親子の交流
後悔の“トップ20”の第3位以下を見ますと、家族との関係の中で、特に親子間のコミュニケーション不足が伺われます。第6位「親とよく話をすれば良かった」、第10位「子どもとよく話をすればよかった」とあります。
要は、親子の対話は、十分すぎることは無いという事でしょうか。親元から離れて暮らしている人にとって、親とのコミュニケーションに後悔の念は無かったとしても、もっとあれば良かったと感じているかもしれません。一方で、近くに親がいるにもかかわらず、十分にコミュニケーションが取れてないという現実もあります。ある程度の距離が離れている方が、たまに会うとあれやこれやと良い話、交わりが出来るという現実もありえます。
私のお世話になった神学校の学長さんは、講義の最後に「今日、家に帰ったらご両親に、電話でもハガキの一本でも書いて、感謝を表しなさい。」としばしば言われました。この心は、親に感謝を表すことが子供として一番の恩返しであり、大切なコミュニケーションであると受け止めています。
子供に対しては、「子育てはそれなりに十分できた」と思っている方でも、反省これしきりとなるものです。“子供をありのまま受け入れる”ことが、親としてはなかなかに難しいからだと思います。親として、それまでに蓄積された経験や考え方等が、意識してなくても前面に出て来ます。“子供には、子供の事情がある”ことを考える余裕がなく、ありのままを受け入れアドバイスや話をしていくことを難しくさせているのです。時代も子育て方法も変化する中で、親としてはわからないことも多く、失敗だらけも仕方がありません。
心の一新
後悔についていくつかを考えてみましたが、多かれ少なかれ、私たちが陥りがちな面を指摘してくれており、後悔に気付いた時がスタートです。今から悔い改めて、“この良いことをやろう!”と決めて始めることが肝心です。「悔い改め」の意味は「方向転換をする」という事で、考え方を変えることから始まります。
変化は、まず私の心の中から始まり、考え方を変えるのです。考え方を変えれば、私の感じ方に影響を与え、それにより行動の仕方も決まってくるのです。“時はすでに遅い”と思われる事もあるかもしれません。しかし、どのような場合にも、まだまだやりようがあると考えられます。
私の場合、いわゆる子育ては終っていますが、60代になって「ちょっと子育てがまずかったな!」と子供に指摘されて分かり、親子双方にとって良い教訓を得ました。そのことを生かしながら、大人になった子供にも教え諭すことは続きますし、孫育てに生かすことも可能です。(同じような失敗をしがちですが。)こうして、「心を入れ替える」ことをして、神に喜ばれる生き方に方向転換ができればと願っています。
「何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(使徒12:2)
2014年5月26日 小坂圭吾