2023年11月15日水曜日

聖書の言葉「何をするにも時がある」

西伊豆スカイライン・ススキ

隣近所の家が取り壊し

今年になって、隣近所の家が取り壊されて売りに出され、半年もしないうちに新しい家が建ち、新しい方が引っ越して来られました。壊された家は2軒あり、ご夫婦ともよく知っている方々でした。

一人暮らしになり、高年齢では一戸建ての住まいは手間も大変で、マンション等に移られたのだろうと思われます。近所を散歩しますと、取り壊された家は、それ以外に3~4軒はあるでしょうか。

私の住む地区は、「長寿日本一」というエリアの一角で喜ばしい反面、高齢者が多い世相を反映しているかなと思われます。

この地域に移り住んでもう40年以上になりますが、来た頃の風景は、新築の家があちこちで建ち、槌の音がやむことがありませんでした。

光陰矢の如し!その新しい家も古くなり、日本の家屋は木造が多いため建て替えになるのは致し方ないとは言え、寂しさも覚えます。


無駄な時間

ピーター・F・ドラッカーの名言集「仕事の哲学」の中に、“時間管理”について述べているところがあります。私たちは、自分の時間の中で、無駄な時間をそれほど使っているとは思っていません。

ドラッカーは、「成果には何も寄与しないが無視できない仕事に時間を取られる。膨大な時間が、実はほとんどあるいはまったく役に立たない仕事に費やされる。」と書いています。

時間は、誰にも平等に与えられた一日24時間です。

ある若い人に、「私たちは、無駄な時間を過ごしているよね!」と言ってみたところ、「え、例えばどんなこと?」と聞かれました。ほとんど意識してないのでしょうが、無駄などうでもよい事に時間を費やしているものです。

私の経験から言いますと、読まなくても良かった本、おもしろくも何の益もなかった映画、ついつい時間をとられたインターネットの検索、見なくても良かったテレビ番組です。

更に、出席しなくても良かった会合、委員会等々、やめても問題の無いものは、山ほどであります。

無駄なものは止める

私たちの1日の生活は、実にさまざまで複雑です。無駄な事に時間を浪費することは、いつの日か習慣となって歯石のようにたまり、掃除をしない限り歯石は落ちません。

ドラッカーは、時間の浪費に対して、処方箋を書いています。

「年に何回か、3、4週間継続して何をしたかの記録を取る必要がある。記録を見て、日々のスケジュールを見直し、組み替えをしなさい。」「まったくしなくても何も起こらないなら、その事はやめてしまうべきである。」と勧めています。

私もこの助言を得てCHECKしますと、無駄で止めたほうがよいものが見つかりました。今では、無駄な時間を過ごすと「これは無駄だった!」と気が付きますが、なくなるわけではありません。

無駄なことを抽出するばかりか、これはやらない事にしようと決めることも大切です。優先順位をつけるとは、大事なことを選び出すことですが、逆にやらないことを決めることでもあります。

「何をやらないのか」を決めることが、案外簡単な場合もあり、そうする事により、時間の使い方を見直して、心の余裕とゆったりした時間、重要な事にはしっかり時間をかける事が出来るのです。


何をするにも時がある

時については、伝道者の書(人生論の集大成)にこんな記事があります。

「この地上には、何をするにも時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、壊すとき、建てる時、~~ 保存する時、投げ捨てる時、~~ 戦う時、平和の時。~~神のなさることは、皆、時にかなって美しい。」(伝道者の書3:1-8、11 現代訳)

1節「この地上には、何をするにも時がある。」とは、私たちがそのまま受け入れるべき真理であろうと思います。神様によって定められた時のことであり、神様が天地万物を時間と共にお造りになりました。

2節から8節に、神様が定められた28の時(14の対になる組み合わせ)を記してあり、「時の詩(うた)」と呼ばれています。反対の意味の言葉、好ましい時と好ましくない時が対になっています。

これらを読むと、この地上の出来事にはすべて定められた時があることを示しているのです。2節前半「生まれる時、死ぬ時」人間はだれしも、自分の生まれる時や死ぬ時を選ぶことはできません。

8節後半「戦う時、平和の時」昨今の世界で起きている戦争を思うに、私たちの人生に起こる出来事には、個人の選択を越えてどうすることもできない時があります。

これは諦めの言葉のようにも読めますが、すべての時を定めておられる神様への信頼の言葉でもあります。

一方で、私たちの意思で選択によって出来る事柄、その時があります。人生には、色々で好ましくない時が実に多くあるものです。

つらく悲しいこと、困難なことがであっても、忍耐して歩んでいくうちに、“これも神の時であったのだ”と分かるときが来るのです。

人生におけるバラバラに見える一つ一つの断片が、つなぎ合わされて行く、そこに大きな意味があったのだと分かる時があるのです。

11節「神のなさることは、皆、時にかなって美しい。」と言うのは、定められた時の背後に、全てのものをそれなりに良く造られた神様がおられることを、私たちは信じているのです。

聖書の言葉は深遠で、悟れないことが多くありますが、たとえ今は信じられない悟れなくとも、信じられる悟れる者にしてくださいと祈りたいと願います。

2023年11月15日 小坂圭吾