつでもその日その日を精一杯生きればよいのです。」(マタイ6:34 現代訳)

 2023211日 小坂圭吾

 

 

2023年1月26日木曜日

今を生きる「ソロモンの知恵から学ぶ」

 

四季の森公園
男の料理教室

しばらく前から「料理は重要だ、ある程度は自分で出来るようにしたいなあ!」と考えていました。

昨年の春ごろ、家族から「地区センターで男の料理教室があるので行ってみたら?」と言われ、以前から知っていましたが、このひと声で行く決心をしました。

妻が大病していたこともあり、しばらく家事をやることになると覚悟していたからです。男だけ7~8人が集まり、2チームに分かれて、女の先生2名がレシピを説明し、実地に色々と指導してくれるのです。

2時間かけて出来上がった料理を、コロナ禍でもあり持ち帰りました。ちょうどお昼前に出来上がって持ち帰りますので、妻にこれを作ったよ!と一緒に食べるのです。やがて、料理の得意な妻に教えてもらう方がよかろうと考えて、3回ほど教室に通い終了としました。

料理は楽しい

料理といえば、小学生の頃、母親に包丁を持たされて大根の皮をむくことを教えられたのを思い出します。当時はかまどを使って、ご飯を炊く、煮物を作る、お茶を沸かす等をしていましたが、その手伝いをしばしばしたものです。(郷里は備前岡山の田舎です。)

当時、お手伝いさんや奉公人の方が何名もいて、祖父母も健在でしたので、台所仕事もやることが多かったと思います。そういえば、魚屋さんがわざわざ我が家に色々と魚をもってきて、それを母が見ながら、買うものを決めていた光景を思い出します。

この半年間余、妻に料理を教えられつつ慣れてきました。半年前の野菜等の切り方は、ほんに下手だったなと思います。特に堅い人参をうまく切るには、力とコツ?がいるものです。なかなか細く切ることはむつかしく、少しは上手になってきたでしょうか。

夕食は妻任せですが、朝食だけは、毎回メニューは変わらずですが、私がそれなりに準備をします。料理を作ることは楽しいものです。

人生はまさかの連続

ところで人生の楽しみといえば、何でしょうか?人生は楽しむことよりも大変なこと、予想さえしなかった困難なことが次々と起こるものです。

「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」この徳川家康の人生訓は、私たちの心に響くものがあります。

NHKの大河ドラマ「どうする家康」を見ていますと、彼が残したこの言葉の重みを感じざるを得ません。まだ3回しか放映されていませんが、ここまでの人生も大変ですが、これからはさらに困難が襲ってきます。

だから、このタイトル「どうする家康」となるのだと思います。人生の3つの坂~上り坂、下り坂、まさかの坂~このまさかの坂、マサカの出来事が次々に起こる家康、この主人公の大河ドラマは、見る価値はたっぷりありそうです。

ソロモン王

ソロモンの知恵

人生を思いっきり謳歌し、楽しむことを考え行動した人といえば、聖書に出てくるソロモンです。彼は、全世界で知恵と富と文才で知られている王、東西を通じての大賢者です。

彼は、神様によって権力・富・能力を与えられ、人生を探求する知恵と多くの機会を得て、贅沢の限りを尽くし、幸福と満足を得るため色々なことに試みました。その試みた人生の長い「体験の記録」が、聖書の「伝道者の書」です。

数多くの探求と経験の後に、「その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」(伝道者の書2:23)と言っています。心を休めるところが、私たちには必要です。

ソロンは、色々と試みたのち、伝道者の書の最後にこう書いています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)。

更に、この結論の前にこのように書いています。「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)

私がこの言葉に目が留まったのは学生時代でしたが、「とにかく若い日に創造者を心に刻むことだ」と思い信じました。年齢を重ねて思うことは、この若い日というのは、今が一番若い日だと捉えて挑戦することだと思います。

今からでも遅くはない、今やろうと気が付けば、その時が一番良いとき、その人にとって若いときであると思います。今からでも遅いことは何もない、この時を生かしたいものです。 

「この地上には、何をするにも時がある。」(伝道者の書3:1 現代訳)

 2023126日 小坂圭吾