2013年2月18日月曜日

コーヒーブレイク 「仲直りをする(2)」


     和解する
“仲直り”とは、個人的な比較的短気間の争いやちょっとした喧嘩の後で、再び仲を取り戻す場合に使われます。似たような類語に「和解」があり、裁判での争いや親子の勘当のように比較的深刻な争いをしている者、断絶状態にある者どうしが互いに譲り合って争いを止めることを表す場合に使われます。さらに「和睦」と言う言葉があり、これは戦争を止めることです。(「使い方のわかる類語~例解辞典」(小学館)より)

「和解」ということでは、忘れられない思い出があります。1965年10月、大学3年生の秋、キリスト者学生・訪韓謝罪使節団の一員(団長・尾山令仁牧師、KGK学生8人)として、初めて韓国の地を訪問しました。目的は、韓国統治下の時代に日本人が韓国の人々を苦しめた罪を謝罪し、キリストにあって和解するためです。ソウルを中心に、多くの教会、大学、報道機関等を訪問し、現地のクリスチャンとの交わりを持ちました。韓国統治下での生々しい当時の出来事を見聞きしましたが、心は痛み、ただ主にあって赦しを願うのみでした。

     堤岩里教会焼き討ち事件
特に衝撃的なことは、ソウル郊外(車で1時間余)の小さな村・堤岩里を訪問した時のことです。そこは「堤岩里教会焼き討ち事件」といって、約100年弱前、日本軍がこの村の教会にクリスチャンを集め、火をつけて虐殺するという悲しむべき事件ありました。その時に、お二人のおばあさんにお会いしましたが、お二人はその時教会へ行かなかったため難を逃れたのですが、お二人のご主人は殺されてしまいました。一人は、白髪、柔和な方で見るからにクリスチャンと分かり、もう一人は、やや若い方でその後信仰を失ったとのことでした。

白髪のおばあさんは、焼き討ち事件後も主に守られて歩んで来られ、当時のお話を聞かせて下さり、その古ぼけた教会に案内して下さいました。皆で教会に入ってお祈りしたとき、主は私たちに「つぐないの印として、この堤岩里教会の会堂を日本人の手によって再建するように!」と示されました。これは、神さまが祈りの中で私たちに語りかけられることを実体験した時でした。帰国後、日本中のクリスチャンに呼びかけて献金が集められ、4年後には教会再建が果たされました。信仰に入って間もない私にとって、一生涯信仰を持って歩む一里塚となった事柄です。

               
                  意見の男、気持ちの女
話しを「仲直り」、特に夫婦関係について戻します。ちょっとした夫婦の喧嘩は、相手のこと、特に“男女の違い”について十分に理解してないことが原因の一つでもあります。

コミュニケ―ションをとる場合、多くの場合、女性は男性の3倍は話すと言われます。男性は『意見』を話し、女性は『気持ち』を話したがる傾向が強いのです。男性は目標達成や結論を急ぎたがるが、女性はそのプロセスで共感を求めたがるとも言われます。(ですから、女性の話は長く、にぎやかで盛り上がるのでしょうか?)夫に聞いてもらえるだけで良いとも考え、ましてや、夫から解決策を提示してもらおうなんて考えてもいません。(リック・ウオレンも奥様との関係で気が付いたと話しておられます。)

妻は、夫に聞いてもらえるだけでいいと一生懸命に話しますが、夫はまどろっこしく感じてきます。そのすれ違いが起こると、妻が怒ることにつながりかねず、妻の怒りに夫は受け流す「無抵抗主義者」になっていく事にもなります。夫は黙って逃げるので、妻ときちんと向き合えない状況に陥ります。逃げてしまう夫は、腹をくくり逃げないで、妻とそのことについて自分の考えや気持ちを正直に話し合うことが重要です。(私ですか、話し合いによって色々と発見し気が付かされた経験者です。)

結婚した男性は、結婚後も仕事や習慣、趣味等を独身時代と変わらず続けられることが多く、一方、多くの女性は、結婚して苗字を変え、周りの人間関係も変わり、出産があったりで色々と変化を余儀なくされます。その変化に柔軟に対応出来るからこそ、女性は強い人に成るのかもしれません。それはさておき、女性は、当初その変化に対応がうまく出来なかったりすることもあり得ます。夫が当然視している夫の実家の習慣を、これこそ常識であるとしないことも大切なように思います。人生経験を積んできて、少しこのようなことが理解できるようになっています。そういえば、結婚の時誓約した言葉、弱い妻をいたわるようにとは一生のことではあります。聖書の言葉は、素晴らしいですね。

「夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器であることをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(Ⅰペテロ3:7)

2013年2月18日     小坂圭吾