徳川家康公像(駿府城公園) |
静岡・大河ドラマ館を見学
大河ドラマ「どうする家康」が始まり、徳川家康について色々と調べたり、見聞きしていると、家康について知りたいとの思いが強くなり、静岡・大河ドラマ館と駿府城の見学に出かけることにしました。
駿府という国は、家康が19歳まで12年間生活した場所であり、今川氏の軍師・雪斎から色々な教えを受けたところです。家康は、人間形成の上で非常に重要な時期を駿府で過ごしています。現在流に言えば、小学生、中学生、高校生時代というわけです。
良き環境、良き師に恵まれたということができます。彼がここで過ごした折、人生における何らかの覚悟が養われたのではないでしょうか。家康はこんな言葉を残しています。
「人間は覚悟が大事なりて、善悪は皆な手前の覚悟一つにあり。覚悟する時は武道も立ち、覚悟せざる時は人の道をも失ふ。」
三方ヶ原の戦いで敗れての覚悟
家康は75歳と当時としては大変な長寿でしたが、数多くの危機を乗り越え、その都度確かな覚悟をもって歩んだと感じられます。
例えば、家康が31歳の時、三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗し、浜松城へと逃げ帰りました。その逃げるとき、馬上で粗相をしたというのも有名な話です。 無敵武田騎馬軍団との戦いでは、結果として多くの兵や家臣を失ってしまい、自戒したのです。
その時の覚悟の姿として、自分の姿を絵にして、通称「顰像(しかみぞう)」という肖像画を描かせています。顰とは”しかめっ面”の意で、その絵の家康は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていて、敗戦を自らの戒めとする、二度と同じ過ちを起こさないぞとの覚悟であろうと思われます。家康しかみ像
この絵を常に傍に置き、肌身離さなかったとの逸話が家康の人間性をよく表しているとして伝えられています。
優柔不断が問題
物ごとが思うように進まないとき、どうしようかとあれこれ考えて優柔不断になり、次第に悪い方向に進み、泥沼に陥ってしまうことがあります。自分自身の考え方に問題があり、原因があるのです。このようなときに、どうすればいいのでしょうか?
主なる神様に助けを求める、祈っていけば、心が冷静になり、次第に状況が見えてくることでしょう。「やはりこうしよう、結果がどうなろうとこうする!」と悪い結果になろうともそれを受け入れて、そのうえで覚悟して進む道を決めることができる。
こうすれば、臨んだ結果を得ることができます。たとえ、そうでなく悪い結果になったとしても、その結果を受け入れ、マイナスはやがて主なる神様が必ずプラスに変えられると信じて前に進むことができます。
使徒パウロの覚悟
ここで使徒パウロの覚悟について考えてみましょう。ある時、ペテロ(ペテロはユダヤ人)は、ユダヤ人に忖度(そんたく)して福音の本質的な部分を曲げるような行動をとってしまいました。
それを見たパウロは、公衆の面前でペテロを非難します。普通であれば、あとでそっと注意をすることでしょう。パウロは福音の本質が曲げられるのが許せず、相手が偉大な先輩でも躊躇しなかったのです。
先輩にあたる大使徒に向かって、公衆の面前で非難するのは大きな覚悟が必要です。パウロは福音のためなら何でもする、死ぬことも覚悟していると言っています。
ペテロを相手にもひるむ事なく福音を守るために行動したパウロの覚悟は、私たちにとっても大切なものがここにあると思われます。
現在は、いろいろな意味で覚悟が求められる時代です。それは、戦乱の音が聞こえ、超高齢化の足音も確実に来つつあり、不安な要素が様々にある中で、覚悟をどう決めるかが問われるように思います。
「私は主イエス様のためなら、エルサレムで縛られることだけでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」(初代教会の働き 21:13 現代訳)
2023年3月18日 小坂圭吾