2011年2月15日火曜日

感謝 「どんなことでも感謝する(2)」

      鈍感になる                                            先月の下旬ですが、かつての仕事の仲間、同期の友人I君が歩いているのを見かけ、即座に声をかけて一緒にコーヒーを飲みました。年賀状に「今年もまた、コーヒーを飲みましょう」と書いたばかりで、早くに実現しました。席に座るや否や彼が口火を切りました。

「いやあ、この年になるととにかく鈍感なのが良いね。」私「それは、どういう意味?」I君「音楽を聴くにしても、絶対音感を持ち合わせてなくて、ちょっと音が外れていても気にならない。素晴らしいと聞けるのがいいね。食べることにしても、あまり味にうるさくなく何でもおいしくいただくことができるしね。ほどほどに鈍感が、いろいろな面で良いような気がする。」 「なるほどおもしろい!」と感心して聞きました。                  

最近の自分を振り返ってみると、何かとうるさくなっているのかな?と気になっています。あるいは、こだわりが強くなっているのか、頑固になっているのかよくわかりません。自分では、許容範囲を若い時より広げるように何かと努力をしてきていると思っているのですが、現実は違うかもしれません。はっきり言えることは、味についてはうるさくなってきているように思います。若い時からしっかり味に慣れていて、それを妻に要求するようになってきたようです。友人I君の言うように鈍感になる努力が、ほんとに必要だなとハットさせられた時で、彼には感謝しました.

     夜寝る前に
PDJブログを書き始めてからもう80本余りを書きました。今まで読んで下さった皆様には、感謝申し上げます。最近気が付いたのですが、PDJブログにある検索欄にキーワードを入れて検索すると、その該当ブログが出てくるようになっていることを知りました。さっそく「感謝」というキーワードを入れて、PDJブログを検索してみたところ、意外と沢山出てきました。確か「感謝する」というタイトルで書いた記憶があり、もちろんそれも出てきました。今回は、少し違った側面から書いてみようと日夜考えています。
                                                                           もう数週間も前の夜からですが、時々、今日1日の中で感謝することについて考えてみました。一番良かったと思うこと、感謝することが出てきます。そして、2つ、3つと考えると意外にも出てくるぞ!と感じました。このことが感謝だと言えば、これも感謝だぞ――と出てくるのです。寝る前にお祈りをした後、感謝なことを考えて6-7個くらい考えているうちに、眠ってしまったといつも感じています。                 

少し言葉を変えて、“ありがたいと感じていること”についても考えることができます。そのことを試してはいませんが、数限りなく出て来ることでしょう。 “数えてみよ、主の恵み!”という讃美歌を思い出しますが、神様の恵みを数えだしたらほんとに数限りなくなることでしょう。夜眠れなくなる?かもしれません。

      感謝の反対語
感謝するという言葉の反対語を考えてみました。『感謝』とは、ありがとうと思うこと、ありがたいことをしてくれた時に「ありがとう」という感謝の気持ちが生まれるのです。その反対は、自分にとって、ありがたくない時に思う気持ちですから、それは、『迷惑』という言葉です。自分がされて嬉しい時には、感謝の気持ちが生まれ、嫌な時には、迷惑な気持ちが生まれるのですから、感謝の反対語は、『迷惑』というのです。これは一理ありますが、人を対象にして考えた事柄です。                                                        

私たちは、人に対してだけ、誰かがしてくれたことにだけに感謝することではありません。では、『感謝』の反対語は、『当然』『当たり前』であるというのはいかがでしょうか?当たり前になってしまうと、感謝することを忘れてしまうことから反対語であるというのです。これもしかりかなと思いますが、「当たり前のことを感謝として受け取ることのできることこそ、感謝である」ということもできるでしょう。 
                                                                                                           私たちは、もっと大きく広く高く、神様に対して感謝をささげたいものです。そうなりますと、私の結論としては、「ありがとう」の反対語が無いように、「感謝する」もぴったりくるような反対語は無いと思われます。人のしてくださったことも、当たり前のことも、当たり前でないことも、自分で努力できたことも、あるいは嫌なこと、迷惑なこともすべて、その根源で神様が背後にあってそのようにしてくださっていることに感謝するのです。                                    

私たちの日常の生活は、感謝することの少ない現実があるのかもしれません。人間とは何かと考えてみますと、喜び、祈り、感謝することのできる存在なのだと聖書は教え示してくれています。たとえ今どのような状況にわたしたちが置かれていても、次の言葉を胸に刻んでいたいと思います。                         
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ 5:16-18)
2011年2月15日    小坂圭吾