2018年4月9日月曜日

祈り「神に聴く」


東海の名城・掛川城
神さまが語りかけておられる

信仰生活とは、キリスト者として、神さまが私に何を望んでおられるかをよく聴き、それに従って生きていくことです。“聴く”とは、積極的に耳を傾けることで、聖書と祈り(神と個人的に交わる)を通して、神さまのみ旨をいかに知るかです。

私たちは、現在の事、過去の事、将来の事を思いながら、聖書を読み、お祈りをします。自分の生活を振り返りながら聖書を読みますと、毎日の些細な出来事を通して、神さまが私たちに語りかけておられる事を思い出すのです。

神さまが、耳に聞えるように語ってくださることは稀です。その声を聴くには、ラジオの受信機にたとえれば、チャンネルをしっかり合わせる必要があります。聖書のみ言葉、まわりの人々の助言、自然、毎日の些細な事を通して、神さまは語りかけておられます。

チャンネルの合わせ方は、毎日の出来事に注意深くなって、心を開いて、素直で謙遜な心でいますと、神さまが教えて下さるのです。ですから、聖書と祈りの中で、自分の生活に照らしながら、神が語られたことを振り返るようにします。

祈りの課題について

 私たちは、神さまに感謝と色々なお願いの祈りをします。毎日、毎週、毎月のように祈りの課題がありますが、課題とその結果を書きとめるのも有効です。私も月の始めに祈りの課題を書き、1か月後にどのように導かれたかを振り返って書きとめ、新たな課題に更新します。祈りの課題は、出来るだけ具体的に書くように心がけています。

過去の祈りの課題を振り返りますと、日々の些細な出来事の中から、神さまに示され違う方向に舵を切ったことがいくつかあります。数か月前のある問題については、将来の事を考えると今着手すべきと示され、嫌な事も多い事柄でしたが取り組みました。

祈りながら前に進みますと手助けと知恵が与えられて、ほんとに感謝しました。毎日の生活の中では、滑ったり転んだりの生活ですが、神さまに感謝と共に謝ることも多いのです。



信仰は体験である

祈りの課題の中に、具体的でなく何をすべきかわからないという課題もあります。ぼんやりはわかりますが、神さまがはっきりと導いてくださることを願い、神様にお聴きする祈りです。祈りながら、1週間あるいは1か月もすれば、方向性とかやるべきことが見えてくるのです。

壁にぶつかり前に進めないような事柄もあります。どうしたら良いでしょうかと祈るしかありません。このブログを書くにあたり、良いネタが無くて困っている時、1週間もすれば、お祈りに答えてタイミング良く知恵が与えられることがしばしばです。

私たちの父なる神さまは、全能のお方、全てを知って良きに導かれる方、この体験を積んでいきますと、主なる神さまとの信頼のパイプが太くなり、信仰が強められます。“信仰は体験である”と言われる通り

「求め続けなさい。そうすれば与えられます。捜し続けなさい。そうすれば見つかります。」(マタイ7:7 現代訳)

2018年4月9日    小坂圭吾