山下公園から横浜ベイブリッジ |
まずはジョークから
オンヌリ教会の主任牧師・イ・ジェフン先生の語られた楽しいジョークです。 一組のご夫妻がいつも礼拝に出席していました。ご主人は、奥さんの付き合いで嫌々出席していました。
ある日、奥さんが風邪をひいてしまい、礼拝に出席できなくなりました。奥さんが、ご主人に頼みました。「どうしても牧師先生の説教が聞きたいので、あなたが代わりに行って、説教のメモを取り、後で話を聞かせてください。」
ご主人はしかたないので礼拝に出席し、やがて帰って来ました。ところが、なぜかご主人の様子が違っていて、とても愛情深く、親切になった由。
奥さんは、「どんな説教を聞いたのかしら?『妻を愛せよ』との内容だったのかしら?それにしても、一回の説教でこんなに人が変わるかしら?」と教会に電話して聞いてみました。
牧師先生にこのことを話して尋ねると、牧師はびっくりして言いました。「私の説教はですね、『敵を愛せよ』というテーマだったのです・・・。」(大笑い)
それにしても、夫たるもの家庭の平和のためには、奥さんの言うことに従うことは、良いことにつながりますね。
気になるバナナ
先月の朝食の時、私がバナナを食べようとしたときに、妻がさらりと言い出しました。「あの店でのバナナは買わないでほしい。」「味は、他の店とは変わらずおいしいよ!?」私が買ったこのバナナについて、何かまずいことがあるようでした。
数時間後に、妻がスマホを開いて「安全なバナナの見分け方」という記事を私に読むように見せました。輸入したバナナは、防カビ剤が残留している可能性が高く、その防カビ剤の危険性がわかっており、農薬や化学肥料に頼らず有機栽培の物に限るようにとのことでした。
妻の食の安全についての気配りは、ここまでも行き届いており、バナナについては認識不足でした。
我が家では、30数年も前から玄米菜食中心の食事で、さらに無農薬有機肥料で栽培された自然食品が中心です。肉は少なくして魚中心で、味付けは薄味です。
私も意識をするようになってから7~8年、努力中です。長い間、食事について妻まかせで、自分自身で「何を食べるのが良いか、何が悪いか?」確かなことを知らずできました。
狭心症になって始めて、目が覚めて色々と勉強しました。食事によって人間は多大な影響を受け、病気や肥満にもなり、健康にもなりえます。
妻は病気療養中なので、理想的な食生活は出来ない現実ですが、根本的な考え方は変わっていません。現在はスーパーで売っているお弁当、総菜等も毎日の食卓に乗せています。
平凡な日常を大切に
今読んでいる本に、三浦綾子・生誕100年記念ベストエッセイ集「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」(いのちのことば社)があります。三浦綾子さんの書かれた多くのエッセイの中より、選りすぐりの物を選んでくださったので、読んでいくと一編一編が深い味わいを感じるとともに「日常を深く大切に生きる」ことを教えてくれます。
したがって、1日に1編ずつ味わいたいと感じながら、夫婦で大切に読み進めました。その中にこのような文があります。
「生きるということは、私は悲しみや苦しみに耐えることであると同時に、平凡な日常を切り捨てずに、深く生きることであるとも思う。」
平凡な日常と言いますが、神様が創られたこの日は、この時は、決して平凡ではなく、毎日が昨日よりは大きく異なるのです。白いキャンパスに今日のことを書くとすれば、間違いなく昨日とは違う絵になるのです。そこにある意味もまた深く掘り下げれば、新しいことや発見、感謝があるのではないでしょうか。
先のバナナ事件から発して、食べることについて少し深く考えることにつながりました。自然食にこだわるといいながら、いい加減になっている自分、食の安全を忘れていました。自分一人では気づかないことは多くあり、人と接することから、目が開かれ気づかされていくものです。
このように書きながら、日常をいかに深く生きるのか、その心構えを持つと何か変わるように思わされます。「老いては、子と妻に従え。」とは、良くぞ言われたものだとわが身を振り返ります。
「夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(ペテロⅠ3:7 新共同訳聖書)