2013年12月19日木曜日

喜び 「2013年クリスマス」

               クリスマス待降節

 クリスマスシーズンを迎え、パイプオルガンのある教会に出席する機会があり、讃美歌を皆さんとご一緒に大きな声で思いっきり賛美しました。讃美歌の世代に育った者にとって、パイプオルガンに合わせての賛美歌は、何と喜びの賛美となることでしょうか!

天の父なる神さま。
  今年もクリスマスをありがとうございます。
  心のまんなかに創造主、救い主をお迎えします。
  あなたの温かい顧みに感謝し、喜びのわかちあいをさせてください。
  どうか、この地に御心がなりますようにお祈りいたします。

     ロゴス出版社

パーパス・ドリブン・ミニストリーは、20045月にPDJを設立しスタートをしました。「この仕事は、いつまで続けることになるだろうか?」と発足してまもなくスタッフと話し合ったことがあります。「最低でも5年、ひと仕事やり遂げるとなれば、10年は必要だろう。そうでなければ、日本に土着することはできない。いつか聖書も手掛けることが出来れば良いのだが」と話し合いました。

 今年の始め、「神」を「創造主」と訳した日本で初めての聖書『創造主訳聖書』を発行すべく、はからずも、PDJの兄弟会社“ロゴス出版社”を設立することになり、4月に『創造主訳聖書』(現代訳聖書が底本)を刊行しました。パーパス・ドリブン・ミニストリーを通して文書伝道の働きに関わり、この分野での宣教において、わずかではありますが経験を積んできましたが、そのような経験を「創造主訳聖書刊行会」の皆さまにご支持いただくこととなり、『創造主訳聖書』の発行をお引き受けすることになりました。PDJも含めてここまで10年にわたり継続できましたことを、心から主に感謝している次第です。

     キリスト教信仰の土台

この10年間にわたるPDJの働きとしては、『人生を導く5つの目的』を始め、下記の6シリーズ19点の書籍・教材を刊行してきました。

①「目的の40日」シリーズ(6点)

②「セレブレイト・リカバリー」シリーズ(3点)

③「リック&ケイ・ウォレン・メッセージ」シリーズ(3点)

④「クリスチャンライフ」シリーズ(4点)

⑤「コミュニティの40日」シリーズ(2点)

⑥「健康な教会」シリーズ(1点)

多くの教会で用いてくださっていることを心から感謝申し上げます。

 これらの書籍・教材の聖書的基盤となる“キリスト教のコンセプト”、これをわかりやすく解説した書籍を来年の初めに刊行いたします。タイトルは、『キリスト教信仰の土台~人生をささえる聖書の学び』で、構成は上下巻の2巻です。著者は、長年サドルバック教会で礼拝説教や信徒教育を担当してこられたトム・ホラディ師とケイ・ウォレン(リック・ウォレン夫人)師のお二人です。信仰生活においては、デボーションなどの日々の聖書の学びと祈りが基本ですが、本書は、そのような日々の信仰生活をささえる聖書の学びです。

キリスト教の中心コンセプトをわかりやすく解説するだけでなく、聖書の真理が、仕事、家庭、人間関係など、具体的な人生の側面で生きた力になることを願って書かれました。サドルバック教会で10年にわたり使用され練り上げられ、全米キリスト教最優秀図書賞をも受賞した書籍ですので、教会での学びやスモールグループでの学びに是非ご活用いただけたらと願っています。

 10年の歳月を経過し、これを土台にして次の10年をどのように展開していくのか?私たちの知恵だけで出来るすべもありません。主なる神様が起こして下さったミニストリーですので、これからも良きに導いて下さることを信じ、着実な次の10年を歩んでいければと願っております。これから寒さも厳しくなる折、皆さまもクリスマスシーズンで色々とお忙しいこともあり、心身共に主に守られて過ごされますようにお祈りいたします。  

2013年待降節に
          パーパス・ドリブン・ジャパン(PDJ)/ロゴス出版社
       代表 小坂圭吾


 

2013年11月27日水曜日

感謝 「人生まさかの坂」



     JFK

 20世紀最大の悲劇と言えば、ジョン・F・ケネデイ元大統領(JFK)が米テキサス州ダラスで暗殺された事ではないでしょうか。米国に夢・希望と目標を語った若き46歳の大統領が、凶弾に倒れて50年を迎えます。ケネデイ元大統領が暗殺された時に5歳であった長女キャロライン氏は、父の願いを意識し駐日大使を希望、このほど着任され、ほぼ同時期になりました。

 ケネデイ元大統領の死は、米国の人々にとっていや世界中の多くの人々にとって、“まさかの悲しい出来事”でした。先日、このJFKの悲劇についてのドキュメンタリーを見ました。米CBSテレビのアンカーマン、ウオルター・クロンカイト氏が、JFK死亡の公式発表を伝える映像ですが、同氏が悲しみのあまり眼鏡を外し、しばし沈黙する場面は、私たちの涙を誘うばかりでなく、まっさかさまの悲劇へと落とし込まれた感情が湧き上がります。

     人生3つの坂

20年以上も前、ビジネス時代に異動となったある時に取引先の社長さんが来社され、贈る言葉として「人生3つの坂」について教えて下さいました。1つ目の坂は万事が好調で何をやってもうまくいく“上り坂”、2つ目は不調に陥って思い通りにならない“下り坂”、3つ目はまさかの坂“です。このまさかの坂は急に出現してくるもので、巧妙な落とし穴のように油断している時ばかりでなく、慎重に構えている時にでも起こる予測不可能なものです。突然現れて、決定的なダメージを与えてしまうことがあります。

 3か月ほど前ですが、この“まさかの坂”が出現しました。8月下旬、車で富士山の麓にあるゴルフ場に出かけました。ほんとに蒸し暑い1日で、プレーの途中(午後)に雷がはげしく鳴り一時プレーを1時間ほど中断、そこで切り上げる人もありました。我々の組は最後までプレーして、最後にお風呂に入って汗を流し気持よくすっきり。さあ帰ろうと駐車場からゆっくりと車を出します。車が数メートル動いて止まり、「え、どうしたの!」何が起こったのか分かりません。

心がへこむ

ブレーキをかけて降りてみますと、バンパーが明らかに凹んで(へこんで)いる!「え、なぜ、こんな所にポールがあるの?まさか??」半信半疑ですが、ぶつかって凹んだことは事実です。林に囲まれた駐車場の一角ですが、駐車場に入る時も出るときもポールには気が付かず、自分にがっかり?心が凹みました。全くお粗末な失敗話で、夕方で暗くなりつつあり、さあ帰ろうとホッとして注意が散漫になり目の前が見えなかったのでしょう。

「なんと間抜けなことを」としばらく自問自答が続き、数カ月間反芻しました。「ホッと緊張から解放される直前あるいは直後について最も気をつけよう」がありますが、車でドライブばかりでなく、人生の様々の場面でも言える教訓であろうかと思います。「もう大丈夫!」という気のゆるみがすべてを台無しにするのです。
 
“まさかの事”と言えば、昨年“鼠径(そけい)ヘルニア(大人の脱腸)”になった時、医者に言われるまでは全く分からず、言われて「え!」言葉が出ませんでした。そのほかに何度か“まさかの出来事”に遭遇しましたが、主なる神様に守られ対処してきました。

これからも“まさかの出来事”は、多かれ少なかれ起こります。実に予測不可能なことなので防ぐ手立ては大変難しく、何が起きても慌てない心備えをしておくことが肝要でしょう。家人に言わせれば「今回の出来事は、感謝な教訓!」と言っておりますが、忘れっぽい私にとっては、忘れることの出来ない教訓だと神に感謝しています。しかも私にとっては、大きな坂ではなく小さい坂でありながら、大きな教訓として下さったことにも。

2013年11月27日     小坂圭吾

2013年10月28日月曜日

今を生きる「この一事に励む」


    
         別れを惜しむ

先日、知人Kさん昇天の悲報をメールで知りました。彼は、1年ほど前に手術をされ、その後元気になられたなと感じていましたので、突然のお知らせでビックリです。近くの教会で葬儀告別式があり、出席しました。彼とは同じ会社に勤務し知り合いでしたが、『人生を導く5つの目的』の本を仲立ちにお話をする機会が増えました。
 
発売後すぐにこの本を紹介したところ、「素晴らしい本なら、自分で購入して読みます」と言われ、一所懸命に読まれました。読み終えて間もなく何冊も購入され、色々な人に配られたのです。そのとき、教会がまだ決まってなかったので、クリスチャンの知人Nさんを紹介し、その教会に出席されるようになりました。クリスチャンホームに生まれ育ち、長い間求道された彼でしたが、1年後には受洗され、ほんとに幸いな教会生活であったと感じています。葬儀の時に個人の略歴が紹介されますが、彼は、人の世話を色々な場面で惜しみなくされた方であったことを思い起こしました。ですから、多くの方々が告別式に出席され、別れを惜しみました。

   長い目で考える

人生は長いようで短い、まだ先は長いと言いながら、あっと言う間に月日は経過していきます。オリンピックまであと7年とは言え、あっという間の期間でしょう。昨今、ふと考えさせられるのは、今重要だと思っていることが、510年後に思い返してみると、さほど大事ではないということがあるということです。色々と頑張ることは、あるいは良いことでしょう。若い時は、とにかく頑張ることが大切かもしれません。神を信じる者として、「神はすべての事を益としてくださる」と信じる者ですが、さりとて、その頑張る内容も吟味が大切で、5年後、10年後を考えてほんとにこの事が重要なのかと考えてみることではないでしょうか。さほど大事ではないと思うことに、意外と熱中しているものです。

    パウロの生涯 

この4か月間ほど、ゆっくりと「使徒の働き」を学んでいます。家人と一緒にやるには、「使徒の働き」が一番良さそうだと思い、7月からはじめてもうすぐこの書の学びが終わります。家人と二人でこれほどじっくりと学んだのも初めてで、「継続は力」、霊的に整えられていく事を実感します。

特にパウロの生き方について深く学べば学ぶほどに、感動を覚えさせられます。彼が生きたその模範は何かな?と考えた時、思い出した御言葉はこれでした。
「私は、-- ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、目標に目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:13-14)


パウロが“この一事に励んでいます”と言うところは、まさにキリストの証し人として、どんな境遇にあろうとも、十字架と復活のキリストを述べ伝え続けた生涯です。パウロの3回にわたる伝道旅行とローマへの旅を読むにつけ、異邦人の使徒としてその生き様が私たちの心に刻まれていきます。

この書を読みながら、じわじわと迫ってきた事は、パウロがどんな時(苦難と迫害)であろうとも、福音を伝えることを臆することなくしたことです。福音のための壮絶な戦いです。今流にいえば、スーパースターだから出来たことでは片づけられない何かを私たちに教えてくれます。パウロの生きざまを、私たちの生き方にくらし方に生かすことは何だろうかと考えてみますと、“ただ、この一事”という言葉が響いてきます。生涯にわたって、異邦人伝道のために一心に走り抜けた人生、この一事にかけて走り抜いたパウロの生きざまに感動を覚えます。

 「一生は短い。葬儀告別式の時に、どのような式辞を言ってほしいかを考えなさい。」と若い頃の社員研修の時に考えさせられたことがあります。何をどのように書いたか記憶にありませんが、「彼は、この一事に励んだ」と言われる人生を歩みたいものだ、と改めて考えさせられています。

2013年10月28日     小坂圭吾

 

2013年9月26日木曜日

今を生きる 「我慢する」


    

          猛暑を我慢できず日傘!
 台風が過ぎ去り“暑さ寒さも彼岸まで”との言葉通り、一気に秋らしくなり、秋の彼岸花が見ごろを迎えています。今年の夏も、暑さが身にこたえました。猛暑の8月中旬の平均気温が、全国的に平年を2度以上も上回り、日本の2/3の地域は、統計史上1位の暑さだったと気象庁のまとめです。

この暑い夏をとにかく我慢して切り抜けるために今年から実行したのが、「日傘」です。“男の日傘がある”と新聞を読んだ妻から聞かされ、猛暑の日差しをしのぐために実行に移しました。どんな日傘が良いのか?妻が言うには「普通の折り畳み傘でいいのよ!」どうもかっこつけたがる私を一喝です。折り畳み傘で一番軽い物を持って出かけますが、どこにも男の日傘が見当たりません。

しばらくして一人の男性が日傘をさしてこちらに向かっている!少しほっとした気分です。なるほどこれはなかなかいいものです。昨今は夕立が少ないとはいえ、いきなり雨が降り出すこともあり、折り畳みの傘があれば雨にも猛暑にも安心です。中高年の方には、来年ほんとにお勧めで、下手な我慢、しないが肝心です。

     子供に我慢させる
 1か月ほど前ですが、バスの一番後ろの席に座っていると、沢山の荷物を持った中高年のご婦人が乗って来られました。誰か席を譲るといいのにと思いつつ、すぐ近くにお母さんと小学生の子どもが座っていました。席を譲るかなと期待したのですが、残念ながら、その様子はありません。

 私の子供の頃には、大人に席を譲るようにしつけられ、私も自分の子供たちには、小さい頃は電車の中では座らせないようにしました。「立っていると足が丈夫になるし、電車賃も大人の半分あるいは支払ってないからね。」と我慢をさせるようにしたのです。ある時、孫と電車に乗った時にすぐに席をゆずったので、子供が孫をそのようにしつけているのだなと分かり、ほんとにうれしく思いました。

ところで、昨日の夕方ですがバスに乗ろうと待っていましたが、乗る人が多く、特に子供たちが沢山いました。これは座れないなと覚悟しましたが、多くの子供は立ったまま!最後に乗った私は、「おや、席が空いているのか!」と感謝して座ったことです。


          食べ物の好き嫌い
 孫たちを見ると、これで良いのかな?と心配なことに“食べ物の好き嫌い”があります。私たち夫婦は、ほとんど好き嫌いが無く何でもOKで、親に感謝しています。だからと言って、自分の子供たちを好き嫌い無く完全に育てられたわけではありません。子供には、好き嫌いなく我慢をして食べるようにしつけようとしましたが、一部失敗しました。孫たちを見てみますと、時代の流れもあるのでしょうが、好き嫌いが一層はっきりしているように感じられます。親に代わることは出来ませんが、何とかせねばと試行錯誤しています。

 私たちの毎日の生活の中で、我慢をすることは沢山あります。職場、学校、教会、家族の中等で様々なことが起こり、我慢を強いられます。やせ我慢もあれば、良い我慢、我慢のならないこともあるかもしれません。やせ我慢は、ともすれば人の目を気にして我慢をしている事柄かもしれません。「男の日傘」が典型であるように、多くの人がやっていないのでかっこ悪いと思って、私も“やせ我慢”していました。

良い我慢ですが、まさに色々あり、我慢がならなくなってガス抜きが必要な場合もあり得るでしょう。我慢をするのは大人だけでなく、子供たちにも良い我慢をしつけていく事が、大人の責任でしょうか。時代が進んで、我慢をせずにやる方法もありますが、必要な我慢は、子供の頃から、小さな我慢を積み重ねて学ばせていく時、その子供たちを大きく育てることにつながります。それによって、“忍耐をして強く生きていく力”も備わっていくのだと思います。

2013年9月27日     小坂圭吾

2013年8月28日水曜日

祈り 「バンクーバー・リトリート(3)」

 
                    魅力はバランス
 バンクーバーという街の最大の魅力は何か?それは「バランス」にあるのだろうと思います。私がバランスを好む、が故の評価かもしれません。 自然と街の調和、人種間での調和、新旧の調和、気候の調和のように思われます。

“自然と街の調和”では、すでに書きましたように海と山そして森・林がすぐ近くにあって、自然を身近に感じられ、うまく環境保護もされていて癒されます。“人種間での調和”と言えば、色々な人種が移り住み、カナダは移民国家ですので、自分が日本人であることをあまり意識しないように思いました。移民国家だけあって、外国の方にもとても親切だと言われ、あまり緊張感を持つこともなく過ごしました。

“新旧の調和”については、オリンピックの開催によって新しくなったところが多くありますが、街全体が新しいという感じではなく、それなりに古くまたそれなりに新しくきれいになって調和が感じられます。新しくなっても新しすぎない落ち着いた雰囲気が感じられ、都市作りの工夫なのでしょう。
 
"気候の調和”と言う意味は、夏は雨が少ないので乾燥して札幌のようにさわやかで、冬は東京よりも少し寒い程度で、人間に優しい気候ということです。ただ、冬は、日本の梅雨のように雨が多いようです。一般の住宅ではエアコンがあったかな?と思い出せないくらいで、自然の温度に適応して暮らせるのが、何よりです。

ということで、「バランス」のとれた美しい街バンクーバーです。可能であれば移住したいとも感じる方が多いと聞きますが、そこまでは心が動きませんが、毎年訪れたい所ではあります。


 バンクーバー島で
  旅の後半は、お隣のバンクーバー島にフェリーに乗って(7階建の大型フェリー、約100分)出かけました。島と言ってもその大きさは、四国のおよそ倍の広さです。知人にその大きさを教えられビックリ!(南北460kmにわたる由)。この島の周りには大小さまざまな島々が散らばり、外海から守られた静かな入り江や海峡、変化に富んだ海岸線に美しいビーチが多くあります。島と言えば、瀬戸内海を思い出しますが、それとはおおよそ異なりました。このバンクーバー島の南端に位置するビクトリアは、ブリティッシュ・コロンビア州(BC州)の州都で、春から夏にかけて街中がお花であふれています。

バンクーバー島では3日間過ごしましたが、特筆すべきは、Nご夫妻のおもてなし上手です。宿泊は、Nご夫妻の知人の家が空いているので、2泊させていただきました(大きな家と庭です!)。観光ばかりでなく夕食は自宅に、昼食は近所のレストランに招いて下さいました。心をこめて接待してくださりほんとに感謝でした。
 
もてなしの素晴らしかったのはどんな点だったのか?と考えてみました。まずは、自然が素晴らしく、ゆったりした環境だったことが当然あげられます。食事はもちろんおいしくいただきましたが、これがポイントではなく、一番のポイントは、もてなして下さったご夫婦が、リラックスしていて緊張感を与えないことです。こちらは英語が堪能ではなくても、それなりに会話が出来て、ゆったりとした雰囲気の中で過ごせ、時間の経過を忘れるほどです。更に、ユーモアと笑顔が常にあることでしょうか?別に笑わせようとしていることはありませんが、何気なしに笑いを誘う雰囲気があるのですね。

  今までも公私にわたり色々とおもてなしを受けましたが、それ以上に心に残る素晴らしいおもてなしを受けました。今後の私たちのおもてなしの姿勢を、新たに教えられたひと時でした。ほんとに感謝な3日間、そしてバンクーバーへの旅でした。

 
2013年8月28日     小坂圭吾

2013年8月14日水曜日

祈り 「バンクーバー・リトリート(2)」

 
           
       山と海と空
 バンクーバーの特徴は、自然が多く人が少ないところです。すぐ近くに山あり海あり、そして公園ありゴルフ場あり、夏は空がきれいです。ダウンタウンのホテルの少し高い所から眺めると、これらの山、海、空が見え、朝は少し曇っているかなと思っていてもまもなく雲一つない晴天の一日となります。その空のきれいさがビルの窓に映り、ガラスから出来ているビル群に映えて綺麗で“ガラスのまち”と言われるのでしょう。

観光スポットはダウンタウンに集中していますが、買い物ならロブソン通り、とはいってもそんなに人は多くなく、のんびりと歩くだけでも良いものです。バンクーバー発祥の地・市内で最も古い場所・ギャスタウンは、土産を買うには手ごろな場所で、案内され少しばかりお土産を買いました。ここは、一時さびれてゴーストタウン化してしまい、再興計画によりバンクーバーを代表する観光地に変わりました。石畳のウオーター通りには蒸気時計があり、15分ごとに周囲に汽笛を響かせていますが、新旧がほどよく調和しているのもバンクーバーの良さでしょうか。

自然を満喫するならスタンレー・パーク、周囲の1方向だけが市街地に接し、他の方向は全て海に囲まれ素晴らしい雰囲気を醸し出しています。かつて散歩したことがあるニューヨークのセントラルパークよりも大きく、東京・日比谷公園の約25倍ですから、「これは、でかい!」と思った通りです。

 公園内にあるプロスペクト・ポイントからは、ノースバンクーバーに向かうライオンズゲートブリッジが良く見え、絶景ポイントです。バンクーバーを一望するには、この橋を渡り2010年冬季オリンピックの競技場にもなっているサイプレス山に登ると、バンクーバー全体を俯瞰することが出来ます。どうも高い所から見るのが好きな私は、この景色には満足でした。

  公園が多く大きいことに加えてゴルフ場も多く、市内には8ヵ所余もあります。車で20分も走ると行くことが出来、ゴルフ好きの人には天国です。私の知人は、仕事が終わって6時ごろから9時ごろまで(夏の日没は22時前くらい)、バッグを担いでゴルフ場が閉鎖されるまでプレーをする由。上手なこともあって、早く回ると18ホール周りきるとのことで(これはスピード違反、でも大丈夫!)、彼にとってはトレーニングであり、料金も安いとのことでした。

       QT(Quiet Time
   ところで、リトリートの意味ですが、国語辞書(大辞泉)によりますと” 撤退、避難、仕事や家庭などの日常生活を離れ、自分だけの時間や人間関係に浸る場所などを指す”と説明されています。バンクーバーに行くときは、リトリートと言うつもりはありませんでしたが、帰国してブログを書きながら、“これぞリトリートだった”と思うようになりました。 

 バンクーバーでの朝は、ともかくゆっくりしようと考えました。幸いなことに二人とも時差ボケもほとんどなく(それほど柔軟ではありませんがー)、早寝早起きで朝食が済みますと、夫婦二人でQT雑誌「リビングライフ」を使い家庭礼拝です。個人のQT(Quiet Time静思の時、デボーション)でも使っていましたが、少し前から家庭礼拝でも使い始めました。

 QTは、20数年前から「羊群」を通して訓練され、他のデボーション雑誌も幾つか使ったことがあります。今年のはじめ頃「リビングライフ」を贈呈していただき、試しに使ってみましたら、これがなかなかに素晴らしい。どんな点かと言えば、御言葉について福音的な解説を施し、それに対して自分で考えるように「黙想」と「適用」の質問を提示しています。これによって、御言葉を生活に結びつけてくれるのです。更に“私の黙想と適用”や“黙想エッセイ”が書かれており、その他にも色々と行き届いています。じっくりと取り組みますと、心が探られ霊的に整えられます。

 QT雑誌の重要ポイントは、御言葉を読みその個所について的確な「黙想」と「適用」の質問を提示してあるかどうかではないでしょうか。この的確な質問により静かに黙想して霊的な深みに導かれ、その日のスタートに元気が与えられます。一人ではなく二人でこのQTを持てたことが、素晴らしいリトリートになった要因の一つであっただろうと思います。

「ふたりでも三人でも、私の名において集まるところには、わたしもその中にいるからです。」(マタイ 18:20)

2013年8月13日     小坂圭吾 

2013年7月29日月曜日

祈り 「バンクーバー・リトリート(1)」

       

       いざバンクーバーへ    
 今月中旬に、夫婦でバンクーバーへの旅をしました。娘が結婚して住むようになり、今年は行かないとね!と腰を上げたのです。私は、過去に2回ほどビジネスで訪問しましたが、バンクーバーの良さを体験する暇がありませんでした。前から知っていることは、「世界で最も住みやすい都市」との評判ですが、今は“ガラスのまち”とも言われ、8日間の旅でしたことをレポートできればと思います。

 バンクーバーはカナダの西海岸にあり、北海道よりも緯度的には少し北になり、バンクーバーを中心とする都市圏人口は約210万人、トロント、モントリオールに続くカナダ第3の規模を持つ大都市です。時差はサマータイムを実施していますので-16時間で、久しぶりに時差のきつい国に出かけますので、1週間ほど前から早寝早起きに精を出しました。

 成田から直行便で約9時間、会社再生をしたJALを使いました。この10数年はJALを利用しませんでしたが、経営破綻をして、稲盛和男氏がJAL会長として経営の立て直しを図られてからは、JALを応援する意味から積極的に利用しています。国際便は10数年ぶりで、あらゆることが改善されていることを実感しました。(海外に行くときは、JALのホームページから航空券を購入するのが最も安いです。)行きの機内食は、ほんとおいしかった!これから日本の航空会社として大きく羽ばたいてほしいと願います。

      どんな都市なのか?
 7月に行く事にしたのは、1年で雨が最も少なく快晴の日が続くこと、飛行機代も高くなる前の時をねらいました。バンクーバーに着くと17℃くらい、長袖とベストを着て丁度良いくらい!少し寒いかな?と感じた日は無く、日本の5月くらいの感じです。最高気温は、20-25℃くらいだったように思います。夏は乾燥していて涼しいというのが実感で、7月の降水量は、東京の1/4以下です。さわやかな気候で、8日間一度も雨は降りません。

 バンクーバー国際空港に到着して、入国審査までの間の廊下等を歩きながら、その色合いは素朴な感じが強く、帰国時の待合室等は、そのゆったりした良さを感じさせてくれます。入国審査カウンターで色々と聞かれて、最近はガードを固くしているのかと思います。

 出迎えに来てくれるはずの娘が見当たらず、少し待つのかなと思っていた矢先に「ごめん、ごめん!早くに出て来れたのね」と言いながら出迎え、“これはバンクーバー時間だな”と几帳面な性格がそう思わせました。しかし、帰国するころには、ゆったりとした時間の過ごし方にすっかり馴染んだように思います。

 空港から娘の自宅まで車で20分のドライブ、車窓から見ながら、住宅街に入ると昔の記憶が徐々によみがえります。バンクーバー国際空港からダウンタウンの終着駅までスカイトレインで約25分、空港は便利な所に位置します。ざっくりと言うと、カナダの大都市とはいえ、日本の中規模の都市にその良さをふんだんに備えているということでしょうか。

     多様な民族と言語
 バンクーバー市のみの人口は約60万人、民族や言語が多様で人口のおよそ半分は、第一言語が英語ではありません。ダウンタウンや住宅街を歩いていても、中国系、韓国系、日系等の人々が多かったですね。第一言語が英語でない人が多いものですから、よく聞き取れない(こちらの実力不足)、正しく発音しても(?)間違えて聞き取ってしまわれる。

 「野菜ジュースは、どこにありますか?」連れて行かれて指さされたものが全く違うもの。そもそも野菜ジュースは無いようです。マーケットでぶらぶら買い物をしていると「韓国人ですか」と質問されたり、ある時は、日本から来たと言うと「津波に遭いましたか」と尋ねられ心配もしてくれました。そして、何日の滞在かと聞かれ「8日間」と答えると「それは短い!次は1か月の予定で来なさい」と勧めてくれ、出来ればそうしたいですがー。

 色々な方との交わりの中で、あるご夫婦、イギリス・スコットランドから定年を早めに切り上げ、バンクーバー島に引っ越して来られたお二人との会話です。彼らの仲の良さは、傍目から見てもそうであろうなと推察されます。

 お二人で手をつなぎ、ご主人が奥様の肩に手をかけて優しくされている様子は、日本男性にはなかなか出来ません。(バンクーバー島では、このような光景があちらこちらにー。)その姿を見るに、優しさの様子が日本とは少し違うのですと、川柳をご紹介しました。

「手をつなぐ 昔デート 今介護」

一緒に大笑いですが、“あなたの隣人をまず大切に!”ということを思い起こさせられました。どうも主人の私の方が反省しきりとなりがちで、これは致し方のないことでしょうか。

 2013年7月27日     小坂圭吾  

2013年6月12日水曜日

コーヒーブレイク 「伝える(2)」


    翻訳の問題
先日、御茶ノ水の東京プレヤーセンターで礼拝の後で懇談をしていました。ある信徒の方が「日本語の聖書は、わかりにくい所が出て来ますね。対訳付きの聖書で英語を読む方が良くわかる時があります。」

「英語の聖書は10種類余もあって、分かりやすい文体の英語を載せてあるからです。日本にも分りやすい日本語で訳された翻訳がありますよ」と私は、『創造主訳聖書』のチラシをお見せしながらお話しました。「すぐに今から買いに行きます。2階の本屋さんですね。これで1冊売れましたね。」と飛んで行かれました!これは、うれしい驚きです。

聖書の分かりにくい原因は、ズバリ、翻訳に問題があるからです。ほとんどの聖書が「原語に忠実」という翻訳原則に基づいており、聖書の書かれた時代や風俗や習慣が、今日私たちが生きている日本とは全く違うにもかかわらず、それが考慮されないで翻訳されています。ですから、意味のわかりにくいところがあちらこちらに出てきます。

そこで、翻訳原則を「原語に忠実」ではなく、「原文の意味に忠実」という原則に基づいて行うことが重要なのです。「原文の意味に忠実」ですと、キリスト教の背景を持たない日本人にも読むだけでわかるように訳すことが出来ます(この翻訳原則をダイナミック・エクイバレンスと言います)。現在、一般の書籍は全てこの原則に基づいて訳されていますが、『人生を導く5つの目的』を始め、PDJで出版する書籍、教材等も、全てこの原則で訳されています。

     聖書の主題
もう一つの問題は、聖書の主題である「神」という訳です。日本人の多くは、「神」と言う訳の聖書だと、“八百万の神”を想いながら読んでしまうのではないでしょうか。一般の人々にとっては、「創造主」という言葉のほうが分かりやすく、天地万物の造り主、創造主の存在をダイレクトに伝えることが出来ます。クリスチャンである私たちは、神であろうと創造主であろうとさほど違いを感じませんが、未信者の方々は、「神」だと全く混乱をするのです。先日ある教会員のご婦人からこんなお話を聞きました。「私の主人は、聖書を読んでいると、“神”という言葉が出てくるたびに“八百万の神”を連想してしまって、良くわからないと言うのですよ。」

私自身は、クリスチャンになる前に聖書を読んでも、神と言う言葉について“八百万の神”を想いながら読むということが無かったために、混乱するとは思いもつきませんでした。『創造主訳聖書』を刊行してから、色々な方々からこのことを言われて、まさに日本人にとっては、混乱の種であったのだと実感しています。

     お便りから
先日、ある読者の方からお便りをいただき、少し長いですが一部を紹介させていただきます。

 「待望の『創造主訳聖書』を実際に手にしてみて、まず始めに、装丁が素晴らしい!聖書というと、堅苦しく、とっつきづらい雰囲気の物がほとんどで、それなりの厳かな装丁のものが在って然るべきですが、一般の人に手に取ってもらおうと考えたなら、断然カジュアルで親しみやすい雰囲気が必要となります。ちょうど手にしやすいサイズ、オシャレな表紙、持ち運べる軽さ、栞付き・カバー付きの親切さ‥。中を見た時に軽い衝撃『見やすい!』字体が丸ゴシックなのが新鮮で良いし、小見出しが大変多く、分かりやすい。その小見出しのデザイン線のお洒落なこと!

・・・訳文ですが、本当に読みやすいですね。聖書を初めて読んだ時から四半世紀以上が過ぎ、やはり聖書は少々読みづらい物だという印象で、すらすらサラリと読める感覚のものではない、とは皆が共通の認識!!??この聖書ならすらすら読める、すんなりと頭に入ってくるのでどんどん読み進めることが出来ました。

この聖書の最も革新的な部分である“創造主”という訳語。正直申せば、神を創造主に読み替えたくらいで何が変わるのだろう‥?と初めは思っていました。でもいざ本文を読んでみたら、非常に納得。何か私自身の信仰まで新たにされた感があります。私たちの神は世間一般でいうところの単なる”神“ではない“創造主”。この方から全てが始まりこの方で終わる、正にアルファでありオメガであるお方、それが創造主!天地の造り主である神様を表すのに、これ以上適切な言葉はありません」

この聖書が、日本人の多くの方々に届くことを心から願っております。(なお、6月24日(月)夜に講演会がありますので、ぜひご出席ください。画像をクリックしてくだされば、大きくなります。詳しくは、ロゴス出版社のHP http://www.logos-pb.com/ 
をご覧ください。)

2013年6月12日     小坂圭吾    


2013年5月28日火曜日

コーヒーブレイク 「伝える(1)」


      他の人に伝えたい
先日、丹沢山麓を散策中に、何と驚いたことに、カラスに栄養ドリンク剤(ゼリー飲料)を盗まれてしまいました。手提げ袋に入れネットの網にかぶせてあったのですが、それをごそごそと開き持ち去ったとのこと。同じ袋にバナナは入っていましたが、それは取られず、良かった!知人が遠くから見ていて、やあ驚いたと説明してくれました。近くの人にこのことを話すと、「このあたりのカラスは賢くてよくやられるよ!」との事。感動したことやおもしろいこと、珍しい事などを体験したら、誰かに是非伝えたくなるものです。

しかし、その伝え方が悪いと十分に伝わりません。どのように伝えるかは、実に重要ではないかと思います。話をするにしても、書くにしても(翻訳をするにしても)わかりやすく伝えるために、多くの方々は苦労されているのだと思います。私もしかりです。しかし、わかりにくい話や書籍があるのもこれまた現実ではあります。

      分かりにくい書物
分かりやすく伝えることで言えば、昨今は、池上彰さんが筆頭格かもしれません。彼がNHK「週間こどもニュース」でお父さん役を務めておられる時、「妻がこれは素晴らしい番組だ!」と言って、二人でしばしばこの番組を見ていました。大人のニュース番組よりも分かりやすく本質が理解できるからです。

NHKを退社されて、民放番組に出られる今も時々見ています。色々な書物を書かれていますが、どれも読んでさすがに分かりやすい!彼の著書で『伝える力』と言う本があり、この中で彼は「教科書や参考書は、非常にわかりにくい」と書いておられます。とっつきにくい説明、根本的なことをわかりやすく説明出来てない、専門家はわかりやすく説明することから逃げているとまで書いておられます。

小学生にでも分かるように説明できなければ、本人が分かってない証拠だとよく言われたものです。ですから、難しくて分かりにくい話や本を読みますと、本人も理解できていないのでは?と思ってしまいます。

             わかりにくい聖書
いきなりですが、聖書は読むだけではわからない、わかりにくい書物だと思いませんか?学生の頃、よくぞ忍耐して読んだものだと!求道中の時、「わからないところは飛ばして、わかるところだけを読んでいけば良い」と言われました。多くのベストセラーと言われる書物で、読んでわからないので読み飛ばしていますか。(斜め読みや不要で読み飛ばしは、ありますね。)

永遠のベストセラーといわれる聖書、日本でも毎年百万冊以上が人々の手にわたっていますが、その9割は読まれていないとのこと。まさに積読(つんどく)になっているのでしょう。

わかりやすい翻訳の聖書と言えば、英語では色々な訳の聖書(10数種類)があり、分かりやすい翻訳、平易な文体のものがいくつもあります。日本では、読んでわかる聖書と言えば、「現代訳聖書」を筆頭にして、あとは「リビングバイブル」があるくらいです。聖書を手元に置くには、“現代語の聖書”を読むのが良いと、リック・ウオレンも勧めておられます。わかりやすい翻訳の聖書があることも知らない方が、ほんとに多いと感じています。

元来、聖書は読むだけでわかるものだったはずです。2000年以上も前に書かれた聖書を読んで、今日の私たちが分かりにくいのは、聖書の書かれた時代や風俗や習慣が、今日私たちが生きている日本とは全く違うにもかかわらず、それが考慮されないで翻訳されているからです。現在の英語の本から日本語に訳す場合でも、日本人にわかりにくい言葉、たとえ、笑い話等が続々と出て来るものです。ですから、アメリカ生まれでかつアメリカ育ちの方に意味をお聞きして、翻訳をして行くようにしています。

2013年5月27日     小坂圭吾 

2013年4月19日金曜日

感謝 「はじめに創造主が天と地を(2)」

                  熱い思い
『創造主訳聖書』刊行への熱い思いとは、三重県四日市市で地方伝道をしてこられた堀越暢冶牧師が、長年の伝道・牧会の中から起こされた願いです。

一般的な日本人が思い浮かべる「神」概念は、八百万(やおよろず)の神であって聖書の教える「天地万物の造り主」とは異なります。聖書の「神」という訳語が、福音宣教の足かせになっており、堀越牧師は、「神」に代えて「創造主」という訳語を用いるようになってから、「すべてを超越し、すべてを造られた唯一のお方」として伝えやすくなったと語っておられます。

聖書は永遠のベストセラーといわれますが、天地万物の造り主、創造主の存在をダイレクトに伝えているこの『創造主訳聖書』が、多くの方々に読まれることを願っています。

底本に『現代訳聖書』を使用し、「読むだけでよく分かる」のが特徴です。毎日読む聖書、デボーション用聖書として、ぜひ1冊手元に置いてお読みいただければと思います。持ち運びにも便利ですし、求道中の方やはじめて聖書を読まれる方にも安心してお勧めできます。

                 創世記のノアの洪水
この1年ほどは、創世記について学ぶことが多くなり、「創世記の洪水コンサート」(イ・ジェマン著、宇佐神実監修、Duranno Japan発行)を読む機会が与えられました。“創造について確信がない人に、「地」が告げる創造の明らかな証拠”と本の帯にあります。

私は、創造主が存在すると知って信仰の入り口に立った者ですが、「進化論、人間がサルから進化?そんな事あり得ない」との思いの一人でした。この本を読んで、私たちが目にする地形は、概ね“ノアの洪水”によって形成されたと知ることは、神様が天地を造られたと得心がいく事になります。「創世記の洪水」は、まさに歴史的な事実としてその証拠が次々に示され、読んでいて痛快であり、いかに進化論が虚偽の仮説であるかを知ることが出来ます。

20数年前にグランドキャニオンを訪れた時に、これこそ神様の造られた跡なのだろうと思いながら景色を楽しみました。その時のガイドは、コロラド川の水がゆっくりとした速さで岩石を削ったと最も一般的な説明をしてくれたように記憶しています。「そのようなことで、この景色が出来るかな?無理な話だよ!」と景色は素晴らしくとも納得のいかない説明であったなとの思いでした。

この本では、グランドキャニオンの形成過程を詳しく知ることが出来、“創世記のノアの洪水”が歴史的事実であることが良くわかり、楽しく読むことが出来ます。一読を心からお勧めします。

                      「ロゴス」という言葉 
『創造主訳聖書』は、新たに設立したロゴス出版社より発行しました。ロゴス出版社は、パーパス・ドリブン・ミニストリーの出版を手がけるPDJの関連会社になります。

過去10年間、パーパス・ドリブン・ミニストリーを通して文書伝道の働きに関わり、この分野での宣教において、わずかではありますが経験を積んでおりました。このような経験も、新たに聖書を発行することのご支持をいただくことになったのではと思っています。
「ロゴス出版社」の名前ですが、聖書を出すにふさわしい名前は?とまず浮かんだのが「ロゴス」という言葉でした。ヨハネ1:1に出てくることで有名なこの言葉は、ギリシャ語で「ことば、理性」を意味し、ヨハネの福音書では「神のことば」であるイエス・キリストご自身を表しています。聖書を中心としたキリスト教関連書籍の発行と発売を行うのにふさわしい名前ではないかと思い、社名に入れさせていただきました。

この名前に恥じないよう、聖書の希望のメッセージを日本人の心に届けていければと願っております。


「はじめに創造主が天と地とを創造された。」(創世記1:1 創造主訳) 

2013年4月19日     小坂圭吾     (ロゴス出版社/PDJ)

2013年3月14日木曜日

感謝 「はじめに創造主が天と地を(1)」

                                                               東日本大震災から2年
東日本大震災そして原発事故から2年が経ちました。2年が経過しましたが、復興の進度状況が遅いことは、誠に残念です。それには原因があり、政府が復興の予算をつければそれで事が進むという訳ではありません。東北の地で再興をしようと頑張ろうとしている方々に、少しでも助けになることを最低10年は継続しなければならない、と思っている一人です。再度、支援・復興は長期戦であると覚悟して、「自分が出来ることをしよう」と問い続けながら、行動をしていきたいものです。

年に一度東北の支援に現地を訪問しようと、昨年の秋(2012年10月)、岩手県三陸海岸のあちこちを訪問しました。テレビの映像で見たことのある場所、津波後のその姿は瓦礫が取り除かれていましたので、最初からこのような場所だったのかと錯覚をしてしまいます。

現地の方々の実体験やあらゆるものが根こそぎ無くなった姿を見るにつけ、自然の威力の凄さに驚かされます。盛岡市にある岩手日報社が発行している特別報道写真集「平成の三陸大津波~2011.3.11東日本大震災・岩手の記録」を現地で購入しました。それは、岩手日報社の記者たちが身をもって各地でとらえ、克明に記録したものです。哀悼と鎮魂の思いと共に、復興、新生に向けての歩み、願いです。
      創造主との出会い
この天災、さらに人災ともいうべきあまりにも過酷な現象、秋晴れの中、船に乗って沖合から三陸海岸の実に美しい風景を見るに、神様の造られた美しい景色と震災の過酷な現実が、頭の中で錯綜します。天地を造られた神様は、時にこのような大自然災害をも許されるのです。今回は、創造主について筆を進めます。

“天地の造り主”と言えば、私が求道を始めた大学1年生の時のことを思い出します。キリスト者学生会(KGK)主催のキリスト教講演会に出席し、尾山令仁牧師の講演を聞いてぐっと心に迫るものがあり、教会に行くようになりました。聖書の話を聞くだけでなく、聖書に関する本を大学の勉強以上に熱心に読みました。半年余り求道して、「キリスト教と科学とは対立するものではなく、逆に調和する。この世界は創造主によって造られたのだ」との結論に至ったのです。

特に聖書の冒頭に、「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1 口語訳)とあり、何の説明もありませんが、はっきりとこの世界の起源を宣言している言葉には感動を覚えました。この世界を造られた神、創造主がおられることが分かると、今度は、そのお方が私にとってどんなお方なのかが問題になりました。さらに求道を続けるうちに、「人が人として正しく歩むには、イエス・キリストに従って歩むしかない」との理解に至り、信仰の決心に導かれ、やがて救いの確信を得ることができたのです。
     
               『創造主訳聖書』の発行
1965年頃、W大KGKにおいて、毎週一度「創世記」の聖書研究会が行われていました。法学部の校舎6階の薄暗い屋根裏にあるKGKの部室、部屋に入る時は、幾分か腰をかがめないと天井のかもいに頭をぶつけそうになります。これぞ、聖書研究やお祈りをするには、ふさわしい場所だと感じていました。その当時、尾山令仁牧師が私訳の聖書を使って学びを指導しておられ、私もその聖書研究会のメンバーでした。それから約20年後、尾山牧師の私訳聖書が1冊の聖書にまとまり、『現代訳聖書』として刊行されました。

その聖書を底本として『創造主訳聖書』を刊行したい、との熱い思いを持たれた方々からお声がけいただきました。「神」と言う訳語を「創造主」と訳出する『創造主訳聖書』の刊行です。これは、重要な働きだとの思いを抱きながら、委員会に参加させていただいたのが、約1年半前のことです。
(「創造主訳聖書」は、イースターに全国のキリスト教書店で発売致します。
こちらのホームページをご覧ください。http://www.logos-pb.com/ )

2013年3月14日     小坂圭吾