2011年8月17日水曜日

喜び 「片づける(1)」

        断捨離
 
今年の始めごろ、妻から「断捨離(だん、しゃ、り)」という言葉を知っているかと尋ねられました。聞いたことのない言葉で、ある切り抜きを渡されました。読んでみますと「これは面白い」と感じ、さっそくインターネットで調べますと、今注目されているとのこと。皆さんは、ご存知でしたか?最近、あちらこちらで見かけるようになりました。
  ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方から来ているとのことで、10年ほど前、金沢市に住む主婦が提唱し、ブログを通して広がったとのことです。「断捨離」は、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというものです。モノも情報もあふれかえっている現代。ともすれば、安いからと必要もないものを買い集め、捨てることもできずにいる自分。次から次へと流れてくる情報に右往左往している自分。そんな生き方に対して、不必要なものを捨てるというプロセスを積み重ねると、身の回りをスッキリさせることが出来、自分の心をも整理して行くことが出来るというものです。現代は、“いらないものをいかに捨てるかという知恵”こそが、必要な気がします。

     人生の片づけ術
  このことで思い出すのは、あの「坂の上の雲」に出てくる秋山好古の生き方です。彼は、実にシンプルな考え方、生活態度で生き抜いた人だったと思います。NHKテレビでの放映を見て刺激され、「坂の上の雲」を読み始めました。単行本は全部で8巻、いま6巻まで読み終えました。NHKテレビでの放映が終了するころには、読む方も完了したいと思います。
 ところで、わかりやすく言えば“片づけ”ですが、私もいつの間にか“片づけ上手な一人”になりました。大袈裟に言えば、人生の片づけ術ですね。世の中には、片づけコンサルタントも出て来ています。事務所はもちろん、家、書斎、物置もきれいに片づいています。妻も私に影響されて、片付けがかなり上手になったように思います。私の片づけ上手はいつごろかな?と、これを書きながら思い出してみました。それは、母の影響が大であったと思われます。実家は、それはもうきれいに片づいていましたし、母の片づけや掃除をしていた姿が目に焼きついています。どこを開けても整然としていました。祖父がきれい好きっだので、その影響も大きかったようです。ビジネスをするようになって、片付けの上手な身近の先輩を見ながら、少しづつ腕を磨いてきたように感じます。

        身のまわりの片づけ
 毎日の煩雑な生活の中で、片づけをしなければならないことが次々に起こってきます。先月でしたが、ふと時間が出来ましたので、不要なものを少し整理でもしようと思い立ちました。やってみるとほとんど片づいていて、捨てるもの、整理することもあまりありません。それよりも、大事にしている物をもっと活用しようと思い立ちました。やはり、忘れてそのままになっている物があるものです。

  “片付けの極意は何か?”と問われれば、物をすぐに分けて整理することです。必要なものと不要なものを分けて、不要と分類したものは、捨てるべき箱に入れます。期限が来れば処分をします。すぐに捨てるかどうかを迷うことがありますが、その場合は、一時置き場の箱に入れます。1-2週間後に見直しすれば、簡単に必要、不要を決めることが出来ます。寝かすことの重要さがここにもあります。
  必要と決めたものは、整理整頓をしてありますので、必要なキャビネット、本棚、ファイルに入れます。入れる際に目に触れた過去のもので、もういらないと即座にわかる時があります。それは取り出して、廃棄します。もし時間があれば、ついでにそのファイルやキャビネット、本棚を整理整頓してしまいます。要は、不要なものを減らす努力をついでにするのです。ほんの少しの時間を使ってやるのです。片づかない人の多くは、そのときそのとき片づけをしないで、後からしようとしますので片づきません。「仕事の出来る人は、片づけも上手である」いや「片づけの上手な人は、仕事も出来るようになる」と言いきってしまっていいかもしれません。片づけをうまくやれば、仕事もはかどることは確かです。

 「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。」(ルカ 10:41)

2011年8月17日    小坂圭吾