2014年8月23日土曜日

今を生きる 「雨ニモマケズ」



 

    夏の暑さにも負けぬ
  もう半年も前になるでしょうか。家人から見せてもらったメモが、宮沢賢治の雨ニモマケズ」(あめにもまけず)です。彼女がサインペンで書いたA4用紙1枚のメモを読んで、「ほんとに素晴らしい詩だね。いつかブログにでも使いたいね」と彼女から取り上げた(?)のですが、ボックスを整理していたら出てきました。

 お盆を過ぎたのに残暑厳しく、一方では天候不順と落差が大きいこの頃、ともあれまだ暑さは去りそうになく、ふとこの詩を読んでみますと“夏の暑さにも負けぬ”と言う言葉があり、「愚痴など言っておられないぞ」と思わされました。一読して、何かさわやかな風を感じるようでした。

 この詩は、宮沢賢治の代表作のひとつともされるものですが、彼の没後に発見された遺作のメモであり、一般には詩として受容されています。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」より始まり、「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」で終わる漢字交じりのカタカナ書きですが、現代文での表現で、まずはお読み下さい。

「雨にも負けず」
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち 慾はなく 
決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず 
そういうものに わたしはなりたい

対句のような表現が用いられ、最後のセンテンスになるまで主語(私)が明かされません。ですから、自分の事を言っているようにも受け止めることが出来、“そういう者に私は成りたい”と共感できます。この詩を読んだことは、過去に何度もありますが、その時に応じて感じたことや感動したことが違ったと思われます。同じものを読んでも、その年令に応じて感じる事や新しい発見があるのは、それまでの人生経験やその時の状況が、それをしてくれるのでしょう。


シンプルな生活
共感したことは、実に質素な生活ですが、弱い人々の事を思いやり、人々のために心をかけていく生活です。具体的には、野原の小さな萱ぶきの小屋に住み、玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて暮らし、東奔西走して、人々を慰め励ます生活です。そして、健康には留意しているので、丈夫な体を持っている。
 
新約聖書の福音書の中に、バプテスマのヨハネが出てきますが、彼はまさしくこのようなシンプルな生活ながら、使命観を持って歩む質実剛健、質素な生活だったことを思い起こします。

私たちの毎日の生活は、煩雑で多忙な生活ですが、大切な一歩が後回しになりがちです。人生で重要なことは、そんなに多くはなく、実に多くの無駄なことをやっていると言われます。やる前に考えています。発言しています。私たちの行動を3日間、こまめに何をやったか、時間は何分かかったかを記録し静かに反省をしてみると、沢山の無駄なことに気付くと言われます。

そこまでもしなくても、今やっている中で、一番無駄なことは何かと自問自答すると、きっとあるはずです。無駄なことをやらない、止める、考えない、言わないと!これこそ、御霊の実の自制ですが、聖霊により頼んで、美しい自制の実を結ぶ者となりたいものです。自分の生活をシンプルな生活にして、重要なことに力を注ぐことが出来ればと願います。
                           
2014年8月23日     小坂圭吾